>>参考 [一寸法師]【親指小僧】【蛙の王女

 

たにし息子/蛙の王子

  1. 子の無い夫婦が神に祈願し、小さな水棲系生物(たにし/カタツムリ/蛙/蛇)a.産む b.拾う)
    その子は役立たずだと思われており、a.それでも可愛がられ、大事にされている b.両親や周囲に疎んじられている)
    ※この段は欠落していることがある。特に西欧では希薄である。
  2. 子供は成長すると(高貴な/金持ちの)嫁を欲しがる。
    (西欧の話では、貧しい娘が嫁入りしてくると殺してしまうエピソードが入ることがある。)
    a.自分の食料を娘に盗み食いされたと訴えて b.災いを起こすと脅して c.水の恵みと引き換えに d.親が大金を払って)望みの嫁を得る。
  3. 嫁は異形の夫を
    1. 憎み、殺そうとする。殺された夫は立派な若者に変わり、夫婦は愛し合って暮らす。
    2. 愛し、よく仕える。夫はa.夜に皮を脱いで b.自ら望んで死んで)立派な若者に変わる。
  4. 妻がa.夫が夜に皮を脱ぐ秘密を姑に明かしたため b.夫の脱いだ皮を焼いたため c.姑または姉に夫の脱いだ皮を焼かれたため)a.夫は死ぬ。 b.夫は冥界に去るが、妻は冥界へ苦難の旅をし、彼を連れ戻して幸せに暮らす。)
    ※この段は、話によってあったりなかったりする。日本ではほぼ完全にこの段はない。中国では夫が死んで終わることが多く、中東や西欧では連れ戻すことが多いようだ。

 いわゆる《異類婚姻譚》の一分派である。最大の特徴は、この異類が水に関わる、農耕豊穣系の神の申し子であり、かつ《小さい》という点だろう。小人の冒険や嫁取りを描く[一寸法師]や【親指小僧】とは多くのモチーフを共有し、重なり合っている。

 日本や中国の話では、蛙息子やたにし息子が神の申し子であることが強調される。なにしろ、中国系の話では笑ったり泣いたり跳ねたりする事で天変地異すら起こしてしまうほどだ。また、「たにし息子」には、娘に自分の食料を盗み食いされたと訴えて無理に嫁にする、というモチーフがあるが、これらの食料は神饌であり、実際に神棚に置いたと語られることも少なくなく、「神に供えた食べ物を、その妻である巫女が食べる」という神婚儀礼的な意味があるように感じられる。(寝ている娘の部屋に忍び込んで口に自分の噛んだ食料を塗りつけ……というくだりは、エロティックな比喩であるかもしれない。)

 一方、西欧の話では、蛙息子や蛇息子が神の申し子であるというイメージはかなり希薄になっている。彼らが異形の姿をしていたのは《呪い》のためであったと語られ、《悪い魔女に魔法をかけられていた》などと語られる。

 

たにし息子  日本 岩手県

 昔むかし、あるところに長者どのがありました。

 あそこの長者どのは、不自由ということを知らない分限者だと噂しておりました。ところが、それほどの長者どのの田を作っている名子(小作人)の中に、その日のかまどの煙もたてかねるほどの貧乏な夫婦がありました。もう四十をこしていたけれども、どうしたことか子供がありませんでした。

 夜になると、二人はいつも子供のいないのを嘆いておりました。

「なんとかして子供が一人ほしいものだね。わが子と名のつくものなら、蛙でも、たにしでもよいが」

と言って、水神さまにお詣りして願をかけておりました。

 ある日、婆がいつものように田の草をとりに行っていて、

「水神さま、もうし、そこらあたりにいるたにしのような子供でもよいから、どうかわたしに子供を一人さずけてたもれ。あなとうと、あなとうとう」

と言って心から水神さまに祈っておると、どうしたことか急におなかが痛んできました。がまんすればするほど、だんだん痛みがひどくなってきました。とうとうたまりかねて、はうようにして、家に帰って来ました。

 百姓は心配して色々介抱したけれども、どうしても治りませんでした。お医者さまを頼むにしても金はなし、さてどうしたものかと思いなやんでいました。

 さいわい近所に産婆どんがおりましたのて、医者ではないけれども頼んで診てもらうと、子供が生まれるということでした。

 夫婦はそれをきいて大そう喜びました。神棚にはすぐにお燈明をあげ、子供が無事に生まれますように、と水神さまに祈りました。

 それからしばらくすると、一匹の小さなたにしが生まれました。みんなはびっくりしました。けれども、これは水神さまの申し子だからと言って、お椀に水をついで、その中に生れた たにしを入れて神棚にあげて、大切に育てました。

 

 どうしたことか、生まれてから二十年もたったけれども、たにしの息子は少しも大きくなりませんでした。一言も口をきいたことがありませんでした。でも、ご飯は一人前たべました。

 ある日、年とった父親は、大家の長者どのに納める年貢の米を馬につけながら、

「ああ、ああ、せっかく水神さまに子供をさずかって、やれうれしいと思うと、あろうことか たにしの子だ。たにしの息子であってみれば、何の役にもたたない。われはこうして一生はたらいて、女房や子供を養わなければなるまい」と嘆いていました。

とと、父、そんじゃ、今日は、おれがその米を持って行くよ」と言う声がどこかで聞こえました。父親はあたりを見まわしたけれども、誰もいません。不思議に思って

「そんなことをいうのは誰だ」と言うと、

「おれだよ、父。いままで長い間えらい恩をうけた。おれも、もうそろそろ世の中へ出るときが来た。今日は おれが父の代りになって、旦那さまのところへ年貢米をもって行こう」と言いました。

「馬はどうやって曳いて行くのかい」

「おれはたにしだから、馬を曳いて行くこたぁ出来ないが、俵の間に乗せてくれたら、何の苦もなく、馬は自由につれて行けるよ」と、答えました。

 父親は、今まで物を言ったことのなかったたにしが物を言うようになったばかりか、自分の代わりに年貢米を納めにいくと言うのだから、たいそう驚きました。けれども、「これも、水神さまの申し子のいうことだ、そむいたら罰があたるかもしれない」と思って、三頭の馬に米俵をつけました。そうして神棚のお椀の中から たにしの息子をつまんできて、米俵の荷の間にのせてやりました。

 たにしは

「そんじゃ、父もかかも、いって来るよ」と言って、はいどう、はいどう、しっしっと、上手に馬どもを使いながら、家の戸口から出て行きました。父親は、出すには出してやったが、息子のことが心配でならないので、馬のあとから見えかくれ、ついて行きました。

 たにしの息子は、ちょうど馬子どもがするように、水溜りや橋のところへやって来ると、はあい、はい、しゃんしゃんと、うまく声をかけて行きました。そればかりではない。いい声をはりあげて、ほのぼのと馬方節をうたうので、馬もその声に足をあわせて、首の鈴をじゃんか、ごんか鳴らしながら、勇んで行きました。

 道を歩いている人も、田んぼで働いている人も、このありさまを見て、声あれども姿は見えぬとはこのことだ。あの馬は、あの貧乏百姓のやせ馬にちがいないが、あの歌は誰が歌っているんだと言って、不思議がって眺めていました。

 父親はこのありさまをみて、これはどうしたことかと思って、いそいで家に引き返して来ました。それから神棚の前に行って、

「もしもし ご水神さま、今まで何も知らなかったから、たにしをあんな粗末にしておきましたが、たいそうありがたい子供をさずけて下さりました。どうか、あの子と馬が無事に長者どのの家につきますようにお守り下され」と、夫婦で一心に祈りました。

 たにしは そんなことには頓着なく、どんどん馬を使いながら長者どのの家へ行きました。

 下男どもは、そうれ年貢米が来たと言って出て見るが、馬ばかりで誰も人はついていませんでした。どうしてこの馬ばかりをよこしたのだろうと話していると、

「年貢米を持って来ました。どうか降ろして下され」という声が、馬の中荷の所で聞こえました。

「なんだ、誰もいないじゃないか」と中荷の脇をのぞいてみると、小さなたにしが一つ乗っていました。たにしは

「わしはこんな体で、馬から荷をおろすことが出来ません。申し訳がないけれども、どうかおろして下され。わしの体が潰されないように、縁側の端の上にでもそっと置いてたもれ」と頼みました。

 下男どもはびっくりして、「旦那さま、旦那さま。たにしが年貢米をもって来やしたよ」と報せました。旦那さまも出て見ると、下男の言う通りに たにしが年貢米を持って来ていました。家の人たちも ぞろぞろ出て来ました。そして、みんなで「不思議なことがあればあるものだ」と話していました。

 そのうちに、たにしの指図で米俵を馬からおろして倉に納めました。馬にも飼料をやりました。たにしも家に呼んで、昼飯を出しました。たにしはお膳のふちにとまっていました。人目にはつかないけれども、お椀のご飯はだんだんへって行きました。そのつぎにはお汁が少くなくなりました。おかずもだんだんなくなりました。そうしておしまいに、

「もうたくさんご馳走になりました。どうかお茶を下され」と頼みました。

 旦那さまは、水神さまの申し子のたにしがいることは かねて聞いていましたけれども、こんなに何でも出来るとは知りませんでした。まるで人間のように物を言ったり働いたりするので、長者どのは何とかしてたにしを家宝にしようと考えました。

「たにしどの、たにしどの、お前の家とわしの家とは、爺さまの代からの出入りの間柄だ。実はな、わしのところに娘が二人いるが、その中の一人を、お前の嫁にやってもよいが」

 たにしを ただで家のものにすることは出来ないかと思って、そう言って相談してみました。

 たにしは、それを聞いてたいそう喜んで、それはほんとうの話ですかいと念をおしました。旦那どのは

「うそはいわない。娘ひとりを嫁にやろう」と約束をしました。

 

 たにしは、その日はいろいろご馳走になって帰りました。父親と母親が「なんて帰りが遅いのだろう、なにか途中で間違いでもなければよいが」と心配しているところに、たにしはえらい元気で、三頭の馬をつれて帰って来ました。そして夕食どきに、

「おら、今日、長者どのの娘を嫁にもろうて来た」

と語りました。父親と母親は、そんなことがあるものかと驚いたけれども、なんといっても水神さまの申し子の言うことだ。いちど長者どのの家さ人をやって、確かめてようと言って、伯母に頼んで行ってもらいました。

