>>参考 【不思議なオンドリ】<小ネタ〜聖杯、そして救いを待つ咎人>
塩吹き臼の話は世界的に見られ、ことに西欧に濃厚であり、その源境はユーラシア北部であろうと言われている。古代北欧の『古エッダ』(BC9〜12)には、黄金や平和や幸福を挽き出す「
遠く離れたヨーロッパと日本で細部まで同じ内容のものが伝わっていることや、海に関わる結末がついていることから、船で世界を巡る海の民たちが伝承したのではないか、という説もある。
物語は、ストーリーと結末でそれぞれ二タイプあり、交差しあっている。
<ストーリー>
<結末>
呪宝は臼とは限らず、海の水の塩辛さを説明するオチが必ずつくわけでもない。この物語の最も根本にあるモチーフは、
の二点であろう。
思うに、この根底には【殺され女神】と同一の思想がある。例えば日本神話に、食料の女神がこっそりと口や尻から食料を吐き出しては周囲に振舞っていて、その秘密を覗き見た男が怒って女神を殺してしまう話がある。それまでは、食べ物は女神から無尽に与えられるものだったのだが、それ以降は女神の死体から生じた作物を自ら栽培しなければならなくなったのだ。
《女神の胎》と《冥界》は同じものであり、また、《穴》や《中が空洞の容器》もそれと同一視される。だから、《中が空洞で穴から挽粉の出てくる》石臼の中から、富が何でも湧き出してくるのだ。(古代日本では、臼は女性器と同一視されていたことを言い添えておく。)
しかし、この呪宝の真実の持ち主は、当の女神自身である。人は女神を殺して魔法の力を奪おうとするが、女神が死ぬと《富を出産する魔法》も失われてしまう。……このイメージが、《Aの所持している呪宝をBが盗むが、そのために(呪宝が失われる/Bが死ぬ)》というストーリーになったのだろう。
兄弟がいた。兄は裕福だが傲慢で、弟は利口だが貧しかった。
年越しの晩、弟が兄に米を一升借りに行くと、兄は「甲斐性なしめ」と冷たく断った。弟がとぼとぼと山道を歩いていると、白ひげを生やした老爺が枯れ枝を集めていて、弟を見て「どこに行くのか」と尋ねた。
「今夜は年取りの晩だども、歳神様に供える米がないので、あてもなく歩いているんじゃ」
「それは困ったことだ。それではこれをやるから、持って行くがいい」
そう言うと、老爺は小さな黍饅頭をくれた。
「これを持って あそこの森の神様の御堂の裏に行け。そこに穴があり、中に小人がいて饅頭を欲しがるから、他の何でもなく、石の挽き臼と交換ならいい、と言うのだ。小人は饅頭をひどく欲しがるからな」
弟は礼を言って、教えられた穴まで行ってみた。中に入っていくと大勢の小人たちがガヤガヤと騒いでいて、見れば一本の萱に飛びつこうとして転げ落ちたり倒れたりしている。弟はくすりと笑って、小人をつまんで上まで運んでやった。小人たちは喜んで弟を囲んで褒め称え、そこで黍饅頭に気付いて「珍しいものを持っておるの、それをくれろ」と言って黄金を出してきた。
「いや、俺は黄金など嫌じゃ。石の挽き臼となら取替えっこしてやってもいいがの」
「それは困った。石の挽き臼は二つとない宝物じゃ。だが仕方がない、取替えよう」
弟は黍饅頭を小人たちに渡して、代わりに小さな石の挽き臼を持って穴から出てきた。すると、足元から「人殺しぃぃぃぃ!」と蚊の鳴くような声がした。みれば、弟の下駄の歯の間に小人が一人挟まっているのだった。丁寧に歯の間から取ってやると、小人は穴に戻って行った。
