>>参考 【塩のように大事】[炭焼長者:初婚型][炭焼長者:再婚型][竈神の縁起][男女の福分
     「生まれつきの運

 

轆角荘の由来  中国 ペー

 大理府城(雲南省)から南へ二十里のところに轆角荘と呼ばれる村がある。その名前に関する由来は、こうである。

 南詔国時代、国王の閣邏鳳は娘のために婿探しをしようとしていた。それを知った娘はこう言った。

「私は天婚(天の定めた結婚)をいたします。水牛の背に後ろ向きに乗り、その歩みに任せて、立ち止まったところの嫁になります。相手がどんなに貧しかろうが卑しかろうが、いっこうに構いませんわ」

 父王は仕方なく娘の言うがままにした。娘は水牛に乗って城を後にし、やがてある村の狭い路地に入っていった。水牛がその大きな角を横にし、首を回しながら進んでいくと、一軒の家に着いた。娘はそこに老女を見つけて訊ねた。

「この家に息子さんはいらっしゃいませんか?」

「一人おりますが、ただ今、木を伐りに出かけていておりません」

 それを聞くと、娘はすぐに老女に丁寧なお辞儀をして、「お母様、私をこの家の嫁にしてください」と頼み込んだ。老女が承知したので、娘は人を使ってこのことを父王に報せたが、父王はそんな卑しい樵夫きこりを婿と認めるわけにはいかないと烈火のごとく怒り、とうとう父娘の縁を切った。

 さて、娘は樵夫と結婚したが、ある日、夫が「その首飾りは何で出来ているのか?」と訊ねた。

「黄金という高価なものです」

「わしが木を伐る森にはそれが山ほどあるよ」

 夫はそう言って森へ行き、本当に黄金を沢山背負ってきた。おかげで、夫婦は大金持ちになった。

 その後、娘宅での宴会に招待された父王は、婿が大金持ちになったのを知らなかったので、

「金の橋・銀の橋を架けて迎えるというなら、行かんでもない」と返事をした。娘は本当に金と銀の橋を架けて迎えた。事の次第を知った父王は

「これぞまさしく天婚というものか」と感心した。

 やがて樵夫夫婦の住んでいる村を、《轆角荘角まわしの里》と呼ぶようになった。それは水牛が角を轆轤ろくろのように回しながら狭い路地を通ったことに由来するのである。



参考文献
『中国の神話伝説』 伊藤清司著 東方書店 1996.
『決定版世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.

※明の楊慎撰の『南詔野史』巻下より。

 貧しい男と結婚した娘が家に招待しようとすると、父親は「金の橋・銀の橋を架けて迎えるというなら、行かんでもない」と言う。類似モチーフは「タムとカム」にも見えるし、やや変形するが、以下のような西欧の民話でも見受けられる。獣または貧しい男が王女を妻に欲しいと申し出る。王は「一晩で宮殿を建てられたなら娘をやろう」などと無理難題を言うが、獣または貧しい男は魔力を持っていて、本当にそれを成し遂げてしまう。最終的に、(獣の皮を脱いで美しく変身した)男は王女を妻にして幸福に暮らす。

 このモチーフは日本に伝わる類話には基本的に見えないが、鹿児島県沖永良部島の伝承に近いものがある。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-)

 あーがりという漁夫がいた。あるとき、立派な娘が女房にしてくれと押しかけて来た。最初は怒って断ったが、娘が訳を話して熱心に頼みこんだので夫婦になり、やがて子供も生まれた。それで女房は先祖参りに実家に帰ったが、父は怒って会わない。母が憐れんで土産に菓子の入った重箱を渡し、中にそっと小判を入れてくれていた。ところがあーがりはそれをつまらない石ころだと思って庭に捨てる。そして、こんなものなら俺がいつも行く蛸の家に沢山あると言うのだった。

 こうして、あーがりが黄金を取って来たので一家は裕福になったが、不思議なことに、子供を連れて行った時にしか黄金は現れなかった。これを女房に話すと、あなたの黄金の位を子が継いだのですよと言った。

 夫婦は金の柱金の門の家を建てて女房の両親を招いたが、父は娘が金持ちになったことを知る前に死んでしまった。


参考 --> 「竜宮の宝

 また、高知県の「炭焼き又十郎」にて、掘り出した黄金を娘の実家に送り届けたと語られているのも、その片鱗であるように思われる。

 

 日本では全く見られないが、中国や朝鮮地域の【炭焼長者】譚は、発端が《三姉妹の末娘が父の怒りを買って追い出される》パターンであることが多い。この発端は【塩のように大事】と同じで、【手無し娘】や[火焚き娘]とも近い。[炭焼長者:再婚型]の前夫の位置に父親が据えられている。

