桃ノ子太郎  佐々木喜善:著 『紫波郡昔話』 日本 岩手県紫波郡

 父と母が花見に行き、弁当を食べようと休んでいると、母の腰元に桃が一つ転がってきた。それを拾って帰り、綿にくるんで寝床に置くと、桃が割れて子供が産まれた。桃ノ子太郎と名付けた。

 桃ノ子太郎は成長し、父母が畑に出た後で留守番をして勉強していた。すると、家の裏口の柿の木にカラスが飛んで来て、地獄から手紙を持ってきた、と鳴いた。その手紙は鬼からで、「日本一の黍団子を持ってきてくれろ」と書いてあった。桃ノ子太郎は父母に黍団子をこしらえてもらい、地獄へ旅立った。

 地獄の門を叩くと鬼どもが出てきて、「黍団子ひとつ、ごもっとも」と言う。一つずつやると、鬼はそれを食べて酔って寝てしまった。その間に桃ノ子太郎は地獄のお姫様を車に乗せ、急いで逃げ出した。鬼が目を覚まし、火の車で追ってくる。危うく追いつかれそうになったが、桃ノ子太郎たちの車が海の上に出たため、鬼はそれ以上追ってこれず、仕方なく引き返していった。鬼の火の車は、水の上は走れなかったのだ。

 桃ノ子太郎はお姫様を家に連れ帰った。このことがお上に聞こえ、金をもらって長者になり、安楽に暮らしたという。



参考文献
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』 野村純一著 吉川弘文館 2000.

※「桃太郎」に妻ぎのモチーフが入っていることは珍しい。しかし、柳田國男はこれこそが「桃太郎」の原型であり、完全な形のものであると主張した。(個人的にはそうは思わないが。)

 この他、「桃太郎」で妻求ぎのモチーフが現れているものといえば、

岩手県磐井郡

 婆が洗濯に行き、川で大きな桃を拾う。爺が鉈で切ろうとすると男の子が出る。鬼が出て悪さをするので、黍団子を持って鬼ヶ島に鬼退治に行き、雉、猿、犬をお供にする。相手が強くて手こずるが、鬼に酒を飲ませて酔わせ、退治する。鬼にさらわれていた娘たちを助け出し、宝物を持って帰る。

福島県

 婆が「赤い手箱こっちへ来い、黒い手箱あっちへ行け」と言って拾った赤い箱を持ち帰り爺と開けると子供が入っている。お椀で食わせるとその分だけ、臼で食わせるとその分だけ大きくなり、大男になる。猿、雉子、犬を連れて嫁探しに出かけ、雉子が山の向こうに見つけた娘を嫁にする。

などがあるようだ。

 なお、私はまだ読めたことがないのだが、日本民話の会の『決定版日本の民話事典』によれば、「桃太郎」が他の物語と結び付けられて語られる場合、「酒呑童子」と結びついて大江山の鬼退治になっているものが最も多いという。ということは、「鬼にさらわれていた女(たち)を救う」という桃太郎も、案外と多く語られているのだろうか。

 そういえば、「桃ノ子太郎」の黍団子を食べた鬼達がみんな酔ったようになって寝てしまう、というエピソードも、「酒呑童子」の神便鬼毒酒のそれと共通したものだ。

 御伽草子の「酒呑童子」によれば、

 源頼光は帝の命を受け、碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田公時ら四人の部下を連れて、大江山に巣食う鬼を退治に向かった。道中、三人の白ひげの老人と出会う。彼らは鬼どもに妻子を奪われたので鬼を討つために来たと言い、頼光に神便鬼毒酒の入った竹筒と星兜を渡したが、そこで消えた。彼らは住吉明神、岩清水八幡、熊野権現の三社の神だったのだという。

 頼光らが老人に教えられたとおり川上に進むと、一人の娘が泣きながら血のついた衣を洗っている。彼女は鬼にさらわれてきた娘の一人で、鬼はさらってきた娘を抱いて、飽きると殺して食べてしまうと嘆いた。娘の案内で鬼の住処に入り、出された血や人肉を怖れずに飲み食らい、気を許させて神便鬼毒酒をふるまった。この酒は、鬼が飲めば魔力を失うが、人間が飲めば力がつくのだった。

