>>参考 「牛飼いと織姫」【白鳥乙女

 

中国の七夕伝説1  「述異記」 中国

 天の川の東の岸に、大変美しい仙女が住んでいた。彼女は天帝の娘で、機を織るのが仕事だったので、織女と呼ばれていた。

 織女は朝も昼も機を織りつづけて、雲か霧かと見まごう薄くて綺麗な布を織り出していた。その仕事に専念していたので、他に何の楽しみもなく、身なりに気を遣うことさえなかった。

 天帝は娘のこんな様を哀れみ、天の川の西の岸に住む牽牛という男に嫁がせた。

 ところが、結婚すると織女は機織りをぱったりとやめてしまった。夫との楽しい生活にすっかり夢中になってしまい、機の前に座ることさえなくなった。天帝はついに怒り、織女を東の岸に追い返してしまった。

 この時から、牽牛と織女は年に一度しか会えなくなってしまったのである。



参考文献
『いまは昔むかしは今(全五巻)』 網野善彦ほか著 福音館書店

※何事もほどほどに、という教訓であろうか…。仕事に夢中過ぎてもオトコにかまけ過ぎてもダメ、と。しかし、この両極端ぶり。織女さんは一つのことにハマり倒す気質と見た。



中国の七夕伝説2  中国 広東省 陸安

 天に、牛郎と織女という美しい男女がいました。牛郎は牛を飼い、織女は機を織って、毎日毎日、自分の仕事に精を出して暮していました。この様子を見ていた天帝が、二人の仲をとりもって夫婦にしました。

 ところが、結婚すると二人は互いに夢中になって、仕事を怠けるようになってしまいました。天帝は怒り、カラスに命じて「二人は河の両岸に別れ、七日に一度しか逢ってはならない」と伝言させました。

 しかし、このカラスは言葉を上手く話せなかったのです。カラスは二人のところへ飛んで行くと、こう伝えました。

「二人は河の両岸に別れ、毎年七月七日に一度しか逢ってはならない」

 こうして、牛郎と織女は年に一度しか逢えなくなってしまったのでした。

※カラスが間違った(余計な)伝令をしたために男女の仲が破綻してしまう、というと、すぐにギリシア神話のアポロン神とコロニス王女の物語を思い出す。(カラスがアポロン神に、恋人のコロニス王女が浮気をしていると告げ口する。アポロン神は怒ってコロニス王女を射殺すが、後悔し、逆恨みしてカラスの羽を黒く変えてしまった。)
 この話ではカラスは何の罰も受けていないが、多分、罪滅ぼしとして天の川に自らの体で橋をかけることとなったのだろう。

 この話が伝えられる華北では、牛郎と織女に同情して、人々は はなはだカラスを憎むのだそうだ。

 一般に、天の川に橋をかけるのはカササギだと認識されているが、話・国によっては「カラス」あるいは「カラスとカササギ」が橋をかける。カササギはカラス科の黒い鳥なので混同しやすいのだろう。カササギを中国で烏鵲と書くことも、混同の原因になっていると思う。



中国の七夕伝説3  中国 泉州

 昔、織女という娘がいた。裕福な家の娘でたいそう美しかったが、選り好みして十八にもなって結婚していなかった。彼女は七尺二寸ものとても長い髪の毛を持っていて、毎日梳かすのも大変だった。

 ある月の夜、織女は月に願った。

「私は、生まれてから一度も笑ったことがありません。もしも私を笑わせる者があるなら、きっとその人と結婚しますわ」

 あくる朝、織女がいつものように髪を梳いていると、向かいに住んでいる牛飼いの牽牛郎が、頭に毛が数本しかないのに織女の髪梳きの真似をしておどけた。それを見ると、織女はおかしくて吹き出してしまった。

 笑ったものの、織女はすぐに泣き出した。昨夜の月への誓いを思い出したからだ。けれど自分の立てた誓いだからと、父親に相談してみた。当然ながら、父親はとんでもないことだ、と相手にしなかった。織女は思い悩み、思いつめてついに病の床に就いた。牽牛郎は織女の侍女からこのことを聞いたが、何をすることも出来なかった。

 そんなある日のこと。悲しむ織女にカササギが話し掛けてきて、伝令役を勤めようと言った。織女は喜び、「彼に、これから毎月七日に私の庭に逢いにきてと伝えて欲しいの」と言って、カササギの足に手紙を結びつけた。

 ところが、カササギは手紙をなくしてしまい、仕方なく牽牛郎に口頭で伝えた。

「これから、毎年七月七日に逢いに来て下さいと仰せでした」

 気まずく思ったのか、カササギは織女の元には帰らなかった。牽牛郎は七月七日に織女に逢えると思って楽しみにしたが、織女の方はカササギが戻らないので絶望し、病が重くなって死んだ。それを聞いた牽牛郎も嘆き悲しんで死んでしまった。

 死んだ牽牛郎と織女は、天に昇って牛郎星と織女星になり、夫婦になった。そして毎年七月七日に逢うのである。

※こちらでは、間違った伝令をしたのはカササギである。こちらでも例話の話中では語られていないが、間違った伝令をした償いのために、カササギが橋となって二人に奉仕するのだという。

 この話では織女は一切機織りをしていない。しかし、とても長い髪を持っていて、それを毎朝梳いている、という描写に注目せねばならない。民話や伝承にはしばしば、水の側、あるいは岩の上で長い髪を梳く女が現れるが、これは実は機織りの比喩なのだという。
 中国の宋代の張文潜の『七夕歌』に、織女が牽牛と結婚してから、「機織りをやめ、朝に夕に美しい髪を梳いては結い上げ、牽牛のもとを離れず、東の岸へ帰ろうともしない」とある。髪を梳く――機を織っていることは変わりがないのに、その仕事が無為のものになってしまったようだ。

 にしても、最初は結婚を嫌がって泣いたくせに、逢えないとしまいに病気になってしまう織女……。女心はわかりません。そして、数本しか毛のない牽牛郎。牽牛は……牽牛はオバQヘアーだったのかっ! 今明かされる衝撃の事実。



