>>参考 「姥皮(蛇婿〜退治型)」[蛇婿〜偽の花嫁型][熊の子ジャン

 

猿婿入り

 異類婚姻譚のアレンジの一つ。

 異類と人間が結婚する物語は、本来は神(霊)と人間が結びつき、その力を手に入れるという信仰を現したものだったと思われる。だが古い信仰が忘れられると、人は異類を尊い神霊ではなく下等な妖怪とみなすようになり、《人間が化け物と結婚しなければならなくなった》理由付けを欲し、納得できる結末を試行錯誤して、物語は様々な形に変化していくことになった。ある枝の先では《化け物は魔法を掛けられた人間で、愛によって真の姿に戻った》と語られ、ある枝の先では《英雄が化け物を退治して、妻にされていた娘を救った》と語ったのである。

 その枝別れの一つに《化け物と結婚しなければならなくなった娘が、自らの知恵で化け物を退治してしまう》という話群がある。独立して語られることもあるし、「姥皮(蛇婿〜退治型)」のように[火焚き娘]の前段として語られることもある。勇気と知恵を兼ね備えた娘が、自分自身の努力で幸せをつかみ取る物語だ。

 ところが人間の心理は面白いもので、今度は退治された化け物夫に感情移入する向きが現れた。「妻に拒否され、あげく殺されてしまうなんて、化け物でも可哀想だ」と考える語り手が現れたようなのだ。そのように、《妻に騙されて退治された異類の夫が、しかし妻への愛の言葉を遺していった》と、少し物悲しく、どこか退治した娘の方を咎めるようなニュアンスを漂わせて語られるのが、日本に伝わる【猿婿】話群である。

 この話にはおおまかに東日本型と西日本型があり、西日本に伝わるものは嫁入りしたその日に魔物の夫を退治してしまうが、東日本型だと嫁いでしばらくした後、里帰りの道中で殺すことになっている。西日本には里帰りの習慣が乏しいからだと言う。また、この話は山の神(猿)が季節ごとに山を下りて水の神(河童)に転生するという日本の信仰を表しているとの説もある。類話によっては娘が猿夫に取らせようとするのが藤の花になっているが、藤の花は水神の象徴なのだそうである。なお、臼を背負ったまま川で溺死する夫を、猿ではなく鬼とする類話もある。

 

 退治された異類の夫がそれでも妻を案じる声をあげた…というモチーフは日本でしか見たことがないが、猿が人間の娘をさらって妻にする話ならば他国にも見られる。それらの話では猿は娘を無理やりさらって軟禁する。それでも物品は何でも与えて妻を愛し、子供も産まれるが、娘は人間恋しさを忘れられず、ある日逃亡してしまう。結果、娘は人間界に帰還するが、冥界に取り残された夫と子供は泣き叫ぶ亡霊となり、あるいは森(冥界)を支配する神になったなどと語られる。

 

 なお、娘が異類の夫の元から逃亡する際、子供も一緒に連れて行ったと語る話群もある。その場合、主人公は娘ではなく子供の方で、[熊の子ジャン]のように、その子供の偉業を語る物語の前段になっていることが多い。子供は追ってきた異類の父を退治してしまう。しかしここでも「愛していた子供に退治されてしまうなんて可哀想だ」という意見が湧きおこったものらしく、下に紹介した「ライオンの王」のように、子供に神罰が下ったという後日談を付け加えた話もある。



猿婿・西日本型  日本 熊本県

 爺さんが牛蒡畑に牛蒡掘りに行ったが、一つも掘れずに困っていた。すると猿が来て掘ってやろうかと言う。甘く考えた爺さんが掘ってくれるなら俺の娘をどれか嫁御にやるぞと言うと、猿は本当にどんどん畑の牛蒡を掘ってしまった。そして三日後にもらいに行くぞと立ち去った。

 爺さんはしおしおして家に帰って、三人の娘に話をしたところ、一番上と二番目の娘はキツく断る。三番目の娘だけは、青ざめた父親の様子を見て承知した。そして、えらい重い臼、えらい重い杵、米一斗の三つの品を用意してくれと頼んだ。

 三日後、猿が迎えに来ると、娘は猿に臼と杵と米を背負わせた。それらはたいそう重かったが、猿は嫁の言うことだからと担いだ。

 そして二人は山道を進んで行った。時は四月で桜の花が沢山咲いており、大きな谷川に桜の枝の美しいのが伸びている。娘は、猿にその枝を取ってくれとせがんだ。猿は嫁の言うことだからと、荷物も負ったまま木に登った。すると娘が下から、もっと上、上、一番上の枝を取ってと言う。猿は上の方の枝の細いところへ登っていき、枝は折れて谷川に落ちた。そうして、背負った荷物の重さで沈んでいきながら、

 さるさだが 死ぬる命は惜しまねど おとずる姫が泣くぞ悲しき

(自分が死ぬのは惜しまないが、残された妻が泣くのは悲しい)

と詠って、川を流れ去った。末娘は喜んで家へ帰ったそうだ。



参考文献
『こぶとり爺さん・かちかち山 ―日本の昔ばなし(T)―』 関敬吾編 岩波版ほるぷ図書館文庫 1956.

