「かぐや姫」は伝承か

 現在、"昔話"を求めて書店へ行けば、子供向けの日本昔話絵本シリーズの中に、必ずと言っていいほど「かぐや姫」は収録されている。つまり、現代日本人にとって「かぐや姫」はポピュラーな"日本昔話"である。国定教科書に取り上げられたことが何よりも大きいのだろうが、今なお人口に膾炙するファンタジーであり、【桃太郎】と同様に、演劇、漫画、小説、ゲーム、アニメ等での進化をも続けている。

 

 このように人気の高い物語だが、実は、民話として伝えられる【かぐや姫】は少ない。静岡県富士市では伝説として根強く語られているようだが、その他の地域へ広がっている様子はない。今となっては誰もが知っている物語ではあるけれど、炉辺ろばたで昔語りとして伝えられることはあまりなかったようなのだ。

「かぐや姫の物語」として最も有名であり、かつ、中心に存在しているだろうものは、平安時代初期に書かれたとされる小説『竹取物語』である。この『竹取物語』のルーツを巡っては、古くから多くの研究者が論を戦わせてきた。

  1. 竹取物語』は、様々な伝承の部分的なエッセンスを少しずつ取り入れながらも、物語としては一から完全に創作されたものである。
  2. 竹取物語』は、伝承されていた「かぐや姫の物語」を再話、または類似の伝承をアレンジして、小説化したものである。

 およそ、この二つの説が挙げられている。

 かつては、Bの説が優勢だった。『竹取物語』には原型ルーツとなる先行の伝承が存在すると考えられ、その原型を探す試みが繰り返されてきた。特に中国の伝承、そしてインドから伝わる仏典が有力視され、様々な物語が候補として挙げられている。

『広大宝楼閣善住秘密陀羅尼経』序品
 江戸時代の国学者、契沖が、随筆『河社』で述べた説。
 
 三人の仙人が捨身(死んで我が身を仏に捧げること)をした。三人の身体は大地に溶け込み、やがて三本の竹が生えた。その竹は芳香を放ち、七宝、黄金、真珠で出来ていた。十ヶ月経つと竹から三人の童子が誕生した。童子たちは竹の下で座禅を組み、七日目に悟りを開いて黄金に輝いた。一方、三本の竹は素晴らしい楼閣に変わった。

『仏説月上女がつじょうにょ経』
 明治〜大正の文学者、幸田露伴が「日本の古い物語の一に就きて」で述べた説。
 
 仏が毘耶離ビヤリ国に滞在していた頃のこと。ある長者が美しい娘を持っていた。彼女が生まれる時、美しい光が差して家中に満ち溢れ、大地は鳴動し、木々からは香油が流れ出し、城中の楽器がひとりでに鳴った。この娘は、生まれて暫くすると、もう八歳くらいの大きさになった。大変光り輝くので月上女と名付けられた。
 成長すると美しい娘になり、王族や大臣、婆羅門の息子が恋焦がれて、あの手この手で父親に迫った。次第に圧力が激しくなって父親は心労し、そのわけを聞いた月上女は、私が処理しましょうと言い、今から七日目に自分で夫を選ぶので、望む人はみんな来て下さい、と父親に伝えさせた。求婚者たちは沐浴して身を清めながら待った。六日目は十五夜で、その夜、月上女の右の掌に蓮の花が生じ、中から如来が出現して月上女と問答をした。
 いよいよ七日目になると求婚者たちが集まり、見物人も押しかけてお祭り騒ぎになった。月上女が所定の位置に現われると、人々は歓声を上げた。すると月上女は空中に舞い上がり、仏の徳を説いて人々を諭した。その時 大地は震え、虚空には多くの天人が現われて叫び舞い、花の雨を降らせて音楽を奏でた。それによって人々はたんしん(貪欲・怒り・愚痴)の三毒気から解放されたと言う。

 特に、この『月上女経』は、娘が竹から生まれてこそいないものの、「異常な誕生と異常成長」、「光り輝いたことが命名の由来」、「権力者たちの強引な求婚」、「それを拒んで大勢の人の見守る中 昇天する結末」など、『竹取物語』と非常に似通っている。娘と「月」が関連させられているのも見逃せない。

 しかし、どういうわけか、研究者たちはこの説に殆ど興味を示さなかったようである。作者も成立年代も不明だからだろうか。一方で絶大な人気を誇ったのが、昭和四十年代に百田弥栄子が大学の卒業論文として発表した、チベットの民話「斑竹姑娘」との関連説であった。

 この話では、「貧しい竹取の竹から娘が生まれて異常成長」し、「権力者たちが強引に求婚する」が、「娘は求婚者に難題を与え、全員が失敗する」。しかも、その難題の内容が、「宝の鉢、玉の樹、火鼠の皮衣、ツバメの産む宝、竜の首の玉」を取ってくることで、その顛末に至るまでが殆ど同じなのである。竹娘の昇天のくだり、竹娘が光り輝く描写、月との関連こそ無いものの、それ以外では『竹取物語』に酷似していると言っていい。

竹取物語』のルーツはチベットにあった。もしくは、『竹取物語』と「斑竹姑娘」の共通の原話が中国にあったのではないか。

 これらの説は一世を風靡したが、しかし、現在では否定される傾向にある。現時点で、「斑竹姑娘」の類話が全く採取されていないからだ。一千年以上も前から存在し、中国から日本に伝わるほど知られていた話であったならば、もっと多くの類話が見つかるべきなのに、二十世紀になって採取された一例しか存在しない。これはおかしいではないか、というのである。よって、「実は、採取者の田海燕が『竹取物語』を参考にして書いた創作民話だった」、「大正時代にチベット近辺に潜入していた日本軍部が『竹取物語』を伝え、それが翻案されて「斑竹姑娘」になった」などという説が唱えられ、後者の説がポピュラーになっている。

 

 それにしても、「斑竹姑娘」ほどに酷似したものは難しいが、「かぐや姫の物語」と部分的な要素が、あるいは物語の大枠が類似した伝承を世界に見出すのは、実はかなり容易なことである。「かぐや姫の物語」は、様々な説話のモチーフによって構成されている。言ってしまえば、いかにも古風な、既視感を誘う物語である。だからこそ、『竹取物語』には原話がある、古くから行われてきた伝承なのだ、という説が廃れることがないのだろう。

登場人物のモデル

 江戸時代の国学者・加納諸平かのうもろひらは、その著書『竹取物語考』にて、『竹取物語』に登場する五人の求婚者のモデルが奈良時代に実在した貴族らであると指摘した。

石作いしつくり皇子みこ
 仏の御石みいしの鉢を要望されて、手間を惜しんで山寺の薄汚れた鉢を持って行き、あっさり看破されて大いに恥をかいた石作の皇子。彼のモデルは壬申の乱頃に活躍した丹比真人島たじひの まひと しまだとされる。
 島は父の代まで皇族で、自分の代から臣籍に降った。また、石作氏とは乳母を通して親類関係にあったとされる。
庫持くらもち皇子みこ
 蓬莱の玉の枝を要望されて、精巧な贋物を作り、言葉巧みに かぐや姫を騙しかけた庫持の皇子。彼のモデルは、かの藤原不比等ふじわらのふひとだとされる。
 不比等の母は庫持氏(車持氏)の出で、彼自身には天智天皇の落胤との噂があった。
阿部御主人あべのみうし
 火鼠の皮衣を要望され、愚かにも金さえ出せば何でも買えると思って詐欺に遭い、大金を失ってしまった阿部の右大臣。彼のモデルは、壬申の乱の頃に活躍した阿倍御主人あべのみうしだとされる。
 栄えて、豊かであったと思われる。
大伴御行おおとものみゆき
 自分の弓の腕を過信し、竜の首の珠を求めて大海に漕ぎ出したものの、みっともなく難破した大納言・大伴御行。彼のモデルは、そのまま大伴御行。壬申の乱で功績を上げた武系の貴族である。
 大伴氏は朝廷を支える最大の軍閥であった。
石上麻呂足いそのかみのまろたり
 つばくらめの子安貝を要望され、他人の言葉を鵜呑みにした挙句に、束柱から転落して命を落とした中納言・石上麻呂足。彼のモデルは、やはり同時代の貴族、石上麻呂いそのかみまろだとされる。
 彼は姓を改める前は物部もののべ氏であり、物部氏は大伴氏と並ぶ武系貴族だった。よって、大伴御行と並んで登場すると考えられる。

 諸平は、この五人が同時に宮廷にいた時代を考証し、『竹取物語』は文武天皇(683〜707)の時代の世相を舞台にした小説との説を立てている。

 とはいえ、実際に書かれ公表されたのはこの時代ではないらしい。モデルが実在する場合、それをあからさまに笑い者にした物語を、本人健在にもかかわらず公表するのは難しい。ましてや、そのモデルが権勢盛んな貴族であるなら尚更だ。また、物語としても、言葉や地名の由来を伝聞調で語るなど、「遠い過去にあった話」というスタンスになっている。

 これらのことや、作中の官職名、他の文学作品での引用状況などからして、舞台となった時代より百数十年後に書かれたものと推定されている。

 物語の中で、五人の求婚者はいずれも滑稽に失敗する。このことから、彼らに対する皮肉、ひいては政治批判が『竹取物語』には込められているとの見方がポピュラーであるが、リアルタイムに書かれたのではなさそうな点を考えると、少しばかり疑問ではある。風刺のニュアンスはあってもそれがメインではなく、物語の時代設定を明確にすることを主眼とした人物設定かもしれない。過去を舞台にした物語を語る際、リアル感を出すために歴史上の人物を登場させるというのは、今でもよく行われる手法だからである。

 

 なお、かぐや姫、竹取の翁といった主役クラスの面々には、更に古代じみたモデルがあると言われる。

 江戸時代の国学者・契沖は、その随筆『河社』において、かぐや姫の名は、『古事記』のみに崇神天皇の妃として記されている「迦具夜比賣かぐやひめ」に関連すると指摘した。

 この説は大きな支持を受け、現代に至っている。なにしろ、単に「かぐや姫」の名が一致するだけではない。迦具夜比賣の父・大筒木垂根王おおつつき たりねのおおきみは「竹の筒」を連想させる名だし、叔父の讃岐垂根王さぬきの たりねのおおきみは、竹取の翁の名が「讃岐の造」である点を髣髴とさせる。また、曾祖母の名は丹波竹野媛たんばの たけののひめなのである。

 とはいえ、よくよく考えてみれば「なんとなく連想させる」だけでしかなく、『竹取物語』と関連するという具体的な根拠は何もない。単なる偶然かもしれない。関連があるとして、『古事記』を読んだ作者が、ここから「竹から生まれて帝に求婚される姫の話」を想像したというだけのことかもしれない。あるいは、物語のキャラクターに何かの文献や伝承から拾った名をつけるのは珍しくないことだから、ただそれだけの意味しかないのかもしれない。

 しかし、このことに大きな意味を見出し、「かぐや姫は実在の人物だ。『竹取物語』は現実の事件や事象を抽象化した、深い意味の隠された物語だ」とする研究者も少なくないようである。

 

 なんにせよ、「かぐや姫」は光を連想させる素敵な名前だ。『今昔物語』にある類話では、竹から生まれて昇天した娘には名前が付いていない。他の類話でも、「お竹」などの違う名がつけられていることがある。しかし、それ以外のほぼ全ての類話では、「かぐや姫」系統の名が付いている。

 ペローが、狼に襲われる女の子に赤い頭巾をかぶせ、舞踏会に出かける女の子にガラスの靴を履かせると、それが後の世を席巻したように、「かぐや姫」は竹姫の名として日本人の心に深く浸透し、分かち難く根付いているのである。

 

 

 ところで、登場人物たちのモデルが実在していたとして、物語の舞台に現実のモデルはあるのだろうか。

 小説『竹取物語』の舞台は、大和国だと考えられる。なにしろ貴公子たちが"毎日"通ってくるし、帝とも頻繁にやり取り・行き来をしているし、読んでいれば、かぐや姫の家は都のごく近辺だと自然に認識される。前述のように五人の求婚者が壬申の乱の功臣をモデルにしたもので、物語は五人が共に宮中に居た時のことだとすると、その都は藤原京ということになろう。

 一方で、竹取の翁の名が「さぬきのみやつこ」または「さかきの造」であるところを手がかりとする試みもある。つまり、竹取の翁は讃岐さぬきという氏族、または讃岐という土地に住む者であると。そこで大和国にこの地名を探すと、讃岐神社のある大和国広瀬郡散吉郷(現在の奈良県北葛城郡広陵町)が見出される。古地名の「散吉」は「讃岐」と音も意味も同じだと見ていいそうだ。この説が現在最も支持され、定説化している。

