【眠り姫】の広がり

眠り姫】話群のうち最も有名なのは、ディズニーのアニメ映画『眠りの森の美女』だろう。ヒロインにはオーロラ姫という名が与えられ、王子の名はフィリップとされた。二人は実は親が決めた婚約者同士だが、そうと知らずに出会い心惹かれ合う。魔女マレフィセントの呪いによって予言通りの眠りについたオーロラ姫を救うために、フィリップ王子は剣でイバラを切りはらい、魔女が身を変えた竜と大活劇を演じる。そして真実の恋人からの愛のキスこそが、オーロラ姫を呪いから解き放つ唯一の方法なのだ。

 このアニメの原作は、タイトルからしてもぺローの「眠りの森の美女」だと思われるが(オーロラは、ぺロー版では眠り姫の産んだ娘の名である)、姫の眠る城の周囲が茨で囲まれること、キスによって目を覚ますといった要素は、グリムの「いばら姫」から採ったものだと思われる。実際、オーロラ姫は十五歳までは農家の娘として育てられるが、その間は《野いばらブライアー・ローズ》と呼ばれたという設定になっている。

 なお、眠り姫の名をオーロラとしたのは、チャイコフスキーが楽曲を担当したことで知られるバレエ版『眠れる森の美女』の方が七十年ほど先である。そちらでは、王子の名はデジレ(オーノワ夫人の「森の牝鹿」のヒロインから採ったものと思われる)、呪いをかけるのは邪悪な妖精カラボス(やはりオーノワ夫人の「爛漫の姫君」から採っているのだろう)となっている。

 

眠りの森の美女」は「いばら姫」よりも百年以上前に出版されたものだが、一時、一部の研究者たちの間で「いばら姫」の方が伝承のより古い形を正しく保った、言わば原型であるとの説が叫ばれていた。この説に最初に火を点けたのは、他ならぬグリム兄弟である。

 グリム兄弟が生きた時代、ドイツは群小化して統一されておらず、ナポレオンによるフランスの支配を受けるなど、不安定な状態にあった。グリム兄弟が民話を蒐集したのも、故国の現状を憂え、ゲルマン民族の文化的遺産を守り伝えようという意識があったからだと言われている。つまりドイツ文化の素晴らしさを記録し知らしめることが目的だったため、版を重ねるごとに、他国に有名で先駆的な類話があるもの……例えば「青髭」や「長靴をはいた猫」……は童話集から削除されていったのだが、フランスの「眠りの森の美女」やイタリアの「太陽と月とターリア」といった有名類話のある「いばら姫」は、弟のヴィルヘルム・グリムが初版の前書きでそのことに言及し、兄のヤーコプ・グリムが草稿の末尾に「これはペローの眠れる森の美女から全く由来するように思われる」と書き足しているにも関わらず、何故か最後まで削除されることはなかった。

 グリム兄弟にとって「いばら姫」は重要なメルヘンだったのだ。何故なら「娘が棘に刺されて死の眠りにつき、周囲を不思議な垣が囲むが、訪れた若者が目覚めさせて結婚する」というモチーフが、「ニーベルンゲンの歌」にまとめられたようなジークフリートとブリュンヒルトの神話……また、それに類似するアイスランドのシグルズとブリュンヒルデ(シグルドリーヴァ)の神話……と、判り易く共通していたからである。彼らは民話は神話が世俗化したものだとみなしていた。つまり【眠り姫】話群の原型は北欧〜ゲルマン神話にあり、ゲルマン民族が生み出したものなのだと結論付けたがっていたのである。他国の類話は、彼らのものより遥か以前にテキスト化されたものであっても、単なる類話……亜流に過ぎないと暗に述べていた。「太陽と月とターリア」や「眠りの森の美女」で眠り姫の産む双子の名が「太陽と月」や「真昼と曙」であることすら、北欧神話の天体観と結び付けて論じている。

 

 後にヴィルヘルム・グリムの息子、ヘルマン・グリムが公表した著者保存分『グリム童話集』初版本に書き込まれたメモによって、「いばら姫」がマリーなる女性から聞き取った民話であることは明らかになっていた。そしてヘルマンは、この《マリー》が彼の母の実家近くのヴィルト薬局の家政婦であった《マリー婆や》であると証言した。彼女、マリー・ミュラーは生粋のドイツ人であった。以上のことからその後の研究者たちの多くは、「いばら姫」がペローやバジーレの影響を全く受けていない、古くからドイツに口承されてきた民話であると信じて疑わず、それを前提にして自論を展開していった。

 ぺローの「眠りの森の美女」とグリムの「いばら姫」を比較した場合、最も大きな相違は、ペロー版には結婚後の姑との葛藤譚が付されているが、グリム版にはそれがないという点である。ハンブルク大学で教鞭をとったドイツ文学研究者のペッチュは、論文『いばら姫とブリュンヒルト』(1917年)において、それこそを「いばら姫」が【眠り姫】話群の祖形たる根拠であるとみなしている。もしもぺローの形の方がこの民話の原型に近いとするなら、ブリュンヒルト神話にもそれに類するエピソードがあって然るべきだと言うのだ。彼は民話メルヘンの方が先立って存在していて、その要素が後に神話伝説に取りこまれたのだと考えていた。

 しかしグリム兄弟にメルヘンを語ったマリーが、実はマリー・ハッセンフルークという当時二十歳そこそこの娘であったことを、ハインツ・レレケが1975年になって解き明かした。彼女は教養ある中産階級の娘で、フランス系ドイツ人であり、家ではフランス語で話していた。つまり、彼女が話した「いばら姫」がぺローの「眠りの森の美女」の影響を受けている可能性は低くない。更には、ゲルマン神話が民話になったのであれば、その変化過程の類話が相応に見つかるべきであるが、後の調査では殆どペロー版そのままのものが一例採取されたのみで、ドイツ国内に類話は見つからなかった。

 こうして、グリムから始まった、【眠り姫】話群はゲルマン民族起源であるという論説は、ここで根底を失うことになったのである。

 

 なお、グリム説への反論はそれ以前から存在していた。シュピラー(R.Spiller)は論文『いばら姫メルヘンの歴史に寄せて』(1893年)において、【眠り姫】の類話がインド『千夜一夜物語』にも見られることを指摘して、この話群のルーツはインドの「小さな太陽の娘」であり、そこからペルシア、スペイン、フランス、ドイツへと伝播してきたのだと唱えていた。「ヴォルスンガ・サガ」の作者が、その当時に北欧に伝わっていたこの系統の民話から、眠る姫のモチーフをシグルズの物語に取り入れ、これが[ニーベルンゲン伝説]としてドイツにも広まったのだと。

 続いて1905年、ジーフェルト(G.Siefert)は[ニーベルンゲン伝説]は436年のフン族によるブルグント族滅亡の史実が5〜7世紀頃にラインフランケン地方の(創作物語である)ジグルト伝説と結び付いて出来たものであり、それがヴァイキングによって伝播されて北欧で神話として語られたのだと述べた。よって[ニーベルンゲン伝説]と「いばら姫」に共通要素があるのは、どちらかがどちらかの原型というわけではなく、それぞれが同じメルヘン類型からモチーフを借用したためであろうと。

 また、フォークト(F.Vogt)は1896年の論考で、インドの「小さな太陽の娘」は太陽神話、北欧の[ニーベルンゲン伝説]は季節神話であり、その両方の要素を含む古代ギリシア〜シチリア島のターリア神話こそがこの話群の原型であると唱えた。(ターリア、即ちタレイアは《花咲く》という意味の名の小女神だが、芸術の女神、或いは愛の女神アプロディテの侍女(小分身)とされる一方で、太陽神アポロンに仕えて子を産んだともされ、詩的霊感を授けるともされるインドの太陽の娘スーリヤに近似の性格を持っている。)

 

 ところで、ペロー版やバジーレ版にはあるが「いばら姫」に欠けている、結婚した眠り姫が姑の悪意にさらされるエピソードだが、実は「悪人のしゅうとめ」(KHM215)という題で、断片だが独立した物語として『グリム童話集』の初版に収められていた。二版目以降は要約した形で別巻の注釈本の中に入っているのみとなっている。(岩波文庫版『完訳グリム童話集』では5巻に収録)

 このことを、グリムの意図的な工作だと揶揄する声もある。口承を聞き取りした時点でほぼペロー版そのままの内容だったものを、ドイツ独自の民話だと見せかけたいばかりに前半と後半で切り離し、あげく後半だけ本巻から削除したのだと。

 しかし実は、「いばら姫」をマリー・ハッセンフルークから聞き取ったのはブレンターノに草稿を送った以前の1808年頃と推測され、「悪人のしゅうとめ」の方は著者保存本に残されたメモを見る限り「ハッセンフルーク家の人々から」1811年4月18日に聞き取っていて、実に三年もの時間差がある。グリム兄弟が意図的な工作を行ったわけではないのである。

