>>参考 【竜宮女房】【金の生る木
     「如願

 

竜宮童子

  1. 善良だが貧しい男が水神に出会い、富を授けてくれる素晴らしいものを授かる
  2. しかし、(男/男の妻/夫婦)は豊かになると気持ちが奢り、神への感謝の念を忘れて不遜な振る舞いをする。すると授かった富は一瞬で失われ、生活が元に戻ってしまう。

 発端(1)から始まる系統にはバリエーションが非常に多く、「玉手箱」を授かれば浦島太郎系に、「水や宝が湧き出てくる臼」を授かれば塩吹き臼系に、「獣の声が聞けるようになる呪宝」を授かれば聴き耳系に、「水神の娘」を授かれば竜宮女房系に、「糞の代わりに金をひり出す動物」を授かれば金の生る木系になる。単純に打ち出の小槌や増える黄金をもらって喜んで終わるだけの場合もある。このように、それぞれ異なった展開と結末を迎える。

 竜宮童子系の場合、「何でも願いを叶えてくれる汚らしい子供」を授かることになる。この子供、身奇麗にしてやることは出来ないらしい。ドイツの魔法の壷系の話に、貧しい男が山の妖精から「欲しいものを唱えるとそれが満ちる、黒くて汚い壷」を授かるものがある。(『世界むかし話7 メドヴィの居酒屋』 矢川澄子訳 ほるぷ出版 1979.) 女房が妖精の戒めを忘れてこの壷を美しく磨くと、壷は壊れてしまうのだ。

 竜宮童子系のもう一つの特徴は、「感謝の気持ち」を忘れてしまうと、それまでに授かった富が一瞬で全て消えてしまう、という(2)の結末である。このモチーフは国際的には「漁師とその妻」と呼ばれる話型に入っている。「竜宮童子」の場合、水神に感謝されて童子を授かるが、こちらでは網にかかった金の魚を殺さずに見逃す代わりとして願いをかなえてもらう。交換条件である。漁師の妻がどんどん裕福にしてもらった挙句に高慢が極まって「神になりたい」と願うと、それまでに授かった富が全て消えうせてあばら家に戻る。または、妻または男はカラスや熊などの獣に変えられる。

「漁師とその妻」はドイツが起源だとされているらしい。西欧全域に分布し、スペイン人を通して西インド諸島に、オランダ人を通してインドネシアに伝えられたとされている。日本でも沖縄地方にはこの完全な類話が存在するが、交流のあったインドネシアから伝わってきたということか。他方、「竜宮童子」や「鮭女房」内に現れているこのモチーフは、ロシアから中国を経て変形しながら伝わってきたものなのかもしれない。

 

竜宮童子  日本

 昔、貧しい柴取りの爺が、売れ残った柴を沼に捨てて、「水神様に差し上げます」と言った。すると水の中から龍神が現れて竜宮城に案内され、厚くもてなされた。帰りに、龍神は鼻水を垂らした汚い子供を渡して、この子供を大事にしなさい、日に一回は なますを食べさせてください、と言った。

 この鼻たれ小僧は不思議な力を持っていて、何か願い事を言うと鼻をすする。するとたちまち願いがかなってしまうのだ。

 こうして爺は大きな家を持つ長者になったが、婆の方は金持ちになると慢心して、汚い鼻たれ小僧の面倒を見るのも嫌になったし、なますを食べさせるのも面倒になった。それでとうとうある日、鼻たれ小僧に「もう充分ですから帰ってください」と言って、家から追い出した。

 追い出された鼻たれ小僧が帰り際にずずっと鼻をすすると、大きな家も財産も何もかもぱっと消えてしまい、爺と婆は元の汚いなりでぽかんと座っていた。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※「はなたれ小僧さま」の題でも有名な話。

 授かる童子の名は、とほう、うんとく、よげない、あほう、ひょうとく などがある。また、《とてつ》という女の子の場合や、《したり》という婆の場合も有り、中国の『録異記』にある如願の話を思い起こさせる。