 酒呑童子か酔って寝室で寝てしまうと、三社の神がその手足を四方の柱に縛り付けて寝室の戸の鍵を開いた。頼光らは躍り込んで酒呑童子の首を落とした。首はすぐに死なずに頼光に食いついたが、星兜のおかげで何事もなかった。

 頼光らは生き延びた姫たちを都の父母に届けて感謝され、天下に勇名を轟かせたという。

 

参考 --> 「補江総白猿伝

 鬼が飲めば力を失い、人が飲めば力のつく神便鬼毒酒は、スサノオがヤマタノオロチに飲ませた酒と同じものであろうし、西欧や中東の民話に出てくる「生命の水と死の水」と同じものでもある。英雄が異界に行くと、姫が魔物に囚われて妻にされている。そこには水の入った二つの器があるが、英雄は姫に教えられて予め器の位置を入れ替えておく。やがて魔物との闘いになるが、魔物は傷つくと一方の器に入った水を飲む。生命の水を飲んだつもりだったのだが、器が入れ替えられていたので死の水を飲んでしまい、傷は治らず力が下がる。英雄はもう一方の器の水、即ち本物の命の水を飲んで力をつけ、ついに魔物を倒して姫を救い出す。このモチーフは、中国や朝鮮半島(韓半島)の類話にも出てくる。

 香川県の桃太郎の類話では、桃から生まれた桃太郎が犬・猿・雉を連れて鬼ヶ島へ行く途中、一軒家で爺に酒一升と鬼の豆をもらったという。鬼ヶ島に着いて穴に鬼の豆を入れると鬼が出てくる。この鬼に酒を飲ませ、酔ったところを退治した。姫は出てこないが、これも酒呑童子型桃太郎であり、桃ノ子太郎が鬼に黍団子を振舞って酔わせるのと同類の話だと言っていいだろう。


 ところで、桃ノ子太郎が地獄の姫君を連れて車で逃げるシーンを読むと、私は『御伽草子』にある「梵天国」を思い出さずにいられない。以下、概略を書いてみよう。

梵天国  日本 『御伽草子』

 淳和天皇の御代に、五条の右大臣高藤という、賢く美しく裕福な男がいたが、一人の子供も授からないので悲しんでいた。夫婦で清水寺に参って祈り続けたところ、七日目に、美しい僧が現れて磨いた玉を大臣の左の袖に入れる夢を見た。ほどなく妻は身ごもって若君を産んだ。二歳のときに父に従って内裏に上がり、帝に褒められて侍従の位や領地を賜わった。七歳になると笛の演奏がことに優れていた。成人すると光るようで、父はこの子を非常に愛していたが、母が死に、父も侍従が十三歳の春に死んでしまった。

 侍従が父の供養のために笛を吹いていると、七日目の真夜中に紫雲が天下ってきた。それには天女や童子が十六人、そして王冠を被って金の輿に乗った、威厳ある風貌の官人が一人乗っていた。官人は涙を流し、
「そなたの供養の笛の音は梵天国にまで達し、その孝心に誰もが感動した。私には一人の姫がいるが、来たる十八日に嫁に参らせよう。我こそは梵天王である」
と言って、再び天に消えた。約束の日に言われたとおりにして待っていると、えも言われぬ美しい姫が着飾って大勢の天女や童子を従えて天下ってきた。二人は夫婦になり、永遠の愛を誓った。

 この話を帝が聞いて妬んだ。やがて侍従は中将になったが、帝に呼び出されて、「そなたの妻を七日間内裏に参らせよ」と言う。それが嫌なら、迦陵頻(半女半鳥で美しい声で鳴く想像上の鳥)と孔雀を呼んで、七日間内裏で舞わせよ。それが出来ないなら日本には住まわせない、と。中将は承知して帰り、姫に相談すると、簡単なことだとすぐに迦陵頻と孔雀を呼び寄せ、七日間舞わせた。