轆角庄  中国 雲南省大理州[シ耳]源 白族

 白王の年少の王女は、日頃から牛を可愛がっていた。父王が彼女の婿探しを始めたとき、王女が「私を乗せて、どこかよい嫁入り先に連れて行って」と話しかけると、牛はこっくりと領いた。王女は結婚は天婚(天が定めた結婚)であるべきだと父王を説得し、父王も仕方なく承諾した。王女を乗せた牛は轆角庄という集落に入り、萱葺き屋根の小屋の前に止まった。ここには病床に臥す母親がおり、待っていると山から柴刈りの息子が帰って来た。王女は彼と結婚した。

 王女は自分の黄金の腕輪を外して夫に渡し、銀貨と交換して母の薬を買うように言った。初めて黄金の値打ちを知った柴刈りは、こんなものなら柴を刈る山に幾らでもあると漏らす。

 柴刈り夫婦は大金持ちになり、白王は柴刈りを正式に王女の婿と認めた。


参考文献
『雲南民族文学資料第十集 白族民間故事集(二)』 中国作家協会昆明分会民間文学工作部編 1963.
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

夫を探す王女  中国 雲南省怒江自治州福貢県臘吐底村 リス族

 昔、娘を持つ王がいた。やがて王女は年頃になったが、どんな婿候補を用意しても気に入らない。腹を立てた王は、僅かの金子を持たせて老いぼれた黄牛あめうし(赤牛)に乗せ、国外に追放した。

 牛は、王女を一軒の藁ぶきの小屋の前まで運んだ。ここには、山で柴を刈って暮らす男が老いた母と二人で住んでいた。王女はこの家の嫁になった。

 祝言のあくる朝、王女は夫に金子を持たせ、市場に買い物にやらせた。夫は沢山の食糧や衣料を背負って帰って来て、金子と言うものの価値を初めて知った、あれと同じものなら柴を刈る谷に山ほどあると言った。

 こうして柴刈り夫婦は巨万の富を手に入れ、王宮にも勝る立派な御殿を建てた。国王はそれを望見し、羨望と羞恥のために川に飛び込んで死んだ。柴刈り夫婦は国王と王后におさまった。


参考文献
「公主尋夫」/『山茶』1988年第三期 異瀾木語り
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

三姑娘  中国 雲南省怒江自治州 怒族

 富豪の父親が三人の娘たちに「よい暮らしのできるのは誰のおかげか」と問う。上の娘たちは「父母のおかげです」と答えたが、末娘は「私の汗のおかげです」と答えた。また、どんな家に嫁ぎたいか尋ねると、上の娘は金持ちの家、中の娘は山持ちの土豪と答えたのに対し、末娘は勤勉で善良な貧乏人に嫁ぎたいと答えた。激昂した父親は末娘を勘当し、片目の痩せ馬に乗せて追い出した。

 馬は山麓の家の前まで来て停まった。そこには寡婦とその息子の樵が住んでおり、末娘は彼と夫婦になった。その後、樵が妻を乗せてきた馬を曳いて草刈りに出かけると、蹄でしきりに土を掻いている。怪しんで樵がそこを掘ってみたところ、金銀貨幣がどっさり出てきて大金持ちになった。それを知った両親は、自身を恥じて死んだ。


参考文献
『山茶』1980年第三期 胡利伯語り
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

※「ここ掘れワンワン」ならぬ「ここ掘れヒンヒン」?

参考 --> 「楊梅樹の話

十番目の娘

 金持ちの男が九人の息子と一人の娘を持っていた。あるとき、父親は「お前たちが安楽に暮らしてきたのは誰のおかげか」と子供たちに問うた。九人の息子は「父のおかげです」と答えたが、末娘だけはそう言わない。激怒した父は娘を追い出すことにした。

 娘は、母がそっと渡してくれた銀貨三枚を持ち、使用人が厩舎から曳き出した白馬に後ろ向きに乗って、「馬の行き着いた所が嫁ぎ先」と唱えてから我が家を後にした。

 馬は娘を乗せて進み、藁で草鞋を編んでいる老婆の座る洞穴の前で止まった。洞穴に入れてもらって待っていると、日が暮れてから老婆の息子の柴刈り男が帰ってきたので、女房になった。

 祝言を挙げた翌朝、娘は夫に銀貨を渡して買い物に行くように頼む。けれども、柴刈りは途中で野雉を見つけ、銀貨を石の代わりに投げつけて失ってしまった。だがその失敗が一転して銀鉱を発見し、夫婦は大金持ちになった。それを知った父親は妬みと驚きのあまり死んだ。


