枯骨報恩  日本 沖縄

 昔、大きな田を持つ百姓が見回りをしていると、悲しそうな歌声が聞こえてきた。

  穀風吹けばククベーヌ フキバ 頭が痛いミカラジンヤムイ

  人の世 珍しやサンカ ミジラサヤ 自由ならぬジユン ナラン

 今は三月、まさに穀物の風が吹く季節である。しかしいったいどういう意味か。百姓は歌声が田の傍の竹やぶから聞こえることに気づき、中を覗いてみた。すると、一本のまだ葉も生えていないような若竹の先にしゃれこうべが引っかかっていて、風にカラカラと鳴っていた。しゃれこうべは日に照らされ、風が吹くたびにあちらこちらの竹と打ち合っている。百姓は最初は腰が抜けるほど驚いたものの、気の毒になって、しゃれこうべを若竹から外してやり、近くの石の下に葬ってやった。

 すると、しゃれこうべが言った。

「この恩義は必ずお返しします。今年は大きな嵐が来て、他の田の稲はみんなダメになるが、あなたの田の稲だけは立派に実らせてやります」

 しゃれこうべはこう言ったが、何故か、その年の百姓の田の稲は全然育たず、いつまでも小さなままだった。ガッカリしていたが、稲の刈り入れをする頃に大嵐が来て、他の田の稲はみんな倒れてダメになってしまった。一方、百姓の田の稲はずんずん育って、大豊作になったのである。

 それ以来、百姓の家では毎年田植えの季節になるとしゃれこうべの墓に供え物をするようになったそうだ。



参考文献
『おきなわの民話』 遠藤庄治著 NTT沖縄支店 1992.

※同様の話は中国の『述異記』『広異記』、日本の『日本霊異記』にもある。いずれも、目に刺が刺さって苦しいと夢またはうめき声で訴えられ、見ると野ざらしの髑髏の目に草やたけのこが生えて突き刺さっている、というもの。それを抜いてやると、後に幸運に恵まれる。




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