現在、"昔話"を求めて書店へ行けば、子供向けの日本昔話絵本シリーズの中に、必ずと言っていいほど「かぐや姫」は収録されている。つまり、現代日本人にとって「かぐや姫」はポピュラーな"日本昔話"である。国定教科書に取り上げられたことが何よりも大きいのだろうが、今なお人口に膾炙するファンタジーであり、【桃太郎】と同様に、演劇、漫画、小説、ゲーム、アニメ等での進化をも続けている。
このように人気の高い物語だが、実は、民話として伝えられる【かぐや姫】は少ない。静岡県富士市では伝説として根強く語られているようだが、その他の地域へ広がっている様子はない。今となっては誰もが知っている物語ではあるけれど、
「かぐや姫の物語」として最も有名であり、かつ、中心に存在しているだろうものは、平安時代初期に書かれたとされる小説『竹取物語』である。この『竹取物語』のルーツを巡っては、古くから多くの研究者が論を戦わせてきた。
およそ、この二つの説が挙げられている。
かつては、Bの説が優勢だった。『竹取物語』には
特に、この『月上女経』は、娘が竹から生まれてこそいないものの、「異常な誕生と異常成長」、「光り輝いたことが命名の由来」、「権力者たちの強引な求婚」、「それを拒んで大勢の人の見守る中 昇天する結末」など、『竹取物語』と非常に似通っている。娘と「月」が関連させられているのも見逃せない。
しかし、どういうわけか、研究者たちはこの説に殆ど興味を示さなかったようである。作者も成立年代も不明だからだろうか。一方で絶大な人気を誇ったのが、昭和四十年代に百田弥栄子が大学の卒業論文として発表した、チベットの民話「斑竹姑娘」との関連説であった。
この話では、「貧しい竹取の竹から娘が生まれて異常成長」し、「権力者たちが強引に求婚する」が、「娘は求婚者に難題を与え、全員が失敗する」。しかも、その難題の内容が、「宝の鉢、玉の樹、火鼠の皮衣、ツバメの産む宝、竜の首の玉」を取ってくることで、その顛末に至るまでが殆ど同じなのである。竹娘の昇天のくだり、竹娘が光り輝く描写、月との関連こそ無いものの、それ以外では『竹取物語』に酷似していると言っていい。
『竹取物語』のルーツはチベットにあった。もしくは、『竹取物語』と「斑竹姑娘」の共通の原話が中国にあったのではないか。
これらの説は一世を風靡したが、しかし、現在では否定される傾向にある。現時点で、「斑竹姑娘」の類話が全く採取されていないからだ。一千年以上も前から存在し、中国から日本に伝わるほど知られていた話であったならば、もっと多くの類話が見つかるべきなのに、二十世紀になって採取された一例しか存在しない。これはおかしいではないか、というのである。よって、「実は、採取者の田海燕が『竹取物語』を参考にして書いた創作民話だった」、「大正時代にチベット近辺に潜入していた日本軍部が『竹取物語』を伝え、それが翻案されて「斑竹姑娘」になった」などという説が唱えられ、後者の説がポピュラーになっている。
それにしても、「斑竹姑娘」ほどに酷似したものは難しいが、「かぐや姫の物語」と部分的な要素が、あるいは物語の大枠が類似した伝承を世界に見出すのは、実はかなり容易なことである。「かぐや姫の物語」は、様々な説話のモチーフによって構成されている。言ってしまえば、いかにも古風な、既視感を誘う物語である。だからこそ、『竹取物語』には原話がある、古くから行われてきた伝承なのだ、という説が廃れることがないのだろう。
江戸時代の国学者・
諸平は、この五人が同時に宮廷にいた時代を考証し、『竹取物語』は文武天皇(683〜707)の時代の世相を舞台にした小説との説を立てている。
とはいえ、実際に書かれ公表されたのはこの時代ではないらしい。モデルが実在する場合、それをあからさまに笑い者にした物語を、本人健在にもかかわらず公表するのは難しい。ましてや、そのモデルが権勢盛んな貴族であるなら尚更だ。また、物語としても、言葉や地名の由来を伝聞調で語るなど、「遠い過去にあった話」というスタンスになっている。
これらのことや、作中の官職名、他の文学作品での引用状況などからして、舞台となった時代より百数十年後に書かれたものと推定されている。
物語の中で、五人の求婚者はいずれも滑稽に失敗する。このことから、彼らに対する皮肉、ひいては政治批判が『竹取物語』には込められているとの見方がポピュラーであるが、リアルタイムに書かれたのではなさそうな点を考えると、少しばかり疑問ではある。風刺のニュアンスはあってもそれがメインではなく、物語の時代設定を明確にすることを主眼とした人物設定かもしれない。過去を舞台にした物語を語る際、リアル感を出すために歴史上の人物を登場させるというのは、今でもよく行われる手法だからである。
なお、かぐや姫、竹取の翁といった主役クラスの面々には、更に古代じみたモデルがあると言われる。
江戸時代の国学者・契沖は、その随筆『河社』において、かぐや姫の名は、『古事記』のみに崇神天皇の妃として記されている「
この説は大きな支持を受け、現代に至っている。なにしろ、単に「かぐや姫」の名が一致するだけではない。迦具夜比賣の父・
とはいえ、よくよく考えてみれば「なんとなく連想させる」だけでしかなく、『竹取物語』と関連するという具体的な根拠は何もない。単なる偶然かもしれない。関連があるとして、『古事記』を読んだ作者が、ここから「竹から生まれて帝に求婚される姫の話」を想像したというだけのことかもしれない。あるいは、物語のキャラクターに何かの文献や伝承から拾った名をつけるのは珍しくないことだから、ただそれだけの意味しかないのかもしれない。
しかし、このことに大きな意味を見出し、「かぐや姫は実在の人物だ。『竹取物語』は現実の事件や事象を抽象化した、深い意味の隠された物語だ」とする研究者も少なくないようである。
なんにせよ、「かぐや姫」は光を連想させる素敵な名前だ。『今昔物語』にある類話では、竹から生まれて昇天した娘には名前が付いていない。他の類話でも、「お竹」などの違う名がつけられていることがある。しかし、それ以外のほぼ全ての類話では、「かぐや姫」系統の名が付いている。
ペローが、狼に襲われる女の子に赤い頭巾をかぶせ、舞踏会に出かける女の子にガラスの靴を履かせると、それが後の世を席巻したように、「かぐや姫」は竹姫の名として日本人の心に深く浸透し、分かち難く根付いているのである。
ところで、登場人物たちのモデルが実在していたとして、物語の舞台に現実のモデルはあるのだろうか。
小説『竹取物語』の舞台は、大和国だと考えられる。なにしろ貴公子たちが"毎日"通ってくるし、帝とも頻繁にやり取り・行き来をしているし、読んでいれば、かぐや姫の家は都のごく近辺だと自然に認識される。前述のように五人の求婚者が壬申の乱の功臣をモデルにしたもので、物語は五人が共に宮中に居た時のことだとすると、その都は藤原京ということになろう。