 類話によっては、竜宮から迎えに来る使者は大亀であり、その背に乗って竜宮に行き、乙姫に童子を授かる。[浦島太郎]や[竜宮女房]の導入部と同じである。



参考 --> 「如願」「花咲か爺」「ペナンペ・パナンペ



ひょっとこのはじまり  日本 岩手県江刺市

 あるところに爺と婆があった。爺は山に柴刈りに行って、大きな穴を一つ見つけた。こんな穴には悪い物が住むものだ、塞いでしまった方がよいと思って、一束の柴をその穴の口に押し込んだ。ところが柴は栓になるどころか、するすると入っていった。

 何度も何度も柴を押し込み、とうとう刈り溜めた三日分の柴を全部穴の中に入れてしまった。すると、穴の中から美しい女が出てきて礼を言い、中に来てくれと勧められる。入ってみると目の覚めるような立派な家があり、傍らには爺が押し込んだ柴がきちんと積み上げてある。女に勧められるままに座敷に入ると、立派な白髭の翁がいた。翁もまた柴の礼を言い、色々な御馳走を出した。帰るとき、「これを記念しるしにやるから連れて行け」と言われ、みっともない顔の一人の子供を連れて行けと言われた。

 家に着いても子供はへそばかりいじっているので、ある日、火箸でちょいとへそを突ついてみると、へそからぶつりと金の小粒が出た。それから日に三度ずつ出て、爺の家はたちまち富貴長者となった。

 ところが、欲張りな婆が爺の留守中に子供のへそをぐんと突くと、子供は死んでしまった。外から戻った爺が悲しんでいると、夢に子供が出てきて、「泣くな爺様、俺の顔に似た面を作って、毎日よく目にかかる竈前の柱にかけておけ。そうすれば家は栄える」と教えてくれた。

 この子供の名前は《ひょうとく》といった。それゆえにこの土地の村々では今でも、醜い《ひょうとく》の面を木や粘土で造って、竈の前の釜男カマオトコという柱にかけておく。所によってはまたこれを火男ヒオトコとも竃仏カマホトケとも呼んでいる。



参考文献
日本の昔ばなし(T) こぶとり爺さん・かちかち山』 関敬吾編 岩波文庫 1956.

※口を尖らした奇妙な顔の男の面、ひょっとこ(火男)の由来話として有名な話。

 宮城県黒川郡の類話によると子供の名はショウトク、囲炉裏で木を焼きながらへそをいじるので、爺がやめさせようと火箸で挟むまねをすると黄金が出た、となっている。ショウトクのへそを火箸でいじって殺したのは隣の欲深爺さんだ。



参考--> 「司命神」「如願」【金の生る木】[竈神の縁起



金の魚  ロシア

 大海の真ん中に島があり、一軒のみすぼらしい小屋が建っていた。そこにはひどく貧しい爺と婆が住み、爺が海で網をうって魚をとっては、何とか暮らしを立てていた。

 ある日のこと、爺が網をうって手繰り寄せると、未だかつてないほどに重かった。けれどもかかっていたのは小さな金の魚が一匹だけ。その魚は人間の言葉で言った。

『お爺さん、私を捕まえないでください! 海に帰してください! お礼に、何でも願いを叶えてあげますから』

 爺は少し考えたが、特に願いなど思いつかなかった。それで魚を放してやったが、家に帰ってこの話を婆にすると、「みすみす幸運を逃すなんて!」とひどく怒りだした。「せめてパンくらい頼んでもよかったのに。うちには古いパンだってろくにないんだからね!」などと朝から晩まで罵られ続け、耐えきれなくなった爺は海辺へ行った。

「魚や、魚、金の魚や! 水の上に出てきておくれ。わしに顔を見せておくれ!」

 金の魚が浮かび上がって来て『お爺さん、何の御用ですか』と尋ねた。

「婆さんが腹を立ててな。パンを頼めってうるさいんじゃ」

『家へ帰ってごらんなさい。パンはたっぷりあるでしょう』

 家に帰ってみると、本当にパンはたっぷりあった。けれども婆はまだブスッとしていて、桶が壊れたから洗濯もできない、金の魚に新しい桶を頼んでおくれと言うのだった。

「魚や、魚、金の魚や! 水の上に出てきておくれ。わしに顔を見せておくれ!」

 爺が海辺に行って呼び出すと魚が現れ、望みを叶えてくれた。しかし爺が家に帰るとすぐに、婆は「とっとと金の魚の所へ行って、新しい小屋を建てろって言うんだよ!」と怒鳴りつけた。

