>>参考 [力太郎・寝太郎型]
昔あるところに爺さんと婆さんがおって、爺さんは山へ木を切りに、婆さんは川へ洗濯に行った。洗濯しょうたら、上から"うっかりうっかり"桃が流れてきて、食うてみたら美味かった。
「もひとつ流れぇ、爺にやる。もひとつ流れぇ、爺にやる」
と言いよぅたら、間もなく また上から流れてきて、婆さんは喜んで持って帰って、それを
「ああ、婆さん、今帰ったぁ」
「爺さん、今日不思議なことがあった。川ぁ洗濯ぃ行ったら、大きな桃が上から流れてきて、食うてみたら美味かったけぇ、『もひとつ流れぇ、爺にやる」言いよぅたら、また流れてきたけぇ、櫃ぃ入れて取っとるんじゃ」
そう言うから行ってみたら、どうしても櫃が開かん。それでマサカリを持って割ったら、大きな男の子が出てきた。
「お爺さん、お爺さん、こりゃあ思いがけもない。ウチにゃあ子供がおらんのに、男の子がなんと桃から生まれたんじゃが、桃太郎いう名ぁ付きょうか」
「そりゃあ えかろう」
こうして、桃太郎が大きくなったある日のこと、近所の友達が桃太郎を山仕事に誘いにやって来た。
「桃太郎さん、木を取りに行きましょうや」
「行ければいいんじゃが、なんにも道具の用意が出来とらん」
それで友達は桃太郎を残して行って、また次の日誘いに来た。
「桃太郎さん、木を取りに行きましょうや」
「今、荷縄を作っているところだからダメじゃ」
また次の日になった。
「今日は行きましょうや」
「今日は作った荷縄の仕上げをせにゃならんからダメじゃ」
それから毎日、友達が誘いに来ると「背負子を作っているからダメ」「背負子の仕上げをするからダメ」「
「さあ、今日は支度が整うたけぇ行くかなぁ」とようやく言った。
それから奥山に行って、友達は木をカンカン切る。桃太郎はというと、切株の根元でいびきをかいてグウグウ寝る。
やがて、友達が「桃太郎さん、もう帰りましょう」と言うと、「わしゃあ まだ薪束をひとつも作っておらんのじゃ」と言う。友達が「分けてあげようにも、わしらも分けられるほど作れておらんのでな」と言うと、桃太郎は「ほんなら、わしゃあ、この木の株を掘り起こして帰る」と、大きな切株をごっそり抜いてしまった。
桃太郎は荷縄を掛けて家に戻ってきた。
「ああ、お爺さんやお爺さん、今帰りました」
「ああ、ご苦労じゃったなぁ」
「これはもう乾いとりますけぇ、どこへ下ろしましょうか」
「庭に負うて入れぇ」
「庭に下ろしゃあ、庭が吹っ飛びますで」
「そんなら、風呂場の口ぃでも下ろしねぇ」
「風呂場の口ぃ下ろしゃあ、風呂場が吹っ飛びますで」
「そんなら、今度ぁ上の木小屋へ負うて上がって、木小屋へ下ろせぇ」
「木小屋が吹っ飛びますがのう」
そう言いながら桃太郎は背負っていたものを下ろしたところが、どおうっと木小屋が吹っ飛んでしまった。
昔こっぷりどじょうの目。
参考文献
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』 野村純一著 吉川弘文館 2000.
とんと昔もあったそうな。
昔、爺さんと婆さんが桃太郎さんと一緒に住んで、その日その日を何事もなしに、気楽に過ぎはいしよったそうな。
天気の悪い雨の降る日は、爺さんと婆さんは、おちらしを
今日も爺さんと婆さんは仕事に出かけようとしよったが、
「お前も大きゅうなったんじゃきにのぅや、小まい子供のように日にち毎日、遊んでばっかりおらんと、ちったぁ
と言うて山へ行ったそうな。そして、
桃太郎さんは、家の足すになることしようと思うて山へ出かけたが、木ぃ切ったこたぁなし、柴丸けたこたぁなし、仕事する
「お爺さん、今戻んて来た」
と言うて、担いできた木をずしりと家に立てかけた。そしたら、バリバリバリと家が潰れてしもうて、爺さんは飯ぞうけに首突っ込んで、婆さんは雑炊鍋に首突っ込んで死んでしもうたと。
参考文献
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』 野村純一著 吉川弘文館 2000.