様々な解釈

 グリム兄弟は「いばら姫」を神話学的見地から読み解いていた。このメルヘンの原型はゲルマン〜北欧の神話であり、その神話…死の眠りについていた娘が目覚めて結婚するというエピソード…が意味しているのは「太陽が沈み、また昇る」という自然現象の比喩であり、眠るブリュンヒルデを囲む炎の垣は太陽が昇る前に現れる《曙》の比喩である。よってこの神話を原型とするはずの「いばら姫」の茨の垣も《曙》を意味するに違いない。類話の「眠りの森の美女」や「太陽と月とターリア」で眠り姫が《太陽》や《月》や《曙》といった名の子を産むのも、神話の記憶の残滓である……といった具合だ。

 この系統の解釈は様々に試みられた。例えば批評家のシュタウフは「王は太陽、王妃は月、王女(眠り姫)が大地、茨の垣が厳冬、王子は春を意味し、百年の眠りは冬の百日間の文学的表現に過ぎない」と、季節神話として論じている。

 しかし異なる解釈を行う研究者もいる。ウラジーミル・プロップは著書『魔法昔話の起源』において、【白雪姫】話群とそれに準じる眠り姫伝承を、若者宿の習俗または加入礼と関連付けて論じている。民族学・歴史学的見地からの解釈である。かつて多くの民族で行われていた加入礼とは、成人式の一種だ。現代でも結婚を人生の節目、第二の人生の始まりと言うように、成人も人生の節目であり再出発である。(そもそも《成人する》ということは、イコール《結婚出来るようになった》ということであった。)そのため、加入礼では「一度死に、生き返る」状況を模した儀式を行うことが多く行われた。プロップはこれらの実例を挙げ、そうした儀式の記憶が「一度死の眠りについて、その後に目覚める」物語となって語り伝えられたのだとする。

 この説は、ブルーノ・ベッテルハイムらが行った深層心理学・精神分析的見地からの解釈に、一脈通じる部分がある。つまり《死の眠り》は大人になるための準備期間を意味しているのだ、と。

 この他、フェミニズム的見地からの解釈もしばしば為され、男尊女卑社会批判の材料とされる。【眠り姫】で言えば、眠って王子の来訪を待つ、時には眠っている間に妊娠させられる王女は非常に受け身であり、男性に都合のいい女性像に仕立てられているとする。こうした物語を幼いうちから語り聞かせることによって、女性はかくあるべきだと擦り込んできたのだ、といったようなものだ。

 

 

 精神分析的見地からの解釈は人気が高く、関連書籍も数多く出版されていて、一般層からの認知度も高い。この分析手法では多くの場合、メルヘンは思春期の人間の精神発達を暗示したものであり、特に性的欲望の発露と暴走、それによる罰と、その後の精神的成熟を意味していると解釈される。

 とはいえ、「長いものや尖ったものを見れば男性器だと言い、赤いものを見れば経血か破瓜の血だと言う」としばしば揶揄されるように、精神分析的見地…特にフロイト派…の、なにかと性的方向に解釈したがる姿勢に疑問を投げかける声が大きいのも確かである。

 たとえば「いばら姫」の冒頭に、沐浴中の王妃が水から這い出してきた蛙に出産の予言を受けるシーンがある。この蛙を、ベッテルハイムは男性器の象徴とみなした。水は人間の無意識であり、蛙と男性器は無意識の領域で密接に結びついているのだと。また、沐浴中だったからには王妃は裸だったと想像できるが、そのことから連想したのか、王妃は王以外の男性と性交して子を授かったのだ、それは身分低い男だったに違いない……などと、想像力たくましく唱える研究者さえいる。

 どうして蛙が男性器の象徴になるのか疑問だが、ひんやりしてベタつく感触は幼児期に自分の性器を触った感触を思い出させる、大きく膨らむから男性器の勃起を思わせる、などと説明されている。ベッテルハイムの感覚では蛙と男性器はよく似ていたらしい。中には、『グリム童話』第一話「蛙の王様」に王女が水から出てきた蛙と結婚の約束をするシーンがあるが、似ているからそこからの借用だろうとし、だからこの蛙は(性交相手としての)男性だと述べる研究者もいる。

 確かに雄の蛙が活躍する説話は『グリム童話』に限らず世界中にある。だが、「いばら姫」の蛙は王妃と結婚するために現れたのではない。あくまで受胎告知に現れたのであり、その視点から見れば、蛙が古代ローマのヴィーナスなど、女神に捧げられていたことを無視するのはいただけない。エジプトの多産の女神ヘケトは蛙の姿で表される。また、エジプト人は蛙を胎児(生まれてくる魂)の象徴ともした。バビロニアの神殿の円柱には九匹の蛙を模した飾りが付けられていたというが、これは女性の妊娠の九ヶ月間を示す九相の女神を表現したものだったという。雨をもたらし無数の卵を産み変態して冬は土の中で眠り春には復活する蛙に、農耕・豊穣・多産・循環のイメージを重ね、妊娠出産・魂の輪廻転生を司る太母神の化身とみなす。そんな観念も存在しているのだ。(キリスト教化した時代には豊穣女神は魔女・妖精とされ、蛙はその変身・使い魔として邪悪・淫蕩のイメージを付与された。)少なくとも蛙を男性器とみなす解釈よりは歴史があり、一般的であるように思われる。

 また、蛙にこだわること自体が、実は意味を持たない。「いばら姫」の冒頭で蛙が王妃に受胎を告げる。これは三版以降からの修正で、二版目まではザリガニだったのだから。流石にザリガニは膨らみはしない。

 グリムがどうしてザリガニを蛙に変更したのかは分からないが、類似のシーンが、ぺローと同時代のフランスの再話文学者、オーノワ夫人の「森の牝鹿」の冒頭にあるのだった。恐らくこれは偶然ではない。「いばら姫」を語ったマリー・ハッセンフルークがフランス系の知識人だったという背景と、実際に語られた内容を踏まえれば、ペローの童話集を彼女自身または彼女にその話を伝えた人物が読んでいた可能性は高い。そしてオーノワ夫人の童話集をも読んでいたのではないか。何故なら、「いばら姫」にて王子が姫の眠る城に近づくと茨が独りでに道を開けて花咲くという、その他の類話にはない有名なシーン。これも「森の牝鹿」の冒頭に類似シーンがあるからである。似た語り出しである「眠りの森の美女」と「森の牝鹿」が、語り手の記憶の中で入り混じっていたのではないだろうか。

 グリム兄弟は、きっと後でこれに気付いたのだろう。あからさま過ぎるフランス文学からの影響を指摘されることを恐れて修正を行ったのではないか。第二版以降は《妖精》を《賢女》に修正したように、彼らが童話集の中の《ドイツ的ではないもの》を、版を重ねるごとに削除・修正していたことはよく知られている。

 どうしてザリガニを蛙に変えたのかには、後世の人々が考えるほどには深い意味はないのではないか。水辺に出てくる小さな生き物…とくれば、思い浮かぶのは蛙、蛇、蟹、亀、魚と言ったところで、その中からチョイスしただけだろう。神話学的見地から言えば、動物の種類は入れ替え自在で、さほど重要ではない。最も注意すべきは、それと出会う場所が水辺……現界この世異界あの世の境であるという点なのである。水は異界〜冥界に通じる。そこから何かが出てきて託宣をし、幸を授ける。これが重要なのだ。

 「森の牝鹿」にて受胎告知する泉の妖精(老婆)がザリガニの姿で現れることを、占星術と関連付ける説もある。占星術における巨蟹宮は母性・保護・受胎を象徴し、第一の宮、つまり誕生の象徴とみなせる白羊宮に戻るまで、妊娠期間と同じ九か月を数えるので、それに由来すると言うのだ。しかし個人的には穿ち過ぎであるようにも思える。日本人が蛇を執念深いと考えるように、西欧では蟹を意地悪で偏屈・頑固だとする。泉の妖精は最初は善き母親のようなのに、決裂した途端、偏屈で意地悪な老魔女に変貌するが、蟹的性格そのままではないか。泉から出てくる神霊の化身の姿を何にするか選択したとき、偏屈な母親のイメージを持つ蟹…ザリガニを選んだ。そういう理由も考えられないだろうか。ちなみにギリシア神話では、蟹座の原型である大蟹は女王神ヘラが義理の息子ヘラクレスを傷つけようと送った刺客。冥界へ呑み込もうとする母神の暗い意思の具現である。

 

