小黄龍  中国 白族

 昔々、大理ターリーの近くの小さな村里に金持ちが住んでおり、その家で一人の若い娘が働いていた。

 ある日のこと、娘が谷川で野菜を洗っていると、山の上から緑色の桃の実が一つ落ちてきた。娘はこれを拾って食べたが、実は、これは龍の珠だったのだ。不思議や、娘は妊娠してしまった。

 娘の妊娠を知ると、金持ちの妻は「未婚の娘が身ごもるとは、ふしだらな!」と罵って、家中で娘を追い出した。娘は身を寄せるところもなく、毎日泣き暮らすしかなかった。ただ、下働きの老婆だけが彼女を哀れんで、主人に内緒で人を頼んで、村はずれの辺鄙な場所に小さな草ぶき小屋をこしらえてやったので、娘はその小屋で一人の男児を産んだ。

 子供が産まれる間際、どこからか一羽の鳳凰が現れ、翼を広げて小屋を風雨から守っていたが、子供が無事に産まれると、またどこかへ飛び去っていったという。

 母子には頼る人もなかったが、小屋の近くの金持ちが一頭の馬を飼っており、不思議なことに、この母の刈った草しか食べようとしなかったので、草刈りとして細々と生活を立てることが出来た。母は毎日草を刈り、その間は赤ん坊を野に寝かせてみのをかけておいた。仕事で手一杯で子供を構う暇がなかったのだ。けれども、子供が泣くとすぐに一匹の大蛇が這ってきて乳を飲ませる。そうして子供はズンズンと大きくなっていったのだった。

 三年が過ぎると、子供は草刈りが出来るようになった。そして毎日母に付いて荒地や草原に行っては仕事を手伝った。

 

 その頃、大理の湖に棲む大黒龍が、大切にしていた宝の衣をなくして、大慌てで自分の女房に尋ねていた。

「わしの宝の衣をどこにやった!」「私は知りません」

 実は女房が小白龍と浮気していて、夫の宝の衣を盗んで愛人に与えてしまっていたのである。そんなこととは知らない大黒龍は宝の衣が見つからないので癇癪かんしゃくを起こし、[シ耳]海アルハイの湖口をすっかり塞いで湖中を探し回った。湖の水位は日に日に高くなり、大黒龍が泳ぎまわったので、風が起こり、波が高くなり、水が溢れ出して、おびただしい田が押し流され、どれほどの人が溺れ死んだのか分からなかった。

 ある日のこと、子供は野良仕事から帰ると母に言った。

「母ちゃん、町に『大黒龍を倒した者には沢山の褒美を与える』という告示が出ているよ。黒龍の騒ぎでみんな怖がっていて、落ち着いて暮らすことができやしない。おいら、大黒龍をやっつけに行って来る」

 母親は驚いて行かせまいとした。けれども、子供は母親の手をかいくぐって出かけていった。

 子供は町に着くと、早速 告示をぐいっと剥がした。告示係の役人は、子供が告示を引き剥がしたのを見ると、手を振り上げて殴りかかろうとした。その場にいた人々が慌ててなだめた。

「まあ、殴ったりしないで、この子を県知事にお目通りさせて、どうやって大黒龍を退治するつもりなのか訊いてみればいいじゃないか」

 そこで、告示係の役人は子供を県知事の前へ連れて行った。県知事は、この子にただならぬ能力があるのを感じて、本当に黒竜退治が出来るかもしれないと考えた。

「子供よ、お前のように幼くては黒竜退治はおぼつかないぞ」

「大丈夫です。私の言うとおりにしてくだされば、きっと黒龍を退治することが出来ます」

「よろしい、お前の言うとおりにしよう。言ってみるがよい」

「では、鋼で拵えた龍の頭を一つ、鉄の爪を二対、刀を六振り、鉄で拵えた包子パオズ(肉まん)を三百、蒸した本物の包子を三百、それに、草で拵えた大きな龍を三匹、これだけ作ってくだされば、間違いなく大黒龍を退治してお目にかけます」

 県知事は子供の言ったとおりに、必要な品々を全て整えた。子供は鋼で拵えた龍の頭を被り、手足に鉄の爪をつけ、口に一振りの刀をくわえ、背に三振りの刀を結わえ付け、更に両の手に一振りずつの刀を持った。そして湖に入ったが、入る間際に人々に向かって、