中国の七夕伝説4  中国

 昔、けい遊子ゆうし伯陽はくようという夫婦がいた。二人は大変仲がよく、いつも月を眺めては楽しく語らっていた。

 時が流れ、妻の伯陽が九十九歳で死ぬと、遊子は毎日月を眺め、妻を想っては寂しい思いをしていた。

 そんなある夜、いつになく冴え冴えと輝く月を眺めていると、すっと流れた星に妻が乗っているのが見えたではないか。遊子の嘆きは募り、自分も早く天に昇って愛する妻と一緒になりたいと切に祈るのだった。

 遊子は百三歳で死に、鳥に乗って天へ昇った。そして望み通り星になったが、愛しい妻の星とは天の川を隔てて離ればなれになってしまった。

 天の川では、毎日 帝釈天が水浴をする為、何人たりともこれを渡る事は許されない。けれど、毎年七月七日は帝釈天 が善法室へ行くので水浴びをしないため、この日だけは天の川を渡ってもよいと許しが与えられた。

 そしてその時には、多くのカササギ達が現れて天の川に橋を渡してくれるのだという。

※よく、「死んだらお星様になる」と言うが、それを地でいった話。



中国の七夕伝説5  中国 タイ族

 昔、モン・キントン(今の雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州景東県)三路サンローという美々しい若者が住んでいた。

 ある日、三路が水浴びをしていると、通りかかった旅人たちが彼の美丈夫ぶりを見て驚き、「何千何万の若者たちの中で、我らモン・キンコク(今の景谷県)の評判娘・亜斑オビンとお似合いなのは三路だけだ」と歌った。これを聞くと三路の胸は波立ち、モン・キンコクへ妻問いに行ってみたくてたまらなくなった。母親は止めたが、三路はヘソを曲げて食事を摂らずにどんどん痩せたので、とうとう許してやった。

 三路は喜んで山に木の種を蒔いた。三日経つと芽が出て、五日経つと葉が出た。二十日経つとすっかり大きくなったので、この木を切り倒して、妻問いに使う三弦を作り始めた。

 村の娘たちは、三路が妻問いの三弦を作っていると聞くと、おしゃれして山に登ってきて、てんでに弁当やお茶を差し入れようとした。けれど、三路はちょっと笑って、「おいら、飯は持ってきているよ」と言うだけ。それでも娘たちは村に戻ると三路の家に走って行き、「おばさん、三路が山で私に口をきいてくれたよ」と口々に言うのだった。三路が山から戻ると、母親は早速「お前、誰か気に入った娘がいるんじゃないかい。いるんなら嫁取りの話をつけてくるよ」と訊くのだが、三路は母親の挙げる娘たちの容姿や性格にけちをつけて、「人様のことをそんなに悪く言うんじゃない」とたしなめる母親に「おいら、嫌いなものは嫌いなんだ」と笑うのだった。

 三弦が仕上がると、母親は息子を留めることはどうしても出来ないと悟り、三百五十個もの積荷を用意して牛の一隊に積んでやった。商人としてモン・キンコクへ向かうのだ。母親は一隊が出発し始めてもなお、息子の手をつかんだまま細々と注意をした。

「牛を川っぷちで休ませてはならないよ、川の水で荷を流されてしまうから。山の上で荷を下ろしちゃならないよ。山の風に吹き飛ばされてしまうから。

 角の長い雄牛は前を歩かせ、買おうという人が出てきたら値段はしっかり掛け合ってお売り。角の短い雄牛は後ろを歩かせ、欲しいと言う人が出てきても やたらに売ってはいけないよ」

 三路は答えた。

「角の長い雄牛は前を歩かせ、買おうという人が出てきたら、勿論、値段はしっかり掛け合って売るよ。角の短い雄牛は後ろを歩かせ、欲しいと言う人が出てきたら、母さんの言うとおり、おいら、ちゃんと人を見て、やるかやらないか決めるよ」

 母親と別れた三路は山を登りまた下り、恋しい娘に逢うためにせっせと250キロほどの道のりを足を動かし続けた。

 旅寝を重ねて一行がモン・キンコクに着くと、商人が珍しい片田舎でもないのに、どっと人が集まって通りを塞ぎ、三路が何者なのかを訊ねた。若く美しい旅商人・三路の噂はたちまちモン・キンコク中に広まり、もちろん、亜斑オビンの耳にも入った。

 亜斑は三路を見てみたくてたまらない。母親に商隊を見に行きたいと頼んだが、足りないものはないのにどうして買い物に行く、と止められる。ただ珍しいものが見たいだけよ、と言うと、娘の心はお見通しで、じゃあ母さんが見て来て教えてやるよ、と娘を置いて出かけた。三路を見ると、なるほど、娘が見たがったのも無理はないな、と思ったが、娘には「今来てる若者は畑も拓けぬナマクラ鋤だ、よそ者の男と付き合うよりは、おじさんとこの四男坊の方がずっと良いよ」と言った。浮き立った心を見抜かれた亜斑は恥じ入るばかりだった。

 けれども、二人が出会うときが来た。亜斑が畑で草取りをしていたとき、三路は山で馬に草をやりながら眠っていた。すると馬がいななき、「三路、畑で草取りをしているのはあなたが心に想っている娘じゃありませんか」と言った。三路は亜斑の姿を認め、いつまでもぼうっと見とれていた。「いつまでぼんやり見とれているんです」と馬に言われて、ハッと我に返り、矢のように畑まで突っ走っていくと歌を唄った。

森の中の孔雀さん

カラスが醜いと言うのなら、羽を一本やっておくれ

花畑の娘さん

若者がみすぼらしいと思うのなら、花を一本やっておくれ

 すると、娘が応えた。

孔雀の羽が欲しいなら

エニシダの下に行って拾えばいいわ

花をかざしたいと思うなら

花畑に入って摘めばいいわ

 その日の夜、夜風が芭蕉の葉や竹むらを吹き鳴らし、村中が寝静まるころになっても、亜斑の部屋からは三弦の音がいつまでも聞こえていた。母親が「もう遅いよ」とたしなめても、「夜なべの仕事があるのよ」と答えて音がやむことはなかった。恋人たちは愛を語らっていたのだ。