 そこで、長者どのは二人の娘を呼んで、

「お前たちのうちで、誰かたにしのところへ嫁にいってくれるものはないかい」と、尋ねてみました。けれども、姉娘は

「誰が虫けらのところなんか、嫁に行くもんか。おらぁいやだよ」

と言って、どたどたと荒い足音を立てて出て行ってしまいました。それでもやさしい妹娘の方は

「父さまがせっかくああいう約束をされたことですから、わたしがたにしのところへ嫁に行きます。どうか心配しないで下され」

といって慰めました。

 伯母は長者どのからそういう返事をもらって、帰って来て知らせました。

 

 長者どのの妹娘の嫁入道具は、七頭の馬にもつけきれないほどありました。箪笥と長持が七さおずつ、手荷物もありあまるほどありました。貧乏家には入り切れないので、長者どのは別に倉をたててやりました。

 婿どのの家には何もありませんでした。親類もないので、父親と母親と一人の伯母と近所の婆さまを呼んで祝儀をしました。きれいな嫁御をもらって、父親も母親も、たいそう喜びました。

 嫁もよく父親と母親につかえました。野良へも出てよく働くので前よりずっと暮しむきも楽になりました。これもみんな水神さまのおかげだと言って、父親も母親も一生懸命に水神さまを信仰しました。

 そのうち、里帰りの日も近づいて来ました。

 里帰りは四月八日の村の鎮守の薬師さまのお祭りが済んでからということになりました。そうして、花も咲き始めました。

 それから、いよいよ四月八日の薬師さまのお祭の日になりました。嫁はお祭見物に行くことになりました。

 美しく化粧して、中持の中からきれいな着物を出して着ました。見れば見るほど美しく、天女のように見えました。

 支度も出来たので、たにしの夫に、「いっしょに、お祭見物に行きましょう」とすすめました。

「そうか、そんじゃ、わしもつれて行ってくれ。今日は天気もよいから、久しぶりに外の景色でも眺めてくるべ」

と言って、一緒に行くことになりました。嫁はたにしの婿どのを帯の結び目に入れて、祭見物に出かけました。

 みちみち、二人は話をして行きました。すると、道を行く人や、行きずりの人が、

「あんな美しい娘がひとりごとを言ったりして歩いている。かわいそうに気が狂っているのだよ」

と言って、眺めて通りました。

 そうして二人は薬師さまの一の鳥居の前までやって来ました。するとたにしは言いました。

「これこれ、わしは訳があって、これから先に入れない。わしをどこかの道ばたの田の畔の上に置いて、そなた一人でお詣りして来ておくれ。わしはここで待っているよ」

「そんじゃ、気をつけて鳥などに見つけられないように用心して待っていてたもれ。わたしはちょっといって、拝んで来ますよ」

と言って、嫁は坂をのぼって行きました。それからお堂に参詣して帰ってみると、大切なたにしの夫が見えませんでした。嫁は驚いて、あそこ ここと探してみましたが、どうしても見つかりませんでした。

 鳥がついばんで行ったのか、それとも田の中に落ちてしまったのか。

 田の中に入って探しましたが、四月になると田には沢山のたにしが出て来ているので、それを一つ一つ拾いあげてみましたけれども、どれもこれも、夫のたにしとは似ても似つかぬものばかりでした。

つぶつぶ わがつまや ことしの春になったれば

鳥というばか鳥に ちょっくらもっくら 刺されたか

と歌いながら、田の中に入って探しているうちに、顔には泥がかかり、美しい衣装は汚れてしまいました。

 そのうちに日暮どきになって、祭の人たちはぞろぞろ家に帰りはじめました。娘のこの姿を見て

「あれあれ、あんなきれいな娘っ子が気でも違ったのか。かわいそうに」

と口々に言って、眺めて通りました。

 娘は、いくら探しても夫のたにしが見つからないので、いっそのこと田の中の深い泥沼の中に入って死んでしまおうかと思って、深みに飛びこもうとしました。すると、後の方から誰かが、

「これこれ、娘、何をする」と、声をかけました。

 ふり返ってみると、立派な男が深あみ笠をかぶって、腰には一本の尺八をさして立っていました。

 娘はこれまでの話をして

「わたしは死んでしまいたいと思っています」と言うと、その男は

「それならば、何も心配することはいりません。そなたがたずねるたにしがこのわしじゃ」と言ってきかせました。けれども娘はそうではないと言ってききませんでした。

「その疑いはもっともじゃ。わしは水神さまの申し子で、これまでたにしの姿でいたが、今日そなたが薬師さまに参詣りをしている間に殻を脱いで、ここへ帰って来ると、そなたがいないので、今まであちらこちらと尋ね歩いていたのじゃ」と、話してきかせました。

 二人はよろこんで、一緒に家に帰りました。

 娘を美しいと思ったが、たにしの息子もまた、りっぱな若者でした。

 にあいの若夫婦がそろって家に帰って来たのだから、父親と母親の喜びは、話にも昔ばなしにもないほどでした。

 それから、長者どのの方にも知らせました。旦那さまもかかさまも、たにしの家にやって来ました。そうして、たいそう喜びました。

 それからこんな光るような婿どのをこんな汚い家には置かれないと言って、町一番のよいところに、りっぱな家を建ててやりました。そこでこの若い夫婦は商いをすることになりました。

 ところが、たにしの息子ということが世間にも知れわたって、うんと店が繁盛して、たちまち町いちばんの長者になりました。

 それから、年老いた父親も母親も楽隠居となりました。一人の伯母御もよいところにお嫁入りしました。

 それから、たにしの長者どんといわれるようになり、親類縁者もみんな繁盛したということです。



参考文献
『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.

※この例話では たにし息子は神の申し子として長者に全く尊敬されていて、長者は進んで娘を嫁に与え、娘は親に言われたとおり全く嫌がらずに結婚して、以降は一途に尽くす。全編が愛に溢れている。(同系統の類話では、嫁が神仏に「夫が人間になりますように」と祈ったり、田んぼで行方不明になった夫を探すとき、田んぼ中のたにしを我が身でカラスからかばい、私の夫をつつくな、と訴える更なる感動エピソードが追加されていることもある。)

 しかし、これは一種の理想を語ったものであろう。多くの類話では、たにし息子は長者を騙して無理に娘を嫁に差し出させる。このモチーフは、御伽草子版「一寸法師」や「五分次郎」にも見られるものである。

 そして類話によっては、嫁は異形の夫を憎み、望まない結婚をさせられたことを恨んで、夫を突き落としたり潰したりして殺そうとする。ところが、死んだ夫は立派な若者に生まれ変わり、「お前のおかげで本当の姿になれた」などと言う。(ここには、女神の助けで英雄が冥界を潜り、より立派に産み直されるという信仰が潜んでいるだろう。)そして二人は愛し合って本当の夫婦になったとされる。これは、グリムの「蛙の王様」や「蛙の王子」と同じ展開である。

以下に、類話を幾つか並べておく。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-)

たにしわらし   日本 岩手県

 子の無い爺婆が田の水神に「たにしでも蛙でもいいから子を下さい」と祈願すると、神が一匹のたにしを授ける。持ち帰って水を張った柄杓に入れ、神棚に置いて、いつ手足が生えるかと期待するが、ただのたにしのままである。

 やがて祭が近づいたので、爺が町に米を売りに行こうと馬に米を付けていると、たにしが初めて口をきいて「爺な、おらも町や行ぐ」と大声を上げる。爺は喜んでたにし童を馬に乗せて長者の家に行く。水神様の申し子が来たとて長者の家中の者が見に出て来る。中に長者の二人の娘がいたが、その妹の方にたにし童は惚れてしまった。どうしても嫁に欲しいと爺に訴えたが、爺はいくら水神様の申し子でも、たにしの身では無理だと止める。けれどもたにし童が「小っこな紙袋に米コを一握り入れでくで、そしたらば明日の朝は嫁コもらって戻るがら」と言って聞かないので、爺は呆れながらもその通りにしてやった。

 長者はたにし童を珍しがって、今晩は泊めてやると言うので、爺は馬とたにし童を長者に預けて自分だけ家に帰った。長者はたにし童にお膳を出してご馳走したが、不思議なことに、食べ物はいつの間にかなくなるのだった。

 夜が更けて床が作られたが、たにし童は紙袋を出して「旦那様、おら こごに米コ一握り持っているが、大切なものだがら寝でるうぢに失ぐさないように守ってください」と言う。長者は「いいともいいとも、神棚サでも上げでおぐがら、案じることはない」と軽く請合う。「もしも失ぐしたどぎは、なじょにします」「その時は、お前の好ぎなもの何でもやる」

 たにし童は寝たふりをして、夜中になるとこそっと起きて神棚から米袋を下ろし、その生米を噛んで妹娘の唇に沢山塗りつけた。次の朝になると「おらの米コ、妹コに食われでしまった」と泣いて騒いだ。長者が見ると、なるほど、娘の口に生米の噛んだのが付いている。

「長者様し、おらの米コ食われだがらには、何でもくれるという約束どおりに、おらの嫁御に妹コをもらっていぎます」

 そう言うと、たにし童は妹娘を馬に乗せて家に戻ってきた。

 そのうちに春祭りが来たので、たにし童は嫁の髪にかんざしのように止まって祭り見物に行った。途中で田の畦を渡っていると、カラスが飛んできて たにし童を突き落とす。嫁は田を覗いたが たにしがウヨウヨいてどれが夫か分からない。泣いていると、後ろから美しい若様が声をかけてきて、自分がたにし童だと告げる。今までは仮の姿でいたが、にも拘らず妻としてよく仕えてくれたそなたの貞節によって初めて人の性に立ち返った。さっきのカラスも水神様の使いだったのだ、と。

 このことが長者の耳に入ると、我が娘は水神様の申し子の花嫁、このままにしては罰が当たると、もう一度輿入れをやり直して沢山の嫁入り道具を贈った。これ以来夫婦は日ごとに富んで、たにしの長者様と崇められる様になったという。

青森県

 子の無い爺婆が田の草取りをしていると、田つぶ(たにし)が転がってきて爺の膝に這い上がり、息子にしてくれと言うので連れ帰る。翌日、田つぶは馬に蔵を置かせ、手綱を取って大きな家に行き、娘を嫁にくれと望むが、断られる。湯や灰を振りまいて脅し、娘をもらって馬に乗せて帰る。爺婆は喜ぶが娘は睨んでいる。田つぶは「それほど憎ければ石場で俺を潰せ」と言う。潰すと美男になり、二人は幸せになった。