 解釈の方法は人により様々である。だが立ち入った解釈をする際に、類話の広がりや物語の変遷を考慮せず、そのうえで細部にこだわることは、時に考察を的外れな方向に導いてしまう。グリムやペローの再話だけを見て、その伝承話群全体を語ることが出来ないのは自明の理だが、それを意に介さない研究者は多い。かつて研究者たちが好んで深遠な意味を読み取ろうとした「赤ずきんちゃん」の赤い頭巾が、実はぺローが創作した小道具に過ぎず、元の民話には存在すらしなかったという事実は、よく知られた笑い話だ。殆どの研究者が口承類話の内容や分布を気にかけようとはしなかったのである。

いばら姫」では、王女誕生の際に十二人の賢女が招待される。招待から漏れていた十三人目の賢女が現れるが、金の皿は十二枚しかなく、彼女を怒らせる。この《十二》という数に関しても、研究者たちは詰めた論考を行いたがる。曰く、十二は十二ヶ月、即ち一年を意味している。十二人の賢女が王女に贈り物をするのは、十二ヶ月が大地に恵みを与えることを意味している。或いは、十二は黄道十二宮を意味しているなど。また或いは、(この民話がゲルマン起源だという前提で)ゲルマン人の祖先たちが極北で太陰暦を用いていた頃、一年は十三ヶ月だった。十二人の賢女が招かれて十三人目が排除されるのは、ゲルマン人が民族移動して十二ヶ月の太陽暦を用いるようになった歴史を暗示している、などと論じる。果ては、十三人の賢女は陰暦の十三月に由来し、十三番目の賢女がかけた十五歳の死の呪いとは太陰暦の一ヶ月と同じ周期で訪れる月経を意味し、つまり王女の初潮を予言しているなどと唱える研究者もあり。……しかし一方で、一般家庭では皿は十二枚でワンセットなのが普通だったので、それにちなんでいるに過ぎないとシンプルな説を掲げる研究者もいる。諸説紛々である。

 ペロー版を見れば、運命を授ける妖精は七人である。バジーレ版になると占い師たちの数は明記されていない。「ペルセフォレ」まで遡ると多くの【運命説話】でそうであるように三人。古代エジプトのパピルスの断片に残る、三度の死の運命を定められた王子の物語では運命の女神ハトホルの数は言及されていない。オーノワ夫人の「森の牝鹿」では七人、同じく「爛漫の姫君」では六人、やはり同じく「豚王子 Prince Marcassin」では三人である。

 十二(または十三)という数字に、そこまでこだわる必要はあるのだろうか。キリスト教的には十三は不吉な数だ。その程度の意味はあるとしても、それ以上の神秘を求めるのはどうだろう。考察しようと思えば、《一》や《三》や《七》の数字にも、何か深遠な意味を見繕うことはできるだろう。だがそれは、【眠り姫】話群を考察する際に有用なことなのか。

 研究者たちが陥り易い、狭い視野であまりに深く考察することの危険性について、マックス・リューティは『昔話の本質』(野村訳/ちくま学芸文庫)でこう述べている。

 類話をいろいろ比べてみると、立ち入った解釈をするときには、気をつけなくてはいけないことが分かる。

(中略)いばらとか蠅とか、出てくるものを何もかも解釈しようとするのは危ない。細かい点はたいてい単なるお飾りで、たまたま一番あとの語り手によって付け加えられたものであることが多い。七や十二は昔話が好む数字である。その背後にいつもいつも何か神秘的なことを想像するのはよくない。

眠り姫は犯されたのか?

 ことにフロイト派の精神分析的解釈は、物事に性的な意味を付与しがちである。フロイト派の精神医学者であったブルーノ・ベッテルハイムがそうした観点から著した『昔話の魔力』は一世を風靡した。人はスキャンダラスなものが好きである。子供向けのものと考えられがちだった『グリム童話』に、実は性的な意味が隠されていると聞けば、興味を惹かれずにはいられない。主にこの系統の解釈によって綴られたパロディ小説集『本当は恐ろしいグリム童話』(桐生操/ベストセラーズ)がヒットしたこともあって、日本では一般にも浸透したきらいがある。だが、これはあくまで無数の解釈の中の一つに過ぎないということは知っておかねばならない。

 

いばら姫」に少女の性の目覚めを見出そうとする研究者は、彼女は性的体験をして眠りについたのだ、と語る。

 王女生誕の祝宴に招かれなかった十三人目の賢女は、王女が十五歳になった時に糸車の紡錘つむに刺されて死ぬという運命を定めた。王は国中の糸車を焼き捨てる。ところが王女の十五歳の誕生日、この重要な日に、どういうわけか王夫婦は城を留守にして、王女は一人で気ままに城を歩き回る。古い塔に辿り着いて登ると扉に鍵がさしてあり、回すとあっけなく開いた。小部屋の中では老婆が糸車を回していて、王女が回転する紡錘に触れた途端、針が手に刺さって昏倒し、運命は成就されたのだ。

 この物語に少女の性の目覚めと成長の意味を求める研究者は、まず、塔の小部屋の鍵を男性器の象徴、鍵穴を女性器の象徴とみなす。王女は好奇心から性の扉を開け、軽率にも禁断の世界に踏み込んだのだと。部屋に入って糸車を見つけた王女は、弾み回転する紡錘を見て興味をそそられる。これにも性的な連想をする。長くて太くて尖った紡錘は男性器の象徴で、それがピョコピョコ回って動いている。王女はそれに興味津々になった。この意味は分かるだろう、と言うのだ。そして王女は紡錘に刺される。これを性交の暗示とみなす。ところが王女はまだ女性としては未熟であったため、もしくは結婚前であったため、傷つき罰されることになった。本当に大人になるにはまだ時間が必要だった。この贖罪と癒しの期間こそが「百年の眠り」で、心の周囲に垣を張り巡らせて自分の殻の中に籠もってしまったのだとする。あるいは、十五歳という当時の成人の歳を迎えた娘が性に目覚めかけているのを見て、結婚まで処女のままにしておきたいと思う両親の願望が茨の垣として王女を覆い閉じ込めたのだとする。よって、王女を目覚めさせ垣を取り払う王子は、彼女と正式に結婚するに相応しい選ばれた男性でなければならない。

 

 日本神話に、太陽女神アマテラスが部屋に籠もって聖なる布を織っていると、弟神のスサノオが皮を剥いだ馬を投げ込んだので、アマテラス自身もしくはその侍女が驚いて自分の女性器を機織り道具ので突いてしまい、侍女は死んだ、もしくはアマテラスは自身を傷つけてしまった。そこでアマテラスは怒って天の岩戸に隠れ籠もってしまう……というエピソードがある。これを、スサノオがアマテラスに性的暴行を加え、結果としてアマテラスが死んだと解釈する向きがある。性的な暗示として、機織りの道具で自身を刺して死ぬ。しかし彼女は後に岩戸から引き出され、いわば生き返っている。眠り姫たちが糸紡ぎの道具で自身を刺して死の眠りにつき、やがて目覚めるように。

 このように考えてみると、アマテラスの物語と眠り姫の物語は似ているようにも思えてくる。インドの【眠り姫】類話「小さな太陽の娘」では、太陽の娘を羅刹男が食い殺すために襲う。彼は太陽の娘の籠もる鉄の家の中に入ることができなかったが、扉に突き立てていった爪が、翌朝に扉を開けた太陽の娘の手に深く突き刺さり、彼女は死ぬ。その手から爪を抜いて目覚めさせた人界の王が、彼女の夫となった。太陽の死と復活を語っているという点で、この話もアマテラスの神話と通じる部分がある。

 

 だが、注意せねばならない。アマテラスは杼で女性器を突いたとはっきり語られている。けれども「いばら姫」も「小さな太陽の娘」も、その他の【眠り姫】類話でもそうではない。彼女たちは尖ったものを《手》、特に《指先》に刺したのだ。

 もしも紡錘や羅刹の爪が男性器の暗示だったのなら、彼女たちはそれを足や腰に刺すべきではないのだろうか。また、グリム版でもペロー版でもバジーレ版でも『千夜一夜物語』版でも、紡錘を少女に渡すのは母神的な老婆である。男性ではない。加えて、グリム版ペロー版以外の眠り姫たちはみんな、眠っている間はずっと棘を手に刺したままでいる。それが抜けると目を覚ます。流石に、こうした効果をもたらすものを男性器とみなすのは困難ではないだろうか。

 

 浜本隆志は『ねむり姫の謎 糸つむぎ部屋の性愛史』において、中世から近世にかけて(ロシアでは二十世紀初頭まで)西欧の農村で広く行われていた《糸紡ぎ部屋》の習俗と【眠り姫】話群を関連付けて論じている。