 しかし、それを見ると帝の恋心はますます募った。それから二十日もしないうちに、今度は「鬼の娘の十郎姫を七日間内裏へ参らせよ。それが出来ねば、そなたの妻を召し上げる」と言う。それを聞くと姫は笑い、「彼女は私の父に仕える召使いですから、参らぬことはありません」と言って呼ぶと一瞬で現れた。十郎姫は何処で着替えたのかも分からないが、七日間毎日違う衣装で現れ、何をしても人より優れている。七日目が過ぎると、フッとかき消えてしまった。

 帝は、あれほど素晴らしい十郎姫を召使いにする梵天王の姫はどんなに素晴らしいだろう、とますます恋心が募る。今度は「天の鳴神を呼び下して、七日間内裏で鳴らせてみせよ」と命じた。姫は八大竜王を呼んで内裏に行かせ、中将には耳と目を守る冠を与えた。果たして、内裏では雷光と轟音が鳴り響き、人々は帝も含めて半死半生になっていた。しかし、中将だけは冠のおかげでなんともなかった。中将が「静まりたまえ」と言うと、竜王たちは立ち去った。

 五十日後、帝は再び中納言を呼んで、「そなたの妻の素晴らしさに私は惹かれるばかりだ。今度は梵天王の直々の御判を取って来てくれ」と言った。それを聞くと姫は泣いた。

「私はあなたと結婚したので、その間は人間であり、梵天国へ昇る事は簡単ではありません。中納言殿が行くにも、遠い道なので、別れている長い間どうすればいいでしょう」
「しかし、行かねば中国や百済に流されるだろう。それくらいなら、いっそ内裏へ行っておくれ」
「愚かなことを言わないでください。火の中水の底までもあなたと共にいます。いいですか、私の言うとおりにして下さい。七日間身を清め、北西の方向に行けば、大木の下に三頭の馬がいます。中で一番痩せた馬を牽いて来てください」

 そして連れて来た馬に金三千両分の大豆を食わせると、身を三度震わせて上質の黄金のような毛並みになった。

「この馬を、明日の朝六時に東向きに立たせて乗りなさい。馬が身震いして足を掻いたら、両目をきつく閉じて、決して開けてはなりません。もう一度馬が身震いしたら開けてください」

 言われたとおりにして目を固くつぶって鞭を当てると、馬は天空に駆け上がった。

 やがて馬が三度身震いしたので目を開けると、梵天国に着いていた。そこは砂地で、山も里もなく、果てしなく平坦だった。内裏は金の門銀の門、敷き詰められた砂は黄金、建物は宝石である。中に案内されると、天女がお盆に酒や長さが一尺もある米のご飯などを載せて運んできた。
 それを食べようとすると、隣の部屋に骸骨のような者が鉄の鎖で八方に繋がれているのに気がついた。その者は例の米を見て「一口下さい、飢えて死にそうなのです」と嘆く。中納言は大変優しい人物だったので、ご飯を少し与えた。するとたちまち鎖を引きちぎり、残りのご飯も奪い食って、暴風雨を起こして空に飛び出ていった。やがて梵天王が出てきて、
「困ったことをしてくれた。今の乞食こそ、羅刹国のはくもん王という者で、姫が七歳のときに奪って妃にしようとしたのを、四天王に捕えさせて縛めていたのだ。この国の慣習で、千日捕えて八つ裂きにして捨てるのだが、明日が千日目なのに逃げられた無念さよ。今与えた飯は、普通のものではない。一粒食べれば千人の力がつき、千年の齢を保つ。大事な客と思って出したものを奴に与えるとはうかつなことよ。はくもん王は姫を奪い、羅刹国へ逃げてしまった。この米を食べたために神力を得てしまったのだ」
と泣く。中納言は衝撃を受けながらも御判をもらい、大勢に見送られながら再び例の馬に乗った。

 地上に戻るとまず内裏へ行って御判を渡し、家にとって帰したが、姫はさらわれてしまっていた。中納言は悲しみのあまり髪を切り、清水寺に行った。そこで「もう一度姫に会わせて下さい。それが叶わぬのなら、命を取って来世で会わせて下さい」と願った。すると八十歳ほどの老僧が夢枕に立って、「姫君の行方が知りたいなら、これより修行をして、筑紫の博多へ行くがいい。そこから船に乗れば、千日目には必ず分かるだろう」と言う。そこで博多から外国へ向かう船に乗ったところ、十三日目に嵐に遭って、どこかの国に流れ着いた。