 けれども、夜が明ければ三路が自分の家に旅立つ日だった。三路は一緒に来て欲しいと願ったが、亜斑は答えなかった。母親を放っては行けないと思ったのだ。二人は泣く泣く別れた。

 しかし、あの一夜の逢瀬で亜斑は身篭っていた。母親はそれを知って怒り、「あの旅商人のところへなりと行っておしまい!」と娘を追い出した。亜斑は仕方なく、身重の身体を引きずって三路を訪ねていった。

 

 三路の母は亜斑が来ると聞くと、三路にスープに入れる魚やえびを捕ってくるように言いつけた。

「お前は水に慣れていないんだから、母さんの言うことをよくお聞き。深い池で釣るんじゃない、魚の群れはそんな所にはいやしない。浅瀬で網をうつのが一番さ」

 三路は母親の言いつけどおりに浅瀬で網をうったが、いつまで経っても魚は一匹もかからなかった。

 さて、その間に亜斑がやってきた。母親は機織をやめて食事の支度を始めたが、食事を作り終わってみると、亜斑が織りかけの布を一尺八寸も織り足していることに気がついた。

「この私が三日かかっても五寸と織れないのに、この娘ときたら、あっという間にこんなに織るなんて。人間技じゃないよ、化け物に違いない!」

 母親は機の上にあった象牙の物差しで亜斑の頭を叩いた。美しい額から真っ赤な血が飛び散り、亜斑は気を失った。亜斑が正気づくと、母親は物差しをつかんでワナワナ震えながら「さっさと出ておいき!」と怒鳴った。亜斑は何がなんだか分からなかったが、戸口に駆け寄って額の血をなすりつけ、象に乗って立ち去った。

 三路は母親の言うとおりにしていつまでも何も獲れないので、深い池に行って釣ると、やっと二匹かかった。喜んで帰ってきて、戸口に付いた血の跡に気がついた。

「おっかさん、ここに塗ってあるのはなんだい」

「お前の着物を染めようと用意した染料を、オンドリが跳ね飛ばしたのさ」

 中に入ると、テーブルいっぱいにご馳走が並べてある。

「おっかさん、ご馳走をいっぱい作ってどうしたんだ。もしや、亜斑が来たんじゃないか」

 母親は答えない。その時、馬が「三路、さっき亜斑が来ましたが、どういうわけか、またそそくさと出て行ってしまいましたよ」と大声で言うのが聞こえた。三路は何が起こったのかを悟り、急いで銀貨二袋を腰にくくりつけて馬にまたがり、飛び出していった。母親は驚き、人に頼んで息子を連れ戻すべく追っ手をかけた。

 

 亜斑は惨めで辛い旅路を辿っていたが、何日か経って川を渡り終えた途端、めまいがして陣痛が始まり、やっとのことで象から降りて子供を産み落とした。しかし、もはや子供を抱いて連れて行くだけの力もない。

お前を連れて行きたいが

抱いてあげる力も尽き果てた

お前をおぶって行きたいが

頭はくらくら倒れそう

 亜斑は子供の顔をじっと見つめていたが、仕方がない。鳥の巣の中に置いていった。

誰かに訊かれたら言うんだよ

父ちゃんの名は三路で、一人として適う者ない男ぶり

誰かに訊かれたら言うんだよ

父ちゃんの名は三路で、近在きってのいい男

 三路は亜斑を追っていたが、追っ手に見つからぬよう小道を進むうち、道に迷ってしまった。ふと見ると行く手に牛の番をしている子供がいたので「娘が象に乗って通るの、見かけなかったかい」と訊ねた。牛飼いの子供は言った。

「それなら見たよ。左手に手綱を持って、右手で木から葉をもぎ取って額の血を拭いていた。でも、もう遠くへ行っちまったよ。兄ちゃんとあの人との因縁が切れていないのなら、まだ追いつけるかもしれない」

 しばらく行くと、ワ族(この地方の山岳民族)の人が松明たいまつにする木を切っていた。

「娘が象に乗って通るの、見かけなかった?」

「それなら見た。左手に手綱を持って、右手で木から葉をもぎ取って額の血を拭いていた。でももう遠くまで行ってしまったよ。お前さんとあの娘との因縁が切れていないなら、まだ追いつけるかもしれないが」

 三路は幾つも川を渡り、幾つも山を越え、とある木の下にやってきた。すると、「三路、父ちゃん、三路、父ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた。三路は辺りを見回してみたが、前にも後ろにも誰もいない。振り仰ぐと、木の上に、まだ羽の乾いていない黄色いヒナ鳥が止まっている。その鳥がまたこう言った。

一人として適う者ない男ぶり

おいらの父ちゃんは三路さ

近在きってのいい男

おいらの父ちゃんは三路さ

 三路はそれを聞いて、「小鳥よ、お前がおいらの息子なら、この手に飛んでおいで」と言った。すると、小鳥はパタパタと飛んできて、三路の手に止まった。三路は思わず涙を流した。

お前を連れて行きたいが

母ちゃんの居所が分からない

お前と一緒に行きたいが

母ちゃんはどこにいるのか分からない

 三路は心を鬼にして小鳥を木の上に戻すと、きびすを返し、馬に鞭を当てて、前よりいっそう早く道を急いだ。

 日が山から昇っては沈み、星が現れてはまた隠れ、三路はとうとうモン・キンコクにたどり着いた。けれども、遅かった。亜斑は七日前に死んでいた。三路はせめて彼女の顔を一目見たいと思ったが、亜斑の家の者が入り口を塞いだ。咄嗟に、三路は持っていた銀貨を庭にバラバラと撒いて、人々がワッとそれを拾いに飛び出した隙に家の中に駆け込んだ。家の中はこの前と何一つ変わっていなかったが、ただ、棺が一つ増えており、中に亜斑が横たわっていた。三路は棺に取りすがって泣きに泣いた。すると、ふいに亜斑の死体が両手を差し伸べて、三路をしっかり抱きしめた。

