>>参考 【舌切り雀】「バヴァン・プティとバヴァン・メラー」「宝瓢箪

 

雀報恩

 善良な人間が傷ついた鳥を看病して放してやると、後に(ひょうたん/瓜)の種をくわえてきて落とす。それを育てると巨大な実がなり、中から宝が出てくる。性悪な人間がそれを真似て、わざと鳥を傷つけて看病し放す。鳥の落とした種を育てると、実の中から毒虫が出る。

『宇治拾遺物語』にも「雀報恩の事」として載っている。朝鮮半島(韓半島)、中国、ウイグル、チベット、モンゴルなど、アジア諸民族の間で広く語られている話。ただし、鳥が《雀》なのは日本だけのようである。

 鳥が農作物の種をくわえてきて落とし、それを栽培して富を得るのは、穂落とし型の穀物招来神話と同系のモチーフだと思われる。中国や沖縄には、鶴やカササギが穂をくわえてきて落とし、それによって農耕が始まったとする伝承があるのだ。

 後半の、大きなヒョウタンの中から富や災いが湧き出すくだりは、空洞うつぼの中に霊魂が宿る、という観念によるものと思われる。

 後半部、《善良者は容器の中から幸を得るが、性悪者は容器の中から災いを得る》という結末は、【舌切り雀】や[善い娘と悪い娘]でもお馴染みの物だ。同系統の話には他にも、

  1. 貧しい善良者が畑に蒔く種を借りに行くと、金持ちの性悪者はわざと熱した種を与える。当然蒔いても芽が出ないが、何故か一本だけ(ヒョウタン/瓜/夕顔)が生えて大きな実がつく。
  2. 善良な弟が唯一の財産である不思議な犬に耕作させて富を得ると、性悪な兄が犬を借りて殺す。犬の死骸から魔法の木が生えて金銀を落とす。兄はそれを切り倒す。弟は切り倒した木で魔法の道具を作る。兄はそれを燃やす。弟が灰の中に種を見つけて植えると、大きなヒョウタンが実る。>>【狗耕田】「金の靴

 という、鳥の恩返しではない導入から始まるものもある。この後、【雀報恩】と同じくヒョウタンの中から米や宝が出て終わる場合もあれば、ヒョウタンが歌うので見世物にして儲けた、となるもの、ヒョウタンの中に隠れて真夜中の魔物の宴会を覗き見し、驚かせて宝を奪う【地蔵浄土】的な展開になるものもある。いずれの展開でも、性悪者が真似をして破滅する。

 

腰折れ雀  日本 福岡県

 むかし、ある山里に情け深い婆さんが住んでいた。ある日 庭先に腰の折れた一羽の雀が来て、苦しい声で鳴いていた。婆さんはそれを見て可哀想に思い、それを捕らえて籠の中に飼って、雀の好きなエサなどやって、たいそう可愛がっていた。

 まもなく雀は腰の怪我が治って自由に籠の中を飛びまわるようになった。婆さんは喜んでいよいよ雀を可愛がったが、ある日 雀は籠から出て、どこかへ飛んで行ってしまった。婆さんは色々心配して雀の行方を探していた。

 その翌日、一羽の雀が軒先に来て、たいそう好い声でさえずっていた。不思議に思って婆さんが戸を開けてみると、ひさごの種が沢山 庭に散らかっていた。

 婆さんはその種を残らず拾って、裏の畑にまいてみた。すると綺麗な芽が出て花が咲き、それから実がなって大きな瓢が沢山取れた。婆さんは大変喜んで、その大きな瓢をみんな軒先の日当たりのいいところに十日ばかり吊るしておいた。ところが、一つの瓢の中から白米のようなものがぽろりぽろり落ちてきた。一粒拾って食べてみると立派な白米であったから、残らず瓢を下ろしてみると、どれにもこれにもみんな ずっしり白米が入っていた。

