>>参考 [炭焼長者:初婚型][炭焼長者:再婚型][炭焼長者:父娘葛藤型][男女の福分
     「モハメッドの花」「蛇の王冠」「如願

 

張郎チャンラン丁香ティンシァン  中国

 昔、張郎チャンランという貧しい男が母と暮らしていた。貧しいので二十五歳になっても嫁の来手もなかったが、母親が伝手をたどり、両親を亡くした十七歳になる丁香ティンシアンという娘が嫁いで来た。この嫁は働き者で気立てがよく老母にもよく仕え、財を増やす才覚もあったため、五年も経つと家はたいそう豊かになったが、そうすると張郎は怠け癖が出て、丁香にばかり働かせて遊び歩き、諌める丁香を殴りさえした。ついには李大紅・小紅(二紅)という美人姉妹に魅惑され、些細なことで丁香をなじり、ついには一方的に離縁状を叩きつけて家から追い出してしまった。丁香は荷車と牛と服二着だけを与えられ、山奥に行って小屋を建て、荒れ地を開墾した。

 張郎はさっそく李姉妹を家に入れ、二人の美しい妻と毎日遊んで暮らした。母は息子たちの放蕩ぶりに苛立ちながら死んだ。丁香が十年かかって作った家の財産は三年で食いつぶされ、貧乏になると、二人の妻は逃げて家から出て行った。張郎は博打に明け暮れて住む家も失い、ワラ小屋を作って住んだが、ある晩、火を点けたまま眠ってしまい、ボヤを出して火と煙で失明してしまった。二本の杖にすがってあちこちの家で残飯を貰う乞食になり果て、「野垂れ死んで犬に食われたなら、犬の腹が俺の棺桶だ」と嘆いた。

 それから数年が過ぎた。盲目の張郎は、ある日、ある家に物乞いに入った。優しい声の女の人がとても美味しい卵とじうどんをご馳走してくれた。食べていると中に四、五尺もある長い髪の毛が入っていて、その先に、歯ざわりからして黄金製らしいかんざしが結んであった。張郎は(うっかり落としたのだろう、しかし売ればいい金になる)と思ってこっそり手の中に隠した。食べ終わると女の人が言った。

「こんなうどんを前に食べたことがあるでしょう」「目が見えなくても声は聞けるのに、前の奥さんが判らないの?」

 ようやく、張郎はその女の人が前の妻の丁香であり、かんざしは故意の施しだと気付き、卵とじうどんは彼女の得意料理だったことを思い出した。張郎は恥じて走り出し、丁香の止めるのも聞かずに竈に飛び込んで出てこなくなり、そのまま焼け死んでしまった。

 後に丁香が老いて死ぬと、人々はこの夫婦の絵を竈の上に貼るようになった。丁香の勤勉さを学び、張郎の愚かさを真似ないようにするためだと言う。張郎は悔い改めたので竈の神となり、丁香はその妻になった。毎年十二月二十三日に竈神は天に昇り、その年の家庭の様子を報告する。人々はいい報告をしてもらおうと、『竈神、元の名は張、馬に跨がり籠提げて、竈を抜けて玉帝に会う。天に昇って祝いを述べ、下界の平安を守る』と歌いながら、絵の竈神の口に飴を塗りつける。

 満民族は祖先を祭るとき太平香を焚き、この《排張郎(張郎を排す)》という物語を語り、後世の戒めとする。



参考文献
「竈王爺的来歴」/『中国民間文学集成遼寧巻撫順市巻上』
かまど神の由来(二)」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

※[炭焼長者:再婚型]の結末が竈神の縁起譚になっているもの。

 以下に類話を列記する。

張郎と丁香  中国

 昔、張郎チャンラン丁香ティンシアンという幼馴染の男女が夫婦になった。ところが張郎は遊女の李海棠ハイタンに狂い、丁香に子供ができなかったのを口実にして、ついに丁香を追い出して遊女と再婚した。