一方で、竹取の翁の名が「さぬきの
しかし、色々と異なる説を挙げる研究者は数多い。例えば、かぐや姫は『古事記』の迦具夜比賣をモデルにしている、と決定してそれを前提とし、よって彼女の家は父の大筒木垂根王の本拠地、「大筒木」であるはずで、そこは大和国ではなく、山城国の綴喜郡である。山城国には月神を祭る神社が三社あり、かぐや姫の生地に相応しい、云々。『竹取物語』の文中から地名と思しきものを抽出しては、これぞと思う地域で似た地名を探す作業も行われている。
なお、静岡県富士市は『竹取物語』とはやや異なる「かぐや姫の物語」を伝説として保持しており、そこには「竹採屋敷」「赫夜姫」といった地名が今なお存在している。かぐや姫生誕の地に建てたとされる「竹採塚」、翁が籠を作ったという「籠畑」、富士へ去るかぐや姫が進んだ「囲いの道」、かぐや姫が老夫婦との別れを惜しんで何度も振り返った「見返し坂」など、ゆかりの地名や史跡が数多い。これらは少なくとも江戸末期には存在していたことが、『駿河志料』(1861)を見ると分かる。
『竹取物語』では、かぐや姫は夫(帝)に不死の薬を残して月へ飛び去っていくが、中国の伝承には、それとはちょうど反対に、夫の不死の薬を盗んで月へ逃げ去っていった嫦娥(娥)の物語が伝えられている。嫦娥は月のガマガエルになり、月の隈として浮かんだ。つまり、月の女神になったのである。
月に不死の薬を持つカエルの女神がいるという信仰は日本にも縄文時代からあったらしく、カエルをデザインしたと思しき、そしてそれに似ているが乳房と顔が付けられた酒器(有孔鍔付土器)が東日本で出土している。出土数が少ないことから、日常道具ではなく祭具であったと考えられている。また、酒(酩酊させる飲料)は世界中で不死の薬、命の水と同一視されている。沖縄の多良間島には、大皿に酒を注いで飲み廻しながら「この黄金の皿で酒を飲めば命が治る」という意味の歌を歌うスツウプナカという祭りがあるというが、日本本土で正月にお屠蘇を飲むのも、恐らくは同根の信仰であろう。旧暦の頃は、生命(年齢)は正月に一斉に更新されると考えられていたからである。
古くより、満ち欠け(生死)を繰り返す月は不老不死の力を持つとされてきた。月へ飛び去り不死の薬を残すかぐや姫を月の女神と見るのは容易い。ギリシア神話の月の女神にして処女神アルテミスと、かぐや姫を関連付けようとする説さえある。
しかし、それとは別に、かぐや姫を「火山の女神」だとする話群があることは、一般にはあまり知られていないかもしれない。鎌倉〜南北朝時代以降の無数の文献に見られ、その舞台とされる静岡県富士市では、今なお伝説としても定着しているようだ。
雄略天皇の時代、駿河国富士郡に老いた夫婦があり、一人の子もないので、後生の魂を誰が供養してくれるのかと嘆いていた。
裏の園の、竹が五、六本生えている中に、女児が一人生じ現われて、容貌が端麗であること比類なく、近隣を照らした。翁は嫗のところに管竹を持って行き、嫗は言った。
「この姫君を得られて大変喜ばしいことです。名は
成長するにつれ赫野姫の容姿は素晴らしくなり、国司は彼女を寵愛して夫婦の語らいをした。
年月が過ぎて老夫婦が共に墓に入った後、赫野姫は国司に語った。
「私は富士山の仙女です。この老夫婦に前世で養われた縁があったため、こうして娘となっておりました。しかしその果報も尽き、あなたと私の縁も尽きました今、仙宮に帰る時が参りました」
国司はこれを聞いて悲しみ慕うこと限りがなかった。その後で女は言った。
「私は富士の山頂にいます。恋しい時には、この蓋を開けて見て下さい」
反魂香の入った箱を与えて消え去った。
女を失った男は空床に悲しく留まり、女を恋しく思った時にこの蓋を開けて見ると、その(女の)体が煙の中にぼうっとしていて、男はますます驚き悲しむことが度重なり、思いに堪えかねて富士山の頂へ行き、四方を見渡すと、(噴火口の中の)大池の中島に宮殿楼閣に似た石が多くあり、その池の中に噴煙が立ち昇り、その煙の中に かの女房の体がぼうっと見えた。悲しみのあまり、この箱を懐に抱きしめ、身を投げて死んだ。
その時の(箱と火口からの)両方の煙が今も絶えずに立ち昇っている。仙宮の煙といい、山郡の名を付けて富士の煙という。
その後、かの赫野姫と国司は神として顕れ、富士浅間大菩薩と申し、男体・女体があると『日本記』に見える。『日本記』の意をもって富士の縁起を古歌にいう。
山も富士、煙も富士の煙にて、
また、富士の山雪は六月十五日に消えるが、その日の戌の刻(午後8時前後)は必ず雨である。よって歌に言う。
富士の根に ふりつむ雪は水無月の
※夫婦の別れの際に箱を渡して恋しくなったら開けるように言い、開けると煙が出るくだりは、中国の【浦島太郎】類話「洞庭湖の竜女」を思わせる。
『本朝神社考 富士山』 林羅山
古老伝えて言う。昔、大綱の里に老人があった。妻と共に暮らしていた。翁は鷹を愛し、妻は犬を飼っていた。後に乗馬の里に住んだ。
(竹で)箕を作る仕事をしていたため、竹節の中から一人の娘を得た。その身長は不思議なことに一寸(約3cm)あまり。裏綿に包んで養い、十六ヶ月を経て漸く成長し歩けるようになり、容貌は麗しく言葉は雅であった。
そんな時、天子(帝)が諸国から美女を選んで
そんな時、娘が父母に語って言うには、「親子の愛、養育の恩は、本当に重く本当に深いものです。けれど、私はずっとここに住むことが出来ません。今、私は山に登って去ります」。母は言う。「恋しくなったらどうすればいいの」。娘は言う。「いつでも、富士山の上に会いに来て下さい」。そして山の岩窟に入った。
それから、天子が乗馬の里へやって来た。翁の話を聞いて天子は大いに嘆き、ついに翁と山に登り、第五層で休んで宝冠を脱いで置いていき、漸く進んで頂上に至ると、岩窟から娘が出迎え、微笑んで言った。願わくば天子もここに住み、共に岩窟に入ろうと。
宝冠を置いたところに石を積み、もって陵墓とした。
延暦二十四年、浅間大神と号し、平城天皇の大銅元年、社を建てて祀った。この際に乗馬の里を一斎京に改めた。
いわゆる、翁なる者は愛鷹明神である。嫗なる者は犬飼明神である。二柱共に、新山宮に住む。
※これより三百年ほど前の南北朝時代に書かれたとされる 釈由阿の『詞林采葉抄』にある富士縁起も、これと全くといっていいほど同じ内容である。ただし、そちらでは時代は延暦の頃、帝は桓武天皇、使者は坂上田村丸(田村麻呂か)であると明記されている。
羅山は、『神社考詳説』の方では、やはり竹から生まれた
しかし、富士の赫夜姫が延暦年中の物語であることは、井原西鶴の『一目玉鉾』にも引かれてあり、後述の明治時代の(口碑によると思われる)『皇国地誌』にもそうあるので、結構知られた設定だったようである。