 婆さんは喜んで早速その白米でご飯を炊いたところが、その味がよかった。それを重箱に詰めて近所の家々に配った。誰でもそのご飯が旨いのに喜んだ。またその白米はどんなに取っても取っても少しも減らなかったので、婆さんはたいへんお金持ちになった。

 隣の欲張り婆がそれを聞いて大変羨ましがって、とうとう雀を捕りに出かけた。やっとのことに一羽の雀を捕らえてその腰を折って籠に入れ、いっこうに手当てもしないしエサもやらないので、雀は苦しんで飛び狂っていた。欲深婆さんが籠のふたを開けると、雀は苦しい声をあげてどこへか一目散に飛んでいった。

 欲深婆さんが、雀が明日はどんな土産を持ってくるかと案じていると、明くる日、雀が窓際に来てさえずって、庭に沢山の瓢の種が散らかっていた。欲深婆さんは大変喜んで、それを残らず畑にまいた。すると立派に育って沢山の瓢が出来たが、軒先に吊るしておいても一向に米が出来る様子がない。欲深婆さんはとても怒って、瓢を降ろして一々打ち壊した。すると中から蛇やムカデや蜂やトカゲなどがうようよと出てきて、婆さんを刺すやら突くやらして攻めたので、婆さんはとうとう狂い死にしてしまった。



参考文献
いまは昔むかしは今1 瓜と龍蛇』 網野善彦/大西廣/佐竹昭広編 福音館書店 1989.



足折れ燕  中国

 この昔話は山東済寧地帯に流れる大運河に沿った小さな村に住む兄弟の話である。

 弟がやっと十歳になった頃、兄は自分はまだ若く力もあるのに弟と母親と一緒に暮らしては損だと欲をおこし、母親をせめて家を分け自分は家を出て独立し門戸を構えた。母親は弟を十六歳になるまで苦労して育てこの世を去った。

 兄弟二人の住まいは壁を隔てるだけで、二つの門は並んでいる。表門は運河に面し、運河の土手には柳の木が並び、青い枝、緑の葉、清い流れはとても美しい。三月になると柳のわたが散る前に燕が飛んで来た。燕は土手の上や柳の枝の間を飛び、それから人家に入り古い巣を修理したり新しい巣を作ったりする。これはこうした燕にまつわる昔話である。

《一つの窯でも違う煉瓦が焼ける、一人の母でも違う子を生む》という諺がある。兄が弟より上でも兄はろくでなし、金が少ないのは嫌い、汗を流して働くのも嫌い、あれも不満、これも不満、何時もぶきっちょ面して笑ったためしがない。

 弟はいつもニコニコ、畑仕事がおわれば家の中を掃除して家の中も外も綺麗に整頓する。そんなわけで燕は兄の家が高くて大きくても兄の家には行かない。弟の家は小さな藁葺きだが、毎年春になると燕の夫婦が飛んできて梁の上の巣に帰って来る。弟も家族でも帰るように燕を待っている。

 ある年の二月二日、運河の両岸の楊柳が芽をだし花を咲かせた。弟の家の燕はやっぱり南の空から飛んで来た。

 燕たちはスイスイと舞いチィチィと鳴き、口に泥をくわえて入ったり出たりして古い巣を直し卵を生んだ。やがて麦が黄色になる頃、雛がかえって親燕は雛に朝から晩まで忙しく餌を運んで食べさせる。

 弟はいつも朝早く忘れずに家の戸を開けてやり、夜、燕が帰って来ると戸を閉めてやった。

 毎日々々、親燕が餌をくわえて飛んで来ると、五羽の雛は首を伸ばして黄色い嘴をあけ、親燕の餌を待っている。弟はそれを見て喜び、雛が巣立つのを指おり数えて楽しみにしていた。

 ある日の昼、燕たちに思いがけないことが起きた。弟が畑から帰ると二羽の親燕が庭の中をチチチチと慌てふためいて飛び回っている。弟が行くと一枚の羽が肩の上に落ちてきた。

