>>参考 「瓜姫女房」「ベトナム・チャム族の竈神の由来」「二人の兄弟の話」「炭焼き小五郎
     【ロドピスの靴

 

絵姿女房

 心正しいが貧しい男が、思いがけず美しく賢い妻(長者の娘/天女/竜女/瓜姫/女神)を得る。いつでも姿が見られるようにと妻の肖像画を携帯する。ところが、その絵を偶然 権力者が目にして心奪われる。

 この後の展開は大きく二つに別れる。

  1. <物売り型…夫に何の力も無い場合>権力者は強引に妻を奪い去る。夫は物売り(花/果実/門松/箒/焙烙)になって城に行き、周辺で売り声を上げる。その声を聞いた妻が城に来て初めて笑ったので、権力者は喜んで物売りを城の中に入れ、しまいに物売りと服を取り替える。物売りはそのまま権力者と入れ替わって妻を取り戻し、権力者は城から締め出されるか殺される。
  2. <難題女房型…夫にある程度の地位や財力がある場合>権力者は夫に次々と無理難題を与え、出来なければ妻をもらう、と言う。妻の力でそれらの難題を解決する。(最後に権力者が死に、夫がその後釜になる、と語られることもある。)

 女の肖像画を見た権力者が心奪われ、その女を探し出して妻にする……というモチーフは、西欧の民話でもよく見かける。例えば「小さい野鴨」や「忠臣ヨハネス」、「三人の従者」もそうである。肖像画ではなく、女の履いていた靴や髪の毛を鳥や川が運んで、その持ち主の女を探し求める場合もあり、これはシンデレラ系話群に「スリッパテスト」の形でしばしば現れている。

 これらの話では女は独身であり、権力者が彼女を妻にすることに何の問題もない。だが、「ロドピスの靴」や「タロイェラと彼の娘」のように、娘に父親とも恋人ともつかない存在の男がいる場合があり、その場合、権力者が彼から娘を奪う、という形になる。しかし、男が娘を奪い返しにくるエピソードはない。

 

 後半Aルートの「物売り型」の展開は、似たようなものは「千夜一夜物語」などでも見る事が出来るようだ。妻を奪われた夫は商人や芸人に変装して城に入り込み、妻と再会する。ただ、「絵姿女房」のような「入れ替わり」による愉快なハッピーエンドになることはないようで、一緒に逃げ出すものの失敗し、夫は殺されて妻も後を追ったり、逃げのびた妻が男装して王になり、後に復讐を果たすというような展開になるなどする。

 

絵姿女房  日本 新潟県中蒲原郡

 とんとん昔、あるところにちっとばかり足らぬ権兵衛どんというものがありました。もう年は三十も四十にもなるけれども、誰も嫁にくる者もないし、小さな掘立て小屋に住んでいました。

 ところがある晩、そこらに見たこともないようなきれいな姉さまが来て

「どうか今晩ひと晩泊めてくんなせや」と、言いました。

 権兵衛どんはたまげてしまいましたけれど、喜んで泊めてやりました。すると、夜になってからその姉さまが、

「おめさまは一人もんのようだし、わたしも一人もんだすけ、わたしを嫁にしてくんなせや」と頼みました。権兵衛どんは喜んで嫁にしました。

 ところが、権兵衛どんはその嫁が気にいって気にいって困ってしまいました。草鞋を作るにもかかあの顔ばかり見ているものだから、五尺も六尺もあるものを作って履けなくなるし、みのを作るにも嬶の顔ばかり見ているもんだから、一丈も二丈もあるのをこしらえて着られなくなってしまう。

 そのうち畑打ちに行ったけれども、家にいる嬶のことが気になって、一うね打っては「嬶いたかあ」と、家へ走って嬶の顔を見て来ては、また畑へ行って一うね打っては「嬶いたかあ」と、家へ走って行っては嬶の顔を見るといったあんばいで、仕事も出来ないので、姉さまは町へ行って絵かきに自分の絵姿をかいてもらってきました。そして権兵衛どんに

「これはわたしと同じだすけ、畑の桑の木の枝にでもはめておいて、これを見い見い仕事しなせや」と、畑へ持たせてやりました。

 権兵衛どんはそれから毎日その絵を見て畑を打っていましたが、ある時 大風が吹いて来て、その絵姿が天に舞いあがってしまいました。

 権兵衛どんは泣く泣く家に帰って来て、そのわけを姉さまに話しました。

「そんなことちょっとも心配なさんな、また描いてもろうすけに」と、姉さまはなぐさめました。

 