 ところが、その家の財産はもともと丁香の持参金で、家を出るときその財産の銀を全て持っていってしまったので、張郎はたちまち貧乏になり、遊女にも見限られてしまった。丁香の方は持ち出した銀で山あいに家を買って安穏と暮らした。

 ある日、そうとは知らずに張郎が丁香の家に物乞いにやってきた。丁香は哀れんで暖かい汁蕎麦を振舞ったが、未だに気付かない張郎が「奥さんは本当にいい人だ、もう一杯恵んでくださいませんか」などと卑屈に言うのでカッとなり、「貴方の目は節穴なの、一度は妻だった私を奥さんだなんて呼んで!」と罵った。張郎はやっと気付いてひどく恥じ、竈の熱い灰の中に潜って身を隠そうとした。丁香は引きずり出そうとしたが張郎は潜るのをやめず、とうとう竈の残り火で焼け死んでしまった。

 丁香は哀れんで前の夫の葬式を出してやり、その姿を絵に描いて竈の側に貼って、竈に火を入れるたびに念仏を唱えた。やがてそれが周囲に広まり、張郎、丁香、李海棠などの姿を描いたお札が一般に竈神として祀られるようになったという。


参考文献
「竃王爺的来歴」/『四老人故事集』
かまど神の由来(一)」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

竈神の解説  中国

 富商の張万良は従兄弟の妻・王満香に心奪われ、妻の丁香を離縁して満香と再婚した。

 丁香は牛車に乗り、「どこへなりと連れて行っておくれ」と牛に言った。牛車はやがて一軒のあばら家の前に停まった。そこは范西郎という青年とその老母の家で、西郎は留守だった。留守番の老母は丁香を泊めることを断ったが、丁香が涙ながらに「牛が導いてくれたこの家に世話になりたい」と訴えたところ、涙で濡れた地面が光って金銀が出てきた。こうして丁香は范家の嫁になり、手に入れた金銀で立派な家に建て替えて豆腐屋を始め、繁盛した。

 一方、張は不注意の失火で屋敷が全焼、田畑を売って新築した家がまた焼けて、ついに乞食になった。そうと知らずに范家の門口に物乞いに立つと、丁香は哀れんで台所に招き入れ、麺料理をご馳走した。それは丁香の得意料理だったので、張は目の前にいるのが前の妻だと気付き、慚愧にたえずに竈の中に飛び込んだ。丁香は慌てて助けようとしたが及ばず、自らも焼け死んでしまった。

 こうして、張は[火土]王爺(かまど爺さん)、丁香は[火土][女乃][女乃](かまど婆さん)と呼ばれ、夫婦の竈神として祀られたと言う。


参考文献
「介紹唱[火土]」 楊紆如著/『曲芸芸術論叢』1981年2期 中国曲協研究部編 中国曲芸出版社
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.


参考 --> 「運気

張郎と丁香  中国 山東省

 ずっと昔、張という人並みの暮らしをしている家があり、老いた夫婦と息子の張郎チャンラン、その嫁の丁香ティンシアンの四人で仲睦まじく暮らしていた。

 ところが張郎は地道に畑仕事をしているのが嫌になり、都会に商売しに行ってひと山当てたいと言い出した。老夫婦と丁香は思いとどまらせようとしたが聞き入れず、とうとう出て行ってしまった。

 それからというもの、一家の暮らしは全て丁香の肩にかかり、雨の日も風の日も山畑で働いて老いた舅と姑を養わねばならなかった。そのようにして五年過ぎたが張郎からの音沙汰はなく、年寄り夫婦は息子を心配するあまり病気になり、手を尽くした甲斐もなく次々に亡くなってしまった。丁香は家の物を質に入れたりして葬式の費用を捻出し、暮らし向きはますます悪くなった。

 十数年が過ぎた。丁香はますます貧しい暮らしになっていたが、それでも夫を案じ、その帰りを待ち続けていた。時には夫が帰ってきた現実のような夢を見たこともあった。そんなある日、張郎が本当に帰って来た。彼は商売で成功して大金持ちになっていたのだ。丁香は大喜びで迎えて労ったが、張郎は丁香の顔をろくに見ようとせず、家の中と周りを一通り見て回ってから、理由も言わずに丁香に離縁状を突き付けた。彼女に譲られたのは、苦楽を共にしてきた老牛とぼろ車だけ。丁香は泣く泣く牛につないだ車に乗って出て行った。

