七夕伝説のあれこれ

 行事としての七夕を見た場合、原型・由来・途中融合・後付けと実に複雑怪奇なのだが、ここでは《物語》としての七夕についてあれこれ思いをめぐらせてみようと思う。(行事としての七夕については、雑学考七夕の話」参照。「七夕関連の日本の星座」も。)

 

 

発祥と系統

 牽牛と織女の恋物語は、中国をその発祥の地とする。

 牽牛、織女の名を確認できる最古の文献は春秋戦国時代(B.C.770〜B.C.221)の詩を集めたとされる『詩経』だが、まだ物語性はない。役人がすべきことをしない、嘆かわしい例えとして書かれているだけだ。

 仰いで天を視れば、天の川があり、水が流れているように見えるが、我等 下民を潤してはくれない。三星が並び傾いている織女星は、日に七度も機に上って働いているが、天上の星のことなので、実際に綾織物を織り残すことはできない。明るく輝く牽牛星も、名ばかりで、牛で車をひいて物を運んでくれはしない。

 前漢(B.C.202〜A.D.8)の『史記』にもその名が見えるが、注目すべきは、ここでの《牽牛》は現在のものとは違う星座であるらしいことだ。どうやら二十八宿の牛宿(山羊座の頭の部分辺り)を指しているようで、現在の牽牛三星は河鼓という星座名で呼ばれているらしい。三つの星は牽牛と二人の子供ではなく、上将と左右の将だそうだ。

 この書の中で「牽牛は犠牲を為す」と書かれている。牽牛――牛宿は関所・道路・橋を司り、祭りの際に捧げられる生贄の牛や羊をも司っていたようである。中国の七夕伝説で牽牛は牛を殺して天に昇ったことを思い出す。一方、織女の方は「織女は天の女孫なり」と書かれている。

 さて、現代のような形にまとまった七夕伝説は、南北朝の梁代(A.D.502〜557)の『荊楚歳時記』を待たねばならない。

 天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々機織りの仕事をし 織った布は綿の雲となり、天衣となる。 天帝は娘の独り身を哀れみ 河の西の牽牛との結婚を手配した。嫁いだ後は機織りの仕事は廃れ 天帝は怒って責め、河の東に帰らせた。ただ、毎年七月七日の夜に河を渡って逢う

 ところが、この書の中で「七月七日に牽牛と織女が天河で会う」というエピソードが漢代の『擬天問』にある、と書かれている。また、詩集『文選』に収められた前漢のものとされる詩に、天の川の女が、機を織りながら河に隔てられた牽牛星を想い雨のように涙を落とす、というものがある。つまり前漢の頃……紀元前二〜一世紀頃には、物語の雛型が成立していたと推測できるのである。

 一方、牽牛と織女を渡すカササギの橋のエピソードも、同様に漢代には存在していたらしい。唐代(A.D.618〜907)の『歳華紀麗』に引く後漢代(A.D.25〜220)の『風俗通義』に、「織女が七夕に天河を渡る為、カササギに橋をかけさせる」とある。また、元代(A.D.1271〜1368)の『歳時広記』に引く前漢代の『淮南子』に、「烏鵲カササギが河を埋めて橋を作り、織女を渡らせる」とある。(現行本にはない。)

 

 七夕伝説は大まかに分けると次の三つの系統になるようだ。

神の婚姻

 天の住人である牽牛と織女が結婚するが、仕事を怠けたために引き裂かれてしまう。

神と人の婚姻

 人間が、獣皮(羽衣)をまとって異界から現れた祖霊(精霊〜神)と結婚する。しかし祖霊は再び獣衣をまとって異界に帰る。人間は配偶者を追って異界に旅するが、難題を課せられる。失敗した、または聞き間違えたために夫婦は再び別れ別れになる。

人が神になる

 現世で引き裂かれた夫婦・恋人が、死して星となった。

 