※辛さを嘆くと、猿が畑仕事を手伝ってくれる。お伽草子の『藤袋の草子』でも、畑を耕してくれたら猿でも娘婿にしてやるのに、と独りごちると本当に猿が畑を耕してしまうのだが、助けてくれたのが猿ではなく蛇や鬼で、娘と引き換えに田んぼに水をかけてくれたと語る話群もある。

 一説に、川の神である河童は季節ごとに山に入って山童やまわろになるとか、田の神は人里と山を季節ごとに行き来するなど言うが、猿と山神と河童と水神はどこかで重なっているかもしれない。

 蛇が娘を嫁にしようとする場合、退治された異類の夫が死に際に妻を案じる歌を残すというような展開はない。猿婿は蛇婿に比べるとお人好しで間の抜けた性格に語られていることが多く、そのために語り手・聞き手に愛され、同情されたのかもしれない。

もんにい針千本  日本 鹿児島県 種子島

 昔、娘を三人持った百姓がいた。ある朝、田守りに行ってみると大きな蛇が田の堰口を塞いで水の流れを邪魔している。「この田の水をかけてくれ。俺にゃあ三人の娘がおるから、わがぁ(お前に)一人ぁくれてやるから」と言うと蛇は堰口から離れ水が流れた。

 家に帰った父親が三人の娘にこのことを話すと、上の娘と中の娘は拒否したが、一番器量のいい末の娘は「そいなら、もんにい針(縫い針)を千本買うてくれ。そうすれば私が蛇の嫁に行く」と答えた。

 父親はさっそく街へ出て針を千本買い、娘にそれを持たせて田に連れて行った。蛇は昨日の場所にとぐろを巻いていた。父親は「今連れて来とう」と娘を前に押しやって戻って行った。蛇が娘に言った。

「そらよかった。待っておったど。そうじゃ今、体が痒うてたまらんとこじゃった。俺の体のしらみを取ってくれ」

 そこで娘は蛇に近づき、その鱗を一枚一枚持ち上げて、もんにい針を一本ずつ突っ込んでおいた。針を千本打ち終わった後で蛇は堰口の奥へ引っ込んでいったが、間もなくのたうちまわりながら出てきて、散々悶え苦しんだ挙句に白い腹を見せて死んでしまった。

 娘は跳んで家に帰って「どうすればよっか」と父親に事後処理の相談をした。父親は大喜びで「蛇ぁそびき出かぁて、焼かんば いかんもんじゃ」と言い、大急ぎで大蛇の死骸を焼き捨ててしまったという。


参考文献
『日本の民話24 種子島篇』 下野敏見編 未来社 1974.

※蛇の鱗に針を差し込んで退治するのは、夜毎通って来る正体不明の夫の服の裾に縫い針を刺しておいて糸を辿っていくと死にかかっている大蛇を発見するという、【蛇婿〜苧環型】のエピソードとどこかで繋がっているように思える。これらは鉄(金属)には魔除けの力がある、という信仰とも無縁ではあるまい。

 それはそうと、毛のない蛇にしらみは付かないだろう…。冥界へ行って山姥や冥王の頭のしらみを取らされるというお馴染みのエピソードが混入したものか。つまり、この物語の蛇は水神であり、冥王でもある。

川の神とひょうたん  日本 鹿児島県 種子島

 昔、娘三人を持った爺さんがいた。ある朝、いつものように水の様子を見に川近くの田へ出かけたが、しんどくて思わずこうもらした。

「この田も男の子がおれば譲るとじゃが、残念なもんじゃ。一体誰に譲るものか」

 するとどこからともなく声が返った。
「じい、俺を養子にせんか。そうしてくれぇば、オラぁこの川に住む者じゃから、いつでも回って田もうり(田の管理)はしてくるんど。じいは米の熟れたころ来れば良こう。それまでは水の心配はせんでよかが」

 爺さんはつい釣り込まれて「よし、養子にすんどう」と言ってしまった。その声は川の神の河太郎がわたろうで、実際、その後爺さんが見回りをしなくても田は管理され、秋には稲がふさふさと黄金の波を作っていつにない豊作であった。すっかり嬉しくなった爺さんは「おかげで今年は わざい良か実りじゃったもんない。オラぁ娘が三人おるから、望みがあれば一人くれるから来いよ」と言ってしまった。

 次の晩、本当に「爺さんと約束したから、今夜は娘をもらいに来たろう」と訪ねてきた声がした。爺さんは少し不安になって言った。
「そうか、男の約束じゃからやるこたぁやるが、自分一人の考えでもいかんから、娘たちを呼んで聞いてみろう」

 しかしかしら娘と中の娘は断った。末の娘は言った。
「俺まで断れば義理がすまんから行かんばじゃな。その代わり、嫁入り道具にはひょうたんを百個買うてくれぇな」

 爺さんは喜んで村中を駆け回ってどうにかひょうたん百個を買い集めた。

 いよいよ、ひょうたん百個を持った末娘は、河太郎に付いて家を出た。途中で河太郎が「わぁが(お前の)ひょうたんな、俺が持とうか」と言ったが、娘は「この道なら何ともなかから よか。じゃが、川を渡る時ぁ困るから、そん時持ってくれ」と答えた。

 やがて大きな川にさしかかった。流れの速い中ほどで、娘は「オラぁどうも行けそうになか」と、ひょうたんを河太郎に渡した。娘はひょうたんを河太郎の背に結びつけながら、ひょうたんの栓を全て抜いておいた。そして「わごう(あなた)、先ぃ渡れや」と河太郎を先に渡らせた。

 河太郎は急流に足をさらわれて水に巻き込まれ、背のひょうたんのおかげで思うように泳げずにいるうちに、ひょうたんに水が入って沈み始めた。娘はわざと大声を張り上げて、
「早う こっちぃ来いや、早う上がれや」と叫ぶと、河太郎はやっと手をあげて
「早う、縄か何か投げてくれぇ」と言ったきり、そのまま沈んで溺れ死んでしまった。

 娘は安心して家に帰り、このことを詳しく父親に話した。爺さんは
「そうか、わが(お前)のおかげで、約束を破らんで済んだもんない(済んだよ)」と言って、喜んだそうな。


参考文献
『日本の民話24 種子島篇』 下野敏見編 未来社 1974.

