継子と笛  日本 大分県 

 昔、二人の太郎がいて、一人は継母の実の子、もう一人は継子だった。

 ある時、父が江戸に出かけることになり、二人の太郎を呼んで「仲良くしていろよ。そうしたら土産に笛と太鼓を買うてくるで」と言い残して長い旅に出た。

 継母は継子の太郎が憎くてたまらず、実子には綿入れ、継子には萱入りの着物を着せて、ことあるごとに苛めた。継子は辛くて、毎日 父に会いたがって泣いたので、ある日継母は大釜にぐらぐらと湯を沸かし、

「ほれほれ太郎よ、この釜の上に乗れよ。江戸に行った父っちゃんが見ゆるぞ」

と言って継子を釜の上に立たせると、後ろからドンと突き落とした。継母は継子の肉が煮溶けるまで大釜でぐだぐだ煮、近所の人が不審がって覗くと、「味噌豆を煮ている」などとそ知らぬ顔で答えた。そうして継子の肉がすっかり溶けてしまうと、残りの骨を裏の畑に埋めた。

 すると、そこに にょきにょきと竹が生え、これは珍しい竹だ、と通りかかった旅回りの笛吹が竹を刈って笛を作った。

 江戸へ上った笛吹がその笛を吹いて町を流すと、太郎の父親が聞きつけて首をかしげた。笛の音に混じって子供の声が聞こえる。

笛も太鼓もいりません

お江戸のお父っちゃんに会いたいな

 父親が笛吹に尋ねると、この笛は九州のこれこれの土地の畑にあった竹で作ったと言う。譲り受けて自分で吹いてみると、今度ははっきりと我が子の声が聞こえてきた。

 父親は急いで国に戻ったが、果たして我が子の姿はない。かねて聞いていた畑に行くと、笛と切り口のぴたりと合う竹が生えている。掘り返してみると我が子の骨が出て、竹はしゃれこうべの口から生えているのだった。

 父親は腹を立て、継母の鼻を削ぎ耳を切り目をえぐって殺してしまった。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※以下、類話を列記。

娘のテーと竹  朝鮮

 テーという娘がいた。彼女には継母がいたが、これにいつも苛められていた。

 ある時、父親が狩りで長留守の間に、継母はテーに毒まんじゅうを食べさせて殺し、こっそり裏の畑に埋めた。

 テーを埋めたところには一本のすらりとした茎が生えた。欲しいという男がいたので、継母はそれをその人にやった。男はその茎で笛を作り、吹いた。

お父さん、お母さん

あなた方の娘 テーは 継母に殺されました

この茎は私の骨です

 男は、近所中を走り回ってこれを吹き鳴らした。ついに父親の耳にこれが入り、真実を確かめると、怒って継母を殺した。

 その後も茎は増えつづけ、娘の名を取ってテーと呼ばれるようになった。


参考文献
『世界の民話 アジア[T]』 小沢俊夫/笹谷雅編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

継子と笛  日本 埼玉県

 お竹という娘がいた。彼女には継母があって、継母の実子にお道という娘がいた。

 ある時、父親が伊勢参りに出かけることになり、娘たちに、お土産に赤い箱やかんざしを買ってきてやろうと約束した。ところが、父親が出かけてしまうと、継母はお竹に「ざるで風呂の水を汲め」と命じた。ざるで水など汲めはしない。お竹が泣いていると、虚無僧がやってきて片袖を破って渡してくれた。これをざるに敷いて水を汲むことが出来た。

 継母はますますお竹が憎くてならない。風呂の湯を沸かさせると、その上に薄い板を敷き、「この上を渡って、天井に吊るした竹を取れ」と、命じた。お道はなんとかお竹を助けようとしたが、それも虚しく、板が踏み折れてお竹は湯に落ちて死んだ。

 お竹の屍を庭に埋めると、そこから竹が生えた。すると虚無僧がやってきて、その竹を譲ってくれ、尺八にするから、と言う。継母は、「決して東に向かって吹いてはいけません」と言って渡した。虚無僧は、宿屋で東に向かって尺八を吹いた。

お父様 お竹は竹になりました

赤い箱もいりません。かんざしもいりません

 これを父親が聞き、家に帰って事実を知った。父親は怒って継母を追い、継母は逃げていった。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※類話によっては、帰ってきた父親が竹の下から子供の死体を掘り当てると、子供が生き返る。子供の数は一〜三人。

 ここでは煮立った風呂釜に薄板を敷いて渡らせるが、多くの類話では、煮立った大釜に藁一本等を渡してその橋を渡らせる。当然、渡れずに落ちて死ぬ。子供は釜茹でにされる。→[継子と釜茹で]