 絵姿はひらひら天上に舞い上って、落ちたところが殿さまのお庭でした。

 殿さまが見るときれいな姉さまの絵だったので、嫁にほしくなって、家来たちに

「この絵があるからにはこの人がいるに違いないから、どうしても探しだしてこい」

 と、言いつけました。

 家来はその絵を持って「これと同じ女は知らねか」と、そこら中歩いているうちに、とうとう権兵衛どんの村へ来ました。そして「これと同じ女知らねか」と訊くと、村の者が

「ああ、それと同じ姉さならば、権兵衛どこにいらあ」と言うので、家来は権兵衛どんの掘建て小屋へ行ってみました。すると、絵とほんとに同じ姉さまがいました。

「殿様のいいつけだすけ、この女をつれていく」と、むりやり引っぱって行きました。

 権兵衛どんは「かんべんしてくれ、かんべんしてくれ」とあやまりましたが、とうとう連れて行きました。権兵衛どんが切ながって泣くと、鼻と涙がいっしょになって五尺も六尺もさがりました。

 姉さまも泣く泣く、権兵衛どんに

「あのね、仕方がないすけ わしは行くが、お前さんは歳の夜になったら殿さまのお城の前に門松を売りに来なさい。そしたらきっと逢われるようになるから」と言い残して行ってしまいました。

 

 そのうち歳の夜が来ました。権兵衛どんは元気よく門松をいっぱい持ったり負ったりして、お城の前に行きました。そして大きな声を出して「門松やあ、門松なあ」とふれました。

 その声がお城の中に届くと、今までちょっとも笑ったことのない姉さまが、にこにこ笑いました。殿様は大喜びで「その門松屋を呼んでみれ」と、家来たちに言いつけました。権兵衛どんが呼ばれてくると姉さまがもっとにこにこ笑いましたので、殿様もたいそう嬉しくなりました。

「そんなに門松屋が好きなら、俺が門松屋になったらどんなに喜ぶだろう」

 と、権兵衛どんに自分の着物を着せ、自分は汚い権兵衛どんの着物を着て、門松をかついで「門松やあ、門松なあ」とふれてみました。そうすると姉さまは今までよりもっと楽しそうに、にこにこと笑いました。

 殿様はますます喜んで門から外に出て、「門松や、門松や」と呼ばわって歩きました。

 すると、姉さまは家来どもに言いつけて鉄の門をしっかり閉めてしまいました。

 殿様はしばらく経って帰ってみると、鉄の門が閉まっているのでびっくりしました。

「殿様は外にいる、殿様は外にいる」と言って門を叩きましたが、誰も門を開けてくれるものもなかったのです。

 お城の中では、姉さまと権兵衛どんが沢山の家来をつかって、一生安楽に暮したそうです。

 いちごぶらんと下った。



参考文献
日本の昔ばなし(T) こぶとり爺さん・かちかち山』 関敬吾編 岩波文庫 1956.

※妻の出自を竜宮女房で語るものや、天人女房で語るもの、瓜子姫が女房になるもの、長者の娘が押しかけ女房となるもの、訳ありげな旅の娘を妻とするものなどがある。風で飛ばされる絵姿は、鳥がくわえて運んだとなっている場合もある。

 このタイプの話には中国にもあり、 「羽毛衣」「百鳥毛衣」などの題で呼ばれている。様々な鳥の羽で作った特殊な衣を着て奪われた妻に会いに行くことになっているからだ。類話は、朝鮮、シベリア、中央アジアにも見られるそうである。



百獣衣   中国

 ずっと昔、ある長者の家に聡明で美しい玉娟という娘がいた。玉娟は学問に通じ、書や画も巧みで、さまざまな素晴らしい図柄の刺繍も作り、百里四方で彼女を知らない者はなかった。

 長者は娘を政府高官の家に嫁がせようと思っていたが、すでに玉娟には意中の人がいた。この家の作男の張勇である。張勇はこの家にもう十年も働いている好青年で、勇気もあり、深山密林にわけ入って獣を捕らえ、鳥を射、少しも怯むところがなかった。