秋田県

 子の無い爺が子を探しに出て、堰にいたたにしを拾って帰る。水桶に入れておくと大きなたにしになる。長者の娘を嫁にもらってくると言って出かける。長者には三人の娘があるが、末娘が案内に出る。たにしはそこに泊まり、夜中におしとぎ餅を噛んで末娘の唇に塗る。翌朝、おしとぎ餅を娘が盗み食いしたと騒ぐと、長者は本当だったら娘を嫁にやると言う。末娘の唇に餅が付いていたので、娘と米搗きと杵をもらって帰る。途中で娘がたにしを踏み潰そうとするが、その度に「夫を足かける」と止める。家に帰ると、たにしは藁打石に乗って、自分を潰せと娘に命じる。その通りにすると立派な男になり、二人は夫婦になって安楽に暮らす。

秋田県

 ある日、長者の家で「俺を使ってくれ、どんな難儀な仕事もする、駄賃は水一杯に粟一杯でよい」という声がする。旦那が出ると下駄の下につぶ(巻貝)がいる。つぶは土間掃き、水汲み、木割りなどして椀一杯の粟で満足していたが、ある晩、長者の三人娘が寝ている間に、末娘の唇に粟粒を塗る。「楽しみの粟が盗まれたので、食った者を嫁にする」とわめき、末娘を嫁にする。二人で海に行き、つぶは体に綱を付けさせると、海に入って延命小槌を持ってくる。娘がそれで「よい男になれ」とつぶを打つと、二つに割れて立派な男が出る。小槌で家、宝物、大判小判を出して親方衆になる。

長崎県

 子の無い爺婆が神に祈願し、田で拾ったたにしを子供にする。嫁をもらう年頃になったが、たにしでは嫁の来手は無いだろうと嘆いていると、たにしは はったいの粉を握り飯につけてもらって嫁探しに出かける。長者の家に泊まり、握り飯を食った者は嫁にすると言って預ける。夜中に美しい姉娘の唇にはったいの粉を付けておき、嫁として連れ帰る。たにしは黍藁に針を刺して刀にし、笹舟に乗って鬼ヶ島に行き、鬼の鼻に入って退治して宝物を持って帰る。打出の小槌で打って、長者の娘と釣り合う美男になった。村の家を全て焼き払って小槌で立派な町に変えた。隣の爺が羨んで小槌を借りたが、米倉(こめくら)を出そうとして小盲(こめくら)を出してしまった。

熊本県

 子の無い爺婆が子を探しに出ると橋の下から「子供を探しているのだろう」と呼ぶ者がある。降りると馬の足跡に たにしがいたので、袂に入れて連れ帰る。婆は たにしでは意味が無いと嘆くが、爺は頼んで家に置く。爺はたにしを馬の鞍に乗せ、山にも薪売りにも連れて行って薪問屋にも引き合わせる。後には、たにしは自分一人で山にも薪売りにも行くようになる。薪問屋の親父が自分の三人娘のうち誰かを嫁にもらってくれと言う。爺婆と相談して承知したが、娘の方は、長女は黒腐れても嫌だ、次女は赤腐れても嫌だと断る。末娘が承知して嫁になる。お盆になり、嫁がたにしを袂に入れて歩いていたとき、たにしが「袖から出して打ち潰してくれ」と頼む。石に打ち付けると立派な男になり、殻の中に三年入っていて苦しかったと打ち明けた。そうして、家に帰って親孝行したという。



蛙の王様  ドイツ 『グリム童話』(KHM1)

 昔々、まだ人の願い事が何でも叶った大昔のこと。一人の王様が住んでいて、何人かのお姫様を持っていました。お姫様方は全員美しかったのですが、中でも末の姫は際立って美しく、世の中の全てを見慣れているはずのお日様でさえ、彼女の顔を照らし出すごとに、どうしてこんなに美しいのかしらと不思議に思わずにいられないほどでした。

 王様のお城の近くに大きな暗い森があって、その中に、菩提樹の古木の根元にこんこんと湧き出した泉がありました。暑くて仕方のない日には、お姫様は森の中に入って、この泉のへりに座ることにしていました。そして退屈すると、金の毬を出して、真っ直ぐ上に放り上げては下に落ちてくるのを受け止めるのがお決まりで、これが彼女の何より好きな遊びなのでした。

 ところが、ある日のこと。どうしたことか、金の毬がお姫様の手の中に落ちてこず、すとんと地面に落ちて、そのままコロコロと水の中へ転げ込みました。お姫様は毬の落ちたあたりを覗き込みましたが、毬は影も形もありません。泉はとてもとても深くて、底なんか見えるものではないのです。

 お姫様は泣き出しました。いくら泣いても、どうしても諦めがつかなくて、声はだんだん大きくなりました。すると、

「どうしたの、お姫様。あなたがそんなに泣いたなら、石コロでも可哀想に思うでしょう」

と、声を掛ける者がありました。お姫様が辺りを見回すと、それは醜い頭を水面から突き出した、一匹の蛙なのでした。

「なーんだ、あなたなの。蛙なんて珍しくもないお馴染みさんだわ。

 私、大事な金の毬を泉の中に落としてしまったの。それで泣いているのよ」

「静かになさい。そんなに泣くものではないですよ」と、蛙が応えました。「私なら、何とかできるでしょう。ですがね、もし私がお姫様の玩具を拾い上げて来ましたら、お姫様は私に何をくださいますか?」

「蛙さんの欲しいものなら、何でも。私の持っているドレスでも、真珠や宝石でも、金のティアラでもいいわ」

「お姫様のドレスだの、真珠や宝石だの、金のティアラだの、そんなものは欲しくはありません。

 けれども、お姫様が私を愛してくださるつもりがあるならば、私をお姫様の友にして、お姫様と並んで可愛い食卓につかせて、お姫様の可愛い金のお皿で食べさせて、お姫様の可愛い金のコップで飲ませて、お姫様の可愛いベッドで一緒に寝かせてください。この約束さえしていただければ、私は泉の底へ行って、金の毬を取ってまいりましょう」

「ええ、いいわ。毬を取ってきてくれるのなら、何でも約束してあげるわよ」

 口ではこう言いましたが、お姫様はお腹の中では(蛙のお馬鹿さんが、何を言うのかしら。蛙は蛙同士、水の中でゲコゲコ言っていればいいじゃない。人間の仲間入りなんて出来やしないわ)と思っていたのです。

 蛙は、お姫様の返事を聞くと水の中に引っ込みました。それからしばらく経つと、四肢で水を掻きながら浮き上がってきましたが、口には毬をくわえていて、それを草の中へ放り出しました。お姫様は戻ってきた毬を見るとすっかり嬉しくなって、それを拾い上げるなり、サッと走っていってしまいました。後ろから、蛙が

「待って、待って! 一緒に連れて行ってくれ! あなたみたいに走れやしない!」

と、死に物狂いで声を張り上げていましたけれど、それを耳には入れず、急いで家に帰って、蛙のことなんてすぐに忘れてしまったのです。

 ところが、そのあくる日のことでした。お姫様が王様や御家来のみんなと一緒に食卓について、可愛い金の皿でご馳走を食べていますと、ぴちゃっ、ぺちゃっ、と音を立てて、大理石の階段を這い上がってくる者があります。それは上まで登りきると、戸を叩いて、「王様のお姫様、一番末のお姫様、ここを開けて!」と、呼び立てました。誰が来たのかしらと思って早足にお姫様が見に行きますと、例の蛙が戸の前にぺちゃんと座っているのです。お姫様は戸をピシャッ、と閉めて食卓に戻ってきましたけれど、不安でドキドキしてたまりません。王様はその様子を見てとって、お姫様に声を掛けました。

「姫や、何が怖いのか? ドアの向こうに巨人でもいて、お前をさらおうとしているとでも言うのか」

「いいえ、そうじゃないの」と、お姫様は応えました。「巨人なんかじゃないわ。汚らしい蛙なの」

「蛙が、お前に何の用があるのだ?」

「あのね、お父様。私が昨日森へ行って、いつもの泉の側で遊んでいましたら、金の毬が水の中へ落ちましたの。それで大きな声で泣いていたら、あの蛙が毬を拾ってきてくれましたの。それから、蛙があんまり頼むもので、お友達にしてあげるって蛙に約束してしまいましたの。だって、私、蛙がここまで来るなんて考えもしなかったんですもの。なのに今、ドアの向こうにやってきて、私の所に来るって言ってききませんの」

 その時、また戸を叩く音がして、大きな声が聞こえました。

王様の一番末のお姫様、開けておくれ!

昨日の約束はどうしました。涼しい泉の側で、

姫よ、あなたは私に何と言った?

王様の一番末のお姫様、開けておくれ!

 これを聞くと、王様は「約束したことは、どんなことでも守らねばならぬ。さあ、行って開けておやり」と言いました。

 お姫様が立って行って戸を開けると、蛙がピョコンと飛び込んできて、お姫様の歩くとおりにくっついて、お姫様の椅子の側までやってきました。そして、そこへぺちゃんと座って、

「椅子の上へ、お姫様の側へ上げてください」と呼びかけました。

 お姫様はぐずぐずしていたので、とうとう王様が「早く上げてやるのだ」と命じました。蛙はやっと椅子の上へ上げてもらったかと思うと、今度は食卓の上へ上がりたがりました。食卓の上に座ると、

「二人で一緒に食べられるように、お姫様の金の皿を、もっと私の方へ寄せてください」と言い出します。

 お姫様は蛙の言うとおりにしてはやりましたが、嫌々そうしているのは誰の目にも はっきりと分かりました。蛙は舌鼓を打って食べましたが、お姫様の方は、一口一口が喉を通らないほどでした。なのに、そのうちに蛙が、

「お腹一杯いただいて、だるくなりました。お姫様の部屋へ連れて行ってください。絹の布団を敷いて、二人で寝ようじゃありませんか」などと言い出したでものですからたまりません。

 お姫様は泣き出しました。蛙が怖いと思いました。冷たい蛙になんて触るのも嫌なのに、一緒に寝るだなんて! けれども王様は怒って、

「誰であろうと、自分が困っていたときに助けてくれた者を、後になって馬鹿にして相手にしないという法はない」

と叱りつけましたので、お姫様は二本の指で蛙をつまんで、二階の自分の部屋のすみっこに置きました。ベッドには置きませんでした。ところが、お姫様がベッドに横になりますと、蛙はぴちゃりぺちゃりと近寄ってきて、

「だるくて仕方ない。私もベッドの中へ入れてください。でなければ、お父様に言いつけますよ」

と言ったのです。これを聞くと、お姫様はカーッとなって、蛙を拾い上げるなり、力任せに壁へ叩きつけました。

「さあ、これで楽になったでしょ。いやらしい蛙!」

 ところが、その蛙が床に落ちたとき、蛙ではなく、人懐っこい美しい目をした若者がそこにいました。彼こそが王様が認めたお姫様のお友達の蛙であり、お婿様でした。

 彼はお姫様に、自分はさる国の王だが、悪い魔女に魔法をかけられていた。その自分を泉から救い出せるのはあなたをおいて他にはなかった。明日には一緒に私の国へ来て欲しい、と話しました。話が済むと、二人は寝ました。

 あくる朝にお日様の光で二人が目を覚ますと、白馬六頭だての馬車が一台、若い王様の国からお城に駆けつけてきました。馬は真っ白なダチョウの羽を頭につけ、黄金の鎖で繋がれていて、馬車の後ろには忠臣ハインリヒが立ち乗りをしていました。彼の胸には三本のたががはめてありました。若い王様が蛙にされてしまったとき、悲しみのあまり胸が破裂しないようにはめたものでした。

 馬車は若い王様とお妃を乗せて走り出しました。しばらく行くと、馬車の後ろの方でパチーン! と音がしました。若い王様は振り向いて声を掛けました。

「ハインリヒ、馬車が壊れるぞ」

「いいえ、我が君よ。これは馬車ではなく、私の胸の箍が壊れたのです。あなたが泉にお住まいになり、あなたが蛙であった頃、胸の痛みを締め付けていた箍が」

 もう一度、またもう一度、道中でパチーンという音がしました。その度に、若い王様は馬車が壊れるのではないかと思いました。けれども、それはハインリヒの溢れ出す喜びが、胸の悲しみの箍を弾け飛ばさせる音なのでした。



参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.