参考文献
「十娘」/『山茶』1991年第一期 阿澤採録
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007

 

 上記の例話では運命の夫は樵だが、異伝によっては炭焼きになっていて、より日本の[炭焼長者]に近い。

轆角荘 中国 雲南省大理州[シ耳]源 白族

 王に二人の娘と一人の息子があり、王が子供たちに「お前たちの幸せは誰に授かったのか」と訊いたところ、姉と兄は「父王からです」と答えたのに、末娘の白娃ペーワは「自分の幸せは自分で探します」と答えて、水牛に乗って出奔した。

 水牛は張保君チャン・バオチュンという貧しい炭焼きの青年と盲目の老母の家にたどり着き、白娃はそこの押しかけ女房になった。夫婦は父王に挨拶に行ったが、怒った父王は「お前たちの家から城まで、道に銀を敷き詰め、金の橋を架けるまでは来るな」と追い返した。

 夫婦はせっせと働いたが、生活は苦しく、食うにも事欠く有様だった。ある日、白娃は手持ちの三枚の銀子を夫に渡し、米を買ってくるように言った。しかし張は、乞食を襲おうとしていた赤犬と、田の稲穂をついばんでいた雀と、畑のトウモロコシを盗み食いしていた馬を追い払うために三枚の銀子を投げつけてしまい、手ぶらで戻ってくる。白娃は何も言わなかったが、一家の暮らしはますます貧しくなった。

 そんなある日、老母が病気で倒れる。白娃は持っていた最後の金子を出して薬を買ってくるようにと張に渡すが、張は金子を見て「こんなものは炭焼き場にいくらでもある」と言い、それ以降、山から毎日金を運んで裕福になる。

 家の周りに金が山と積まれると、夫婦は道に銀を敷き詰め金で橋を架けて、父王を迎えに行く。父王は「白娃は大変な幸せを授かっていたのだな」と感心した。

 朝鮮地域にも運命の夫を炭焼きとする類話はある。

韓国

 父が三人の娘に「お前たちが育ったのは誰のおかげか」と尋ねると、上の娘二人は「お父様のおかげです」と答えるが末娘だけは「自分のおかげです」と答え、怒った父に家を追い出される。

 さまよう末娘は炭焼きと出会い、彼の嫁になる。ある日、炭焼き窯に行くと窯が黄金で出来ている。彼女はそれを夫に知らせて売らせ、二人は大金持ちになる。

 一方、父は財産を二人の娘に分け与えたが、彼女たちは父を虐待し、ついに父は乞食になってさまよう。そうと知らずに末娘の家に物乞いに来て、末娘は厚くもてなす。


参考文献
『韓国民譚』 任東権著 瑞文堂 1972.
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

 

 牛に後ろ向きに乗って運命の夫捜しに出発するモチーフに関しては、<炭焼き長者のあれこれ〜走馬定婚>にて。



参考 --> 「生まれつきの運



薯童ソドン伝説  朝鮮 『三国遺事』巻二 紀異・武王条

 都の南の池のほとりに住む寡婦が龍と交わって男児を産んだ。この子はチャンと言い、幼少の頃から人より美しく、薯蕷(山芋)を掘って売ることを生業としたので、薯童ソドンと呼ばれた。

 薯童は新羅の真平王の三人娘の末・善化ソンファ(善花)公主が美人の誉れが高いと聞き、都に上ると山芋を振舞って辺りの童子たちを買収し、童謡を歌わせた。

善化公主はこっそりと

お嫁になっておいでだよ

薯童の部屋で

夜に抱き合っておいでだよ

 この薯童謡ソドンヨは都中に流行し、ついには国王の耳に達して、公主は父の怒りを買って王宮を追われた。薯童は公主を道で待ち伏せし、あなたを百済に連れて行きたいと誘いをかけた。公主は彼が誰なのか知らなかったが喜んで従い、夫婦になった。そこで彼こそが薯童であると知り、童謡の霊験は真実であったと感嘆した。

 二人は百済の地に着き、夫婦生活を始めることにした。公主は別れしなに母から貰った純金一斗を取り出し、それを生活費に当てようとしたが、それを見た薯童が「それは何だ」と笑う。「これは金という貴いもので、これだけで百年間豊かに暮らせます」と公主が言うと、彼はこのように言った。

「それと同じものなら、私が山芋を掘ったところに沢山捨ててあるぞ」

 公主は驚き、薯童と共にそれを掘り出してきて、これを新羅の両親の王宮に移してはどうかと言った。薯童は運搬法を龍華山師子寺の知命法師に相談し、法師は法力で、黄金を一夜にして新羅の真平王の元に贈った。王はこれを見て感心し、娘婿の薯童を認めた。