※河童の川流れとは言うが、川の神が溺れ死ぬというのも考えてみれば奇妙な話である。

 ひょうたんや瓜は水神への供物・象徴とされるものだが、これを退治道具に使っている。ここではひょうたんの栓を抜いておいて重りに使っているが、ひょうたんを水に浮かべて「これを沈められたら嫁になる」と約束し、(疲労や、ひょうたんに仕掛けた針で)水神を殺してしまう場合もある。



参考--> 「姥皮(蛇婿〜退治型)」[蛇婿〜偽の花嫁型



猿婿・東日本型  日本 新潟県

 あったてんがな。

 あるどこに、娘の子三人持ったさがいたてや。あるどき、爺さが山のかんの畑(焼き畑)へ、粟の草取りに行ったてや。あんまりあっちゃくて、難儀だんだんが(難儀だったので)

「やれやれ、あっちゃや暑や、難儀や難儀や。この粟の草、誰か取ってくっるもんがいれば、オラに娘の子三人あるが、どれか一人、嫁にくれようもの」と、ついひとらごとを言うたてや。

 ほうしると、山の猿が聞こえつけて、藪からホイホイと跳んで来て、

「爺さ、爺さ、今、何言うた」

「オラ、なんも言わんが」

「いや、言うた言うた。何言うたか言わんと、こちょばす殺すど(くすぐり殺すぞ)」と言うんだんが(言うものだから)、爺さ、仕方なく

「あんまりあっちゃくて難儀だすけ、粟の草取ってくっるもんがいれば、娘の子三人いるが、どれか一人、嫁にくれようと言うた」

「そうか、俺が取ってやる」

と言うて、猿はチョコチョコと粟の草取りして、いついつの日に娘の子を嫁にもらいに行ぐと、爺さと約定したてや。

 爺さ、家へ帰りしまに(帰る途中で)、「はて、猿のどこへ娘の子を嫁にやるという約定したが、大事おおごとしたな(大変なことをしたな)。誰か嫁に行ってくっればいいが」と、頭が病めて(頭が痛くなって)、家へ来て(家に着いて)、ウンウン唸って、バッタリ寝ていたてや。そこへ、姉娘が来て

「爺さ、爺さ、なじだい(どうですか)、お湯でもお茶でもやろうかい」

「いや、湯も茶もいらねぇが、オラの言うこと聞いてくれ」

「あ、爺さの言うことだば、なんでも聞くで」

「ほうせば、山の猿のどこへ、嫁に行ってくれ」

「この馬鹿爺さ、猿のどこへなんか、誰が嫁にいぐもんがあろうば」

 と言うて、爺さにスコンと枕ぷっつけて行ってしもたてや。爺さ、なおさら難儀なって(苦しくなって)、ウンウン唸っていた。そこへ中の娘が来て

「爺さ、爺さ、なじだい、お茶でもお湯でもやろうかい」

「いや、湯も茶もいらねぇが、オラの言うこと聞いてくれ」

「あ、爺さの言うことだば、なんでも聞くで」

「ほうせば、山の猿のどこへ、嫁に行ってくれ」

「この馬鹿爺さ、猿のどこへなんか、誰が嫁にいぐもんがあろうば」

 と言うて、爺さにスコンと枕ぷっつけて行ってしもたてや。爺さ、「あと、もう一人しかねぇが、はて、なんと言うやら」と、なおさら難儀なって、ウンウン唸って寝ていたてや。そこへすい娘が来て

「爺さ、爺さ、なじだい、お茶でもお湯でもやろうかい」

「いや、湯も茶もいらねぇが、オラの言うこと聞いてくれ」

「あ、爺さの言うことだば、なんでも聞くで」

「ほうせば、山の猿のどこへ、嫁に行ってくれ」

「あ、行ぐで、行ぐで。山の猿のどこへ、俺が嫁に行ぐ」と言うた。ほうしたれば、爺さ、頭の病めるのがクルッとようなったてや。

 ほうしているうちに山の猿が迎いに来て、すいの娘は嫁に行ったてや。ほうして、三日目のひざなおし(里帰り)に、里の爺さのどこへ帰ることになった。猿が、

「里の爺さのどこへ、何みやげ持って行ごうか。里の爺さは何が好きだや」

「里の爺さは、餅が一番いっち好きだ」

「そうか、そうせば、餅搗いて持って行ごう」と、ストンストン、餅搗いて、猿が、

「この餅、重箱の中に入れて持って行ごうか」

「重箱くっさいと言うて、里の爺さは食わねえ」

「そうば、鉢の中に入れて持って行ぐか」

「鉢くっさいと言うて、里の爺さは食わねえ」

「そうせば、どうせばいいや(どうしたらいいんだ)

「臼の中に入れたまんまの、搗きたての餅が一番いっち好きだ」

「そうせば、俺が臼ぐちら(臼ごと)て行がや」と言うて、餅の入った臼を猿がて行ったてや。

 ほうしると、川のほて(ほとり)に、桜の花が綺麗に咲いていた。娘が、

「あの桜の花、一枝しょって、里の爺さのみやげにしたい」と言うたれば、猿が

「よし、そんま(すぐ)、オラが折しょってくらや」と、臼を土原べとわらへ下ろそうとした。娘が

「餅がべとくっさくて、里の爺さは食わねえ」と言うんだんが(と言うものだから)、草の上に下ろそうとした。娘が「草くっさくて、里の爺さは食わねえ」と言うんだんが、臼をて桜の木に上がった。

 ほうして、天井(上)の花の枝を押さえて、猿が「これか」と言うたれば、娘は「もっと、天井」と、だんだん天井へ上がって、一番いっちしんぶら(てっぺん)の花の枝を押さえて「これか」と言うたれば、「それ、それ」と言うんだんが、折しょろうとしたれば、ポキンと、乗っていた枝が折しょれて、バッシャンと下の川へ落ちてしもたてや。ほうして猿は、

  猿は去るる川へ流れる命は惜しくはないが

  後に残る娘が可愛い、可愛い

と言うて、流れていったてや。ほうして、娘は爺さのどこへ帰ってきたてや。

 いきがポーンとさけた。



参考文献
『おばばの夜語り 新潟の昔話』 水沢謙一著 平凡社名作文庫 1978.