 しかし、色々と異なる説を挙げる研究者は数多い。例えば、かぐや姫は『古事記』の迦具夜比賣をモデルにしている、と決定してそれを前提とし、よって彼女の家は父の大筒木垂根王の本拠地、「大筒木」であるはずで、そこは大和国ではなく、山城国の綴喜郡である。山城国には月神を祭る神社が三社あり、かぐや姫の生地に相応しい、云々。『竹取物語』の文中から地名と思しきものを抽出しては、これぞと思う地域で似た地名を探す作業も行われている。

 なお、静岡県富士市は『竹取物語』とはやや異なる「かぐや姫の物語」を伝説として保持しており、そこには「竹採屋敷」「赫夜姫」といった地名が今なお存在している。かぐや姫生誕の地に建てたとされる「竹採塚」、翁が籠を作ったという「籠畑」、富士へ去るかぐや姫が進んだ「囲いの道」、かぐや姫が老夫婦との別れを惜しんで何度も振り返った「見返し坂」など、ゆかりの地名や史跡が数多い。これらは少なくとも江戸末期には存在していたことが、『駿河志料』(1861)を見ると分かる。

火の山の女神

竹取物語』では、かぐや姫は夫(帝)に不死の薬を残して月へ飛び去っていくが、中国の伝承には、それとはちょうど反対に、夫の不死の薬を盗んで月へ逃げ去っていった嫦娥(娥)の物語が伝えられている。嫦娥は月のガマガエルになり、月の隈として浮かんだ。つまり、月の女神になったのである。

 月に不死の薬を持つカエルの女神がいるという信仰は日本にも縄文時代からあったらしく、カエルをデザインしたと思しき、そしてそれに似ているが乳房と顔が付けられた酒器(有孔鍔付土器)が東日本で出土している。出土数が少ないことから、日常道具ではなく祭具であったと考えられている。また、酒(酩酊させる飲料)は世界中で不死の薬、命の水と同一視されている。沖縄の多良間島には、大皿に酒を注いで飲み廻しながら「この黄金の皿で酒を飲めば命が治る」という意味の歌を歌うスツウプナカという祭りがあるというが、日本本土で正月にお屠蘇を飲むのも、恐らくは同根の信仰であろう。旧暦の頃は、生命(年齢)は正月に一斉に更新されると考えられていたからである。

 古くより、満ち欠け(生死)を繰り返す月は不老不死の力を持つとされてきた。月へ飛び去り不死の薬を残すかぐや姫を月の女神と見るのは容易い。ギリシア神話の月の女神にして処女神アルテミスと、かぐや姫を関連付けようとする説さえある。

 

 しかし、それとは別に、かぐや姫を「火山の女神」だとする話群があることは、一般にはあまり知られていないかもしれない。鎌倉〜南北朝時代以降の無数の文献に見られ、その舞台とされる静岡県富士市では、今なお伝説としても定着しているようだ。

『神道集』(第四十六、富士浅間大菩薩事)

 雄略天皇の時代、駿河国富士郡に老いた夫婦があり、一人の子もないので、後生の魂を誰が供養してくれるのかと嘆いていた。

 裏の園の、竹が五、六本生えている中に、女児が一人生じ現われて、容貌が端麗であること比類なく、近隣を照らした。翁は嫗のところに管竹を持って行き、嫗は言った。

「この姫君を得られて大変喜ばしいことです。名は赫野姫かくやひめにしましょう」

 成長するにつれ赫野姫の容姿は素晴らしくなり、国司は彼女を寵愛して夫婦の語らいをした。

 年月が過ぎて老夫婦が共に墓に入った後、赫野姫は国司に語った。

「私は富士山の仙女です。この老夫婦に前世で養われた縁があったため、こうして娘となっておりました。しかしその果報も尽き、あなたと私の縁も尽きました今、仙宮に帰る時が参りました」

 国司はこれを聞いて悲しみ慕うこと限りがなかった。その後で女は言った。

「私は富士の山頂にいます。恋しい時には、この蓋を開けて見て下さい」

 反魂香の入った箱を与えて消え去った。

 女を失った男は空床に悲しく留まり、女を恋しく思った時にこの蓋を開けて見ると、その(女の)体が煙の中にぼうっとしていて、男はますます驚き悲しむことが度重なり、思いに堪えかねて富士山の頂へ行き、四方を見渡すと、(噴火口の中の)大池の中島に宮殿楼閣に似た石が多くあり、その池の中に噴煙が立ち昇り、その煙の中に かの女房の体がぼうっと見えた。悲しみのあまり、この箱を懐に抱きしめ、身を投げて死んだ。

 その時の(箱と火口からの)両方の煙が今も絶えずに立ち昇っている。仙宮の煙といい、山郡の名を付けて富士の煙という。

 その後、かの赫野姫と国司は神として顕れ、富士浅間大菩薩と申し、男体・女体があると『日本記』に見える。『日本記』の意をもって富士の縁起を古歌にいう。

  山も富士、煙も富士の煙にて、けむるものとはたれも知らじな

 また、富士の山雪は六月十五日に消えるが、その日の戌の刻(午後8時前後)は必ず雨である。よって歌に言う。

  富士の根に ふりつむ雪は水無月の 十五日もちに消えては其の夜ふるなり

 

※夫婦の別れの際に箱を渡して恋しくなったら開けるように言い、開けると煙が出るくだりは、中国の【浦島太郎】類話「洞庭湖の竜女」を思わせる。

『本朝神社考 富士山』 林羅山

 古老伝えて言う。昔、大綱の里に老人があった。妻と共に暮らしていた。翁は鷹を愛し、妻は犬を飼っていた。後に乗馬の里に住んだ。

 (竹で)箕を作る仕事をしていたため、竹節の中から一人の娘を得た。その身長は不思議なことに一寸(約3cm)あまり。裏綿に包んで養い、十六ヶ月を経て漸く成長し歩けるようになり、容貌は麗しく言葉は雅であった。

 そんな時、天子(帝)が諸国から美女を選んで釆女うねめにするとみことのりし、使者が駿河国富士郡乗馬の里に至って、老人の家に泊まった。一晩中光があるので、使者が怪しんで「どうやって灯火を燃やしているのか」と問うと、「私の娘が光っているのです」と答えた。使者がこの娘を窺い見ると、とてつもなく美しい。これをもって、「あなたは本当に天子が求めている女性です」と言ったが、娘は従わなかった。

 そんな時、娘が父母に語って言うには、「親子の愛、養育の恩は、本当に重く本当に深いものです。けれど、私はずっとここに住むことが出来ません。今、私は山に登って去ります」。母は言う。「恋しくなったらどうすればいいの」。娘は言う。「いつでも、富士山の上に会いに来て下さい」。そして山の岩窟に入った。

 それから、天子が乗馬の里へやって来た。翁の話を聞いて天子は大いに嘆き、ついに翁と山に登り、第五層で休んで宝冠を脱いで置いていき、漸く進んで頂上に至ると、岩窟から娘が出迎え、微笑んで言った。願わくば天子もここに住み、共に岩窟に入ろうと。

 宝冠を置いたところに石を積み、もって陵墓とした。

 延暦二十四年、浅間大神と号し、平城天皇の大銅元年、社を建てて祀った。この際に乗馬の里を一斎京に改めた。

 いわゆる、翁なる者は愛鷹明神である。嫗なる者は犬飼明神である。二柱共に、新山宮に住む。

 

※これより三百年ほど前の南北朝時代に書かれたとされる 釈由阿の『詞林采葉抄』にある富士縁起も、これと全くといっていいほど同じ内容である。ただし、そちらでは時代は延暦の頃、帝は桓武天皇、使者は坂上田村丸(田村麻呂か)であると明記されている。

 羅山は、『神社考詳説』の方では、やはり竹から生まれた賀久夜姫かぐやひめが見出されたのは桓武延暦年中のことで、使者が田村丸であると書いているが、『本朝神社考』では、「竹の中に娘が生まれる話を桓武天皇の時とし、もって使者を坂上田村丸とするのは大誤説である」と述べている。

 しかし、富士の赫夜姫が延暦年中の物語であることは、井原西鶴の『一目玉鉾』にも引かれてあり、後述の明治時代の(口碑によると思われる)『皇国地誌』にもそうあるので、結構知られた設定だったようである。

 しかし、様々な「かぐや姫の物語」を見ていくと、『古今和歌集序聞書三流抄』では天武天皇、『古今集為家抄』『聖徳太子伝正法輪』では欽明天皇の時、『荊叢毒蘂』に至っては景行天皇の時となっており、桓武天皇の時だと必ずしも定まっているわけではない。思うに、この物語に坂上田村麻呂を登場させたいと誰かが思い、必然的に桓武天皇の延暦年中、という時代設定になったのではないだろうか。歴史上の有名人物が登場すると、時代がイメージしやすく覚えやすい。よって、明治に至るまで、この時代設定が人の心に残ったのだろう。


参考 --> 「翼をもらった月」 ブルガリアの民話。月が子のない老夫婦の娘になるために舞い降りるが、禁忌が破られたために洞穴に隠れ、昇天する

『荊叢毒蘂 無量寿禅寺草創記』 白隠禅師

 富士郡比奈村の神興山無量寿禅寺は、雲門と名づける。赫夜姫仙妃かぐやひめせんぴの誕育の聖跡である。竹取の翁が住んでいた所である。山を神輿と号する。浅間大士の本地垂迹の不二である。よってここ無量寺の旧基は、阿弥陀如来の利益がよく衆生に与えられる所であり、人間世界中で最も優れた、海内第一の霊地である。

 近頃、土中から一箇の白石塔を発見した。それはまさに ここに無量寿寺があって、浅間大士の内秘の棲所であることを証明するものである。

 昔、景行帝の時、竹藪の中に夜光り輝くものを見て、竹取の翁これを伐り、小仙女を得た。老夫婦は大いに喜び愛育した。

 天の作る麗質祥光は肌に満ち、成人した。芳香が部屋に満ち、天光が家中を照らした。見る人はこれに酔った。高官人身命を賭して物を差し出した。天子は遥か遠くでこれを聞いて捨て置くに忍びず、海東万里の険しく危険な地を越えてきた。老夫婦は驚き恐れてこれを災いと思い、姫の美しい顔は屋敷の隅の石窟に隠れた。急に綿の実とこのしろを焼いた。(それを焼く匂いは死体を焼く匂いに似ているので、)葬送の煙は近遠に昇り、(赫夜姫が死んだと思った)帝の涙は山にも街にも滴った。

 赫夜姫は、芙蓉の空洞(富士の頂の岩窟)に隠れ去った。郷民はこれを浅間大士と敬った。

 翁は鷹を愛し、嫗は犬を養っていた。今、愛鷹犬飼の二祠があるが、年代も遠く、空しく口碑があるだけである。

 

※白隠の「かぐや姫の物語」には、他の類話には無い要素が幾つか見える。一つは、帝の求婚を両親が「患難」だと感じ、姫も求婚から逃れるために岩窟に入ること。もう一つは、魚のコノシロを焼いて「姫は死んだ」と帝を騙すことである。

 実は、コノシロと富士には関わりがある。

 親がコノシロを焼いて、娘に強いられた意に沿わない結婚をかわすというエピソードは、栃木県国府町の下野国総社大神神社の室の八嶋の伝説として有名である。

 この大神神社は、勿論 三輪神(大物主)を主祭神とするが、その他、富士浅間神社の祭神と同じ、木花咲耶姫命・瓊々杵命・大山祇神らも祀っている。この神社には池があり、八つの中島がある。これを室の八嶋といい、木花咲耶姫命が燃える密室で出産したことに因むという。この池からは煙が立ち昇ると言われる。

 室の八嶋の伝説として語られるのは、以下のようなものだ。

 

 昔、下野国に五万長者なる者がいた。孝徳天皇の皇子・有馬皇子が都から落ち延びてきて、この家に住んだ。長者の美しい娘と恋仲になり、娘は皇子の子を宿した。ところが、娘は常陸国の国司と婚約を交わしていたので、国司は約束を果たせと矢の催促である。そこで長者は一計を案じ、棺に つなし(コノシロ)とニラを詰めて野辺送りを行った。これを焼く匂いは屍体を焼く匂いに似ているため、国司は本当に娘が死んだものと思い、諦めて常陸国に帰ったという。つまり、コノシロとは「子のしろ」である。大神神社で九月九日にコノシロを焼く神事が行われていたのは、これに由来する、と。

 

 ちなみに、万葉集に「東路の宝の八島に起つ煙り 誰がコノシロにつなし焼くらむ」という歌があるので、かなり古くから知られていた伝説のようである。

 煙(霧か?)の立ち昇る八つの島のある池と、コノシロを子の代わりに焼く伝説がどう関わるのか。そもそも室の八嶋と木花咲耶姫命の火中出産がどう関わるのか。説明されているようで全く説明されていないので困惑する。「煙」と「焼かれたと見えて生きていた女」つながりで無理に結び付けているかのようである。