「三匹の草の龍を湖に投げ込んでおくれよ。まず、大黒龍を草の龍と戦わせて疲れさせるんだ」と言った。それからまた言葉を継いで、

「おいらが湖に入った後、水面に黄色い水が湧き上がったら、すぐに本物の包子を投げ込んでおくれ。黒い水が湧き上がった時には鉄の包子を投げておくれ。そして、おいらが大黒龍を退治し終えたら、どうか芝を一塊り水に入れておくれ。その芝が流れ着いたところに、おいらのための廟を建てて欲しいんだ」

 子供はそう言って湖に飛び込むや、たちまち一匹の小黄龍に変わった。湖の中で大黒龍との戦いが始まって、水しぶきが数十メートルも上がった。大理の人々は沢山の木船を操り、しぶきの後を追いながら声援を送った。

 小黄龍は腹が減ると水の中から頭を突き出して食べ物を探した。すると水面が黄色く泡立つので、人々はすぐに小黄龍の口の中に包子をほうった。包子を食べると、小黄龍はますます元気に戦った。大黒龍は戦い疲れると、火鉢のような大口を開けて、あちこち食べ物を探し回った。すると水面が黒く泡立つので、人々はその口めがけて鉄の包子を投げつけた。大黒龍は飢えも収まらないし、お腹が痛くなってきた。

 こうして三日三晩戦いは続き、流石の大黒龍も弱ってきた。それを見るや、小黄龍は食べ物を探す大黒龍の大口の中へえいっと飛び込んだ。身に六振りの剣を帯びた小黄龍が腹の中で転げまわると、大黒龍は痛さのあまり湖の中を跳ね回った。黒い水しぶきが上がると、木船を操ってそれを追う人々が、なおも鉄の包子を投げ込んだ。内と外から挟み撃ちにされた大黒龍は、こらえきれなくなって苦しげに哀願した。

「小黄龍よ、早く出てくれ。腹が真っ二つに裂けそうだ。出てきてくれたらこの湖はお前に開け渡して、俺は他所へ行く。もう二度と戻ってこない」

「おいらをどこから出してくれるんだい」

「尻の穴から出てくれ」

「いやだね。うんちを出すようにおいらを出したと、みんなが言うに違いない。おいらを辱めるつもりか」

「それでは、鼻の穴から滑って出てくれ」

「馬鹿言え。鼻をチンとかんでおいらを出したと、みんなが言うに違いない。恥になる」

「それでは、耳の穴から潜って出てくれ」

「馬鹿言え、耳くそを掘っておいらを出したと、みんなが言うよ。駄目だ」

「黄龍よ、助けてくれ。もうたまらん。俺の脇の下から這い出してくれ」

「いやだね。おいらが這い出したところを挟み殺すに違いない」

「それでは、俺の足の裏に穴を開けて出てくれ」

「いやだね。穴を開けて出たところを踏み潰すに決まっている」

 小黄龍は、大黒龍の腹の中を またひとしきり転げまわった。いかな大黒龍もこれに耐えられるはずがなく、またもや小黄龍に哀願した。

「小黄龍よ、早く出てきてくれ。痛くて我慢できない。俺の目をくりぬいて出てきてくれ」

 ややあって、小黄龍は大黒龍の片目を抉り取って、そこから出てきた。このために、大黒龍は片目になった。片目の龍は江風寺チャンフォンスーの下の大岩に穴を開け、そこから怒江ヌーチャンに逃げ去った。大理平原に溢れていた水もこの穴から引いていき、大地がようやく姿を現した。江風寺の下の岩に開けられた穴というのが、今の天生橋ティエンションチャオの橋脚の下の穴である。

 この一件で大黒龍は大理の人間を非常に憎むようになったので、大理の人間が怒江を渡る際には、決して大理の者だと明かさないそうである。もし言おうものなら、たちまち船がひっくり返されてしまう。そのために大理の人間はみんな、怒江に行くのを嫌がる。「もしも怒江渡るなら、女房を嫁にやってから」ということわざすらある。

