星の天女

天の羽衣

竹取物語」の原話を探す議論に決定的な回答が出たことは無いが、それでも、この物語が大枠で【白鳥乙女】説話を基にしている、という説に異を唱える者はいない。

白鳥乙女】説話とは、異類婚姻譚の一流である。異類婚姻譚とは、人と獣の結婚を語る物語だ。人と交わるとき、獣は、一時的に人間の姿になる。人になったり獣になったりするこの不思議を、新しい時代には「魔法を掛けられて醜い獣にされていたが、真実の愛によって元の人間に戻った」などと説明しているが、古い時代の物語ではそうではなかった。獣は最初から《異類》なのであり、人間ではない。彼らは、獣の皮を纏って冥界からやってくる神霊だった。

 この設定は、アイヌ族など北方の狩猟民族の信仰を念頭に置くと理解しやすい。

 アイヌの信仰では、神霊は獣の肉体を纏って人間の世界へやってくる。人間はこの獣を殺して肉を食べ、丁寧に供養して魂を送り返す。すると、神霊の魂は沢山のお土産を持って神の世界へ帰っていく。そしてまた、多くの眷族を連れて、獣の肉体を纏って人間界へ来てくれるのだ。

 昔の人々は、人間以上に強く速い獣たちを畏怖した。獣の肉体の奥には、きっと人以上の存在――神霊が宿っている。それは、死んで冥界へ去り、神となった先祖の魂かもしれない。であれば自分たちを守護してくれるであろう。その守護をより確かにしようと思うなら、婚姻関係を結び同族の契りを交わすのが手っ取り早い。

 かくて、人々は獣の肉体を纏う神との婚姻譚を物語る。人と結婚するとき、神霊はその獣の皮衣を脱いで、美しい神の姿を現した。古い時代には、そうして生まれた半神が一族の祖になったと語られることが多かった。

白鳥乙女】説話は、それら異類婚姻譚の中で、「神は鳥の姿で現れる女神だった」とする話群である。世界的に多く見られるもので、日本では「天人女房」だの「羽衣説話」だのと呼ばれている。現代日本の民話では舞い降りる天女が鳥の姿をしていたことはほぼ忘れられているが、それでも、纏っていた衣が《羽衣》である点に、微かに原形の記憶をとどめている。現代日本では、羽衣は薄いヒラヒラした細長い肩布ひれだとイメージされがちだが、中国の伝承を見れば、それは《毛衣》と呼ばれる、無数の羽毛を集めて作った服である。

白鳥乙女】説話には様々なパターンがあるが、基本的なのは以下のようなものだろう。

中国 玄中記
 昔、予章(江西省)の男が、田んぼの中に六、七人の裸の女がいるのを見た。彼は這ってこっそり近づき、そこに脱いであった衣の一枚を隠してから女たちに姿を見せた。すると女たちは衣を着て、それぞれ鳥になって飛び去ったが、一人だけは衣が無かったので逃げ去れなかった。男はその女を女房にし、やがて三人の娘も生まれた。
 長い間一緒に暮らした後、女は娘たちに命じた。母さんの衣がどこに隠してあるのか、父さんに訊いてごらん、と。そして稲積みの下に隠してあることを知ると、それを着て飛び去った。更に後になって、女は新しい三枚の衣を持って帰って来て、娘たちをも天に連れていった。
 一説に、この鳥を鬼車という。
日本 近江国風土記
 古老が伝えて言う。近江の国 伊香いかごの郡にある余呉よごの郷の話。伊香の小江(余呉湖)が郷の南にある。天の八女やおとめが、ともに白鳥しらとりとなって、天から降りて、湖の南の岸で水浴をした。この時、伊香刀美いかとみという男が西の山にいて、遥かに白鳥を見たところ、その形が奇妙である。もしや神人ではと疑って行って見るに、まさにこれは神人である。ここで、伊香刀美はやがて愛を感じて、密かに白い犬を遣って、天の羽衣を盗み取らせたところ、妹の天女の衣を得たので隠した。天女はこれに気付いたので、その姉七人は天上に飛び昇ったが、その妹一人は飛び去ることが出来なかった。天への道は閉ざされて、地上の人になった。天女の水浴した浦を、今、神の浦というのはこのためである。
 伊香刀美は、妹天女と家を構えてここに住み、ついには男女の子を生んだ。男二人女二人である。兄の名は意美志留おみしる、弟の名は那志等美なしとみ、女は伊是理媛いせりひめ、次女は奈是理媛なせりひめである。彼らは伊香連いかごのむらじ等の祖となった。
 後に母は羽衣を探し出し、着て天に昇った。伊香刀美は、独り空床を守って、嘆きはやむことがなかった。

 この話と《かぐや姫の物語》に何の関係があるのか、と思うかもしれない。しかし思い返して欲しい。「竹取物語」では、昇天するかぐや姫は《天の羽衣》を着せられていたではないか。つまり、作者が白鳥乙女説話を念頭に置いて、少なくともイメージを重ねて昇天のシーンを書いたのは間違いないのである。

 それにしても、白鳥乙女は男の妻になるのだし、老夫婦の養女になったかぐや姫とは違うだろう、という意見があるかもしれないが、【白鳥乙女】型の物語には、妻になるパターンに比べると少ないものの、養女になるパターンも見られるので、さしたる問題にはならないだろう。例えば、ブルガリアの「翼をもらった月」では、子供の無い老夫婦のもとに月が一羽の鴨に化身して舞い降り、羽衣を脱いで乙女となる。しかし長く留まることは出来ず、再び羽衣をまとって昇天する。この乙女は羽衣(この世での肉体)を焼かれたために洞窟の中(冥界)に隠れ去り、その間 空から月が消える。これは天の岩戸神話と同じ蝕神話だと取ることが出来るが、また、白隠禅師の富士かぐや姫伝説で、姫が帝との結婚を恐れて屋敷の隅の岩窟に隠れるエピソードをも想起させる。偶然の相似なのだろうけれども、姫を岩窟から呼び戻すために老いた両親が骨を折ることも、しかし、最後には姫は永遠に冥界へ去り、神として顕れる結末も同じである。

 