しかし、様々な「かぐや姫の物語」を見ていくと、『古今和歌集序聞書三流抄』では天武天皇、『古今集為家抄』『聖徳太子伝正法輪』では欽明天皇の時、『荊叢毒蘂』に至っては景行天皇の時となっており、桓武天皇の時だと必ずしも定まっているわけではない。思うに、この物語に坂上田村麻呂を登場させたいと誰かが思い、必然的に桓武天皇の延暦年中、という時代設定になったのではないだろうか。歴史上の有名人物が登場すると、時代がイメージしやすく覚えやすい。よって、明治に至るまで、この時代設定が人の心に残ったのだろう。
参考 --> 「翼をもらった月」 ブルガリアの民話。月が子のない老夫婦の娘になるために舞い降りるが、禁忌が破られたために洞穴に隠れ、昇天する
富士郡比奈村の神興山無量寿禅寺は、雲門と名づける。
近頃、土中から一箇の白石塔を発見した。それはまさに ここに無量寿寺があって、浅間大士の内秘の棲所であることを証明するものである。
昔、景行帝の時、竹藪の中に夜光り輝くものを見て、竹取の翁これを伐り、小仙女を得た。老夫婦は大いに喜び愛育した。
天の作る麗質祥光は肌に満ち、成人した。芳香が部屋に満ち、天光が家中を照らした。見る人はこれに酔った。高官人身命を賭して物を差し出した。天子は遥か遠くでこれを聞いて捨て置くに忍びず、海東万里の険しく危険な地を越えてきた。老夫婦は驚き恐れてこれを災いと思い、姫の美しい顔は屋敷の隅の石窟に隠れた。急に綿の実とこのしろを焼いた。(それを焼く匂いは死体を焼く匂いに似ているので、)葬送の煙は近遠に昇り、(赫夜姫が死んだと思った)帝の涙は山にも街にも滴った。
赫夜姫は、芙蓉の空洞(富士の頂の岩窟)に隠れ去った。郷民はこれを浅間大士と敬った。
翁は鷹を愛し、嫗は犬を養っていた。今、愛鷹犬飼の二祠があるが、年代も遠く、空しく口碑があるだけである。
※白隠の「かぐや姫の物語」には、他の類話には無い要素が幾つか見える。一つは、帝の求婚を両親が「患難」だと感じ、姫も求婚から逃れるために岩窟に入ること。もう一つは、魚のコノシロを焼いて「姫は死んだ」と帝を騙すことである。
実は、コノシロと富士には関わりがある。
親がコノシロを焼いて、娘に強いられた意に沿わない結婚をかわすというエピソードは、栃木県国府町の下野国総社大神神社の室の八嶋の伝説として有名である。
この大神神社は、勿論 三輪神(大物主)を主祭神とするが、その他、富士浅間神社の祭神と同じ、木花咲耶姫命・瓊々杵命・大山祇神らも祀っている。この神社には池があり、八つの中島がある。これを室の八嶋といい、木花咲耶姫命が燃える密室で出産したことに因むという。この池からは煙が立ち昇ると言われる。
室の八嶋の伝説として語られるのは、以下のようなものだ。
昔、下野国に五万長者なる者がいた。孝徳天皇の皇子・有馬皇子が都から落ち延びてきて、この家に住んだ。長者の美しい娘と恋仲になり、娘は皇子の子を宿した。ところが、娘は常陸国の国司と婚約を交わしていたので、国司は約束を果たせと矢の催促である。そこで長者は一計を案じ、棺に つなし(コノシロ)とニラを詰めて野辺送りを行った。これを焼く匂いは屍体を焼く匂いに似ているため、国司は本当に娘が死んだものと思い、諦めて常陸国に帰ったという。つまり、コノシロとは「子の
ちなみに、万葉集に「東路の宝の八島に起つ煙り 誰がコノシロにつなし焼くらむ」という歌があるので、かなり古くから知られていた伝説のようである。
煙(霧か?)の立ち昇る八つの島のある池と、コノシロを子の代わりに焼く伝説がどう関わるのか。そもそも室の八嶋と木花咲耶姫命の火中出産がどう関わるのか。説明されているようで全く説明されていないので困惑する。「煙」と「焼かれたと見えて生きていた女」つながりで無理に結び付けているかのようである。
しかし、富士の噴火口内に水が溜まって大池になり、沸き立って湯気を上げていることは、平安時代初期の
それにしてもコノシロは無関係そうに思えるが、『修訂駿河国新風土記』(巻24)に、「富士山の頂上にコノシロ池ありて、コノシロという魚あり、故に富士浅間の氏子コノシロを食わず」とある。海の魚のコノシロが現実に富士の池にいたとは思われない。どういう理屈かは私にはわからないが、富士とコノシロには深い信仰・観念上の関わりがあったらしい。それを白隠禅師は知っていて、彼が富士の神だと考えていた赫夜姫の伝説に、「子の代」伝説を取り込んだのだろう。
『皇国地誌編輯』 静岡県富士郡役所
駿河国富士郡比奈村
古跡
延暦年中、一組の夫婦が本村内
ある時、竹の中からー寸ちょっとの大きさの、一人の小さな化女を得た。翁は娘にして愛育した。漸く成長するに従い、容顔美麗・音姿柔和、実に無双の美女になった。
時の国司がその美しきを聞き、珍しい宝を贈っては招いたけれども、応じない。国司はついに自らの方が姫の家に来て、姫と結婚した。
数年共に居たが、姫は自ら別れを願い、富士山の仙洞に還ろうとした。国司は聞き入れなかった。
姫は一つの箱を遺していずこかへ去り、国司の悲しみは限りがなかった。ついにその後を追い、山頂に至ると大池があった。池の中の宮殿はとてつもなく美しい。姫がその中から出現した。これを一目見れば、その姿は人間ではなく、天女のようで、全く以前の容顔とは異なっていた。国司は悲しみに堪えず、箱を脇の下に抱えて、身を池の中に投げたという。
あるいは言う。姫は数年暮らしていたが、突然天から白雲が降りてきて姫を迎え、駕籠に乗って昇天したと。
これは古い記録および土地の人の口碑が伝えるもので、元より信じがたい話ではあるけれども、翁の姫が住んでいたという土地は、今なお寂寥たる竹林である。(
『神道集』は南北朝時代の説話集で、『本朝神社考』は江戸初期の儒学者・林羅山の著書、『荊叢毒蘂』は江戸中期の僧・白隠禅師の著書である。白隠禅師は晩年に無量寿禅寺の再興に努め、その境内にあった(建てた?)竹採塚の縁起を記した。『皇国地誌』は明治17年(1884)に報告されたもので、白隠禅師の語ったのと同じ竹取塚について述べている。今、そこは「竹採公園」となって観光名所になっている。
この他、室町時代の『富士山縁起』や江戸時代の『駿河記』、御伽草子の『富士山の本地』、など、多数の書籍で類似の縁起が語られているという。
これらの話群の最大の特徴は、かぐや姫と富士の深い結びつきである。姫は月へは昇らない。富士山に登ったことになっており、それどころか、富士浅間の大神になったと語られる。
『竹取物語』は平安初期に書かれたとされるが、その後、鎌倉〜南北朝時代成立とされる『古今和歌集序聞三流抄』や『古今集為家抄』等になると、赫夜姫が残していった鏡を帝が抱きしめていると想いが鏡に移って燃え上がり、それを富士山に納めた、という結末になっている。続いて南北朝時代成立の『神道集』では、竹から生まれた赫野姫は富士の山頂に去り、夫は姫の残した(死者を甦らせる香の入った、煙の出る)箱を抱きしめて火口に身を投げて、姫ともども富士の神となる。同じく南北朝時代成立の『詞林采葉抄』になると、姫は何も残さずに富士の洞穴に隠れ去り、後に帝もそれに従ったとされる。ちなみに、室町時代の謡曲『富士山』では、姫は鏡と不死の薬両方を残していき、帝はその二つを富士の頂で焼かせたことになっている。