弟がさっきの峠に戻ると、老爺がまだそこにいた。
「どれどれ、挽き臼をもらってきたか。それは右に回せば欲しいものが限りなく出るし、左に回すと止まるというものだ」
そう教えられて、弟は喜んで家に帰った。家に帰ると女房が待ちくたびれていて言った。
「年越しの晩だというのに どこに行っていたの。義兄さんに何か貸してもらってきたのでしょうね」
「それはいいから、ここにムシロでも敷いてくれ」
女房がムシロを敷くと、弟はその上に挽き臼を置いて「米出ろ、米出ろ」と唱えながら右に回した。すると米が続々出てきた。それから「鮭出ろ」と唱えて回すと、塩鮭が何本も出た。そうして必要なものは全て出して、目出度い年越しをした。
翌朝になると、弟は臼を回してお屋敷を出し、土蔵も出し、厩も馬も出して、後は餅やら酒やらを出して辺りの親戚から知り合いから全てを招待して祝い事を始めた。招かれた人々は みんな驚いてやって来たが、中でも兄は驚いて、これはどうしたことかと あちこち探っていた。そのうち、弟はお客のお土産に菓子でも持たせようと思って、部屋にこもって「菓子出ろ、菓子出ろ」と臼を回し始めた。兄はその様子を覗き見て、なるほど、あの挽き臼のせいだったかと合点した。そうして夜になって弟夫婦が寝静まると、部屋に忍び込んで挽き臼を盗んでいった。
兄は海辺まで逃げていって、そこにつないであった舟に乗って漕ぎ出した。どこか遠くで恐ろしい長者になろうと思った。ぐんぐん漕いで行くうち腹が減ってきたので、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べた。しかし甘いものばかり食べたので塩気が欲しくなった。
「そうじゃ、この臼を試してやろう」
兄は「塩出ろ、塩出ろ」と言って臼を右に回した。すると、臼からどんどんどんどん塩が溢れ出てきた。あんまり出てきたので もう充分だと思ったが、止める方法が分からなかった。
塩はどんどん出てくる。サラサラサラサラサラサラサラサラ…………。
臼は勝手にぐるぐると回り続け、船は塩でいっぱいになって、ついには兄もろとも、ずぶずぶと海の底に沈んで行った。
こうして、不思議な挽き臼は今でも海の底で塩を出し続けている。だから、海の水は塩辛い。
参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
昔、二人の兄弟がいた。一人は金持ちで、一人は貧乏だった。そのうちクリスマス・イブがやって来たが、貧しい弟の家には食べ物が少しもなかった。そこで弟は兄の家に行って頼んだ。「食べ物を少し分けてもらえませんか?」と。こんなことはこれまでにも何度もあり、兄は弟を助けてきたのだが、この兄はどうにもケチで性格が悪かった。
「お前が俺の言うとおりにするなら、ハムを一本まるごとくれてやるよ」
「ありがとう、言うとおりにします」
「さあ、これをやるぞ。だから、まっすぐ地獄へ行っちまえ!」
兄はハムを投げ与えて言った。弟はハムを持って、「約束したんだから、地獄へ行かなくっちゃな」と歩き始めた。
一日中歩き詰めた夕暮れ、弟は素敵に輝いている場所にやって来た。綺麗な中庭があり、屋敷がある。ここが地獄なんだろうか、と弟は思った。見れば、薪小屋の前に白いひげの老人がいて、クリスマス用の薪を割っている。