 とは言え、今更実家へ出戻れるはずもない。行くあてなどなく、ならばと老牛に行く先を任せることにした。牛は何日も歩き続けた。丁香は牛に語りかけた。

「お前は私をどこへ連れて行くの? もしや新しい夫となる人の所へ連れて行ってくれるのかい。お金持ちの所へ連れて行ったりしたら、庖丁を研いでお前を殺してしまうよ。貧乏人の所へ連れて行ってくれたら、押し切りで藁を刻んでお前に食べさせるよ」

 すると牛は大きく頷いて、なおも丁香を連れて進んで行った。

 やがて牛車は大きな山に入り、日が暮れる頃に一軒家の前に止まった。「ここなの?」と尋ねると牛は頷く。「でも、知らない人の家に入るのは決まりが悪いわ」と戸惑っていると、牛は頭をあげてモーモーと鳴いた。その声を聞いて、門を開けて優しそうな老婆が出てきた。丁香が道に迷ったのですと言うと、老婆は中に招き入れてくれた。聞けば、彼女は息子と二人暮らしで、息子は三十近いのにまだ独身なのだと言う。

 日が完全に暮れると、山へ薪を取りに行っていた息子が帰って来た。彼が誠実そうなのを見て、丁香は自分の身の上をすっかり話した。老婆と息子は同情し、老婆は丁香の人柄が良いのを見て、引き取って息子の嫁にすることにした。

 

 一方、張郎の方は、丁香を追い出した翌日には、遠くから連れて来た芸者の海棠ハイタンを正式に妻に迎えていた。周囲の人々は彼のそのやり口が気に入らず、中にはこんな歌を作った者さえいた。

  張郎、張郎、根性腐り。表から丁香追い出して、裏から海棠引き入れた。義理を忘れたその身では、奢った暮らしもいつまでか

 果たして、海棠を迎えて一年も経たないうちに家が大家事に遭い、家財がまる焼けになっただけでなく、海棠までも焼け死んだ。張郎は燃え盛る火の中から命からがら逃げ出したものの、火にやられて両目が殆ど見えなくなってしまった。生きる手立てを失い、哀れ、張郎は乞食となって歩き回ることとなった。

 

 ある日のこと、丁香が庭先で藁を刻んで牛に食べさせていると、一人の乞食が門口に来ているのに気がついた。丁香は残り物のうどんをどんぶりに山盛りにして乞食に食べさせた。乞食はがっついて二、三口で食べてしまい、「奥さん、もう一杯いただけませんか」と頼んだ。もう一杯与えるとそれもすぐにすすり込み、また丁香に言った。

「奥さん、出来る事ならもう一杯いただけませんか。この山に入ってから道に迷い、二、三日も何も口にできなかったのです」

 ここに至って、丁香はこの乞食の口のきき方に覚えがあるような気がした。もしやと思ってよくよく見れば、紛れもなく張郎である。はらわたの煮えくりかえる思いがし、ひどくなじってやろうかと思ったが、落ちぶれた様子を見ると可哀想になってきて、そんな気も失せた。丁香はもう少し助けてやろうかと思い、おかわりのどんぶりの中に、頭にさしていたかんざし一本と蓮の葉の髪飾り一つを取って入れておいた。張郎は気付いて持って行って換金するだろうと思ったのだ。

 ところが、目のよく見えない張郎は、蓮の葉の髪飾りを見つけると、手でつまみ出して「豆の葉だな」と呟いて地面に投げ捨てた。次にかんざしを見つけると、これもつまみ出して「豆の根っこだな」と呟いて地面に投げ捨てた。この様子を見て、丁香は怒るわけにも笑うわけにもいかずに困り果てた。すると張郎が言った。