 驚いて家の中に入ると、アッ、一羽の雛がどうしたのか巣から地面に落ちている。

 急いで雛を抱きあげてやると、雛は毛が出たばかり、小さな目はくりくり光り、嘴は黄金色だ。でも赤い脚が折れている。

 弟は可哀相になって、折れた脚を赤い糸で結び、また巣に返してやった。

 やがて雛が子燕になって飛ぶようなった時にはすっかりよくなっていた。二羽の親燕は何時も五羽の子燕を連れて柳の間を素早くすり抜けて飛んだ。やがて菊の花が開き、柳の葉が黄色になると、みんな一緒に南の空へ飛んで行った。

 翌年、葉が緑になり花が赤く咲くと、弟が待っていた燕がまた来た。二羽の燕は弟の頭の上をグルグル回り、嘴から一粒の瓢箪の種を落とした。

 弟が拾ってみると眩しいくらい光っている。見れば見るほどいい種なので、窓の前に穴を掘って植えた。

 春風が吹き、種は数日で土の中から芽をだし、水をやると二枚の葉が出た。葉の成長は早く、一枚また一枚と大きな葉に育ち、弟は棒を立てて瓢箪の棚をこしらえた。

 蔓は棚にからみ、やがてラッパのような小さな花をつけた。花は雪のように白く輝やいていた。

 花がしぼむと瓢箪がなった。瓢箪は何日もしないうちに、刺繍した手毬より大きくなった。

 弟はまた水をやり、肥料をやると、六月になって瓢箪は花瓶ほどの大きさになった。翠に光り、どっしりと棚から吊り下がり、素晴らしかった。

 何回か霜が降ったあと、燕はまた南の空に帰って行った。瓢箪の葉も黄色になり、大きく光った瓢箪も熟した。割ってみると、アレー、中はピカピカの金の粒だ。全部とりだすと十升もあった。

 誰も壁を通さない風はないと言う。兄は早くもこの事を耳にすると、欲しくてたまらず、もし俺が燕から瓢箪の種を貰えば、どんなに金の粒を手にできるかと急いで胸算用してみた。そうすれば座ったまま暮らせ、働かないで済む。

 そう考えるとすぐ弟の家へ出かけ、

「俺たちはおっかさんが生んでくれた血肉を分けた兄弟だ。お前だけ金持ちになって俺には知らんぷりはないだろう。家を取り替えてくれ」と言った。弟はおとなしいから兄の言葉に逆らわず、その場で承諾した。

 藁葺きの弟の家へ引っ越した兄は毎日燕が帰って来るのを待っていた。冬が過ぎ春が来て、燕は帰って来た。燕はやっぱり土をくわえて来てもとの巣を直し、卵を生んだ。四月の末には雛がかえった。

 兄は両目をしっかり開いて見ていたが、子燕はいつになっても落ちて来ない。

 ある日、親燕が餌をとりにいくと、兄は一羽の子燕を掴んで脚を折り、布でくるみまた巣に戻しておいた。親燕が餌をとって帰って来ると、子燕は痛くてチチチと叫んだ。兄は親切そうに

「親燕さんや、また子燕さんを助けてやったよ。来年は忘れずに瓢箪の種を持って来ておくれ」と言った。

 秋十月になって燕はまた南の空へ飛んで行った。そして年を越した春、燕はまた帰って来て兄に一粒のすべすべ光る瓢箪の種をくれた。兄はその種を窓の前に植えた。数日して二枚の葉が芽をだし、葉が育ち蔓が伸びてきた。

 兄は太い木でしっかりと瓢箪の棚を作った。蔓は棚に這い上がり、ある朝、白い花を咲かせた。花がしぼみ瓢箪がなった。瓢箪は風をうけて育ち、わずかな間に人の半分ほどの大きさになった。

 兄は心の中で、このまま育つと秋にはどのくらい大きくなるか分からない、弟は金の粒が十升だったというから、俺のは少なく見ても二十升はとれる。こんなに沢山の金の粒はいくら使っても使いきれないと考え、もともと怠け者なので それから何もせず、ずっと食べたり飲んだり遊び続け、家や財産をすっかり元手にして博打をし、方々に借金をし、秋になったら幾らでも払えるとあちこちに行って大きな瓢箪の話をして「瓢箪が熟したら払うからな」と言って回った。