「こんばんは!」
「やあ、こんばんは! こんな遅くに どこへ行きなさるのかね?」
「私は地獄へ行くところなんです。もし、この道が地獄へ通じているならね」
「なーに、あんたの通っている道は正しいさ。ここが、その地獄なんだから」
老人は言った。
「これから、あんたが屋敷の中に入っていくと、みんながあんたのハムを欲しがるだろう。なにしろ、豚肉は地獄じゃ大したご馳走だからね。けれども、引き換えに あそこの戸の後ろにある手回しの挽き臼を手に入れるまでは、それを渡しちゃならないよ。
あんたが無事に戻ってきたら、わしがその挽き臼の使い方を教えてあげよう」
弟は礼を言って、屋敷の戸を叩いて中に入った。中には、大きいのや小さいのや、悪魔が虫のようにうようよといた。そうして弟を取り囲むと、みんなでハムを欲しがったのだ。
「本当のところは、私はこのハムをクリスマスのご馳走にしようと思っていたんですよ。けど、あんたたちがそんなに熱心なら手放さないといけないかな。……ただし、これを売るなら、私としては向こうの戸の後ろにある、手回しの挽き臼が欲しいね」
悪魔たちは嫌がって、あれこれと別の取引を持ちかけた。しかし弟は譲らなかったので、とうとう、悪魔たちはハムと挽き臼を交換してくれた。
弟が元の中庭に出てくると、あの老人が臼の回し方と止め方を教えてくれた。弟は丁寧に礼を言い、できる限り急いで家に帰ったが、帰り着いたのは時計の針が真夜中を過ぎた頃だった。家ではおかみさんが待ちくたびれていた。
「あなた、一体どこへ行っていたんです。私はここであなたが帰ってくるのをずっと待っていたんですよ。クリスマスのお粥を作ろうにも、鍋の下で焚きつける小枝すらロクにないんですから」
「これより早くは帰れなかったんだよ。なにしろ、長い道のりだったからね。それより、これをご覧」
弟はあの挽き臼をテーブルに載せて、まずは「明かりを出しておくれ」と言って挽いた。それからテーブルかけ、ビール、クリスマスのご馳走を次々と出した。おかみさんは石臼から何か出てくるたびに十字を切って驚き続け、一体どこでこんなものを手に入れたのかと知りたがったが、弟は決して秘密を明かそうとはしなかった。
クリスマスの期間中、弟は食べ物や飲み物、そのほか素敵なものを出し続けた。三日目には友達みんなを呼んで大宴会を開いた。
ところで、兄はこの宴会の席で、あれやこれや素敵なものを目にすると、腹が立ってムカムカした。羨ましくて堪らなかったのだ。
「クリスマス・イブにはあんなに困っていて、家に恵んでもらいに来ていたくせに、今じゃ伯爵様か王様みたいな気になってるとはな。だけどお前、こんなに沢山の品物をどこから手に入れてきたんだ」
「戸の後ろからさ」
と、弟は誤魔化した。
けれども、その晩遅くなって、すっかり酔いが回ってくると、弟は黙っていられなくなり、挽き臼を持ち出してきて、
「これがみんな出してくれたのさ!」
と、臼を回して色々と出して見せた。兄はそれを見て どうしても臼が欲しくなり、熱心に弟を口説いた。
とうとう弟は臼を兄に譲ることにしたが、代金は三百ダーレルで、干草作りの時季までは弟が所有する、という条件がつけられた。というのも、その時季まで臼を持っていれば、何年分もの物資を挽き出せる、と考えたからだ。
というわけで、干草作りの時季まで臼は休むことなく回され続け、兄に売り渡された。しかし弟は抜け目なかった。わざと、兄に臼の止め方を教えなかったのだ。