 二人は互いに好きで、もう離れられない仲になっていた。長者はそれを知ってはいたが、主家と雇人の間だから格が違うと問題にしていなかった。

 

 ある日、玉娟は張勇に「まだわたしと結婚しないの」と聞いた。張勇が「結婚します」と答えると、玉娟は「それなら早く父に言って」と言った。

 張勇が長者に玉娟との結婚を申し入れると、長者は

「天の白鳥の宝卵を二つ結納に持って来れば、お前たちの結婚を承知してもいい」と言った。

 屏風の陰で父親の無理な要求を聞いていた玉娟は涙を流したが、張勇はそれを即座に承諾した。

 

 張勇は長者の家を離れて旅立ち、遇う人ごとに天の白鳥のありかを聞いた。

 ある日、老婆が、真南の方向に千年の松の大木があり、その上に天の白鳥の巣があると教えてくれた。

 それを聞いた張勇は南に向かって勇んで出発した。山があれば道を開き、河があれば橋をかけ、七七 四十九の河を渡り、九九 八十一の山を越え、とうとう高くそびえた千年の松を見つけた。

 張勇が松に登ると、木の股に確かに天の白鳥の巣があった。しかも宝卵が二つある。張勇は喜んで宝卵を懐にしまい、急いで帰った。

 長者は張勇が天の白鳥の宝卵を持って来たので、仕方なく、黄道吉日を選んで玉娟と結婚させた。

 張勇は長者の婿になり、畑仕事はしなくてよくなったが、もともと働き者でじっとしていられず、玉娟に自分たちの所帯を持とうと相談した。もちろん玉娟に異存はなく、二人は長者の屋敷から出て、自分たちの小さな家を建て、畑に野菜を植え、野菜がとれると、張勇は野菜を担ぎ、玉娟は秤を持って二人で売り歩き、楽しく日々を過ごした。

 

 ある日、玉娟は張勇に

「やがて子供が生まれ、小さな着物を作ったりいろいろしなければならないから、もう一緒に仕事をしないほうがいい。その代わりにわたしの絵姿をいつも持って、わたしだと思って頂戴」

 と言って、自分の姿を描いた絵を渡した。それから張勇は玉娟の絵姿を懐にして仕事をするようになった。

 ところがある日、野菜を売りに行くと、目も開けていられないような大風が吹き、風が止むと玉娟の絵姿がなくなっていた。絵姿が風に吹かれて宮廷に飛んでいったとは知るよしもなかった。

 

 宮廷でこの絵姿を見た皇帝は『こんな天女のような美女が宮廷の外にもいたのか』と思い、すぐ四方を捜せと命令した。

 玉娟は張勇が自分の絵姿をなくし、皇帝が絵姿の美女を捜していると聞くと、張勇に一頭の虎を捕らえて皇帝に貢ぐ準備をし、さらに百頭の獣を捕らえてその皮で大衣を作るようにと言った。

 果たして、しばらくすると宮廷の役人が張勇の家に来て、玉娟を宮廷へ連れて行ってしまった。

 皇帝は玉娟を見ると非常に喜び、玉娟を皇后にしようとしたが、玉娟は死んでも承知せず、珍珠玉宝も見向きもしなかった。ついには鞭や棒で叩いたが、玉娟は声も上げなかった。

 七日経つと、宦官が虎を貢ぐ者が来たと告げたので、皇帝はその者を昇殿させた。すると張勇が百獣の皮の大衣を着て宮殿に昇った。玉娟は喜びの声を上げて笑った。皇帝が玉娟に何が面白くて笑ったのかと尋ねると、玉娟は「わたしはあの大衣が好きなのです」と答えた。

 皇帝は玉娟を喜ばせようと、張勇に

「宮廷の宝でお前の好きなものを何でもやる。その大衣と取り替えてくれ」と言った。張勇は眉をひそめ

「わたしのこの百獣衣がほしいなら、皇帝の着ている龍袍をください」と答えた。

 皇帝は龍袍より美女がいいと、すぐ龍袍を脱いで張勇の百獣衣と取り換えた。張勇は龍袍を着ると堂々と皇帝の座位に着き、武士たちに大声で

「あの無頼者をひっとらえて首を斬れ」と怒鳴った。

 皇帝が何か言おうとする間もなく、武士たちは百獣衣を着た皇帝を宮廷の外にひきずり出し、首を斬ってしまった。張勇はそれを見ると龍袍を脱ぎ捨て、玉娟と二人で仲よく家へ帰った。