鏡は古くより神霊の宿る依代、ご神体とされてきたのは周知の通りだ。よって、かぐや姫の鏡を富士に納める話は、かぐや姫が富士の神に括られる話と見ていい。同様に、洞穴(冥界に通じる路)に隠れ去るのは「聖人のこの世での死」の比喩であり、死した聖人があの世に転生して神に変じることを表した常套表現であるから、これも姫が神になったことを示している。
静岡県富士宮市の富士
かぐや姫の「かぐ」は火の神カグツチと同じ「
高い山は天へ通じる道とされ、すなわち冥界との境と考えられる。冥界は死者が去り生命が現われるところで、永遠の命を象徴する。だから、富士山は「不死の伝説」と結び付けられやすい。木花開耶姫は(姉で分身たるイワナガ姫と共に)不死性を象徴した女神で、酒(不死の薬)を司ってもいる。かぐや姫は、不死の薬を持っていた。これらの連想から、彼女たちは「富士の女神」という雛形に当てはめられ、富士に去るかぐや姫の物語が作られたのではないかと思う。
けれども、富士かぐや姫話群の隆盛振りを見ていると、(富士かぐや姫が「かぐや姫の物語」全体の原話であるかは別にして)、元々駿河国に「富士山に去るかぐや姫の物語」が存在していて、それを知っていた『竹取物語』の作者が、結末に富士の条を入れたのかもしれない、とも思えてくるから、どうにも惑ってしまう。
それにしても面白いのは、古い時代には昇天するのはかぐや姫だけなのに、後の富士かぐや姫話群になると、彼女の夫さえも後を追って神に変じている点だ。恐らくは、富士の神は男女二柱だと認識されていて、それに合わせるために夫をも神にしたのだろうが。結果として、アーサー王をアヴァロンに誘うモルガン・ラ・フェイのような、英雄と神婚して「この世の死を与え、あの世の神とする」古代の女神と類似したイメージが醸し出されている。
余談だが、今回、web上の富士かぐや姫に関する記述を色々と見ていて、古代と現代の人間の認識の差を感じ、つくづく面白いと思った。研究者ではない一般の人が紹介する富士かぐや姫の物語の多くで、「姫は自殺した」と明記されてあったからである。
姫が富士山頂や洞穴に去るのは、勿論「死」の比喩ではあるけれども、そこには神への転生、という ほのかな神秘・祝賀感がある。ましてや、彼女は元々(竹から生まれた)神の子で、普通の人間ではない。そう予め語られているから、聞く者は安心して、その「死」を奇跡の「誕生」だとみなすことが出来る。
しかし、現代人には そういった共通認識――信仰に裏打ちされた感覚は希薄らしい。元の話の段階で、姫に残される両親や夫の嘆きの方に比重が置かれていたくらいだから、無理もないことなのだろうが。私自身も含め、現代人には、竹から誕生したからといって、かぐや姫が神の化身だとは さほど認識されない。だから、彼女の「死」は先のない断絶に過ぎず、完全な悲劇でしかない。
一般の人が紹介する富士かぐや姫の物語では、姫やその夫が自殺したところで話が終わっているのが殆どである。夫婦が神になったことまで書かれる事は、まず無い。それら神に対する信仰が無く、重要事項だと認識されないためであろう。よって、自分なりの価値観で物語を合理化し、それを書き加えていく。例えば、姫が山頂の池に去ったのは、「意に沿わない結婚を強要されて苦痛でたまらなかったから、身を投げた」といった具合に。かくて、因果と転生の神秘を語っていたのだろう物語は、生臭い人間の情の物語に変わる。このようにして物語は変容していくのか……と、妙に感心してしまった。
植物や卵の中、水を流れる泡や滴った血、あるいは親の手足などから生まれてくる不思議な子供の話は、世界中で語り伝えられている。こうした子供を、日本では「小さ子」と呼ぶ。何故なら、生まれた時は小人のように小さかったと語られることが多いからだ。
竹から生まれ、その時は三寸(9cm強)ほどの大きさだったとされるかぐや姫も、この「小さ子」の一人である。
「かぐや姫の物語」には様々な要素が含まれているのだが、最も強く印象されているのは「竹から生まれる」という点であるらしい。人が竹から生まれる話は、実は東南アジア近辺ではかなりポピュラーなのだが、こうした話が日本に紹介される場合、必ずといっていいほど「かぐや姫」が引き合いに出されてくるからだ。竹から人が生まれる話は、日本人にとってはよほど特異なもののようである。
※[りんご娘]の系統の話。
これら「竹から生まれる話」を並べてみると、何故か「卵から生まれる話」もが同時に語られることが多いと気付く。思えば【かぐや姫】にも、かぐや姫が竹やぶの(竹の中に入っていた)鶯の卵から生まれてくる話群があった。どうやら、「竹」と「卵」はイメージ的に近しい存在であるらしい。「竹から生まれる」話も「卵から生まれる」話も、観念的には さして差がないようである。
どうして、「竹」と「卵」は近しくイメージされているのだろうか。一つは、竹がその内に
卵から人が生まれる話は、竹から生まれる話以上に例が多い。竹は自生する地域が限られるが、卵は世界のいたるところに存在するからだろう。
卵から生まれる話も、竹から生まれる話と同様に「水」に関わることがままある。卵は川原に転がっているか、蓋付きの箱に入って水を流れてくる。
このイメージは、日本人には容易に【桃太郎】や【瓜子姫】を想起させるだろう。川を蓋付きの箱に入った果実が流れてきて、それを神棚や仏壇に供えたり、戸棚の中にしまっておくと、中から赤ん坊が生まれるのである。
卵と果実の同化は容易い。何故なら、果実はいわば植物の卵であり、どちらも球体でイメージされるものだからだ。伝承の中では、これらは自在に交換されて語られる。たとえば前掲の例で、王妃レダの膝に卵が投げ込まれ、王妃・簡狄は黒鳥の落とした卵を拾って呑むが、北欧の「ヴォルスンガ・サガ」では、戦天女がカラスに変じて飛来し、子供の無い王妃の膝の上にリンゴを落とす。夫婦でこれを食べると懐妊する。また、岩手県に伝わる「桃ノ子太郎」では、母の膝元に桃の実が転がってきて、それを持ち帰って綿で包んでおくと中から男児が誕生する。物語上、卵でも果実でも どちらでも大差はない。
【瓜子姫】と近しい関係にある話群に、[三つの愛のオレンジ]がある。一例を挙げると、以下のような物語である。
ギリシア「レモン娘」
王の一人息子が狩りに出て道に迷い、龍の住む城の庭に迷い込んで、レモンを三つ取る。帰り道、喉が渇いたのでレモンを切ると、中から真っ白い衣の美しい娘が出て死にそうな声で
ああ、二、三滴でいいから水が飲みたいわ!