兄は臼を手に入れると、おかみさんに言った。
「今日はお前も外に行って、みんなが刈った草を広げて干しておくれ。今日の昼飯は俺が作るから」
そのうちにお昼になると、兄は台所のテーブルの上に挽き臼を据えて、
「ニシンと粥を出せ。早く、うまくやれよ!」
と言った。すると臼はクルクルと回り出して、ニシンと粥を挽き出していった。まず、あらゆる皿や桶がそれらでいっぱいになり、やがて溢れて台所の床一面に流れ出した。兄は挽き臼を止めようとあちこちいじってみたが、どんなにひねってもいじっても臼は回り続け、やがて粥がどんどん上がってきて、兄は溺れ死にそうになった。兄は必死でドアを開け、外に逃げ出した。
その頃、おかみさんは なかなか昼食のお呼びが掛からないので、草刈のみんなに声をかけて、
「うちの人が帰って来いって呼ばなくても、やっぱり帰らなくちゃならないわ。あの人、お粥を作るのはあんまり上手じゃないかもしれないし、まあ、あたしが手伝ってあげなきゃね」
と言って、みんなで家の方に戻りかけていた。ところが、丘を越えてちょっと行くと、ニシンにお粥にパンがごちゃごちゃになって、すごい勢いでどーーっと押し寄せてきた。そして、その先頭を兄が走っていた。
「お前たち、めいめいが、百人分ずつ食えればいいがな! だけど、昼飯の粥に溺れないように、気をつけろよ!」
そう怒鳴ると、まるで悪魔に追いかけられているようにみんなの脇を走りぬけ、弟の住んでいる家の方に駆け下りていった。そして弟に頼んだ。
「頼む、あの臼を引き取ってくれ、今すぐに! もしもアレが もう一時間でも回り続けたら、この地区がすっかり、ニシンと粥で埋まっちまうぞ!」
「兄さんが、あと三百ダーレル払ってくれるならね」
仕方なく、兄は三百ダーレル支払った。
こうして、貧しかった弟は不思議な臼もお金も手に入れた。兄よりも立派な屋敷を建てて、臼から挽き出した金の板をくまなく貼った。海岸にあるその屋敷はキラキラと輝き、船乗りたちは誰も彼も この屋敷の主に挨拶したがり、不思議な臼を見たがった。というのも、この臼の噂は知らぬ者がないほどに広まっていたからだ。
こうして長い年月が過ぎた後、一人の船長がやってきて、例のごとく臼を見たがった。
「この臼は、塩を挽き出せますかね?」
「ええ、勿論」
それを聞くと、船長は何が何でもこの臼が欲しくなった。これさえあれば、遥か遠くまで航海して塩を運んでこなくても大もうけできると考えたのだ。船長は熱心に口説き続け、とうとう弟も臼を手放した。ただし、船長は何万ダーレルものお金を支払わなければならなかった。
船長は持ち主の気が変わらないうちにと、急いでその地を立ち去った。そのため、臼の止め方を訊ねる暇がなかった。船長は急ぎに急いで船を出すと、海の上で臼を回し始めた。
「塩を出せ。早く、うまくやれよ!」
臼は塩を挽き出し始めた。噴出すような勢いだった。そのうちに船が塩でいっぱいになったので船長は止めようとしたが、どんなことをしても止まらない。臼はどんどん挽き続け、塩の山は ぐんぐん高くなっていき、とうとう船は沈んでしまった。
今でも、その挽き臼は海の底にあって、塩を挽き出し続けている。だから、海の水は塩辛いのだ。
参考文献
『ノルウェーの昔話』 アスビョルンセンとモー編、大塚勇三訳 福音館書店 2003.