「奥さん、もし出来る事なら、もう一杯いただけませんか」

 これ以上我慢できなくなって、丁香は口走った。

「なんてことを言うの、張郎。前の女房を奥さんと呼んだりして」

 張郎はうろたえた。食べ物を恵んでくれた《奥さん》が離縁した丁香だと知ると、恥ずかしくていたたまれずに竈の中に潜り込んで、それきり出てこようとはしなかった。

 やがて張郎は竈の中で息が詰まって死に、玉皇大帝は彼を竈の神に取り立てた。と言うのも、玉皇大帝の苗字も張と言うので、同じ姓のよしみから後先考えずにそうしたのだと言う。そして張郎の死んだ旧暦十二月二十三日が竈の神を祀る日となった。人々は竈の神の張郎をあまり重視してはいない。それでも玉皇大帝の前であることないこと告げ口されては困るので、供え物くらいはする。

 山東省膠東地方西部では、その日に竈の後ろの壁から古い竈神の画像を剥がして焼き捨て、新しく買ってきた竈神の画像を貼る。人によっては画像の左右に『上天言好事(天に昇ってはめでたいことを申しあげ)』『下界降吉祥(下界にくだっては幸せを授ける)』と書いた対聯(ついれん)を貼り、真ん中に『一家之主(一家の主)』と横書きの一句を添えることもある。また、この日はどの家でもうどんを食べ、竈の神に供えるのを習わしとする。これは、張郎が丁香の出した残り物のうどんを食べてから死んだことにちなむと言う。


参考文献
『中国民話集』 飯倉照平編訳 岩波文庫 1993.


参考 --> 「張郎、妻を離縁

竈祀り  中国 河南省新郷県土門村

 昔、孟姜女河の北岸にある張家荘に張万昌と郭丁香という夫婦が暮らしていた。夫婦仲は良かったが、珍しく喧嘩して家を飛び出した日、張は放蕩人の王 流子に「万昌アニキ、大の男が女房なしで生きていけないはずもあるまいに」と嘲笑われた。カッとなった張はすぐに家に帰って丁香を離縁してしまった。

 丁香は仕方なく、壊れかけた車と老いぼれた黄牛をもらって張家を後にした。黄牛は丁香の乗った車を曳い て疾駆し、橋のない孟妻女河を一瞬で飛び越えて南岸の李家荘で停まった。そこには柴刈りや農家の日雇いをして母親を養っている、李万昌の粗末な家があった。丁香は老母に請うて家に入り、やがて山から帰ってきた万昌と夫婦になった。

 若い二人は朝は夜の明けないうちから仕事に出かけ、星を戴いて家に帰り、開墾した畑も増えて裕福になっていった。一方、張万昌は丁香を追い出してから坂を転がり落ちるように零落して、ついには乞食になった。そうとは知らずに丁香の家に物乞いにやってきて、よく栄えたその家の女房が自分の離縁した妻だと気付くと、過去を悔やんで竃にぶつかって死んでしまった。丁香は張を手厚く葬り、彼は竈神として祀られた。


参考文献
「祭[火土]」/『中国民間故事集成 河南新郷県巻』 劉宜武 記録、劉長啓 語り 1989.
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.


参考 --> 「張郎、妻を離縁

日本 福島県

 ある男が女房を離縁して追い出した後 落ちぶれ、乞食になった。寒い冬の日、暖を取ろうとして油屋に入ると、出てきたのは離縁した女房だった。その油屋は女房の再婚先だったのだ。男は驚いてその場で死んだ。女房は竈の前で前夫の霊を祀った。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

日本 新潟県

 貧乏な釜神が夫婦別れをした。その後、女はいいところに後家に入ったが、男は落ちぶれて乞食になった。ある時、男が前の女房のところに物乞いに来たので、女は哀れんでおむすびの中にお金を入れておいた。そうとは知らない乞食は空腹のあまり がっついておむすびを食べたので、お金が喉につかえて死んでしまった。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