 しかし、富士の噴火口内に水が溜まって大池になり、沸き立って湯気を上げていることは、平安時代初期の都良香みやこのよしかの『富士山記』の時点で記されており、『神道集』などのかぐや姫伝説においても、富士山頂には大池があって煙が昇っていたとされている。また、富士は八嶽から成るとされており、八つの花びらの蓮にもたとえられていた。そう考えると、八つの中島のある煙の昇る池は、すなわち富士山を表しており、よって富士の神とされる木花咲耶姫と関連付けられている、と思われてくる。

 それにしてもコノシロは無関係そうに思えるが、『修訂駿河国新風土記』(巻24)に、「富士山の頂上にコノシロ池ありて、コノシロという魚あり、故に富士浅間の氏子コノシロを食わず」とある。海の魚のコノシロが現実に富士の池にいたとは思われない。どういう理屈かは私にはわからないが、富士とコノシロには深い信仰・観念上の関わりがあったらしい。それを白隠禅師は知っていて、彼が富士の神だと考えていた赫夜姫の伝説に、「子の代」伝説を取り込んだのだろう。

『皇国地誌編輯』 静岡県富士郡役所

 駿河国富士郡比奈村
 古跡

 延暦年中、一組の夫婦が本村内あざ龍畑に住んでいた。その人は籠を作ることを生業とした。土地の人は彼を作竹の翁と呼び、また、寒竹の翁とも言った。いつも、一人も子が無いのを憂いていた。

 ある時、竹の中からー寸ちょっとの大きさの、一人の小さな化女を得た。翁は娘にして愛育した。漸く成長するに従い、容顔美麗・音姿柔和、実に無双の美女になった。赫夜姫かぐやひめと名付けた。

 時の国司がその美しきを聞き、珍しい宝を贈っては招いたけれども、応じない。国司はついに自らの方が姫の家に来て、姫と結婚した。

 数年共に居たが、姫は自ら別れを願い、富士山の仙洞に還ろうとした。国司は聞き入れなかった。

 姫は一つの箱を遺していずこかへ去り、国司の悲しみは限りがなかった。ついにその後を追い、山頂に至ると大池があった。池の中の宮殿はとてつもなく美しい。姫がその中から出現した。これを一目見れば、その姿は人間ではなく、天女のようで、全く以前の容顔とは異なっていた。国司は悲しみに堪えず、箱を脇の下に抱えて、身を池の中に投げたという。

 あるいは言う。姫は数年暮らしていたが、突然天から白雲が降りてきて姫を迎え、駕籠に乗って昇天したと。

 これは古い記録および土地の人の口碑が伝えるもので、元より信じがたい話ではあるけれども、翁の姫が住んでいたという土地は、今なお寂寥たる竹林である。(あざ・籠畑にある。)その中に一つの小さな塚があり、竹取塚と刻んである。苔むしていて、すこぶる古い碑であることが分かる。また、「赫夜姫」および「籠畑」等のあざも、今なお存在している。村名を、古くは「姫名村」と称したと言う。これらによって一考すれば、この口碑旧記は、あるいは架空の話ではないのだろう。

『神道集』は南北朝時代の説話集で、『本朝神社考』は江戸初期の儒学者・林羅山の著書、『荊叢毒蘂』は江戸中期の僧・白隠禅師の著書である。白隠禅師は晩年に無量寿禅寺の再興に努め、その境内にあった(建てた?)竹採塚の縁起を記した。『皇国地誌』は明治17年(1884)に報告されたもので、白隠禅師の語ったのと同じ竹取塚について述べている。今、そこは「竹採公園」となって観光名所になっている。

 この他、室町時代の『富士山縁起』や江戸時代の『駿河記』、御伽草子の『富士山の本地』、など、多数の書籍で類似の縁起が語られているという。

 これらの話群の最大の特徴は、かぐや姫と富士の深い結びつきである。姫は月へは昇らない。富士山に登ったことになっており、それどころか、富士浅間の大神になったと語られる。

竹取物語』は平安初期に書かれたとされるが、その後、鎌倉〜南北朝時代成立とされる『古今和歌集序聞三流抄』や『古今集為家抄』等になると、赫夜姫が残していった鏡を帝が抱きしめていると想いが鏡に移って燃え上がり、それを富士山に納めた、という結末になっている。続いて南北朝時代成立の『神道集』では、竹から生まれた赫野姫は富士の山頂に去り、夫は姫の残した(死者を甦らせる香の入った、煙の出る)箱を抱きしめて火口に身を投げて、姫ともども富士の神となる。同じく南北朝時代成立の『詞林采葉抄』になると、姫は何も残さずに富士の洞穴に隠れ去り、後に帝もそれに従ったとされる。ちなみに、室町時代の謡曲『富士山』では、姫は鏡と不死の薬両方を残していき、帝はその二つを富士の頂で焼かせたことになっている。

 鏡は古くより神霊の宿る依代、ご神体とされてきたのは周知の通りだ。よって、かぐや姫の鏡を富士に納める話は、かぐや姫が富士の神に括られる話と見ていい。同様に、洞穴(冥界に通じる路)に隠れ去るのは「聖人のこの世での死」の比喩であり、死した聖人があの世に転生して神に変じることを表した常套表現であるから、これも姫が神になったことを示している。

 静岡県富士宮市の富士浅間せんげん神社では、その祭神――富士山を司る神を木花開耶姫命このはなさくやひめのみことと その夫の瓊瓊杵尊ににぎのみこと、父の大山祇神おおやまつみのかみとするが、以上のことからかぐや姫と木花開耶姫を同一視する説もある。とはいえ、実は木花開耶姫が富士の神とされたのは江戸以降のことで、赫夜姫を富士の神とみなす考えの方が古いようだ。実際、江戸時代文政の頃に書かれた『駿河記』には、寒竹権現社(現 富士市富士岡地区)の祭神は竹から生まれて富士に去った赫夜姫だと書かれてあるが、現在は木花咲耶姫命になっている。

 かぐや姫の「かぐ」は火の神カグツチと同じ「火の輝きかぐ」であり、かぐや姫とは輝く火の矢かぐや――火山弾を放つ女神を意味している、という説を唱える研究者もいる。だが、本当に かぐや姫が元から火山の女神であったなら、『今昔物語』の類話や、僅かながら伝わる他地域の民話において、姫が火山に微塵も関わらないのは奇妙である。また、『竹取物語』で月に去るのもややこしい。確かに、概念的には山も天も同じではあるが、分かり易く山に去らせればいいではないか。

 高い山は天へ通じる道とされ、すなわち冥界との境と考えられる。冥界は死者が去り生命が現われるところで、永遠の命を象徴する。だから、富士山は「不死の伝説」と結び付けられやすい。木花開耶姫は(姉で分身たるイワナガ姫と共に)不死性を象徴した女神で、酒(不死の薬)を司ってもいる。かぐや姫は、不死の薬を持っていた。これらの連想から、彼女たちは「富士の女神」という雛形に当てはめられ、富士に去るかぐや姫の物語が作られたのではないかと思う。

 けれども、富士かぐや姫話群の隆盛振りを見ていると、(富士かぐや姫が「かぐや姫の物語」全体の原話であるかは別にして)、元々駿河国に「富士山に去るかぐや姫の物語」が存在していて、それを知っていた『竹取物語』の作者が、結末に富士の条を入れたのかもしれない、とも思えてくるから、どうにも惑ってしまう。

 

 それにしても面白いのは、古い時代には昇天するのはかぐや姫だけなのに、後の富士かぐや姫話群になると、彼女の夫さえも後を追って神に変じている点だ。恐らくは、富士の神は男女二柱だと認識されていて、それに合わせるために夫をも神にしたのだろうが。結果として、アーサー王をアヴァロンに誘うモルガン・ラ・フェイのような、英雄と神婚して「この世の死を与え、あの世の神とする」古代の女神と類似したイメージが醸し出されている。

 

 余談だが、今回、web上の富士かぐや姫に関する記述を色々と見ていて、古代と現代の人間の認識の差を感じ、つくづく面白いと思った。研究者ではない一般の人が紹介する富士かぐや姫の物語の多くで、「姫は自殺した」と明記されてあったからである。

 姫が富士山頂や洞穴に去るのは、勿論「死」の比喩ではあるけれども、そこには神への転生、という ほのかな神秘・祝賀感がある。ましてや、彼女は元々(竹から生まれた)神の子で、普通の人間ではない。そう予め語られているから、聞く者は安心して、その「死」を奇跡の「誕生」だとみなすことが出来る。

 しかし、現代人には そういった共通認識――信仰に裏打ちされた感覚は希薄らしい。元の話の段階で、姫に残される両親や夫の嘆きの方に比重が置かれていたくらいだから、無理もないことなのだろうが。私自身も含め、現代人には、竹から誕生したからといって、かぐや姫が神の化身だとは さほど認識されない。だから、彼女の「死」は先のない断絶に過ぎず、完全な悲劇でしかない。

 一般の人が紹介する富士かぐや姫の物語では、姫やその夫が自殺したところで話が終わっているのが殆どである。夫婦が神になったことまで書かれる事は、まず無い。それら神に対する信仰が無く、重要事項だと認識されないためであろう。よって、自分なりの価値観で物語を合理化し、それを書き加えていく。例えば、姫が山頂の池に去ったのは、「意に沿わない結婚を強要されて苦痛でたまらなかったから、身を投げた」といった具合に。かくて、因果と転生の神秘を語っていたのだろう物語は、生臭い人間の情の物語に変わる。このようにして物語は変容していくのか……と、妙に感心してしまった。

竹と蛇

 植物や卵の中、水を流れる泡や滴った血、あるいは親の手足などから生まれてくる不思議な子供の話は、世界中で語り伝えられている。こうした子供を、日本では「小さ子」と呼ぶ。何故なら、生まれた時は小人のように小さかったと語られることが多いからだ。

 竹から生まれ、その時は三寸(9cm強)ほどの大きさだったとされるかぐや姫も、この「小さ子」の一人である。

 

竹から生まれる

「かぐや姫の物語」には様々な要素が含まれているのだが、最も強く印象されているのは「竹から生まれる」という点であるらしい。人が竹から生まれる話は、実は東南アジア近辺ではかなりポピュラーなのだが、こうした話が日本に紹介される場合、必ずといっていいほど「かぐや姫」が引き合いに出されてくるからだ。竹から人が生まれる話は、日本人にとってはよほど特異なもののようである。

●「竹から生まれる話」色々

インドネシア・モルッカ諸島
 ビガラ王がバチャン島の辺りで血を流している竹を発見し、伐ると、四匹の竜蛇が出てきた。「この蛇は王族になる」という声がどこからか聞こえた。四匹の竜蛇は卵を産み、この卵から三人の男児と一人の女児が生まれ、それぞれの島の王族の祖になったという。
この話の類話はこうなる。
 昔、この辺りに王はいなかった。ある時、長老がカヌーで船出したところ、海の岩の近くに綺麗な藤が生えているのを見つけ、部下に命じて伐らせた。ところが切り口から血が噴き出たので仰天した。
 彼らは、近くの岩に竜蛇の卵が四つあるのを見つけた。長老が近づくと、「この卵からは偉大な者が生まれる、持って帰れ」と声がした。彼は感銘を受け、卵を籠に入れて持ち帰った。
 やがて卵からは三人の男児と一人の女児が生まれ、辺りのそれぞれの王国の始祖となったという。
 この類話では竹ではなく藤になっているが、老人が卵を拾うシチュエーションは[うぐいす姫]を、籠に入れて持ち帰るくだりは『竹取物語』でかぐや姫を籠に入れて育てるエピソードを思い起こさせる。
 ちなみに、「藤」はしばしば「竜蛇」にたとえられる植物である。