急いで水を持ってきて!
と言う。しかし持合せがなく、娘は死ぬ。
間も無く、二つ目のレモンを切ると同じことが起こる。三個目の時は泉を探し、水を与える。現われたのは前の二人よりなお美しい娘で、水を飲むと生き返った。
王子は娘を妻にする事にする。娘は自分は木の上に登って待っているから、先に両親に話して戻ってくるよう、ただし母にキッスしては駄目だと言う。しかし王子は母にキッスしてしまい、途端に娘のことを忘れてしまう。
城にモール人の、黒くて醜い女奴隷がいて、泉に水汲みに来る。水に映ったレモン娘を自分だと思い、こんな美しい私が水汲みなぞしていられない、と水瓶を割って意気揚々と城に帰る。しかし美しさを誉められるどころかひどく叱られ、再び水汲みに来る。今度も勘違いし、水瓶を割る。三度目に水汲みに来たとき、レモン娘が身じろぎしたので真相に気付き、巧みにレモン娘の身の上を聞き出すと、髪を梳かしてやる、と言って膝に頭を乗せさせ、魔法の針を突き刺して泉に突き落とし、すり変わった。
奴隷女がいなくなったので、王子は捜しに出かけ、泉の側に来た途端、不意にレモン娘のことを思い出す。しかし木の上にいたのはぞっとするような醜い娘。娘は
「あなたが私のことを忘れてしまったからこんな姿に変えられたのよ、じきに元に戻りますわ」
と口説き、王子は黒い娘を妻として連れ帰った。
やがて、泉に金色の魚がいるという噂が立つ。王子はその魚を御殿の庭の水盤で飼って可愛がる。黒い娘は嫉妬し、またそれが自分の殺した娘の生まれ変わりではないかと疑って、仮病を使い、あの魚を食べないと治らないというお告げがあった、と言う。王子は渋るが、母に説得されて魚を料理させる。
その魚の骨を捨てたところから金色の木が生え、王子はその木を大事にする。黒い娘はまたも邪推をし、仮病を使って、金色の木を薪にして沸かした風呂に入れば治る、と言う。王子はまたも母に説得され、泣く泣くそうしてやる。
さて、王子は毎日、ある老婆を夕方に招いて、妃と共に昔話を聞くのを習わしとしていた。黒い娘の仮病が治った日、この老婆が勢い込んでやってきて、不思議な話を話した。
レモン娘の誕生、壊れた水瓶、娘殺し、モール女の仮病のこと。更に続ける。ある小母さんが切り倒された木で焚き付けにする割り木をこしらえにかかると、一打ちごとに
ああ、私の腕が
ああ、私の足が
ああ、私の頭が!
と声がする。見回しても誰もいないので尚も木を割ると、出し抜けに天から降りてきたような美しい娘が現われたのだ、と。そしてドアを開けると、果たしてそこにはレモン娘が立っていた。
王子とレモン娘は結婚し、モール娘は四頭の馬にくくり付けられて、八つ裂きにされたのだった。
果実から美しい娘が生まれる話だ。果実の種類はオレンジ、レモン、リンゴ、ざくろ、胡桃など定まらず、時には木の上の卵から生まれた、とも語られる。ここでも果実と卵は入れ替え可能になっている。
さておき、果実から生まれた娘は殺害され、やがて一本の木に生まれ変わる。子供の無い老婆がこの木を割ろうとすると、中から声がして、美しい娘が生まれてくる。
中に人間の入った木を切ると、中から「ああ、私の頭が」などと声がするのは、前掲の、竹の中から若者が出てくるインドネシアの話と同じである。【桃太郎】の場合、桃は勝手に割れるのが基本であるが、中には、刃物で割ろうとすると中から「そっとやれ」などと声がする例もある。
[三つの愛のオレンジ]の後半部と同じ展開を持つ中国のシンデレラ譚の中には、殺された娘が竹に生まれ変わる例がいくらもある。竹は切り倒され、子供の無い老婆がその一片を拾って持ち帰ると、留守の間に家事が行われているようになる。出かけたふりをして見張っていると、竹の中から美しい娘が現れて仕事をしていたので、この娘を養女にする。子供の無かった竹取の翁がかぐや姫を得たように、この老婆も竹の中から娘を得て幸福になるのだ。
しかし、様々な種類の果実から小さ子が生まれてくるように、中に人間の入っている木は、竹でもその他の種類の樹木でも構わない。殺された娘は竹に限らず、柿やレモン、くるみの木にも転生する。竹以外の樹木から人間が生まれる話は数多い。要は、その物語が伝えられる地域で人を生むに相応しいと考えられた聖木が選ばれるのであって、「竹」に必要以上にこだわることはないのである。
※これはとても古い伝説で、『万葉集』にこれを題材にした歌がある。流木の中から女神が現われて(流木が女神に変じて)人と結婚する話で、ベトナムの神話「ム・ジュク」と同系統であるし、ギリシア神話で、箱舟で流されたのを漁師に網で引き上げられた王女ダナエー(英雄ペルセウスの母)の物語とも同根であると思われる。(この漁師は後に王になっている。)
「木から生まれる」話は、洪水型創世神話と結びついていることも多い。木は内部に一組の男女、もしくは一人の女神を内包して、洪水の中を流れていく。または、木から水が噴出して洪水になる。
木に特別の呪力があるという信仰は世界中にあり、現代の私たちの生活にも、例えばクリスマス・ツリーや七夕の笹竹、お盆の生け花、正月の門松などの形で根付いている。
特別の呪力を持った木には、美味しい実がなったり、冬でも葉が青々している種類が選ばれやすい。伝承の中のそうした木は、天に届くほど高かったり、誰かの墓の上に伸びていたり、根元や内部に水や洞があるとされることが多い。要は、冥界と繋がっているのだ。
竹も、そうした「特別の木」の中の一本である。
竹は枝葉が少なく、短期間でまるで柱のように高く天まで伸びる。(『竹取物語』で姫が三ヶ月で成人するのは、筍が生えて三ヶ月で立派な竹になることに由来している、との説もある。)中が空洞なのは特殊だし、冬でも青々としている。その上、あらゆる道具の材料になるし殺菌効果もあって、人間に親しまれている。だから「特別な木」のうちの一つに選ばれたのだろう。繁殖力の強さは特に注目されていたらしく、竹の一片や竹製の櫛などを投げ捨てると、そこにたちまち筍や竹やぶが出来たと語る伝承も多い。前掲の中国の竹王伝説では、子供が生まれた後の竹殻を投げ捨てると竹林になったと語られるが、『日本書紀』の