「亜斑、ちょっと身体をどけておくれ。おいらもその横に入るから」

 三路が言うと、亜斑は手を緩め、身体を片方にずらした。その時だ。三路は腰から刀を抜くと、いきなり自分の胸に突き刺した。

 皆が戻ってみると、二人は既に棺の中に並んで横たわっていた。なんとしたことか、亜斑一人のときは棺に根が生えたようにどうしても動かせなかったのに、今は薄い紙のように軽くなった。

 けれども、生きているときに正式に夫婦でなかった者は、死んでからも共に葬られることはないのだ。

 二人は別々に葬られた。男は東の山、女は西の山に。それからだ、夜毎に東の山から三弦を弾くような音が聞こえて、西の山からそれに合わせて歌うような声が聞こえるようになったのは。そのうち、二人の墓から藤が生えてきた。二本の藤は互いにつるを伸ばして、何日かかけて、とうとう互いに絡まった。ところが、頭の固い連中はこれを見つけて腹を立てて、斧で両方の藤を切って燃やしてしまった。

 その炎の中から、二つの火の粉が舞い上がった。火の粉はどんどん天に昇って、とうとう銀河の岸に落ちた。そして、二つのキラキラ輝く星になった。

 それが、あの牛飼いと織姫の夫婦めおと星なのだ。



参考文献
『中国の民話〈上、下〉』 村松一弥編 毎日新聞社 1972.

※これも恋人たちが死後に星になる、というタイプだが、転生譚の要素が強く、人→木→星と何度も周囲に引き裂かれながら転生を繰り返す。その点では【シンデレラ】や[三つの愛のオレンジ]、【蛇婿】などと近い。

 話し手が言及を避けているので分かりにくくなっているが、亜斑は姑にいびられて殺されたのだろう。彼女が象に乗って辿っていく道筋は、そのまま冥界への道筋でもある。それを追う三路が出会う牛飼いの子供や松明を作ろうとしている人は冥界の住人であり、星の化身でもあると思われる。「因縁が切れていないなら追いつけるかも」という言葉は、死者を呼び戻せるかも、という意味であろうが、結局、間に合わずに亜斑は死に、それを追う三路も戻らない。
 川を渡ったところで産み落とされた子供は既に死の世界に属する所で生まれた水子で、[継子と鳥]のように、その魂はまだ羽すら乾かない不恰好な鳥のヒナとなって、か細く父を呼んでいる。物悲しい。
 なお、タイ族には鳥に変身できる子供は賢人になる、という伝承があるそうだ。勇者や聖者、シャーマンは一度冥界下りをして甦る、という世界に普遍的な思想から来ているのだろうか?

 歌垣に関する要素が強く現れている。歌垣は中国江南からインドシナ半島に及ぶ地帯を源境とすると思われる習俗で、年の特定の日、若い男女が山や磯辺や広場に集まって歌を掛け合い、踊り、伴侶を選ぶ、集団見合いダンスパーティーである。日本にも古代に存在していた。『常陸国風土記』によれば、歌垣の行われる筑波山を東西二つの峰に分け、一方を雄山、そして恐らくはもう一方を雌山としたようだが、少なくとも1965年頃までは確実に、タイのクメール族にこれとの関連を思わせる行事が現存していた。この民族の旧暦の年末(新暦では四月頭)、若い男女が男は雄山、女は雌山に登り、山と山からオーオーと唱和して声を掛け合うのだという。三路と亜斑が西と東の別の山に葬られ、互いに楽器と歌で呼びかけあうのは、これらと類似の習俗の記憶から来ているのではないだろうか。

 歌垣は年の定められた日に行われるイベントだが、それとは別に、農閑期などの夜に若い男女が集まり、糸紡ぎなどの夜なべ仕事をしながら、若者たちは楽器を奏でて唄いかけ、娘たちはそれを受けて唄い返し、意気投合すればカップルが成立する……という集会が洋の東西を問わず、日常的に行われていた。(<眠り姫のあれこれ〜眠り姫は犯されたのか?>参照。)タイ族においても、農閑期の月夜、娘たちが大木の下に焚き火をして集まって糸車を回し、若者たちが毛布をまとって集まって三弦を奏でて愛の歌を唄い、意気投合すれば娘が若者の毛布に入って一晩中低く歌を掛け合う、ということが行われていたそうだ。

 生前に引き裂かれ、死んで葬られても引き裂かれ続けた二人は、星になっても天の川の両岸に引き離されている。無残な話である。



中国の七夕伝説6  中国

 天の銀河の東方に、七人の仙女が住んでいた。彼女たちは不思議な絹糸で機を織り、幾重にも重なる美しい雲を織り出していた。その雲は季節の移り変わりと共に変幻自在に彩りを変えた。この布で作った衣は《天衣》と呼ばれ、これを羽織れば天地の間を思うままに行き来できるのだった。

 さて、地上には一人の若者がいた。父も母も早く死に、いつも兄夫婦に苛められていたが、ついにたった一頭の老いた牛だけを与えられて、家から追い出されてしまった。それで、この年若い牛飼いと年老いた牛は、寄り添って貧しい暮らしをしていた。

 ある日のこと。突然、老いた牛が人間の言葉を吐き、牛飼いに言った。

「今日、天上の織姫たちが地上の河に降りてきて水浴びをするはずです。隙を見て天衣を盗んでしまえば織姫は天に戻れず、あなたの妻になるでしょう」

 果たして、天の織姫たちが川で水浴びを始めた時、牛飼いは隠れていた葦の間から飛び出して、天衣の一枚を奪い取った。見知らぬ男に驚いて、六人の姉たちは天に逃げ去ったが、天衣を奪われた末の妹――彼女が一番美しかった――は地上に残るしかなく、牛飼いの妻になった。