台湾
 昔、中に水の溜まった一本の竹があった。これを割ると四個の卵が転げ落ち、五、六日後に蛇の形をした男女が生まれた。二人は交合を知らなかったが、男の男根が何となく勃起した時、放尿しようとすると、女がここに出せと言って股間を示した。この行為で二人は快感を覚え、毎日繰り返すうちに子供をなした。それが人間の祖となったという。
フィリピン
 天地の初め、海が大地を覆っていたとき、一羽の鷲鷹が休む地を求めてさまよっていた。しかし陸地が無かったため、鷲鷹は天に「海がお前を沈めようとしている」と言い、海に「天がお前に土石を投げ込むと言っている」と伝えた。怒った海は沸き立って天を沈めようとしたため、天は重石にしようと土石を投げ込んだ。こうして海の水位は戻り、陸地が生じた。
 鷲鷹は島に降り立って休んだ。すると節の二つある竹が流れてきて、鷲鷹の足に二度ぶつかった。鷲鷹が怒ってくちばしで突くと、竹は割れて逞しくて褐色の肌の男児・シララクと柔らかくて髪の長い女児・シカバイが誕生した。
 シララクはシカバイとの結婚を望んだが、シカバイは兄妹であることを理由に拒んだ。しかしシララクが諦めないので、二人で魚、鳥、大地の神リノクに伺いをたてた。その結果、結婚してもよいということになったので、二人は結婚して多くの子供を産んだ。
 しかし、子供たちは怠け者だったので、怒った両親は子どもたちを追い出した。逃げた子供たちは世界中の人間の祖となった。
※この話の類話はこうなる。
 大昔、一面の海の中に一艘の小舟が漂ってきて、これに塵やゴミがくっついてホロ島が出来た。この島には誰も住んでいなかった。ここに一羽の大鳥が飛んできて、島の北端に一個の大きな卵を産んで飛び去った。一方、島の南端に大陸から船で一人の貴人が渡ってきた。彼は娘を一人連れていた。悪魔が現れて、この姫君をさらって竹林の竹の節の中に閉じ込めた。
 島の北端に産み落とされた卵からは、やがて一人の男児が生まれ、独りですくすくと育っていった。ある時、母の大鳥が飛んできたので、少年は一緒に連れて行ってくださいと頼んだが、母は承知しない。しかし少年に一本の腰刀を渡して、彼を島の南へ連れて行った。すると、珍しい大きな竹がある。母はこの竹を腰刀で伐ってごらんと命じた。少年が竹を伐ると、中から美しい姫が現れた。大鳥は飛び去ったが、二人は夫婦になった。そしてスルー王家の祖になったという。
 また別の類話ではこうなる。
 昔、神が世界を創った頃、世界を旅する鳥の王が竹に舞い降りて羽を休めた。すると竹の中からノックが聞こえて「出してください」と訴えている。鳥の王は、竹を登って来たトカゲをついばんだが、その時に竹がつつかれ、中から褐色の肌の若者・マラカスが現われた。マラカスは自分の友達も出してくれと頼み、鳥の王が若者の示した竹をつつくと、美しい娘・マガンダが現れた。
 この世で最初の人間である二人は、(いわば親である)鳥の王と共に暮らすことを望んだが、王は「鳥は空にいるものだ」と言ってそれを拒んだ。代わりに、人間がいつも幸せでいられるように歌を唄おうと約束した。そして二人を背に乗せて飛翔し、彼らの美しい世界、フィリピンを見せてやった。
 この最後の例は もはや民話化しており、変形が激しい。しかし、これら三つの物語が、全て同じことを言おうとしているのは分かるだろう。

 子を内包した竹を発見し、それを割る鳥は、類話を参照するに、卵を産むメス鳥である。この鳥は、原初の水の世界を、卵を産む場所を求めてさまよっている。
 この創世のイメージは東南アジア一帯に限定されてはいない。例えばギリシア神話で、女神レトが出産の場所を求めて世界中をさまよい、うずら島オルテュギアーと呼ばれる浮島で太陽神アポロン月女神アルテミスの双子を産んだのも、同一の物語だと考えられる。うずら島オルテュギアーは、元はアステリアという女神だったが、うずらに変身して海に落ち、島に変わった。アステリアはレトの姉妹だとされるので、分身同士――同一の女神とみなせるだろう。ここでも、鳥の姿をした女神が出産の場を求めてさまよっていたわけだ。
 フィンランドの叙事詩『カレワラ』を参照すると、イメージは更に分かり易くなる。原初、大気の女神イルマタルは海上に降り、そこを漂っていた。潮と風によって孕んだが、子を産む場所がなかったので七百年もの間 漂流しつづけた。苦痛に耐えかねた彼女が天神ウッコに祈ると、一羽の鷲が飛来した。鷲も卵を産む場所を探していた。しかし、陸地はない。哀れに思ったイルマタルは自身の膝を合わせて小山に見せかけ、鷲はそこに巣をかけて卵を温め始めた。ところが、卵は次第に熱くなり、苦痛に耐えきれなくなったイルマタルは膝を曲げて海上に卵を落とした。卵は割れて、そこから天地と日月、星と雲が生まれた。イルマタルは大地を掘って岬や入り江を造った。彼女が産んだのが、英雄ワイナモイネンである。
 つまり、原初の水を漂う浮島と、その上をさまよう鳥は、どちらも「子供(世界)を産もうとしている女神」である。内部に子を宿した竹が水を漂ってくるイメージは、原初の水を漂う女神と一脈繋がっているようにも思える。
インドネシア・モルッカ諸島
 ブムゴンゴン村の村長夫婦には子供が無い。夫婦が川で拾った卵から男児が生まれ、モコドルドゥトと名付けた。
 モコドルドゥトはまもなく病気になったが、ドゥドゥク鳥が飛んできて子供を暖めた。夫婦は夢のお告げに従って七本の竹にサゴ椰子の澱粉を入れて食べさせた。14日目、七本の竹の一本が大きな音をたてて割れ、中から美しい娘が生まれた。夫婦はこの娘をバウニアと名付けて、モコドルドゥトと共に育てた。
 竜の卵から生まれた子は王になるに相応しい。二人の子供は成長すると結婚し、ボラーン王家の祖となった。
インドネシア
 昔、パクリの国に上品な娘がいた。米を炊くために竹を伐ろうと山に入り、太い竹に鎌を当てたところ、中から「伐らないでくれ!」と声がする。
「いいえ、伐るわ。私は土鍋を持っていないんですもの。伐らないと飢え死にするわ」
「じゃあ、下から数えて二節目で伐ってくれ。三節目には僕の脚があり、四節目には僕の頭があるんだから」
 娘が言われたとおりに切り倒すと、今度は「この竹を七番目の節まで切り、縦に割っておくれ」と声は言った。「でも、割る時には決してナイフは使わないでくれ。僕が傷ついてしまうから」。
 娘は八番目の節まで切ってしまった。すると、中から声が言った。
「ああ、僕の髪が」
 娘は竹を割ろうとしたが、手を傷つけた。そして完全に竹を割ると、中から勇者のような若者が飛び出してきた。けれども、その体の大きさは竹の一切れほどしかなかった。
「君は僕を助けてくれたのだから、結婚してくれなきゃならない」
「イヤよ。だってあなたは竹の一切れ分の大きさしかないんだもの」
「それなら、僕の頭に一度でいいから口付けしてくれよ」
「それくらいならいいわ」
 娘は若者に口付けをした。すると、若者は普通の人間の大きさになった。二人は結婚し、村へ帰った。
 村人たちは、竹の王子を見ると怒って捕らえようとした。しかし彼が片手を挙げただけで、みな気を失って倒れた。人々はこの若者の魔力を見て、彼を新たな領主にすることに決めた。前の領主はその横暴さから民衆に憎まれて殺されていたので。妻になっていた村娘は貴族の身分を与えられた。
 竹の王子はパクリの国を正義に基づいて治め、人々から愛されて、国は栄えた。
中国
 中国の遥か西南に、夜郎県という地がある。ある時、一人の女が遯水のほとりで洗い物をしていると、節が三つある大きな竹が流れてきて、その女の両脚の間でうずたかくなり、流れに押しやっても去らず、まつわりついて動かなかった。しばらくすると竹の中から赤ん坊の声が聞こえ始めた。女は不思議に思い、家に持ち帰って割ってみると、中から男児が生まれた。割った竹を野原に捨てると、その辺りは竹林になった。
 この子は成長すると文武に優れ、この地の王になった。彼は自分の出自にちなんで竹姓を名乗った。死後、例の竹林に竹王祠が建てられた。
※この竹王伝説は『後漢書 西南夷伝』や『華陽国志』、『述異記』に見られるが、今でも湘桂貴州のトン族の間では民間に伝承されているそうである。その場合、竹の中から生まれたのはカエルのような男児で、後に皮を脱いだと言う。
 「女の足に、流れてきた竹がまとわりつく」というくだりは、フィリピンの伝承の「鳥の足に、流れてきた竹がぶつかる」のと同一のモチーフであると思われる。
日本
 桶谷の小僧の三吉が、桶のたがにする竹を伐りに裏の竹山に行くと、竹の中から「三ちゃん、三ちゃん、ここから出してくれ」と呼ぶ声がする。竹を切り倒すと、五寸ほどの小さな子供が出てきた。掌に乗せて話を聞くと、自分は天の七夕姫の使いだが、悪い竹の子に捕まえられて竹の中に入ってしまい、出られなくなっていたのだと言う。
「俺の名を何で知ってた」「おいらは天下のことは何でも知っているのさ」「あんたの名はなんていう」「竹の子童子」「あんた、歳はいくつだ」「1234歳」「すぐに天に帰るのか」「すぐに帰りたいけど、恩返ししてから帰らないと姫様に叱られる」「恩返しって、どうするんだ」「おいら、五つだけ三ちゃんの願いをかなえてやるよ」「本当か」「天人、嘘つかない」
 そこで三吉は唱えてみた。「竹の子、竹の子、お菓子を出ぁせ。竹の子、竹の子、お菓子を出ぁせ」。すると本当に欲しいものが出てくる。四度目に、三吉は「お侍に成ぁせ」と唱えて本当の侍に変身して、最後には「大名に成ぁせ」と唱えて大名になった。恩返しを終えると、竹の子童子は天人になって天に帰ったという。
※熊本県や香川県などに僅かに伝えられる民話。桶屋職人によって語り伝えられたものらしい。
 東南アジア近辺の「竹から生まれる話」では、竹から現れた神の子は王になるものだが、この話で出世するのは産婆役の三吉で、竹の子童子自身は、いわば魔女っ子アニメの「魔法の国からやって来た可愛いお助けキャラ」の役回りで終わっている。
 竹に宿る祖霊への信仰が薄れ、「物語」のみが残った結果、このようなアレンジになったのだろう。
マライ マントラ族
 カティヴ・マリム・セルマンという男がいた。美しい姫君を見掛けたので、それを追って山の中へ入ったが、姫君は消えてしまい、自分は山から出られなくなった。
 食べ物を求めてさまよっていると、一尋もあるような巨大な竹を発見した。その傍で眠ると、夜中にあの美しい姫が現われて、彼のために素晴らしいご馳走を作ってくれる。しかし夜が明けるとサッと消えてしまうのだった。
 その姫は「私はその竹の中にいます」と告げていた。カティヴは持っていた鉈など あらゆる刃物を使ったが、大きな竹を割ることはできなかった。しかし、竹の天辺に登り、檳榔樹の実を割るハサミを若芽の小さな割れ目に打ち込んで、叩いてだんだんに割り広げていくと、ついに割くことが出来た。こうして、カティヴは竹の中の姫を見つけ出し、馬に乗せて、自分の里へ連れて行った。
 不思議なことに、里に戻っても彼らの姿は誰にも見えなかった。しかし天気の穏やかな日には、彼らが美しい装いで馬に乗っている姿が見えることがある。竹の姫は美しく、その髪は純白で、長さが七尋もある。彼らに祈るとよく願いが叶うという。

※[りんご娘]の系統の話。

 これら「竹から生まれる話」を並べてみると、何故か「卵から生まれる話」もが同時に語られることが多いと気付く。思えば【かぐや姫】にも、かぐや姫が竹やぶの(竹の中に入っていた)鶯の卵から生まれてくる話群があった。どうやら、「竹」と「卵」はイメージ的に近しい存在であるらしい。「竹から生まれる」話も「卵から生まれる」話も、観念的には さして差がないようである。

 どうして、「竹」と「卵」は近しくイメージされているのだろうか。一つは、竹がその内に空洞うつほを持っているからなのだろう。古くから、空洞の中には霊気的なものが篭り凝って育つという、もはや感覚的な信仰がある。女性の体内の空洞――子宮に、子が宿って育つように。よって、竹の空洞の中に神秘が宿り、生まれる時を待っているとイメージするのは容易いだろう。そして、節の中に子を内包した竹は、殻の中に子を内包した卵とイメージが似通うのである。

 