桃太郎さんは爺さまと婆さまと三人で一緒に住んでいたそうです。
ある日のこと、桃太郎さんは近所の友達と山へ柴刈りへ行く約束をしました。二、三日して友達が誘いに来て呼びました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、山へ柴刈りへ行かんか」
桃太郎さんはこう返しました。
「今日は
あくる日、友達はまた誘いに来て呼びました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、山へ柴刈りへ行かんか」
「今日は草鞋のひきそを引つきよるけん明日にしてくれ」
またあくる日、友達はまたまた誘いに来て呼びました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、山へ柴刈りへ行かんか」
「今日は草鞋の緒を立てよるけん明日にしてくれ」
更にあくる日になって友達が呼びに行くと、桃太郎さんは「今度はさぁ行こう」と言って、二人で連れ立って山へ行きました。
山に着くと、友達は一生懸命に柴を刈りますが、桃太郎さんは一本の大木に
家に帰り着くと、桃太郎さんは「ヤレヤレ、疲れた」と、持って帰った大木を家のひさしにポンと立て掛けました。ところが、あんまりにも大きい木だったので、家はガラガラと崩れて、爺さまと婆さまは下敷きになって死んでしまいました。
桃太郎さんは爺さまと婆さまを助けようと瓦礫の中を探し回りました。すると大きな
盥は、やがて海の真ん中の島に流れ着きました。そこでは青鬼と赤鬼が相撲を取っていて、見ていると赤鬼がコロン、と投げ飛ばされて負けていました。
「赤鬼、ウワーイ!」
桃太郎さんが野次を飛ばすと、赤鬼は怒って「赤い豆やるきん黙っとれ」と言って赤い豆をくれました。それからまた見ていると、今度は青鬼がコロン、と投げ飛ばされて負けていました。
「青鬼、ウワーイ!」
桃太郎さんが野次を飛ばすと、青鬼は怒って「青い豆やるきん黙っとれ」と言って青い豆をくれました。それからまた見ていると、今度は赤鬼と青鬼が一緒にコロン、と転んでいました。
「赤鬼、青鬼、ウワーーイ!」
赤鬼と青鬼は怒って、桃太郎さんに撃って掛かりました。桃太郎さんは二匹の鬼を束にして、海の中へポーーンと投げ込んでしまいました。それから鬼の住処の宝物を取って、家へ帰ったそうです。これでおしまい。
参考文献
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』 野村純一著 吉川弘文館 2000.
※個人的に、桃太郎話の中では最も印象に残っている、かつ、人に話すとウケる話。
異能ゆえに両親を殺してしまうブラックユーモアな前半と、後半の鬼ヶ島行きがうまく結合していない。両親を救おうとしていたのが、どうして唐突に鬼ヶ島へ向かうのか。鬼ヶ島とは冥界でもあるのだから、もしかしたら死んだ両親を探しに行ったのだろうか。それにしても、何故 盥で……。
実は、福島県の[一寸法師]の類話の中に、一寸法師が小さな盥に乗って旅立つ話がある。この一寸法師は、後に鬼ヶ島へも行く。絵本の「一寸法師」に慣れているとピンと来ないかもしれないが、「一寸法師」もまた、異常誕生した小さ子が鬼が島に行って鬼退治する話なので、エピソードの混交が起こったのだろう。(冥界へ行って、鬼が相撲を取っているのを見てからかうのは、[一寸法師]型の鬼退治である。)
ところで、鬼がくれた赤い豆と青い豆とは何だったのだろう。そういえば、「達斡爾のシンデレラ」にも赤い豆と青い(緑の)豆が出てくる。乙女たちがこれを拾って食べると、処女懐胎して娘を産み落とすのだった。つまり、赤い豆と青い豆とは、神桃や黄金りんごと同じ、「生命の果実」なのだろうか。
昔、あったと。