 なお、日本の話では生えるのは決まって竹、あるいはたけのこである。そして、それは死んだ子供の口から生えている。

 継母の処遇は様々で、「改心して仲良く暮した」「改心したものの気が狂い、水に落ちて死んだ」「父親に追い出され、水に落ちて死んだ」「父親に追い出された」「父親に折檻された」「お上に処罰された」等々……。



アンビ  インド パンジャブ地方

 三人兄弟にアンビ(未熟・小さなマンゴーの意)という妹があった。兄達にはそれぞれ妻があったが、意地の悪い性質をしていた。

 兄達は貧乏だったので、妹のアンビにはチュンニ(スカーフ)一枚買ってやれなかった。祭りの日が来たが、アンビには身を飾るものが何一つない。ようやく、三番目の兄嫁がチュンニを一枚貸してくれた。

「汚すんじゃないよ。もしも汚したら、チュンニをあんたの血で洗ってやるからね」

 アンビは祭りに行き、楽しんだが、帰り道でカラスが糞を落としてチュンニを汚した。何回も洗ったが、染みがついて取れなかった。アンビは、染みが見えないように畳んで返した。

 数日経って、ついに染みが見つかった。三番目の兄嫁は夫に訴え、三番目の兄は妹を殺して埋め、血でチュンニを洗った。

 

 それから長い年月が経った。三兄弟が旅に出て、喉の乾きに苦しんでいた時、みずみずしいマンゴーの木を見つけた。一番上の兄が実を取ろうとすると、こんな声がした。

兄ちゃん、兄ちゃん、マンゴーをもがないで!

 二番目の兄が取ろうとしても同じ声が聞こえる。そこで三番目の兄が取ろうとすると、声はこう言った。

兄ちゃん、兄ちゃん、マンゴーをもがないで!

実の兄が実の妹を殺した

マンゴーをもがないで!

 マンゴーの実は力ずくでももぐことは出来なかった。声が根元から聞こえるのに気づき、三兄弟は木を切って根を掘った。すると、根の間に妹が座っていた。

 兄達はアンビを綺麗にしてやり、家に帰った。嫁を追い出して、それからは兄妹で仲良く暮した。



参考文献
『世界の民話 パンジャブ』 小沢俊夫/関楠生編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※……嫁を追い出した、って……。一番目と二番目の兄嫁には何の罪もないじゃん。つーか、実際に殺人を行った三番目の兄が全く罪に問われないのは何故なんだよ。

末の妹ポンカポティ  インド ベンガル地方

 七人兄弟にポンカポティという妹がおり、兄たちの嫁と一緒に暮していた。

 七人兄弟が遠くへ仕事に行くことになり、嫁たちと妹に土産の希望を訊くと、ポンカポティは雲ドゥムドゥム製のサリーを頼んだ。これはとても高価なものだったので、兄嫁たちはポンカポティを怨んだ。

 兄たちが出かけてしまうと、七人の兄嫁たちとポンカポティは足踏み杵で米の籾取りを始めたが、兄嫁はわざとポンカポティの手の上に杵を落とし、その手を潰した。そうしてだんだんに潰していって、しまいに臼でとんとんと搗き潰して、ゴミ捨て場に捨てた。

 それからしばらく経つと、そこにポンカリ菜が沢山生えた。近所の娘が兄嫁たちに頼んで菜を摘ませてもらおうとすると、菜っ葉が歌い出した。

摘むな摘むなポンカリ菜っ葉
雲ドゥムドゥムのサリーを欲しがって
死んだよポンカポティ

 兄嫁たちは慌てて菜っ葉を残さずひきちぎり、池に捨てた。すると、池に沢山コルミ菜が生えた。村人が摘もうとすると、コルミ菜はこう歌った。

摘むな摘むなコルミ菜っ葉
雲ドゥムドゥムのサリーを欲しがって
死んだよポンカポティ

 兄嫁たちが再びコルミ菜を刈り取り、乾いた荒野に捨てると、大きなバニヤンの木が生えた。戻ってきた七人兄弟が通りがかって、この木の下で休み、末の兄が葉を皿の代わりにしようと取ろうとすると、木は歌った。

取るな取るなバニヤンの葉っぱ
雲ドゥムドゥムのサリーを欲しがって
死んだよポンカポティ

 兄達が家に帰ると妹がいないので、木に戻って行方を尋ね、木の下からポンカポティを掘り出して救い出した。それから、財産を隠すと偽って穴の中に嫁達を下ろして生き埋めにし、以後は兄妹で仲良く暮した。


参考文献
『世界の民話 パンジャブ』 小沢俊夫/関楠生編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

 インドのサンタリ語の類話には、こんなものもある。(『大地・農耕・女性 ―比較宗教類型論―』 M.エリアーデ著 堀一郎訳 未來社 1968.)