 こうして人心を得、王となった彼こそが百済の武王である。その後、薯童夫婦が師子寺を訪れると、龍華山の麓の池の中から弥勒三尊が現れたので、王妃の願いにより、真平王の協力を得てそこに伽藍を建てた。これが後の弥勒寺である。



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

※朝鮮地域の[芋掘長者]。この伝説は韓国ではよく知られている。

 薯童は現代韓国では《ソドン》と読むようだが、研究本の類には《マドン》または《マトン》と読むと解説されてある。

 

 薯童は掘り出した黄金を一夜で妻の父に届け、婿として認められる。これは「轆角荘の由来」にあるような、妻の父に「金の橋を架けたらお前たち夫婦を認めてやらんでもない」と言われて本当に橋を架けるエピソードと対応していると思われる。日本高知県の「炭焼き又十郎」にて、掘り出した黄金を炭俵に詰めて娘の実家に送り届けたと語られているのも、同じモチーフであるように思われる。

 

 薯童が姦計で妻を得るくだりは、[一寸法師]や[たにし息子]が、寝ている長者の娘の口に食物の屑を塗り、自分の食料を盗み食いされたと嘘の訴えをして長者を怒らせ、「こんな娘は出て行け」と縁を切らせて、追い出された娘をまんまと妻にするエピソードを思い出させる。

 また、最初に歌が流行り、後にその歌の通りに結婚が行われる点は、『日本霊異記』にある「菴知の万の子」を思い出させる。

 

三公本解  韓国 済州島

 乞食の男女が結婚し、三人の娘を持った。三人目の娘が産まれてから不思議と運が向いて、一家は裕福になった。

 ある日のこと、両親は娘たちに尋ねた。「お前たちは誰の徳によって暮らしていけるのかね?」

 長女は答えた。「もちろん、お父様とお母様のおかげですわ」
 次女も答えた。「両親です」

 ところが、三女のカムンヂャンアギだけは「私の徳によってです」と答えた。両親は怒って「不孝者め!」と罵り、牝牛と下女と旅に必要なものだけ与えてカムンヂャンアギを家から追い出すことにした。とはいえ後悔もしたのだが、上の二人の姉たちはそれを妹には伝えずに追い出した。

 するとカムンヂャンアギは道術を用い、姉たちをムカデと馬糞茸に変え、両親を盲目にしてしまった。

 牝牛に乗って家を出たカムンヂャンアギは、さまよううちに山奥の小屋にたどり着き、そこに泊まった。その小屋には老いた両親と三人の兄弟が住んでいて、末の弟がカムンヂャンアギに色々と親切にしてくれたので、彼女は彼が気に入った。

 やがて三人兄弟は山芋を掘りに出かけた。カムンヂャンアギが兄弟たちの掘った穴を覗いてみると、末の弟が掘った穴の中がキラキラと光っている。穴の中には沢山の砂金があった。カムンヂャンアギは末の弟にそれを知らせ、取って売りにやらせたので、たちまち金持ちになった。カムンヂャンアギと末の弟は結婚し、幸せに暮らした。

 後に、カムンチャンアギは百日乞食宴会(貧しい人に食べ物を分け与える施業)を行った。すると元の通りの乞食に戻った盲目の両親が、娘の家とは知らずにやってきた。実は乞食宴会は零落した両親を探すためのカムンチャンアギの作戦だった。彼女は両親に、私が黄金を得たことも、全て前世からの縁による福徳なのですと説明し、それ以降は両親を保護して孝養を尽くしたという。


参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.
韓国「炭焼長者」譚の分析と比較」 朴 福美著/『高崎経済大学論集 第46巻 第1号』 高崎経済大学 2003.

※『三公本解』は済州島に伝わる巫女の物語歌、巫歌ムーガ

 この話では、三女のカムンヂャンアギが元々福運の持ち主で、彼女を産んでから両親は繁栄し、彼女を追い出したために再び零落したことになっている。

各人各福  中国 斬江省新市

 ある役人が娘を三人持っており、上の二人は既に嫁いでいた。役人は自分の誕生祝いの席で、上機嫌で娘たちに尋ねた。

「お前たちは、誰のおかげで気楽に暮らして来られたのかね」

 上の二人の娘は「両親のおかげです」と答えた。ところが末娘は反発心が強く、「人それぞれの福運のおかげです」と言って、強情にも撤回しなかった。ちょうどその時、皮膚病の乞食が表を通りかかった。腹の虫のおさまらない役人は、「人それぞれの福運とやらを試しに、あの乞食について行け」と命じた。