 夫婦になると、牛飼いは田畑を耕し、織姫は機を織って暮した。満ち足りた幸せな日々の中で子供も二人生まれた。この幸せは共に白髪になるまで続くかと思われたが、仙女とただの人間の恋には避けがたい悲劇が待ちうけていた。

 その日、牛飼いが家に帰ってみると、家の中には火もなくがらんとして、二人の子供が泣きじゃくっていた。天の上帝が怒り、神兵と神将を送って織姫を捕らえて連れ去ったのだ。牛飼いが呆然としていると、あの年老いた牛が言った。

「織姫を追いかけなさい。ただの人間は天に昇ることは出来ませんが、一つだけ方法があります。私を殺して皮を剥ぎ、その皮をまとうのです。――私はこんなに年老いて、もう働くことができない。それなのにあなたは私を大事に養ってくれて、本当にありがたかった。さぁ、早く私を殺してください。私ができるご恩返しはそれしかないのですから」

 けれど、牛飼いは生涯自分のために働いてくれ、寄り添って暮してきた老牛を殺すことはできなかった。牛飼が迷っている様子を見ると、牛は自ら柱に頭を打ちつけて死んだ。牛飼いは泣く泣く牛の皮を剥いでまとい、二人の子供を籠に入れて担ぐと、天に昇って行った。

 上へ上へ昇っていくと、神兵に連れられて行く織姫の姿が見えてきた。追いすがり、子供たちが手を伸ばして母親のたもとをひっぱろうとした、その時。天の一角から巨大な手が伸びてきて、天にさっと一本の筋をひいた。それは上帝の妹である西王母の手で、頭につけていた金のかんざしを抜いて、それで天に筋をひいたのだった。

 たちまち、筋からは水が溢れ出して大河となり、蕩々と流れて母と父子との間を隔てた。それを見て牛飼いの小さな娘は叫んだ。

「私たち、ひしゃくで河の水をすくい取ってしまいましょう」

 すぐさま、父と二人の子供は流れる銀河の水を一杯一杯すくい始めた。

 これを見た上帝は、妻を想う牛飼いの愛情と、母を慕う子供たちのけなげさに心打たれた。そして、毎年七月七日の夜だけ、夫婦親子が河を渡って逢う事を許したのだった。

 カササギが自ら願い出て、この夫婦のために河に身を埋めて橋の役を勤めることになった。

 天を見上げてみよう。金のかんざしのようにキラキラ光る天の川を挟んで対峙している牽牛星と織女星の二つの星、あれが牛飼いと織姫の姿だ。牽牛星と並ぶ二つの小さな星が牛飼いと織姫の息子と娘。牽牛星の少し離れたところに見えるひし形に並んだ四つの小さい星は、織姫が牛飼いに投げた(機織りの道具)、織女星の近くにある三つの小さい星は、牛飼いが織姫に投げた牛のくるぶしの骨だと言われている。



参考文献
『いまは昔むかしは今(全五巻)』 網野善彦ほか著 福音館書店

※これは、現在の中国で一般的に伝えられている話らしい。
 ……だが、実はこれ「美談バージョン」とでも言うべきもので、よく似た類話では、美談どころか夫婦の修羅場が語られるのだった。次にそんな話を紹介してみよう。

参考--> 「牛飼いと織姫



中国の七夕伝説7  中国 江蘇省

 老いた牛を持った若者がいた。この牛を草原につれて行っては草を食べさせていたので、人は彼を牛飼いと呼んだ。

 ある夏の日のこと。草原に霧が出て、一寸先も見えなくなった。すると、不意に牛が口をきいて言った。

「草原の南にある川で七人の仙女が水浴びをしています。そのうち一人の衣を隠してしまえば、その仙女をあなたの妻に出来ますよ」

 牛飼いは言われた通りに川べりに行き、衣の一つをとると大声をあげて逃げ出した。六人の仙女は驚いて天に逃げ去ったが、衣を奪われた仙女――彼女は織姫という名だった――だけは、裸のまま牛飼いの後を家まで追いかけて来た。しかし牛飼いは衣を隠してしまったので、地上に寄る辺のない彼女は牛飼いの妻になるよりなかった。

 夫婦になると、織姫は天でやっていたように機を織る仕事を始めた。ところが、牛飼いの方は怠け者になり、牛の世話もしなくなってしまった。

 牛はとうとう病気になり、死ぬ真際にこう言った。

「私が死んだら、私の皮で袋を作り、そこに黄砂を入れて、鼻の綱でしっかり縛っておいてください。そしていつもその袋を背負っているなら、困った時にお助けしますから」

 牛飼いは悲しみ、言われたとおりに皮袋を作って黄砂を入れ、背負って歩いた。

 

 それから三年が過ぎた。牛飼いと織姫の間には娘と息子の二人の子供も生まれた。ある日のこと、織姫が言った。

「私の衣をどこに隠しているのですか。もう子供も二人いますし、決して逃げたりしませんから、教えてください」

 牛飼いはすっかり安心しきっていたので、戸口の土台の下に埋めてある、と教えてしまった。それを聞くなり、織姫は戸口に駆け寄って衣を掘りだし、今もなお美しいままのそれを素早くまとうと、天に逃げ去ってしまった。

 この事態に牛飼いは驚き、偶然、背負った牛皮の袋を叩いた。すると牛飼いと二人の子供は舞いあがり、逃げる織姫の後を追いかけることが出来た。織姫は父子が追いつきそうになったのを見て、頭から金のかんざしを抜いて、自分の後ろに線を引いた。たちまち、そこに大きな河が現れた。しかし牛皮の袋から黄砂がこぼれ出て土手となり、父子はそれを渡って織姫を追うことが出来た。それを見ると織姫はまたかんざしで線をひいて河を出したが、もう黄砂は尽きていて渡ることが出来ない。それで、牛飼いは袋を縛っていた綱をほどいて、それを織姫に投げつけた。綱は織姫の首に絡みついた。仰天した織姫は持っていた(機織りの道具)を投げつけたが、牛飼いが避けたので当たらなかった。