人の傲慢

竹取物語」と白鳥乙女説話の相似を云々するとき、よく引き合いに出されるものに『丹後国風土記』逸文の奈具の社の縁起がある。この話では老夫婦が天女の羽衣を奪い、自分たちの養女にする。

奈具の社 『丹後国風土記』

 丹後たにわのみちのしりの国の風土記にいわく、丹後の国丹波郡の郡、郡役所の西北の隅の方に、比治の里がある。この里にある比治山の頂には泉があり、現在ではすっかり沼になっているが、真奈井(美しい泉)といった。

 この泉に天女あまつおとめ八人が降りてきて水浴びをしていた。

 ところで、老夫婦がいた。その名を和奈佐の老夫、和奈佐の老婦といった。この老人たちは泉のところへ行き、密かに天女一人の衣装を取って隠した。やがて衣装のある天女はみな天に飛び昇ったが、ただ、衣装のない娘一人は留まって、身を水に隠して恥ずかしがっていた。そこで老夫婦は天女に言った。

「私には子供がありません、どうか天女の娘よ、我が子におなりください」

 すると天女は答えて、「私一人が人間の世界にとどまってしまいました。どうしてお言葉に従わずにいられましょうか。だからどうか衣装をお返しください」と言った。老夫が、「天女の娘よ、どうして人を騙そうとするのか」と言うと、天女は「天人の心ざしというものは誠実をもって基本としています。どうしてこんなにひどく疑って衣装を返してくれないのですか」と言った。老夫は答えて「疑心が多く誠心のないのがこの地上世界では普通のことです。だから返すまいとしただけです」と言った。そしてついに衣を返して、そのまま連れ立って自宅に帰り、一緒に住むこと十余年になった。

 この天女は よく酒をかもした。それを盃一杯飲めば、みごとに、どんな病気でも癒えた。その一杯の対価の財貨は車に積んで送られてきた。かくしてその家は豊かに、土形ひじかた(田畑)が富んだ。故に、ここを土形の里と呼び、後の時代には比治ひじの里といった。

 後に、老夫婦は天女に言った。

「お前は我が子ではない。暫く仮に暮らしただけの仲だ。早く出て行ってくれ」

 天女は天を仰いで嘆き地に伏して哀しんで、老夫婦に言うことには、「私は本意でここに来たのではありません。これはあなたたちが望んだことです。どうして憎む心を抱いて、すぐに出て行けなどと むごいことが言えるんです」。老夫はますます怒って、出て行けと命じた。

 天女は涙を流して、少し門の外に出て、里の人に「長く人の世に沈んで、天に帰ることが出来ません。また、親しい者もなく、暮らす術も知りません。私は、どうすれば、どうすれば」と言って、涙をぬぐって嘆き、天を仰いで詠った。

  天の原 ふりさけ見れば霞立ち 家路まどひて行方知らずも

 ついに立ち去って、今の荒塩の村に至り、村人たちに言った。「お爺さんとお婆さんの気持ちを思えば、私の心は荒塩(荒潮)に変わりません」。それでこの村は荒塩の村と言うようになった。また、今の丹波の里の哭木の村に至って、槻の木に寄りかかって慟哭した。故に、この村は哭木の村と言うようになった。また、竹野の郡 船木の里の奈具の村に至ったとき、村人たちに「ここに来て、私の心は なぐしく(平らかに)なりました」と言って、その村に留まった。

 これが竹野の郡の奈具の社におわす豊宇賀能賣命トヨウカのメのミコトである。

 この話では、天女は羽衣を持っているのに、それを使って帰ろうとはしない。天女が去ったのは、人間に罵られ、追い出されたからであった。

 異類が人間と結婚したとき、3〜10年ほどで夫婦の断絶が訪れたと語られることは多い。今現在、異類と人間は交わらず別に暮らしているのだから、その話を一族の祖先についての「本当の話」だとするなら、そう語らなければ仕方が無いわけだ。その信仰が薄れて単なる「おとぎばなし」になると、終生 愛を貫いて幸せに暮らしたと語ってもよくなるのだろうが。

 美しい女神を望んで妻にしたのに、長く一緒に暮らすうちにその幸せに慣れて傲慢になり、罵り虐待するようになったと語る話群がある。そのため、女神は泣く泣く逃げ去っていく。民話ではこの要素は薄められていて、《結婚するとき、異類の妻が「決して汚い言葉は使わないで」「ムチで打たないで」などと約束させていたが、何かの拍子に「くそっ」と言ってしまった。あるいは、乗馬用のムチで偶然軽く妻に触れてしまった。途端に妻は去っていった…》などと語る。これだけを見ると、どうしてその程度のことで妻が去ってしまうのか意味不明なのだが、本来は『古事記』の「阿加流比売」や、前掲の「奈具の社」のように、奢って女神を罵り、虐待し、追い出した(逃げられた)のだろう。

 この、神の幸への感謝を忘れた人間、というモチーフは、中国の『録異記』にある如願の物語にも見える。欧明という男が竜宮に招かれ、如願という女を手に入れて連れ帰る。この女は何でも願いのままに出すことが出来たので、欧明はたちまち大金持ちになったが、そうすると彼女を大事にしなくなった。元旦に如願が寝坊すると、欧明は激怒して杖で殴ろうとした。すると如願は逃げて消えてしまったという。この話はまた、【竜宮童子】の類話でもある。貧しい老夫婦が竜宮から醜い男の子を授かる。この子は富を生み出すことが出来たので、老夫婦はたちまち大金持ちになったが、そうすると醜い男の子と一緒に居るのが嫌になって、彼を家から追い出した。途端に、パッと老夫婦は元の貧乏に戻ってしまったという。奈具の社の話は、豊宇賀能賣命の縁起を語ることこそが重要なので、その他のことは触れられていないが、天女を追い出した老夫婦も、やはり貧乏になったのかもしれない。

 

星の天女

 さて、こうした【白鳥乙女】説話の中には、天女は星の化身だった、と語る話群がある。前掲のブルガリアの「翼をもらった月」もその一種とみなすことが出来るだろう。七夕伝説でも、舞い降りた天女(織姫)たちは天の星であったはずだ。