 要は、かつては村娘たちが夜に一つの部屋に集まって、共同で糸紡ぎ作業をする習俗があった。大抵は持ち回りで娘のいる家が場所を提供していたが、まれに常設の糸紡ぎ部屋もあったという。戸外での農作業の少なくなる冬期、だいたい九月末ごろから翌年の二〜三月ごろまで、土日を除く平日、毎日ではないが定期的に集まっていたという。

 糸紡ぎは単調で根気の要る仕事であるから、集団作業は気を紛らわせてくれるものとして大いに歓迎された。娘たちは仕事をしながらお喋りに花を咲かせていた。そして若い娘たちの集まるところには、当然ながら若者たちも集まってくる。彼らは意中の娘の隣に座り、彼女のエプロンに落ちた糸くずを払ってやって大義名分的に触れたりした。食べ物や飲み物が持ち込まれたり、合唱や踊りや音楽演奏が行われることもあった。特に、踊りは公然と相手の体に触れることが出来て、足相撲でひっくり返ってスカートの中身をチラリと見せたり(当時の農村の女性は下穿きを穿かないのが普通だった)、転んだふりをして男女が重なり合って床に倒れたり、嬉し恥ずかしい興奮をかきたてるものだった。歌は愛をテーマにして、恋人同士の問答式のものなどもよく歌われた。

 複数の男女が夜に集まれば、意中の相手に向けて何やら目論見を持っていたり、《何か》が起こることを期待していた者も少なからずいただろう。糸紡ぎ部屋は、そんな風な若い男女の期待と思惑に溢れた社交場だったようである。地域によっては度を外れた行為もあったようだし、時には妊娠する娘もいた。教会や当局は「不道徳な悪の温床」と決め付けて何度も禁止令を出したようだが、なかなか無くなることはなかった。親たちはそこで何が行われているのか承知していたけれども、口出しするような野暮はしようとしなかったし、むしろ奨励する風があった。何故なら、彼らの青春も糸紡ぎ部屋にあったからである。それだけ、地域社会にとって重要な場所だったのだ。

 このように書くと、とにかく淫猥な乱交場だったかのように思う人もいるかもしれないが、それなりの秩序や礼節はあったようだ。糸紡ぎ部屋にやってきた若者が嫌がる女性に強引に乱暴しようとして、逆にその場にいた他の女性たちから糸巻き棒で殴りかかられ、重傷を負って裁判沙汰に発展したこともあったらしい。夜遅く家路につくとき、相愛のカップルが暗闇に消えていこうとすると、他の仲間たちがまとわりついて妨害することもあった。これは抜け駆けを禁止する制裁だったが、娘の母親が若者たちに頼むこともあった。

 

 なお、中国少数民族のトン族にも、糸紡ぎ部屋によく似た習俗がある。娘たちが仲のよい数人で一つの家に集まり、糸紡ぎや機織や針仕事をする。ここには若者たちも琵琶や琴を持って集まり、娘たちと問答式の歌を歌っては恋を語るという。この家を「娘たちの家――姑娘堂クーニャンタン」か「男女の集まる場所――堂翁タンウェン」と呼ぶ。

 これらによく似ているが、一点、若者たちが通うのではなく寝泊りする点が異なっている習俗に、「若者宿」や「娘宿」がある。糸紡ぎ部屋と同じように、常設の小屋がある場合もあれば、寡婦や老人の家の部屋を間借りすることもある。ここではいわゆる夜這いや男女同宿など、男女の交友(歌や踊りと少しの仕事、行き着くところまでの恋の語らい)が自由に行われたが、勿論、年長者たちが゛それに干渉することはなかった。これは浮ついた遊びというだけではなく、ここで馴染みの相手を見つけて正式に結婚する、それを目的とすることが主だったようである。お見合い合宿だったのだ。この習俗は世界中で見られ、日本の各地にも明治の終わり頃まであった。

 かつて長崎県南高来郡小浜町と千々石町では、若者宿や娘宿が一集落に五、六戸あった。若者は十四、五歳で若者入りし(今で言う青年団に入るようなものか)、その日から夜具を持って宿に泊まり始める。宿の土間で行燈あんどんの火を灯して縄をなったり俵や草履を編んだり、夜なべ仕事をして、それから娘宿に遊びに行く。娘宿には村の有力者の家がなる。娘たちは十五、六歳でそこに泊まり始め、糸紡ぎの夜なべをする。娘たちは若者たちが遊びに来るのを拒むことが出来ず、親もここでの男女交際を禁止できなかったという。

 こう書くと、娘たちは拒みも出来ずにただ受け身でいなければならなかったのかと思われそうだが、そうでもない。長崎県五島列島の福江島で、明治頃、他所から入ってきた水夫たちが村の寝宿を侵してトラブルになることが増えたので、娘宿が廃止になったことがあった。すると、娘たちは《娘宿廃止のお別れ会》に臨席していた小学校長に「先生、これじゃ結婚されんのじゃないか、相手が見つけられん」と文句を言い、実際、一年後には娘宿が復活していたそうだ。娘たちにとっても寝宿は恋を語り結婚相手を見つけるための重要な場所だったのである。

 集団で寝泊りする寝宿がない場合は、年頃になった娘の部屋が家族とは離れた場所に設置された。ここに彼女の意中の若者が通ってくる。夜這いである。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に、バルコニーに立つジュリエットに向けてロミオが愛を語らうシーンがある。ドイツ南部やオーストラリアには自宅の二階にいる女に向けて若者が窓辺で愛を語らうフェンシュタルンという習俗があったそうだが、中国少数民族のヤオ族やトン族では娘の部屋はバルコニーのある二階にあり、夜になると恋人が訪ねて来て歌を唄い、許されると梯子をかけたりよじ登ったりして部屋に入り、愛を語らったのだという。

 なお、男ばかりが夜這いするとは限らない。例えば、京都府加佐郡東大浦村(現在の舞鶴市)河辺原では、長男が小学校を出る頃になると、親は家の脇や物置の上に「キヤ」という一人部屋を作ってくれたという。ナジミ(恋人)ができると、彼女がそこに通ってくる。今で言う《カレシの部屋》というわけだ。娘たちは夜にやって来て夜明けに帰っていく。現代は若者の性が乱れているというが、昔はずっと奔放で、しかも公認されていたのだ。(その分、制約に反した際の制裁は厳しかったようだが。)同様の慣習は京都の他に福井県にもあったようである。

 

 ともあれ、浜本は糸紡ぎやその道具をかつての若者の奔放な性愛と関連付けた。グリム兄弟はいばら姫が紡錘に刺されることを北欧伝承「ヴォルスンガ・サガ」でブリュンヒルデが刺された《眠りの茨》と関連付けたものだが、浜本はトリブールの公会議(895年)において教会が性交を「肉欲の棘に刺される」と表現したことを引いて、いばら姫が《紡錘に刺される》のは「(婚前に)純潔を失った」ことを意味し、王が国中の糸車を焼き捨ててしまうことも、行政による糸紡ぎ部屋の禁止令と密接に関わると結論付けている。

 だが前述のように、《手の指先》に刺さる紡錘を男性器とみなすのはかなり疑問である。そもそもグリム版やペロー版より古い「太陽と月とターリア」や「ペルセフォレ」、そして(古いと思われる)『千夜一夜物語』版の類話では、紡錘ではなく小さな麻の繊維が爪の間に刺さることになっている。この形状は男性器を連想しづらい。

 

 しかしながら、【眠り姫】話群と性的要素を全く切り離して考えることもできない。「太陽と月とターリア」や「ペルセフォレ」、そして[命の水]話群では、眠っている間に訪れた男が性行為に及び、娘を妊娠させてしまうのは確かなのだから。結婚は娘が出産し目覚めて後に行われるのであり、婚前交渉が、しかも娘の意思を無視して行われている。

 だがこれは、思うに糸紡ぎ部屋の習俗とは直接関係がない。まして少女の内面的な葛藤を暗示していて、婚前交渉の罰として眠りにつくわけでもないだろう。婚前交渉の前に眠りに囚われているのであるし。

 結局のところ、重視すべきはどうして娘が眠りについたかというところではない。まして婚前交渉の是非でもない。大切なのは、男が訪ねた時に娘が《眠っている》というシチュエーションを成立させることではないのか。

 茨や炎や高い城壁、時に湖や川、高木によって世俗から隔絶された、豊かな財宝に満ちながら《死んだように》静まり返った城。または高い塔。その中心で《死んだように》眠り続けている娘との不思議な結婚。隠されたエロスなどではなく、ごく素直な冥界での神婚を語っているように思える。この根底にあるものは、それこそ《神話》の名残ではないのだろうか。

 

 人はセンセーショナルな解釈を好む。子供のないことを悲しんでいた王妃が、水辺で蛙から受胎の告知を受ける。人によっては、ここにさえ性的な邪推をする。蛙は身分低い男性で、王妃は彼と交わって子を授かったと。

 確かにそんな想像をすることは不可能ではない。だが、どうして素直に受け取ってはいけないのだろうか?