※爺さんは匂いに超ビンカンだと思った。(違うだろ)

 花や果実を取るようにと木に登らせ、高いところ枝の細いところへ下から誘導して墜死させるというモチーフは、【瓜子姫】にも見られる。

 なお、娘がいやいやながらある男と結婚しなければならなくなり、その男になびいたふりをして崖縁の花を取ってくるように頼んで、墜死させるというモチーフは中国の民話でも見ることができる。



猿にさらわれた娘  中国

 片田舎の寒村に老婆がおり、嫁と娘と共に住んでいた。老婆の家はとても貧しくて挽き臼がなく、村の共同粉挽き場へ精米に行かねばならなかったが、嫁と娘は競争心を起こして、毎朝それぞれ早く起きて出かけるのだった。

 ある朝、ぐっすり眠っていた娘はトントン、トントンという音で目を覚ました。辺りはまだ暗かったが、もう兄嫁が米を搗いていると思った娘は大急ぎで身支度して粉挽き場へ駆けつけた。ところが、黒い影がさっと飛びかかって来て、娘を背負って走り出した。

 米を搗く音を立てていたのは山に住む猿の精だったのである。猿は嫁と娘の競争を知って、この二人のどちらかを自分の嫁にしてやろうと企み、まだ誰も起きていない早朝に臼を杵で搗いて音を立てたのだ。

 娘は猿の棲家である山奥の洞穴へ連れて行かれ、やがて猿と夫婦になった。何年も経たないうちに猿の子が二匹生まれ、暮らしにも次第に慣れていった。しかし猿といつまでも暮らしたいとは思っておらず、故郷の母のことを思うと胸の張り裂けそうな思いを味わっていた。

 

 ある日のこと、娘が髪を梳かしていると、一羽のカササギがまるで話しかけてくるようにしきりに鳴いているのに気付いた。そこで娘はカササギに言った。

「カササギよ、お前に本当に人の心が分かるなら、私の髪の元結(リボン)をお母さんのところまで持って行ってちょうだい」

 するとカササギは舞い降りてきて、娘の元結をくわえて飛び立った。

 一方、老婆は愛しい娘がいなくなってから泣き暮らしていたが、どこへ探しに行けばいいのかも分からないでいた。するとカササギがやって来て、ひどくやかましく鳴き立てる。

「この私に何かいい報せでもあるって言うのかい。私の娘の行方を知っているわけでもないだろうに!」

 老婆は苛々とそう吐き捨てたが、一本の赤い元結が木の上から落ちてきた。それはまさしく娘のものではないか。

「お前が娘の居場所を知っているのなら、私を連れて行っておくれ」

 カササギは再び元結をくわえて先導するように飛び立ち、老婆はその後をつけて、慌てずに歩いて行った。

 娘の方は、カササギが元結をくわえて行って以来、期待は膨らむ一方であったが、ついに例のカササギが戻って来て元結を投げ落とし、合格通知人のようにけたたましく鳴き立てた。娘が外に出ると、あれほど恋い焦がれていた母がいるではないか。

 母子は再会の嬉しさを涙ながらに語りあったが、しまいに娘が言った。

「うちの人はひどく人見知りをするの。お母さんはかめの中に隠れていて。私がちゃんと話をつけてから会わせるわ」

 老婆がかめに隠れて暫くしてから猿が帰って来た。

「くんくん、人臭いぞ。誰か知らない人間が来たのか。家の中に知らない奴の臭いがするぞ」

「私のお母さんが来たのよ」

「どこにいるんだ」

「あなたに会うのを怖がって、かめの中に隠れているわ」

「呼んでおいで。ぜひ会いたいから」

 猿は女房の母親にとても親切にしてくれたが、それでも母子は一刻も早くここから逃げ出すことばかり考えていた。母親は言った。

「旦那さん、みなさんの目はひどくただれているようだが、わたしがよい治し方を教えましょうか」

「それは願ってもないことです」

「桃と杏と梅のヤニを混ぜて、よく煮込んでから目につけるんですよ」

 その山には沢山の果樹があった。猿は一日かけて三つの種類のヤニを大きな器いっぱいに集め、母親はそれを鍋で一昼夜煮込んだ。それから父子三人の目にそれぞれつけてやり、山の上の日当りのいい場所へ連れて行って、よく乾かすようにと言った。

 今こそが好機だ。釣り針から外れた魚が泳ぎ出すように、母子は洞穴から身の回りのものや貴重品をまとめて逃げ出した。

 猿の父子は山の上で丸一日も目を乾かしていた。しかし迎えに来てくれるはずの母親と娘は一向に現れない。どうもおかしいと思った猿は手探りで谷川まで降りて行き、谷川の水で目のヤニを洗い落とした。それから子供たちの目も洗ってやった。

 思いがけないことに、家に戻ってみると中が泥棒に荒らされたように散らかっていただけでなく、女房とその母親すらも、黄鶴に乗って飛び去る仙人のようにいなくなっていた。

 

 母親と娘は無事に逃げ帰って村に戻り、ただもう嬉しくてならなかった。

 ところが、それからというもの、猿の精がしょっちゅう村にやって来て、こう泣き叫ぶのが聞かれるようになった。

 どんな宝もいらないから、うちの子供たちのおっかさんが欲しいよ。

 猿はいつも父子でやって来て、子供たちを粉挽き小屋の挽き臼の上に腰かけさせていた。娘と母親はそれが嫌でたまらなかった。そこである日のこと、夕方になってから臼を熱く焼いて、いつもの場所に置いておいた。

 そうとは知らず、その日の夜も猿はいつものように村にやってきて泣き叫び、子供たちを臼の上に腰かけさせた。焼けた石の熱さに驚いた子供たちはアッと悲鳴をあげた。

「お前たちが嫌なら、俺が腰かけるよ」

 猿は子供たちがふざけていると思い、説教すると自分が腰かけた。その途端、猿もアッと悲鳴をあげて、尻尾が焼き切れてしまった。

 こうして、猿たちは村に現れなくなった。猿の尻尾が短いのは、この時、焼けた臼で焼き切ってしまったためであるという。



参考文献
『中国民話集』 飯倉照平編訳 岩波文庫 1993.