チョン・カオとティ・ニ  ベトナム

 昔、チョン・カオとティ・ニという夫婦がいた。結婚して数年経っても子供ができず、夫は次第に妻に暴力を振るうようになり、ついには些細なことで離縁して追い出した。夫を愛していたティ・ニは泣きながら遠い遠い地へさまよって行き、そこでファム・ランという男と再婚した。

 一方、チョン・カオは妻を追い出したことを後悔して、家を捨てて妻を探しに出た。そのうちに路銀も尽きて乞食となったが、旅を続けた。

 ある日、チョン・カオは物乞いをするために一軒の家の門に立った。そこはティ・ニの再婚先の家だった。チョン・カオは妻に気付かなかったがティ・ニはすぐに分かり、哀れんで招き入れ、食事や酒を与えて厚遇した。そのうちにチョン・カオは眠ってしまったが、ティ・ニは今の夫に過去を知られることを恐れて、前夫を庭にうずたかく積み上げられた藁束の中に寝かせて藁で覆い、自分も床に就いて眠った。

 やがて、出かけていたファム・ランが帰って来た。彼は、明日は灰を(肥料として)田に撒こうと思い、庭の藁束に火をつけた。可哀想に、チョン・カオはそのまま焼け死んでしまった。パチパチと燃える音で目を覚ましたティ・ニは、この有様を見て自分も火の中に飛び込んで死んだ。すると、ファム・ランも妻の後を追って火に飛び込んで死んでしまった。

 天の玉皇ゴック・ホアン上帝は三人を哀れんで、ずっと一緒にいられるようにと、三人を五徳(鉄の輪に三本の足のついた、火の上で鍋ややかんを置く架台。竈子)の三本の足に変えた。そして今の夫のファム・ランを台所の神《土公トーコン》に、前夫のチョン・カオを家庭内のことを司る神《土地トーディア》に、妻のティ・ニを市場の神《土祈トーキ》にした。彼らは三人で竈の神タオ・クアンである。ベトナムに伝わる歌に、「世間一般は一夫一婦/竈の神は二夫一婦」とある。

 彼らは毎年(陰暦)十二月二十三日に天に呼び戻され、一年間の下界の出来事を玉皇上帝に報告する。この日をタオ・クアン節 Tet Tao Quan と言い、紙製の男物の帽子二つと女物の帽子一つ、水盤に入れた生きた大きな鯉を供える。竈の神たちは新しい帽子をかぶって、鯉に乗って昇天するのだと言う。


参考文献
『ベトナム人と日本人』 穴吹 允著 PHP研究所 1995.
家族を守る先祖の霊」/『大学教授のベトナム講座』(Web) 武越日(穴吹 允)著

※トライアングラー。


参考 --> 「ベトナム チャム族の竈神縁起

ベトナム キン族の竈神縁起  ベトナム キン族

 昔、一組の夫婦がいたが、夫婦の暮らし向きは悪く、妻は家を飛びだして金持ちの男と再婚した。

 その後、妻の家に物乞いがやってきた。白米を与えたとき、彼女はそれが前の夫だと気づいた。 今の夫が昼飯を食べに戻る時間だったので、妻は前夫を家に入れたことを知られてはマズいと思い、前夫にワラ束の中に隠れてくれと頼んだ。今の夫が帰ってきて、畑にやる肥料にするための灰を作ろうと、何も知らずに台所のワラに火をつけた。可哀想に、前夫はワラの中で焼け死んでしまった。妻は激しく哀れみ、自分も火に飛び込んで死んだ。それを見た今の夫は、事情はまるで解らなかったが、妻を哀れんで自らも火に飛び込んだ。

 天はこの三人を哀れみ、三人全員を竃神にした。今の夫は土公になり、竃の番をする。前の夫は土地神になり、家を守護する。そして妻は家庭から食事が絶えないよう守護するのである。