 港で心細く笛を吹いていると、背が高く色の黒い人々が集まってきて感心する。「多分、これは日本人だろう」と言うので「ここはどこですか」と訊くと、「ここは羅刹国。ここの王ははくもん王」と答えた。日本からここに流れ着いて住み着いているという老夫婦が家に住まわせてくれた。やがて笛の噂が届き、はくもん王が中納言を内裏に呼び寄せた。日本を恋しがる姫のために笛を吹けというのだ。笛の音を聞いて、姫はすぐに中納言だと分かった。

 そのうち、隣の国の王から勅使が来て、はくもん王は三千人の手勢を連れ、三千里走る車に乗って「五十日しないうちに帰る」と出かけていった。姫は母の供養のため七日間修行者に笛を吹かせる、その間侍女たちも全員それを聞きなさい、と命じて、酒を飲ませた。七日経つと侍女たちは酔いつぶれて寝てしまった。中納言はいつ名乗ればいいだろうとタイミングを計りかねていたが、風が御簾を吹き上げて互いの目が合ったことがきっかけになった。

「私を連れて逃げてください」
「私もそうしたい。しかし再び奪われて辛い目に遭わせるのは嫌です。私はどうなってもいい。ただ、いつまでも笛を吹いて聞かせましょう」
「いいえ、連れて逃げてください。三千里駆ける車ははくもん王が乗っていきましたが、二千里駆ける車があります。これに乗りましょう」

 姫は中納言を車寄せに案内して袖を引っ張ったので、中納言は夢とも現ともつかないまま車に乗った。

 しかし、車は真の主のはくもん王に忠義立てしてか、なかなか飛び立たない。そうこうするうちに侍女たちが目覚めて、姫と修行者がいないことに気付いた。報せを受けて、はくもん王が戻ってくる。「あの修行者こそは日本の中納言だったのです」と聞いて、怒髪天を衝いて目を車輪のようにし、車に飛び乗った。

 恐ろしい形相のはくもん王が部下を引き連れて追って来るのを見て、中納言は「あなたをまた辛い目に遭わせることになる」と嘆いた。姫は「今は言っても仕方ありません。いっそ、一緒に海に沈みましょう」と言う。その時だった。迦陵頻と孔雀が現れて、迦陵頻がはくもん王の車を後ろに蹴り戻し、孔雀が姫の車を先へ先へと蹴り出した。そして二羽で一緒にはくもん王の車をポンポン後ろに蹴り戻し、ついには奈落の底に蹴り落としてしまった。

 中納言と姫君の車は懐かしい五条の我が家に戻った。しかし屋敷は荒れ果て、人の気配はない。しばらくすると、奥の方から人が一人出てきた。見れば、仕えさせていた蔵人である。涙に咽んで「君が出家なされてより今日まで、六十六ヶ国を尋ね参らせましたが、どこにおられたのです」と言う。内裏に参内すると、梵天国だけでなく羅刹国まで見てきたというのは素晴らしい、と、丹後と但馬の両国を与えられた。中納言はこんな憂鬱な都は早く離れようと、急いで丹後へ下った。

 こうして八十歳になると、中納言は久世戸の文殊に、姫は成相の観音になって現れたという。羅刹国で宿を貸してくれた老夫婦は、成相寺の鍵取りの御前になったということだ。


参考文献
『御伽草子(上)』 市古貞次校注 岩波文庫 1986.