卵から生まれる

 卵から人が生まれる話は、竹から生まれる話以上に例が多い。竹は自生する地域が限られるが、卵は世界のいたるところに存在するからだろう。

●「卵から生まれる話」色々

ギリシア神話
 トロイア戦争の元凶となった絶世の美女・ヘレネと、その兄で双子の英雄・カストルとポリュデウケスは卵から生まれたとされる。母である王妃レダが白鳥の姿をした大神ゼウスと山頂で交わって卵を産んだとも、水鳥の姿で大神ゼウスと交わった女神ネメシスが産み棄てた卵を羊飼いが森か沼で拾い、王妃レダに渡したともいう。一説によれば、伝令神ヘルメスがこの卵を王妃の膝に投げ込んだので、彼女はそれが孵るまで箱の中に隠しておいた。また、別の説では、卵は祭壇に置かれ、人々の見守る中でヘレネが誕生した。ある説によれば、この卵は青いヒヤシンス色をしていたという。
インドネシア・ボルネオ島
 原初、世界は水に覆われ、ダイヤの冠をかぶった恐ろしい蛇、ナガ・ブッサイが泳いでいた。ハタラ神は、天から蛇の頭に土を落とし、島を作った。ランイング・アタラ神がこの島に降臨して、土で出来た七つの卵を見つけた。このうちの二つをとると、一つには男一人、もう一つには女一人が入っていた。けれども、この人間にはまだ息吹が通っていなかった。ランイング・アタラ神が命を貰いに天に帰った間に、サングサング・アンガイがやってきて、人間に命を吹き込んだ。このために人間は労働、戦争、病気、寿命といった苦しみを持つことになった。
中国の神話伝承
●尭帝の時代、大洪水が起こって天下は混乱していた。鯀は治水に失敗して帝に殺され、その息子の禹が成功して、功績によって夏の王となった。禹は、殺された鯀の死骸から生まれたとされるが、鯀の妻の女嬉が母が年をとってから砥山の果実を食べて妊娠し、体の脇を切り裂いて禹を生んだとも言い、あるいは、鯀の妻の女狄が卵石を呑んで産んだとも言う。
 女狄が石紐山の麓の泉に水を汲みに行くと、珠のような石があった。なんとも愛しく思えて呑み込むと間もなく妊娠し、十四ヵ月後に男児を生んだ。実は、この石は洪水を憂えた飛仙・大禹が姿を変えたものだったのである。(別説によると、この石は月精で、鶏卵に似ていた。)子は成長して、父を継いで治水を行った。尭帝は伝説の大禹にちなんで、彼に禹という名を与えた。
●有ジュウ氏の娘でコク帝の后である簡狄が、仲間と一緒に河で水浴びをしていると、黒い鳥(一般に、ツバメと解釈される)が飛んできて、卵を落とした。簡狄がこれを呑むと妊娠した。こうして生まれた契は、夏の禹王に仕えて治水事業を助け、その功績から商の地に領地を授けられた。これが殷(商)王朝の始まりである。
 あるいは言う。帝の高辛氏の妃の簡狄が、春分の日、妹と一緒に玄丘の川で水浴びをしていると、黒い鳥が飛んできて、五色に輝く卵を落とした。二人の女はこれを取り合い、簡狄は口に含んで、思わず呑み込んでしまった。すると妊娠し、月満ちると胸が割けて一人の男児が生まれた。これが契で、後に尭帝の司徒となった。
 あるいは言う。神女・簡狄が桑原で遊び、黒鳥が卵を地面に落としたのを見た。その卵には鮮やかな文様があり、「八百」と読めた。簡狄はこれを持ち帰り、玉の箱に入れて赤い膝掛けで覆った。すると、夢に神母が現れて、「この卵を抱きなさい。そうすれば神聖な児が生まれ、金徳を継ぐでしょう」と言った。簡狄が卵を抱くと一年後に懐妊し、十四ヵ月後に契を産んだ。契以来、商の王朝は四百年続いた。
●徐国の君主に愛された宮女が一つの大きな卵を産み、驚き恐れて水のほとりに捨てた。水のほとりに子の無い寡婦が住んでいて、鵠蒼という犬を我が子のように可愛がっていた。ある日、その犬は狩りに出て卵を見つけ、くわえて持って帰ってきた。女がそれを包んで暖めると、殻が割れて人間の男児が生まれた。生まれたときに身体をふせていたので、エンと名付けて大事に育てた。この噂を徐君が聞いて引き取り、偃は成長すると国を継ぎ、民衆に慕われた。彼には筋はあったが骨が無かった。
 後に鵠蒼は死んだが、死ぬ直前に角と九本の尾が生じた。この犬の正体は黄龍だったのである。偃王は手厚く葬り、犬塚を建てた。
●昔、端渓に温氏という婆があった。毎日、谷川へ行っては魚を捕らえて暮らしを立てていた。ある日、谷川へ行くと、水の側に大きな卵が転がっていた。持ち帰って器の中に入れておくと、一尺あまりのヤモリのようなものが生まれた。二尺ほどに育つと、毎日 谷川へ行っては十数匹の魚を獲ってくるようになった。五尺に育つと、いつも婆の後ろに付いて一緒に谷川へ漁に行くようになったが、婆が誤ってその尾を断ち切ったので、驚いて逃げ去った。しかし数年後に戻ってきた。その時には全身が眩く光り輝くようになっていた。
 秦の始皇帝がその話を聞いて、「それは龍の子だ。我が治世にそういうものが現われるとは目出度い」と喜び、老婆を館に引き取った。しかし老婆は故郷を懐かしんで悲しんだ。龍の子はこれを悟り、老婆を舟に乗せて故郷に連れ帰った。始皇帝は四度老婆を迎えたが、その度に龍の子が連れ戻すので諦めねばならなかった。
 老婆が死ぬと、龍の子は砂の上を転がって砂を寄せ集め、墳墓を作った。
●晋の懐帝の永嘉年間、平陽府平山の麓に韓という老婆が住んでいた。野原を歩いていると大きな卵を見つけたので、持ち帰ると、中から男児が生まれた。ケツ児と名付けて大切に育てた。
 この子が四歳になったとき、劉淵が築城の技術者を募った。子供は「僕が城を作るよ」と言い、驚き怪しむ母に「僕が蛇になって這い回るから、その跡に灰を撒いてちょうだい。その灰の図面通りに造れば立派な城になる」と指示した。果たしてその通りになり、立派な城が出来た。
 しかし、劉淵が蛇を連れてくるように命じたので、蛇は逃げていった。人々は蛇を平山にある一つの穴に追い込み、穴から出ていた尾を断ち切った。途端に穴から水が噴出し、大きな池になった。人々はあの蛇は龍だったのだと思い、その池を金龍池と呼んだ。
●昔、陳という猟師が珍しい犬を持っていた。九つの耳があり、一つの耳が動けば一匹、二つの耳が動けば二匹といった具合に、その日捕れる獲物の数が分かるのである。ある日、その犬の耳が九つ全部動き、山の中の地面のへこんでいるところで、吠えながら地面を掘り始めた。そこには大きな卵があった。
 陳が卵を持ち帰ると、翌朝から尋常ならざる雷雨となった。陳は畏れて、卵を庭に抱え出した。途端に雷が轟き、卵が二つに割れて、中から美しい男児が生まれた。陳は喜んで我が子として育てた。
 その子は大きくなると進士の試験に及第し、本州の太守になった。才知に優れ、よく民を治めたが、57歳になったとき、俄かに脇の下に翅が生えて、大空高く舞い上がって消えてしまった。人々は、彼を祀って雷祖と呼んだ。
朝鮮半島(韓半島)の神話
●東扶餘の妃・柳花は水神の娘である。彼女は日光に感じて左脇から巨大な卵を産んだ。金蛙王は疎んで卵を棄てさせたが、獣が卵を守り、日が射してこれを温める。王は諦めて卵を柳花に返した。柳花が卵を布で包んで置いておくと、殻を破って男児が生まれた。この子は弓の名手であり、朱蒙チュモンと名付けられた。成長すると迫害され、逃げて高句麗を建国した。
●新羅の朴王家の祖・赫居世ヒョコセは、人々が王を待望していた時、天からヒョウタンのように巨大な卵として降りて来た。一説には、卵は青い色をしていたといい、白馬に運ばれてきたとも、赤い綱の先にぶら下げられていたとも言う。これを人々が割ると、中から男児が現れた。
 新羅の昔王家の祖・脱解タレは、箱に入り、船に乗って現われた。彼の両親は海の彼方の龍城国の王夫婦であったが、長い間子が授からなかった。神に祈ったところ、妃は巨大な卵を産んだ。王はこれを疎んで、箱に入れて船に乗せ、海に流した。船は赤龍に導かれて新羅の海岸に流れ着いた。その辺りに阿珍義先という老婆がいて、王室に届ける魚を獲って暮らしていた。彼女は箱の中の子供を見つけて育てた。
 ちなみに、新羅の金王家の祖・閼智を拾ったのは脱解王だった。王が林へ行くと、金色の光がある。それは木の枝に引っ掛かった金色の箱の放つ輝きで、開けると、中には男児が寝ていた。この木の下には白鶏がいて鳴いていた。
●駕洛の祖・首露スロは、人々が王を待望していた時、天から金色の箱に入った黄金の卵として降りて来た。その出現はどこからともなく聞こえる声によって知らされ、箱は紅い布に包まれて紫の紐の先に括られていたという。人々がこの箱を持ち帰って安置しておくと、中から男児が生まれて十日ほどで成人した。首露と名付けられ、箱に入っていた他の五つの卵から生まれた五人と共に、それぞれの国を治めた。
ペルーの神話
昔、人類は飢饉と洪水によって二度滅亡した。その後で天から三個の卵が降った。一つは金の卵で、これから祭司が生まれた。もう一つは銀の卵で、これから戦士が生まれた。最後は銅の卵で、これからは庶民が生まれた。
日本
●山形県と秋田県の境の鳥海山に伝わる話。
 昔、巨鳥が飛んできて、この山で卵を抱いた。卵が孵って菩薩や親王が生まれ、始祖になった。
●沖縄県 多良間島。
 津波で世界が滅んだ後、天神が飛来して七つの卵を抱いた。しかし、それは孵らずに腐った。再び七個の卵を持ってきて別の場所で抱くと、男女七人が孵化した。そこで、更に七人の人間を天から降ろして七組の夫婦にした。

 卵から生まれる話も、竹から生まれる話と同様に「水」に関わることがままある。卵は川原に転がっているか、蓋付きの箱に入って水を流れてくる。

 このイメージは、日本人には容易に【桃太郎】や【瓜子姫】を想起させるだろう。川を蓋付きの箱に入った果実が流れてきて、それを神棚や仏壇に供えたり、戸棚の中にしまっておくと、中から赤ん坊が生まれるのである。

 卵と果実の同化は容易い。何故なら、果実はいわば植物の卵であり、どちらも球体でイメージされるものだからだ。伝承の中では、これらは自在に交換されて語られる。たとえば前掲の例で、王妃レダの膝に卵が投げ込まれ、王妃・簡狄は黒鳥の落とした卵を拾って呑むが、北欧の「ヴォルスンガ・サガ」では、戦天女がカラスに変じて飛来し、子供の無い王妃の膝の上にリンゴを落とす。夫婦でこれを食べると懐妊する。また、岩手県に伝わる「桃ノ子太郎」では、母の膝元に桃の実が転がってきて、それを持ち帰って綿で包んでおくと中から男児が誕生する。物語上、卵でも果実でも どちらでも大差はない。

 

木から生まれる

瓜子姫】と近しい関係にある話群に、[三つの愛のオレンジ]がある。一例を挙げると、以下のような物語である。

ギリシア「レモン娘」
 王の一人息子が狩りに出て道に迷い、龍の住む城の庭に迷い込んで、レモンを三つ取る。帰り道、喉が渇いたのでレモンを切ると、中から真っ白い衣の美しい娘が出て死にそうな声で
  ああ、二、三滴でいいから水が飲みたいわ!
  急いで水を持ってきて!
と言う。しかし持合せがなく、娘は死ぬ。
 間も無く、二つ目のレモンを切ると同じことが起こる。三個目の時は泉を探し、水を与える。現われたのは前の二人よりなお美しい娘で、水を飲むと生き返った。
 王子は娘を妻にする事にする。娘は自分は木の上に登って待っているから、先に両親に話して戻ってくるよう、ただし母にキッスしては駄目だと言う。しかし王子は母にキッスしてしまい、途端に娘のことを忘れてしまう。
 城にモール人の、黒くて醜い女奴隷がいて、泉に水汲みに来る。水に映ったレモン娘を自分だと思い、こんな美しい私が水汲みなぞしていられない、と水瓶を割って意気揚々と城に帰る。しかし美しさを誉められるどころかひどく叱られ、再び水汲みに来る。今度も勘違いし、水瓶を割る。三度目に水汲みに来たとき、レモン娘が身じろぎしたので真相に気付き、巧みにレモン娘の身の上を聞き出すと、髪を梳かしてやる、と言って膝に頭を乗せさせ、魔法の針を突き刺して泉に突き落とし、すり変わった。
 奴隷女がいなくなったので、王子は捜しに出かけ、泉の側に来た途端、不意にレモン娘のことを思い出す。しかし木の上にいたのはぞっとするような醜い娘。娘は
「あなたが私のことを忘れてしまったからこんな姿に変えられたのよ、じきに元に戻りますわ」
と口説き、王子は黒い娘を妻として連れ帰った。
 やがて、泉に金色の魚がいるという噂が立つ。王子はその魚を御殿の庭の水盤で飼って可愛がる。黒い娘は嫉妬し、またそれが自分の殺した娘の生まれ変わりではないかと疑って、仮病を使い、あの魚を食べないと治らないというお告げがあった、と言う。王子は渋るが、母に説得されて魚を料理させる。
 その魚の骨を捨てたところから金色の木が生え、王子はその木を大事にする。黒い娘はまたも邪推をし、仮病を使って、金色の木を薪にして沸かした風呂に入れば治る、と言う。王子はまたも母に説得され、泣く泣くそうしてやる。
 さて、王子は毎日、ある老婆を夕方に招いて、妃と共に昔話を聞くのを習わしとしていた。黒い娘の仮病が治った日、この老婆が勢い込んでやってきて、不思議な話を話した。
 レモン娘の誕生、壊れた水瓶、娘殺し、モール女の仮病のこと。更に続ける。ある小母さんが切り倒された木で焚き付けにする割り木をこしらえにかかると、一打ちごとに
  ああ、私の腕が
  ああ、私の足が
  ああ、私の頭が!
と声がする。見回しても誰もいないので尚も木を割ると、出し抜けに天から降りてきたような美しい娘が現われたのだ、と。そしてドアを開けると、果たしてそこにはレモン娘が立っていた。
 王子とレモン娘は結婚し、モール娘は四頭の馬にくくり付けられて、八つ裂きにされたのだった。