参考文献
竈神(要約)」/『ヴェトナム中南部少数民族』(Web) Mamoru HONDA著


参考 --> 「ベトナム チャム族の竈神縁起

ベトナムの竈神縁起  ベトナム

 昔、仲睦まじい夫婦がいた。しかし飢饉のため食べ物がなくなり、食べ物を求めてさまよううちに二人は離ればなれになってしまった。

 何年もの月日が過ぎて、女は別の男と再婚した。そんなある日、夫が留守の間に一人の乞食が物乞いにやって来たが、よく見れば前夫ではないか。二人は再会を喜び、昔の楽しい思い出を話し合って愛を確かめ合った。そこへ今の夫が帰って来た。女は慌てて前夫を庭先に干してあった藁の中に隠した。

 ところが、今の夫が獲ってきた獲物を調理するために藁に火を放ったので、妻は前夫を助けようと火の中に飛び込んだ。事情を知らない今の夫は妻を助けようと火の中に飛び込んだ。こうして、三人とも焼け死んでしまった。

 この様子を見ていた天の神様が憐れんで、三人がいつも一緒にいられるようにと竈の神にした。五徳や鍋置き、香炉などの、火に関係する道具がみんな三本足なのは、この三人の神を表している。

 竈の神はオン・コン・オン・タオと言い(単にオン・タオ Ong Tao とも)、台所の神であると同時に、その家の経済・福運を司る、お金の神でもある。陰暦十二月二十三日に竈の神は昇天して、天の神に一年の報告をするが、その内容によって来年の家庭の収入が査定される。なので、人々は少しでも良い報告をしてもらおうと、竈の神に様々な賄賂を贈る。即ち、竈の灰を掻き出して煤を払い、香を焚き、ご馳走を三方(日本の三方とは異なり、五徳のような形をしたもの)に載せて供え、祭壇に紙製の服を男物二着女物一着供える。それから生きた鯉を川や池に放ち、紙の服を燃やす。すると竈神は新しい服を着て、鯉が変化した龍に乗って天に昇るのだと言う。


参考文献
つむじ曲がりのハノイ日記(6)」/『ユネスコ・ハノイ越日文化交流クラブ』(Web)

※別伝では、再婚した夫は猟師だった、この話に感動して三人を祀らせたのは当時のベトナム皇帝だなどと語る。藁の中の前夫は、妻に迷惑がかかると考えて声を上げずに焼け死に、その気持ちを感じた妻は自ら火の中に飛び込み、それを見た今の夫は、妻が自殺したのは自分が気づかぬうちに彼女に辛い思いをさせていたからだと思って後を追ったのだと。竈の神は家庭円満の神でもあるので、夫の帰宅が遅い時や家族が喧嘩している時に、この神に祈るという。


参考 --> 「ベトナム チャム族の竈神縁起



参考 --> 「丁香と海棠



釜神の事  日本 『神道集』巻七「釜神事」

 近江国で同時刻に生まれた男女が産神の問答通りに夫婦になり、持って生まれた女の福運によって大変裕福に暮らしていた。ところが夫は遊び女との放蕩にふけり、ついには妻を離縁してしまった。妻は召使の女を連れて伊勢の叔母を頼っていく途中、雨宿りをした家のやもめ男と再婚し、二人は女の福運で裕福になった。

 一方、前夫は放蕩三昧の挙句に落ちぶれて、家々を回って箕を売る暮らしになっていた。ある時、そうと知らずに彼は前の妻の家に売りにやってきた。妻は気付いて哀れみ、小袖一重ねに銭五百文など与えた。何も気付かぬ前夫は味を占め、もう一度妻の家にやってきた。妻は人目をはばかって一度帰し、夜になってから召使の女の家に招いてもてなさせた。そこで御簾越しに視線が合った時、前夫は初めてそれが前の妻だと気が付いて、恥ずかしさのあまり倒れて死んだ。妻は哀れみ、その死体を釜屋の後ろに葬らせ、弔った。

 こうして前夫は釜神となり、妻は釜屋の守護神になったという。



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

※[男女の福分]の結末が竈神縁起譚になっているもの。

『琉球神道記』にも類話が載っており、死んだ前夫の亡骸を竈の後ろに葬り、竈の神に供えるのだと言って毎朝供え物をした。この誠実な心によって夫の霊は本当の竈神となり、その家を守護するようになった。その霊験は今もあらたかである、と結んでいる。