「神の婚姻」が多分物語としては最も古いのだと思う。例の『詩経』の「織女星は機を織らず、牽牛星も牛をひかない」たとえからの想像かもしれない。仕事をしない役人が憂うべきものであるように、仕事をしない牽牛星・織女星は、神とは言ってもやはり罰されるのである。「人が神になる」は、どうも後世の創作っぽい。殆ど見当たらないし、物語が不自然だったり味気なかったりするので。「神と人の婚姻」は七夕の由来民話として最も広まっているもの。いわゆる異類婚姻譚、中でも羽衣説話(天人女房、白鳥乙女)の色合いが濃い。恐らくは、元からあったこのモチーフに、七夕伝説の味付けを施したのだろう。

 

羽衣説話の概略

「神と人の婚姻」――羽衣説話は、世界中にその類話を見ることが出来る。タイやインドの半人半鳥の女怪キンナラ、イランの妖精ペリ、オセアニアの火食い鳥の女たち。西欧の民話では、神の娘たちはしばしば白いハトの姿となって夜毎に黄金のりんごを食い荒らし、あるいは水浴びに現れる。

 多くの場合、彼女たちは羽の衣を着て鳥の姿になって現れるが、時にはイノシシなどの獣の姿で現れることもある。(その場合、夜毎に畑を荒らす。) あるいは、アザラシや帽子を被った人魚として現れたりもする。この羽の衣やイノシシやアザラシの皮を脱ぐと、美しい乙女に変わるのだ。日本の伝説では、神の娘達が鳥や獣の姿で現れることは既に忘れ去られていて、かろうじて《羽衣》という衣装の名にその痕跡が認められる程度になっている。

 いずれにしても、彼女たちは脱いだ衣・皮を見知らぬ男に奪われ、《渡り》の力を失って、そのまま男の妻にさせられる。(話によっては、異界まで彼女を尋ねて行った男と合意的に結婚し、自ら地上に行く。)子供は三人程度出来たと語られることが多い。

 結婚生活が幸福だったか不幸だったかは語り手によって左右されるところだが、結局、《渡り》の力を取り戻した途端、夫を(時には子供さえ)捨てて逃げ去ってしまうのだから、心の底から幸福な生活だったのだとは言えないのだろう。元々、無理やり結婚させられていたわけだから当然ではある。都会に住んでいるお嬢様が電話も電灯も無いような山奥に車で遊びに行って、見知らぬ山男に車のキーを奪われて逃げ道をふさがれ、妻にさせられたようなものか。キーを取り返せば即座に都会の我が家に逃げ帰りたくもなろうというものだ。

 妻が逃げ去ったところで物語が終わることがある。この場合、地上に残された子供たちが立派な人間、部族の始祖になったと語る。偉人がルーツに神の娘を持つという、始祖伝説である。

 一方、逃げた妻を男が追って行く展開になるものもある。普通の人間には《渡り》の力は無いのだが、超自然的援助者が現れたり、多少は愛情があったのか、逃げた妻自身が追う方法を示唆して去ったりする。そして男と妻と子供たちは再会するのだが、ここで「めでたしめでたし」となって終わる話は、あるにはあるがかなり少ない。大抵の場合、何かの失敗で男は妻子と引き離されて地上に戻されたり天の川で隔てられたりする。人と神の婚姻はそうそう うまくいくものではないのだ。ギリシアでは、ズバリ「女神に愛された者は死ぬ」と言われていたくらいである。水浴中に羽衣を奪った男はまんまと神の娘を妻にしたが、女神アテナやアルテミスの水浴を見てしまった男たちは、盲目にされたり鹿に変えられて生贄のように引き裂かれたりした。

《渡り》の衣装をまとった神の娘たちは、必ずしも天から舞い降りてくるわけではない。彼女たちの故郷は海の底だったり地の底だったりすることもある。羽衣説話の中でも、天から神の娘――星が舞い降りてくるものを、特に星型羽衣伝説といい、その中で夫婦が引き裂かれて年に一度逢うものを七夕型、優れた子供を残して天に去るものを七星型という。この神の娘は天の七星の一つが舞い降りたものとされているからだ。天の七星がスバルを指すのか北斗七星を指すのかは意見の分かれるところである。

 

天の川は海の彼方に

 中国では天の川を《天漢》と呼ぶ。これは甘粛省の幡家山から湖北省の武昌まで流れ、揚子江に注ぐ、漢水という実在の河に由来すると言われている。河の流れる方向が天の川と一致するからとか、七夕の頃、天の川が漢水に垂直に交わるように見えるからなどという。よって、川のほとりでの牽牛と織女の恋物語も、元は天ではなく地上での話だったのだ、と言われることもある。