参考文献
「百獣衣」/『中国民間文学集成遼寧巻沈陽市巻中』
百獣衣」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

※妻の出自は、日本のものとほぼ同じで「竜宮女房」「天人女房」。そしてこの例話では前半に「難題婿」の要素が付け加えられている。
 妻の情報が王に知れる状況は日本のものと同じ《風に飛ばされた絵》によるが、実際に妻を見た者が王に伝える場合もある。例話の結末では元の家に帰ったことになっているが、大抵の話では日本の話と同じく、そのまますり替わって暮らす。

《百獣衣》はグリムのシンデレラ系物語に出てくる《千匹皮》そのものだ。また、中国のこの系統の話では百羽の鳥の羽で作った《百鳥毛衣》となっていることも多い。ブルガリアの「翼をもらった月」にも同様の羽衣が出てくる。多くの獣、鳥から少しずつ毛や羽を集めた衣は、その分の《力》を持つ、という思想があったのだろう。なお、他に《羊の革衣の裏返し》のこともある。

 思うに、主人公が羽衣を着るのは、「冥界に去った妻を取り戻しに行く」というイメージが根底にあるのではないだろうか。眠り姫の閉じ込められた城へ、王子が空飛ぶ馬や巨鳥に乗って飛び込むのと同じことである。数多くの鳥の羽で作られた衣は、強い「渡り」の力を持った、シャーマンの衣装だと思われるのだから。



タロイェラと彼の娘  南太平洋諸島・ポナペ島

 ポナペ島のトロニエ地区にタロイェラという独身の男が住んでいた。ある日家の掃除をしていると、葦の茎で指を切って血が出た。血止めに使ったタロ芋の葉に血が溜まり、傷が治ってからそれを木の枝にかけておくと、地に落ちて若い娘に変わった。タロイェラは喜んで、娘にリマシャイマルグと名付けた。

 ある日娘は水浴びに行く。父のタロイェラは「泉で水を浴びなさい。流れている川の水を浴びてはいけない」と言うが、娘は川で水浴びする。体につけていた香油が流れ、海に流れてマトレニム地区にいた王・シャウテルールの許にまで達する。

 王はこの不思議な水と油の出所を知りたくなり、家来のシャウカンプルに探らせる。家来は水浴びするリマシャイマルグを見、報告を受けた王はタロイェラに申し込んで娘を妻にめとった。タロイェラは悲しんだが、王は女が産んだのではなく、男の血から産まれた妻を得たことをたいそう喜んだ。

 やがてリマシャイマルグは妊娠したが、魚の肝を好むようになり、次々としきりに食べたがった。ついに手に入らなくなり、王が魔法使いに相談すると、「お妃の父上の肝を食べさせてごらんなさい」と言う。他に手立てもなく、王はタロイェラを殺して肝を取った。お妃は匂いをかぎ、「この肝は生では食べたくないから煮ておくれ」と命ずる。人々は肝を煮る間歌う。

 今煮ているのはタロイェラですよ、リマシャイマルグ!

 いとしいお妃様、あなたはお父様を立派に扱いましたね!

 お妃は肝臓を食べようとはせず、日が沈むと父を訪ねてボートに乗っていった。すると父が死んでいたので、泣きながら美しいござに包んで家の四方に火を付け、父親の頭を抱き抱えたまま自分も焼かれてしまった。王が召使達から話を聞いて追ってきたが、妻が炎の中にいるのを見て、自分も中に飛び込んで死んでしまった。



参考文献
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.

※民話を見ているとたまにぶつかるのだが、《女の腹から生まれたのではない娘を理想の花嫁とする》ってやつ…。女としては大層ムカつく理想です。そんなに女が子を産むのが嫌なら女と結婚しなければいい。(怒) 日本の民話の「二口女房」の《飯を食わない女を理想の女房とする》ってのもそうですが。

 木の葉に溜まった血から子供が生まれるモチーフ。「ハイヌヴェレ神話」にも見られるが、血の霊力…大地や水に対して精液とほぼ同一の豊穣の意味を持つ……という思想が現れている。

>>参考  「二人の兄弟の話




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