※この話型は【猴娃娘】もしくは【猿の母】と呼ばれているようである。この例話では猿の尾が短い由来話になっているが、猿の尻が赤い由来話として語られることもある。--> 「猿長者

 臼を熱く焼いておくくだりは、その獣が来訪した際にいつも腰かける石にタールやトリモチを塗っておいて捕らえるモチーフ(日本民話だと【カチカチ山】にある)とちょっと似ている。中国遼寧省や吉林省、黒竜江省等に熊の精が人間の娘をさらうという話群があるが、それを間に置いて見ると面白い。

熊の精  中国

 熊の精が村に来て女を連れ去り、洞穴に閉じ込めて女房にした。女は翌年には熊の子を産んだ。ところが、やがて女の兄が尋ね当ててきてくれた。女は子を残したまま兄と村に逃げ帰った。熊が村まで追ってきて、そこにあった石に腰かけた。ところがその岩に女の兄が予め糊を塗っておいたので、尻が石にくっついて動けなくなり、そのまま退治されたのだった。

 山からやってくる神霊がいつも座る石を熱く焼いておくというモチーフは、ラトビアの「人狼の皮」にも見える。

 これらのモチーフに関しては<カチカチ山のあれこれ〜磐座とタール人形>を参照。

 

「猿」となってはいるが、結局 熊でも鬼でも盗賊でも何でもいいのである。終盤「夜ごとに村に来て泣き叫ぶ」辺り、冥界から現れる霊のようなイメージでもあることが伺える。実際、「山奥の洞穴に住む」ところや「目がひどくただれている」「ヤニを塗られてしばらく目が開かなくなった」という辺りに、冥界に関わるモノ(人食い鬼)の特徴である「盲目、片目、弱視」の特徴、「人食い鬼の目を潰して洞穴(冥界)から脱出」というお馴染みの展開が現れている。

 目に何かを塗って塞ぎ、しばらく後に洗い落とすという行為は、かつての通過儀礼や加入礼との関連も思わせる。実際、例えばオセアニアには練った石灰で目を塞ぐ儀礼があったという。これは「死」を暗示していて、石灰を洗い落として再び目を開いた時、その者は新しく生まれ変わったとされ、新たな名を与えられて、その社会集団の一員として認められる。

 

 余談ながら、臼は内部に空洞を持つという構造から、子宮〜冥界と同一視されることがあることを言い添えておく。スラヴの山姥ババ・ヤガーは、木臼に座って移動してくる。石そのものも日本では神霊の依り代とされるものだが、猿が夜な夜な石臼に座るのにも意味があるのかもしれない。

 

 この話は日本の「猿婿」とは似ていない。むしろ「鬼の子小綱」や「鬼が笑う」によく似ている。



かわいそうなバファ  タイ

 ザエン・バダン村にバファという娘があり、ある日母親とケンカをした。腹を立てて家を出て水汲みに行ったところ、巨大な猿にさらわれ、深い森の高い木の上の巣に置かれて猿の妻にされた。

 猿はバファを愛してあらゆる食べ物、人間を喜ばせるあらゆるものを持ってきては与えた。やがてバファは猿との間に短い尻尾のある子供を一人産んだ。

 しかし六年後、たまたま象飼いたちが深い森に入ってきたのを見ると、バファは人里に帰りたくてたまらなくなり、頼んで木から下ろしてもらった。そして巣の中でしくしく泣いている子供は置いていった。半分猿であるその子は人里では生きられない。しかし猿の夫がその子をとても愛しているので立派に育ててくれるだろうと。

 だが森から出ないうちに猿の夫が追ってきた。彼は暴力は振るわなかったが、瞳で妻に戻るよう呼びかけ、哀願するように両腕を差し伸ばした。しかし「あなたとはもう暮らせない」と妻が拒むと、カッとして襲い掛かり、強引に連れ戻そうとした。

 その瞬間、象飼いたちの猟銃が火を噴き、猿の夫は丸まって倒れ、辺りに血を迸らせて死んだ。それを見たバファは意味を成さない叫び声をあげた。あげ続けた。象飼いたちはどうしようもなく、とにかく彼女を連れて足早に森から出た。猿の夫の亡骸はそこに残され、森の守り神となった。短い尻尾の子供もその後に従った。

 バファは故郷の家に連れ戻され、老いた両親は嬉し涙に暮れた。ところが、バファは精神錯乱に陥っていたのだ。それでも両親は勇気を失わなかった。二人は生きて娘に再会できたことを喜び、心を込めて可哀想なバファを胸に抱いた。そして充分に世話をして面倒をみた。

 家族にとって、生きている限り、もはや不足はなかった。



参考文献
『世界の民話 アジア[U]』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1977.

※この話で強調された要素は、日本民話の【鬼婿入り】の一つと比較すると、より際立つだろう。

節分のはじまり  日本 栃木県

 昔、村の娘が鬼にさらわれ、鬼の妻となって山奥で暮らした。やがて子供も産み、何年も経つうちに鬼の心も柔らかくなって、妻に里帰りを許した。

 娘は鬼の子を連れて里の家に帰り、両親はたいそう喜んだが、鬼の子供を産まされたとあっては世間体が悪いと、その子を股のところから二つに引き裂いて竹ざおに突き刺し、家の前に立てておいた。

 何日かして鬼が妻子を迎えにやってきたが、家の前に我が子の死体が立ててあるのを見て恐れおののいた。家に入れずに外から呼びかけると、妻はよく炒った豆をばら撒いて「これが芽吹いた頃にまた来て。そしたら帰るから」と言った。炒った豆が芽吹くことなどない。鬼が迎えに来ることは二度となかった。

 こうして、節分の日には魚の黒焼きを棒に刺して立て、炒り豆を撒くようになったのだという。


参考文献
『下野の昔話』 小堀修一/谷本尚史編 日本放送出版協会 1978.