参考 --> 「鬼の子小綱」「呉堪」【竜宮女房

 これは[笛吹き婿]に属する話である。主人公が魔法の車や船、魔法の馬に乗って逃げていくと、後ろからもっと性能のいい車や馬に乗って鬼が追ってくるという展開は、フランスの「緑の山」など、様々な国の伝承で見ることが出来る。いわゆる呪的逃走の一種である。



桃の子太郎と魔法師の娘  中国 ミャオ

 二軒の家の土地の境に桃の木があり、ある年、並外れて大きな実が生った。それが落ちて、中から一人の男の子が出てきた。その子を桃の子太郎と名付けて、両家の人が一緒に育てた。

 桃の子太郎は立派な若者に成長し、川のほとりの野原で牛の放牧をして働いていた。川の向こう岸に、いつも美しい娘が洗濯に来ていて、二人はやがて恋唄を歌い合う仲になっていた。

 そんなある日、娘の流した絹の布が橋に変わったので、桃の子太郎は橋を渡って向こう岸に行き、娘と一緒に娘の家に行った。ところが、娘の父親は恐ろしい人殺しの魔法師だったのだ。魔法師は暗くなって帰って来ると、すぐに「人臭いぞ」と言った。娘は包み隠さずに桃の子太郎のことを話した。魔法師は「部屋を掃除してその男を泊めろ」と言ったが、娘は父の魂胆を見抜いていた。

 娘は父の降魔衣を盗み、それを着て寝るように桃の子太郎に指示した。果たして、真夜中になると妖鬼たちが現れて桃の子太郎を食い殺そうとしたが、降魔衣を着ていたので手出しできなかった。

 翌朝、元気な桃の子太郎を見て魔法師は驚いた。そこで山へ野焼きに誘い、周りから火を放って焼き殺そうとした。娘は小鳥に変身して飛んできて、カニを取り出して穴を掘らせ、二人でその中に入って難を逃れた。

 翌朝、元気な桃の子太郎を見て魔法師は驚いた。今度は樹木のうっそうと茂った山を示し、ここに粟を蒔くから木を全部切り倒せと命じた。再び娘が現れ、呪術を使って木を全部切り倒し、残らず焼いてしまった。

 魔法師は驚いた。次に「明日、三斗三升三合の粟を蒔け」と命じた。娘の協力で成し遂げた。翌朝には「蒔いた粟を一つ残らず拾い集めろ」と命じた。これも娘の協力で成し遂げた。魔法師は舌を巻き、今度は「家の裏の竹林の竹を伐れ」と命じた。娘は「あれはみな大蛇です。伐る前に藤蔓で縛ってください」と教えた。おかげで桃の子太郎は噛み殺されずにすんだ。

 最後に、桃の子太郎は娘の指示に従い、魔法師が眠っている間に彼の呪傘を盗み出し、それで天空を飛んで娘と共に逃げ出した。しかし娘の注意したタブーを破ったため、大きな音と共に地上に落下した。その音で目を覚ました魔法師は、二人が逃げたことを知って矢を射かけたが、娘の協力でついに二人は逃げ延びた。



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

※原題は「桃李哥和魔法師的女児」。概略しか読めなかったので、記述が荒く申し訳ない。類話から類推するに、多分結末近くは「妻の機転でロバか馬の腹の下に隠れて矢から逃れる」というものだと思う。身代わりになった獣の血を見て魔法使いは桃ノ子太郎が死んだと思い、満足して手を引いた、という結末だ。



 いわゆる[魔法使いの娘]タイプの話。

 この話は日本神話の大国主の根の国下りにとても似ている。
 勿論、このタイプの伝承は世界的なもので珍しくはないのだが、「屋外で火を掛けられたところに獣が助けに現れ、穴に隠れて難を逃れる」という、あまり他では見られない同じ難題が現れている。
 大国主は一見して異常誕生した小さ子ではないが、「木に挟まれて殺され、そこから母の手によって復活する」「木の股をくぐって根の国へ行った」と語られているように、本来は植物から生まれた植物神であることが暗示されている。

 ところで、この話の桃の子は、二軒の家の間に生えた桃の木から産まれ、両家に育てられたとなっているが、全く同じパターンが、例えば中国漢族の「孟姜女」の伝承に出てくる。孟と姜という二軒の長者があり、姜の家の者がヒョウタンを植えたところが、そのつるが伸びて隣の孟家の前で実を実らせた。それがあまりに大きいので孟家の者が割ると、中に美しい女の子が座っていた。そこで孟姜女モンジャンニュイと名付けられたという。まるで瓜子姫のような彼女は、幸せな結婚をするが、その美しさゆえに権力者に狙われて、悲劇的な結末を迎えることになる。




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