 受胎告知をする――人の言葉を喋る蛙は、超自然的な、神に連なる存在だ。しかし聞き手(研究者)はもはや、それを信じていない。喋る蛙は何かの寓意で、本当は人間だと考える。神のお告げで子を授かるなんてあるはずがない。夫以外の男性と秘密裏に交わって子を授かったと考えた方が合理的で説得力がある、と。

 蛙など獣の姿を借りて境界に立ち現れ幸を授ける神霊。そうしたものへの信仰心は失われてしまった。このようにして、過去の信仰を窺う手掛かりとなるはずの伝承さえ、なにか現実の出来事の比喩であり寓意だと考えたがる。

 だがそうした解釈は、例えば「お婆さんは川で桃を拾って来たのではなく、川で会った桃売りの男と性交して桃太郎を妊娠したのである」と大真面目に論じるほどにナンセンスだ。桃からの誕生、蛙による受胎告知という不思議な出生は、そうして生まれた主人公が神の加護を受けた特別な子供であることを聞き手に印象付けるためのものではないのか。穿ち過ぎて、解釈があさっての方向にねじ曲がり、本質を見失ってしまってはいないだろうか。

茨の垣、炎の壁

 グリム版では、姫が百年の眠りに囚われると城全体までもが停止し、全てを包括したまま周囲は茨で覆われ、世間から隔絶される。ペロー版では、城の人々が姫を寝かせ全てを整えて退避した後に、灌木や茨で城が覆われる。

 これは有名なシーンで、茨の垣は【眠り姫】の象徴、不可欠要素のように認識されがちだ。ところが、より古いバジーレ版『千夜一夜物語』版等になると、城が藪で覆われるというモチーフは存在していない。死んでしまった娘を両親が美しく飾って安置し、立ち去ったと語られるのみなのである。

 尤も、その場合でも眠る娘は無防備に放り出されているわけではない。バジーレ版では姫の眠る館は深い森の奥にあり、周囲は高い塀で囲まれ門は閉ざされていた。「ペルスフォレ」も同様で、侵入するには大鳥に乗って塀や門を飛び越えるしかなかった。「小さな太陽の娘」では森の奥の高い木の上である。いずれの場合も悲しみながら彼女をそこに安置したのは両親で、つまるところこれは墓所、死の世界〜冥界の暗示である。『千夜一夜物語』版では両親が特別に美しい施設を造り、死んだ娘を安置したものだが、それは川の中に建てられていた。つまり、周囲を流水で囲まれ、外界から隔絶されていたのであった。

 

 いばら姫の周囲を囲む茨に関しても、研究者たちは古くから様々な解釈を行ってきた。

 精神分析的解釈を行う研究者たちは、これを少女の心の壁、または娘を庇護する親の支配力の暗示とみなす。この解釈はイメージしやすく、かつ、二次創作に流用しやすいため、人口に膾炙しているようだ。

 しかしこの民話をゲルマン神話と関連付けて見ていたグリム兄弟は、童話集の初版の段階から、茨の垣は北欧伝承のブリュンヒルデを囲む炎の壁と関わると注釈を書き入れていた。

 北欧の伝承「ヴォルスンガ・サガ」では、恐れを知らぬ若者シグルズが花嫁を求めて雌鹿山ヒンダルフィヨルに登ると、天まで届く焔のような輝きを見る。そこへ行くと、盾の垣に囲まれた中に鎧を着込んだ乙女が眠っていた。切り裂いて鎧を取り去ると彼女は目覚め、ブリュンヒルデと名乗り、父神オーディンの罰で《眠りの茨》で刺されて眠っていたのだと話した。シグルズはこの乙女と結婚するが、山を立ち去って別の乙女に出会い、その盃を受けるとブリュンヒルデのことを全く忘却してしまう。ブリュンヒルデの館の周囲は炎の壁で覆われており、何者も侵入することは叶わない。シグルズの友人がブリュンヒルデに求婚したがっていたが、炎の壁を越えられなかった。そこでシグルズは魔法で友人と姿を入れ替え、炎の壁を越えて館に入った。かつて自分が愛の証として与えたことを忘れたまま彼女の腕輪を奪うと、強引に友人の妻にしてしまったのである。

 グリム兄弟は、ブリュンヒルデが刺された《眠りの茨》と、いばら姫が刺された紡錘を関連付け、更に、《眠りの茨》と茨の垣を関連付けた。つまり、茨というモチーフの源は北欧の神話にあると主張したのだ。

 これに対し、シュピラーは【眠り姫】話群のルーツはインドにあると反論し、インドの伝承「小さな太陽の娘」にて娘が死の眠りにつくのが高木の上であることから、棘のある高木・サンザシが「いばら姫」の茨の垣の原型であると唱えた。……ただし、「小さな太陽の娘」の高木に棘があったという描写はなく、サンザシだとも言われていない。

 

 どうも、人は「茨の垣が王子の前に道を開けて花が咲いた」という美しい描写に惑わされがちであるように思える。この描写自体は、オーノワ夫人の「森の牝鹿」にて王妃が妖精の城に招待されたときの、

 それは妖精の道で、普段は茨や棘のある植物によって閉ざされていたが、王妃と彼女の案内人が現れると、茨は薔薇の花を咲かせ、ジャスミンとオレンジの木は葉と花のアーケードを作るために彼らの枝を分け、大地はスミレで覆われ、千羽の様々な種類の鳥が木々で魅惑的に歌った。

というシーンの影響であるように思われるが、重要なのは「花が開いた」という点ではない。「妖精の道は普段、茨の藪によって閉ざされている」という点ではないのか。

 異界〜冥界へ行くために棘の藪を越えねばならないと語る伝承は、実は全く珍しくない。

 例えばグリムの「白雪姫」。森に置き去られ途方に暮れた白雪姫は、茨の藪を駆け抜けて小人の家に辿り着く。イギリスの「地の果ての井戸」では、地の果ての井戸へ行くために茨の原を通らねばならない。娘は神馬でそれを飛び越える。類話では井戸は茨の垣の向こうにあり、道中で饗応した老人が授けてくれた杖で茨を三度叩いて「垣根よ、垣根よ、私を通しておくれ」と唱えると道が開く。日本の『今昔物語』「四国の辺地へちを通りし僧、知らぬ所に行きて馬に打ち成されたること」では、深い山に迷い込んだ僧たちが茨やカラタチなどの棘の藪を越えると平地があり、垣で囲われた屋敷が建っている。なお、日本の伝承では棘の藪が笹原や竹林に変わっていることも多い。「花世の姫」では、山に置き去られ途方に暮れた花世の姫は、冷たい笹原を越えて山姥の岩屋に辿り着く。「灰坊太郎」では、山に置き去られた少年が木の上で眠っていると、夜中にカサカサと笹を踏み分けて亡母の霊が現れる。彼女は神馬を授けてくれた。それは普段は竹林に放たれており、呼べばたちまち現れる。「舌切り雀」では、舌を切られ(殺され)て飛び去った雀を探し求め、老人は長い旅の果てに、無数のたましいが群れ憩う《雀のお宿》に辿り着く。それは竹林の奥にあった。

 これを裏返せば、冥界は周囲を通り抜け難い藪や森に囲まれている、ということである。

 グリムの「マリアの子」では、天国の宮殿から追放された娘は深い眠りに落ち、気付けば周囲を茨の垣に覆われた荒野にいる。泣き叫んで走り回っても、茨の垣はどうやっても抜けられない。秋田県の祖霊・ナマハゲは普段は神社の木のうろに宿って眠っていると言われるが、同じように、マリアの子は荒野の中心の巨木のうろに宿って眠る。狩りにきた一人の王が茨の垣を剣で切り裂いて侵入し、娘を救い出して連れ帰るまで。そして彼女は王妃になったのだった。

 マリアの娘が置き去られた場所は、森の中心に開けた荒野で、周囲は茨の垣に囲まれ、荒野の中心には彼女の家となる巨木があった。同じように、例えばチェコの「フシェビェダ爺さんの金髪」を見れば、(人食いである)太陽神の館は深い森の中心の草地にある。ロシアの「うるわしのワシリーサ」では深い森の中心の草地には人食いの山姥、ババ・ヤガーの小屋がある。中国の「補江総白猿伝」では、竹藪の向こうの山の中に周囲を流水に囲まれた高山があり、それを登ると草地があって、人攫いの白猿神の岩屋がある。ギリシアの古典「オデュッセイア」では、太陽の娘たる魔女キルケーの館は島の中心にあり、周囲を木で囲まれている。