 ところで、古い時代には天の川は地上の河や海と繋がっていると考えられていたらしい。実際、中国の七夕伝説の中には、織女が水浴びに地上に降りてきたのではなく、牽牛が川を遡って天の川に行き、織女を妻にする話もある。

『今昔物語』にも入っている、漢の張騫の伝説を引いてみよう。皇帝に「天の川の源を探って来い」と命じられた張騫は、筏に乗って川を遡っていった。(あるいは、筏に乗って海を漂流して行った。) すると不思議な場所につき、機を幾つも置いて織っている見慣れぬ服装の人と牛を連れた老人に会った。尋ねると「牽星と織女だ」と言い、「ここが天の川の源だから、もう帰るがいい」と言われた。張騫が帰って皇帝に報告すると、果たして、張騫の留守中の七月七日に、天の川に新星が現れたのが観測されていたという。

 天の川は天にあるもののはずなのに、そこに行くために地上の川を遡ったり海を漂流したりする。それは、天の川が地上と地続きの世界と考えられていた……というよりも、《水》という境界に隔てられた異界――別世界だが、《境界》を越えられればすぐにも行ける場所――と考えられていたことを示しているのだろう。

 古く、中国には東の海の果てに《蓬莱》という神仙の住む世界があると想像されていた。日本でも、海の向こうに《常世》という神の世界があると考えられていた。そこは、現実に母なる国――《祖先の住んでいた原世界》だったかもしれない。しかし、いつしか神話や伝説の中で、それらの国はこの世ならぬ異界――神の世界となり、祖霊の住む冥界となった。日本には、海の向こうから流れ来たものを、異界からやってきた神――《えびす神》として祀る風習もあった。

 富山県下新川郡入善町吉原では、七夕に男子中学生たちが「年に一度の七夕様よ、どこへ流そじゃ川すそへ、天の川原へ流れ込む 来年またございせ…」と唱えながら七夕船を担いで練り歩き、祭りの後は海の沖に押し流していたという。水に流せばそれが天の川に流れて行く、そして天の川に還ったモノは、翌年また現世を訪れると考えられていたことが分かる。

 

羽衣と牛の皮〜異界への《渡り》

 民話や神話を見ていると、主人公たちは異界へ行くために、実に様々な方法をとっている。単純に、案内人に導かれるものもあるが、大抵は動物に乗るか、自分が動物に変わるか。あるいは乗り物に乗るか。はたまた、道具を使うか。

 漫然と見ていると、何故そうするのか道理が分からなかったりして、突飛に思えたりする。その突飛さが秘密めいていて面白くもあるのだが。しかし、一つ一つじっくりと読んで解きほぐせば、実はこれらの道理は単純・簡単なのではないだろうか?