※塩タイプの話と粥タイプの話がミックスされている。臼を手に入れるくだりは細かいシチュエーションまで日本の例話とそっくりで面白い。
ところで、この話の兄はそんなに悪人には思えない。ごく真面目な、現実的な性格に見える。何度も金品の無心に来られたら、身内でも罵りたくなるものだろう。弟の方が甲斐性なしで身内に迷惑かけ続けのうえ、ガメつくて詐欺師に見えるのだが。大金で臼を売っておきながら、ワザと正しい使い方を教えずにいるとはね。
怠け者でも狡猾で要領のいい者が勝つ、ということか。
ある村に貧しい母娘が住んでいた。住んでいる家は廃屋同然で、財産といえば数羽のメンドリだけ。娘は町へ卵を売りに行き、母は森で薪やイチゴを採ったり畑で落ち穂を拾ったりして、やっと生活していた。
夏のある日、体調の悪い母の代わりに娘が森にイチゴを摘みに行った。行かなければ、他に食べるものがなかったのだ。娘は壷一杯イチゴを摘んだあと、お昼に泉に行ってカチカチの黒パンを食べた。
その時、どこからともなく老婆が現れた。乞食のような身なりで、手には小鍋を提げている。
「ああ、娘さん。わしゃ、昨日から何も食べていないんじゃ。そのパンを少しばかり分けてくださらんか」
「いいですよ、おばあさん。みんな差し上げましょう。私はもう家に帰らなければなりませんから。でも、とても硬いパンですよ。食べられますか?」
娘は自分の昼食をすっかり老婆にやってしまった。
「ありがとう。お前さんはこんなに親切なんじゃから、わしも何かお礼をせんとな。この小鍋をお前さんにやろう。家に帰ったら小鍋をテーブルに置き、『小鍋よ、粥を煮て!』と言うのじゃ。お前さんの好きなだけ粥を煮てくれるよ。もうこれでたくさん、と思ったら、『小鍋よ、もうたくさん』と言うんじゃ。粥はすぐに止まるでの。この二つの言葉を忘れなさるなよ」
小鍋を娘に渡すと、老婆はまたどこへともなく消えてしまった。
家に帰ると、娘は母親に森の出来事を話して聞かせ、さっそく小鍋をテーブルに置いて呪文を唱えてみた。
「小鍋よ、粥を煮て!」
たちまち小鍋の底から粥が湧き出し、見る見る膨れ上がってきた。小鍋から溢れそうになったとき「小鍋よ、もうたくさん!」と言うと、粥の膨張は止まった。
二人は、早速粥を食べた。素敵な、美味しい粥だった。
食べ終わると、娘は籠に卵を入れて町に売りに出かけた。しかしその日はなかなか卵が売れず、娘の帰宅は遅くなった。母は空腹で待ちきれなくなり、例の小鍋をテーブルに置いて呪文を唱えた。
「小鍋よ、粥を煮て!」
たちまち小鍋の中に粥が湧き、母が振り返ったときには鍋から溢れそうになっていた。
「お皿とスプーンを持ってこなくちゃ」
母は慌てて台所へ走った。
居間に戻った母は、思わず立ちすくんだ。粥は小鍋から溢れに溢れ、テーブルから椅子へ、椅子から床へと流れ落ちていた。けれども、母にはどうすることも出来なかった。彼女は粥を止める呪文を忘れてしまっていたのだ。
母は、急いで皿で小鍋に蓋をしてみた。そうすれば止まるかと思ったのだ。けれども皿は粥に押し流されて落ちて割れ、粥は洪水のように床に溢れた。母はもう居間にいられず、玄関に走った。
「ああ、あの子のせいだよ。あの子が変な物を持ってきたとき、どうせロクなもんじゃないって思ったんだよ!」
母が悪態をついている間にも粥はどんどん溢れ出し、玄関の敷居を越えて畑や村道を埋めるまでさほどの時間は掛からなかった。
ちょうどその時 娘が帰ってきて、「小鍋よ、もうたくさん!」と叫ばなかったら、どうなっていたことだろうか。きっと村には粥の山が出来、人々はそれにトンネルを掘って移動しなければならなかっただろう。
参考文献
『チェコスロバキアの民話』 大竹國弘訳編 恒文社 1980.
※同じ話が『グリム童話』にもある。(「おいしいおかゆ」KHM103)
呪宝が臼ではなく鍋になっているが、同一の働きを持つアイテムであることは間違いない。
余談だが、ケルトのダクダ神は粥が無限に湧き出てくる大鍋を持っていたという。こちらは、いちいち呪文を唱えなくとも、相手の徳に応じて適量が湧き続けるものだったようだ。
塩吹き臼が《放っておくと中身がどんどん溢れ出る》危険な呪宝だったのに対し、こちらは、《常に壷の中一杯に富が満たされ、なくならない》というもので、危険度はない。ただ、禁忌を破ると壊れて使えなくなってしまう。【竜宮童子】と近いものを感じる。
例えば、中国の『輿地紀勝』に不思議な石碗の話がある。広福寺の開祖がたまたま漁師の網に掛かった石の碗を入手する。これに物を入れると一晩でいっぱいに増えるのだった。これによって僧たちはみんな金持ちになって、寺にも立派な伽藍を建てたが、僧は自分が死ぬ前にこの石碗を河に投げ捨てたという。弟子は惜しんで漁師たちに探させたが、二度と見つからなかったそうだ。(『中国の神話伝説』 伊藤清司著 東方書店 1996.)