 どうして冥界の城は茨の垣や深い森で囲まれているのだろうか。それは、そこがこの世とは別次元なのだという暗示である。私たち日本人は、この世とあの世の境には三途の川が流れているとイメージするものだが、それと同じことだ。

 この世とあの世を隔てるもの。境界。

 川、海、森、茨の垣、高い塀、閉ざされた門。様々な形で現れるそれは、観念的には同一のものである。もう少し違った形で表されることもあり、地下、洞穴といった下方に通じるもの、あるいは高木、高山、高い塔といった上方に通じるものとしても語られる。[呪的逃走]譚では、冥界(人食い鬼の家)から逃げ帰る際に呪具を後ろに投げて山や川や森を出しては追手の道を塞ぐものだが、それらはつまり、この世とあの世の間にある境界であり、隔てる障害なのだ。

 

 いばら姫は運命の日が来ると、何かに導かれるかのようにそれまで一度も行ったことのなかった塔を登り、自ら鍵を開けてその向こうに去った。死の眠りについたのだ。塔の上のお姫様と言えば、長い髪を垂らす「ラプンツェル」は有名だが、彼女が閉じ込められていた出入口のない高い塔は、深い森の中にあった。そこに歌声に導かれ王子が訪ねて来て求婚する。そして禁忌を侵したラプンツェルは、マリアの子がそうされたように荒野に追放される。王子は茨の藪に落ち、盲目となって森や荒野をさまよう。ギリシアの伝承で、アスポデロスの花野を死者の霊がさまようように。ロシアの「魔法の馬」では姫はやはり塔の天辺にいて、馬を高くジャンプさせて姫にキス出来た勇者が婿の資格を得る。西欧には【ガラス山の王女】という話群があるが、その場合は姫はツルツルして登れない高山の頂上の城にいる。ブリュンヒルデや白雪姫が山上に眠っていたように。ガラス山はゲルマンを中心に信仰されていた、冥界の一形態である。神馬や、鉄や骨の呪具を用いて登ることの出来た若者が、山上の女神に求婚できるのだ。

 

 茨の垣を越えること。高い塀を乗り越えること。神の鳥や馬に乗って閉ざされた城や出入口のない高い塔に入ること。これらは全て同じことを語っている。冥界への侵入だ。

ヴォルスンガ・サガ」では、眠り姫であったプリュンヒルデは炎の壁の向こうにいる。シグルズは友人の身代わりとして神馬グラニで炎を越えて館に入る。同じ北欧の『古エッダ』「スキールニルの歌」で、太陽神フレイの名代として、従者にして親友のスキールニルが美しき地の女神(女巨人)ゲルズに求婚に向かうが、その館に到達するには闇と炎を通り抜けねばならず、そのためには神馬が必要だと語られている。一方、『スノッリのエッダ』第一部には、殺された植物神バルドルを黄泉帰らせようと、弟神のヘルモードが冥界ヘルへ向かうエピソードがあるが、その冥界を支配するのは女王神ヘルであり、彼女の館へ行くには巨人の乙女モーズグズが番をする川を渡らなければならない。ヘルの館は高い塀に囲まれていたが、ヘルモードは主神オーディンに借りた八脚の神馬スレイプニルでそれを飛び越えて中に入った。




 垣が茨であろうと炎であろうと表層的な差異に過ぎず、根源的には《境界》という意味で変わらない。とは言うものの、何故そうした表層が選ばれたのか、ということを考察する余地はある。

 ブリュンヒルデが籠もっていた炎の壁を曙光と関連付ける研究者がいる。眠っていた彼女をシグルズが目覚めさせるエピソードは、季節や天体の変化のような自然現象を比喩した神話との解釈からだ。しかし、その輝きに《太陽の光》のイメージがあることには同意するが、それは単なる自然現象の比喩でしかないのだろうか? 世界各地の伝承において太陽神と冥界神は表裏一体に語られ、太陽神の館と冥王の館は同じ描写をなされることを思い出さねばならない。輝く城、黄金の呪具、黄金の髪。伝承にしばしば現れるこれらは《太陽の力》に関わる存在であり、同時に、《異界〜冥界の力》に関わっている。輝くように麗しい乙女は冥界にいるのだ。また世界的に、冥界〜地獄には炎が燃えていると語られるものである。(ギリシアの伝承では、冥界には炎の河ピュリプレゲトーンがある。

 では、茨の垣の方はどうだろう。

 植物の垣で囲われた区間を神域とみなす観念は、私たち日本人の日常にも見られるものだ。地鎮祭などの神事においては、四方に笹を立てて縄を張り、そこを神域として、その外側から祝詞を唱える。日本神話では、天孫に国を譲った出雲いずものコトシロヌシは逆手を打って傾いた船を青柴垣に変えると、その中に隠れ籠もる。

 しかしグルジアの「三人姉妹」やジプシーの「恋に溺れた継母」の例をみると、植物は《眠る者》の周囲ではなく、その上に生い茂っている。ここには、死体の上に植物が繁茂する……死者が植物に変成するという観念が現れているように思われる。《眠る者》は植物に変わり、小動物や生活道具などに次々変わり、輪廻の輪を巡った果てに人間として生き返る。……《眠り》から《目覚めた》のであった。

死と眠りと忘却

 ギリシア神話によれば、死神タナトスの弟ヒュプノスは、眠りを司る神であった。彼は地下タルタロスまたは太陽の訪れぬ地の洞穴に住んでおり、夜ごとにタナトスと共に地上に立ち現れる。その姿には夜の鳥のイメージがある。青銅のように冷たく揺るぎない《死》に対し、《眠り》は優しく慈悲深い。枝(杖)でそっと額に触れるか、背や額に生えた漆黒の翼でそよそよと煽ぐか包み込むか、《眠りの角盃》から薬を注ぐかして人々を眠らせ、その手には罌粟けしの実を持っている。

 どうして《眠り》は《死》の弟とされ、地下や洞穴……冥界に住むとされるのだろう。それは、死と眠りがとても似ている、ごく近しいものだと認識されていたからに他ならない。「永遠の眠り」という言い回しは「死」を表す。深く眠ることを「死んだように眠る」と表現する。

 昔、月の女神アルテミス(または、セレネ)が月の戦車を御して、ある山上(一説によればラトモス山)に差し掛かると、山頂で絶世の美青年・エンデュミオンが眠っていた。彼女はその美しさに惹かれ、彼の夢の中に入り込んで愛を交わした。エンデュミオンはこの夢に魅惑され、いつまでも眠っていられるよう、永遠の眠りと永遠の若さを主神ゼウスに願った。よって彼はずっと、草地もしくは洞穴の中で美しいまま眠り続け、夜毎の女神の来訪を待っている。この神話は有名だが、別説によれば、エンデュミオンに永遠の眠りを与えたのは、彼に恋したヒュプノスであったという。

 永遠に美しいまま眠り続ける。その姿は眠り姫たちとよく似ているが、これが実は《死》を意味していることは、ぼんやりと認識できるのではないだろうか。死者は生きていない故に変化せず、永遠に美しい。死と眠りは近しい。観念上では、それは同一のものとみなすことさえ出来る。

 ヒュプノスが持つ罌粟の実は、《眠り》の象徴だ。ご存じのように、罌粟の実からは阿片(モルヒネ)が採取される。常習性のある危険な麻薬の一種だが、鎮痛剤・睡眠薬としても用いられてきた。ヒュプノスの住む洞穴の前には罌粟の花畑があり、彼はその花の実を傷つけて滲んだ液を採取する。(これを乾燥させたものが阿片。)それを角盃に集めて地上に撒き散らし、あらゆる生き物を眠らせるのである。

 西欧には、土葬した死者が吸血鬼(屍鬼)となって起き上がるのを防ぐため、棺桶に罌粟の種を入れておく慣習があったと言う。一般に、細かい罌粟種の粒を死者は一つ一つ数えずにはいられなくなり、棺桶から出てこなくなるからだと説明されるが、もしかすると罌粟の麻薬効果によって死者を眠らせる、という意図があったのかもしれない。ドイツの眠りの精霊・ザントマン Sandmann (砂男)は眠らない子供の目に魔法の砂をかけて眠らせる、または砂で目潰しして目を開けられなくすると言われるが、この《眠りの砂》と罌粟種の粒にも、どこかでイメージの交差があるだろうか。1817年のE.T.A.ホフマンの詩『砂男』によれば、ザントマンは眠らない子供の眼窩に砂を詰めていって飛び出した眼球を奪い、それを半月に運んで自分の子供たちに与える。ザントマンの子供たちは夜の鳥…フクロウのようなくちばしをしていて、その目玉をついばむと言う。なお、ヒュプノスにはモルペウス(造形者)という自在に姿を変える子供たちがいるとされている。(一説には、ヒュプノスの別名。)彼らは夢の神であり、大きな翼で音もなく飛翔する。その名がモルヒネの語源である。