 天の月や星(すばる)が鳥の姿で舞い降りて、地上で乙女になり、人との間に生んだ子が部族の祖となった……と語る話は東南アジア近辺に特に数多く、また、竹から子が生まれる話も同地域に集中しているため、「かぐや姫の物語」の源郷はこの辺りにある、と見る説がある。

ニューギニア
 マダンの沖の島に、シドドという漁師の若者がいた。彼は美しく有能で、自分でもそれを自負していたので、どんな娘にも満足せず、いつまでも独身だった。
 ある夜のこと、シドドは漁に出て星空を眺めるうち、一つ際立って輝く星を見つけて、「あの星が娘だったら、結婚してもいいのにな」と呟いた。すると黒い鳥がカヌーに舞い降りて、「あなたは、もしあの星が娘なら結婚してもいいと言いましたね」と言った。シドドがそうだと言うと、鳥はその星に向かって飛んでいった。
 その星は粘土の壺を作っている可愛い娘で、名をホンパインといった。鳥が彼女の肩にとまってシドドの想いを伝えると、彼女は承諾して、雷雨の日、雷と共に地上に降り立って、シドドの妻になった。二人の間には男の子が生まれた。
 しかし、まもなくシドドは星の娘に慣れて、「まるでお前は そこいらの村娘と変わらないじゃないか」と文句を言うようになった。そこで、ホンパインは粘土で壷を作る方法を村に伝えた。
 また、シドドの父は、嫁が村の出身でないことをよく思っていなかった。ホンパインの小さい息子が家の豚を誤って逃がしてしまった時、祖父は男の子を殴って、お前の母親は人間じゃないんだ、と罵った。男の子が泣いて「本当なの」と訊ねると、ホンパインは「その通りです」と答えて、傲慢な夫や横暴な舅の前から立ち去る決心をした。
 ホンパインと息子は、天の母が降ろした長いサトウキビの茎を登って天に帰った。最後にサトウキビの茎を地上に投げ捨てると、村の粘土の壺は みんな割れてしまった。

※星が天女のように地上に降りて男と結婚する「星の女」の伝承は、南アメリカにもある。

インドネシア マドゥラ島
 昔、アリオ・メナクという冒険心と好奇心に溢れる若者がいた。彼はよく旅をしていた。
 ある夕方、深い森の中をさまよっていると、大きな叫び声が何度か聞こえ、やがて細く遠くなっていった。夜になると、とても美しい月が出た。まるで上品な娘のようだ。アリオ・メナクは好奇心を抑えきれず、恐ろしさと夢見心地で胸を満たして、あの声の聞こえた方へ歩いていった。近づくにつれ、それが女たちの嬌声だと分かった。その女たちは、タマン・サリダ湖の中で戯れていた。月の光が彼女たちを照らし、肌を金色の布をちりばめたように輝かせている。
 ふと気付けば、水辺にその女たちの上着が掛けられていた。アリオ・メナクは悪戯心を起こし、つま先立つと そのうちの一つを適当に取って、また隠れ場所に戻った。戻るときにコウモリが飛んできたので驚かされた。
 若者が隠れ場所に戻るか戻らないかというとき、背後で嬌声が聞こえた。先程まで飛沫を上げて水を浴びていた女たちが、それぞれ空へ飛び去っていく。「うわー、あれは水浴びに来た妖精だったんだな」と若者はのんびり思い、しかし、この事件を目撃したのが自分一人だと思うと少し恐ろしくなった。「じゃあ、この上着は誰のものなんだろう」と一人ごちて湖の方を見ると、水の中には まだ一人妖精がいた。仲間たちと一緒に飛んでいかなかったのだ。彼女は見るからにおろおろし、ビクビクして、しまいに泣き始めた。アリオ・メナクは気の毒になって、この妖精に声をかけた。
「彼女、どうして泣いてるの?」「……」「どこから来たの? こんな森の中で何してるの? 名前は?」「……」「彼女、起きちまったことはしょうがないじゃん。あんたがこの地上で暮らすことになったのも、神の定めた運命ってヤツだよ」
 妖精はまだ黙っていたが、何か考え始めたようだった。アリオ・メナクは また言った。
「君の名前は?」
「……ニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥラン」
 応えた妖精の声は震えていた。水に浸かったままで、すっかり体が冷えていたのだ。そこでアリオ・メナクは歩み寄って妖精を背負い、家へ連れて帰った。後で、ニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランはアリオ・メナクの妻になった。
 アリオ・メナクは元々金持ちだったが、ニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランが家に来てから ますます裕福になった。不思議なことに米倉の米が減ることがないのだ。しかも、アリオ・メナクは妻が米を搗いているのを一度も見たことがなかった。なのに、毎食ご飯は炊かれている。好奇心の強いアリオ・メナクはその秘密が知りたくてたまらなくなった。いつも、妻は料理の仕込みをしてから川へ洗濯に行くのだが、「その間は台所には決して入らないでね」と言ったので、その思いはますます強くなった。
 ある日のこと、いつものように妻が洗濯に出かけると、アリオ・メナクはとうとう台所へ入って、火にかけられている釜の蓋を取って覗いた。すると、中には藁に実ったままの稲穂が入っていた。アリオ・メナクは「なるほど、俺の米が減らないのも当然だ」と一人ごちた。「でも、どうしてあいつは このことをあんなに隠そうとしていたんだろう。まあいい、見なかったことにしておこう」と言って、元の場所に戻って知らんふりをしていた。
 やがて妻が帰ってきて、釜の蓋を取ると、まだ米粒のままだった。火力が足りないのね、と思って火を強くしたが、米は決してご飯にならなかった。「ああ、それでは あの人が入ってきて、私が何を料理しているのか調べたんだわ」。ニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランの顔は暗くなったが、「これはきっと、神が私に懸命に働けと命じたのよ。騒ぐより黙っていた方がいいわ」と思い、初めて、普通の人間がするように米倉から米を取ってきて搗いて、それでご飯を炊いた。
 それ以来、アリオ・メナクの倉の米はだんだんに減っていって、一年も経つと空になった。空になった米倉で、ニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランは水浴びの時に盗られた自分の上着を見つけた。天国の仲間たちの思い出が甦り、彼女の胸はときめいて、老いていた顔は再び若くなった。その上着を着ると、まっすぐに高く、天へ昇っていった。その途中で夫にこう言い残した。
「私が恋しくなったら、満月を見てちょうだい。私はそこにいます」
 そして、夫の目には見えないところへ飛び去った。
 二人の間にはアリヨ・ケドットという息子が生まれていたが、その子孫はマドゥラの領主となった。
 今でも男は台所へ入りたがらない。それは浪費をもたらすからだ。そして、恋煩いの若者たちは飽きずに月の光に見入っている。(『世界の民話 インドネシア・ベトナム』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1979.)