 小黄龍は大黒龍を退治した後、二度と人間となって岸へ戻ることはなかった。母親が湖の岸辺で幾度も息子の名を呼ぶと、小黄龍は水に潜ったまま応えた。

「母ちゃん、帰ってくれよ。おいらはもう母ちゃんと一緒に家へ帰ることは出来ないんだよ」

 母親は悲しんで、涙を流しながら

「帰れないなら、せめてお前の顔を一目見せておくれ」

と言った。黄龍が顔を水面に出すと、それが人間の顔ではなく龍の顔だったので、母親はアッと驚いてそのまま死んでしまった。人々はそれを見て痛ましく思い、みんなで彼女を葬った。それが終わると、かねて小黄龍に頼まれていた通り、芝を一塊り湖に投げ込んだ。小黄龍は一匹の小蛇になって芝の上に乗り、湖の流れに沿って漂い始めた。そして豊楽亭フォンルオティンまで漂うと、そこに止まった。人々はその地に廟を建て、また、小黄龍を緑桃村リュイタオツン本主ペンチュとして祀った。更に、大理の三塔寺の傍らには龍母祠を作った。



参考文献
『中国少数民族の昔話 ―白族民間故事伝説集―』 李星華編著 君島久子訳 三弥井書店 1980.

※現代日本では「洗濯」というと衣服を洗うことに限定されるが、古くは物を洗うこと一般をそう言った。よって、川で野菜を洗っていた娘が桃を拾うのは、川で洗濯していた娘が桃を拾うと言い換えて問題ないだろう。

 日本の「桃太郎」は、かつては「川で拾った桃を食べた爺と婆が若返り、子供を産む」という回春型が一般的だったとされる。この話では娘は最初から若いし夫もいないが、川で拾った桃を食べて妊娠する。柳田國男は、日本の桃太郎や一寸法師ら、水を流れてくる小さ子は水と関わると説いたが、この中国の話の小さ子は、まさに水神たる龍の子なのだった。

 この話は、冒頭は桃太郎的だが、後半の戦いのくだりは一寸法師を思わせる。刀を持って巨大な怪物の腹の中に飛び込み、中で暴れて、目を突き破って出る。そして怪物は殺されるのではなく「逃走した」と語られる。

 最後に母親が龍になった息子を見てショック死してしまうが、これには何か意味があるのだろうか。中国の「ひきがえる息子」やハンガリーの「力持ちのヤーノシュ」では、役立たず(異形)だった息子が立派な男に変身したのを見て、母親が喜びのあまりショック死するエピソードがあるのだが、関係があるのかどうか分からない。



金龍の仇討ち  中国 白族

 貧しい家に年若い娘がいた。毎日すき腹を抱えながら谷川へ行っては、地主の家の洗濯をしていた。

 ある日のこと、娘が洗濯をしていると、ふいに水の流れに乗って桃が幾つか流れて来た。娘は一つすくい上げて、すぐさま食べた。すると、ほどなくして赤ん坊を産み落とした。娘は驚いたが、ちょっと目をはなした隙に、赤ん坊は娘の手の中から谷川へ滑り込んで見えなくなってしまった。

 娘は続けざまに七つの桃を拾い、一つ桃を食べるたびに一人ずつ赤ん坊を産んでいった。七人の赤ん坊は最初の赤ん坊と同じように、どの子も娘の手の中から水の中へ滑り込んでしまい、姿を消した。

 娘が九つ目の桃を拾って食べている最中に、谷川の中の水神が突然話しかけた。

「今度の子は手元に残しておくのだ。水の中に入れてはならぬぞ。子供を産んだら、しっかりと抱いて家へ連れ帰り、よく面倒を見て育ててやるがいい。子供が大きくなったなら、きっとお前の役に立つであろう」

 水神の言葉が終わった途端、娘は九番目の子供を産んだ。娘は水神に言われたとおり、子供をしっかり抱いて家へ連れ帰り、心を込めて育てた。

 娘が父親のない子を産んだことは、すぐに隣近所に知れ渡った。年若い娘は恥ずかしくて、二度と地主の家へ仕事をしに行くことができなかった。代わりに芝草を刈ってそれを売り、暮らしを立てることにした。

 子供は七、八歳になると、もう背が高く体つきはがっしりとして、おまけに賢かった。娘は水神の言葉を思い出して嬉しくなり、子供を私塾に入れて学問をさせることに決めた。私塾の先生は、この子が生まれつき驚くほど聡明であることを見て取り、すぐさま入学を許した。