 爺が再び魚に頼んでから帰ると、庭に素敵な小屋が建っていたが、そこから出て来た婆は喜ぶどころかもっと怒っていた。

「この老いぼれめ、折角の運を捕まえることもできないのかい!? 小屋ぐらいで満足してんじゃないよ。さ、今すぐ金の魚の所へ行って言うんだ。『妻は奥方様になりたがっている。貧乏漁師の女房なんてまっぴらだ』ってね!」

 望みは叶えられ、爺が帰ってみると、さっきの新しい小屋の代わりに石造りの三階建ての屋敷が建っており、沢山の召使いたちが忙しなく働いていた。そしてキラキラする錦の着物を着た婆が、背の高い椅子に座ってあれこれ指示を出している。

「おお、婆さんや!」

 爺が声をかけると、婆は猛り狂って言った。

「この礼儀知らずめ! 奥方の私に向かって婆さんとは何事じゃ! これ、誰かこのじじいを馬小屋へ引っ立てて、思いきり鞭をくれてやるがよい!」

 爺は馬小屋へ連れて行かれ、馬丁たちに足腰立たなくなるほど痛めつけられた。そしてそのまま庭番にさせられ、朝から晩まで庭掃除をしなければならなかった。

 それから数日経つと婆は奥方の暮らしに飽き、爺を呼び出して、金の魚に「女王になりたい」と伝えるようにと命令した。爺は海辺へ行き、願いは叶えられた。爺が戻ると三階建ての屋敷は金の屋根の宮殿になっており、周囲は兵たちに守られていた。冠をかぶった婆が沢山の将軍や貴族を従えてバルコニーに現れると、太鼓が打ち鳴らされ音楽が奏でられて、兵たちが「万歳!」と叫んだ。

 それからしばらく過ぎると、婆は家来に命じて裏庭に住んでいた爺を連れて来させ、こう言った。

「よくお聞き、老いぼれめ! 金の魚の所へ行って、私の命令を伝えるのじゃ。『お妃はもう飽きた。世界中の海と魚を従える、海の皇帝になりたい』とな」

 爺は驚いて断ったが、婆は行かねば首を切ると脅した。仕方なく爺は海辺に行き、金の魚に呼びかけた。

「魚や、魚、金の魚や! 水の上に出てきておくれ。わしに顔を見せておくれ!」

 魚は出てこない。爺はもう一度呼んだがやはり出てこない。三度目に呼んだとき、海がごうごうと荒れて墨のように黒く濁り、金の魚がぷかりと波の上に現れた。

『お爺さん、何の御用です?』

「あの婆さんはますますひどいことになってきたんじゃ。女王はもう嫌だ、世界中の海と魚を支配する、海の皇帝になりたいとな」

 金の魚は一言も答えずに波間に消えてしまった。

 爺は帰ってみてアッと驚いた。宮殿は跡形もなく消え、懐かしい、みすぼらしい小屋があった。中にはぼろを着た婆が座っていた。

 二人はまた元のように暮らし、爺は漁を始めた。けれど、金の魚は二度と網にかからなかった。



参考文献
『ロシアの昔話』 内田莉莎子編訳 福音館文庫 2002.

※グリム童話「漁師とその妻」(KHM19)の類話。グリム版では、願いを叶えてくれるのはヒラメである。

 類話によっては願いを叶えてくれるのは魚とは限らない。木、切り株、金の鳥が叶えてくれるバージョンがある他、豆のつるを伝って天に昇り、神に願いを聞いてもらうものもある。

 日本の沖縄の類話では、山に猟に出かけた爺が金の鳥を見つけ、あまりに美しいので銃で撃たずにいると、鳥が「今後二度と狩をしないなら、一生 衣食住の面倒を見る」と言う。約束して帰ると家が御殿になっていて食べ物も着物も山ほどある。だが慢心した婆は「空を飛びたい」と言い出し、爺がそれを金の鳥に願うと、帰った家に婆の姿はなく、ただカラスが屋根の辺りにいる。

 

 魚は特定の文言で、爺にだけ呼び出される。「南の島のシンデレラ姫」や「ラオと魚」などに現れている、魚や蛇を呼び出すモチーフと共通しているが、これは水に通じる冥界から神霊を呼び出す召霊のシーンだと解釈することが出来るだろう。



参考--> 「魚と金の靴」「竜宮女房6」「魚のアイナー




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