  1. 煙に乗る
     個人的印象としては、東南アジアの説話でよく見かけた。木や油を燃やし、その煙に乗って天界へ昇って行く。天へたなびく煙と魂を同一視した、ごく自然な想像であろう。雲に乗って行くというのもこれに近いイメージと思われる。日本の『竹取物語』で、かぐや姫が昇天した後、富士山から薬を焼いた煙が立ち昇ったり、『浦島子』で玉手箱の中から煙が立ち昇り、それと共に島子の魂が鶴となって乙姫の元へ帰っていくのも、根は同一のイメージなのだろう。
  2. 動物に変身して走る・飛んでいく
     古代社会において、獣に神性を見るのは普遍的な考えだったらしい。この世を去った祖霊は獣の姿になってあの世から帰って来る。つまり、祖霊の世界――異界へ行くには、訪問者自身も獣にならねばならなかった。また、多くの祭りや儀式で獣姿の祖霊は獣の皮や仮面をかぶった《扮装》で表されたためか、物語において《獣の皮をまとう》ことで人は獣に変身し、異界へ渡っていくようになった。西欧の民話を見ていると、殺害された者は獣になって、森や水路の向こうから夜毎に帰って来る。帰ると獣は皮を脱いで人の姿に戻り、夜明けにまた皮を着て獣になって去っていく。日本の「手なし娘」の類話の中に、死んだ母が閻魔に願って獣の皮をまとって現世に戻り、動物の姿で娘を助けるものがいくらもある。
  3. 動物に乗る
    1. 大きな鳥に乗って飛んで行く
       これは、人が想像する異界へ行く方法としては最も単純なものだろう。多くの古代世界で、死者の魂は鳥に乗って異界――冥界へ飛び去ると考えられていた。かつては死者の魂自身が鳥に変身すると考えられていたはずなのだが、《乗る》ことになったのは、一説では騎乗動物として馬が広まったからだとも言う。メソポタミアの神話では、キシュの町の王エタナは助けた鷲の背に乗って子宝の草を求め天界へ昇って行ったとされる。イスラエルの民話では、兄弟に騙されて地の底に落とされた王子が、助けた鷲の背に乗って地上に向かった。ただし、鷲が飛びつづけるには毎日肉を与えなければならない。最後の日に肉がなくなり、王子は自分のももの肉をえぐって与えて地上に帰還した。『千夜一夜物語』のシンドバットは、肉に自分の体を縛りつけ、ロック鳥にその肉をつかませて谷底から脱出する。このモチーフはロシアの民話などにもよく見られるもののようで、穴の底から脱出するため、主人公は牛や馬の死体に体を縛り付けたり、牛や馬の皮を被ったりする。すると、大きな鳥がこれをつかんで運び出す。
    2. 馬に乗って走る・飛んで行く
       馬に乗って走るのは分かりやすい。だが、飛ぶのは奇異な感じがする。しかし、鳥と馬が置き換えられることは、実は神話伝承ではしばしば起こることらしい。かつて《鳥》として認識・信仰されていたものが、時代が下って新たな動物として《馬》が日常生活に入ってくると、入れ替わるまたは融合するのではないかという。日本の「天の庭」のキーチャ殿は、イスラエルの王子が鷲にしたように、馬に握り飯を食わせながら天に駆け上っていく。 
    3. 大きな魚の背に乗る
       岩手の民話に、大鷲に絶海の孤島へ連れ去られた男が、鮭の大助オオスケと名乗る爺さまの背に乗ることで無事故郷に帰還できた、と語るものがある。鮭の大助は東北に伝わる伝承で、川を遡ってくる鮭の王であり、これが遡ってくる時の先払いの声を聞くと三日のうちに死ぬとされる。カナダ・インディアンやアイヌの伝承を紐解けば、この鮭は祖霊であり、水の底の国では人間の姿をして暮していて、人の国にくる時には鮭の肉と皮をまとってきて、それを富として人に与えるのであった。地方によっては、鮭の大助は八月十五日、お盆に遡ってくるとされる。異界と現界を行き来するモノだからこそ、異界に連れ去られた男を連れ戻すことも出来たわけである。同じように水を渡る生き物として、ビーバーや亀の背に乗っていく話もある。
  4. 動物以外の乗り物に乗る
     私の知る限り、船に乗ることが圧倒的に多い。しかも、この船は水を渡っていくばかりでなく、天空すらも翔けて行くのだ。現代の創作文学では、列車やバスに死者の魂が乗っていることが多い。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では、死者たちの乗る蒸気機関車は宇宙を翔けていった。
  5. 千足の靴
     この世から去っていった愛する者を追うためには、一千足の鉄の靴をすり減らさなければならない。つまり、そのくらい長い距離と時間探しまわらなければならない、生と死はそれだけ隔てられているということだろう。このモチーフは西欧の「失われた夫を探す妻」にしばしば現れる。異界に属する夫が、妻が禁忌を破ったために異界に去っていく。その際に、「また私に逢いたいなら鉄の靴を千足履き潰せ」と言い残すのだ。ところが、面白いことに日本の『天人女房』の類話に、恐らくこのモチーフの変形であろうものが出て来る。天からやってきた女房は、夫の隠していた着物を見つけて天に帰っていく。その際に、草履を千足作って追ってきなさい、と言い残すのだ。その草履を全て履き潰すまで歩かねばならないわけではなく、草履を作ると雲が来て運んでくれるのだが。しかし、一足足りなかったために、天まであと一歩で雲が止まってしまうのだった。他にも、「わらじを千足作って瓜の根元に埋めよ。そうすれば瓜が伸びて天に届くだろう」というものもある。この場合も、やはり一足足りなかかったためにあと一歩で瓜が天に届かない。
  6. 天地を繋ぐもの
     巨大な木(世界樹)を登る。瓜、豆、夕顔、茄子、竹等が一夜で天まで伸び、それを登って行く。天から綱や鎖、釣瓶、梯子が降りてきて、それに掴まって登る。
  7. 衣・皮をまとって舞いあがる
     獣への変身のイメージは時代と共に薄れていったようで、変身アイテムの皮は単なる《飛ぶための道具》に成り下がり、変身は行われないようになっていった。そうなるとアイテムが獣の皮である必要性も薄れ、単なる美しい服だとか、果ては帽子や、かんざしなどの装身具にさえ変わっていった。
  8. 以上のものの混合・変形
     日本の伝説で、兄二人の裏切りで地底の国に落とされた甲賀三郎は、自分でしとめた鹿の皮を剥いで四百八十六枚の焼き皮にし、それを七日ごとに食べつつ歩きつづけて地上に帰還した。「皮をまとう」モチーフと、「鳥の背に乗って鳥に肉を与えつづける」モチーフがいり混じっているように思う。ロシアの民話では、主人公は自分の馬を殺して皮を細い皮紐にし、それで編んだ袋に入って地下に降りていった。これも「皮をまとう」または「天地を繋ぐもの」のモチーフと「馬に乗る」モチーフの混合であろう。