 以下は類話。

竈神の起り  日本 千葉県(上総長生郡)

 昔、ある村に一人の百姓があり、旅から戻る途中の夜ににわか雨にあって、道端の道禄神の森の陰で雨宿りをしていた。すると森の前を馬に乗って行く人があり、暗い所から声をかけた。「道禄神はお宿ですか、今夜は何村にお産が二つあります。これからご一緒に生まれ子の運を決めに参りましょう」と。すると森の中から返事があって、「折角お誘いくださったけれども、今はちょうど雨宿りの客があって、手が離せませんから宜しく願います」と言う。馬に乗った人は「左様ならば一人で行ってきます」と言って、馬の足音が遠くなった。

 何村というのは自分の村のことだったので、これは不思議なことだと気に留めていると、しばらく後に馬の主が帰って来て、「本家の方は男の子、分家の方は女の子、女は福分があって男は運がありません。これを夫婦にすれば女房の運で栄えるでしょう」と言った。

 百姓が急いで村に帰ってみると、ちょうど自分の家に男の子が生まれ、隣の分家では女の子が生まれていたので驚き、早速に相談をして、今から隣同士で縁組の約束をした。

 二人が大きなって夫婦になると、確かに家は栄えたが、亭主はそれを女房の運が良いおかげだとは思えず、だんだん気に入らないことも増えてきて、赤飯を炊いて赤牛に結わえ付け、その赤牛に女房を乗せて、強いて遠くの野原へ追い放してしまった。

 女房は泣きながら赤牛の行くままに任せていると、次第に山に入って、山中の一軒家の前に来て止まった。その家の主人が親切な男であれこれ世話してくれ、他に行くところもないので、その家の嫁になった。するとその家の暮らしはよくなっていって、後には数多の男女を召し抱えた何不自由のない身分になった。

 一方、女房を追い出した本家の方では損をするようなことばかりが続いて、次第に身上が左前になり、しまいには親代々の田畑まで手放して、零落してざる売りになってしまった。笊売りはあちこち売り歩いているうちに、ひょっこりと、山の中の立派な一軒家にやって来て、持っていた笊を残らず買ってもらった。それから後も、他では全然売れないので、毎日のようにこの家に来ては笊を買ってもらっていた。

 そんなある日、その家のおかみさんがつくづくと笊売りの顔を眺めて、「どうしてお前さんはそのように落ちぶれたか、元の女房の顔も見忘れてしまったか」と言った。笊売りは、それが前に赤牛に乗せて追い出した自分の女房だと初めて気がついて、びっくり仰天して泡を吹いて死んでしまった。

 女房はそれを見て哀れに思い、密かに死骸を竈の後ろの土間に埋めて、自分で牡丹餅をこしらえて供えた。外に出ていた家族や使用人たちが帰ってくると、今日は竈の後ろに荒神様を祀って、そのお祝いに牡丹餅をこしらえたから、幾らでも食べるようにと言った。

 これが始まりで、今でも百姓の家では、牡丹餅をこしらえて竈の神のお祭りをするのだそうだ。


参考文献
『日本の昔話』 柳田国男 新潮文庫 1983.


参考 --> [男女の福分]「青竹一本に粟一石

 同様のものは中国や朝鮮地域にも見られる。

[火土]神故事(乙)  中国 湖南省 ミャオ

 大金持ちの男が占い師に勧められ、貧乏人だが福分のある女と結婚した。ところが子供の誕生祝いの祝儀が、妻の貧しい実家からは少なかった。夫は世間体が悪いと腹を立て、馬と僅かな銀子を与えて離縁した。妻は馬に乗って赴くままに駆け、日が暮れて山中のあばら家にたどり着き、そこに住む柴刈り男の押しかけ女房になった。

 食べるものもないので、妻は夫に銀子を渡し、米を買いに行かせるが、夫は吠えかけた犬に銀子を投げつけて帰ってきた。けれども、これがきっかけになって辺りに金銀が沢山あることが判り、夫婦は裕福になった。