水界からもたらされた富が無限に湧き出る呪宝であるわけで、やはり【竜宮童子】に近い。もっとも、この呪宝が常に水界からもたらされるわけではなく、西欧の話では山の妖精や天界から授かったりもする。
男が畑を耕していて大きなかめを掘り出した。家に持ち帰って妻に磨かせた。妻がたわしでかめをこすっていると、かめはたわしで一杯になった。取っても取ってもなくならない。そのたわしを売って裕福になった。
ある日、試しにかめの中にお金を落としてみると、たわしは消え、かめはお金で一杯になった。男は大金持ちになった。
この家には年取って手足の震える老爺がいたが、男は「何もできないから」と、この父親にかめから金をシャベルですくう仕事をさせた。そして父親が疲れて仕事が出来ないと、ひどく罵るのだった。
ある日、老爺は力尽きて、かめの中に落ちて死んだ。途端にお金は消え、かめ中が死んだ老爺で一杯になった。それで、男は次々に老爺を引き上げては葬式を出さねばならず、たちまち貧乏になってしまった。
全部の葬式を出し終わると、かめは割れてしまったそうだ。
参考文献
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.
※実は好きだ、この話……。
類話にはこんなものがある。(「八十一人の父親」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳 )
ある農夫が畑の周りに溝を掘っていて一つの桶を掘り出した。実は、これは入れたものが81倍に増える魔法の桶であった。農夫はいいものが手に入ったと喜んだが、地主が「私の土地から出たのだ」と奪おうとした。そこで裁判をすることになったが、強欲な県知事は「畑から出た桶一つで喧嘩をやめない不埒な奴、それぞれ五十叩きの刑、桶は没収する」と定めて取り上げてしまった。
県知事がホクホクしていると、彼の父が杖にすがってやって来た。
「お前はいい物を手に入れたという噂じゃないか。わしにもいい目を見せてくれ」
「そんなことはありません、これはただの桶ですよ」
老父は桶の中を覗き込んだが、誤って中に落ちてしまった。中から「息子よ、早く引き上げてくれ」と声がするので、ブツブツ言いながら引き上げたところが、また中から「息子よ、早く引き上げてくれ」と声がする。県知事は次から次へと81人の父親を引き上げた。81人の父親たちは、「こんないい宝をわしに隠しおって。お前はこれで散々儲けたんだろう、早く宝を持ってきて親孝行しろ!」と口々に言いながら県知事を殴ったので、県知事は「一人でも大変なのに、こんな大勢の親爺ができて、わしはどうしたらいいんだ」と泣きべそをかいた。
※この例話では、主人公は冥界に出向いて呪宝を手に入れるが、
・大歳(大みそか)の夜、一夜の宿を乞うた旅人(老人/僧)を親切にもてなすと、翌朝、お礼に呪宝をくれる 【大歳の客】
・主人公が山などに出かけると飢えた老人に会い、弁当を全て与えたところ、お礼に呪宝を授かる
・主人公が山に出かけたとき転がって地蔵堂に落ち、地蔵に呪宝を授かる 【鼠の浄土/地蔵浄土】
というものもある。
また、呪宝が暴走するのは殆どの場合《強欲な兄が盗んで使ったため》だが、時には《近所に住む男(欲張り爺さん)が盗んで》《盗賊が盗んで》という場合もある。
あるいは、主人公の留守中に その身内(妻)が使おうとして暴走させ、海に捨てたと語る話群もある。