※金の毬で一人遊びをし、水に落として大声で泣くお姫様は、子供っぽいのを通り越して、まるで幼女であるかのように思える。しかし物語後半になると、彼女は父に命じられて蛙と同じベッドで眠り、翌朝には同じ馬車に乗って旅立つことになる。これが結婚を表しているのは明らかだ。子供向けに粉飾された結果、冒頭のお姫様の行動が幼女じみて語られるようになったのだろう。

 民話の中には、「王女がバルコニーから美しいボールを投げ、これを受け取った男と結婚する」というモチーフが現れることがある。ボールは、五色の毬だったり黄金の林檎であったりする。「お姫様の投げた金の毬を蛙が拾い、彼女と結婚する」のは、その変形だろう。

 物語上、蛙は《魔法をかけられていただけの、人間の王子》ということになっているが、本来は「たにし息子」や「ひきがえる息子」と同じ、農業を助ける水神の申し子であり、更に広義に考えれば、冥界から訪れる神霊なのだろう。

 

 ところで、岩波文庫の『完訳 グリム童話集』には、もう一本、決定版以前の版のグリムの類話が収められている。

蛙の王子

 昔、王様に三人の娘があった。そして、城の庭には美しい水が湧き出す井戸があった。

 ある暑い夏の日のこと、一番上の姫が井戸の水をグラスに汲むと、水がかすかに濁っていた。こんなことはかつて無いことだ。水を井戸に捨てようとしたところ、井戸の中から蛙が出てきて言った。

「あなたが私の妻になるなら、いつでもきれいな水をあげよう。しかし断るなら水を濁すよ」

 一番姫は「馬鹿にしてるわ」と悪態をついて駆け去った。その話を聞いて二番目の姫が井戸に水を汲みに行った。殆ど同じことが起こった。最後に末の姫が行って、

「いいわよ、私あなたのお嫁さんになるわ。だからお水をちょうだい」と言って澄んだ水をたっぷりもらった。しかし、心の中では(口からでまかせを言ったって構いやしないわ。こんな蛙が私のお婿さんになるなんて有り得ないもの)と思っていた。

 その日の夜、末姫が蛙のことなど忘れてベッドに横になっていると、戸をごそごそ引っかく音がして、「戸を開けて、末のお姫様。忘れないで、きれいな水をあげる代わりに妻になると言ったじゃないか」と歌う声がする。仕方ないわ、約束したんだからと戸を開けると、蛙は末姫のベッドの裾に入り、夜明けになると出て行った。次の晩にも同じことが起こった。三晩目、姫は蛙に「今晩が最後よ」と言った。それを聞くと、蛙は姫の枕の下で寝た。

 朝になって姫が目を覚ますと、美しい若い王子が立っている。彼は魔法をかけられて蛙になっていたが、姫が結婚の約束をしてくれたので救われたのだと言った。

 二人は連れ立って王の元に行き、祝福を受けて正式に婚礼を挙げた。二人の姉は妹の幸運を羨み、蛙と結婚しなかったことを悔やんだという。

 この話の冒頭部は、日本で言う水乞い型の異類婚姻譚の変形だと思われる。三人の娘を持つ百姓が「誰か田んぼに水を掛けてくれたら、娘を嫁にやるのに」と呟くと、次の日、本当に田に水が張ってある。それは(大蛇/猿/鬼)の仕業であった。仕方なく、百姓は娘を嫁にやることにするが、長女と次女は絶対嫌だと断る。三女だけが承知して嫁に行く。

 この後の展開は話によって異なっていて、

  1. 大蛇に嫁ぐと、彼は皮を脱いで美男子になる。三女は幸せな結婚生活を送る。妬んだ姉が三女を殺してすり替わるが、殺された三女は転生を繰り返して再生し、夫を取り戻す。
  2. 大蛇に嫁ぐと、彼は皮を脱いで美男子になる。三女は幸せな結婚生活を送る。しかしその秘密を周囲に漏らしたため、または脱いだ皮を焼いた、焼かれたために夫は冥界に去る。三女は苦難の旅をして冥界に行き、夫を連れ戻す。
  3. 三女は策略を用いて(大蛇/猿/鬼)を殺し、嫁入りを免れる。

というようなものがある。「蛙の王子」は、皮を脱いで美男子になった異類と結婚した、というところで終わった話である。

 

 蛙は、戸の外で「開けて」と歌って中に入り、姫と床を共にする。これは、夜這いの習俗を思わせる。同じように、蛙が夜毎に娘の部屋に通う類話が、日本にもある。

蛙息子  日本 鹿児島県 上甑島

 子供の無い夫婦が、少しくらい体に不足があっていいから子が欲しい、と神に祈って、どんきゅー(蛙)を産む。夫婦は落胆したが、それでも大事に育てる。

 村一番の金持ちの家に美しい娘がおり、部屋が二階にあるが、どんきゅーは年頃になると、その娘のところへ毎日通う。しかし娘はどんきゅーを嫌って、二階から蹴落としたりする。

 どんきゅーは行き帰りの道でも人に踏まれたり蹴られたり難儀していたが、とうとうある晩、一人の男に池の中に蹴込まれ、鯉に呑まれた。父親が心配して探し回り、鯉に呑まれたと聞いて、その鯉を釣り上げる。包丁で切ろうとすると、腹の中から「深く包丁を入るんな」と声がする。鯉の腹をそっと開くと、どんきゅーは立派な若者になって飛び出してきた。そして金持ちの娘を嫁にもらって幸せに暮らしたという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

《道で男に池に蹴込まれ鯉に呑まれた》を《部屋で娘に蹴られて潰れた》に変えれば、「蛙の王様」と同じ話である。

 魚に呑まれて腹から出てくるのは【親指小僧】でもお馴染みのモチーフだが、《一度死んでから復活した〜冥界に下って新しく生まれ直した》ことを意味していると思われる。「森の花嫁」など【蛙の王女】系話群でも、蛙やネズミの姿をしていた花嫁が嫁入り道中の途中で男に川や池に蹴落とされるが、美しい姫君に再生して現れる。



ひきがえる息子  中国

 昔、王という夫婦がいた。四十歳を過ぎても子がいないので、天帝に「どうか子を授けてください、たとえ蛙の息子でもかまいません」と祈ったところ、翌年、本当に蛙の息子を産んだ。夫はこれを見ると驚いて家を飛び出し、遠くへ出稼ぎに行ってそのまま帰らなかった。

 妻は一人で蛙の息子を育てた。こうして十数年が過ぎた頃、蛙の息子が尋ねた。

「ねえ母ちゃん、どうしてウチには父ちゃんがいないの?」

「お前にも父ちゃんはいるよ。でもお前が生まれたとき、蛙のお前に驚いて遠くへ商売に行ってしまったんだよ」

「それなら、俺は父ちゃんを探しに行くよ。父ちゃんは何処にいて、なんて名前のどんな人なの」

 母は「蛙の歩みではいつ辿り着けるかわからないよ」と止めたが、息子がどうしても行くと言い張るので、場所を教え、いくらかの旅費を赤い袋に入れて首にかけてやった。そして息子がピョンピョンと跳ねていくのを、見えなくなるまで見送っていた。

 一方、蛙息子は母の目の届かないところまで行くと、途端に空に飛び上がった。そのまま風のように飛んで、たちまち父の住む街に着き、すぐに父親を探し当てた。父は仕方なく息子を連れて食事をし、「母ちゃんに心配かけないように、早く帰れ」と言った。

「父ちゃん、手紙を書いてよ。そうしないと母ちゃんは俺が父ちゃんと会ったことを信じてくれないよ」

 父は小さいのによく分かっていると思い、手紙を書いてやった。蛙息子は手紙を受け取ると父に別れを告げた。

 蛙息子は街の門を出るとすぐに空に舞いあがり、間もなく自分の家に戻った。母を呼ぶと、母が門を開けて「どうしたい、やっぱり行けなかっただろう」と言った。

「母ちゃん、俺は父ちゃんに会ってきたよ」

「母ちゃんを騙すんじゃないよ。お前の足で、一日足らずで行って帰ってこれるはずがないじゃないか」

「騙してないよ、本当に行って来たんだ。これが父ちゃんの手紙だよ」

 見ると本当に夫の手紙だったので、母は大いに不思議に思った。しばらくの間は息子の様子を探っていたが、息子はそれっきり変わった様子を見せなかったので、やがて母も忘れていった。

 そんなある日のこと、蛙息子は「他の家の息子はみんな嫁をもらうのに、もうじき二十歳になる俺には嫁がいない。母ちゃん、俺に嫁をもらってきてくれよ。でないとこの家は絶えてしまうよ」と言った。

「お前は蛙なんだから、何処の家の娘も来てくれないよ」

「大丈夫だよ、いい考えがあるから。俺の従姉妹に男の身なりをさせて、俺の替え玉にするんだよ」

 それを聞くと、母はいい考えだと思って嫁を探した。ちょうど、数日前に地方から流れて来たワケありの母娘があって、娘は十八、九で容姿が綺麗だった。口の上手い婆さんに仲人を頼み、替え玉と見合いをさせると、娘は(なんて綺麗な男の人かしら。まるで女の子みたいだわ)とすっかり気に入り、トントン拍子で嫁入りまで済んでしまった。

