(1)北極星、妙見、北辰、一つ星、心星、 (2)十文字星、天の川星 (3)織姫、 (4)彦星、犬飼星、犬引き星 (5) (6)瓜畑 |
牽牛・織女星は漠然と《タナバタ》と呼ばれることも多い。メンタナバタ・オンタナバタ、ニシタナバタ・ヒガシタナバタなどとも言う。二星併せて
なお、織姫星に関しては、菱形の部分が瓜畑または瓜切りまないた、または七夕の供物を入れる桶…
ちなみに、中国の伝承でも同様に言われるが、菱形部分は畑ではなく、牽牛が投げた牛の鼻輪または縄、あるいは牛のくるぶしの骨とされている。対して、牽牛の傍にある いるか座の菱形を、織女が投げつけた機織りの梭だとする。こちらに関しては、日本でも熊本や長崎などでは同様に言っている。
一方、彦星を中心とする二つの星は、和名《犬飼星》の通り、彼の引き連れた2匹の猟犬であるらしい。日本で彦星を牛飼い星、牛引き星と呼ぶ地方では、これらの星はそのお供であると語られる。古代中国では牽牛三星は河鼓と呼ばれる星座だったが、この場合は大将と二人の家来、とされていたようだ。
なお、中国の民話では、この二つの星は牽牛と織女の子供たちである。牽牛は子供たちを一人ずつ籠に入れ、天秤に担いで妻を追って天に昇って行った。
三つ並んだ星を天秤籠を担いだ人、と見るのは星の世界では比較的ポピュラーであったと見えて、そういった言い伝えを持つ星座がちらほらと見える。さそり座のアンタレス(和名は赤星)を中心とする三つ星の和名の一つに、《親
日本ではこの星座の物語は忘れ去られているのだが、仏典やビルマの伝承に、恐らくこの星座の謂れのルーツであろう物語があるという。以下、ビルマの伝承。
昔、インドのダシュル王が宮殿の傍に溜池を作った。ところが、まだ汲み初め式を行わないうちに、一人の男が天秤棒で水瓶を担いで来て水を汲み始めた。王は怒り、男を射殺した。
死んだ男をよく見ると、孝行息子として有名なサンワンという若者だった。彼の両親は盲人で、彼はいつも両親を籠に座らせ、天秤棒で担いで歩いていた。この日も、喉の乾いた両親のために水を汲もうとしていたのだ。
今更のように王は後悔したが、後の祭だった。王は自ら水を汲んで、息子を待っている両親のもとに水瓶を運んでいった。しかし、サンワンの両親は声が息子と違うので訝しんだ。やむなく王は事情を話した。盲人達は嘆き怒って王を罵った……。
参考文献
『日本の星 星の方言集』 野尻抱影著 中公文庫 1976.
これは、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』のダシャラタ王のエピソードが基になっているのだと思われる。王はこの罪の報いのため、老いてから息子と生き別れて失意の中で死ぬ。
親担い星の名は、時には牽牛三星を指すこともある。