愛と転生の物語

瓜子姫】は、一般にどんな物語だと認識されているのだろう。

 瓜から生まれた女の子が、一人で留守番していると、人食いの魔物がやって来る。扉ごしに「入れて」「入れない」「指が入るだけ開けて」「腕が入るだけ」「頭が入るだけ」などと押し問答をして、ついに中に入ってくる。そして、女の子は魔物に食い殺された……。

 東北に多く見られるような、こんなタイプの物語だと考えると、[狼ばあさん]や「狼と七匹の子ヤギ」の話群に近い。

 しかし、【瓜子姫】話群を全体的に見ていくと、この捉え方では重要な要素が抜け落ちていることが分かってくる。まず、瓜子姫は小さな子供ではない。結婚を控えた女性である。次に、やってくる魔物は、本来は漠然と「取って食おう」と現れる異形ではない、瓜子姫を殺害して「自分が嫁入りしよう」という目的を持った、《妬む女》だということである。【瓜子姫】は、結婚の物語なのだ。

《妬む女》による殺害・入れ替わりの結婚のモチーフは、たとえばグリムの「白い花嫁と黒い花嫁(小さい野鴨)」など世界中の民話に見られ、【シンデレラ】系話群にもしばしば混入されている黄金パターンだ。そんな中でも、殺される女主人公が果実から生まれた女神である、という点まで【瓜子姫】と共通している話群に、南欧を中心に分布する[三つの愛のオレンジ]がある。

 

瓜子姫 三つの愛のオレンジ
誕生 老夫婦が、瓜の中から女の子を発見し、養女にする。 王子が、オレンジの中から乙女を発見し、恋人にする。
特異点 成長した姫は機織を好み、常に織っている。 乙女は非常に美しい。
殺害1 結婚が決まり、両親が花嫁衣裳を買いに行った留守に、魔物が来て、姫を家の中から誘い出し、木の上に縛り付ける。または、姫を殺害する。 結婚が決まり、王子が王妃に相応しい衣装を取りに城に戻った留守に、黒い娘が来て、乙女を隠れていた木の上から誘い出し、殺害する。
偽の花嫁 姫になりすました魔物は婚家に向かって出発する。 乙女になりすました黒い娘は王子と結婚する。
転生 姫は木の上から歌で真相を告げる。または、姫の魂が鳥となって歌で真相を告げる。 殺された乙女は鳥・魚・植物に再生して歌などで真相を告げる。
再生
(誕生2)
姫は、木の上から救い出される。 殺された乙女は、植物から人間の娘に再生し、老女の養女になる。再び王子と出会う。
殺害2 化けの皮がはがれ、魔物は殺害されて、蕎麦などの植物の根を赤く染める。(植物に再生する。) 化けの皮がはがれ、黒い娘は殺害される。
結婚 姫は予定通りに嫁入りする。または、鳥になった姫の魂は飛び去り、甦らない。 乙女は王子と結婚する。

 

「娘が果実から生まれる」というだけではなく、「結婚のための衣装を揃えに行った留守中に、《妬む女》に殺害される」という細部にも共通点があることに注目したい。他にも、オレンジの乙女は《妬む女》に、「髪をとかしてあげよう、虱を取ってあげよう」と騙されて誘い出され、頭にピンを刺されて殺害されるが、瓜子姫も、「虱の取りっこをしよう、蚤を取ってやろう」と騙されて裸でまな板に寝かせられ、包丁で殺害されることがある。

 このモチーフは、中国の[狼ばあさん]系話群にも現れることがある。人食いが最初に子供たちの母親を殺害するのだが、「髪をとかしてあげよう」と騙して爪で頭の皮をそいで殺す。それから、人食いは母親に化けて子供たちが留守番をしている家に行く。

三つの愛のオレンジ]は、中近東近辺に原話が発してイタリアに移入され広まったものとされるが、このような共通点から見て、【瓜子姫】はその原話が日本に伝わり、変形したものではないかと推測する。つまり【瓜子姫】の根本は、望む結婚をする(豊穣を得る)ために死と再生を繰り返す、愛と転生の物語だと考えられる。

女神降臨

 瓜子姫は川を流れてきた瓜から生まれた……というエピソードが知られているが、実際には、畑から採ってきた瓜から生まれたり、瓜畑で発見された子供だと語る類話も少なくない。しかし、この「瓜畑で発見される」バージョンは あまり注目されることがなく、単に「川を流れてくる」エピソードが省略・合理化されたものだと考えられがちであるようだ。

 しかし、海外の伝承に目を移すと、ベトナムの「ム・ジュク」やアルバニアの「隠元豆の娘」、イタリアの「太陽の娘」など、神の娘が瓜畑や豆畑で発見されて、発見者の養女や恋人になると語るものがあり、「神の子が水を流れてくる」という信仰とは別に、「神の子が畑・果樹園に降臨する」という信仰、それを語るパターンが存在していたらしく思われてくる。

 朝鮮半島(韓半島)の神話において、新羅の脱解王は箱に入った卵の形で海を航海してきたとされる。瓜子姫の瓜も、箱に入って川を流れてきたと語られることが多く、恐らく、この二つのエピソードは根を同じくしている。一方、同じく朝鮮半島(韓半島)の駕洛の神話では、首露王は天から降りてきた箱の中の卵から生まれたことになっている。卵(子供)の入った箱が海を流れてくるのも天から下ろされてくるのも、あまりかけ離れた印象は受けない。要は「神の子が異界からやってきた」ことが言いたいのであり、異界の位置設定が「水の向こう」か「空(山)の上」かという違いでしかないのだろう。