 婚礼が終わると、替え玉の従姉妹はそっと帰った。花嫁は真相を知って「騙された、騙された!」と大声で叫んで泣いた。それを見ると母はこの娘に済まないことをした、と後悔したが、後の祭りである。嫁は泣きに泣いて、あくる朝にはベッドから起き上がれずに病気のようになってしまった。母は驚いて、彼女に付きっ切りで看護した。

 しばらくして、嫁は少しだけ元気になった。母は街に芝居が掛かっていると聞き、嫁に気晴らしをさせようと、芝居を見に行きましょうと声を掛けた。すると、蛙息子が「俺も行くよ」と言ったが、母は「お前は人に馬鹿にされるから行かない方がいいよ」と言って、息子を無視して出かけていった。

 二人が出かけてしまうと、蛙息子は皮を脱いで美男子になり、馬小屋から馬を曳き出してまたがり、芝居小屋に向かった。そして母と嫁の側に座ると、嫁はこの美々しい若者をじっと見た。季節は夏で、芝居小屋の人々はみんな汗を書いていたが、若者が汗を流すのを見ると、嫁は自分のハンカチを渡した。若者はハンカチで汗を拭き、そのまま返さなかった。嫁は芝居を見るのも忘れ、芝居が終わって小屋から出るまで、ずっと若者から目をはなさなかった。

 嫁は母の手を引いて、馬で帰っていく若者を追い始めた。そしてしきりに、「あの馬はウチの馬じゃありませんか」と言う。馬はわざとそうしているようにゆっくりと走り、嫁と母はその後に付いて、そのまま自分たちの家に帰りついた。若者の後を追って家に入ったが、部屋には誰もいない。あの若者は何処へ消えたのだろうと不思議がっていると、戸棚の下から蛙息子が這い出してきた。

「母ちゃん、もう帰ったのかい。俺より遅く芝居小屋を出たのに、早かったじゃないか」

「お前、芝居に行ったのかい。でも、お前はいなかったろう」

「本当に行ったよ。俺は妻の側で見ていたよ」

 それを聞くと、嫁が言った。

「嘘でしょ。私は、あなたを見なかったわ」

「嘘じゃないよ。ほら、お前のハンカチだって持ってるじゃないか」

 嫁が受け取って確かめると、本当に自分のハンカチである。それまで彼女の心の中にあった憂いが、たちまちのうちに喜びに変わった。

「あなたがあの若者だなんて、信じられないわ。今すぐに、ここで変わってみせてくれないことにはね」

「わかったよ、目をつぶっていておくれ。すぐに変わるから」

 母と嫁が目を閉じると、すぐに蛙息子の「いいよ」と言う声が聞こえた。二人が目を開けると、果たして、先ほど馬に乗っていた若者がそこにいた。

 

 それから一年の間は、毎日が甘い蜜のような暮らしだった。けれども、ある晩のこと。嫁は夫がまた蛙に変わってしまった夢を見た。夜が明けても不安でたまらず、夫が食事をしている隙を見て、戸棚の下に隠してあった蛙の皮を取り出し、火の中に投げ込んだ。

 途端に、「アーアー」と二声、夫が無惨な声を出した。嫁が駆けつけてみると、夫は既に息絶えていた。 



参考文献
「蛤蟆児的故事」/『中国民間文学集成遼寧巻撫順市巻上』
蛙の息子の話」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

※芝居や競馬大会などのイベントに、普段醜い姿をしている蛙息子が美しい姿で現れ、それが三度繰り返される。これは【シンデレラ】譚、特に[男性版シンデレラ]や[灰坊]にあるものに近いモチーフである。ただ、蛙息子が既に結婚している点が【シンデレラ】譚とは異なる。既に結婚しているのに配偶者が主人公の真の姿を知らず、イベントに変身して現れたのを見て自分の配偶者とは知らずに心奪われる展開は、【蛙の王女】系話群の「小指の童女」と共通している。

 以下は類話を列記する。

ひきがえる息子2  中国

 昔、ある村に貧しい老夫婦が住んでいた。二人には子供が無かった。ある日のこと、二人は「蛙の大きさでいいから子供を授けてください」と色々な神様にお願いした。すると本当に妊娠したが、月満ちて産まれたのは、背中に三本の黄色い筋のある、太鼓の様な目をした蛙だった。

 二人は呆れ、悲しみ、近所に体裁が悪いと罵りあったけれども、それでも本当の子供なのだからと大事に育てた。夫婦が蛙の息子を産んだことは、やがて近所にも知れ渡った。

 月日が経ち、蛙の息子は箕くらいの大きさになった。ある日のこと、婆さんが蛙の息子をいたわりながら「もしもお前が普通の若者だったら、今頃はもう、仲人になってくれる人がいるだろうにねぇ」と嘆くと、蛙の息子が「おっかさん、心配しなくていいよ。あと三日すると俺の嫁さんを世話してくれる人が来るよ」と人の言葉で言った。

 今まで一言も口をきいたことのなかった息子が喋ったものだから、婆さんは驚くやら喜ぶやら。早速爺さんを呼ぶと、蛙の息子は爺さんにも同じように「あと三日で仲人が来て俺の嫁さんが来るよ。そうすれば、おっかさんもおとっつあんも楽になるよ」と言う。爺さんは喜びはしたものの不安で、

「人に踏みつけられるような蛙のお前に、何処の娘さんが嫁いでくれるかねぇ」と言ったが、蛙の息子は自信ありげに「まあ、待っていてください」と言うのだった。

 三日後に、本当に蛙の息子に嫁を世話するという人が来た。彼に仲介を頼んだのは、かねてから老夫婦に借金がある王という男で、借金がかさんで返すあてが無いので、肩代わりに自分の三番目の娘を差し出そうと思い切ったのだった。嫁いで来た娘は優しい気立てで、老母についてよく働き、蛙の夫にもよく仕えた。

 そんなある日のこと、隣村に芝居がかかり、老母は嫁を連れて見に行った。家人が出かけてしまうと、蛙の息子は皮を脱いで凛々しい若者に変わり、芝居小屋に行って母と嫁の側に座った。母と嫁は「うちの息子がこんな若者だったらよかったのにねぇ」「こんな人のお嫁さんになるのはどんな人でしょうね」と囁きあった。蛙の息子は知らん振りをして、二人よりも先に帰って元の蛙に戻っていた。

 次の日も、その次の日も同じことが起こった。三日目、嫁は疲れたので一人で先に帰ったが、家の何処にも蛙の夫がいない。見れば、薪の側に夫と同じ模様の蛙の皮が落ちていた。その時、庭に例の凛々しい若者が入ってくるのが見えた。嫁は突然に全てを悟り、急いで蛙の皮を燃やしてしまった。

「あなたはどうして蛙になっていたんです
「私はまだ人になれる時が来ていなかったのだ」

 そこへ老母も帰ってきた。例の若者がいるのを見て不思議がる彼女に、嫁は言った。「お姑さん、この人があなたの本当の息子です」

 母は歓喜して「ああ、お前、もう蛙にならないでおくれ」と言い、蛙の息子も頷いた。

 それから数日の間、若夫婦と老夫婦は楽しく暮らしたが、ある日突然、夫は嫁に別れを告げ、「これから年老いた両親によく仕えてくれ」と言って消え去った。嫁が泣きながら「お舅さん、お姑さん、早く来て! 夫がいなくなりました」と叫ぶと、老母が飛び出してきて息子を呼んだ。それに応える声があるので見上げると、蛙の息子は雲の上にいて、そこから黄色い錦の布を老母の手に落とした。その布には、

『おとっつあん、おっかさん、妻よ、悲しまないで下さい。私は星の精で、今日 天界へ帰らなければならないのです。妻は身ごもっています』
と書いてあり、読み終わると消えてしまった。老母と嫁はまた泣いた。

 やがて嫁は男の子を産んだ。この子は小さい頃から利発で、十八歳になると都へ上り、科挙に合格して役人になった。そして老夫婦と母を安楽に過ごさせたという。


参考文献
「蛤蟆児子」/『姜淑珍故事選』
蛙の息子」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

ひきがえる息子3  中国

 善行をなしてきたが子の無い老夫婦がいる。ある日、婆が井戸に水汲みに行き、蛙が鳴いているのを聞いて「お前が私の子なら水桶にお入り」と言うと、本当に入る。蛙は動作で意思を示し、老夫婦の言うことをよく理解して振舞うので、喜んで可愛がる。

 ある日、商人をしている婆の弟が訪ねて来ると、婆は「あんたがまた蘇州へ行く時はウチの息子を連れて行っておくれ」と言う。弟は姉の気持ちを慮って、本当に桶に入れた蛙を連れて商売に行く。そして大きな寺の和尚に蛙を預けて半月働き、戻ってくると蛙がいない。探すと、棄ててあった亀の甲羅の上にいる。なんとしてもそこから離れないので、和尚に甲羅を売ってくれと頼むと、それは食べ殻だから無料であげる、と言う。それで蛙と甲羅を持って帰途につくと、荷物で一杯の三隻の船を持った西欧人に出会い、甲羅を売ってくれと頼まれた。弟には甲羅の価値が分からなかったので、蛙に「幾らにする。お前がいいと思ったら腰をかがめろ、駄目なら売らないから」と言うと、蛙は一隻分の荷物を要求した。

 弟が帰ってきて「姉さんの蛙が大船一隻分の荷物を儲けましたよ」と言うと、婆は大喜びした。老夫婦は大金持ちになり、大金を払って蛙息子の嫁を世話してもらった。

 夜になると、蛙の息子は嫁の前でだけ皮を脱いで、立派な若者の姿に変わった。そして「母にはこのことを黙っていてくれ。これを知れば、母は死んでしまうのだ」と言った。しかし母はこれを知り、ある晩こっそり覗いて確認した。あくる日になると、嫁に「皮を隠してしまおう。そうすれば、あの子はずっと人間の姿でいるんじゃないかい」と言ったので、嫁もその気になり、皮を枯れ井戸に捨てた。蛙の息子は「どうして捨てたんだ、皮がなければ私は蛙に戻れなくなるのに」と怒った。

 そのあくる日、蛙の息子は両親に会って挨拶したが、婆も爺も「オー」と声をあげて喜び、そのまま死んでしまった。蛙の息子は「私の人間の姿を見れば死ぬ運命だったのです」と言って泣いた。立派な棺桶を買って葬式を出し、妻と一緒に暮らし始めた。