参考 --> 「鬼の子小綱」「豆投げの由来

 以上の話では娘の両親が積極的に鬼の子を…孫を殺している。鬼は異形であり、人食いであり、元々無理やり娘をさらって子を産ませたのだから当然の処置とも言える。しかし鬼を人間と変わらない存在として見てしまうと、この上もなく残酷に見えるのも確かだ。

 このような話を聞いて「無惨だ」と感じた時、「かわいそうなバファ」のようなアレンジバージョンが物語られるようになるのではないだろうか。



ライオンの王  タイ

 何千年も昔のこと、ある所にライオンの王がいた。ライオンの王はある晩宮殿に忍び込んで王の娘をさらった。この娘はもう結婚していて息子と小さな娘がいたが、この子たちも一緒にさらって行って森の真ん中に下ろし、そこで本当の家族のように親身に世話をした。

 何年か経って分別が付いてくると、王子はライオンと暮らす生活に疑問を感じるようになった。

「お母さん、僕のお父さんはどこにいるの? 何故、僕たちはこんなところでライオンと一緒に暮さなければならないの?」

「お前のお父さんは王さまで、都で国の宝を支配しているんですよ。あの遠い遠い都でね。

 ライオンの王が私たちを宮殿からここへ連れてきてしまったので、ここで暮さなければならなくなったの。確かにライオンの王は悪いことは何もしないし、私たちの面倒を親身に見てくれた。それでも私は、何度もあなたたちを連れてここから逃げようと考えたわ。けれど小さな子供を連れて、どうして逃げ切ることが出来るかしら。ライオンにとって私たちを連れ戻すなんて簡単なことでしょうし、もしそれで怒らせたなら、今度こそどんなことになるか分からないもの」

 息子は母の言うことをじっと聞いていた。だが、その心は収まらなかった。

「でも、ここを逃げ出してお父さんの国に帰らなきゃあ! 僕がお母さんと妹を連れて行ってあげるよ。僕は森の中をあちこち歩き回っているから、人間たちの道がどこにあるのかよく知ってるもの」

 三人とも、ここを逃げ出して故郷に帰ることで意見が一致した。そこである時、ライオンの王が狩りに出かけた隙に三人は家を出た。ところがライオンはいつもより早く帰って来た。王女と子供たちがいないのを見ると、悲しみと怒りに囚われ、足跡を追って走り出した。

 途中、ライオンの王は幾人もの人間に出くわしたが、その度にそれを噛み殺して食べてしまった。誰もライオンの王に敵わなかった。彼は魔力を持っており、刀で斬りかかれば刃がこぼれ、矢で射かけても傷つかず、吠えただけで敵は気を失って倒れてしまうのだ。それほどこのライオンの力は偉大だった。

 王女は二人の子供を連れて無事に町に到着した。王女の父親である王がちょうど亡くなったところだった。それで、王女の夫が王位を継いで、王室の宝を支配していた。新しい王が妻子の姿を見ると、その心は喜びに満たされた。しかしそれは少しの間しか続かなかった。すぐにあのライオンが町の門に現れたからである。

 王はこの報告を受けると、この恐ろしい乱入者を退治する自信のある者は申し出てほしいとお触れを出した。すると王子が進み出て、自分の力を試させていただきたいと許しを請うた。王は許し、王子は弓と矢を携えて町の外へうって出た。

 ライオンの王は、近付いてきたのが自分が長い間養育した王子だということに気付くと、一度は怒りを鎮めた。それでも戦いが始まり、勝負のつかないままに長く続くと、ついに大きな口を開けて猛り狂った。その瞬間に、王子の矢が喉もと深く突き刺さり、ライオンは死んだ。

 この戦いを見守っていた町の人々は、あの強大なライオンの王と戦って、しかも打ち負かしてしまうとは、なんと強いのだろう、勇敢なのだろうと褒め称えた。後に王、つまり王子の父が亡くなると、王子が代わって玉座に着いた。

 ところが王子が玉座に着くと間もなく、ひどい頭痛に悩まされるようになった。国中の高名な医者を集めて診療させたが、誰も治すことが出来なかった。頭痛はますますひどくなり、王は予言者や占い師を集めると尋ねた。

「私は毎日恐ろしい頭痛に悩まされている。いったい何故だろう? 私が王になって以来、この頭痛は消えたことがないのだが、それはいったい何故なのだろう?」

 予言者や占い師たちは大地にひれ伏して告げた。

「王さま、その頭痛の原因は明らかです。あなたは、ご自分をあんなに大事に育ててくれたライオンの王を殺してしまわれました。あなたは、ご自分を幼い頃から愛情をこめて抱きしめてくれ、育ててくれたライオンの王を、殺してしまわれたのです!」

 それを聞いて、若い王は尋ねた。「私が健康を取り戻すにはどうしたらいいだろう」

 占い師たちは答えた。

「あのライオンの王の肖像を作らせなさい。そうすれば、あなたの頭痛は消えていくでしょう。それから、偉大な王さま、あなたはそこへ行ってライオンの前にひざまずかなければいけません。そして、手を合わせてライオンの王の像を拝んでください」

 それで王は、ライオンの石像をあらゆるお寺やお堂の前に建てるようにという命令を出した。そのことが今日でも習わしになっていて、寺の門やお堂の入り口には、ライオンの王が立って見張っているのである。



参考文献
『世界の民話 アジア[U]』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1977.