余談だが、日本にある多くの竹のうち、日本原産と思われるのは真竹くらいで、他は海外から移植されたものらしい。東南アジア近辺に住んでいた人々(隼人族?)が舟で渡って来た際、一緒に運んできたという説もある。恐らくは、竹にまつわる物語も一緒に運んできたことだろう。なお、現代の私たちは竹というと孟宗竹のような、幹の直径が20cmはあるものを思い浮かべるが、これが日本に伝わったのは17〜18世紀頃とされており、つまりかぐや姫の時代に日本に太い竹は存在していなかった。よって、かぐや姫は直径10cmほどの竹の中から現れたということになる。
九州の【花咲爺】の類話や、中国の【狗耕田】には、殺された犬の墓から竹が生えて天界に達し、揺さぶると黄金が降ってくる、と語るものがある。インドネシアの民話では、純朴な老夫婦が竹を登って天国に行く。また、岡山県の「灰坊太郎」では、夜中にガサガサと笹竹を踏み分けて亡母が現われ、その沖永良部島の類話では、魔法の馬を竹山に放しておく。呼べば、魔法の馬はいつでも現われる。類似の話がロシアにもあるが、そこでは魔法の馬は墓穴から出てくる亡父に与えられるもので、つまり冥界からやってくる。竹は天国と地獄――冥界に繋がっているのである。
そんな竹が沢山生えている竹山、竹林、竹やぶには、そのまま「冥界」のイメージが持たされる。神道では四隅に立てた竹に注連縄を張って聖域を作るが、これも同根のイメージなのだろう。つまり、伝承の中で竹やぶに行くのは、冥界に行くのと同義である。【舌切り雀】では、爺が我が娘のように可愛がっていた雀、けれど舌を切られて飛び去ってしまった雀を探して世界中をさまよい、雀のお宿で再会するが、そこは竹やぶの中であった。
薄暗い林や篠竹の藪の中に小鳥が群れ集うのは、現実に普通に見られる光景であるが、そこには冥界に霊魂が群れ飛ぶイメージもが重ねられてもいると私は感じる。[うぐいす姫]では、爺が竹やぶの中で沢山の鶯の卵を見つけ、その中のたった一つを持ち帰ると、かぐや姫が生まれる。インドの「ブルブル」では、果樹園のマンゴーをナイチンゲール(ブルブル)が全部食べて卵を産むが、しかしその卵は鷲に全部食べられてしまう。これが毎日繰り返されていた。果樹園の主である王は、たった一つ残った卵を持ち帰るが、その中から美しい乙女、ブルブルが生まれる。このように小鳥の形をした魂が群れ飛び、卵が金の果実のように枝に置かれている苑は、ギリシア神話の黄昏の園と同じ、聖林であり冥界であろう。
一本の木に、昼には無数の果実(卵)が宿り、しかし夜になると鳥に全て食べられてしまう。だが、朝になれば再び木には果実が実る。このイメージはとても古いようで、世界中の神話伝承に片鱗を見て取れる。恐らくは冥界の光景であり、「世界のサイクル」そのものを表している。命は生まれ、しかし死んでいく。「死」の黒い手から免れて永遠に輝く魂は
このように、「特別の木」は生と死の循環の象徴としてイメージされることが多い。キリスト教以前の西欧で木の枝に生贄がぶら下げられていたのも、世界中の伝承の中で剥がされた獣の皮が松や桑の上に引っ掛けられるのも、血まみれの瓜子姫が柿の木の上に縛られるのも、根は命の果実の模倣であろう。それは、果実が食われても再び実る――死からの再生を期待するが故のなぞらえではないだろうか。
余談だが、富士火口の様子を記した最古の文献『富士山記』には、富士の頂の池の周囲には竹が茂っていると書かれてある。これを、江戸後期の地誌『甲斐国志』は、苔の誤りだとしているが、柳田国男は「昔話と文学」で、明らかに竹と書いてあるものを、苔と読もうとするのは無理だ。何かそのような信仰が予めあったために、それが下地となり、高山の火口に竹が生えるなどという非現実的な情景が、事実として容認されていたのだろう、と述べている。
実は、世界の伝承を見るに、「特別の木」は山頂に生えていたとするものが結構ある。中国の伝承では、蓬莱の東方にある
中国の伝承にはまた、建木という天梯樹がある。この木は南方(赤道直下?)の都広山にあるというが、面白いことに枝が無く、葉はススキのようで、中が空洞になっているという。非常に高く、天に達しており、これを伝えば天地を行き来できる。--> 参考「トゥミレン」
富士の頂に生える竹、というイメージは、こうした伝承を引いたものではないかと思える。つまり、富士山や竹が高くそびえて天(冥界)に通じるものだと暗示しているのだろう。
ところで、「特別の木」の下には水があり、そこに「特別な魚」が泳いでいたと語られることも多い。ペルシアでは、サエーナ鳥(シームルグ)の休む生命樹の下から千の湖水が湧き出しており、そこに十匹のカラ魚が泳いでいるとされる。生命樹は悪神の手先であるトカゲに狙われているのだが、カラ魚のうち一匹が常に木の周りを泳ぎ、目を光らせている。中国の伝承では、扶桑の根元には泉があり、そこで十個の太陽が水浴する。太陽は一つずつ飛び立って世界を照らす。(アフリカの伝承には、太陽の子供たちは水に投げ込まれて魚に変わったとするものがある。)ケルトの伝承では、聖なる九本のハシバミの下にコンラの泉があり、そこを聖なる鮭が泳いでいる。聖なるハシバミの実を食べると知恵(霊感)が身に付くのだが、鮭は泉に落ちるこの実を食べているため、鮭を食べても同じ効果が得られると言う。
『修訂駿河国新風土記』(巻24)に、「富士山の頂上にコノシロ池ありて、コノシロという魚あり、故に富士浅間の氏子コノシロを食わず」とある。煮え立つ火口の池に海魚のコノシロがいるはずは無いのだが、これもまた、「特別の木」にまつわる伝承を引いたものなのかもしれない。
『竹取物語』は、古くは「竹取の翁の物語」と称されていたという。つまり主人公は翁で、彼が神の申し子を授かって豊かになることこそが物語のメインテーマであったらしい。
説話には、男が女神を妻にする、もしくは神の子を授かって幸を得る話は数多い。この幸運な男に関しては、概ね二種の設定がある。一つは、神と縁戚になるに相応しい、豊かで高貴な王の血筋だったとするもの。もう一つは、妻も無く子も無い、貧しく賤しい職業の男だったとするものである。