 金持ちの息子達は、貧しい子供が塾に入ってきたと知ると、一斉に目配せし、よってたかって馬鹿にした。

てて無し子が塾へ勉強に来たぞ」「誰もあいつに構うなよ」

 子供は塾に通ったが、先生以外は誰一人彼を構おうとせず、来る日も来る日も一人で行って一人で帰り、まるではぐれた燕の子のようだった。

 ある日、金持ちの息子達が貧しい子供に喧嘩を仕掛け、わざと彼を突き飛ばした。貧しい子供はカッとしてこらえきれなくなり、拳を振り上げて、金持ちの息子の一人に顔が腫れあがるほどのパンチを食らわせてしまった。金持ちの息子は、貧しい子供に勝てないと分かると、泣きながら家へ駆け戻り、父親に訴えた。地主である親は大声で喚いた。

「なんという乱暴者だ。貧乏人のガキの分際で、このわしを馬鹿にする気だな!?」

 地主の旦那は手下を大勢引き連れて、すぐさま貧しい子供の家へやって来た。そして「これから後、お前のところのガキがウチの子を叩くようなことがあったら、決して許さんからな!」と母親を脅しつけ、母親が借りていたわずかばかりの土地を全部取り上げてしまった。

 夜になって子供が塾から帰って来ると、母親は地主が来たことをすっかり話して聞かせ、「これからは、決して金持ちの息子達と喧嘩してはならないよ。私達は貧乏人で、人様に手出しは出来ないんだからね」と言い聞かせた。子供はそれを聞くと、すぐさま拳を固めて地主を殴りに行こうとしたが、母親が体をぶるぶる震わせながら「いい子だね、母さんの顔に免じて、我慢しておくれ」と懇願したので、流石に心が痛み、耐えて拳を収めた。

 子供は今までどおり、毎日塾へ通った。

 ある日、金持ちの息子達が、またもや嫌がらせにやって来た。子供はちょっとやり返した。ところが、彼は蚊を叩くくらいの調子で殴ったつもりだったが、なんと、地主の息子は死んでしまった。

 地主の旦那は子供が殺されたと聞くと、大勢の役人を遣わし、貧しい子供の家をぐるりと取り囲ませた。子供は形勢不利と知って、母親を背負って駆け出した。懸命に駆けながら、母親を慰めてこう言った。

「母さん、心配要らないよ。今はひとまず我慢するから。でも、いつかきっと母さんの仇を討ってやる」

 子供は、雲に乗っているかのような速さで、大河に沿って走り続けた。一度も休まずに走り続けるうち、喉がひどく渇いてきた。辺りを見回して、役人達がはるか遠くにいるのを確かめると、母親をそっと地面に降ろして、川岸に腹ばいになって川面に口を付け、ごくごくと水を飲み始めた。ところが、飲めば飲むほど渇きがつのり、飲み続けているうちに、とうとう大河の水が飲み干されてしまった。そして飲むうちに子供の体は金色の鱗に覆われていき、ついには黄金に光り輝く龍に変わっていった。

 金龍が川の洲に飛び込むと、川は再び溢れんばかりの水で満たされた。その中を金龍が暴れまわると、水が凄まじい勢いで溢れ出し、下関から一気に大理ターリー北門外へと押し寄せた。地主の家はあっという間に奔流に押し流され、人も建物も財産も、何一つ残らなかった。



参考文献
『中国少数民族の昔話 ―白族民間故事伝説集―』 李星華編著 君島久子訳 三弥井書店 1980 

※原題は「金龍報仇」。
 タイトルは「仇討ち」となっているし、子供が逃げながら「きっと母さんの仇を討ってやる」と言うのだが、母親は生きているはずだし、特に暴力を振るわれたというような描写もない。ちょっと奇妙な感じがするのだが、これは以下の類話を見ればなんとなく分かるかもしれない。

蛇の復讐  『捜神記』20 中国

 今の四川省に、貧しい老婆が一人暮らししていた。食事時になると、頭に角のある小蛇がベッドの辺りに出てくるので、可哀想に思って食べ物を与えて養った。蛇は次第に大きくなり、やがて一丈あまりにもなった。
 蛇は県知事の馬を呑んだので、県知事は老婆に「蛇を出せ」と迫った。老婆が「ベッドの下にいる」と言うので穴を掘らせたが、いくら掘っても出てこない。県知事はますます怒って、ついに老婆を殺してしまった。すると蛇は人に乗り移って、「何故わしの母親を殺したのだ。母の仇を必ず討ってやるぞ!」と大声で怒鳴った。
 その日から夜な夜な地鳴りが聞こえるようになり、それが四十日あまりも続いた。その日、人々は互いを見ては「何故お前の頭には魚が乗っているのだ」と驚き合った。そしてその晩、県城を含む四十里四方が陥没し、湖になってしまったのである。
 人々はこの湖を陥湖と名付けた。あの老婆の家だけは沈まずに残っており、漁師達は漁に出るときには必ずその家に泊まった。どんな嵐のときでも、この家の傍だけは波が凪いだからである。