 

ペルスフォレ」、「太陽と月とターリア」、「眠れる森の美女」、そして『千夜一夜物語』版の類話では、娘は糸紡ぎ用の亜麻の繊維が手の爪の間に挟まって眠りにつく。現在、眠り姫と言えば紡錘に刺されて眠るというイメージが色濃いが、類話全体を見れば少数派であるうえ時代的にも新しく、後世に作り変えられた設定らしく思われる。

 では、どうして古い時代の眠り姫たちは亜麻の繊維ごときで死の眠りについたのだろうか。

 一つには、糸紡ぎをしていて植物繊維のささくれが指先に刺さり痛い思いをすることは日常的に起こっていただろうから、その体験が根底にあるのだろう。特に爪の間に入り込んだ柔らかな棘は、なかなか取れなくて厄介なものだ。だが、それが死の眠りをもたらす鍵となるのは、どうも、麻薬との関連があるように思えてならない。

 麻薬(マリファナ)が採れる大麻は、亜麻とは全く異なる種の植物である。が、有用な繊維が採れる植物という点でイメージの混同があるように思われる。というのも、『千夜一夜物語』版では「亜麻の匂いに喉を掴まれて死んでしまうような娘でも〜」という言い回しによって、それを吸引利用する仄めかしがあり、かつ、それを「痛みを鎮める/気を休めさせる匂い(岩波文庫の和訳版ではこのくだりは「何でもない亜麻の匂い」とされているが、メイザーズの英訳版では anodyne smell of flax とある)」ともしてあるからだ。通常、亜麻は吸引利用もしないし鎮痛効果も持たない。よって、本来は亜麻ではなく大麻を指していたのではないかと思われる。

 つまり、娘が亜麻の繊維によって死の眠りにつく、というシチュエーションの背景には、大麻によって酩酊・昏睡状態に陥る、という含みがあるのではないか。そうならば、これも《魔法の眠り》と同じく、後に復活するからには本当の死ではなく仮死であった、という合理化設定のバリエーションであろう。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」や「シンベリーン」、ムーゼウスの「リヒルデ」には薬物を用いて姫を仮死状態にし、葬らせる(後に彼女は復活する)モチーフが見えるが、それらとも共通した方向性である。しかし、この含みが長く語り伝えられていくうちに忘れ去られ、麻の繊維を紡ぐという部分だけが残って膨らんだ結果、糸紡ぎの紡錘を刺して眠りにつく、という珍妙な形に結実したのではないだろうか。

 

 麻薬は体や心の痛みを忘れさせる。罌粟の花言葉は《忘却》だ。《眠り》と《忘却》の関連付けは古くから行われていた。ヒュプノスの洞穴の前の薬草園には罌粟だけでなく、ロートスという忘却の実が植えられていたと言う。この実は『オデュッセイア』にも出てくる。故郷へ帰る航海の途中でオデュッセウスが立ち寄ったロートバゴス人の国では、全てを忘れ酩酊してしまう果実(または花)・ロートスが食べられていた。その辺り一帯は咲き誇るロートスの花で覆われている。その花の香りを嗅いだり食べたりすれば深い眠りに落ち、蜜のように甘い夢を見る。その夢に囚われた人々は、目覚めれば再びロートスを口いっぱいに頬張って眠ってしまう。オデュッセウスもロートスを食べて囚われかけたが、目を覚ましたとき懸命に自我を保ち、瞼につっかえ棒をして(笑うところではないので注意)、眠りこける仲間たち一人一人を背負って船に運んで、辛くも脱出したのであった。

 一方、《眠り》が《死》と関連付けられるように、《忘却》と《死》も結び付けられている。

 ギリシアの伝承によれば、冥界タルタロスの入口、または出口には、レテという川が流れているという。レテとは《忘却》の意で、一説によればレテという名の小女神ニンフ(妖精)にちなんでおり、彼女はタナトスとヒュプノスの姉妹であるとも言う。冥界はしばしば《レテの野原》、あるいは《レテの家》と呼ばれた。一説によれば、ヒュプノスの洞窟の辺りの岩の間からレテの水が流れ出しており、そのせせらぎの音は眠りを誘うものであったと言う。

 ともあれ、冥界にやって来た死者の霊は、まずはこの水で渇きを癒す。あるいは冥界を出て輪廻転生する際にこの水を飲む。すると生前の全ての記憶(もしくは、生前の怒りや悩み)を忘れてしまう。生前のしがらみを失くして初めて、霊は次の段階へ進んでいくのだ。同じ観念はロシアにもあり、死者の霊は四十日間この世に留まった後、忘却の河 reka Zabvenija を渡って冥界へ立ち去るとする。死霊が忘却の水を飲むことはいわば《成仏》であり、四十日を乗り切ったならば、もはや《化けて出る》恐れはないとされた。

 ギリシアの伝承に、ミノタウロスを退治したことで有名な英雄・テセウスが、友人ペイリトオスに冥界の女王神ベルセポネを花嫁として与えるため、二人で冥界へ下るという物語がある。一説によれば、冥王ハデスは贈り物を授けるから待てと騙して、館を訪れた二人を岩を彫り抜いて作った椅子に腰かけさせた。それは忘却レテの椅子であり、自分自身を忘れた途端、彼らは石のように硬くなって、鎖に縛られたかのごとく永遠に囚われたと言う。元の伝承は彼らの失敗を語って終わってしまうが、後にヘラクレスの物語で補完され、ヘラクレスが冥界を訪れた際、テセウスのみを救い出したとした。

 かぐや姫は昇天する際に羽衣を着せかけられると現世での愛をたちまち忘れてしまったものだが、《忘却》と《死》は観念の世界では非常に近い。そして、死者が冥界へ入るとき、もしくは出る時にレテ川の水を飲む……この世からあの世へ、またはあの世からこの世へ移動すると、前の世界での記憶が失われる……という観念は、様々な説話にも含まれている。

 やや形が異なるが、チベットの『死者の書』では、死者の霊は気絶したまま冥界へ行き、夢の中で裁かれ切り刻まれて浄化された後に、気絶したまま新たな母胎に飛び込む、だから人間は死んでいた間のことは何も覚えていないと説いている。

 アファナーシエフが採取したロシア民話「海の王と賢いワシリーサ」では、乙姫ワシリーサと結婚した王子が、囚われていた海の王の宮殿から人間の国ロシアに呪的逃走する。ところが国境を越えて、王子が城に先触れに行くと言うと、ワシリーサは言うのだ。

「イワン王子、あなたは私を忘れてしまうわ!」

「忘れるものか」

「いいえ、イワン王子、あなたは忘れてしまうのよ! でも、二羽の鳩が窓にぶつかったら、私を思い出してね!」

 イワン王子は、一人で御殿へ行きました。両親は王子を見つけると、飛びつき抱きしめ、キスの雨を降らせて喜びました。イワン王子もあまりの嬉しさに、賢いワシリーサのことを綺麗に忘れてしまいました。


参考文献
『ロシアの昔話』 内田莉莎子編訳 福音館文庫 2002.

 王子が忘れてしまうであろうことを、既にワシリーサは確信している。それが決まり事であるかのように。

 対して、例えばフランスの「蛇息子」では、異界に去った夫を探して苦しい旅をした妻が、ついに夫を見つけ出すが、彼は元の妻のことを(本当の意味で)忘れている。既に異界の女と再婚しているのだ。

 成人のための通過儀礼として、少年が擬似的に死んでから青年として甦ったことにされる儀式が世界中で行われていた。この際、《死から甦った青年》が過去の一切の記憶を失ったように振舞う場合があったという。コンゴーのボマ地方では、成人式を受ける若者は一通りの試練を受けたあと仮死状態になり、模擬的に埋葬された。その後に大人として蘇生するが、その時には自分の名前をはじめ過去の一切の記憶を喪失したように振る舞い、大人としての新しい名前を授かったという。日本でも、かつて士族階級の男子は成人すると元服名を付けたが、これにも「新しい人間に生まれ変わった」という意味があったのだろう。

 アファナーシエフのロシア民話「知らん坊」(AФ295)では、神馬と共に家を出た若者が、雄牛の皮をまとい膀胱の袋を頭にかぶった醜い怪物の姿に身をやつし、神馬の指示通り、誰に何を尋ねられても「知らない」としか言わないようになるという描写がある。これなど、通過儀礼の様子が物語にフィードバックしているように思われる。

 

