>>参考 「頑固な頭の少年と小さな足の妹」「二人の兄弟の話」「小さい野鴨
     【絵姿女房】[基本のシンデレラ][その後のシンデレラ〜偽の花嫁型

 

ロドピスの靴

《女の美しさを示すもの(髪/櫛/靴/香油/肖像画)》が、(川の水/鳥/風)によって持ち去られるか慌てた女自身が落とすかして、高貴な男の手に渡る。それを手がかりに男が女を探し当て、妻にする話。《失われて再び見つけ出されたもの》とも呼ばれるモチーフで、世界中の様々な伝承の中に見出すことができる。

 

ロドピスの靴  エジプト

 エジプトの有名な二つのピラミッドからやや離れた場所に、それらよりずっと小さいピラミッドがある。人の言うところによれば、それはロドピスという歌姫の墓で、彼女の夫であるファラオが建てたものだという。

 ロドピスは北ギリシアの生まれだったが、幼い頃に海賊にさらわれ、サモス島の金持ちに奴隷として買われた。一説によればこの屋敷に働く奴隷の中に後に『イソップ寓話』を書いたことで有名なイソップもいて、幼い彼女に様々な楽しい話をしてくれたという。

 やがて彼女が類稀なる美女に成長すると、主人はこれを当時栄えていたエジプトのギリシア人の町ナウクラティスに高値で売りに出した。彼女を買ったのはハラクソスという富豪で、かれは有名な女詩人サッポォの兄弟だったとされる。ハラクソスはロドピスを自分の娘のように着飾らせ、庭園付きの別荘を買い与えて何人もの侍女をつけ、大切に育てていた。

 ある日、ロドピスが庭園で水浴びをしていると、一羽の鷲が舞い降りて、侍女の手からロドピスの靴の片方を奪って飛び去った。鷲はそのまま首都メンフィスに飛び、野天で国政について語っていたアマシス王の頭上を旋回してから、靴を彼のひざの上に落とした。王はその靴の美しさと出来事の不思議さに心打たれ、エジプト中に使いを出して、ついにロドピスを探し当てた。王のお召しとあればどうにもならない。ハラクソスは泣く泣くロドピスを差し出し、王は彼女を妃とした。鷲をホルス神の使者と考え、神意であると考えたのである。

 こうして、元は奴隷だった少女は王妃となり、彼女が死ぬと、王はピラミッドを建ててその記念としたのだ。



参考文献
『世界のシンデレラ物語』 山室静著 新潮選書 1979.

※古代エジプトの伝説。紀元前一世紀のギリシアの学者ストラボンの『地理書』に掲載されている。

 シンデレラ譚にこのモチーフが組み込まれている場合、"シンデレラ"は何の問題もなく男の求婚を受けて幸せになるが、この「ロドピスの靴」や「二人の兄弟の話」、「絵姿女房」、「タロイェラと彼の娘」のように、女が既に他の男(夫/父/兄)に独占されていたが故に悲劇が起こったと語る話も少なくない。



参考--> 「タムとカム」「ヤン・パとヤン・ラン



吉祥姫  日本 島根県出雲市上朝山

 光仁天皇は、ある夜、出雲大社の神のお告げを夢に見た。大神は一枚の絵と一足のくつを授けて、

「この美女の絵と履を印に、国々に御幸みゆきなされよ。世に二つとない美女を得られるだろう」

と告げた。帝は喜び、供と共に旅立った。

 侍臣は行く先々で高らかに呼ばわった。

「この尊い絵を拝する女は、七難八苦を逃れ去り、富貴の身となる。幸福を願う者は、早く来て拝むがよい」

 女たちは身分を問わず、我先に集まってきて絵を拝した。侍臣はその女たちの間を歩き回って絵の女を捜し求めたが、それを見出すことはできなかった。

 こうして、国から国へ御輿が進んでいった。そのうちに宝亀元年(770年)は暮れ、翌年の五月となった。

 御輿は出雲の国に入った。神門かむどの原に立つと、遠くに大社の黒い森が霞んでいた。早乙女さおとめたちは田植えの手を休め、我先に御幸を迎えようとして道に上がった。この時、苗田に唯一人残って働く乙女があった。侍臣の一人が不思議に思って声をかけた。