 果実から美しい娘が生まれる話だ。果実の種類はオレンジ、レモン、リンゴ、ざくろ、胡桃など定まらず、時には木の上の卵から生まれた、とも語られる。ここでも果実と卵は入れ替え可能になっている。

 さておき、果実から生まれた娘は殺害され、やがて一本の木に生まれ変わる。子供の無い老婆がこの木を割ろうとすると、中から声がして、美しい娘が生まれてくる。

 中に人間の入った木を切ると、中から「ああ、私の頭が」などと声がするのは、前掲の、竹の中から若者が出てくるインドネシアの話と同じである。【桃太郎】の場合、桃は勝手に割れるのが基本であるが、中には、刃物で割ろうとすると中から「そっとやれ」などと声がする例もある。

三つの愛のオレンジ]の後半部と同じ展開を持つ中国のシンデレラ譚の中には、殺された娘が竹に生まれ変わる例がいくらもある。竹は切り倒され、子供の無い老婆がその一片を拾って持ち帰ると、留守の間に家事が行われているようになる。出かけたふりをして見張っていると、竹の中から美しい娘が現れて仕事をしていたので、この娘を養女にする。子供の無かった竹取の翁がかぐや姫を得たように、この老婆も竹の中から娘を得て幸福になるのだ。

 しかし、様々な種類の果実から小さ子が生まれてくるように、中に人間の入っている木は、竹でもその他の種類の樹木でも構わない。殺された娘は竹に限らず、柿やレモン、くるみの木にも転生する。竹以外の樹木から人間が生まれる話は数多い。要は、その物語が伝えられる地域で人を生むに相応しいと考えられた聖木が選ばれるのであって、「竹」に必要以上にこだわることはないのである。

世界の「木から生まれる」話

パプアニューギニア、ケラキ族
 創造神ガインジは、一本の椰子の木の中からガヤガヤ声がすることに気がついた。ガインジが同じ言葉を話す者ごとにグループ分けして木から出してやったので、世界に人類が広まり、様々な言語が生じた。
ザイール、ムブティ=ピグミー族
 昔、カメレオンが木の中から微かな音が聞こえることに気付き、斧で割ると、水が噴出して大洪水になった。この水の中からムブティ族のように肌の色の明るい一組の男女が現われ、人類の祖となった。
ボリビア、ユラカレ族
 昔、火によって世界が滅亡した後、ティリ神が一本の木を開いて、その中から様々な部族を出した。
 ティリ神は木を閉じて去ったが、人々は弱く無知だったので、一人の乙女が森で最も美しい木・ウレに祈った。ウレが出てきて彼女を抱き、彼女は一人の男児を生んだ。この男が人々に文明を教えた。
北欧神話
●兄弟である三柱の神(オーディン、ハイニル、ロズル。またはオーディン、ヴィリ、ヴェー)は、流れ寄って来たトネリコの流木の形を整え息吹や知恵や言葉を吹き込んで、最初の人間男性アスクルを、同じように楡または蔓性植物の流木から最初の人間女性エンブラを創造した。
●世界は炎に包まれ、海に沈んで終わる。しかし世界樹ユグドラシルは残り、その中からリーヴとリーヴスラシルという人間の男女が現われ、新たな人間の祖となるだろう。
中国
●昔、伊水のほとりに女が住んでいた。ある時、「臼から水が出たら東へ走れ。ただし、絶対に後ろを見てはならぬ」と神に告げられる夢を見た。その翌日、果たして水が噴き出したので、隣近所に報せてから走ったが、十里ほど行ったところで振り返った。すると村はすっかり水に沈んでおり、彼女は大きな桑の木に変わった。彼女は身重だったので、やがて幹が裂けて空洞となり、そこに男児が現われた。
 この子は桑の葉を摘んでいた有シン王の娘に拾われ、王の料理人に養われた。その男児こそ、後に殷の宰相となった伊尹である。
●隋の時代、黍陽城の東数十里に、王徳祖という者が住んでいた。その家に一本の大きなリンゴの木があったが、ある時、その幹に大きな瘤が出来た。三年経つと朽ち爛れてきたので、徳祖がなんとなく皮を剥ぎ取ると、中から自分の胎盤を抱いた男児が現れたので、大切に育てた。彼を王梵志という。
ソロモン諸島マランタ島
 トフ=ヌヌという種類の一本のサトウキビに二つの節が出来、それぞれの節の下側が割れて、一つからは男、一つからは女が出てきた。この二人が人類の祖となった。
ギリシア神話
 王女ミュラ(スミュルナ)は、神の呪いによって実の父に激しく恋焦がれた。彼女は父を酔わせ、暗闇の中で別人を装って、夜毎に契りを交わした。十二夜目、父王は隠し持った灯りを掲げて自分が抱いた女の正体を知り、激怒して剣を抜いて追いかけた。ミュラは逃げて、(父から殺されそうになった瞬間、もしくは子供を産もうとする時に)生きた人々からも死んだ人々からも隠してくれるように神に祈った。すると彼女は没薬ミルラの木に変わった。彼女は父との不倫の子を宿しており、月満ちると幹が裂けて男児が生まれた。
 この男児・アドニスを木から拾った愛(生命)の女神アプロディテは、彼があまりに美しいのを見ると箱に隠した。そしてそれを冥界(死)の女神ベルセポネに預けたが、ベルセポネは禁を破って箱を開け、アドニスに魅了されて返却を渋った。神々はこの争いを裁き、アドニスは年の三分の一ずつ、アプロディテ、ベルセポネ、独りで過ごすように定めた。
 このため、アドニスは年の三分の一は死ななければならない。彼は猪に裂かれて死ぬ。その側では妻であり養母であるアプロディテが愛と涙を注いでいる。彼の血からは赤いアネモネが咲き出すのだった。 -->詳細
インドネシア
 シアウ島の首長ビキビキは豊かだったが、子供のないことだけが悩みだった。夫婦で祈ると「一人だけ子を授かる」と神々に言われる夢を見た。数年後、実を採りに夫婦でサゴ椰子の林へ行くと、椰子の木から「首長さん、僕を切り倒してください」と囁く声がする。木を切り倒して割ろうとすると、今度は「首長さん、僕の頭に当てないでね。木をそっと二つに割って僕を出してください。僕はあなた方の子供になるために神々から遣わされたのです」と聞こえた。気をつけて割ると、可愛くてちゃんとした身なりの小さな子供が出てきた。夫婦は大喜びして、この子に「センセ・マドゥーネ(サゴ椰子から生まれた)」と名をつけた。
 大事に育てられて、センセ・マドゥーネは弓矢の達人になった。ある時、彼はトゥカデン湖に舞い降りた七羽の白い鳥が、羽と衣を脱いで美しい乙女に変わるのを見た。そのうちの一人の衣を盗んで、細かく引き裂いて沼に沈め、天に帰れなくなった乙女を妻にした。乙女は、私はあなたの忠実な妻でいるけれど、決して鳥の羽の焼ける匂いだけは嗅がせないで、と誓わせた。
 二人は長い間一緒に暮らし、三人の立派な息子も得た。ある日、父と三人の息子はトゥカデン湖に狩りに行き、沢山の水鳥を吹き矢でしとめた。母はその鳥の中にかつての自分の仲間を見つけて悲しくなったが、そのことを口には出さなかった。三人の息子は鳥の羽をむしり、むしりきれなかった分を焚き火の炎で焼いた。すると、家の中から真っ白な美しいペリカンが飛び出していった。
「お前たちのお母さんが飛んでいってしまう。捕まえるんだ!」
 父が叫んだが、ペリカンは天高く飛び去った。三人の息子はアウ山に急いで登った。この頂上には藤の木が生えていて、天まで届いていた。三人の息子はこれに登り始めたが、半分ほど登ると大風が吹いて、バラバラに吹き飛ばされた。三人はそれぞれ別の場所で結婚して首長になった。
 センセ・マドゥーネは独りぼっちになり、妻には永遠に会えなかった。
日本・山梨県上九一色村
 爺が山に行くと、木の中から泣き声が聞こえる。伐ると女の子が生まれた。連れ帰って育てる。
 爺は女の子の着物を買いに街へ行く。その留守に山姥が来て、女の子を家から連れ出す。爺が家に帰って女の子の名を呼ぶと、カラスが「松の木の上に お姫さんが血だらけになって死んでいるわいの」と啼いて飛んでいく。
日本
 柘枝つみのえ伝説。昔、吉野に美稲うましね(または、熊志)という男がおり、吉野川にやなを打って鮎を獲って世を渡っていた。ある日、上流から柘(山桑)の枝が流れてきて簗にかかったので、取って持ち帰って家に置いたところ、美麗な仙女に変わった。ついに夫婦の語らいをし、老いず死なずに共に暮らした。
 その後、女は羽衣を着て仙界に帰り、美稲もまた、共に仙界へ去ったと言う。

※これはとても古い伝説で、『万葉集』にこれを題材にした歌がある。流木の中から女神が現われて(流木が女神に変じて)人と結婚する話で、ベトナムの神話「ム・ジュク」と同系統であるし、ギリシア神話で、箱舟で流されたのを漁師に網で引き上げられた王女ダナエー(英雄ペルセウスの母)の物語とも同根であると思われる。(この漁師は後に王になっている。)

「木から生まれる」話は、洪水型創世神話と結びついていることも多い。木は内部に一組の男女、もしくは一人の女神を内包して、洪水の中を流れていく。または、木から水が噴出して洪水になる。

 

竹の呪力

 木に特別の呪力があるという信仰は世界中にあり、現代の私たちの生活にも、例えばクリスマス・ツリーや七夕の笹竹、お盆の生け花、正月の門松などの形で根付いている。

 特別の呪力を持った木には、美味しい実がなったり、冬でも葉が青々している種類が選ばれやすい。伝承の中のそうした木は、天に届くほど高かったり、誰かの墓の上に伸びていたり、根元や内部に水や洞があるとされることが多い。要は、冥界と繋がっているのだ。

 竹も、そうした「特別の木」の中の一本である。

 竹は枝葉が少なく、短期間でまるで柱のように高く天まで伸びる。(『竹取物語』で姫が三ヶ月で成人するのは、筍が生えて三ヶ月で立派な竹になることに由来している、との説もある。)中が空洞なのは特殊だし、冬でも青々としている。その上、あらゆる道具の材料になるし殺菌効果もあって、人間に親しまれている。だから「特別な木」のうちの一つに選ばれたのだろう。繁殖力の強さは特に注目されていたらしく、竹の一片や竹製の櫛などを投げ捨てると、そこにたちまち筍や竹やぶが出来たと語る伝承も多い。前掲の中国の竹王伝説では、子供が生まれた後の竹殻を投げ捨てると竹林になったと語られるが、『日本書紀』の一書あるふみには、木花開耶姫このはなさくやひめが子供を産んだとき、臍の緒を切った竹の刀(竹箆)を投げ捨てると、それが竹林になり、その地を竹屋と名付けたと記されている。鹿児島では産室を竹屋と呼ぶそうである。

 余談だが、日本にある多くの竹のうち、日本原産と思われるのは真竹くらいで、他は海外から移植されたものらしい。東南アジア近辺に住んでいた人々(隼人族?)が舟で渡って来た際、一緒に運んできたという説もある。恐らくは、竹にまつわる物語も一緒に運んできたことだろう。なお、現代の私たちは竹というと孟宗竹のような、幹の直径が20cmはあるものを思い浮かべるが、これが日本に伝わったのは17〜18世紀頃とされており、つまりかぐや姫の時代に日本に太い竹は存在していなかった。よって、かぐや姫は直径10cmほどの竹の中から現れたということになる。