 末娘は乞食のあとに従い、彼が母親と一緒に暮らしているぼろ船に着き、女房になった。やがて彼女は船の底から烏金(貨幣の一種)を見つけ、それを元手に米屋を開くと大いに繁盛した。実家の方は末娘が出ていくと衰退し、父親も左遷の憂き目に遭って、娘の米屋とは知らずに、米をやっと一升だけ買いに来た。

 末娘は元々、財福星の顕現だったのだと言う。


参考文献
『独脚孫子』 何公超記録、林蘭編 東方文化書局 1971.
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007

 福運の女を追い出したために零落するというモチーフは、[男女の福分]など、この系統の話群にはよく現れてくる。



参考 --> 「芋掘り籐五郎」「芋掘り籐兵衛



月の中の天丹樹の話  中国 広西チワン族自治区 桂平県

 ある所に石崇シーチョンという大金持ちがいたが、心根は非常に悪い男であった。事あるごとに威厳を示そうとし、ある年の正月には、自分で書いた対聯ついれん(めでたい対句を二枚に書き分けて門や神棚や壁面に貼って飾るもの)を門の外に貼り出した。

『天下有富不有貧』『世間由我不由人』
(『天下には富者がおり、貧者はいない』『この世は自分次第で、他人には左右されない』)

 貧しい者たちも口をつぐんで文句を言わなかったので、石崇はますます意気盛んとなった。ところが、石崇の十人の娘の一番下、父に似ず気立てのよい阿香アーシァンは、この対聯を見るたびに気まずく恥ずかしい思いをし、こっそりと一字ずつ書き改めておいた。

『天下有富亦有貧』『世間由命不由人』
(『天下には富者がおり、貧者もいる』『この世は天運次第で、他人には左右されない』)

 書き直された対聯に気付いて腹を立てた石崇は犯人探しを始めた。阿香は自ら駆けつけて自分がやったと明かし、天下に生きる者は金持ちでも貧乏人でも幸せになるべきだし、この世の一切を人間の力だけで支配出来はしないと言った。石崇は娘の両頬に激しくびんたを食らわせ、「それなら、お前が持つ生まれつきの天運に従ってやってみるがいい!」と怒鳴りつけた。

 石崇は阿香をとびきり貧しい男と結婚させてやろうと考えた。ある日、ぼろぼろの服を着た男が物乞いにやってきた。石崇は尋ねた。

「毎日物乞いして歩けば、ひもじい思いをせずに済むのか」

「私だけならともかく、老いた母を養うまでは、なかなかいきません」

 その答えを聞いて、この男は自分一人の飢えをしのぐくらいはできるのだから、それほどの貧乏人とは言えないと石崇は思った。

 またある日のこと、馬糞や牛糞を拾い集めて暮らす若者が家の傍を通りかかった。石崇は呼び止めて尋ねた。

「毎日、日暮れまで糞を拾い集めて回れば、食べるだけの米を買えるほどもうかるのか」

「まあ、親父に煙草代を出してやれるくらいの余裕はあります」

 その答えを聞いて、これも貧乏人とは言えない、と石崇は思った。

 またある日のこと、薪売りの朋居ポンチュという男が担いだ薪を売りにきた。今度も石崇は尋ねた。

「毎日薪を売り歩いた金で、お前一人なら暮らしていけるのか」

「一日に一度お粥が食べられるくらいで、薪を伐る鉈も買えません。毎日、山で薪を取るのを素手でやっているので、手をすっかり傷めてしまい、一日で取れる薪も少なくなりました。こんな具合では何日かのうちに飢え死にするかもしれません」

 この悲惨な話を聞くと、この男が天下で一番の貧乏人だろうと石崇は認めた。そこで「かみさんはいるのかね」と尋ねれば「いません」と言う。これを聞くと、石崇は娘の阿香を指して言った。

「それでは、この娘を連れて行ってお前のかみさんにしてくれ」

「からかわないでください。こちらはお屋敷のお嬢様、私は食うにも事欠く貧乏人。かみさんにするなんて、とんでもありません」

「この娘が言うには、この世は天運によって動かされ、人には左右されないそうだ。お前と結婚するのもこの娘の天運。断る道理はない!」

 石崇はすぐに阿香を家から追い出し、朋居に付いて行くよう命じた。阿香は悲しんだが仕方なかった。別れの際、娘を可哀想に思った母親は、密かにちまきの中に金塊を忍ばせて持たせてやった。

 朋居と阿香は連れ立って歩きだし、川の傍、大きな橋のたもとの木陰で一休みした。

「俺は腹が減ったな。さっきあんたのおっかさんが、美味しそうなちまきをくれたようだけど」

 朋居がそう言うので阿香はちまきを一つ渡した。受け取ったちまきを包む葉を開くと石ころが一つ入っている。朋居は何の気なしにそれを川に投げ捨てた。それを見た阿香は驚き、涙声で叫んだ。