お爺とお婆がおったんやて。お爺は山へ柴刈んに行くし、お婆は毎日川へ洗濯に行ったんやと。そしたら、川の上の方から でっかい桃がぷかりぷかりと流れてきたんやと。あらあんまり美味そうで、お婆は拾うて食べてみたんやて。そしたら、大変美味しくて食べてもうたんやて。ほいで、こりゃお爺にも一つ あげんならんさかい言うて、
もひとつ来い、爺におましょ(あげましょう)
って呼ばったんやて。そしたらまた本当に川上からふかふかと流れて来たんやと。ほたらそれを拾うてぇ、家持って帰って、箱の隅に入れておいたんやと。ほいで、お爺が晩方 山から帰ってきたんやて。
「今日は川行ったら桃が流れてきて、拾って食べたら大変に味が良かったんや。お爺ちゃんに一つ食べさしてみよと思うて、『もひとつ来ぉい、爺にあげよ』て言うたら、また一つ流れて来たんじゃ。そこな箱の隅へ入れてあるんじゃが、お爺ちゃん食べるか」
「ほんなら出してきてくれ、わしも食べてみる。そんに美味しいんなら」
それでお婆が出しに行ったんやと。そしたら桃が二つに割れて、赤ん坊が座っとったんやと。
「あらぁ、おかしな。お爺ちゃんに桃あげようと思ったら、こんな立派な赤ん坊の男の子が座っとるんじゃが、何でやろか」
二人は「わしらにゃ子供もおらんのじゃに、爺ちゃん婆ちゃんの子にしておこう」って、桃太郎って名前付けて、可愛がって養うておいたんやて。
そしたらだんだん大きなって、十五、六歳にもなったと思うたら、だんくら坊(イタズラ者)になって、もう、しようがなかったんやて。隣の じっと
「そういうイタズラをするなら、わしの言うことを聞け」て言うたんやて。そしたら、「何でも聞く」て言うたんや。
「そんならぁ、お前そんなにイタズラがしたいんなら、鬼ヶ島行って鬼の牙 取って来い」
「よし分かった」
桃太郎は家帰って、だけど考えて、お爺に相談したんやて。
「そう言うんだが、わしゃ行ってもよいか。それなら今生の別れみたいなもんじゃさかいに黍団子を持たせてくれ」と。そしたらお爺とお婆はな、
「そうか、それなら仕方がない。お前がそれだけ言うんなら、黍団子くらいしてやるさかい、お前は強いんじゃさかいに、行ってみて手柄を立てて来い」
て言うて、黍団子をいっぱい
「ほういっ」
って呼ばって、石がこんころぉっと転んでくるんじゃて。それで「何じゃ
「わしゃ鬼ヶ島へ鬼退治に行くんじゃ」
「お前の腰につけとんのは何じゃ」
「これは日本一の黍団子」
「ほなら、私にそれを一つください。お伴して行きまっさかい」
それで一つ黍団子を出してやって、その"からすけ太郎"っていう人を連れて行ったんやて。
それで、暫く行ったらまた、
「ほおうっ」
って呼ばるんじゃ。また大きな石がこんころぉっと転んでくるんじゃって。
「こら怪しからん、また一つ
「わしは柿太郎っていう人じゃが、あんたらどこへ行くんじゃ」
「わしらは鬼ヶ島へ鬼退治に行くんじゃ」
「ほんなら、あんたのその腰ぃつけとるのは何ですか」
「これは日本一の黍団子じゃ」
「一つ下さい。私もお伴するさかい」
そしてまた一つ出してやって食べさしたんやて。そして、三人が鬼ヶ島へ鬼退治に行ったんじゃて。
そうしたところが、鬼はでかい金門閉めて、中におるんじゃって。そしたら桃太郎がなぁ、「からすけ太郎、ぱあっと蹴れや」って言ったんやて。それで、ぱあんと門を蹴ったんじゃと。ところが、ちっとも音もせん。開かなんだんじゃって。そいでまた、「柿太郎、ぱあっと蹴ってみい」って。それでぱあっと蹴ってみて。何も音も沙汰もせん。ちょっとも開きかけもしない。そしたら、桃太郎が
「やっぱり弟子じゃいかんな。わしゃ蹴ってみるかぁ」って言うてパアンと蹴ったら、ギイッと開いたんやて。そして、
「お前ら、弟子やさかい先に入れ」て言うて、からすけ太郎を一番先に入れたところが、鬼は呑んでもうた。今度は柿太郎を入れたんやけれども、それも呑んでしもうたんや。そしたら桃太郎 腹を立てて、