 一方、前の夫は零落して乞食になっており、金持ちの屋敷で乞食たちに食べ物を施すと聞いて出かけるが運悪くいつもありつけない。その家の奥方が気の毒に思って台所に招きいれ、乞食が前夫であることに気づく。残してきた子供のことを聞きただし、土産に餅二十個を持たせた。実は、その餅の中には銀子が隠してあったのだが、そうと知らない前夫はあまりに重いので十八個を飯と交換して食べてしまい、銀子は二枚しか手に入らなかった。数日後、前夫は子供を連れて訪ねてくるが、妻が二十個の銀子について尋ねると、己の不運を嘆いて竈に入って焼け死んでしまった。

 前夫は、後に[火土]王菩薩として祀られたと言う。


参考文献
[火土]神故事(乙)」/『湖西苗族調査報告』 純声/逸夫著 国立中央研究院歴史語言研究所 1947.
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.


参考 --> [男女の福分

司命神  中国 湖南省 新市市棠華郷新華村

 資産家の張旦那は、算命先生(占い師)の見立てによって、水呑み百姓の李氏の娘を息子・相公の嫁に迎えた。相公はそれが不満で、毎日妻に辛く当たった。張旦那は仕方なく、嫁に駿馬一頭と多額の元宝を贈り、恐らく将来零落するであろう息子の後日の面倒を頼んでから送り出した。

 李氏の娘は「馬の立ち停まったところが私の身の置きどころ」と祝祷し、馬の駆けるのに任せて行くと、暗くなって山の麓にある草葺きの家の前で停まった。そこは年老いた母親と二人暮らししている理髪師の住まいであった。女は家の前に馬を繋いで宿を頼み、理髪師の女房になった。

 翌朝、女房が元宝を渡して米を買って来るように頼むと、理髪師はそれをしばらく不思議そうに見ていたが、「これなら家の裏にある」と言い出し、理髪師一家は忽ちに大長者となった。

 一方、張の息子は零落し、そうとは知らずに訪れた理髪店で李夫人と再会し、恥辱に堪えず竃に衝突して頓死した。それを見た李夫人は、かつて恩顧を受けた舅に申し訳が立たないと言って、竃の梁に首を吊って後追い自殺を遂げた。こうして二人は司命神(竜神)とその妻として祀られた。


参考文献
『中国民間故事集成 湖南巻』 羅国珍語り、朱伝勇記録 中国ISBM中心 2002.
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

※ここでは竈で死んだ男が竜神として祀られている。日本の「ひょっとこのはじまり」で、死んで竈神となった火男ヒョウトクが、竜宮からもたらされた童子であったことを思い出さされる。


参考 --> [男女の福分



参考 --> [男女の福分



生まれつきの運  中国 チワン

 金持ちの父親が七人の娘たちに尋ねた。「恵まれた暮らしは、誰に福があるからだと思うか?」六人の娘は「父親です」と答えたが、末の娘だけは「人間の福運の有無は自分自身にあります」と答えて怒りを買い、殺されそうになった。母親がこっそり馬と銀子を与え、娘は馬に乗って出奔し、貧しい男の住む洞窟にたどり着いて押しかけ女房になった。

 妻は夫に銀子を渡し、米を買ってくるように頼んだ。ところが、途中で犬がうるさく吠え立てたので、夫は持っていた銀子を犬に投げつけてしまった。投げた銀子を探していると辺り一面に銀があることが判り、夫婦は大金持ちになった。

 一方、父親は零落して乞食になり、知らずに娘の家の門口に物乞いに立った。娘は父と知って台所に招き入れてもてなすが、父は相手が殺そうとした娘であると気付き、恥じて竈に入って死んだ。娘は父を竈神として祀った。



参考文献
文山壮族事務委員会 1982.
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

※[炭焼長者:父娘葛藤譚]の結末が竈神の縁起になっているもの。



参考 --> 「月の中の天丹樹の話」「轆角荘の由来




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