「まあ! あれは金の塊なのよ。それを川に捨てるなんて」

「ああいうものなら、俺が毎日薪を取りに行く山にいくらでもあるよ。欲しいんなら、山へ行った時に何十でも何百でも取って来てやるさ」

 それを聞いて阿香はすっかり嬉しくなった。

 朋居の家に落ち着いた翌日の朝、夫が山へ出かけるときに阿香は一緒に付いていこうとした。しかし朋居は阿香が纏足をしているのを見て山道を歩くのは無理だと思い、連れて行ってくれなかった。そこで阿香は一計を案じ、次に朋居が山へ行くときに、殻付き落花生を一袋とサトウキビ一本を持たせ、山道を行きながら食べるようにと言った。そして食べかすを目印にして夫の後を追ったのである。

 山奥に唐突に現れた妻を見て朋居は驚いたが、阿香は構わずに金塊はどこにあるのと尋ねた。朋居は急かしてくる彼女を山の中腹の窪地に案内した。そこには本当に、金塊が山のようにあった。

「これで私たちは大金持ちになれるのよ。もう薪を売って暮らさなくてもいいわ」

「飢え死にしなくて済むのは嬉しいな。しかも大金持ちになれるなんて」

 二人はあれこれ話しあって、金塊の一部を家に持ち帰った。こうして二人の暮らしは豊かになり、早く大きな家を建てたいと思ったが、どんな家にすればいいのか決めかねる。そこで阿香の実家の間取りを参考にすることにした。ある朝、朋居は普段着のままで石崇の家を訪ね、「お宅の間取りを参考に家を建てたいので、図面を描いていただけませんか」と切り出した。

 石崇は貧乏人が馬鹿なことを言うと思い、「今晩の飯の算段をつけるだけで精一杯の奴が、家を建てるだと? 夢でも見ているのか」と嘲笑った。それでも朋居が丁寧な態度で頼み続けるので図面を描いてやったがそれは(庭に独立して建っている)便所の図面であった。帰って来た夫から図面を受け取った阿香はこれに気付き、貧乏人が突然家を建てると言っても信じてもらえないんだ、と思い知らされた。

 次の日に阿香は自分で実家を訪ね、今度こそ本当の図面を描いてもらうと、それを参考にもっと大きな家を建てた。内装品も整ったが、門だけはどうするか決まらない。そのうちに阿香は、金塊のあった山の上に、両開きの門になるような大きな岩があったことを思い出した。沢山の人夫を雇って運んできてみると、丁度いい具合である。しかも、この門を取り付けてから、山の上に残っていた金塊が独りでに集まって来て、家に溢れるようになった。これは、門にした岩が金塊の生みの母だったからである。

 それからというもの、二人は石崇の何倍か分からないほどの大金持ちになり、その土地でも有名になった。人の中には「石崇の富は天下に知られているが、それでも朋居の門の片方にも及ばない」と言う者さえいた。

 石崇は、朋居を殺害して財産を奪い取ることを目論んだ。

 ある日のこと、朋居がいつもの山道を歩いていて、疲れて木の根元に座って休んだところ、木陰に石崇が待ち伏せていて、手にした鋭い剣で朋居を刺して逃げ去った。朋居が連れていた愛犬は主人がぐったりしたのを見ると家に駆け戻り、阿香の前で悲しげに吠えた。阿香は夫に何かが起こったと悟り、犬の後に付いて走った。木の所に辿り着くと、夫が誰かに刺されて死んでいた。

 阿香が夫の亡骸にすがりついて泣いていると、小さなネズミが現れて阿香の足の指に噛みついた。驚いて、思わず阿香はネズミを踏み殺してしまった。すると少し経って、木のほらから大きなネズミが出てきて、その木の根元から皮を少し齧り取り、死んだ小ネズミの上に被せた。驚いたことに、小さなネズミは幾らも経たないうちに生き返った。

 これを見た阿香は、自分も木の根元の皮を口に入れて少し噛み、夫の傷口に塗りつけた。たちまち朋居は甦った。この木は死者の命を取り戻させる薬の木、天丹樹だったのだ。

 朋居は甦ったが、誰に刺されたのかは分からなかった。けれども、阿香が夫の無事を知らせに実家へ行くと、石崇はひどく落胆している様子であった。

 石崇はまだ朋居殺害を諦めていなかったが、天丹樹があってはどうにも果たせない。まずはこの木を枯らしてしまおうと考え、よく切れる斧を持って山へ出かけて行った。ところが、一日中切っても切り倒すところまでいかないし、翌日になると傷が消えて元通りになっている。

 とうとう石崇は我慢ならなくなり、夜も山に居残って、木の幹の傷口の中に挟まって眠ることで傷が元に戻るのを防ごうとした。ところが、翌朝に石崇が目を覚ますと、彼は木の幹の中に取り込まれて一体化してしまっており、永久にそのままになった。これは天の神が下した見せしめの罰であったと言う。

 月の中には黒い影が見えるが、それは天丹樹と、その根元に横たわった石崇の姿である。



参考文献
「生まれつきの運」/『中国民話集』 飯倉照平編訳 岩波文庫 1993.