 三年が経ち、女の子と男の子が産まれていた。そんなある日、蛙の夫は突然、妻に向かって言った。

「私は普通の人間ではない。子供も大きくなった。私が天界へ帰るときが来た」
「あなた、行かないで下さい。あなたがいなくなったら私たちはどうすればいいんですか」
「私を引き止めることは出来ないのだ。明日の正午、雷神が轟音と共に私を迎えに来るだろう」

 果たして、あくる日の正午に雷雨になると、蛙の夫は立ち上がった。妻は夫にすがり付いて放さなかったが、一瞬の間に雷神に連れ去られてしまった。


参考文献
「蛤蟆児」/『中国民間文学集成遼寧巻撫順市巻上』
蛙の息子(二)」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

蛙の騎手  中国 チベット族

 昔、子供のない貧しい夫婦が神に祈り、蛙を産んだ。

 三年後、蛙は母さんに大きな団子を作ってもらうと「殿様の三人娘の一人を嫁に貰ってくる」と言って、止めるのも聞かずに出かけていった。

 殿様の館に着くや、蛙は大声で娘を一人くれと言い、断わられると「笑ってもいいか」と笑い出した。途端に館はぐらぐら揺れ、殿様はたまらず、上の娘を嫁にくれた。

 だが蛙の嫁になどなりたくない上の娘は、道中、蛙を石臼で押し潰そうとした。危うく難を逃れた蛙は「あんたとは縁がないようだ」と娘を返しに行き、別の娘をくれと言う。断わられると「泣いてもいいか」と言って泣く。途端に雷鳴が轟き、山頂からどっと水が押し寄せる。こうして二番目の娘をもらうが、この娘も石臼を投げつけたので返し、今度は「跳んでもいいか」と言って飛び跳ねると、山と山とがぶつかりあい、岩が跳んで太陽も見えなくなる。末娘は蛙を立派な能力の持ち主だと考え、承知して付いていった。

 嫁入りすると、娘は美しい上に勤勉なので蛙の両親も喜び、睦まじく暮らした。

 秋祭りの日、留守番をすると言う蛙を残して一家も出かけたが、祭りの最後を飾る競馬に緑の服の若者が現れ、一着になって駆け去った。

 家に帰ると蛙は祭であったことをみな知っている。翌年も同じ事が起こる。

 三年目、娘が先に一人で帰ると、家は空っぽでいろりの側に蛙の皮がある。素晴らしい騎手が夫であったのを悟った娘は、急いで皮を燃やしてしまう。その時、夕日の中を若者が駆け戻るが、灰になった皮を見て倒れた。

 若者は地上に幸せをもたらすために生まれた地母神の子だったのだが、充分な力が備わるにはあと一年必要で、皮無しでは夜の寒さに耐えられないという。唯一 助かるには、今夜中に西の神殿に行き、神にこの世の暴政・貧富の差を無くすことを約束してもらい、それを人々に伝えるしかない。

 娘は馬にうち乗り、神に約束を取り付けて急ぎ戻ってくるが、村の入口で実父に会い、そんな馬鹿な話はないと引き止められるうち夜が明け、蛙は死んだ。その墓の前で泣くうち、娘は石になってしまった。


参考文献
『決定版世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.

※死んだ若者が神の力で甦る事が出来るはずだったのに、愚かな親のせいで失敗してしまうというモチーフは、どこか「運命の身代わり1」を思わせる。

 なお、北欧神話にはもっと強い類似のモチーフを見て取れる。ここでは「復活を阻む者」は親ではないが。

 主神オーディンの息子、光明神バルドルは不死身であったが、奸智の神ロキの悪企みによって死ぬ。彼の妻のナンナも嘆きのあまりに死んだ。彼を復活させるため、バルドルの弟である勇士ヘルモッドは八脚の神馬スレイプニルにまたがって冥界へ下り、女王ヘルに約束を取り付けた。アスガルドの全ての者がバルドルの死を嘆いているなら彼をアスガルドに戻すが、一人でもそう思わない者がいるなら許すわけにはいかないと。ヘルモッドはこの報せを携えてアスガルドに舞い戻り、バルドルの母神は世界中に使者を派遣してバルドルのために泣き悲しむように伝えた。人も獣も草木や金石までもそうしたが、洞穴に住むソックという醜い巨人族の老婆だけはそうしなかった。(彼女はロキの化身だったのだとも言う。)かくしてバルドルは甦らなかった。

 バルドルは《春》や《生命》を象徴する豊穣神である。彼の死は《冬》と《死》が世界にもたらされることを意味する。蛙息子もそうした存在なのかもしれない。だからこそ、最後には異界へ去らねばならないのだろう。



蛇息子・結婚型  フランス

 昔、どうしても子供の欲しい母親がいた。やっと子を授かったが、産まれたのは蛇だった。蛇は優しい良い子に育ったが、母はこの子を世間に見せる気になれなかった。

 十八歳になったとき、息子は嫁さんが欲しいと言い出した。

「蛇のお前が嫁さんをもらうだなんて! 来てくれる人なんていませんよ」「でも、欲しいんだよ!」

 息子が言い張るので、母親は嫁さんを探しに出かけた。ちょうど畑で野良仕事をしている人たちがいた。

「あなた方の娘さんをウチの息子に下さらない?」

 流石にその人々は躊躇ったが、何せ貧しかったから、母親が沢山のお金を出すと言うと娘をくれてもいいことになった。

 母親は農夫の娘を連れて帰ってきた。蛇息子は窓のところで待っていた。それが貧しい娘なのを見ると息子は尻尾を立てて言った。

「その子じゃ嫌だよ」

「蛇のくせに、あたしが連れて来た娘さんじゃイヤだって言うのかい?」

「だって、嫌なんだよ、そんな子」

 母親はまた別の娘を連れてこなければならなかった。同じようにお金を払う約束をして羊飼いの娘を連れて来たが、蛇息子はこの娘も嫌がった。それでも、三番目に連れて来た娘は気に入った。彼女はいい家のきれいな娘で、蛇息子と結婚してもいいと自ら承知してやって来たのだった。

 二人は結婚して、幸せに暮らした。母親は、嫁が蛇の息子と結婚してどうして幸せになれるのか分からなかった。それでしつこく問いただした。何か秘密があるに違いない……。何度も何度も尋ねられて、とうとう嫁はそれを明かした。

「お姑さん、真夜中になるとあの人が皮を脱いで、世界一ハンサムな男の人になるのをご存知ありませんの?」

 そこである晩、母親は寝ないで息子の様子を探ってみた。すると、本当に息子は皮を脱いで美男子になっている。

 けれども、それでおしまいだった。息子はねてから、嫁に「決してこの秘密を漏らしてはならない。もしも誰かに知られてしまったら、僕は君と別れなければならなくなるんだ。そうなったら、鉄の靴が擦り切れ、涙で桶がいっぱいになるまで会えないんだよ」と固く戒めていた。母親に秘密が知られたことを知ると、息子は「なんてことをしてくれたんだ。こうなってしまったら、僕は君と別れて遠くへ行かなくてはならない。鉄の靴をすり減らすまで歩き、桶を涙で一杯にするまで、もう逢えない……」と言い残して、去って行った。

 嫁はすぐにその後を追って飛び出した。森を抜けていくと、一人の小さな老婆に出会った。身の上を打ち明けると、老婆は嫁にくるみとはしばみとアーモンドをくれてこう言った。

「ここをまっすぐ行って、鉄の靴が擦り減るほど歩いたら、そこでお止まり。あんたの亭主はそこにいる。でも、靴が完全に擦り切れないことには、あんたは本当には亭主に逢えないんだよ」

 嫁は老婆の忠告に従って森の中を行った。彼女の頭の上を一羽の小鳥が枝から枝へと飛びながら、彼女に話しかけて案内してくれた。もう殆ど靴がすり減る頃に、ある国のある村のある家の前に着いた。実は、そこは彼女の亭主が再婚した家だったのだ。彼女はそこで足を止め、くるみを割ってみた。すると金の紡錘つむが出てきた。その家の前で彼女が金の紡錘を使って糸を紡ぎ始めると、人々は「美女が金の糸を紡いでいるよ、なんてきれいなんだろう」と言って驚いた。その家の女房――亭主の二番目の嫁も、すっかり魅了されてしまい、その金の紡錘を譲ってくれないか、と頼んできた。

「ええ、いいわ。でも条件があるの」

「どんなこと?」

「あなたのご主人の寝室に、今晩私を入れてちょうだい」

「まあ、駄目よ、そんなの」

 二番目の嫁は嫌がったが、金の紡錘が欲しくてたまらなかったので、とうとう条件を呑んだ。それで、一番目の嫁はその晩、亭主と二人きりで過ごすことが出来たが、どんなに話しかけても亭主は何一つ思い出さなかったし、昔の国で暮らしていたときのことを理解してくれなかった。

 あくる朝、悲嘆にくれた一番目の嫁ははしばみの実を割ってみた。すると、金の紡ぎ棒が出てきた。それを持って、二番目の嫁の家の窓の下で糸を紡ぐと、昨日と同じことが起こった。二番目の嫁は亭主を一晩貸し出すことを嫌だと思うのだが、どうしても金の紡ぎ棒が欲しいという誘惑に勝てないのだ。

 その晩も同じことだった。どんなに言葉を尽くしても、亭主は一番目の嫁のことを思い出しはしなかった。

 三日目、一番目の嫁はアーモンドを割って金の紡ぎ車を取り出した。これまでと同じことが起こり、その晩に亭主の寝室に入れる権利を得た。寝室に向かいながら、一番目の嫁は最後のチャンスも無駄に終わるのではないかと不安に怯えていた。寝室の戸を亭主が開けて迎える――そこを潜ったとき、それまで引きずっていた鉄の靴が擦り切れて離れ、涙の桶がいっぱいになった。ついに、約束の時が来たのだ。

「とうとう見つけたわ! あなたを探して鉄の靴は擦り切れ、あなたを悼む涙で桶はいっぱいになった」

 今は、亭主にも最初の妻が分かった。彼女は一部始終を物語った。そして二人は幸せに、元の国へ戻って行った。



参考文献
『フランス民話より ふしぎな愛の物語』 篠田知和基編著 ちくま文庫 1992.