 夫婦が河を挟んでギャーギャーやっていると、天帝の使いの神仙が仲裁に現れた。

「これより、織姫は河の東に、牛飼いは河の西に住むことを命じる。しかし年に一度、七月七日の夜だけは河を渡って逢う事を許す」

 天帝の命とあっては仕方がない。一家はそれに従うよりなかった。

 

 織姫がかんざしをひいて作った河は、天の川。夫婦はその河の両岸に牽牛星、織女星となって光っている。織女星の周りにある星は牛飼いの投げた牛の綱で、牽牛星の回りは彼らの子どもたちと、織姫の投げた梭である。

 牛飼いは、毎日 食事の後に一つずつ、どんぶりを洗わないで取っておく。そうして織姫が七月七日にそれを洗い、洗い終わると夜が明けてしまう。

 また、七月七日に降る雨は二人が逢えないために流す涙と言われている。



参考文献
『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良著 小学館

※ひでぇ話。(苦笑)
 しかし、織姫は策略にあって無理やり貧乏男の嫁にされたのだから、こうなっても無理ないのかも。しかも牛飼い、自分はごろごろして妻に働かせてたみたいだし。
 河を挟んでの夫婦喧嘩は壮絶だ。必死に逃げる女房の首に綱を巻きつけて引っ張る夫。暴力夫か? しかも、わざわざ毎日一つ皿を洗わずにおいて、年に一度の面会日(天帝の命令)に丸一晩かけて洗わせるところがいやらしい。逢瀬じゃないよねコレ……。哀れ織姫。
 けど、「七月七日に降る雨は二人が逢えないために流す涙」って……。牛飼いはともかく、織女は逢いたくないんじゃないのかなー……。悪い男に引っかかっちゃったもんだ。全部 老牛のせいだな。

 銀河が二度作られているが、これは銀河が二筋に分かれているところを表しているのだろう。

 実は、これによく似た七夕伝承は日本の熊本や長崎でも見ることができる。熊本の話では、「牽牛が怠け者で牛を連れて遊んでばかりいるので、怒った織女が機織りのを投げつけた。これが梭星(イルカ座)になった」と言う。長崎の話では、「七夕さん(織女)の養子(婿養子?)の犬飼いさんは農業が下手なうえに耳が不自由で、ある時キレた七夕さんが梭を投げつけた。これが火星になった。犬飼いさんも腹を立て、七夕さんの畑の瓜を真っ二つに切り割った。すると天の川が溢れて二人を隔て、一年に一度しか逢えなくなった」という。犬飼さんが耳が不自由、というのは、多くの日本の七夕伝承で伝言を聞き間違えたために年に一度しか逢えなくなることからの変形だろうか。

参考--> 「牛飼いと織姫



中国の七夕伝説8  中国

 ある村に兄弟が住んでいた。兄は既に結婚していたが、弟の牛郎ニュウランはまだ独身。家はかなり裕福で、暮らしぶりは豊かだった。

 ある時、兄が貸した金を取り立てに他の村に出かけて留守にすると、心のよこしまな兄嫁は牛郎を毒殺しようとした。牛郎は牛を連れて山地に放牧に行き、帰ってきたところだったのだが、兄嫁の目論見に真っ先に気づいたのは、彼の連れていた牛だった。

 実は、この牛は天の金牛星で、天で犯した罪の償いのために、一定期間、地上で使役される苦行を行っていたのである。牛は兄嫁の悪計を告げ、自分が案内するから天河(天の川)へ逃げなさい、と言った。

 逃げ出した牛郎と金牛星が天河に着くと、ちょうど織女が他の天女たちと水浴びをしているところだった。金牛星は牛郎に「一番美しいと思った娘の衣を盗んで逃げなさい」と言った。牛郎が言われたとおりにすると、織女がそれを見つけて追いかけようとした。金牛星は織女に耳うちした。

「あなたは前世からの因縁で牛郎と一緒に暮らすことになっているのだから、牛郎に追いついたら、一緒に下界に降りてそこで暮らすがよい。また天上に帰ってこられる時もあろうから」

 織女は金牛星の言葉に従い、二人は下界に降りて楽しく暮らした。二人の間には男の子と女の子が生まれた。

 そんなある夜、牛郎の夢に金牛星が現れて、

「私はまもなく牛の化身が解け、天上に帰ることになる。その時には織女もまた天に戻らなければならない。けれども私が地上に残した牛の頭を切り取って棒で叩けば、天上から雲があなたを迎えに来る。あなたは二人の子供を背負って雲に乗り、天上に来るがいい。きっと織女に逢える日が来るから」と言った。

 この夢の通り、数日経つと織女は夫と二人の子供に別れを告げて、金牛星に連れられて天上に昇っていった。牛郎は夢で金牛星に教わったとおり、牛の頭を切り取って棒で叩き、二人の子供を背負って雲に乗って織女の後を追った。すると織女は天上からそれを見つけて、機織に使うおさを牛郎に投げ当てた。牛郎が痛さにたじろぐ間に織女は遠のく。これが何度も繰り返された。

 この有様を天上から見ていた織女の母、王母娘娘ワンムニャンニャンは、自分のかんざしを取って織女と牛郎の間に投げつけた。途端に、そこに一筋の天河が現れ、二人はついに川を挟んで引き離されてしまった。織女が振り返って天河の向こうを見ると、対岸に夫と二人の子供がしょんぼりと立っていた。

 牛郎と織女は、王母娘娘に「二人が元のように寄り添えるようにしてください」と訴えた。王母娘娘はやむなくこの訴えを聞き入れて、

七夕一回チーチーイーホイ(七日に一回)逢うがよい」と言った。ところが、牛郎はこれを「七七一回チーチーイーホイ(七月七日に一回)」と聞き違えてしまった。

 それで毎年七月七日になると、二人は年に一度だけの再会を楽しむことになったのだという。

 この日、もしブドウの樹の下で耳を傾けたなら、牛郎と織女の泣き声を聞くことが出来るそうだ。



参考文献
『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良著 小学館

※織女の複雑な心情が窺い知れる。物をぶつけるほどに追って来て欲しくなかったのに、いざ夫と子供たちがしょんぼりしているのを見ると、戻って一緒に暮らしたくなるのだ。
 この話と、「中国の七夕伝説6」「中国の七夕伝説7」「牛飼いと織姫」は、華北に分布している同タイプの伝承である。



