>>参考 <かぐや姫のあれこれ〜火の山の女神

 

赫奕姫かぐやひめ  『海道記』 日本

 昔、竹取の翁という者があった。娘を赫奕姫かぐやひめという。

 翁の家の竹林で、鶯の卵が娘の形にかえって、巣の中にいた。翁は育てて自分の娘にした。

 長じて、容姿のいいことといったら比べるものもない。光輝いて辺りを照らした。艶やかな双髪は秋の蝉の羽、ゆるやかな両眉は遠い山の色。一たび微笑めば百を魅了する。見聞きした人はみな(恋焦がれるあまり)断腸の思いであった。

 この姫は、前世で人として翁に養われたのだが、天上に生まれ変わって後、前世の恩に報いようとて、少しの間、この翁の竹に化生したのである。感動すべきではないか、父子の縁が転生しても変わらないとは。

 これ以降、青竹の節の中に黄金が出てきて、貧しい翁はたちまちに富者となった。

 そのうち、栄華の家の者、好色の道を行く者、月卿(公卿)は光を争い、雲客(殿上人)は色を重ねて、艶言を尽くし、抜きん出て深い愛情を示そうとした。いつも赫奕姫の家に集合して、弦楽器を奏で、歌を詠んで遊び合ったりした。けれども、翁の姫は、難問を作り与えて、打ち解ける心がなかった。

 時の帝がこのことを聞いて召したけれども、参らなかったので、帝は狩りの遊びのようにして鶯姫の竹亭に行って、オシドリのように睦まじく松の木のように永遠たる愛を約束した。翁の姫は、思うところがあって……と、また後日にと約束をしたので、帝は空しく独りで帰っていった。

 諸々の天神がこれを知って、妃の宝石の枕や金のかんざしが手に慣れるより先にと、飛車を降ろして迎えて天に昇った。関城かんせいの警護も雲の路には効果がなく、猛者の力も飛んで行くものには意味がなかった。

 時は秋の半ば、月の光の翳りなき頃。夜半の風情、風の音には、悩みのない人でも物思いするだろう。君臣共に姫を思い、同じように涙で袖を濡らした。あの雲を捕らえようにも捕らえられず、雲の色は暗くて、終息感が深まる。風を追おうにも追うことはできず、風の声はゴオゴオと響いて、夜の恨みが長い。

 華陀は奈木の孫枝(子孫)である。薬の君主として万人の病を癒した。鶯姫は竹林の子葉である。毒の化女として人の心を悩ました。道士の大真院を尋ねた楊貴妃の睦言むつごとは、再び唐帝の思いに還る。帝の使者は富士の峰に登り、仙女の別れの手紙を焼いて、永くあの方の情を焦がした。

 翁の姫は、天に昇っていく時、帝との約束をさすがに覚えていて、不死の薬に歌を書いて、そえて残していた。その歌に言う。

  今はとて天の羽衣きる時ぞ 君をあはれと思ひいでぬる
  (今はもう、と天の羽衣を着る時になって、あなたが切なく思い出されてきます。)

 帝はこれをご覧になって、忘れ形見は見るのも辛いとて、恋の恨みに堪えられず、青鳥を飛ばして(使者を送って)雁札(手紙)を書きそえて、薬を返した。その返歌に言う。

  逢ふことの涙にうかぶわが身には 死なぬ薬もなににかはせむ
  (かぐや姫に逢う事も出来ず、涙の川に浮かぶ我が身にとって、死なない薬など何の価値があるものか。)

 使者は、知恵をめぐらせて、天に近いところはこの山のようだとて、富士の山に登って焚き上げたところ、薬も手紙も、煙に結ばれて空にあがっていった。これより後、この峰に恋の煙を立ち昇らせた。よって、この山を不死の峰と言う。そして郡の名に因んで、富士と書くようになった。



参考文献
いまは昔むかしは今1 瓜と龍蛇』 網野善彦/大西廣/佐竹昭広編 福音館書店 1989.
『語られざるかぐやひめ 昔話と竹取物語』 高橋宣勝著 大修館書店 1996.

※『海道記』は鎌倉時代、1223年の京都から鎌倉への旅を記した紀行文で、作者不明。『竹取物語』とほぼ同じ内容だが、かぐや姫が竹の中からではなく、竹やぶの鶯の卵から生まれる点が特異である。

 同様に、かぐや姫が鶯の卵から生まれたとする類話が、鎌倉〜南北朝時代の中世の書物には幾つも見える。

『古今和歌集序聞書三流抄』

 日本紀にいわく、天武天皇の御代に、駿河の国に竹作りの翁という者がいた。竹を育てて売る人である。

 ある時、竹やぶに行くと鶯の卵が沢山あった。その中に金色に光る卵があり、不思議に思って取って帰って家に置いておいた。竹売りに出かけて七日目に帰ると、家の中が光り輝いている。中に入ると美しい女がいた。その女が光っていたのである。「お前は誰か」と問うと「私は鶯の卵です」と言う。そこで翁は女を養女にし、かぐや姫と名付けた。