※アイルランドのマンスター南部には、女神エスニヤが白鳥乙女として現われる典型的な白鳥乙女譚があるが、この女神は月も司っている。

 

天の律

 さて、「竹取物語」では、かぐや姫は月の都の人(天人)だけれども、ある罪を犯したために地上に転生させられていたのだ、と説明される。そして、その贖罪の期間が尽きたので、晴れて天へ帰れるのだ、と。

 神が贖罪のために地上に落とされて転生する話は、インドの神話伝承ではポピュラーである。(長く複雑で、例話としては不適切なので、ここには挙げない。)主人の話を盗み聞きしたり、恋人との逢瀬にかまけて仕事を怠けたり、その他様々な罪によって呪われた神は、地上の命に生まれ変わる。その呪いがどんな時に解けるかは予め定められてあるのだが、人間に転生した神は前世の記憶を失っていることが多く、自分ではそれを知らない。聖人や神に前世について教えられ、定められたとおりの行動をとった時に呪いは解かれ、彼らは地上から消えて天に帰る。

 神が人間界にやってくるのは、幸を与えるためでも遊ぶためでもない。神にとって人間界はあくまで牢獄に過ぎず、一刻も早い解脱を望んでいるのだ、という思想である。

竹取物語」にも、このインド式思想が入っているように思われる。昇天の年の初めから彼女は突然元気をなくし、月の都に本当の両親がいるが記憶はないと告白している。つまり、この年まで彼女は自分の運命を知らなかったのだと思われる。きっと、正月にでも神の使いがきて前世を教え、秋には迎えが来ると告げたのだろう。地上の両親を愛するかぐや姫は神の世界へ帰ることを恐れるが、神の側からすれば、どうしてこんなに穢れた牢獄に留まりたがるのかが分からない。

 

 このインド式思想は中国の伝承にも見られるが、それと似ながら、やや違う感じに語られる話群もある。ギリシア神話の太陽神アポロンが鍛治神たちまたは竜ピュトンを殺した罪で八年間(神の一年)地上に堕とされた時、それでも神としての記憶や権限は奪われていなかったが、同様に、中国の神仙たちは神としての記憶や力を保ったまま《定めにより》降りて人間に交わることがある。その場合、決められた期限が過ぎると「あなたとの縁が尽きました」などと告げて昇天する。

 インドの神々が本当の人間に転生して、運命に支配されながらも、あくまで人として感情豊かに生きた末に昇天するのに対し、これら中国の神仙はほんの一時的、かりそめにしか人の世に関わらない。これは多分、《生き方》の嗜好の問題なのだろう。出来るだけ折り目正しく清らかに生きたいと考えるとき、人の理想である神も、そうした理知的で清い存在として描かれるのではないか。「竹取物語むでは、天人たちは清すぎて情を理解しない冷たい存在として描かれるが、これは中国式の神仙のイメージを引いているのかもしれない。

 

不死の薬

 かぐや姫は地上を去るとき、形見に不死の薬を残していく。

 ところで、かぐや姫を失った老夫婦が「薬も食はず、やがて起きもあがらで病み臥せり」とあるのを、《不死の薬も飲まないで》と解釈することが多いようだけれども、不死の薬は帝に残されたのであり、老夫婦に形見として残されたのは着物なのだから、少し疑問に思う。ここで老夫婦が飲まなかった薬とは、普通の薬なのではないだろうか?

 ともあれ、誰も不死の薬を飲まなかったのは確かである。帝は「あふことも 涙に浮かぶわが身には 死なぬ薬も何にかはせむ」と歌を詠んで、不死の薬も手紙も、かぐや姫が自分に残したものは全部、富士の頂で焼かせてしまった。これには、これらを《かぐや姫に返す》という意味がある。神前で誓言の文書を焼いて神に届ける儀式が、古代から中世まで行われていた。また、国家の非常時に勅使を派遣して、帝の宣命を山前で読みあげ、後に焼却する儀式もあったという。立ち昇る煙が神の世界へ漂う(それに乗って人や物や声が異界へ行く)というイメージは、私が知る限りでもアジア一帯の伝承に見られるし、今でも、中国文化圏では紙銭を焼いて冥界の先祖へ届ける儀式を行っている。富士の山頂で薬と手紙を焼いたのも、そこが天に最も近い、この世とあの世の境だったからである。

 

 秦の始皇帝が不死の薬を求めて徐福を蓬莱山に遣わし、徐福は富士山に隠れたという伝説がある。古来より、不老不死は多くの人間の求め憧れるものであった。死は怖い。これは自然の感情ではあろう。にも関わらず、「竹取物語」の帝は薬を飲まずに焼いてしまう。「愛する者がいないのなら、死なない薬にも意味は無い」と言うのだった。愛の無い生は虚しい。これもまた自然な感情かと思う。

 ところで、白鳥乙女説話には、天女が羽衣を取り戻して飛び去った後も まだ物語が続くものが少なくない。残された夫が天女を追って行くのだ。普通の人間が、どうして天女を追って昇天できたのか。第三者の助けを得ることも、夫自身が苦労をして天への道を見つけ出すこともあるが、去っていく天女が追うための方法を指示していくこともある。その結末は、再び別れることになるアンハッピーエンドが多いが、天で一緒に幸せに暮らすハッピーエンドになることもある。これは、男もまた神となって冥界に暮らしたということで、つまり、不老不死になったということなのだ。

 私は思う。かぐや姫が帝(夫)に不死の薬を置いていったのは、本来は《あなたも天人になって、天界へ追ってきなさい》という謎かけだったのではないかと。帝は飲めば地上で永遠に生きると思ったようだが、実際は、飲めばこの世では死ぬことになったのではないだろうか。