 九州の【花咲爺】の類話や、中国の【狗耕田】には、殺された犬の墓から竹が生えて天界に達し、揺さぶると黄金が降ってくる、と語るものがある。インドネシアの民話では、純朴な老夫婦が竹を登って天国に行く。また、岡山県の「灰坊太郎」では、夜中にガサガサと笹竹を踏み分けて亡母が現われ、その沖永良部島の類話では、魔法の馬を竹山に放しておく。呼べば、魔法の馬はいつでも現われる。類似の話がロシアにもあるが、そこでは魔法の馬は墓穴から出てくる亡父に与えられるもので、つまり冥界からやってくる。竹は天国と地獄――冥界に繋がっているのである。

 そんな竹が沢山生えている竹山、竹林、竹やぶには、そのまま「冥界」のイメージが持たされる。神道では四隅に立てた竹に注連縄を張って聖域を作るが、これも同根のイメージなのだろう。つまり、伝承の中で竹やぶに行くのは、冥界に行くのと同義である。【舌切り雀】では、爺が我が娘のように可愛がっていた雀、けれど舌を切られて飛び去ってしまった雀を探して世界中をさまよい、雀のお宿で再会するが、そこは竹やぶの中であった。

 薄暗い林や篠竹の藪の中に小鳥が群れ集うのは、現実に普通に見られる光景であるが、そこには冥界に霊魂が群れ飛ぶイメージもが重ねられてもいると私は感じる。[うぐいす姫]では、爺が竹やぶの中で沢山の鶯の卵を見つけ、その中のたった一つを持ち帰ると、かぐや姫が生まれる。インドの「ブルブル」では、果樹園のマンゴーをナイチンゲール(ブルブル)が全部食べて卵を産むが、しかしその卵は鷲に全部食べられてしまう。これが毎日繰り返されていた。果樹園の主である王は、たった一つ残った卵を持ち帰るが、その中から美しい乙女、ブルブルが生まれる。このように小鳥の形をした魂が群れ飛び、卵が金の果実のように枝に置かれている苑は、ギリシア神話の黄昏の園と同じ、聖林であり冥界であろう。

 一本の木に、昼には無数の果実(卵)が宿り、しかし夜になると鳥に全て食べられてしまう。だが、朝になれば再び木には果実が実る。このイメージはとても古いようで、世界中の神話伝承に片鱗を見て取れる。恐らくは冥界の光景であり、「世界のサイクル」そのものを表している。命は生まれ、しかし死んでいく。「死」の黒い手から免れて永遠に輝く魂は稀少たった一つで、故にめでたい存在である。【桃太郎】や【瓜子姫】の中には、果実は二つ流れてきて、婆が呪文を唱えると一つだけが流れ寄り、もう一つは流れ去ってしまったと語るものがある。中国の「金龍の仇討ち」では、川で洗濯していた娘が流れてきた桃を七つ拾い、一つ食べるごとにその場で子を産むが、子は川を流れていってしまい、最後の一人だけが腕の中に残る。母の腕をすり抜けて流れ去った果実は、孵ることなく食われて再び母鳥の腹に還る卵であり、生まれることの出来なかった水子である。

 このように、「特別の木」は生と死の循環の象徴としてイメージされることが多い。キリスト教以前の西欧で木の枝に生贄がぶら下げられていたのも、世界中の伝承の中で剥がされた獣の皮が松や桑の上に引っ掛けられるのも、血まみれの瓜子姫が柿の木の上に縛られるのも、根は命の果実の模倣であろう。それは、果実が食われても再び実る――死からの再生を期待するが故のなぞらえではないだろうか。

 

 余談だが、富士火口の様子を記した最古の文献『富士山記』には、富士の頂の池の周囲には竹が茂っていると書かれてある。これを、江戸後期の地誌『甲斐国志』は、苔の誤りだとしているが、柳田国男は「昔話と文学」で、明らかに竹と書いてあるものを、苔と読もうとするのは無理だ。何かそのような信仰が予めあったために、それが下地となり、高山の火口に竹が生えるなどという非現実的な情景が、事実として容認されていたのだろう、と述べている。

 実は、世界の伝承を見るに、「特別の木」は山頂に生えていたとするものが結構ある。中国の伝承では、蓬莱の東方にある岱輿たいよ山(島)の上、もしくは大荒(地の果て)のゲツキン羝という山の上に扶桑の木があると言う。日の出にはここで天鶏が鳴き、枝には太陽が休み、花を食べれば不死となれる。あるいは言う。桃都山、あるいは度朔山の上に桃の巨木がある。この木に日が差すとき天鶏が鳴き、この実を食べれば不死となる。ペルシアの伝承では、天に達するアルブルズ(ハラー)山の上に黄色いハオマ樹が生えている。ハオマからは不死の飲料が造れる。インドの伝承では、ジャンブー島(インド亜大陸)の中心に山があり、その上にジャンブー(フトモモ)の木が生えている。

 中国の伝承にはまた、建木という天梯樹がある。この木は南方(赤道直下?)の都広山にあるというが、面白いことに枝が無く、葉はススキのようで、中が空洞になっているという。非常に高く、天に達しており、これを伝えば天地を行き来できる。--> 参考「トゥミレン

 富士の頂に生える竹、というイメージは、こうした伝承を引いたものではないかと思える。つまり、富士山や竹が高くそびえて天(冥界)に通じるものだと暗示しているのだろう。

 ところで、「特別の木」の下には水があり、そこに「特別な魚」が泳いでいたと語られることも多い。ペルシアでは、サエーナ鳥(シームルグ)の休む生命樹の下から千の湖水が湧き出しており、そこに十匹のカラ魚が泳いでいるとされる。生命樹は悪神の手先であるトカゲに狙われているのだが、カラ魚のうち一匹が常に木の周りを泳ぎ、目を光らせている。中国の伝承では、扶桑の根元には泉があり、そこで十個の太陽が水浴する。太陽は一つずつ飛び立って世界を照らす。(アフリカの伝承には、太陽の子供たちは水に投げ込まれて魚に変わったとするものがある。)ケルトの伝承では、聖なる九本のハシバミの下にコンラの泉があり、そこを聖なる鮭が泳いでいる。聖なるハシバミの実を食べると知恵(霊感)が身に付くのだが、鮭は泉に落ちるこの実を食べているため、鮭を食べても同じ効果が得られると言う。

 『修訂駿河国新風土記』(巻24)に、「富士山の頂上にコノシロ池ありて、コノシロという魚あり、故に富士浅間の氏子コノシロを食わず」とある。煮え立つ火口の池に海魚のコノシロがいるはずは無いのだが、これもまた、「特別の木」にまつわる伝承を引いたものなのかもしれない。

 

竹取の翁とは何者か

竹取物語』は、古くは「竹取の翁の物語」と称されていたという。つまり主人公は翁で、彼が神の申し子を授かって豊かになることこそが物語のメインテーマであったらしい。

 説話には、男が女神を妻にする、もしくは神の子を授かって幸を得る話は数多い。この幸運な男に関しては、概ね二種の設定がある。一つは、神と縁戚になるに相応しい、豊かで高貴な王の血筋だったとするもの。もう一つは、妻も無く子も無い、貧しく賤しい職業の男だったとするものである。

 この相反する要素を結びつけるために、語り手たちは合理的な説明を行おうとする。例えば、この貧しい男は今は落ちぶれてはいるが、本来は貴い血筋の出なのだ、などと。ギリシア神話で、女神アプロディテに愛されて英雄アイネイアスをもうけたアンキセスは牛飼いの青年だったけれども、実はダルダノス王の孫であり、遡れば大神ゼウスの血を引くと説明された。同様に、『竹取物語』の竹取の翁も、神の子を授かるに相応しい、何か特別な氏族に属していたと解釈されることがある。

竹取物語』には、竹取の翁の名は「サヌキのみやつこ」だと書いてある。実際の写本を見ると、「サヌキ」よりも「サカキ」と書いてあるものの方が多いのだそうだが、「サヌキ」が採られ、「讃岐の造」という漢字を当てられるのが一般的である。というのも、物語の舞台だと推測される大和国には讃岐神社があるし、後醍醐天皇の時代に、讃岐国から竹が1,244本上納されたという記録もある。『古事記』に名前のある迦具夜比賣かぐやひめには讃岐垂根王さぬきの たりねのおおきみなる叔父がいるが、その祖母は丹波竹野媛たんばの たけののひめだ。こういったことから「讃岐」は竹と関わるとイメージされ、讃岐という氏族は実在していたに違いないと論じられたりするのである。

 なお、「みやつこ」……すなわち御奴とは朝廷に仕える下層の人間のことを指す。以上のことを考え合わせると、竹取の翁は、讃岐国に連なる氏族に属した、朝廷に献上する竹や竹製品を作る人間だったのかもしれない。新羅の脱解王は箱に入った卵として海を渡って来たが、それを拾った老婆は、王に献上する魚を捕る漁師の母であったとされる。中国の伝承では、空桑から生まれた伊尹は王の料理人に育てられる。神の申し子が、王に直接育てられるのではなく、王に仕える身分低い者の養子になったと語られることは多い。

 一方で、「みやつこ」を「宮つ子」と解釈し、竹取の翁は神官だったのだとする説もある。

 作中で、姫が成人すると三室戸斎部みむろといんべの秋田なる人物を呼んで名付けをさせるが、この時代、名付け親は一族の長に頼むものだったという。三室戸とは御諸処みもろと――神の依り憑く聖域を意味し、特に三輪山に関連する。斎部氏は実在した氏族で、祭祀やそれに関わる工芸品・技術を管掌していたとされる。なるほど、竹製品を作って暮らしを立て、かぐや姫を授かった竹取の翁に相応しい。昔から、籠や箕などの竹製品には神霊が宿るとされていた。なお、この氏族は讃岐国も領しており、領民もみな斎部を名乗ったと言う。

 ちなみに、斎部氏は台頭した藤原氏に役職を奪われ、衰退した氏族である。『竹取物語』中で、藤原不比等をモデルにしたとされる庫持の皇子がみっともなく求婚に失敗するが、つまりこの物語の作者は藤原氏に恨みを抱く斎部氏系の人間だったとする説もある。

 

 とはいえ、これらの現実から『竹取物語』が創造されたわけではないだろう。それよりも、元からあった「竹取の翁が天女と出会う話」に、讃岐や斎部といった連想できるキーワードを当てはめたと考える方が自然ではないか。

 そもそも、「竹取の翁」というキャラクターは『竹取物語』以前から存在していた。『万葉集』にある。

 昔、老翁おきながあった。竹取たかとりおじと言う。この翁が、三月の頃、丘に登って遠くを眺めようとしていると、スープを煮ている九人の乙女に出会った。ももの媚は類なく、花のすがたは並ぶものがない。
 その時、乙女たちは老翁を呼び、嗤って、「オジさん、来てこの鍋の火を吹いてよ」と言う。そこで翁は「おお」と言って、ゆっくり行って、敷物の上に座った。しばらくして乙女たちが、皆で こそこそ笑いつつ、互いに譲り合って言うことには、「誰がこのオジさんを呼んだの」。
 そこで竹取の翁は言った。「思いがけずに神仙ひじりに出会い、惑う心は耐え難いものです。馴れ馴れしく近寄った罪は、歌をもってあがないましょう」。そして歌を一首詠んだ。

   緑子の 若子わくご髪には たらちし 母にうだかえ
   すきかくる 這ふ子が身には 木綿肩衣 純裏ひつらに縫ひ着
   くびつきの わらはが身には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我を
   に寄る子らが 同輩よちには みなわた か黒し髪を
   真櫛持ち 肩にかき垂れ 取りたがね 上げてもきみ
   解き乱し 童に成しみ 紅の 丹つかふ色に
   馴付なつかしき 紫の 大綾の衣
   住吉すみのえの 遠里をりの小野の 真榛はりもち にほしし衣に
   高麗こま錦 紐に縫ひつけ ささへ重なへ なみ重ね着
   打麻うつそやし 麻続をみの子ら あり衣の 宝の子らが
   打栲うつたへ 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを
   重裳しきもなす しきに取り敷き ほころへる 稲置娘子いなきをとめ
   妻問ふと にそたばりし 彼方うきかたの 二綾下沓ふたやしたくつ
   飛ぶ鳥の 飛鳥壮士をとこが 長雨ながめ忌み 縫ひし黒沓くりくつ
   さし履きて 庭に立ち 往きもとほれば 母刀自おもとじの らす娘子が
   ほの聞きて にそ賜りし 水縹みはなだの 絹の帯を
   引帯ひこびなす 韓帯かろびに取らし わたつみの 殿の甍に
   飛び翔ける すがるの如き 腰細に 取り飾らひ
   真澄鏡 取り並め懸けて おのが顔 還らひ見つつ
   春さりて 野辺をめぐれば 面白み あれを思へか
   さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば
   なつかしと あれを思へか 天雲も い行き棚引き
   還り立ち おほちれば うち日さす 宮女みやをみな
   刺竹さすだけの 舎人壮士も 忍ふらひ 還らひ見つつ
   誰が子そとや 思はれてある かくそしこし
   古の ささきしあれや はしきやし 今日やも子らに
   いさにとや 思はれてある かくそしこし
   古の 賢しき人も 後の世の かがみにせむと
   老人おいひとを 送りし車 持ち帰り来(こ)し