ヴォルスンガ・サガ」において、シグルズは山上で結婚した妻・ブリュンヒルデを忘れ、人の世の姫たるグズルーンと再婚してしまう。物語上では、それは《忘却の薬》を飲まされたからだと説明される。この不自然にも思える重婚を、研究者によっては異なる二つの物語を結合したために生じた齟齬であると解釈するが、恐らくはそうではない。シグルズは冥界で結婚し、山から下りて〜世界を渡って、現界に戻った。転生したために前世の記憶を失ってしまった、という観念が根底に見えている。

 記憶を失った故の重婚、というイメージの片鱗は、「海の王と賢いワシリーサ」での「(母親に)キスをされると、ワシリーサのことを忘れてしまった」というエピソードにも見える。フランスの「二文のヤニック」では、異界の妻を現世に再生させ本当に結婚する条件が「一年間、どんな女性ともキスをしないこと」であったが、横恋慕する娘の策略でキスされ、若者は妻が迎えにきたとき眠ってしまう。ここでは《忘却》が《眠り》と入れ替えられている。

太陽と月とターリア」では、眠っているターリアと愛を交わして城に戻った後、王は彼女のことをすっかり忘れてしまう。物語上、王のいい加減な性質がそうさせたかのように語られているが、恐らくこの根底にも、シグルズがブリュンヒルデを忘れたことと同じ、前世(異界)の記憶の忘却、という観念がある。

 『千夜一夜物語』版の眠り姫の類話では、この観念はもっとはっきりと語られている。王子は眠り姫シットゥカーンの墓所を離れると、あれほど恋い焦がれた彼女との愛の記憶を失ってしまう。この時、シットゥカーンが王子の姿を覗き見するという禁忌侵犯のモチーフが挿入される。日本神話でイザナギが黄泉の妻の姿を覗き見し、ギリシア神話でオルペウスが妻を返り見て、そのため永遠に別れることになったように、見られた王子は「二度と会えない」と悲しげに呟いて遠ざかる。そしてその後にシットゥカーンと再会しても、彼女と愛を交わしたことを思い出さない。物語上では、シットゥカーンが魔法によって姿を変えていたからだと合理的説明されているが、根底にあるのは《転生による忘却》の観念ではないだろうか。シットゥカーンは彼の記憶を取り戻させたが、そのためにはもう一度彼を殺し、そして蘇らせる必要があった。葬儀の模擬を行わせ、棺の中に横たわった彼の屍衣を解いたのだ。シグルズが横たわるブリュンヒルデを覆っていた鎧を切り裂いて目覚めさせたように。



命の水]話群で王子が訪ねる魔法の城は、地の果てや川の向こうにある。周囲は高い塀に囲われ、門は固く閉ざされている。神馬で塀を飛び越えるか、門が開いた僅かな時間にすり抜けるかするしかない。獅子や竜が番をしていたり、門そのものが番人であることもある。内部は生命の水や生命のリンゴなどの宝で豊かに満たされているが、不思議なことに、広大な城は死んだように静まり返っていて誰もいない。探し回ってみれば、住人たちは眠っているのだ。そして城の奥には、多くの侍女に囲まれた最も美しい女王にして誰もに死をもたらす屈強の女戦士が、やはり眠っている。

いばら姫」には、紡錘に刺された姫が魔法の眠りに囚われた途端に眠りが広がって、城全体の時間もが停止し眠りについてしまうという描写がある。「眠りの森の美女」ではこれを、姫が目覚めた時に困らぬようにとの仙女の計らいであると説明しているが、本来はそういうことではあるまい。

 豊かで広大な城(あるいは町)は死んだように静まり返っている。もしくは、ガランとした中にたえなる音楽だけが響いているか、弔旗が掛かっている。住人は誰もいないか、あるいは眠っていたり石になっていたり、手や影だけになっていたり、鳥獣の姿であったり、さもなければ葬儀の装いで嘆いている。これは、その城そのものが冥界……死の世界であることを暗示した、伝承では定番の表現の一つなのだ。

 言うまでもなく、番をする獣も、生命の果実や生命の泉も、冥界の伝承には付き物のモチーフである。伝承の中で生命の水は死の水と対になって現れることが多いが、ギリシアの伝承でも、冥王の館の側にはレテの泉とムネモシュネの泉の二つがある、と語られることがある。ムネモシュネとは《記憶》の意味である。かつてボイオティア地方レバデイアの山中の深い洞穴の奥に英雄トロポーニオスの神託所があり、そこに入って神託を得るためには、まずレテの泉の水を飲み、次にムネモシュネの泉の水を飲まねばならないとされていた。つまり洞穴〜冥界を潜って、一度死んでから生き返るという模擬である。《忘却》は《死》であり、《記憶》は《生命》と同一視できるものだったのだ。




 さて。【眠り姫】の物語が、死と再生を語っていることは確かである。そこから、人はこの話群を《死からの復活、救済》をテーマにしたものだと捉えがちだ。少女の心の再生なり、冬枯れの大地の迎える春なり。だが、惑わされてはならないだろう。本当に重要なのは、王子が《境界を越えて》訪ね当てた花嫁は眠っている、という状況そのものではないのか。

《眠り》は《死》の比喩とみなせる。この世から隔絶された場所に座す乙女は神霊であり、この世ならぬ者、即ち死者である。《死》を意味することを分かり易く示すために、彼女は横たわって目を閉じているのだ。死体はそのようになっているものだから。

 訪れる王子は、冥界に渡って霊力を得ようとしているシャーマンであり、古代の王である。彼は神霊と縁を結ばねばならない。結縁の分かりやすい形の一つは結婚だ。よって王子は冥界の女神……観念上で死んで横たわっている女と結婚しようとする。だが、普通に考えれば死人と結婚するのは不可能だ。愛も囁けないし子供も得られない。しかも、霊は不滅だが死体は腐敗するという不吉なイメージが拭えない。この不都合を解消するため、語り手はここに《魔法の眠り》という設定を挿入したのだろう。死んだように眠る娘は実は死んでいないので、ずっと生き生きとしたまま美しい。王子が愛を交わすと《魔法が解かれて》目覚め、血の通った娘になって起き上がり、愛を囁いてくれる。

 彼女が《死から目覚める》のはそうした物語の都合であり、格別に枯れた大地の芽吹きや昇日や心を閉ざした少女の成熟を意味していたのではないと考える。無論、語り継がれる中でそうした意味を込めていくのは、各語り手の裁量なのだが。

 


 余談。

 眠り姫が死者(冥界の女神)であり、そこを目指して王子が冥界を下っていく…という観点から物語を見ると、姫が眠る原因が《糸紡ぎ》になっていることにも幾つかの意味を見いだせるかもしれない。

 一つには、女神は糸紡ぎや機織りと結び付けられていることが非常に多い。現実の女性の仕事を写しているのでもあろうが、女神の紡ぐ糸や織る機は、《生命》とみなされることが多い。女神の紡ぐ糸や織る機は定期的に女神自身や第三者の手によって断ち切られてしまう。そうすることで世界の生死のサイクルは保たれている。そしてまた、永遠に完成しない仕事というモチーフには、冥界の罪人たちの姿…死者(神霊)の不変性の暗示もある。

 もう一つは、恐らく糸紡ぎと女神の関わりからなのだろうが、冥界へ下る際に転がる糸玉に導かれる、もしくは冥界から脱出する際に結び付けておいた糸玉の糸を辿る、というモチーフとの関連である。冥界へ下るのも抜け出るのも、生死を司る冥界女神の手助けが欠かせないという観念が見える。

 グリムの「ホレおばさん」では、井戸端で糸紡ぎをしていた娘が紡ぎ過ぎで指から血を出し、紡錘に血が付く。洗おうとして井戸に落としてしまい、それを追う形で…糸玉に導かれて、井戸の底の不思議な世界へ行く。井戸の底の世界には果実がたわわに実り、かまどがごうごうと燃えている。それらを支配するのは世界の天候を左右するというホレおばさんである。そこが冥界を示す一バリエーションであることは明らかだ。

 眠り姫たちは糸紡ぎをしていて指を傷つけた瞬間、死の眠りにつく。「ホレおばさん」の娘が紡錘に血をつけて井戸の底に飛び込むことと、表現は違うが、実は同じことを言っていないだろうか。

 セルビアの「ペペルーガ」では、娘が大地の割れ目に紡錘を落とすと、その母親が雌牛に変わってしまう。雌牛は娘の神秘的守護者となる。他の類話と並べて推察するに、母親は死に、その魂が獣の姿で立ち現れ、娘を守護することになったと読める。大地の割れ目とは地母神の女性器の暗示であり、冥界の入り口を示している。転がり落ちた糸玉に導かれて冥界に呑まれたわけだ。そして死んだ母親と美しく変身する娘と冥界の女神は、観念的にはほぼ同一の存在である。


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