※日本で言う狛犬こまいぬの由来譚になっている。

 本来は神(ライオンの王)と人間の王女との間に生まれた半神半人の英雄を讃える物語だったろうに、語り手が殺されてしまうライオンの王に感情移入したらしく、ライオンの王の方を讃える話になってしまっている。また、ライオンの王の正当性を高めるためか、はたまた「現実に人間とライオンの間に子供が生まれるはずがない」というリアル感を重視したものか、王子はライオンの王の実子ではなく養子という形に変更されている。



参考--> 「英雄アイリ・クルバン



乙女ヶ石  日本 鹿児島県 屋久島

 昔、屋久島の小瀬田に仲の良い若者と娘がいた。

 ある時、川を渡って向こうの野原へ草切りに行こうとして、娘が流れに落ちたことがあった。すると一匹の野猿が川に飛び込んで、娘を岩に押し上げてくれたのである。これ以来、猿は娘が川を渡って草切りへ行く時には必ず付いてくるようになり、娘は命の恩人のその猿をたいそう可愛がっていた。そしてある時、その猿に誘われるまま、不思議に思いながらも山林へ入って行き、そのまま二度と戻らなかったのであった。

 村人たちは、娘はきっと猿と夫婦になったのだろうと噂し合った。一方、娘と仲の良かった若者の方は、「猿に女子おなごを取られてしもたが」と笑われたので、いたたまれず、とうとう川の淵に身を投げて死んでしまった。

 こうして、若者が身を投げた川を男川オガーコウ、娘が猿に助けられた川を女川メンコと呼ぶようになった。

 娘を失った両親は嘆き悲しんで、村人に頼んで山の方を探してもらったが見つかることはなかった。両親が朝に夕にその山を見て娘を想ったので、それからその山を愛子岳と呼ぶようになったという。

 娘が猿に助け上げられたという岩は今の女川の河口近くにあって、黒いひょうたんを浮かべたような形をしている。この岩を乙女ヶ石と呼ぶのである。



参考文献
『日本の民話25 屋久島篇』 下野敏見編 未来社 1974.

※伝説。猿婿側の完全勝利バージョン?

 溺れたのが猿婿ではなく娘自身、そして娘の恋人だった人間の若者で、娘が助け上げられた岩がひょうたんの形をしているというのは面白い。



 猿が人間の娘をさらって妻にする話は、日本の文献では『今昔物語』や、お伽草子の一つ『藤袋の草子』などにも見える。いずれも英雄が猿を退治してしまう話で、『今昔物語』のものは民話の[猿神退治]に似ている。『藤袋の草子』の方は以下のような話で、犬を娘の代わりに箱に入れておく部分は[猿神退治]と共通するが、導入部分の畑を耕す見返りに娘を差し出さなくてはならなくなるくだりは「猿婿」と似ている。

 子供のない老夫婦が衣装箱の蓋の上に捨てられていた女の赤ん坊を拾い、その子を大事に育てる。娘が十三、四歳になった頃、畑を耕しに行った爺さんは、あまりに体が辛かったので「どんな山の猿でもいいから、私の畑を耕してくれたらなぁ。そうしたら娘の婿にしてやるのに」と呟く。すると大きな猿が現れて畑を耕し、「明日はさるの日で縁起がいい、迎えに行くので約束を忘れるなよ」と言って立ち去ったのである。

 爺さんは後悔し婆さんは怒ったが、仕方がない。猿と戦う力も逃げおおせる足もないので、老夫婦は娘を食べ物などと共に大きなひつに入れて地面に埋めて隠し、自分たちも離れた茂みに身を隠して息を殺していた。さるの刻(午後三時〜五時)頃に猿が輿に乗って家来を引き連れて現れ、散々探し回った後で猿の陰陽師に占わせて地面の中の姫を探し当ててしまった。姫を輿に乗せて連れ去り、老夫婦は泣きながらその後を追って山に入った。

 猿は姫を柴で屋根を葺いた小屋に連れて行ったが、姫は嘆き悲しむばかりである。機嫌を取るために珍しい果物を採りに出ることにしたが、その間に姫が誰にも逢わないよう、藤蔓で編んだ袋に入れ高い木に吊るし、見張りをつけていった。老夫婦は姫を下ろすことも出来ず、その様子を見ながら地団太を踏むばかりである。

 その時、神の導きか、馬に乗って狩りに来た貴人の一隊が通りかかった。老夫婦の訴えを聞き、貴人は供の一人、弓の名手である平次に袋を吊るしている縄を射切れと命じる。平次は失敗するかもしれないと固辞したが、老夫婦が一か八かやってください、どのみち姫は猿に従わない、このままだと食い殺されてしまうかもしれないと訴えたので、引き受けた。矢は見事に縄を切り、老夫婦は小袖を広げて落ちてきた姫を袋ごと受け止めた。

 袋の口を開ければ、涙で眉墨が流れていたが、それでも並み以上の美少女である。貴人は姫を一目見て心奪われた。袋の中に姫の代わりに、連れて来た自分の愛犬を入れ、見張りの猿を脅して元通り木に吊り下げさせた。そうして辺りに身を隠して様子を見ていると、ほどなく猿どもが果物を持って帰って来た。姫を慰めるために歌を詠み合い、袋を降ろして開けたところが、中から飛び出た犬が猿婿の喉笛に喰いついた。他の猿たちにも別の犬をけしかけ、あるいは棒で殴ったりして殺してしまった。見張りの猿だけは助けてやった。

 貴人は姫を妻にしてたいそう愛し、老夫婦にも別邸を与えて老後を養った。平次には領地を与え、見張りの猿は(慣習に従って)厩の前に繋いだということだ。

 これら日本の話の源流は恐らく中国にあるのだろう。中国では「猿の妖怪が女性をさらって子を産ませる」という話が古くから広く伝わっていたようで、西晋の『博物誌』や東晋の『捜神記』にも馬化(またはカク[孑矍]猿、角猿)なるモノについて書かれてある。それは蜀の西南の山中に住み、身長は七尺ほど。女性をさらうので人々は山に行く時には一本の縄を握って連れ立って出かけるが、それでもいつの間にか一人二人はさらわれている。さらった女性を山中に連れて行って妻にし、子を産めばその子と共に人里に返す。この子供を育てなければ女も死ぬと言われているので、みな恐れて育てる。子が出来ない女はずっと留められることになるが、十年も経つと自然に身も心も馬化に同化して帰ろうとしなくなる。馬化の子は成長すると普通の人間と変わりなく、楊姓を名乗るという。