「それなる女、お前も早く来て尊い絵を拝むがよいぞ。富貴を欲しくは思わぬか」

 すると乙女は答えた。

「尊いものを拝みとうございますが、雇われる身は、手を休めるわけにはいきませぬ」

 乙女は上朝山の里の生まれで、父は三歳のときに遠国に去り、母の手ひとつで育てられた。その母は病床に倒れ、今は里の人々の厚意にすがって働き暮らしていたのである。

 侍臣は乙女の律儀さに感じ入った。しかも、近づいてみると、乙女は例の絵の美女に瓜二つである。招き寄せて履をはかせてみると、しっくりと合った。

 乙女はやがて帝に仕えるようになり、吉祥姫きちじょうひめと呼ばれた。

 姫は御子を産んだ後、老母が重病になったので上朝山に帰った。帝もその後を追って、姫と共にしばらく神門郡の智井ちいの宮に住んだ。

 帝が崩御されたので、所原の王院山に御陵みささぎを築いた。姫の塚は上朝山にある。



参考文献
『日本伝説集』 武田静澄 現代教養文庫 1971.

※この話では、絵や靴の出所が"神"になっていて、もともと女の元にあったものが失われて高貴な男の手に渡った、という因縁的な部分が抜け落ちている。だが、「ロドピスの靴」でもファラオは鷲が靴を運んできたことを神意と考えており、結局は同じことを語っているといえる。



参考 --> 「小さい野鴨



髪長姫  日本 和歌山県日高郡川辺町鐘巻 道成寺縁起

 現在道成寺がある辺りは、かつて九海士くあまの里といい、漁師たちが住んでいた。この里の村長の早鷹はやたかとその妻・渚には四十を過ぎても子供がなく、熱心に氏神の八幡神に祈って、ようやく一人の娘を得た。ところがこの娘には髪の毛が全く生えず、どんな手当てをしても甲斐がなかった。

 そんなある年、時化しけが続いて全く魚が捕れなくなった。どうやら原因は海の中にあるらしく、夜となく昼となく、時折海中からキラキラと光がさしてくる。渚は、我が子に髪が生えないのは前世の因縁によるものだろう、その罪をはらうためにも自分がこの怪異の正体を探ろう、と決心し、一人で深い海の底に潜って行った。やがて浮かび上がった渚の髪の毛に、一寸八分の小さな黄金仏が絡み付いていた。これ以来海は静まって大漁が続き、渚は柴の庵に黄金仏を祀って朝に夕に礼拝した。すると夢に観音が現れ、願い事があれば言いなさい、と言う。渚は我が子に髪の生えないことを訴えた。願いは叶い、娘には長く美しい髪がずんずん伸びた。

 娘が年頃になると、髪は身長よりも長く、七尺有余にもなり、その見事さを称えて"髪長姫"と呼ばれるようになった。渚が「その髪は観音様からの授かりもの、粗末にしては勿体無い」と戒めていたので、姫は髪を梳いたときの抜け毛も捨てるようなことはせず、必ず木の枝にかけておいた。すると、一羽のスズメがこの髪をくわえて飛んで行き、それで奈良の都の宮廷の軒端に巣をかけた。衛士たちがこの髪の毛を取り去ろうとしていたところ、通りかかった右大臣・藤原不比等が髪を目に留めた。当時、長くまっすぐな黒髪は美人の条件であったため、不比等は「これほど美しい髪の女なら、探し出して宮仕えさせよう」と思い、時の女帝・持統天皇に奏上して、使いが諸国を訪ね歩くことになった。占いで南方の水のほとりと出たので、紀ノ川を下って海岸を南へ行くうち、一ヵ月後、九海士の里に至って髪長姫を見出した。

 こうして姫は都に上り、衣装など万端調えると、天女のように美しくなった。不比等は姫を自分の養女にして邸に迎え入れ、宮子姫と名づけて、時の帝・文武天皇の傍に仕えさせた。宮子姫の生んだ皇子が後の聖武天皇になった。

 宮子姫は遠く離れた故郷や父母や黄金仏を思い、雨や風が吹けば心配のあまり涙した。これを知った天皇は、寺を建てて例の黄金仏を納めるよう命じた。これが、今の道成寺である。



参考文献
『道成寺絵とき本』 小野宏海著、藤原成憲画、小野成寛編 道成寺護持会

※まず、第一の高貴な男が貧しい娘を引き取って美しく変身させること、そこから更に高貴な男が娘を娶る点、この話は「ロドピスの靴」と同じ筋運びになっている。



参考 --> 「二人の兄弟の話




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