 駿河の国の金樹宰相がこのことを帝に知らせたので、帝は女を宮中に召し上げた。非常に美しい顔なのでたちまち夢中になり、妃のようにこの姫を愛した。

 三年が過ぎてから、姫は「私は天女です。殿とは前世の約束があり、こうして下界に参りました。しかし今はその縁も尽きてしまいました」と言って、鏡を形見に残して消えてしまった。

 帝はこの鏡を抱いて眠り、恋焦がれる想いは炎となって鏡から沸き返って立ち昇り、消えることがなかった。公卿たちは詮議して土の箱を作り、その中に鏡を入れ、姫の故郷である駿河の国へ送り返した。しかし鏡はなお燃えやまないので、人々は恐れて富士の頂に置いた。その時から富士の煙は絶えない。富士の煙を恋の歌に詠み込むのは、こうした理由である。

『古今集為家抄』

 欽明天皇の御代に、駿河の国 浅間の郡に竹取の翁という者がいた。竹を育てて商売をしていた。

 ある時、竹の中を見ると、金色に輝く鶯の卵がある。不思議に思って家に置いておいた。七日経つと、その卵は美しい女の子になった。そこでこの子を養って娘とした。その子がいると辺りが輝くので、かぐや姫と名付けた。「どうか嫁に」と心を尽くして言ってくる人がいるけれども、翁は一向に聞き入れなかった。

 時の帝がこの話を耳にして、乙見丸という者を勅旨に立てて姫を招いた。美女であったので、帝はたちまち心を奪われ、この上なく愛した。

 三年が経ったとき、この女は「私は実は天女です。前世で殿と交わした約束のために、今このように殿の妻となっています。しかし、もう縁は尽きました。これ以上下界にいることはできません」と言って、鏡を殿に差し上げて消えてしまった。

 帝はこの鏡を胸に当てて嘆き悲しんだ。その想いが炎となって鏡に移り、燃え上がって全く消えない。それを見て公卿たちが詮議し、元のところ、すなわち駿河の国の富士の峰に送って置いた。この火が富士の煙であるという。

 この他、『和漢朗詠集和談紗』、『聖徳太子平氏伝雑勘文』、『聖徳太子伝正法輪』、謡曲『富士山』等でも、かぐや姫は鶯の卵から生まれるようである。

 

 最後に、参考として《鶯の卵から娘が生まれる》日本の民話を紹介する。

うぐいすの浄土  日本 岩手県遠野

 若いきこりが山奥に行くと、立派な屋敷があった。誰の家だろうかと思って訪ねてみると、女が出てくる。

 女は一人暮らしのようで、きこりの顔を見て、あなたは正直そうなので、と言って留守番を頼んで出かけていく。

「ただし、この奥の座敷は決して開けて見ないで下さい。約束ですよ」

 女が出かけてしまうと、きこりは好奇心を抑えきれなかった。禁を破って襖を開けると、最初の座敷では娘が三人掃除をしていて、きこりを見て驚いて逃げていった。

 二番目の座敷には、黄金の火鉢に湯が沸き、金屏風が立ててあった。
 三番目の座敷には弓矢や具足など、武器防具が。
 四番目の座敷は厩になっていて、立派な青毛の馬がいる。
 五番目の座敷には朱膳朱椀と南京皿といった立派な食器類。
 六番目の座敷には白金の桶に黄金のひしゃくが立ててあって、下の七つの瓶に酒が溢れている。
 七番目の座敷には花が匂い、小鳥の巣に卵が三つ入っていた。

 思わず卵を手に取ると、取り落として割ってしまった。すると、割れた卵の中からうぐいすが揺らめき出て、

 ほほほけちょ

と鳴いて飛んで行った。二つ目の卵も、三つ目の卵も同じように割ってしまい、うぐいすが飛んでいった。

 きこりがぼんやりして立っていると、女が帰ってきてなじった。

「あなたは約束を破ったばかりか、私の三人の娘を殺してしまいました」

 そして、女もまたうぐいすに変わって飛んでいった。

 気がつくと、きこりは野原に立っていた。何もない野原にただ風が渡っていった。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-


参考 --> 「開かずの蔵」「うぐいすの一文銭

 この話では《三つの卵》を男が手に入れるが、中から現れた娘を全員死なせてしまう、物悲しい結末になっている。【瓜子姫】と関連の深い[三つの愛のオレンジ]では、三つの果実または卵を男が手に入れ、二つまでは失敗するが、最後の一つで成功して、中から現れた娘を妻にする。前掲の『古今和歌集序聞書三流抄』の鶯姫では、翁が竹やぶの中で鶯の卵を《沢山》見つけ、しかし中の《一つだけ》から姫を得るが、一脈、通じるものを感じる。

 なお、【桃太郎】の類話である「雉の子太郎」では、子供の無い老人が山で雉の卵を《三つ》拾って持ち帰ると、二つまでは潰れてしまい、《最後の一つ》から男児が誕生する。この子は仲間と共に鬼征伐を成し遂げる。また、東北地方や広島県、島根県に伝わる「雀の仇討ち」では、竹やぶの雀の巣を山姥が襲い、《たった一つだけ》潰れずに残った卵から生まれた雀が、仲間たちと共に山姥退治を成し遂げる。



参考--> 「ブルブル




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