韓国の七夕伝説  韓国

 陰暦七月七日を、七月七夕という。この日には、牽牛と織女の切ない伝説が語り伝えられている。

 天の国の牧童・牽牛と、玉皇上帝の孫娘の織女が結婚した。彼らは結婚しても遊んで食べて怠け暮していた。上帝は怒り、牽牛は銀河水(天の川)の東方に、織女は西方に別れて住まわせることにした。それで、夫婦は切ない気持ちのまま、渡れない河を間に置いて暮さねばならなかった。

 その話を伝え聞いたカラスとカササギたちが、毎年七夕に天に昇り、二人のために銀河水に烏鵲橋をかけた。それで、牽牛と織女は七夕にこの橋を渡って一年の寂しさを語り合い、また別れるのである。

 こんなわけで、七夕には地上にはカラスやカササギは一羽もいないといわれる。いるとしたら、病気で飛べない者である。また、自身を橋にして踏まれるため(あるいは、橋の材料を頭に載せて運ぶため)、この時期のカラスやカササギたちは みんな頭の羽根が抜けるらしい。

 なお、七夕前後には雨が降ることが多いが、これは牽牛と織女が逢瀬の準備に車の埃を洗い流すからで、これを"洗車雨"と呼ぶ。また、七夕の夕方に雨が降れば二人が逢えた喜びの涙とし、翌日の夜明けに降れば別れの悲しみの涙とする。よって、これらを"灑涙雨"と呼ぶ。



参考文献
『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良著 小学館

※中国の南宋(A.D.1127〜1279)の『爾雅翼』に、「七月七日を過ぎると、カササギはみな毛が抜ける、それは橋になって織女を渡らせたからである」、とある。



韓国の七夕伝説2  韓国

 ある星の国に美しい姫がおり、王は別の星の国の王子を婿に迎えた。しかし、この王子はたまによからぬ事をしていた。王は怒り、王子を天の川の北岸の彼方に追放した。しかし娘の気持ちを思い、一年に一度、七月七日にだけ天の川のほとりで逢う事を許した。

 一年も離れ離れなので、夫婦は悲しみ、その涙は雨となって地上に降り注いで、ついには洪水になった。地上の王の命により、カササギが選ばれて天に昇った。そうして沢山のカササギが天の川の北の岸から南の岸まで頭と羽をそろえて並んだので、王子はこの橋を渡って姫に逢うことが出来、地上の雨もピタリとやんだ。

 そんなわけで、七月七日の朝に雨が降ると「嘆きの雨」、昼に降ると「逢えた喜びの雨」、夜に降ると「別れの悲しみの雨」という。また、七月七日にカササギを見かけることがあると、橋をかけに行かない怠け者だとて、追い払ったりするそうだ。

※……星の国の王子だとか姫だとか、もしかしてこれって子供向けに脚色された童話かな?
 王子様がどんな《よからぬ事》をしたのか是非知りたいところ。

 ところで、気になるのだが、最初に「年に一度逢う」ことを許されていて、なのに泣いて、地上からカササギが派遣されるわけだが。……んー? なんか微妙に物語が破綻してないか??
 ええと。つまり、逢うことは許されているものの、実際に河を渡る手段がない。それで毎年逢える日が近づくと夫婦は泣いて地上を洪水にする。それで地上からカササギが派遣されて夫婦を逢わしてやると雨が上がる……ってことだろうか?
 ロマンチックな伝説というよりはた迷惑な話のような……。

 なんにしても、牽牛・織女が雨を降らせる神として認識されているわけで、なかなか興味深い。



ベトナムの七夕伝説1  ベトナム

 天のヤーデ王の娘、チュク・ヌは銀河の岸辺で機を織り、対岸ではヌグン・ランという牧童が羊の群れの番をしていた。二人はやがて相愛の仲になり、王に結婚を願い出た。王は二人の決心が固いことを知り、一つの条件を出して結婚を認めた。

「お前たちの結婚を認めよう。ただし、結婚しても自分の仕事を怠けるようなことがあってはならない。一年のうち七月だけは仕事を休んでもよいが、その他の月は仕事に精を出すのだ」

 しかし、ヤーデ王が危惧した通り、新婚の二人は幸福に酔いしれ、仕事もせずに二人で天空を歩き回るばかりだった。ヤーデ王は激怒し、二人に銀河の両岸に分かれて住むように厳命した。

「お前たちはそれぞれ、自分の仕事をするがよい。ただし、七月にだけは逢うことを許そう」

 こうして、チュク・ヌとヌグン・ランは銀河に隔てられて暮し、七月にだけ逢えることになった。この月になると、カラスたちは大地を離れ、見当たらなくなる。というのも、カラスたちは銀河に飛んで行って、二人のために橋をかけてやっているからだ。チュク・ヌはこの橋を渡って、愛しいヌグン・ランの元へ駆けて行く。

 ほら、七月になると毎日雨ばかり降るだろう。それは、二人が一緒にいる時には喜びの涙を落とし、別れる時には悲しみの涙を落とすからなのだ。この涙雨は大地を潤し、私たちに豊かな実りをもたらしてくれるのだよ。



参考文献
『世界神話事典』 大林太良ほか著 角川書店 1994.