 七人の兄弟がその妹を食べようと思って殺す。一番若い兄は最も情け深かったので、妹の肉を食べるにしのびず、与えられた一片の肉を大地に埋めた。その後、ここから美しい竹が生えた。通りすがりの者がこれを見つけて、その一節を伐って提琴を作ろうとした。しかし斧で竹を打とうとすると、「やめて、そんなに低く切らないで、もっと高いところを切って」と叫び声がした。これが後二度繰り返され、三度目に竹を切り倒した。

 この竹で提琴を作ると、素晴らしい音が流れた。というのも、あの娘がこの中にいたからである。ある日、提琴からこの少女が現れ、この音楽家の妻になった。そして、兄弟たちは皆、大地に呑み込まれてしまった。

 この話では、逆に、妹を食べなかった末の兄も一緒くたに罰されてしまっている。理不尽だ。

 この話は兄弟姉妹が身内を殺して食べる点で「モーリン」や「ペペルーガ」を、琴の中から娘が現れる点で【箱の中の娘】や「二つの種族」を思わせる。殺された娘から作られた楽器が、殺害を告発する嘆きの歌を歌うのではなく、素晴らしい音楽を奏でる点が、他の類話と少々異なる。



胡椒の木  カリブ海 グレナダ

 母親が、木にいちじくの実を吊るし、娘に見張っているように言いつけた。

「もしもこの実を鳥に食べられでもしたら、おまえを生かしちゃおかないよ」

 そうしてその場を離れると、母親は黒い鳥に変身して、いちじくの実をついばんだ。娘は必死に歌った。

お願いだから 黒鳥さん

どうかいちじくを食べないで

お母さんがこう言うの

もしもいちじく取られたら

お前なんかは生き埋めだ

 いくら歌っても鳥は去らず、いちじくはすっかり食べられてしまった。母親は元の姿になって戻ってきて娘を叱り、本当に生き埋めにした。そこから胡椒の木が生えた。

 娘の兄がこの木を見つけ、胡椒を摘もうとした。すると木が歌った。

お願いだから お兄さん

どうか胡椒を摘まないで

お母さんがこう言うの

もしもいちじく取られたら

お前なんかは生き埋めだ

 次に父が摘もうとしても同じことだった。

お願いだから お父さん

どうか胡椒を摘まないで

お母さんがこう言うの

もしもいちじく取られたら

お前なんかは生き埋めだ

 兄と父は胡椒の木の下から娘を掘りだし、代わりに母親を埋めた。



参考文献
『世界の民話 カリブ海』 小沢俊夫/瀬戸武彦編訳 株式会社ぎょうせい 1985.

※母親が謎だ……。実娘をやけに憎んでるわ鳥に変身するわ。魔女? 埋められた娘が生きていたのも、魔女の娘だから?



死者の歌  ロシア

 昔、父母と三人娘がいた。ある日、娘たちは森に木の実取りにやられたが、姉二人は摘んでは食べして、夕方になっても容器は空、末娘だけはエプロンに溢れるほど摘んだ。母は姉たちを叱り、罰として沢山の糸紡ぎを命じた。

 翌日はキノコ取り。姉たちはまた遊びほうけ、末娘だけがキノコを沢山取った。父は末娘にご褒美として銀の皿を与えた。

 三日目のイチゴ摘みでも、やはり末娘はいっぱいなのに姉たちには何も無く、夕方、姉たちは妹を殺してイチゴを奪った。死骸の胸には銀の皿と赤い実を載せて土をかけ、両親には「道に迷って獣に食べられたんでしょ」と言った。

 末娘の墓には一夜で美しい花が咲き、通りすがりの牧童がその茎で笛を作ると、笛は歌った。

どぅ どぅ どぅ そっと鳴らして

姉さんが私を殺した

白樺の根元に埋めて靴で踏んで固めた

銀のお皿が欲しくって

赤い実が欲しくって

 牧童は村に行って、殺された娘の家に泊めてもらった。お礼に笛を吹くと、また笛は歌った。

どぅ どぅ どぅ そっと鳴らして

姉さんが私を殺した

白樺の根元に埋めて靴で踏んで固めた

銀のお皿が欲しくって

赤い実が欲しくって

 両親は驚いて、自分たちでも吹かせてもらった。

どぅ どぅ どぅ そっと鳴らして

姉さんが私を殺した

白樺の根元に埋めて靴で踏んで固めた

銀のお皿が欲しくって

赤い実が欲しくって

 それで、姉たちに吹かせてみると、笛は叫んだ。

あなたが私を殺した!

 両親が花の咲いていたところを掘ると、まず銀の皿が、そして末娘が現れた。娘は目を開けて生き返った。

 姉たちはお下げ髪を馬の尾に縛られ、野に放たれて、粉々になってしまった。



参考文献



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