 

 以上。織女の羽衣や中国の牽牛のまとう牛の皮は七番、日本の多くの彦星が伝って登る瓜のつるなどは六番になる。

 先に述べたように、牽牛が牛の皮をまとうのは、元々《変身》、《獣に変身して冥界に渡る》というイメージがあったのだろうと思う。祖霊トーテムは獣の姿で現界に渡ってくる。同様に、現界の者が異界に渡るためには、獣の姿にならねばならない。

 面白いことに、例えばシベリア諸民族、またはアフリカのジャガ族などでは、実際に死者の遺体を獣――多くの場合牛――の皮で包んだり巻いたりしていたそうである。古代エジプトにも、そのような埋葬の痕跡がある。後の私たちが、三途の川を渡るために六道銭が必要であると考えたように、死者が異界――冥界へ渡るためには、獣の皮が必要とされていたのだろう。

 日本の神話では、天孫ニニギが高天原から地上に渡ってきた時、真床覆衾まとこおうふすまなるものに身を包んでいた。神話だけでなく、天皇が即位すると、大嘗会の秘儀として実際に天皇がこれを被っているようだ。

 ところで、日本の遠野地方に、かいこ》に関する起源伝説がある。

 昔、老夫婦に美しい一人娘があった。家には一頭の牡馬が飼われていたが、娘はいつもこの馬と楽しげに過ごしていて、ついには夫婦になってしまった。父親は怒り、馬を桑の木の枝に吊るして殺し、皮をはいだ。すると、生皮が側で泣いていた娘をくるみ、天に飛び去った。老夫婦が嘆いていると、夢に娘が現れて、『三月十六日に土間の臼の中を覗いてください、中に馬の頭の虫が入っているから、それを桑の木の葉で飼えば絹糸が取れます』と告げた……

 この伝説の原型は中国のもので、類似の物語は日本各地にある。中には馬の現れない話もあるが、いずれも、娘が死んで代わりに蚕が現れる、死体化生のモチーフを持っている。虫が現れるのは桶や臼などの《空洞うつぼ》の中だが、中には、娘を包んだ馬の皮を見つけて剥ぐと、中に虫がうじゃうじゃ入っていたと語るものもある。馬の皮は娘の死体を包むものであり、また、娘を蚕に《変身》させたアイテムでもあったわけだ。

 娘が馬の皮に包まれ天に舞いあがる、という点は、牽牛が牛の皮をまとって天に舞い上がるのと似ており、面白い。

 

 さて。織女の羽衣が、《羽の衣》の名の通り、本来はそれをまとうと鳥の姿になる毛衣であったろうことは、ほぼ間違いないことだと思う。しかし、これに関しては別項[白鳥乙女]に譲ることにして、最後に、織女のもう一つのアイテム《かんざし》について少し考えてみることにしよう。

 織女とかんざしには、何故かちらちらと関わりが見える。中国の七夕伝承を見ていると、天の川は織女のかんざしで宙に引いた線から湧き出た、としているものが多い。日本の伝承で瓜が担っている役目を、中国ではかんざしが担っているわけだ。

 何故、かんざしなのか?