※ベトナムでは、七月を《カップルの月》と呼ぶそうだ。
 この伝承は、雨季到来の由来を語っている。中国や韓国の七夕伝承と同じく、天の男女神は雨を降らせる神として認識されている。



ベトナムの七夕伝説2  ベトナム

 むかしむかし、ある寂しいところに池があった。その池へ行く道は誰も知らなかった。そこではいつも天女たちが水浴びをしていた。

 ある日のこと、一人のきこりがそこに来て、天女が水浴びしているのを見つけた。天女たちは着物を池のほとりの木の根元に脱いでいた。水浴びが終わると着物を着て飛び去っていったが、樵は最後に一人の天女だけが残ったことに気付くと、彼女の着物に飛びついてそれをとってしまった。天女は泣きながら樵に付いてきて、着物を返して、それがないと天に帰れないのと訴えたが、樵は聞こえないふりをした。天女を自分の妻にしたかったからだ。彼女は樵に付いていかざるを得なかった。樵は家に着くと、天女の着物を米蔵の米の下に隠した。

 天女は二、三年 樵と共に暮らして、もう三歳の男の子がいた。ある日のこと、天女は夫の留守の間に米の蓄えを全部売ってしまった。すると米の下に昔の着物があるのを見つけた。彼女はとても喜んでそれを着たが、自分の櫛だけは外して、子供の着物の襟にしっかりとくっつけた。そして子供に言った。

「お前はここにいなさい。お前の母は天女で、お前の父は人間なのです。これ以上一緒に暮らすことは出来ません」

 そして暫く泣いていたが、やがて飛び去った。

 樵が家に帰ってくると、息子が泣いているのが聞こえた。それで自分の母に、妻はどこにいるのかと尋ねた。母は、今日は一日中嫁を見なかったと答えた。樵は何が起こったのかを悟った。そして急いで米蔵に行ってみたが、蔵は空っぽで天女の着物はなくなっていた。息子の着物に櫛が付けられているのを見て、妻は自分たちを捨てていったのだとはっきり分かった。

 それ以来、樵の心は晴れることがなかった。息子を連れてあの池に行ってみたりもしたが、天女はもう水浴びに降りて来ることはなかった。ただ、天女の侍女たちが水を汲みにやってくるだけだった。

 樵は侍女に「喉が渇いたので水を飲ませてくれ」と頼み、自分たちの哀れな身の上を語った。その間に、小さな男の子の櫛が水がめの中に落ちた。

 侍女たちが家に帰って水がめの水を空けると、かめの底に櫛があった。天女が「この櫛はどうしたの」と訊ねたが、侍女たちにはどうしてそんな物が入っているのか分からない。そこで「池の側で誰かに会ったのですか」と天女が訊ねると、侍女たちは答えた。

「私たちは子供を抱いた男に出会いました。その人は水を一杯飲ませてくれと頼んできました。妻を探しているのだけれども見つけられないのだと言っていましたよ」

 天女はハンカチに魔法をかけて侍女たちに渡し、こう言いつけた。

「その池にもう一度行きなさい。そしてその男に会ったら、このハンカチを頭に巻いて私たちに付いていらっしゃい、と言うのですよ」

 侍女たちは言われたとおりにして樵を連れてきた。

 夫婦は再び一緒になれて嬉しくてならなかった。しばらく経って樵は「どうして自分たちを捨てていったのか」と訊ねた。天女はこう答えた。

「人間と天国の住人との結婚は長く続けることは出来ないのです。だから私はあなたを捨てて帰ってきました。けれどあなたがあまりにも悲しんでいることを知ったので、その苦しみを慰めるためにあなたをここに連れてこさせたのです。けれど今はもう、あなたは地上に帰らなければなりません」

 樵は深くため息をついて、お前から離れたくないと言った。すると天女は言った。

「先に地上に降りていてください。しばらくしたら私は仏陀ファト・バからお許しを得て、またあなたと一緒に暮らしましょう。今はまだそうできないのです。なにしろ私がここに戻ってからほんの少ししか経っていないのですから」

 樵は重い心ではあったが帰ることに同意した。天女は召使たちに、夫と息子を太鼓に乗せて、縄で地上に降ろすようにと言いつけた。そして樵に子供のための米を渡しながらこう言った。

「地上に着いたら太鼓を二度叩いてください。そうすれば召使たちは縄を切りますから」

 二人は泣きながら別れた。そして召使たちは縄をしっかりと太鼓に結びつけた。ところが半分くらい降りていったところで、ワタリガラスの群れが飛んで来たのだ。カラスは小さな男の子が米を食べているのを見つけて、太鼓の上に舞い降りると散らばった米粒をつつき始めた。太鼓はカラスのくちばしでドンドンと鳴り響き、縄は切られて、父子は海に墜落して溺れ死んだ。カラスたちはこれを見て大きな声で啼いて飛び去った。

 女神 仏陀ファト・バがこの悲痛な声を耳にし、天女たちを集めて「誰がその父子を死に導いたのか」と尋ねた。その天女を罰するため、女神は天女を明けの明星にし、父子を宵の明星にした。召使たちは毎年七月十五日に葬儀を行わなければならなくなった。同じ日に、ワタリガラスは家族が再会できるように橋を作る。ワタリガラスの頭が禿げているのはこのためである。

 

 この日、あちこちの村でも罪滅ぼしの供物が捧げられると言う。明けの明星は明け方に現れ、宵の明星は夕方に現れる。この二つの星は、天で互いに求め合いながらついに一緒になることの出来なかった、あの夫婦なのである。



参考文献
『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良著 小学館
『世界の民話 アジア[U]』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1977.

※この話では二人は牽牛星と織女星ではなく、明けの明星と宵の明星になっている。

 同様の話は日本の奄美大島にもある。犬飼の翁が天人女房を追い、小犬の力を借りて天に昇った。翁は夜明けの一番星になり、犬は夜明けの二番星になったと言う。
 日本では牽牛星を犬飼星と呼ぶ風があり、特に九州地方で犬飼が七夕さん(天人女房)を追って昇天する七夕伝承が見られる。
 室町時代のお伽草子『毘沙門の本地』は、天竺の王子が死んだ愛姫を追って天上を旅する星めぐりの物語だが、ここで登場する彦星は、「犬二、三匹腰につけたる僧」である。



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