反歌二首。
   死なばこそ 相見ずあらめ生きてあらば 白髪しろかみ子らに生ひざらめやも
   白髪し 子らも生ひなばかくのごと 若けむ子らにらえかねめや

 乙女たちが応えた歌、九首。
   はしきやし 老夫おきなの歌におほほしき ここのの子らやかまけて居らむ
   恥を忍ひ 恥をもだりて事もなく 物言はぬさきにあれは寄りなむ
   いなりのまにまに許すべきかたちは見えやあれも寄りなむ
   死にも生きも 同じ心と結びてし 友やたがはむあれも寄りなむ
   何すとか 違ひは居らむ否も諾も 友の並々あれも寄りなむ
   あにもあらぬ おのが身のから人の子の 言も尽くさじあれも寄りなむ
   旗すすき 穂には出でじとしぬひたる 心は知れつあれも寄りなむ
   住吉の 岸の野榛ぬはりにほへれど にほはぬあれにほひて居らむ
   春の野の 下草靡きあれも寄り にほひ寄りなむ友のまにまに

 この話では、翁が出会った乙女たちが本物の天女なのかは分からない。だが、「竹取の翁が天女に出会う」というシチュエーションになっていることこそが重要である。

竹取物語』では、翁は竹の節の中に宿っていた姫と出会う。よって、竹取という職業だったのは物語上の必然とも言える。しかし、こちらの話では天女は丘におり、翁はそこに物見のために行く。竹があったとは語られていない。

 思うに、「竹伐り」は省略されている。「竹取の翁が天女に出会う」というシチュエーションは、この時代には既にお馴染みのもので、いちいち説明する必要がなかったのだろう。つまり、『竹取物語』以前にその類の物語が存在しており、人々に知られていたのではないかと考えられる。

 しかし、『万葉集』のこの物語は大和国高市郡高取の話だと解釈されるのが一般的だ。「高取」は古くは「鷹取」や「竹取」と書いた。そう考えると、竹取の翁というのは、「竹取という土地に住む爺さん」というほどの意味しかなくなってしまうが……。

 ところで、顕昭の『袖中抄』には、駿河国の有度浜に神女が天下って、翁がそれを見て学び伝えた舞が「駿河舞」である、とある。磯原清輔の『奥義抄』、上覚の『和歌色葉』、狛朝葛の『続教訓抄』等にも同様の記載があるそうである。静岡県清水市の三保の松原の羽衣伝説は有名だが、そこでは老いた漁師・伯良はくりょうが天女の羽衣を奪って我が妻として一子をもうける。後に天女は羽衣を奪い返して昇天するが、一説によれば、伯良も昇天して仙人になり、不老不死を得たという。この伝説を基にしたと思われる謡曲『羽衣』では、漁師・白龍が松の木の枝に掛かっていた羽衣を取って、返してと懇願する天女に天人の舞楽を見せれば返そう、と言う。天女は喜んで月世界の舞いを見せ、それが駿河舞の元となった。翁が天女と出会い、そこで歌や踊りが交わされる。歌舞音曲もまた、交霊祭祀には欠かせないものだ。翁と天女の組み合わせは交神のパターンとしてよく認識されていたようである。

 

 神と交わる翁が竹取なのは、竹が呪力を持った「特別の木」だからである。しかし、重要なのは「特別の木」ということで、必ずしも竹という種類そのものに拘泥しなくてもよい。

竜宮女房」または「竜宮童子」という民話がある。山で柴や花を採って町で売り、細々と暮らしいてる男がいる。年の瀬、売れ残った柴を水に投げ捨てると、竜神が現われて礼を言い、美しい姫または醜い童子を授かる。これを家に連れ帰ると幸福が訪れ……という話だ。

 どうして竜神は、売れ残りの柴などに これほどに喜び、幸を与えたのか? それは、年の瀬に水(聖域)に木を投げ込む、という行為が、定められた時に神に「特別の木」を捧げる、という祭祀と重なっていたからに他ならない。男は、その日の生活にも事欠くような最下層の人間だけれども、物語の概念上は、神と交わる御巫シャーマンでもある。

 思えば、【桃太郎】や【瓜子姫】では、決まり文句のように「お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」と唱えられるものだが、ここにも同様の意味が込められているかもしれない。柴刈りも洗濯も日常の作業であるけれども、爺は山へ行って木に宿る神霊と語らう御巫であり、婆は川に行って寄り来る神霊を掬い上げる巫女だと暗示されているとも言える。

 とはいえ、こうした類話の中で、神の幸を授かる人間の全てが御巫的な存在だと示唆されているわけではない。貧しく侘しい点は共通していても、物売り・農夫・漁師と、職業は様々である。神の幸を授かるには御巫的な人間で「なければならない」というのなら、主人公は はっきりと神職者にしてもよいと思うが、そうはならない。俗世間にまみれた、むしろ人の世の苦しみに浸かった者こそが、幸を得て成り上がるに相応しい、という暗黙の了解があるようである。

 

 竹取の翁は、信仰的には貴い御巫でなければならず、物語的には貧しい巷間の男でなければならない。よって、朝廷に仕え斎部氏に連なる、けれど貧しい竹取、という設定になったのだろう。

 また、彼が老人であるのは、「年経た者ほど知識(霊感)豊富で御巫的である」という思想によるとされ、それは間違いないと思うが、物語上の必然という側面も持っている。『竹取物語』では明言されていないが、彼とその妻は子供が無いことを嘆いていた。だから姫を得たとき大喜びして育てたのである。子供が無いことを嘆くのは、後を継がせる者の無いまま年をとったからであり、つまり、彼は老人ということになる。

 

竹と蛇

 さて、ここまで竹と小さ子にまつわる様々な伝承を見てきたが、不思議なことに、それらの多くに「竜蛇」の影が見え隠れしていることに気付く。

 東南アジアには水辺で拾った卵から優れた子供が生まれる話が数多いが、その卵は竜蛇のそれだと明言され、時に、子供は蛇の姿で生まれてくる。中国の雲南省には、娘が川で拾った桃を食べて子を産む話群があるが、この桃は竜珠であると説明される。これも竜の卵なのだろう。実際、生まれた子は後に竜に変身する。他、中国には子供の無い老婆が卵を拾って、それから子が孵る話群があるが、この子は後に竜に変身したり、最初から竜の姿だったりする。やはり、拾った卵は竜のそれだったのだろう。

 竜は蛇や鰐をモデルとする幻獣だが、モデルの生態の枠だけに留まらない。竜は蛇のように水を泳ぎ岩穴に潜むけれども、天に昇ることも出来る。河を氾濫させ、大雨を起こし、と思えば河をせきとめ、天の水を飲み干して旱魃を起こす。大風を吹かせ、雷を落として火を噴かせる。太陽のように燃え輝いて飛び、しかし太陽を追って暗黒の腹に呑み込む。地中に蔵された財宝を守り、時には、その財宝――不死と霊感を人に与える。竜は、もはや自然のあらゆる力、神秘の象徴である。

 そして、蛇は植物にも擬せられる。枝をうねらせる老松や藤が竜蛇の化身とされるのは知られたことだが、竹もまた、まっすぐに身を伸ばした蛇の化身と考えられることがある。中国の「桃の子太郎と魔法師の娘」では、主人公が裏の竹林の竹を切り倒せと命じられるが、実はこの竹は全て大蛇であった。そう考えると、水を流れてきた竹筒の中から人間が生まれるのは、水を泳いできた蛇の腹から人間が生まれる比喩だと思えてくる。インドネシアの伝承では、水辺に生えていた竹または藤を切ると血が噴出し、その側に竜蛇の卵があったと語られる。これは、蛇の腹を割いて卵を取り出したと解釈できる。竜蛇の死骸を割いて偉大な子を取り出すモチーフは他にも見られ、例えば新羅の朴王家の祖・赫居世ヒョコセの妃は、井戸(泉)から現われた鶏竜の死骸を割くと現われたとされる。中国の禹帝は、一説によれば殺された父の死骸を割くと現れたと言うが、この父は、死ぬことで巨魚や亀になったという説もある。

 このように、水の流れを竹筒や木片が流れてきたとき、それを子を孕んだ女神の子宮だと捉えることが出来るが、一方で、蛇はしばしば男根の象徴ともされるものである。そちらの視点から見れば、水を流れてきた竹は、洗濯や水浴びをしていた女の足を突いて子を孕ませる、神の男根と捉えることも出来る。

 中国の竹王伝説では、洗濯していた女の足の間に流れてきた竹がまとわりついて離れなくなり、やがて竹の節の中から赤ん坊の声が聞こえてきた。似た話は他にもあって、『後漢書』の南蛮西南夷伝によれば、今の雲南省の辺りに沙壹という女がおり、近くの川で魚を獲っていたところ、水中の沈木に触れて感じ、月満ちて十人の男児を生んだ。この子らが少し成長した頃、沈木は竜になって現われ、ただ一人逃げなかった末子を舐めて霊感を与えた。そして自分が子供たちの父であることを告げたという。この子らの子孫が哀牢夷族で、彼らは身体に竜の文様を描き、尾の付いた服を着たという。日本にも似た話はあり、勢夜陀多良比売せやだたらひめという美しい娘が川に渡したトイレで用を足していたところ、川上から丹塗りの矢が流れてきてその陰部を突いた。娘は驚き、その矢を持ち帰って寝室に置いたところ、美しい男に変わった。それで娘は神の子を産み、この子は帝の妃になった、と『古事記』にある。矢の姿で川を流れ下ってきた神は三輪山の大物主の神で、蛇神として有名である。

 

 

 インドの伝承に、白鳥乙女説話系のこんな話がある。

 水の仙女アプラサスのウルヴァシーは、プルーラヴァスという人間の若者を愛して結婚した。その際、彼女は夫に誓わせた。「一日三回、竹の棒で私を突きなさい。ただし私が望まないときは近づいてはなりません。また、あなたの裸身を見せないで下さい」。やがて彼女は妊娠したが、精霊ガンダルヴァたちが嫉妬してウルヴァシーの子羊を奪い、それを取り戻そうとプルーラヴァスが裸のまま飛び出したときに雷を閃かせたので、ウルヴァシーは夫の裸身を見てしまい、そのまま消え去った。
 プルーラヴァスは妻を求めてさまよい、ある蓮池で、仲間たちと共に水鳥の姿になって泳いでいた妻を発見した。仲間の勧めによって、彼女は彼の前に出てきた。最初は「約束を破ったのはあなただから」と冷たかったが、プルーラヴァスが「首を吊って狼にでも食われてしまおう」と言うと、情を動かされて、「一年後にここに来なさい、その頃には あなたとの子も生まれているでしょう」と言った。
 一年後にプルーラヴァスが行くと、そこには黄金の宮殿があった。妻は彼と一夜を過ごし、「明日の朝、ガンダルヴァたちが望みを一つ訊ねますから、あなたたちの仲間になりたい、と言って下さい」と言った。プルーラヴァスがその通りに願うと、ガンダルヴァたちは「この神聖な火で儀式を行いなさい」と、祭盤に入れた祭火を手渡した。彼はそれを置いて息子と共に一度村に帰り、戻ってくると火は消えていて、代わりに聖木アシュヴァッタが生えていた。ガンダルヴァに報告すると、アシュヴァッタ樹を擦り合わせて聖火を起こす方法を教えてくれたので、火を起こし、ついにガンダルヴァの一員となった。

 性交が「竹の棒で突く」ことと表現されてあり、妻は「水」の精霊で、水鳥になって水浴びしている。フィリピンの神話で、原初の水を漂う竹筒がメス鳥の足を突き、竹の中から人間が生まれるエピソードを思い起こさせられる。

 ちなみに、この話は「竜宮女房」の類話でもある。アプラサスを竜女(乙姫)、ガンダルヴァを竜神、黄金の宮殿を竜宮に読み替えると分かり易い。中国や日本の「竜宮女房」は現界での幸せを語るものだが、この話では冥界へ行って不死の神の仲間入りをすることに喜びを見出しており、【浦島太郎】に近い。

 ガンダルヴァの仲間になるために祭火を渡されるのは、火で己が肉体を焼いて神に生まれ変わる暗示だろうか。そう考えると、御伽草子版の浦島太郎が玉手箱を開けて煙を立ち昇らせ、仙界へ飛び去るエピソードにも一脈通じているように思える。


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