※蛇息子の話には、幾つかの異なる展開がある。

  1. どんどん大きくなる蛇息子を養えず、野に放つ。蛇は災いをなすようになり、退治される。
  2. 蛇息子を怖れた役人が親を(逮捕する/殺す)。蛇息子は(親を背負って逃げる/町を湖の底に沈める)
  3. 蛇息子は嫁をもらい、立派な若者に変わる。

 ここでは、《3》を取り上げている。

 この話は「たにし息子」や「ひきがえる息子」とかなり近いが、《小さい》という要素が薄く、むしろ大蛇として語られることが多い。

 

 このタイプの物語は、西欧では「赤い仔豚」か「豚の王」という題で知られているようだ。類似話型には「美女と野獣」(親が怪物との約束で娘を嫁にやる。娘が怪物を愛すると怪物は美男子になる)や「怪物の息子」(怪物として産まれた王子が嫁を欲しがり、気に食わない嫁を食い殺す。賢い娘が夫を愛することで王子は美男子になる)などがある。いわゆる、異類婚姻譚である。後半の鉄の靴を履いての冥界の旅は、西欧の民話ではしばしば豊かに語られるが、日本では「天人女房」くらいでしか語られることがない。(百足のわらじを作って埋めると、天界に達する植物が生える。)

 鉄の靴を履き、涙を桶(ビン)に落としながら旅する女を想像すると とても奇妙に思えるが、これが一種の比喩であることは物語を読んだ方にはお分かりかと思う。夫は死んで冥界に去ったのであり、妻はそれを追って(既に冥界で転生していた彼を)連れ戻したのだ。

 重く固い鉄の靴を歩いてすり減らすことは、尋常では殆ど不可能であろう。これは、生者が冥界へ行くこと、目的の死者の魂を見つけることがそれだけ困難だということを現している。そして、涙が容器一杯になるこということは、彼女の夫への愛情が並みならずに深いことを意味する。

 深い愛を持ち、尋常ならざる困難を耐え抜き、そして女神(この話では森の中で会った老婆)の祝福を得た者だけが、死者を甦らせるという奇跡を起こすことが出来るのだ。

 

 何故、皮を脱ぐことを母親に知られた蛇息子は死ななければならなかったのだろう。

 異類婚姻譚には、「祖霊が獣の皮(肉体)をまとって冥界から現れる」という信仰が根底にある。蛇息子は、神の世界(冥界)から富をもたらすためにやって来た、神の申し子である。蛇の肉体の中に神の魂が宿っているのだ。彼は、この世での《人の形》の肉体を持っていない。一時的に皮を脱いで(肉体から抜け出して)魂の姿を見せることはできても、この世に存在し続けるためには蛇の皮(肉体)は不可欠なものであり、普段は蛇の姿でいなくてはならない。

 恐らくは、この話における「母に正体を知られる」→「冥界に去る」というエピソードは、本来は

「身内の女に正体を知られる」→「身内の女は、もう獣に戻らないように皮を焼く」→「肉体を失ったために冥界に去る」という形だったはずである。

 しかし、これは獣の姿で産まれた息子が、人間に変わるために必要なプロセスでもあった。日本の類話では、蛇息子は自ら嫁に、自分を叩き殺すように命じる。一度殺されることで、彼は立派な若者に転生したのだ。

日本 岩手県 紫波郡

 畑で働いていた夫婦が、夕方、帰る時に笠を取ると、中に小蛇がいる。どんなに追っても逃げずに笠に入る。夫婦には子が無かったので、連れて帰って鉢に入れて飼うと、すぐに大きくなるので盥に入れ、また大きくなるので馬の飼葉桶に入れて育てた。

 そうこうするうち、その蛇息子が両親に向かって「これから長者どんの家に行って、娘を一人、嫁にもらってくる」と口をきき、長者の家に出かけた。長者の家では夕飯を食べていたが、玄関で「お頼み申す」と声がするので、三人の娘が順に出てみたが誰もいない。四度目の声で長者が出てみると、大蛇がいて「娘を嫁にくれ、くれないならこの家を巻き壊す」と言った。三人娘のうち上の二人は「誰が蛇の嫁になるものですか」と怒って断ったが、末娘だけが承知した。町で衣装など買いそろえて蛇の所へやると、蛇は喜んで娘を背に乗せて帰った。

 その後、両親が畑に出た留守の間に、蛇息子は嫁に向かってこう言った。

「おれはこの藁打石の上に登っているから、お前はこの藁打槌で肝のところを叩いてくれ」

 嫁が言われたとおりにすると、肝が潰れて、蛇息子はバチンと向こうに弾け飛んだ。そして、そこから立ち上がったときには、もう蛇の姿ではなかった。

 両親が畑から戻ってくると、見たこともない美しい若者がいて、嫁とイチャイチャしながら囲炉裏に当たっている。「どこの若様ですか」と尋ねると、蛇の息子だと言う。両親は急いで長者にもこれを知らせ、めでたく婚礼の式を挙げた。蛇息子を嫌がった二人の姉は、恥ずかしいやら悔しいやらで、どこかへ行ってしまったという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.

朝鮮半島(韓半島) 慶南馬山府

 やもめの女が蛇の子を産み、隣の宰相の三人娘が見に行く。

 蛇息子は成長し、母親を介して宰相に娘を嫁にくれと申し込む。上の二人の娘は断るが、末娘が承知して嫁になる。

 神婚初夜、嫁が不安に怯えていると、蛇息子は皮を脱いで美少年になる。少年は妻に脱いだ蛇の抜け殻を預けて科挙に赴き、合格して高官になる。

 姉二人も既に結婚していたが、妹の幸福を羨む。妹が襟の中に夫の抜け殻を縫いこんでいたのを探り、皮を火鉢で焼く。戻る旅の途中だった夫は、この匂いを感じて世を棄て、流浪する。妻もまた旅に出て夫と再会する。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

 これら二つの類話は、シベリアの「カンダ爺さん」、日本古典の「天稚彦の草子」「七夕女」とも近い。



たまご息子  中国

 昔、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。年を取っても子供がなかったので、何とか子供が欲しいものだと思っていました。そのうち、ある人から家の中に子授け神様を祀って毎日お祈りすればきっと子供が授かると聞き、早速 神棚を設けて毎日お祈りしました。はたして半年も経たないうちにお婆さんは身ごもり、十月経って子供が産まれました。ところが、この子は普通の赤ん坊ではなく、まぁるいたまごでした。お婆さんはとてもびっくりしましたし、大層切なく思いました。

「こんなに年を取って、やっと子供が出来たと思ったらたまごとは、どうしたことだろう! こうと知ってりゃ、子授けのお祈りなんてしなきゃよかった」

 するとお爺さんは

「たまごはたまご、こうして生まれてきたからにゃ、せいぜい可愛がってやろうじゃないか」

と言って、たまご息子を籠に入れ、手許に置くことにしました。年寄り夫婦はガッカリはしていたものの、毎日野良仕事から帰ってくると、たまご息子を一目見ないことには落ち着きませんでした。

 一日一日と過ぎて二、三ヶ月もすると、たまご息子はアワアワと赤ちゃん言葉を話し始め、年寄り夫婦を喜ばせました。六、七ヶ月目には籠の中でころころ動き出し、お誕生日の頃には、とうとう籠から転がり出て、余所の家の小さな子供と一緒に遊ぶようになりました。ただ、たまご息子は歩く代わりに地面を転がるので、いつも泥だらけになりました。そこで、お婆さんはこの子が遊んで帰ってくると、丁寧に泥を拭いて奇麗にしてから籠に入れてやりました。

 七つ、八つになると、余所の子はみんな、牛追いの仕事をしました。たまご息子も、お爺さんに牛追いをやらせてくれと言いました。

「お前に牛が追えるかい? どうやってやるんだね?」

と言いますと、たまご息子は言いました。

「おいらにできないと思ってんなら、ためしに牛の耳ん中においらを入れてみておくれ。耳ん中で掛け声をかけられれば、牛だって言うことをきくさ」

 お爺さんはたまご息子を牛の耳の中に入れてやりました。こうしてたまご息子は、掛け声をかけながら牛を野原に追っていき、草を食べさせました。牛を追いながら、たまご息子は誰も真似できないような見事な歌を唄いました。他の牛追いの子供たちは、奇麗な歌は聞こえても歌っている人が見当たらないものだから、どこかで仙人が歌っているのだと思いました。そして、家の人たちまで連れて来て、この仙人の歌に聞き惚れました。

 よその子が大きくなるように、たまご息子も大きくなりました。そして同じくらいの年の子が山へ柴刈りに行くようになった時、たまご息子も、お爺さんに柴刈り斧をもらって、山へ柴刈りに行きたいと言いました。

「手も無くて、どうやって柴を刈るんだね?」

と言いますと、たまご息子は言いました。

「斧を体に縛り付けてくれれば、柴を刈れるよ」

 お爺さんが斧をたまご息子に縛り付けてやりますと、たまご息子はころころ山を登っていきました。さて、家からだいぶ離れて辺りに誰もいないところで、たまご息子はさっと殻を開いて若者の姿を現しました。そして殻を道端に隠してから、山に登って柴を刈りました。昼には、刈った柴を積み上げてから、殻を脱いだところまで下り、元通り殻を着けると、ゆっくりころころ転がって家に帰りました。

 家に着くなり、お爺さんに言いました。

「車で柴を運んで来ておくれよ。おれ、いっぱい刈って、山に置いてきたんだ」

 お爺さんは、疑いながら荷車を押して出かけましたが、山に着いてみると本当に柴が幾山にも積み上げてありましたので、大喜びで運んで帰りました。

 次の日、たまご息子が野良仕事に出た時、道で、畑仕事に行くところの奇麗な娘を見かけました。たまご息子は誰もいない時を見て殻を脱ぎ、隠してから、娘に追い付いて声をかけました。

「おおい、どこにいくんだい?」

 娘が振り返ると、見たこともないような凛々しい若者でした。すぐ、

「畑へ」

と答えました。

「どこの畑だい?」

「すぐその山のふもとよ」

「じゃ、おれんちの畑の隣じゃないか。一緒に行こう」

 たまご息子は娘と話しながら、畑まで行きました。

 畑で仕事しながらも、二人は話したり笑ったり、恋歌を唄ったり、お互いに相手を想うようになりました。

 日が暮れて、一緒に村へ帰る途中、殻を脱いだところにさしかかると、たまご息子は娘に言いました。

「おれはちょっと用を足していくから、先に帰ってくれないか」

 娘は本気にして、一人で帰っていきました。たまご息子は、娘が見えなくなってから卵の殻を着け、ころころ転がって家に帰りました。

 帰ってから、お爺さんお婆さんに言いました。

「奇麗な娘が、おれを好きになったよ」

 そこで、お爺さんが言いました。

「えっ、誰がお前なんかを好きになったって? そんなこと人に言おうもんなら、みんな大笑いして顎を外しちまうぞ。なんて臆面がないんだろう!」

 