 河岸に柳の黄葉が一杯に散った頃、燕はまた南の空へ帰って行った。

 大きな瓢箪も熟し、人の背丈ほどにもなった。瓢箪を割る日がくると貸し主たちはみんな来て、家の外から内まで二重三重になり庭に一杯になった。

 大きな鋸で切ると瓢箪はパッと割れて、中から一人の白い髭の老人が龍の頭を彫った杖をついて現れ、溜め息をついた。見ていた貸し主の一人が「どうして溜め息をつくのか」と聞くと、老人は杖で兄を指して

「わしはあいつがこんな借金をどうして返すのかと心配しているのだ」と言った。

 兄は目を丸くし口をあけ、何も言えなかった。



参考文献
二つの瓢箪」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

※原題は「兩個葫芦」。

朝鮮半島(韓半島)の「ホンブとノルブ」も この類話。「ホンブとノルブ」は古典小説『興夫伝』にもなり、小学校の教科書にも載せられた、最も有名な民話の一つだそうである。

ホンブとノルブ  韓国

 昔、ノルブという金持ちで性悪な兄と、ホンブという貧乏で善良な弟がいた。ある日のこと、仕事から帰ってきたホンブは一羽の子燕を拾った。一匹の蛇が軒先の巣を襲い、この一羽を残して雛を食い殺してしまったのだ。小燕は逃げるときに落ちて足をくじいていたので、可哀想に思って薬を塗り、そっと巣に戻しておいた。やがて秋が深まるとツバメたちは江南へ去った。

 春になると燕たちが戻ってきたが、ヒョウタンの種を一粒落としていった。ホンブがそれを庭先に蒔くとみるみる育ち、大きくて固いヒョウタンが五つ実った。妻と共に割ってみると、一つ目からは米が、二つ目からは金が出て、三つ目のヒョウタンから出てきた仙女が残りのヒョウタンから青と赤の魔法の瓶を出し、瓶の中から大工と材木を出して立派な家を建ててくれた。

 ノルブはそれを羨み、燕の雛の足を無理に折って、薬をつけて巣に戻しておいた。翌春、燕が戻ってきてヒョウタンの種を落としたので蒔いてみたところ、同じように五つの実がなった。割ってみると、一つ目からはトケビ(一本足の小鬼)たちが飛び出して「この欲張りめ」と棒でさんざんに殴りつけた。二つ目からは借金取りたちが飛び出して、「金を返せ」とてんでに財産を持ち去ってしまった。三つ目からは汚水が溢れ出し、ノルブの家は汚水で海のようになった。

 ノルブは弟の家に逃げ出し、それからは心を入れ替えた。ホンブは兄に財産を分けて、兄弟仲よく暮らしたという。


参考文献
『決定版 世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.
『世界昔話ハンドブック』 稲田浩二ほか編 三省堂 2004.



スイカの種  トルキスタン

 貧しい百姓が、羽の折れたコウノトリを助ける。翌春、種蒔きのときに例のコウノトリが来て、スイカの種を三粒落とした。それを植えると、見たこともない大きなスイカが出来た。

 三つもいで、やはり貧乏な親戚や友達を残らず呼んで振舞おうとすると、中から金貨がこぼれ出た。それを客に分け与えた。蔓には全部で十個スイカが生り、百姓はそれらから金貨を取り出して裕福になった。

 百姓の近所の金持ちが話を聞いて羨む。コウノトリをわざと棒でぶって怪我をさせ、手当して放した。

 翌春遅くやってきたコウノトリの落とした三つのスイカの種を蒔くとスイカが出来、やはり金持ちの友達や親戚を招いたが、中から出てきたのは胡桃ほどの大きさの毒蜂の群れで、刺された客は罵りながら帰っていった。



参考文献
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.




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