※結末が月の桂の樹の話になっている珍しいタイプ。

 傲慢な父親を諌めた娘が最も貧しい男に嫁がされるモチーフは中国の類話ではよく見るものだが、日本でも沖縄県の類話に見られる。

竜宮の宝  日本 沖縄県 粟国島 島尻郡粟国あぐに

 昔、非常に傲慢な富豪がいた。村の人々や使用人たちを馬鹿にして、まるで牛馬のように考えているのだった。けれどもその娘は心優しく、父の所業にいつも胸を痛めていた。そしてある日、父が貧乏人をあまりに嘲り罵るのを聞いて、ついにたまりかねて諫言した。

「お父さん。金持ちと貧乏は、坂道を下がり上がりするように、天の定めによって変わるものだと言われていますよ」

 それを聞いた父は激怒し、「そんなに貧乏が好きなら、村一番の貧乏人に嫁ぐがいい!」と言って、下男たちに村一番の貧乏人を探してくるよう言いつけた。

 下男たちはあちこち探し回ってやっと貧乏人を見つけ出し、主人に報告した。

「ご主人様、とても貧乏な者を見つけました」
「そうか。それでその男の暮らしぶりはどんなものだ」
「食べ物は普通で、鍋や茶碗も少しはありました」
「馬鹿者め! その程度では貧乏人のうちには入らない。もっと貧乏な男を探してこい!」

 下男たちは再び探しに行き、海辺まで行って、一人で釣りをしている貧しい男を見つけ、急いで主人に報告に戻った。

「ご主人様、今度こそ貧乏な者を見つけました」
「そうか。それでその男の暮らしぶりはどんなものだ」
「家が無く、海岸の洞穴で暮らしています。鍋も皿も無く、貝殻を代わりにして、釣った小さな魚を食べて生きているのです」
「それはいい。娘をその男にくれてやろう」

 父は娘を呼ぶと、「お前が好きな貧乏人がいたから、そこに嫁ぎなさい」と言って家から追い出してしまった。

 行くあてのない娘は仕方なく海岸へ行き、洞穴で暮らしている男を訪ねて「どうか私を嫁にしてください」と頼みこんだ。男は驚いて言った。

「とんでもない。私一人が食べるものを見つけるのが精いっぱいなのに、どうしてあなたを養えるでしょうか」
「そんな心配はいりません。私の父が、どうしても貴方の嫁になるようにと、私を家から追い出したのです」

 男は承知して、二人は夫婦になった。最初のうち、男は朝早く漁に出て、娘は野原の野草を摘んで、なんとか食べていたが、そのうちに食べるものがなくなった。そこで娘は男に言った。

「私の家へ行って、父に見つからないように母に会ってきてください。あなたの顔を見れば、母はきっと何かを持たせてくれるはずです」

 男が言われたとおりに娘の家を訪ねると、娘を心配していた母が、父に内緒で沢山の黄金を持たせてくれた。

 ところが、男は生まれてから一度も黄金というものを見たことがなかったので、「どうしてこんなに重たい石ころを私に持たせたのだろう」と思っていた。そして帰る途中で田んぼにいる白鷺を見つけると、「これを獲って今夜の食べ物にしよう」と考え、姑からもらった黄金を白鷺に投げつけた。けれども白鷺には当たらず、黄金は全て田んぼに投げ捨てられてしまった。

 男が手ぶらで帰ってきたので、娘は「母はあなたに何も持たせなかったのですか?」と尋ねた。すると男は言った。

「あなたの母親は私に黄色い重たい石ばかり持たせたが、帰る途中で白鷺を見つけたので、それを獲りたくて全部田んぼに投げ捨ててしまったよ」
「ええっ! それは黄金といって大切な宝物なんですよ」