面白いのは、埼玉県の類話では冒頭が【狗耕田】とよく似たものになっており、すなわち、兄が父の遺産を奪って弟には二頭の牛しか与えない。すると、その牛が口をきいて「ここを掘れ」と言い、そこから汚い臼が出てくる。(以降は上の例話と同じ展開。)
【狗耕田】は【花咲か爺】とよく似た話なのだが、【花咲か爺】では死んだ犬から生えた木で臼を作り、それを使うと黄金がザクザク出た、となっていたことが思い出される。
この他、呪宝が臼以外になっているものもある。ヒョウタン(岩手)、糸車(埼玉)、金の鎚(静岡)など。
完全な余談だが、小人たちが上に登ろうと萱に飛びついては転げ落ちていて、それを(彼らから見て巨人の)主人公がヒョイと助けてやる……というシーンは、ケルトのオシアンの物語で、オシアンが《小さい人たち》が石の水槽を運んで潰れそうになっていたのを片手で助けてやるシーンを思い出させる。
その他、他国の類話を幾つか並べておく。
粉ひき臼と海の水 イギリス ウェールズ地方
昔、海の水がまだ塩辛くなかった頃、ウェールズの海に近い農家に三人兄弟が住んでいた。一番上のグランは大きな畑を耕し、二番目のリンは海の仕事をしていた。けれども、末の弟のマルドワンには小さな畑ぽっちりしかなくて、いつも貧しかった。
ある日のこと、マルドワンは食べるものが無くなって、長兄のグランの家に行って「何か恵んでください」と頼み込んだ。グランは言った。
「分かった、俺も鬼じゃない。だがな、もうウンザリだ。仔豚を一匹くれてやる。その代わりにこの土地から出て行け!」
マルドワンは仔豚をもらうと、妻と仔豚と一緒に出て行った。そのうち森に入り込んだが、向こうに明かりが見える。行ってみると、広い庭のある立派な屋敷に出た。庭を白いひげの老人が歩いている。
「私たちを雇ってください、お偉い方」
「私は偉くなどないが、この先の谷間に住むブラゼスという男は知っているよ。雇ってもらえるかもしれないから、行ってみるといい。
そうだ、ブラゼスは大の焼き豚好きだから、豚を欲しがるだろう。しかし、勝手口に置いてある粉ひき臼とでなければ交換してはならん。ひき臼を手に入れたらここに戻っておいで。使い方を教えてあげよう」
そこでマルドワンたちはブラゼスの家に行った。そこではパーティーの真っ最中だった。ブラゼスは仔豚を見ると「豚がもっと食べたいと思っていた」と言って早速欲しがったけれども、マルドワンは「私たちはこの豚をクリスマスのご馳走にしようと思っていたんです」と渋ってみせる。散々じらされたブラゼスはとうとう我慢できなくなって、勝手口に置いてあるひき臼と交換してくれた。
白いひげの老人のところに戻ると、この臼を回せば何でも欲しいものが出るのだ、と教えてくれたので、夫婦は海辺の見晴らしのよいところに家を出し、家具を出し、食べ物も飲み物も出した。二人はすっかり裕福になったのだ。
秋になると、マルドワンは四頭立ての馬車を走らせて長兄のグランを家に招待した。グランは驚いて尋ねた。
「何処でこんな富を手に入れたんだ!」「勝手口からさ」
マルドワンはこんな調子で誤魔化していたが、何度も訊かれる内にとうとう秘密を漏らした。そして、グランは家人が寝静まるのを待ってひき臼を盗み出した。
ひき臼を盗んだグランは、妻を畑で働かせて、自分は臼から昼食を出そうと考えた。
「まずはビールだ。それから……そうだ、キレイな娘を出そう」
これ、ひき臼よ、ビールをたっぷり出してくれ。これ、ひき臼よ、どんどん娘を出してくれ。