 そんなある日、村で相撲や駆けっこを競う力比べ大会が開かれることになりました。たまご息子はお爺さんお婆さんに言いました。

「おれもみんなと一緒に出てみるよ」

「お前が他の連中と勝負するんだって? 踏まれてぺしゃんこにされるのがおちだよ!」

「心配いらないって。ちゃんと考えがあるんだ」

 こう言って、たまご息子はころころ会場に向かいました。人の足の間をころころ縫っていきながら、踏まれそうになると

「踏むなよ!」

と、声を張り上げました。たまごが言葉を話すもので、誰も彼もそれは不思議がりました。会場でも、他の人たちが大きな声ではやす時には、たまご息子も一緒になって声援を送りました。

 そのうち、みんなが勝負に夢中になっている隙に、たまご息子は人垣の後ろに出て、たまごの殻を脱ぎ、駆けっこに出ました。さて、駆けっこが始まりますと、たまご息子は一人また一人と他の人を抜いて先頭に出、ぐんぐん引き離してゴールに着いてしまいました。

 見物人はこの若者の足の速いのには誰もが感心して、一目見ようと取り囲みました。あの奇麗な娘も、自分のボーイフレンドが人気者になったのでとても喜びました。

 大会が終わってから、二人は一緒に帰りましたが、たまご息子は今度も途中で言いました。

「おれは用を足すから、先に帰ってくれ」

 そして、娘も誰もいなくなってから、たまごの殻を着け、ころころ家に帰りました。

 家では、お爺さんお婆さんに言いました。

「おれは、今日の駆けっこで誰よりも速かったもんだから、一番の人気者になっちまったよ」

 お爺さんとお婆さんは言いました。

「馬鹿言っちゃいけませんよ。お前みたいにころころ転がってたんじゃ、とても一等にはなれっこない!」

 お爺さんとお婆さんはたまご息子の走りっぷりを見ていないものですから、ねっからその話を信じませんでした。

 

 さて、日が経つにつれて、たまご息子と奇麗な娘の仲は、いよいよ深くなっていきました。ある晩、娘がたまご息子の家に遊びにきました。娘はあの凛々しい若者が家の中に見当たらないので、お爺さんお婆さんに尋ねました。

「息子さんはどこですか?」

 お爺さんとお婆さんは言いました。

「うちには息子なんていませんよ! きっと家を間違えたんでしょう」

 すると、たまご息子が殻の中から言いました。

「息子がいないだって? じゃ、おれは息子じゃないのかい?」

 息子がたまごだとは人に知られたくなかったもので、お爺さんとお婆さんは「しまった」と思いました。そこで、

「お前、そんな風に人様と話なんぞして、恥ずかしくないのかい?」

と言いますと、たまご息子が

「何が恥ずかしいもんか。おれはこんな恰好の人間だからこそ、好いてくれる人を好きになるんじゃないか!」

と言い返しました。娘の方では、何がなんだかさっぱり分からなくて、すぐに帰ってしまいました。

 次の日、二人はいつものように畑で顔を合わせました。娘が

「教わった通り、ゆうべあんたの家に行ったのに、いなかったじゃない。どうしたの?」

と言いますと、たまご息子が言いました。

「えーっ、おれがいなかったって? おれはちゃんと家にいて、あんたに会ったじゃないか!」

 こう言われて、娘もうすうす分かってきたので、もうこの話はしませんでした。そして夕方、村への帰り道で、たまご息子がいつものように

「用を足していくから、先に帰ってくれ」

と言った時、娘は帰ったふりをして、こっそり若者のすることを見ていました。

 そうとも知らず、たまご息子はさっと殻を着け、ころころ転がって家へ帰っていきました。

 そこで、その晩、娘はたまご息子の家に行って、お爺さんを外に呼び出し、その日見たことをすっかり話しました。

 あくる日、たまご息子がいつものように野良仕事に出かけますと、お爺さんはこっそり後を付けていきました。たまご息子は、途中で脇の溝にちょっと隠れて、たまごの殻を脱いで隠してから、凛々しい若者の姿になって畑へ仕事に行きました。

 お爺さんはこれを見て、もう嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。長い間、毎日毎日夫婦で大事に育てたたまごの息子。今日になって、やっとその息子の本当の姿を見る事ができたのですから。急いでたまごの殻を取って家に帰り、お婆さんに報せました。

 その日の夕方、たまご息子は殻を脱いだところまで来たところが、殻が見つかりません。びっくりして、どうしたらいいか困って、その場にぼんやり座り込んでしまいました。

 お爺さんとお婆さんの方では、真っ暗になってもたまご息子が帰ってこないので、いてもたってもいられず、息子を捜しに出ました。やっとのことで、一人道端に座り込んでいる若者を見つけて言いました。

「おお、息子や、どうして家に帰ってこないんだ? これでやっと、お前も本当の姿になれたんじゃないか!」

 そこで、一家揃って家に帰りました。

 やがて、この立派な息子は、大好きな奇麗な娘と結婚しました。



参考文献
『世界むかし話10 金剛山のトラたいじ』 鳥越やす子/佐藤ふみえ訳 ほるぷ出版 1979.

※大好きな話。ころころ転がるたまご息子が可愛くていい! あと、正体を隠しておきたいんだか全然気にしていないんだか謎のところも面白い。(笑)

 この話では、たまご息子が神の申し子であるという点が希薄になっている。

 中国の民話でこれに似たものに、「ひょうたん息子」というものがある。これは、正常な頭から手足が直接生えている、という姿で生まれた男が主人公だ。そのプロポーションがひょうたんのようだというので ひょうたん息子と呼ばれた。彼は非常に賢いが介護なしには動くことも出来ない。しかし結婚して子供まで作る。性器がないはずなのに……。親が不思議がって寝室を覗き見すると、夜になると殻を脱いで普通の男になっていた。しかし朝になると再び ひょうたん男に戻るので、その晩、親は殻を隠してしまう。それからは、息子はずっと普通の姿でいたという。



参考 -->「オレンジ生まれの娘」「ナツメの種っ子



たる腹  インドネシア ジャワ島

 たる腹と呼ばれている草刈りの少年がいた。何故たる腹かって、太っちょで不格好で、たるみたいなお腹をしていたからだ。

 ある時、たる腹は生まれて初めてやな(魚を捕る罠)をしかけた。かかったのはちっちゃな小魚一匹だったけれど、たる腹はそれを大事にして家で飼っていた。

 ところが、遠くに草刈りに行った間に、魚は隣の家のニワトリに食べられてしまった。

「ひどいよ、ひどいよ、僕の魚を食べるだなんて! 僕の大事な魚をお腹に入れたからには、このニワトリは僕のものにならなきゃいけないぞ」

 仕方なく、隣の人はニワトリをくれた。たる腹はしばらくニワトリを飼っていたけれど、ある日その辺のえさを突つきながらうろついていた時、ニワトリはあやまって杵で搗き殺された。

「ひどいよ、ひどいよ、僕のニワトリを殺すだなんて! 僕のニワトリを殺したからには、この杵は僕のものにならなきゃいけないぞ」

 たる腹は杵を手に入れた。

 そうしてしばらく経ったある日、杵は通りかかった水牛に踏み壊された。

「ひどいよ、ひどいよ、僕の杵を踏み壊すだなんて! 僕の杵を壊したからには、この水牛は僕のものにならなきゃいけないぞ」

 ついにたる腹は水牛を手に入れた。そして水牛を連れて歩いていたけれど、ああ、不幸は立て続けに起こる。水牛の頭の上に熟したドリアンが落ちて来て、水牛はぽっくり死んでしまった。それで、たる腹は水牛を殺したドリアンを自分のものにして歩いていった。

「あら、おいしそうなものを持っているわね。それを私におよこしなさい」

 通りかかった領主の姫様が、たる腹の熟したドリアンに目を付けた。

「だめだよ。これは僕のものなんだから。いくら姫様にでもあげるわけにはいかないね」

 姫様は横暴ではなかったので、無理矢理奪い取るようなことはしなかった。けれど、なぜだかどうしてもどうしてもあのドリアンが食べたくてたまらなくなっていたので、こう言った。

「あらそう? それにしても重そうね。あなた、これから用事があるんじゃない? ……草刈りに行くのね。いいわ、まかせてらっしゃい。あなたが草刈りをする間、この私がその重いドリアンを預かっておいてあげるから」

 そこでたる腹はドリアンを姫様に預けていったけれど、勿論、姫様にただ預かるだけで我慢することなんて出来るはずがなかったのだ。たる腹が帰ってきた時、ドリアンはすっかり姫様のお腹の中に消えてしまっていた。

「ひどいよ、ひどいよ、僕のドリアンを食べるだなんて! 僕のドリアンをお腹に入れたからには、姫様は僕のものにならなきゃいけないぞ」

 たる腹は言った。姫様は賢い娘だったので、全くその通りだと思ったが、気持ちは嫌で仕方がなかった。なにしろたる腹ときたらただの草刈りの息子で、ひどく不格好だったから。

 二人がもめていると、姫様の父の領主様がやってきた。領主様は賢明で公平な人だったので、話を聞くとこう宣告した。

「この少年の言う通りだ。娘よ、お前はこの少年の妻にならなければならないよ」

 けれど、勿論二人はまだ子供だったので、婚礼をあげるまでにはかなりの時間があった。領主様はたる腹のお父さんを雇っている大臣を呼び、婚礼の日までたる腹を引き取って教育するように命じた。大臣には子供がなかったので、大臣の奥さんは喜んでたる腹を育てた。

 こうして大臣の家で過ごすうち、たる腹の顔つきや姿が段々変わってきた。身に付いた内面の賢さが出て美しくなり、姫様の婿として何ら遜色がなくなった。もう、誰も彼をたる腹とは呼ばなくなった。彼はラデン・ガンダラサ(良い香り)と呼ばれるようになったのだ。

 それでラデン・ガンダラサは、姫様とめでたく結婚した。そして幸せに暮らしたということだ。



参考文献
『世界の民話 インドネシア・ベトナム』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1979.

※この話の主人公の《たる腹》は、神の申し子でも異形でもないし、なにより蛙やタニシではない。

 しかし「醜い男児が、自分の食料を姫に盗み食いされた引き換えに姫が自分のものになるように要求し、叶えられる。それから立派な若者に変身して結婚し、周囲に賞賛される」という展開は「たにし息子」にしばしば見られるものと同じであるため、ここに並べてみた。また、「姫が一時の欲望で醜い者と結婚の約束をし、しかし後で嫌がると、父王が叱って約束を守らせる」というエピソードは、「蛙の王様」と同じである。

 前半は「藁しべ長者」風の物々交換譚になっている。




inserted by FC2 system