 中国系の神仙譚は、基本的に、この世で死してあの世で神仙になることを礼賛するものである。富士かぐや姫話群もこの系統だ。しかし、どうも「竹取物語」の作者は、この神仙思想に否定的だったように思える。姫を迎えに現われた神仙たちは美しいけれども冷たく恐ろしい存在だし、帝はきっぱりとかぐや姫のことを思い切って、不死の薬を焼き捨て、彼女を追おうなどとは思わない。

結婚しない女

竹取物語」のかぐや姫は、誰とも結婚しない。今昔物語版でもそうだし、民話の[竹姫]でも概ねそうなっている。

 もっとも、帝の求愛を拒みつつも親しく文通を続けるくだりは少し奇妙な感じなので、もしも「竹取物語」に原話があったのならば、中世の類話群のごとく、帝と短い間ながら結婚生活を送った、というのが本来の形だったのかもしれない。彼のために愛の手紙と不死の薬が残されるなど、物語の脈絡上は、帝はかぐや姫の夫として扱われている。

 ともあれ、文面上では「竹取物語」のかぐや姫は誰とも結婚しない。結婚を拒む女主人公の物語は特異だ、という意見もあるけれども、案外とそうではなく、多くの求婚者を退け、時には死に至らせたり、あるいは自らが昇天してしまう女の物語は、世界各地で見出せる。

 

誰も選べない女

 かぐや姫は その美しさゆえに多くの男に望まれ、しかし「愛情は均等で、優劣はつけられません」と、その全てを拒んだ。

 同様に、あまりに美しすぎたために多くの男に望まれ、しかし誰を選ぶことも出来ずに自ら命を絶った、あるいは昇天して神(の妻)になったと語られる女の物語がある。

 かぐや姫は求婚者が自分のために命を落としても「少しかわいそう」くらいにしか思わなかったが、結局誰のものにもならずに昇天するのだから、物語の構造的には共通すると言ってもいいだろう。

真間の手児奈 日本
 下総国(千葉県)葛飾の真間に、真間の井という清らな泉があった。ここに水を汲みに来る中にたいそう美しい手児奈(乙女)がいて、麻の粗末な着物を着て靴も履かず髪もとかさないのに、人の目をひきつけてやまなかった。
 彼女の噂は広まり、里の若者も、国府の役人も、旅人でさえも彼女を望み、競って求婚したのだが、彼女はどれも断って、決して誰のものにもならないのだった。
 ところが、男たちの恋心はつのり、ついには病み伏せる者、兄弟で醜く争う者も現われた。これを悲しんだ手児奈は、真間の井から流れ出る小川に沿って真間の入り江にさまよって行き、そのまま入水して死んでしまった。
 人々は手児奈の亡骸を真間の井の側に葬った。これが手児奈霊堂で、祈れば安産のご利益があるという。

※この伝説は『万葉集』にも引かれている。

水娘 中国四川省ミャオ族
 昔、一人の水娘がいた。美しかったので多くの求婚者が押しかけたが、あまりの多さに選ぶことが出来ず、誰とも結婚しないと断った。
 すると、男たちは互いに争い、暴力をふるい、ついには刀を抜いて殺しあって、血の河が出来るほどだった。水娘は「争うのはやめてください。私は天に嫁入りします」と言って、雲に乗って昇天してしまった。
 その後、母が泣いて会いたいと訴えたが、娘は「私が降りると人々が争いますから」と断った。しかし母が余りに嘆くので、人々が多忙な時期にそっと里帰りをすることにした。毎年三月になると、娘は紅・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色の衣装をまとって舞い降り、腰をかがめて片方の頭で母の甕から漬物を食べ、もう片方の頭で父の掘った竜井の水を飲んだ。そう、彼女は虹と化していたのである。
 後に母が死ぬと、水娘は父母を想って涙を流した。虹が立つ頃に降る細雨は、彼女の涙なのである。(『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良著 小学館)

 これらの話では、男たちの求婚を拒んだ「美しすぎる娘」が、乙女のまま「神に変わる」。また、娘は水と関わっている。

 

挑戦させる女

 前述の女たちは誰かを選ぶことは出来ず、といって拒み続けることも出来ず、儚く姿を隠してしまった。だが、「竹取物語」版のかぐや姫が五人の求婚者にそうしたように、自ら厳しい条件を課して、いわば勝負を挑み、積極的に結婚を拒む女たちもいる。この場合、要求通りに出来なかった求婚者は殺されることが多いが、それでも求婚する者は後を断たず、女も決して条件を取り下げることが無かった、などと語られる。まさに、かぐや姫と同じ「多くの人殺してける心(多くの男を殺している気性)」である。

力の勝負
アタランテ(ギリシア神話)
 ある猟師が山の中で女の赤ん坊を見つけ、アタランテと名をつけて大事に育てた。彼女は成長すると大変美しく、かつ、男に引けを取らない強い狩人になった。彼女は月の女神アルテミスのように処女を守り、犯そうとしたケンタウロスは彼女に射殺された。
 実は、アタランテは王の娘であったが、王が男児を欲していたため、赤ん坊のときに捨てられたのである。だが雌熊が乳を与えてこれを守り、猟師に拾われたのであった。
 王は自分の娘が生きていたことを知ると、彼女を結婚させようとした。すると、アタランテは求婚者は自分と徒競走をしなければならない、求婚者が勝てば妻になるが、負ければその場で殺すと言った。一説によれば、求婚者を先に走らせ、その後で槍を持って追いかけて行き、追いつけば刺し殺したのだという。
 こうして多くの若者が死んだ後で、メラニオーンまたはヒッポメネースという若者が彼女に恋し、愛の女神アプロディテに三つの黄金のりんごを授けられて勝負に挑んだ。そうしてアタランテが追いつきそうになる度にりんごを転がしたので、アタランテはそれを拾わずにおれず、ついに逃げ切って、彼女を妻にした。
プリュンヒルト(ニーベルンゲンの歌)
 イスランドの処女王プリュンヒルトは、この上ない美女でありながら武芸に優れ、求婚する者に対し槍投げ、石投げ、幅跳びの三つの勝負を持ちかけた。勝てば彼女を妻に出来るが、負ければ命を奪われる。
 そうして多くの勇士が命を落としたが、ブルクントのグンテル王は、隠れマントを着た英雄ジーフリトの助けを得て勝利し、初夜の床でもジーフリトの助力を得て、彼女を妻にした。→詳細