 つまり、蛇息子の罪で母親が殺されたので、蛇息子が怒って水害を起こした……というイメージが根底にあったのだろう。
 この話の類話は、他にも『水経注』10や『王氏見聞・陥河神』などにある。

『水経注』10

 今の河北省の話。ある男が一匹の小蛇を拾って、担生と名付けて大事に育てた。ところが、蛇は大きくなると村人を噛んで騒ぎを起こし、男と共に牢に入れられた。しかし男は蛇を背負って牢から逃走した。すると県城が陥没して湖になり、県知事や役人達は魚になってしまったという。

『王氏見聞・陥河神』

 今の四川省の話。張という子の無い老夫婦がいた。爺は毎日渓谷へ行って薪を取って暮らしを立てていたが、ある日、洞穴で指を怪我し、血の一滴が小さな岩穴に滴った。爺は木の葉をその上に被せて家に帰った。数日後にそこに行って葉を取ると、血は一匹の小蛇に変わっていた。手のひらに載せて可愛がると懐くので、竹筒に入れて持ち帰り、家で飼った。蛇はどんどん大きくなり、二、三年で近隣の家の家畜を盗み食いするようになり、ついには県知事の馬も食われた。県知事は足跡を辿って張夫婦の家を探し当て、こんな恐ろしいものを何故飼うのかと責めた。爺は罪に服す覚悟をして蛇を殺そうとしたが、突然真っ暗になって雷鳴が轟き、県全域が陥没して池になり、張夫婦以外はみんな溺れ死んでしまった。その後、夫婦と蛇の行方は知れなくなったが、陥河神として祀られているという。

 

 ところで、娘は桃を食べて異能の子を産む。「小黄龍」を参考にすれば、この桃は竜珠(水神の精)なのだろう。ところで、女ではなく男が竜珠を呑むと、自分自身が竜になるらしい。

母恋いの洲  中国

 昔、四川省西部の平原がひどい日照りに襲われた。

 その辺りのある村にニエという姓の貧しい母と息子が住んでいた。息子の聶郎ニエランは気立てがよくて皆の人気者である。

 ある日のこと、聶郎は赤竜山のふもとの化竜溝という川のほとりへ草刈に出かけたが、草は枯れ果てている。がっかりしていると、土地廟の後ろから何か白いものが飛び出すのが見え、それを追うと、青々と下草が茂っている場所を見つけた。喜んで草を刈り、翌日に行くと昨日刈った草がもう伸びている。いっそこの草を家の後ろに植えてみようと思い、草の根を掘ると、掘った後の水溜りに輝く珠を見つけた。これは不思議な珠で、米の入った瓶に入れておけば米が山盛りになり、銭の中に入れれば銭が増えた。母子は近隣の貧しい人々に米を分けた。

 この噂を地主が聞き、珠を奪いにやって来た。聶郎は咄嗟に珠を呑んでしまい、地主は怒って、用心棒達に聶郎をひどく殴らせ、意識不明にした。

 聶郎は真夜中になって目を覚ました。喉が渇いた、水が欲しいと言い、ベッドから這いずり出して家の水がめを空っぽにしても、まだ欲しがって、とうとう川へ走り出した。稲光が閃いて雷鳴が轟き、気がふれたように川の水を呑む聶郎は、母親の目の前で赤竜に変わっていった。そして、それでも息子の足を掴んで離そうとしない母親に向かい、手を離して母さん、俺は竜に生まれ変わってこの仇をとってやる、と言う。そこへ、地主とその手下たちがやって来た。聶郎の腹を切り裂いて珠を奪おうとしていたのだ。川に飛び込んだ赤竜は大波を起こし、彼らを残らず水に沈めてしまった。

 母親は水の中の息子に呼びかけた。お前はいつになったら帰って来られるんだい。水の中から途切れ途切れに返事が聞こえた。石に花が咲き、馬に角が生えたら、水の世界に入った俺も家に帰れるよ……。それを聞いて、母親は息子が二度と戻らないことを知った。母親は大声で何度も息子の名を呼んだ。聶郎は去りながら、その度に振り返った。竜の振り返ったところには洲が出来た。母親が二十四回呼んだので、二十四もの洲が出来た。人々は、後にそれを「母恋いの洲」と呼んだ。


参考文献
『中国民話集』 飯倉照平編訳 岩波文庫 1993.