「弟子をみんな呑んでしもたんじゃ。承知せん、戦うてやる」って言うて、鬼に手向かったんじゃて。そして鬼をやっつけたんやと。強いんじゃの。そしたら鬼は、「勘弁してくれ、友達も出してやる」て言うて、鳥の羽根 取って来て燃やして飲んだんじゃて。そして喉をカァスカァスて言わせたら、からすけ太郎がヒョイと出たんやて。
「一人出たさかい、も一人出してくれにゃ承知せん」
鬼はまた喉をカァスカァス言うとったら、喉からまた、今度は柿太郎が出て来たんやて。そして、
「こいでまぁ三人になったさかい、今度はお前を征伐してやるさかいに覚悟しろ!」
て言うて、三人が戦うて、鬼も何もメチャメチャにしてしもうたんやと。そしたら今度は鬼の牙を取って、
「これで じっと殿に言い訳が立つさかい、帰ろう」
て言うて、出て帰ったんじゃと。
そうしたところが、帰り道で日が暮れたら小さい狭い小屋があって、中を覗いたら桃太郎の養い婆がいて、ゴオゴオゴオゴオと
「お前らどこ行ってきたんじゃ。何か取りに行ったんじゃろうが、それをちょっこり見せてくれ」
「鬼ヶ島に鬼の牙取りに行ったんじゃないか。取って来たのがこれじゃ」
「どりゃ、お婆にちょっと見せてくれやい」
それで、ちょっこり見せたんじゃて。
「どら、どんなもんじゃ、手に載せて見せてくりゃれ。
婆が小さい頃から養うた子じゃに、夏は扇の風、冬は
それで、手のひらに載せてやったんじゃっと。そしたら、それは鬼じゃったんじゃの。でっかい風が吹いてきて荒れて、そこら辺りじゅう見えんようになって、その婆も臼もみんな飛んで行ってしもうて、何もおらんようになってもうたんや。
桃太郎、からすけ太郎、柿太郎は、
「一人は海を探すし一人は山を探すし一人は天を探して、もしや鬼の牙が取れん場合には三人で海にはまってボンボオッて死んでしまうか」
って相談して。そして死んだんじゃって。
そうろうべったりかいのくそ。
参考文献
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』 野村純一著 吉川弘文館 2000.
※なんと、失敗して全員自殺してしまうアンハッピーエンドである。
類話を参照して物語を補足しておくと、じっと殿(ぢとら殿)は鬼の牙以外の難題も課してくる。まずは「打たなくても鳴る太鼓」、次に「灰の草履を作ること」。最後に鬼の牙を取ってくるように命じられる。
これを、元々は「陸を走る船」のような、難題婿のエピソードだったのだろうと解釈する向きがあるが、そうとばかりは言えないだろう。「英雄アイリ・クルバン」や「ちびっこの甘露」、はたまたギリシア神話のヘラクレスや日本神話のヤマトタケルを参照するに、異能の英雄が彼を怖れた権力者に次々と難題を課せられるエピソードは、妻求ぎとは独立して、普通に見られるものだからだ。
また、類話で見ると、からすけ太郎、柿太郎の入っていた石は、山から転がり落ちてきたのを桃太郎が蹴り割る。最初の石は一蹴りで、次の石は二蹴りでないと割れない。「こんび太郎」や「英雄アイリ・クルバン」にある、旅先で襲い掛かってきた異能の男と戦って負かして子分にする、というエピソードの簡略化であろう。
鬼は焼いた柿の葉を呑んで柿太郎を吐き出し、焼いた鳥の羽を呑んで からすけ太郎を吐き出す。「からすけ太郎」とは、恐らくは「烏毛太郎」か「カア助太郎」で、カラス(鳥)の化身なのだろう。柿太郎は、柿の実から生まれた英雄か。
また、最後の鬼婆を吹きさらう風は、彼女の回していた臼から出たという。
鬼の牙を、養母に化けた鬼が取り戻しに来るくだりは、渡辺綱が一条戻橋で鬼の片腕を斬り、後に乳母に化けて現れた鬼に奪い返される話と同じモチーフであるが、世界に普遍的な「女(母)の裏切りで異能の英雄が破滅する」というモチーフが暗示されているようにも思う。