知恵の勝負
トゥーランドット(イタリア歌劇)
 中国の皇帝にトゥーランドットという姫がおり、冷たい月のように美しかった。求婚者が列をなしたが、彼女は男に支配されることを嫌悪しており、誰の求愛も受け入れない。求婚者には三つの謎が出され、それが全て解ければ妻になるが、解けなければ首を切って殺すと言う。だが、それでも求婚者は後を絶たず、無数の首が王宮の周りに掲げられていた。
 さて、国を追われたタタールの王子カラフは、トゥーランドットを垣間見て恋に落ち、彼女に求婚した。三つの謎を見事に解いたが、姫はそれでも結婚を拒む。カラフは、逆に姫に謎を出した。「私の名前を当ててください。当てられたら、私を殺すといい。でも当てられなかったら、私の妻になるのです」
 トゥーランドットはカラフに片思いしているタタールの奴隷女のリューを探し出し、王子の名前を言え、と彼女を拷問にかけた。リューはカラフの名を言わないために自ら死んだ。「氷のようなあなた様も、いつか炎に融かされて、あの方を愛するようになるでしょう」と言い残して。それを見て、トゥーランドットもカラフも動揺する。カラフはトゥーランドットを責めて自ら名乗り、ついに、トゥーランドットは「王子よ、あなたの名は愛である」と答えて、彼の愛を受け入れた。

※『トゥーランドット』は、イタリアの作曲家プッチーニによる歌劇としてもっとも有名である。この原型は18世紀イタリアの劇作家ゴッツィの『トゥーランドット』とされるが、更にその原拠が何であるかはハッキリしない。有力視されているのは『千一日物語』中の「カラフ王子と中国の王女の物語」のようである。
 ともあれ、こうした【謎かけ姫】のルーツは東洋にあると考えられていて、12世紀のペルシアの叙事詩人ニザーミーの『七王妃物語』中にあるものが、この話型の最も古い文献であるという。
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 ロシアの強大な王に、美しく賢い姫がいた。彼女は無数の求婚者に悩まされ、ついに高い山に堅固な砦を築いて閉じこもり、高く見つけにくい門を閉ざし、そこに至る道に魔像を置いて、求婚者に四つの条件を課した。一つは、名声高い美男子であること。もう一つは、魔像の魔力を取り除くこと。三つ目は門を見つけ出すこと。そして最後に、姫の出す謎を解くこと、である。
 数多くの男が命を失った後、一人の若者が賢者の助言を得て砦にたどり着いた。そして姫の出した謎めいたメッセージ全てに的確に反応したので、姫は自ら彼を夫と定めた。
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 この物語では、謎かけ姫は高い山の上の砦に隠れている。[ニーベルンゲン伝説]のプリュンヒルト(ブリュンヒルデ)は、前掲の例のごとく、時に求婚者を殺す女王として語られるが、また別の話では、高い山の上の炎の垣に囲まれた城に眠る女として語られる。この炎の垣を乗り越えて現われた特別な男だけが、彼女の夫に選ばれるのである。伝承上、彼女はフン族の王女とされることがあるが、フン族とは西欧に侵入したアジア系の遊牧民だ。『七王妃物語』の「広い領土を治めるロシアの王」というのも遊牧民と解釈できなくはないし、『トゥーランドット』のカラフ王子は、遊牧民タタール族だとされている。一般に、【謎かけ姫】はペルシアのアラビア文学が原拠だとされるが、内容的には遊牧民族との関わりが深いように感じられる。


参考 --> 「足のない勇士と盲目の勇士

 

 この他、「竹取物語」や「斑竹姑娘」のように、不思議な宝物を要求して退けることもある。

 余談だが、インドネシアのシンデレラ譚「ペリア・ポカク」では、何故か主人公のぺリアは頑固なまでに《王子》との結婚を拒む。彼女は王子の元へ行けない口実として様々な衣装や装身具がないことを挙げ、王子はその全てを彼女に贈る。結局は説得されて結婚するが、その際には、竹筒の中から大量の宝の布を取り出してみせるのだった。

 

 彼女たちは、何故そうまでして結婚を拒むのだろうか。

 文芸化された作品であるほど、彼女たちは声高に理由を語る。男性は女性を支配し、隷属させる。奴隷女のように自分を男に与えたくはないのだ、と。……もっとも、民話では、彼女には既に邪悪な恋人がいて、それに唆されていたのだ、などと語られることもあるが。

竹取物語」のかぐや姫は、そこまで思想的なことは語らない。ただ、「親の死後の生活のため、子孫繁栄のためにも」結婚しなさい、と説教する父に対して、「どうして結婚なんてしなきゃならないの」とむくれてみせるばかりである。

 晩婚化が進んでいる昨今、このかぐや姫と父のやり取りには、既視感や共感を覚える人は多いのではないだろうか。

 

父の支配

「挑戦させる女」は自ら求婚者に難題を課すが、そうではなく、彼女の父親がそうする【難題婿】というモチーフがある。大抵の場合、娘は求婚者に好意を抱いて、こっそりと手助けするので、父は敗れてしまうのだが。

 この父親は非常に支配的で、娘を溺愛しており、場合によっては娘と道ならぬ関係を結んでいた、と語られることすらある。

 ギリシア神話によれば、ピーサ王オイノマーオスは、娘ヒッポダメイアに求婚する者に戦車競争を義務付けていた。求婚者は自分の戦車にヒッポダメイアを乗せてコリントス地峡へ走り、それを武装したオイノマーオスの戦車が追跡する。追いつけば求婚者を殺すが、逃げ延びれば娘を与えるという決まりだ。多くの若者が敗北して殺され、その首は王宮に釘付けにされた。
 彼がそのようにしたのは、娘に道ならぬ愛を抱いていたからである。(別説によれば、娘の結婚相手に殺される、と予言されていたから。)
 13人目の挑戦者、ペロプスが現れると、ヒッポダメイアはその美しさにたちまち恋に落ちた。彼女は父の戦車の御者を誘惑して車輪が外れるように仕組ませておいたので、競争中、王は壊れた戦車から投げ出され、引きずられて死んだ。