 日本の伝承における瓜。瓜はその中から天の川を湧き出させて夫婦の仲を隔てたが、しかし、瓜――つる性の植物は、一方では《渡り》の魔力を持つ、一度別れた夫婦を繋ぐ植物でもあった。『天稚彦の草子』では、夫を追う妻は《一夜ひさご》のつるに運ばれて天に昇っていく。瓜は、男女(天地――異界と現界)を隔てる力と繋ぐ力、両方を持っているわけだ。

 実は、同じことがかんざしにも言えるのではないか、と私は思っている。

 日本の滋賀県伊香郡余呉町に伝わる羽衣伝説の中に、こんな話がある。

 むかしむかし、余呉の川並に桐畑太夫という人が住んでいました。ある日のこと、太夫が余呉湖のほとりで遊んでいると、柳の枝に美しい衣が掛かっているではありませんか。家に持って帰ると、一人の美しい女性がやって来て言いました。

「柳の枝にかかっていた衣を知りませんか。あれは私の羽衣です。羽衣がなくては天に帰ることができません。どうか返してください」

「羽衣など知りませんね。よそへ行って尋ねなさい」

 太夫にこう言われて、天女はやむなく去って行きました。

 二、三日すると、天女はまたやってきて、泣く泣く言いました。

「私は天に帰ることが出来ず、寄る辺のない身です。どうか、私をこの家において下さい」

 太夫は喜んで天女を家におきました。二人の間に、その年には男の子が、翌年には女の子が生まれました。

 こうして、三年が過ぎました。ある日、太夫は箱の中に隠した羽衣をこっそり確かめておりましたが、それを天女が見ていました。太夫の目を盗み、天女は羽衣を手に取ると、さっと大空に飛び立ちました。

「あっ、お前、どこへ行くんだ」

「私は天に帰ります。もし、あなたが天に昇りたいと思うなら、ここから東の方角にある石の辺りにひょうたんを植えて、根元に私のかんざしを埋めて下さい。ひょうたんが成長したら、そのひょうたんのつるに乗って法華経を唱えて下さい。私が天へお誘いしましょう」

 そう言い残すと、天女は空の彼方に消えてしまいました。

 太夫は、急いで教えられた通りにひょうたんを植え、かんざしを埋めました。すると、一夜にしてひょうたんのつるが伸び、天へ届いていたのです。子供たちを残したまま、太夫は天女のもとへ昇っていき、二度と帰りませんでした。

 そんなわけで、桐畑太夫の子孫の家では代々、「ひょうたんを育ててはならない」と言い伝えているのだそうです。

 天女が羽衣を見つけて去る際に追って来る方法を示唆し、それが「つる性植物を植える、または何か道具を埋める」といったものなのは、日本の、七夕説話に結びついた多くの天人女房にもよく見られるモチーフである。それは「わらじ、草履」といった《移動する(渡る)ための道具》であったり、「黄牛」といった《渡りの力を持つ獣》であったりする。しかし、ここでは「かんざし」なのだ。つまり、かんざしも、実は《渡り》の力を持つ道具なのではないのか?

 この推測を裏付ける物語が、インドにあるようだ。インドの羽衣説話『スダナ・クマーラ・アヴァッダーナ』には、羽衣に相当するアイテムとして「宝玉のかんざし」が現れているらしい。

 中国の七夕伝説で、かんざしで引いた線から天の川が溢れ出す――このいささか荒唐無稽に思えるエピソードは、実は《渡り》の呪力を持つアイテムによって天女が異界へ飛び去る、そのモチーフを重複・変形させたものではないだろうか。




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