月の誘拐〜月が人を連れ去る話

>>参考 「呉剛と木犀の木

 

桶を担ぐ娘  シベリア ドルガン族

 アヌィスという孤児の娘が金持ちの家で水汲みや薪割りをして働いていた。太陽の無い冬の水汲みは特に辛く、凍り付いた川面に穴を開けなければならない。

 ある月の晩、水汲みに出たアヌィスは水面に映る月を見、泣きながら祈った。

「ご主人の家では私だけ家の中に入れてもらえず、犬に対するように戸口に食べ物を投げられ、服はぼろぼろです。私を慰め、一緒に寝てくれるのは犬だけです。お月様、どうか私をあなたのお側に連れていってください」

 こうして月には両手に桶をさげた娘の姿が見えるようになり、犬は月を見て吠えるようになったのである。



参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.



月を馬鹿にした娘  北西インディアン ハイダ族

 ある娘が水汲みの度に月を指差していた。

 ある時、井戸に水汲みに行って月にぺろりと舌を出すと、娘は月に引っ張り上げられてしまった。今も娘は灌木を掴み、水桶を持ったままの姿で月に立っている。



参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.



月の中の怪物  シベリア ショル族

 山に住んでいる七つ頭の怪物チェリベゲンが人間を取っては食うので、月が人間を哀れんで地上に降りてきて、ネコヤナギにしがみついているチェリベゲンを木の根っ子ごと引っこ抜き、天に連れていった。月の黒班は怪物がネコヤナギにしがみついている姿である。

 月が降りてきたとき、あまりの寒さに人々は家の中に入り、手は背中に隠して月を見ていた。だから顔は寒さに慣れたが、手は慣れなかったのだという。



参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.

※別説では、最初に人間を助けようとしたのは太陽だったが、地上に降りると人間が焦げだしたため月に頼んだのだともいう。

 北部ヨーロッパのこの系統の類話には、「昇天して日月星になる」「月の影になる」という要素がなく、単に化け物に追われて木の上に逃れて危ういところを救われる、というだけの話をよく見かける。ただ、注意すべきは、木の上に逃れた者を救う手助けをする者として、月や太陽の代わりに《鳥》が登場する点である。以下、リトアニアの類話の概略を述べる。

九つの頭の龍と九人の兄の妹  リトアニア 『ロシアの民話〈I、II〉』 ヴィクトル・ガツァーク編、渡辺節子訳 恒文社

 森の中の農園に九人の兄と一人の妹がおり、妹は遠くに嫁に行ったが、三年後に里帰りしてきた。道中、森の中で九つの頭の龍に出会った。妹は兄へのお土産に持っていた九つのピローグ(パイ)を次々に投げて逃げた。龍は一つの頭で一つずつそれを食べた。龍が荷馬車の馬を食べている隙に、妹は樫の木に登った。龍は荷馬車も食べてしまうと、樫の木に登れなかったので、その幹をかじりだした。

 妹は木の上から飛ぶカッコウに兄に危急を報せてくれと頼んだ。カッコウは飛んでいって兄たちの前で歌ったが、兄たちはカッコウが何を唄っているのか解らずに追い払った。カッコウが戻って妹にそれを伝えると、妹は自分の婚約指輪を抜き取って、一番下の兄のもとに運ぶように言った。指輪を見た九人目の兄はカッコウの歌に耳を傾けて理解し、他の兄たちと共に剣を研ぎ、猟犬に餌をやり、馬に飛び乗って出発した。

 龍は今にも木をかじり倒そうとしていたが、ひづめの音を聞いてカッコウに訊ねた。「上からなら見えるだろう。馬が森を駆け、犬が吠え、狩の角笛が聞こえる気がするが、本当にそうか?」。カッコウは「違う、森がざわめいているだけさ」と唄う。龍は安心してついに木をかじり倒す。その瞬間、九人の兄たちが駆け込んできて九つの頭を掻き切り、妹は救われた。

 これ以来、リトアニアの女たちはカッコウを家から追い払わなくなったという。

 

※人食い鬼に物を投げ与えながら逃げるくだりは[牛方山姥]や[狼ばあさん]を、鳥と問答している間に娘の兄たちが駆けつけてきて人食い鬼を退治するくだりは[青髭]を思わせる。

 なお、助けが間に合わずに娘が食い殺されてしまうバッドエンドバージョンはこちら

参考--> 「月の中の木犀の木」「太陽と月になった兄妹」「天道さん金の鎖」「シュパリーチェク



月読みの始まり  シベリア チュクチャ族

 トナカイの群れの世話をしている娘がいた。

 ある夜、トナカイそりに乗って帰宅途中、トナカイが空を見上げて娘に見るよう促した。見ると、月が二頭立てのトナカイそりに乗って娘をさらいに降りてくる。驚いた娘は自分のトナカイに頼んで雪の中に埋めてもらい、隠れた。

 こうして難を逃れ、家に帰ったが、再び月が現われることを恐れて、トナカイに頼んで灯明に姿を変えてもらった。

 現われた月は娘を探すが見つからない。帰ろうとすると娘が顔をのぞかせ、再び探すが見つからない。こんなことを何度か繰り返すうち、月は疲れて動けなくなり娘に縛り上げられてしまった。月は命乞いをし、「夜を昼に変え、一年を計る」という約束をして逃がしてもらった。

 それ以来 人々は月によって一年を計るようになった。一年の最初は老いた雄トナカイの月、次はトナカイの仔の産まれる月、次は水月、そして葉月…というように。



参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.

※チュクチャ族では月を長く見つめることを、月に連れていかれるとしてタブーとする。日本でも、満月を見つめすぎると月の桂男に招かれて寿命が縮まる、と言っていた。




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