この相反する要素を結びつけるために、語り手たちは合理的な説明を行おうとする。例えば、この貧しい男は今は落ちぶれてはいるが、本来は貴い血筋の出なのだ、などと。ギリシア神話で、女神アプロディテに愛されて英雄アイネイアスをもうけたアンキセスは牛飼いの青年だったけれども、実はダルダノス王の孫であり、遡れば大神ゼウスの血を引くと説明された。同様に、『竹取物語』の竹取の翁も、神の子を授かるに相応しい、何か特別な氏族に属していたと解釈されることがある。
『竹取物語』には、竹取の翁の名は「サヌキのみやつこ」だと書いてある。実際の写本を見ると、「サヌキ」よりも「サカキ」と書いてあるものの方が多いのだそうだが、「サヌキ」が採られ、「讃岐の造」という漢字を当てられるのが一般的である。というのも、物語の舞台だと推測される大和国には讃岐神社があるし、後醍醐天皇の時代に、讃岐国から竹が1,244本上納されたという記録もある。『古事記』に名前のある
なお、「
一方で、「みやつこ」を「宮つ子」と解釈し、竹取の翁は神官だったのだとする説もある。
作中で、姫が成人すると
ちなみに、斎部氏は台頭した藤原氏に役職を奪われ、衰退した氏族である。『竹取物語』中で、藤原不比等をモデルにしたとされる庫持の皇子がみっともなく求婚に失敗するが、つまりこの物語の作者は藤原氏に恨みを抱く斎部氏系の人間だったとする説もある。
とはいえ、これらの現実から『竹取物語』が創造されたわけではないだろう。それよりも、元からあった「竹取の翁が天女と出会う話」に、讃岐や斎部といった連想できるキーワードを当てはめたと考える方が自然ではないか。
そもそも、「竹取の翁」というキャラクターは『竹取物語』以前から存在していた。『万葉集』にある。
昔、
その時、乙女たちは老翁を呼び、嗤って、「オジさん、来てこの鍋の火を吹いてよ」と言う。そこで翁は「おお」と言って、ゆっくり行って、敷物の上に座った。しばらくして乙女たちが、皆で こそこそ笑いつつ、互いに譲り合って言うことには、「誰がこのオジさんを呼んだの」。
そこで竹取の翁は言った。「思いがけずに
緑子の
すきかくる 這ふ子が身には 木綿肩衣
真櫛持ち 肩にかき垂れ 取り
解き乱し 童に成しみ 紅の 丹つかふ色に
妻問ふと
飛ぶ鳥の 飛鳥
さし履きて 庭に立ち 往きもとほれば
ほの聞きて
飛び翔ける すがるの如き 腰細に 取り飾らひ
真澄鏡 取り並め懸けて おのが顔 還らひ見つつ
春さりて 野辺を
さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば
なつかしと
還り立ち
誰が子そとや 思はれてある かくそしこし
古の ささきし
いさにとや 思はれてある かくそしこし
古の 賢しき人も 後の世の
反歌二首。
死なばこそ 相見ずあらめ生きてあらば
白髪し 子らも生ひなばかくのごと 若けむ子らに
乙女たちが応えた歌、九首。
はしきやし
恥を忍ひ 恥を
死にも生きも 同じ心と結びてし 友や
何すとか 違ひは居らむ否も諾も 友の並々
あにもあらぬ おのが身のから人の子の 言も尽くさじ
旗すすき 穂には出でじと
住吉の 岸の
春の野の 下草靡き
この話では、翁が出会った乙女たちが本物の天女なのかは分からない。だが、「竹取の翁が天女に出会う」というシチュエーションになっていることこそが重要である。
『竹取物語』では、翁は竹の節の中に宿っていた姫と出会う。よって、竹取という職業だったのは物語上の必然とも言える。しかし、こちらの話では天女は丘におり、翁はそこに物見のために行く。竹があったとは語られていない。
思うに、「竹伐り」は省略されている。「竹取の翁が天女に出会う」というシチュエーションは、この時代には既にお馴染みのもので、いちいち説明する必要がなかったのだろう。つまり、『竹取物語』以前にその類の物語が存在しており、人々に知られていたのではないかと考えられる。
しかし、『万葉集』のこの物語は大和国高市郡高取の話だと解釈されるのが一般的だ。「高取」は古くは「鷹取」や「竹取」と書いた。そう考えると、竹取の翁というのは、「竹取という土地に住む爺さん」というほどの意味しかなくなってしまうが……。
ところで、顕昭の『袖中抄』には、駿河国の有度浜に神女が天下って、翁がそれを見て学び伝えた舞が「駿河舞」である、とある。磯原清輔の『奥義抄』、上覚の『和歌色葉』、狛朝葛の『続教訓抄』等にも同様の記載があるそうである。静岡県清水市の三保の松原の羽衣伝説は有名だが、そこでは老いた漁師・
神と交わる翁が竹取なのは、竹が呪力を持った「特別の木」だからである。しかし、重要なのは「特別の木」ということで、必ずしも竹という種類そのものに拘泥しなくてもよい。
「竜宮女房」または「竜宮童子」という民話がある。山で柴や花を採って町で売り、細々と暮らしいてる男がいる。年の瀬、売れ残った柴を水に投げ捨てると、竜神が現われて礼を言い、美しい姫または醜い童子を授かる。これを家に連れ帰ると幸福が訪れ……という話だ。
どうして竜神は、売れ残りの柴などに これほどに喜び、幸を与えたのか? それは、年の瀬に水(聖域)に木を投げ込む、という行為が、定められた時に神に「特別の木」を捧げる、という祭祀と重なっていたからに他ならない。男は、その日の生活にも事欠くような最下層の人間だけれども、物語の概念上は、神と交わる
思えば、【桃太郎】や【瓜子姫】では、決まり文句のように「お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」と唱えられるものだが、ここにも同様の意味が込められているかもしれない。柴刈りも洗濯も日常の作業であるけれども、爺は山へ行って木に宿る神霊と語らう御巫であり、婆は川に行って寄り来る神霊を掬い上げる巫女だと暗示されているとも言える。