マルドワンから教わったように唱えると、臼からビールと色々な人種の娘たちが出てきたので、グランはウハウハと喜んだ。けれども、止める方法が分からない。というのも、マルドワンがそれを教えていなかったからなのだが。「止まれ、止まれ、もう充分だ!」といくら叫んでも臼は回り続け、ビールはたちまち海になり、その中を娘たちが泳ぎまわった。そしてとうとう、グランは畑にいた妻と一緒に溺れ死んでしまった。
マルドワンは泳ぎ回っている娘たちに命じてビールの海の底の臼を止めさせた。そして、また臼を家に持って帰った。
そんなことがあった後、次兄のリンが航海から帰ってきた。リンはマルドワンが立派な屋敷に住んでいるのを見て驚き、グランと同じように問い詰めて、同じようにひき臼を盗んでいった。というのも、臼から塩を出せば、遠い国へ行かなくても塩を使った交易で儲けられる、と考えたからだった。リンは船を出すと、早速ひき臼を回して唱えた。
これ、ひき臼よ、塩をたっぷり出してくれ。これ、ひき臼よ、どんどん塩を出してくれ。
すると塩がどんどん出てきたが、船が塩でいっぱいになり、やがてその重みで沈んでしまっても、臼は止まることがなかった。やはり、マルドワンが臼の止め方を教えていなかったからである。
船が沈んでしまった後、海岸を例の白いひげの老人が通りかかり、海の水を舐めてひとりごちた。
「これはいい。このままにしておいてやろう」
それで、海は塩辛くなった。海の底で臼が塩を出し続けているから、特にウェールズの辺りの海は塩辛いのだ。
参考文献
『世界むかし話8 おやゆびトム』 三宅忠明訳 ほるぷ出版 1979.
塩の由来 中国
昔、貧しい母と息子がいた。長男は嫁をもらうとさっさと独立して、財産のいいものは全て持ち出してしまい、それを元手に商売や船での漁もして裕福になっていたが、ロクな畑すらなく残された母と弟を顧みなかった。
とうとう食べ物の無くなった弟は兄の家に食べ物とお金を借りに行ったが、逆に兄嫁に罵られて追い払われた。しかしこのまま帰っても母を養えない。困っていると、山の麓で狼が羊を食べていたので、石を投げて追い払い、羊の腿肉を手に入れた。これで一、二回は母に食べさせられる。喜んで家に帰ろうとすると、途中で八十ばかりの老婆に出会った。老婆はもう何日も物を食べていない、フラフラして歩けないと言う。弟は腿肉を与え、老婆を負ぶって家まで送っていった。
老婆の案内で山の麓の大きな石の前に着いて降ろすと、老婆は眼光鋭い赤い顔の力強い姿になっていて、石の門を指して「開け」と言う。地響きと共に石の門が開き、中には全てが石でできた家がある。老婆は臼ひきロバと石臼をくれて、「石臼よ回れ、○○を出せ」と言えば何でも好きなものが出て、「止まれ」と言えば止まると教えてくれた。弟が礼を言って石の家を出て振り返ると、もう石の門は消えていた。
しかし、すぐには信じられず、その晩は隣家から食べ物を借りた。真夜中になって試してみたところ、本当に何でも食べ物が出る。喜んで周囲の貧しい人たちにも配って回った。
弟が周囲に食べ物を配っていると聞いた兄がやって来て、真夜中に石臼を回している様子を覗き見する。夫婦で相談して、弟と母が畑仕事に出ている昼間に臼を盗んでいった。弟に見つからないように船に隠し、夜中になると、そこで高価な塩を出し始めた。しかし止め方を覚えていなかったので、夫婦は船もろとも海の底に沈んだ。今でも海の中では臼が塩を出し続けている。
参考文献
「塩的来歴」/『中国民間文学集成遼寧巻撫順市巻上』
「塩の由来(二)」/『『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