参考--> [力太郎]
昔、西塩田町前山の鉄城山の
大蛇は岩屋の中で赤ん坊を産み、それを鞍岩の上に置いて、針の毒で死んだ。それ故に、今でも川の名を産川と呼び、大蛇の骨が下流に散らばっているとて、その辺りの岩群を蛇骨石と呼ぶ。
大蛇の産み落とした赤ん坊は川を流れて行き、二里余り下流の泉田村大字小泉の老婆に拾い上げられて育てられ、その名を小泉の小太郎と呼ばれた。
小太郎は極めて背の小さい少年だったが、大変な大食らいで、しかもまるで働かず、毎日遊んでばかりいた。十六歳になったとき、老母がたまりかねて「おれもこの年ではお前に食わせるのが難儀だ。少しは手助けしろ」 と言うと、小太郎は小泉山へ行き、山中の萩を刈り尽くして、それをただ二束にまとめて持ち帰った。そして
「この束は結び縄を解かねぇで、必ず一本ずつ抜き取って焚きな。山中の萩だから」
と、老母にくれぐれも注意したが、母は それを小馬鹿にして、小太郎の留守中に縄を解いてしまった。その途端、萩の束は恐ろしい勢いで爆ぜくり返り、家いっぱいになって、母は押しつぶされて死んでしまった。
今でも小泉山に萩が一本もないのは、小太郎が刈り尽くしてしまったからである。また、小太郎の子孫には代々、脇腹に蛇の鱗の模様があるという。
参考文献
『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.
※劇やアニメ映画にもなり、もはや「昔話」として半ば認知されている松谷みよ子の創作民話「龍 の子太郎」の原作として有名な伝承である。
この話はここで終わってしまうのだが、西へ山を越えて松本地方に出ると、小泉小太郎と同一と思われる、日光泉小太郎または白竜太郎と呼ばれる英雄の偉伝が、川会神社の縁起として伝わっている。
犀竜と小太郎
景行天皇の十二年頃まで、今の長野県の松本・安曇の一帯は満々と水をたたえた湖であった。犀竜 が住んでいた。その東の高梨という処に白竜王と名乗る男がいて、犀竜と交わって子をもうけた。鉢伏山で生まれ、放光寺山辺りで育ったその子を日光泉小太郎、または白竜太郎という。
この湖には一匹の
後に母の犀竜は己の姿を恥じて湖に姿を隠した。母を探して旅立った小太郎がようやく彼女と再会できたのは、熊倉下田の奥の尾入沢だった。母は言った。
「私は、諏訪大明神の変神なのです。氏子を繁栄させるために竜に姿を変えました。さあ、私の背に乗りなさい。二人でこの湖を突き破り、水を引かせて人の住める土地に変えましょう」
そこで小太郎が母の背に乗ったので、尾入沢を犀乗沢と呼ぶようになった。二人は山清路 の巨岩を突き破り、水内 橋の下の岩山を突き破って、流れ出した水は千曲川を辿って遠く越後の海まで達した。それで、犀乗沢から千曲川に合流するまでを犀川と呼ぶ。こうして水が引いて平らな土地が現れたので、人々が次第にそこに移り住み、田畑を開いた。
この仕事が済むと、母は夫の白竜王を尋ねて坂木の横吹という処の岩穴に隠れ、小太郎は有明の里に帰って住み着き、妻子を得て幸せに暮らした。しばらく年月が過ぎたとき、川会に父母が来て小太郎と対面した。父の白竜王は「私は日輪の精霊である」と明かし、妻と共に仏崎の岩穴に隠れ去った。それからまた年月が過ぎたとき、小太郎も「私は鉢伏権現の生まれ変わりだ。この里を必ず守護しよう」と言い残して、父母と同じ仏崎の岩穴に隠れ去った。そこで、人々はその地に川会大明神の社を建てて、小太郎の神霊を祀ったのである。
このような、英雄が山を破って湖を干して土地を作った、という伝説を"蹴裂 伝説"と言い、各地に見られる。大抵は、金属の道具を持っていた、またはその製作技術を有していた先進的な技術一族がいて、彼らが開削作業を行って土地を拓いた……そういう歴史的事実が伝説になったのだと解釈されているようである。