 

竹取物語」でも、竹取の翁がかぐや姫に道ならぬ想いを抱いていた、とするパロディが書かれているのをよく見かける。結婚しない娘と娘を溺愛する父親、という状況には、何かそんな妄想を抱かせやすいものがあるらしい。

 もっとも、実際に「竹取物語」を読めば、翁が娘が独身であることにいかに心を痛め、求婚者たちへの対応に心を砕いていたかがよく分かるので、そんな解釈をするのは大変失礼だ、という気分にもなるものだが。

 しかし、「小さ子の娘」と「彼女を拾って育てた男」が夫婦になったと語られる伝承は珍しいわけではなく、「斑竹姑娘」も「瓜姫女房」もそうだし、「ハイヌヴェレ神話」にもそのニュアンスがある。イメージ的には、父と夫は入れ替えしやすいものであるようだ。

 そう思えば、「斑竹姑娘」の竹娘が竹取の若者と結婚し、しかし「かぐや姫の物語」では父娘になるのも、さほどの差異ではないのであろう。

難題と呪宝

【難題婿】のモチーフに近いものに、「権力者が人妻を奪おうと、夫に難題を課す」というものがある。[竜宮女房]の話群によく入っているもので、御伽草子の「梵天国」にもある。「この宝物を持ってこれなければお前の女房は貰うぞ」というわけで、かぐや姫の「この宝物を持ってこれなければあなたの妻にはなりませんよ」とは逆であるが、「権力者の求婚とそれを拒む女の対決」という構図は同じである。

斑竹姑娘」の竹娘は、横暴な権力者の求婚を拒んで貧しい竹取の若者と結婚する。これを、「昔話としては不自然、創作の匂いがする」と評する声もあるのだが、昔話に登場する女が全て「玉の輿に乗る」ことを至上としているわけではない。孟姜女のように、ついには命を捨てるほどに拒む女も登場する。無論、苦しい生活からの支配階級への憎悪がそのような展開を生むのだろうけれど、そうして生まれたものもまた、純粋な「民話(昔話)」であろう。

 ともあれ、この「権力者が人妻を奪おうと、夫に難題を課す」モチーフで与えられる難題は、「雷の捕獲」「独りでに鳴る太鼓」など、今昔物語版で竹姫が求婚者に与えるものと共通している場合があり、イメージの貸し借りがあったものと思われる。更に、権力者に狙われる妻は、竜女、天女、瓜姫(小さ子)など、普通の人間ではない女神だったとされることが多く、その点でも「かぐや姫の物語」に近い。

 

  さて、最後になるが、「竹取物語」でかぐや姫が要求する五つの呪宝について解説して、この文章を閉じようと思う。

 

仏の御石みいしの鉢

 これは釈迦が終生重用した鉢で、悟りを開いたときに四天王が現われて四つの鉢をくれたのを、重ねて押して一つの鉢にしたものだという。四リットルもの容量があるだの、黒っぽくて光沢があるなどという。

竹取物語」の作中では、「光やあると見るに、蛍ばかりの光だになし」とあり、本物ならば光り輝いていなければならないらしい。

 

蓬莱ほうらいの玉の枝

 蓬莱とは中国の伝承にある島山で、東海の彼方に浮いているなどという「理想郷」である。その蓬莱にある宝石で出来た木の枝、というわけだ。

 今昔物語版では、恐らくこれに当たるだろうものとして「優曇華の花」が指定されており、「竹取物語」中でも、庫持の皇子が玉の枝を持って帰還したとき、人々が「庫持の皇子は優曇華の花持ちて上り給へり」と噂している。このことから原話では「優曇華の花」だったものを「蓬莱の玉の枝」に改変したのではないかという見方があるが、優曇華の花には「幻想的な花」の他に「とてつもなく珍しく素晴らしいものの例え」という意味もあるので、ただそれだけの慣用句として使われただけなのかもしれない。

 

 この世に存在しないような珍しく素晴らしい植物(冬のバラ、黄金のりんご、唄うドングリなど)を取って来いと命じられるモチーフは、神話伝承では珍しくはない。たとえば、ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、西の果ての黄昏の国へ黄金のりんごを採りに行く。

 伝承上、黄金のりんごは「不死の薬」とほぼ同義の意味を持っているが、『うつほ物語』には「『蓬莱の悪魔国に不死薬、優曇華取りにまかれ』と仰せられるとも、身の堪えむに従ひて承らむに」とあり、優曇華もまた、異界にある不死の薬と同列のものとされていたことがわかる。

 

 中世日本の物語を読んでいると、黄金や銀で作った細工物の梨や橘の枝、というものが「財宝」としてよく出てくる。「玉の枝」は比較的ポピュラーな「宝」だったのだろうか。

 

火鼠の皮衣かわぎぬ

 火鼠の皮衣とはどういうものか。作中で確かな特徴として語られていることと言えば、「火で焼けない」ということぐらいである。

 これは中国の古書、『魏志』『捜神記』『神異経』などに記載された「火浣布」の伝承によるらしい。

 遥か西方に崑崙という山があり、この山を囲んで燃える山々がそびえている。その山頂には永遠に燃える木があり、雨が降っても消えることはない。この猛火の中に牛より大きな一匹の鼠がおり、体の重さは二斤、毛は二尺もある長毛で、火の中では真っ赤だが、外に出ると白くなる。火から出たところに水をかけるとたちまち死ぬので、その毛で布を織って着物を作る。この着物は水で洗う必要がない。というのも火の中に投じれは真っ白になるからだ。火であらう布なので、「火浣布」という。

 この布は、実際に西域から中国の皇帝に献じられていたといい、どうやら石綿アスペストで織った布だったらしい。石綿アスベストの有害性が非常に恐れられている昨今だが、かつては珍重されていたのである。

 