 女性をさらって子を産ませる猿の妖怪には他にも沢山の別名がある。現代ですらもたまに「野人と人間の女性との間に生まれた子供」などという話が報道されることがある。

 唐の時代には『補江総白猿伝』という伝奇小説が書かれた。

 六朝の梁の時代、藺欽が平南将軍として南方遠征を行っていた頃、将軍・欧陽コツ[糸乞]も南方の長楽の地を平定していた。彼には美しい妻が同行していたが、それを知った土地の長は「この地には美女をさらう神がおります」と警告してきた。この地の女はみな男と同じ身なりをして髪と顔を隠している。それは何十人もの若い娘が消え去ったためなのだという。

 欧は家の周囲を兵に囲ませ、妻を家の奥深くの部屋に置いて、女剣士たちに護衛させ、自らも剣を持って妻の側に陣取った。しかし夜になると怪風が吹いて全ての人間が眠り込み、目覚めると妻の姿は消えていたのであった。

 それから数か月、欧は血眼になって妻を探し回り、家から百里も離れた竹藪の中に妻の刺繍の靴を見つけた。その向こうには険しい山がそびえている。選抜した三十名の兵を引き連れて十日あまりかけて登っていくと、山の中にぽつんと大きな山があり、周囲を流水に囲まれていた。いかだを作って水を渡り、崖を登ると、その向こうは竹と岩と花の美しい庭園になっていて、青々とした草原の奥に門で閉ざされた洞穴があり、その前で女たちがさざめき歌い笑っていた。

 女たちは突然現れた欧に驚きながら話を聞き、洞穴の奥にいた欧の妻のところへ案内してくれた。ここは白猿神の住処であり、女たちは全て彼にさらわれてきた者なのだという。白猿神は今はちょうど留守をしているが、神通力を持っていて倒せないし逃げられない。女たちの中にはここに連れてこられて十年にもなる者もいたが、容色が衰えると何処へともなく連れ去られて姿を消してしまうのだという。

 女たちは欧に協力する決意をし、美酒と麻と犬十匹を用意して十日後に再び来るよう指示した。白猿神は酒好きで、酔うと己の力を誇示するために寝台に寝て四肢を絹の紐で拘束させ、それを引きちぎってみせる。しかし麻紐であれば引き千切れないであろう。その隙に殺してしまえばよいと。

 十日後に欧と兵たちが言われたとおりの品を持っていくと、女たちは花の下に酒を置き、犬を放ち、麻を縒って紐を作った。欧たちは岩陰に隠れて見ていると、白衣をまとい美しいあごひげを垂らした男が、杖をつき女たちを従えて現れた。彼は辺りの臭いを嗅いで「犬臭いぞ」と言った。女たちは野生の犬が手に入ったのですと言い、白猿神は喜んで犬を捕らえ、引き裂いて喰った。それから女たちに勧められた酒を飲み、女たちに支えられながらフラフラと洞穴へ入って行った。

 やがて女が出てきて入るよう手招きしたので、欧と兵たちは武器を携えて洞穴に入った。白猿神は正体を現して、寝台に四肢を縛りつけられてもがいている。欧たちは斬りつけたが、その毛皮は鋼のようでまるで歯が立たなかった。しかしへその下を刺すと血が吹き出た。

「わしはお前にではなく、天に殺されたのだ。お前の妻はわしの子を産むだろうが、その子は偉大な君主に仕えて一族を繁栄させるだろう」

 白猿神はそう言い残して絶命した。

 女たちが言うには、白猿神は「山の神に訴えられた。わしはまもなく死刑になるだろう」とこぼしたことがあり、或いは「千年も子がなかったのに今になって出来たのは、わしの寿命が尽きるからだろう」と悲しげにしていたこともあったという。

 欧は洞穴の奥から様々な財宝を持ち出し、山を下りて、女たちをそれぞれの里に帰してやった。一年後に欧の妻は男児を産んだが、その容貌は白猿神に瓜二つであった。この子こそが、かの欧陽詢である。

 

※唐朝に仕えた文官、欧陽詢が非常に聡明だったことを憎んだ誰かが、彼の容姿が猿のように醜いのをあてこすって、彼が猿の妖怪の子だという小説を書いたものらしい。恐らく物語の原型自体は既にあって、そこに実在の人物の名をあてはめたのだろう。「補江総」とは「江総さんの書いた話に書き足したもの」という意味だが、江総の書いた『白猿伝』が存在しているわけではない。江総は父を誅殺された欧陽詢を匿い育てた養父の名で、勝手にそのような題を付けたということのようだ。『太平広記』には『欧陽コツ[糸乞]』のタイトルで収録されていた。

 空飛ぶ怪物の風にさらわれた王女の刺繍の靴が雲の間から落ち、それを拾った若者が王女を救う冒険をする物語は、中国の[救い出された三人の王女](竜退治/甲賀三郎)譚でよく見られるモチーフである。若者は怪物を倒して地下に囚われていた王女を救うが、仲間に裏切られて王女を奪われ、地の底に落とされる。しかし新たな助けを得て脱出、裏切り者を退けて王女を取り戻す。

 竹藪の奥、険しい山の中、周囲を水に囲まれた島のような山、水の向こう。そこにある広々とした美しい庭園、洞穴。これらは全て「冥界」の表象である。この物語の根底にあるのは、冥界に下って妻を連れ戻すイメージだ。

参考 -->「酒呑童子

猿神退治]や「藤袋の草子」では犬は猿神の天敵として活躍しているのに、こちらでは(いわば欧たちの身代わりとして)まっ先に食い殺されている。

 この小説は『酒呑童子』に何らかの影響を与えているとされる。また白猿神というキャラクターは『西遊記』の孫悟空や『ラーマヤーナ』のハヌマーンに影響を与えたなどと言う説もあるようだが、とりあえず、それらの猿神たちには「人間の女をさらって妻にし、子を産ませる」という特質は受け継がれてはいないようだ。

 

 猿が人間の女をさらう…好色であるというイメージは日本にも定着しており、好色な年配男性をさす「狒々じじい」なる言葉も存在する。




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