 

 なお、「喉が渇いて水をガブガブ飲む内に龍になる」という伝承は日本にもあり、中国やロシアには「(龍/巨人)が太陽を追って走るうち、喉が渇いて水を大量に飲み、腹が破れて死ぬ。豊穣がもたらされる」という伝承がある。この龍は黄色だったと語られ、つまり黄金色で、この龍自身が太陽だったと考えることも出来る。--> <小ネタ〜三匹のイワナ



リンゴ太郎  中国

 ある大きな山の麓に鬱蒼とした林があり、その中に二、三軒の小集落があった。中の一軒に住んでいる夫婦は李といい、最近 明霞村から引っ越してきたばかりである。夫の李四は農業で暮らしを立てており、暮らし向きは楽な方だったが、四十を過ぎて子供が無いのが悩みだった。

 ある日のこと、李四が暇つぶしに谷川の方へ出かけていくと、一人の老人がよろけながらやって来るのに行き会った。李四は気の毒に思い、素早く近寄って老人に手を貸し、遠慮がちに尋ねた。

「お爺さん、お見受けしたところ大分お年を召しておられるようですが、こんなところで何をなさっているんです?」

 すると老人は「わしはここに遊びにやって来たのじゃ」と答えた。二人はそこの岩の上に座って世間話を始めた。李四が子供に恵まれず寂しい思いをしていると打ち明けると、老人は李四の顔にまざまざと表れた悲しみを見て取って、しばらく沈黙した後、こう言った。

「見たところ、お前さんはなかなか善良な人間じゃ。よって、わしはお前さんが可愛い子を手に入れる、よい方法を考えたよ」

「よい方法があるなら、こんなにありがたいことはありません。それはどんな方法なのでしょうか?」

 すると、老人は懐から一個のリンゴを取り出した。

「さあ、このリンゴを家に持ち帰って割ってごらん。中から元気な子供が飛び出すから。その子はたちまち大きくなるだろう。名前は勿論、《リンゴ太郎》と呼ぶのがいいじゃろう」

 李四は何かを言おうとしたが、急にさわやかな風がサーッと吹いたかと思うと、もう老人の姿はどこにもなかった。

 李四は狐につままれたような心地だったが、半信半疑のまま、ともかくリンゴを持ち帰って、女房に仔細を話して聞かせた。そして包丁でリンゴを割ると、果たして、中から一人の可愛らしい男児が飛び出したのである。ここに至って、李四はあの老人は神だったのだと悟った。そこで老人が言ったとおりにこの子を《リンゴ太郎》と名付けた。

 不思議なことに、リンゴ太郎はズンズン大きくなり、一ヶ月も経たないうちに二十歳の若者くらいに成長していた。しかも、これといって教えたわけでもないのに、知らないことがないほどの大変な物識りである。両親は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 ところが悲しいことに、それから間もなく、両親は相次いで病死してしまった。独りぼっちになってしまったリンゴ太郎は、人を雇って留守居を頼み、お金を懐に、全国各地を旅歩きをすることにした。

 そんなある日、ある山の中を通っていたとき、日はとっぷりと暮れてしまったが先は長く、仕方なく野宿をすることにした。草むらで眠っていると、ふいに、耳元に自分を呼ぶ声がすることに気がついた。慌てて起きて辺りを見回すと、月の白い光の中に、自分をこの世に遣わした神がいるのを見た。リンゴ太郎が手を差し出して話しかけようとすると、それより先に老人は口を開いた。

「リンゴ太郎、お前はもはや孤児じゃ。お前がどうしてここに来たのか、わしはよく分かっている。たゆまず努力するがいい。そうすれば幸せになれること請け合いじゃ!