 さて、現実の火浣布はどうやら白い色だったらしいが、伝承上では「火」のイメージから赤い色が想像されていたきらいがあり、「斑竹姑娘」に登場するそれの贋物は「真っ赤」である。「竹取物語」が書かれたと思われる平安初期には、赤い華美な服が流行っていて、それを「火色」などと呼んだ。ところが、こんな贅沢、こんな色が様々な災い、特に火事を呼ぶのだとの意見があり、何度か禁止令も出されている。「竹取物語」に火鼠の皮衣が出るのは、こんな世相を風刺しているのだ、との説がある。

 ところで、作中、阿部御主人の持って来た贋物は、「皮衣を見れば紺青の色なり。毛の末には金の光し輝きたり」と描写されている。これは、どうやらてんの毛皮のことであるらしい。黄貂の毛皮は黄色(金色)で、毛の根元は白く青みがかっている。まさに、「竹取物語」での描写そのままだというわけだ。貂の毛皮で作った皮衣は大変な贅沢品で、権力者の象徴であり、やはり、火色の服と同様に禁止令が出されていた時期があるという。

 

 余談になるが、火鼠の伝説は、西欧では火トカゲサラマンドラの伝説として語られていた。12世紀、中央アジアにキリスト教の国があると信じられており、その王プレスター・ジョンが東ローマ皇帝に送ったとされる偽書簡が西欧中に流布したが、その中に、「我が国ではサラマンドラという虫を産出する。この虫は火中に棲んで繭を作り、その繭から糸を紡いで布を織る。この布を綺麗にするには、火中に投じればよい」とある。

 サラマンドラの皮で作った鞄は燃えることがなく、貴重品を入れておくのに適するとされた。

 

たつの首の珠

 竜が如意宝珠なる宝石を首または手に持っていることは、よく知られた伝承ではないかと思う。

竹取物語」の五色に輝く「竜のくびの珠」もこの伝承に基づくものだと私は思うのだが、そうではなく、「竜のあぎとの珠」が正解で、それは竜の歯のことだ、との説もある。正倉院に納められた宝物に「五色龍歯ごしきのりゅうし」なる石薬があり、正体は象の歯の化石なのだが、「五色」で「竜」なのだからこれがモデルだというのである。

 実際にどうなのかは分からないが、龍蛇が首または頭に持つ「願いを叶える石」の伝承は、中国から西欧にまで見受けられる。

 スペインでは、ドラゴンの脳から、その血が固まって出来る真紅の宝石が採れるとされた。しかし、生きたドラゴンの首を打ち落として頭を開くのでないと、血は宝石に固まらない。そのため、魔法使いは調合した穀物を撒いてドラゴンを眠らせ、その首を落として宝石を取るのだという。イタリアの『ペンタメローネ』に「雄鶏の石」という話があるが、ここでは、貧しい男が唯一飼っていた雄鶏の頭の中にどんな願いも叶える宝石が隠されている。二人の魔法使いがこの石を取り出そうとするが、秘密を知った飼い主の男は自ら石を取り出し、それを指輪にして、あらゆる富を手に入れるのだった。これは【魔法の指輪】または【犬と猫と指輪】として世界中に見られる話型で、蛇を助けたり飼っていたりした男が、その蛇から宝石や指輪を授かる、と発端を語るものもある。

 

つばくらめ子安貝

 子安貝は実在の貝で、タカラガイ科の巻貝のことである。古くは貝貨としても使われた。卵のように丸くて美しく、割れ目の部分は女性器の形にも似ている。これらのことからか、安産のお守りとして愛好された。

 一方、燕は日本には毎年春になるとやってくる渡り鳥で、つまり異界から定期的に訪れる神の使いのように認識され、春〜豊穣を運ぶ使者として好まれたらしい。

 以上のことを組み合わせて、「燕の子安貝」なるアイテムが創作されたというのだが、前掲の中国の伝承で、黒い鳥(一般に燕と解釈される)が女の前に五色の卵を落とし、これを飲んだ女が殷の建国の王を産んだ、という故事も、あるいは関連するのかもしれない。

 

 漢方薬に「石燕」と呼ばれる石がある。半円形で放射状のひだがあり、翼を広げた燕を思わせる形をしたそれの正体は、実は化石だ。二枚貝に似た古生代の海生腕足生物・スピリファーで、粉末にして眼病治療薬に用いられた。

 ところで、南方熊楠の『燕石考』によれば、西欧にスワローストーンの伝承があり、年頃になった男児が燕の巣漁りをして、その不思議な石を探す風習があったと言う。燕は浜辺か何処かからその不思議な石を拾ってきて、患っている雛の目にその石を当てて癒すのだと。一説に、スワローストーンは瑪瑙のような小石で、安産や万病に効く薬、お守りになるとされた。

 スコットランドの海岸部には木の実から生まれる黒鴨バーナクル・グースの伝説がある。古い時代には、木材に付いた烏帽子貝バーナクルから黒鴨が生まれるとも言われていたらしい。烏帽子貝は黒鴨の卵だというのである。

『出雲国風土記』に、猿田毘古神の叔母・宇武加比売ウムガイヒメ(ハマグリの女神)が法吉鳥ほほきどり(鶯)に化したとある。貝と鳥は観念上近しく、入れ替え可能なものであったらしい。鳥が暖かい時期は空を飛び、寒くなると水中に入って冬眠するという観念は世界に見られる。中国には、燕は冬は河で冬眠するという俗信があったし、西欧にも「冬に河に投網したら冬眠していた燕がかかった」という題材の絵があると言う。

 一説に、スワローストーンは燕の雛鳥の体内に生じるとされた。燕が子安貝を産むという『竹取物語』内のエピソードに、どこか似ているようにも思われる。

主な参考文献

『竹取物語(全)』 角川書店編 角川ソフィア文庫 2001.
『語られざるかぐや姫 昔話と竹取物語』 高橋宣勝著 大修館書店 1996.
かぐや姫の里から』 WEBサイト
作家 秦 恒平の文学と生活』(電子版・湖の本47『なよたけのかぐやひめ』) 秦恒平著 WEBサイト
最上研究室』(トゥーランドット物語の変遷/トゥーランドット物語の起源) WEBサイト
原田 実の幻想研究室』(かぐや姫考) 原田実著 WEBサイト

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