 娘が呆れ果てていると、男はこう言った。

「あれが黄金というものなら、私が行く海に沢山ありますよ」

 娘が「それなら、すぐにその黄金を取って来てください」と言うので男は出かけたが、取ろうとすると海の中から神様の恐ろしい声が轟き渡った。

竜宮の黄金を取ろうとする者は誰だ! この宝は、天の決めた人間が天の定めた日にしか取れないものだ

 男は恐れおののいて、黄金を取れないで家に帰った。

 それからも貧しい暮らしは続いたが、娘の母に助けられながら細々と暮らし、そのうちに男の子が生まれた。

 そんなある日、娘が男に言った。

「今なら海の中の黄金を取ることが出来ますよ。すぐに海に行って黄金を取ってきてください」

 行ってみると潮が引いていて、海の底の山のような黄金を全て拾うことができた。

 夫婦はその黄金で家を買うことにした。男が家を探し回っていると、ある立派な家の主人がみすぼらしい男の様子を見てからかってやろうと思い、「この家を買いたいなら売ってもいいよ。だが、お金はあるのだろうね」と持ちかけた。男は喜んで、契約の印に一筆もらい、その日は帰った。翌日になると、男が立派な服を着て本当にお金を持ってきたので、家の主人は仕方なく家を売ることになってしまった。

 夫婦はその家で楽しく暮らした。すると、いつのまにか娘の実家が貧乏になり、毎日の食べ物にも困るようになったので、心の優しい娘は両親を呼び寄せて孝養を尽くしたということだ。

 そんな次第で、「金はいつまでもあると思うな」と戒められている。


参考文献
竜宮の宝」 遠藤庄治記録/『沖縄人』(Web)

※娘の兄姉について触れられていない点のみは異なるものの、傲慢な父親が娘の諫言に怒って家から追い出し、一番の貧乏人と結婚させる…というくだりは、「月の中の天丹樹の話」や「各人各福」などのような中国の類話と全く同じである。

 しかしこの話は、熊本県の「米原長者」や「疋野長者」との関連が見えて興味深い。《田んぼの白鷺に黄金を投げつける》のは「疋野長者」と同じだし、《洞穴に住んで小魚を獲って生きている極貧生活》は、熊本県山鹿市の「米原長者」の類話(「米原長者どんの話」 寺田一郎著/『三玉小学校PTAホームページ』(Web))で、熊本の金持ち娘の運命の結婚相手たる《たにしの清六》が、洞穴に住んでたにしを獲って食べ、ドジョウを獲って町で売る極貧暮らしだった点と非常によく似ている。

 なお、この話に見える《海の中に黄金がある》《その黄金を得る福運は夫婦の間に生まれた息子にある》というモチーフは、鹿児島県沖永良部島の類話にもある。

 

 死者を蘇らせる霊草のモチーフは、『グリム童話』の「三枚の蛇の葉」(KHM16)が有名だろう。ギリシア神話にも類話がある。

ポリュエイドスと蛇の草  ギリシア

 クレタ島のミノス王の息子、幼いグラウコスが行方不明になり、王はその消息を神託に求めた。精霊クーレースたちが現れて、『お前たちに不思議なものが生まれるだろう。それを最も巧みに言い表せた者が王子を生きたまま返すだろう』と告げた。やがてミノス王の家畜の群れの中に牝牛が産まれたが、これは日に三度、白・赤・黒と体の色を変えるのであった。予言者たちを呼び集めて喩えさせたところ、ポリュエイドス(博識家の意)が、最初は白く、次に赤くなり、最後に黒く熟す黒イチゴに喩えてみせた。王は彼を選び、王子を探すことを強いた。ポリュエイドスはワインの酒庫でフクロウが蜜蜂を追っているのに気づき、蜜蜂を追って蜂蜜の大甕を見つけ、中で死んでいたグラウコスを発見して引き出した。王子は鼠を追ううちに(または、毬で遊ぶうちに)甕の中に落ちて溺死していたのである。

 だが、これを伝えられてもミノス王は納得しなかった。神託は王子を生きたまま返すと言ったのだから生き返らせよと言うのだ。ポリュエイドスは王子の死体と共に墓に閉じ込められ、絶望した。やがて一匹の蛇が現れて王子の死体に近付いたので、これを打ち殺したところ、もう一匹の蛇が現れ、草を持って来て死んだ蛇を覆った。すると死んだ蛇は生き返った。これを見たポリュエイドスは同じ草を王子の死体に当てて生き返らせた。

 ミノス王は更に、ポリュエイドスの持つ予言の術を全てグラウコスに伝授するよう強制した。仕方なくポリュエイドスは伝授したが、やっと許されてクレタ島を去る時、グラウコスに自分の口の中に唾を吐くように命じた。少年がそうすると、覚えたはずの知識を全て忘れてしまった。



参考 --> 「呉剛と木犀の木」「生まれつきの運」「天の犬が魔法の草を追う」「クオイとガジュマルの木」「不死草




inserted by FC2 system