 今、お前に小石を一つやろう。もしも困ったことが起こったら、これを地面に投げるがよい。そうすればただちに力持ちの二人の女が現れて、お前の命令に従い、どんな難問もやってのけるじゃろう。

 だが、これだけは肝に銘じておけ。力を誇示しすぎてはいかん! 危険が起こりかねないからの。いいな。さらばじゃ。気をつけて行くがよい」

 老人は小石を渡すと、あっという間に立ち去っていった。

 夜が明けると、小鳥達がにぎやかに鳴き交わしていたが、リンゴ太郎はお腹がすいてたまらなかった。そこで例の小石のことを思い出し、それを地面に投げて転がした。するとどうだろう! 二人の美しい女が飛び出したのである。

「ご用はなんでしょうか、旦那様」

 リンゴ太郎は威厳をつけて言った。

「わしは腹が減って死にそうだ。すぐに食事をもってこい!」

 二人の女は承知して引き下がり、幾らも経たないうちに様々なご馳走を運んできた。リンゴ太郎は遠慮なくかぶりつき、満腹してから小石を拾い上げると、もう二人の女は影も形もなかった。

 リンゴ太郎はこの試用結果に大いに満足し、石を懐にしまうと旅を続けたのである。

 それから一年ほど経ったある日、リンゴ太郎はある国の都に辿り着いた。ちょうどその時、公主(姫)が暴風に連れ去られ、国王が

『公主を連れ戻した者には、公主を妻として与える』

というお触れを出していた。このニュースを聞くと、リンゴ太郎は急いで例の小石を地面に投げつけ、現れた二人の女に尋ねた。

「昨日、公主が暴風に連れ去られたという話だが、お前達、どこへ連れ去られたのか知っているか?」

「知っております。ですが、随分と遠いところです。ある国の険しい山の頂で、妖蛇に囚われております」

 これを聞くや、リンゴ太郎は王宮へと急いで、国王の前に進み出て言った。

「私が公主を助けてまいります。公主はある国の険しい山の頂で妖蛇に囚われておいでです」

「お前が本当に公主を連れ戻せたならば、公主を妻に与えよう。して、お前の名は何と言うのか」

「はい、リンゴ太郎と申します。公主を妻に戴くお許しを得ました。大変遠いところですので一ヶ月では無理ですが、行って参ります」

 言い終わると、リンゴ太郎はいずこともなく立ち去った。

 

 それから長い時が過ぎ去って、リンゴ太郎はやっと蛇の洞穴のある山に辿り着いた。そこでそこで例の小石を投げ転がすと、二人の女がパッと姿を現し、「旦那様、何のご用でしょうか?」と言った。リンゴ太郎は厳かに命じた。

「公主がこの洞窟にいる。すぐに連れ出して来い!」

 それを聞くと女達はすぐに洞穴の中へ入っていった。そして、瞬く間に公主を連れ出してきたのである。

 リンゴ太郎の喜びようは大変なものだった。さっそく女達に美味しそうな酒や肴を持ってこさせて公主をもてなした。食事をしながら二人は色々と語り合った。リンゴ太郎がこれまでのことを事細かに話すのを聞いて、公主はとても嬉しがった。彼が自分を救ってくれたことは勿論、ハンサムで勇敢で気立てが良いところも気に入って、是非彼と結婚して生涯尽くしたいと考えた。

 さて、国では王が心配のあまりジリジリしていたが、やがて公主とリンゴ太郎が手に手を取って王宮に姿を現したので、大変に喜んだ。さっそく大安吉日を選んで、二人の婚礼を挙げたのである。



参考文献
『中国の民話 銭塘江の高潮退治』 伊藤清司編訳、森雅子訳 株式会社大日本絵画 1981.

※原題は「蘋果郎」。

 子供の無い夫婦の片割れが川へ行って果実を入手し、それを家に持ち帰って割ると中から男児が出てくる。この導入部は「桃太郎」ととてもよく似ている。なお、子供の無い夫婦が思い悩んでいると、老人や女や魔神が来てリンゴをくれ、そのリンゴを夫婦で、または妻が食べると立派な子供を産む……という導入も、西欧や中東ではおなじみのものである。

 ただ、残念ながら後半は物語として崩れてしまっている……。公主を捕えていた妖蛇はどうなったのだろう? 多分、二人の女が退治してしまったのだろうが、リンゴ太郎自身は何もしていないし、老人の「力を誇示するな」という忠告も全く生きていないので、物足りない感じである。




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