とはいえ、こうした類話の中で、神の幸を授かる人間の全てが御巫的な存在だと示唆されているわけではない。貧しく侘しい点は共通していても、物売り・農夫・漁師と、職業は様々である。神の幸を授かるには御巫的な人間で「なければならない」というのなら、主人公は はっきりと神職者にしてもよいと思うが、そうはならない。俗世間にまみれた、むしろ人の世の苦しみに浸かった者こそが、幸を得て成り上がるに相応しい、という暗黙の了解があるようである。
竹取の翁は、信仰的には貴い御巫でなければならず、物語的には貧しい巷間の男でなければならない。よって、朝廷に仕え斎部氏に連なる、けれど貧しい竹取、という設定になったのだろう。
また、彼が老人であるのは、「年経た者ほど知識(霊感)豊富で御巫的である」という思想によるとされ、それは間違いないと思うが、物語上の必然という側面も持っている。『竹取物語』では明言されていないが、彼とその妻は子供が無いことを嘆いていた。だから姫を得たとき大喜びして育てたのである。子供が無いことを嘆くのは、後を継がせる者の無いまま年をとったからであり、つまり、彼は老人ということになる。
さて、ここまで竹と小さ子にまつわる様々な伝承を見てきたが、不思議なことに、それらの多くに「竜蛇」の影が見え隠れしていることに気付く。
東南アジアには水辺で拾った卵から優れた子供が生まれる話が数多いが、その卵は竜蛇のそれだと明言され、時に、子供は蛇の姿で生まれてくる。中国の雲南省には、娘が川で拾った桃を食べて子を産む話群があるが、この桃は竜珠であると説明される。これも竜の卵なのだろう。実際、生まれた子は後に竜に変身する。他、中国には子供の無い老婆が卵を拾って、それから子が孵る話群があるが、この子は後に竜に変身したり、最初から竜の姿だったりする。やはり、拾った卵は竜のそれだったのだろう。
竜は蛇や鰐をモデルとする幻獣だが、モデルの生態の枠だけに留まらない。竜は蛇のように水を泳ぎ岩穴に潜むけれども、天に昇ることも出来る。河を氾濫させ、大雨を起こし、と思えば河をせきとめ、天の水を飲み干して旱魃を起こす。大風を吹かせ、雷を落として火を噴かせる。太陽のように燃え輝いて飛び、しかし太陽を追って暗黒の腹に呑み込む。地中に蔵された財宝を守り、時には、その財宝――不死と霊感を人に与える。竜は、もはや自然のあらゆる力、神秘の象徴である。
そして、蛇は植物にも擬せられる。枝をうねらせる老松や藤が竜蛇の化身とされるのは知られたことだが、竹もまた、まっすぐに身を伸ばした蛇の化身と考えられることがある。中国の「桃の子太郎と魔法師の娘」では、主人公が裏の竹林の竹を切り倒せと命じられるが、実はこの竹は全て大蛇であった。そう考えると、水を流れてきた竹筒の中から人間が生まれるのは、水を泳いできた蛇の腹から人間が生まれる比喩だと思えてくる。インドネシアの伝承では、水辺に生えていた竹または藤を切ると血が噴出し、その側に竜蛇の卵があったと語られる。これは、蛇の腹を割いて卵を取り出したと解釈できる。竜蛇の死骸を割いて偉大な子を取り出すモチーフは他にも見られ、例えば新羅の朴王家の祖・
このように、水の流れを竹筒や木片が流れてきたとき、それを子を孕んだ女神の子宮だと捉えることが出来るが、一方で、蛇はしばしば男根の象徴ともされるものである。そちらの視点から見れば、水を流れてきた竹は、洗濯や水浴びをしていた女の足を突いて子を孕ませる、神の男根と捉えることも出来る。
中国の竹王伝説では、洗濯していた女の足の間に流れてきた竹がまとわりついて離れなくなり、やがて竹の節の中から赤ん坊の声が聞こえてきた。似た話は他にもあって、『後漢書』の南蛮西南夷伝によれば、今の雲南省の辺りに沙壹という女がおり、近くの川で魚を獲っていたところ、水中の沈木に触れて感じ、月満ちて十人の男児を生んだ。この子らが少し成長した頃、沈木は竜になって現われ、ただ一人逃げなかった末子を舐めて霊感を与えた。そして自分が子供たちの父であることを告げたという。この子らの子孫が哀牢夷族で、彼らは身体に竜の文様を描き、尾の付いた服を着たという。日本にも似た話はあり、
インドの伝承に、白鳥乙女説話系のこんな話がある。
プルーラヴァスは妻を求めてさまよい、ある蓮池で、仲間たちと共に水鳥の姿になって泳いでいた妻を発見した。仲間の勧めによって、彼女は彼の前に出てきた。最初は「約束を破ったのはあなただから」と冷たかったが、プルーラヴァスが「首を吊って狼にでも食われてしまおう」と言うと、情を動かされて、「一年後にここに来なさい、その頃には あなたとの子も生まれているでしょう」と言った。
一年後にプルーラヴァスが行くと、そこには黄金の宮殿があった。妻は彼と一夜を過ごし、「明日の朝、ガンダルヴァたちが望みを一つ訊ねますから、あなたたちの仲間になりたい、と言って下さい」と言った。プルーラヴァスがその通りに願うと、ガンダルヴァたちは「この神聖な火で儀式を行いなさい」と、祭盤に入れた祭火を手渡した。彼はそれを置いて息子と共に一度村に帰り、戻ってくると火は消えていて、代わりに聖木アシュヴァッタが生えていた。ガンダルヴァに報告すると、アシュヴァッタ樹を擦り合わせて聖火を起こす方法を教えてくれたので、火を起こし、ついにガンダルヴァの一員となった。
性交が「竹の棒で突く」ことと表現されてあり、妻は「水」の精霊で、水鳥になって水浴びしている。フィリピンの神話で、原初の水を漂う竹筒がメス鳥の足を突き、竹の中から人間が生まれるエピソードを思い起こさせられる。
ちなみに、この話は「竜宮女房」の類話でもある。アプラサスを竜女(乙姫)、ガンダルヴァを竜神、黄金の宮殿を竜宮に読み替えると分かり易い。中国や日本の「竜宮女房」は現界での幸せを語るものだが、この話では冥界へ行って不死の神の仲間入りをすることに喜びを見出しており、【浦島太郎】に近い。
ガンダルヴァの仲間になるために祭火を渡されるのは、火で己が肉体を焼いて神に生まれ変わる暗示だろうか。そう考えると、御伽草子版の浦島太郎が玉手箱を開けて煙を立ち昇らせ、仙界へ飛び去るエピソードにも一脈通じているように思える。
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