 水の向こうに豊穣をもたらす異界があると考えたとき、瓜子姫は川を流れてくる。しかし、豊穣の女神は畑や果樹園に直接降臨するものだと考えれば、彼女はそこで発見されるのである。

 こういった(同じ意味を語る)二つ以上のモチーフが、一つの伝承の中に並立・重複して現れることは珍しくはなく、ベトナムの「ム・ジュク」でも、神の娘はまず瓜畑に現れて老夫婦の養女となり、その後に香木の中に入って川を流れ下って、神婚を行う。

 

 それにしても、神の子はどうして畑に現れるのだろう。これは、インドネシアのヌサ・トゥンガラ諸島の一つロンボク島の伝承「アチャ王とねずみの女王」を読むとイメージが捉え易いかもしれない。以下は概略。

アチャ王とねずみの女王  インドネシア ヌサ・トゥンガラ諸島 ロンボク島

 西ララン地方のスカダネ村の東、トゥンダンという地に、アチャ王が住んでいた。彼はスカダネ村のサウィエ山に畑を所有し、そこにカボチャやひょうたん、とうもろこしや芋を育てていた。

 それらの野菜が大きく実った頃、アチャ王は畑に小屋を建てて泊まり込み、真夜中に外で小用を足した。ココナツの殻に溜まった尿をねずみの女王が飲み、たちまち妊娠して可愛い人間の娘を産んだ。これらは全て神意によるものであった。

 ねずみの女王は豊かに実ったアチャ王の畑の作物の葉蔭で娘を育てた。子供は夜になると葉蔭から出て食べ物を探し、昼の間は母と共に隠れていた。長い間、この娘の存在を誰も知らなかったが、娘が六歳になった時、かぼちゃを採りに来たアチャ王が偶然発見し、捕まえると連れ帰って育てた。ねずみの女王は逃げ去った。やがて娘が年頃になると、王は彼女と結婚した。間もなく、夫婦の間には娘が授かった。

 ねずみの女王は、娘がアチャ王に連れて行かれてからも毎晩そっと会いに来ていたのだが、王はそれを知らなかった。娘が川に洗濯と水汲みに行って留守の時、ねずみの女王が揺り籠の中の孫娘を見にやって来た。王は我が子の枕元にねずみがいるのを見て、これを打ち殺した。死骸は村の東のモントン・トゥンダン峡谷(川)に捨てた。

 娘はこれを知って悲しんだが、自分の母親がねずみだと知られることを恥じて何も言わなかった。しかし足繁く川(峡谷)へ出かけては嘆き悲しむようになった。妻の様子を見て怪しんだ王は後をつけ、泣いている彼女に近づいて訳を尋ねた。彼女はようやく全てを打ち明け、王は義母たるねずみの女王を丁重に供養した。

 ねずみに田畑を荒らされたなら、ジュラン・トゥンダンにあるねずみの墓とアチャ王の墓を訪ねて、五色の米粥・煎り米・焼き米・ココナツシュガー・米の包みを供える。代わりにねずみの墓から水をもらい、それをねずみに齧られた稲の苗に撒くのだという。


参考文献
アチャ王とねずみの女王」/『インドネシア昔話の部屋』(Web) 塩原朝子/笠井洋子/佐々木美佳/伊藤暁子製作 東京外国語大学 AA研 塩原研究室サイト内 2001-

参考 --> 「親指姫」「隠元豆の娘」「二十日鼠になった王女

 王は夜の畑で尿をする。ギリシアには、大地に垂れ落ちた精液を受けて地母神ガイアが半人半蛇のエリクトニウスを産んだだとか、地母神デメテルがクレタ島の若い猟師イアシオンと三度鋤き返された畑で交わってプルトス(富)という子を産んだなどという神話があるが、恐らくここでも同じことが起こっている。夜の畑に放たれた王の尿を飲んで妊娠するねずみの女王とは、冥界女王であると同時に大地の女神であるはずだ。彼女は娘を産む。……つまり、王の畑は豊かに実った。ねずみの女王が王の尿を飲んで子を産むことと、王の畑に神の娘が現れて妻になることは、多分同じ話を語り方を変えて伝えている。

 茨城県の伝承では、七夕の晩に小豆畑に天女が舞い降りて男と結婚し、七人の子(すばる)を産むという。大分県や長野県でも、七夕様は子沢山で大豆畑で子育てをするなどという。イタリアの民話「太陽の娘」では、王子が空豆畑で拾うのは太陽の娘だ。王子は彼女を空豆ちゃんファヴェッタと名付けて育て、成長すると妻にした。

 豊穣をもたらす女神は畑に現れる。それは彼女が本来、畑そのもの…大地の女神だからなのだろう。

瓜と棚機女たなばたつめ

 瓜子姫の特長の一つに、「機織が得意で、いつも織っている」というものがある。ほぼ全ての話でこの特長が語られ、魔物がやってきた時も、必ず機を織っている。

 機織は女性の仕事として普遍的なものであったし、これが得意というのは「働き者で、お金をよく稼げる娘」であったろうから、単純に「よい娘」であることを表すためのモチーフだと考えることもできるのだが、そこにもっと深い、神話的な意味を見出すことも可能である。

 日本には、水辺で神衣を織りながら夫たる神を待つ棚機女の信仰と習俗があった。つまり、機を織る娘は巫女であり、神の妻――神女である。そう考えれば、魔物がやって来る時に姫が必ず機を織っているのは意味深い。魔物は多くの場合、天邪鬼あまのじゃくまたは山姥として語られるが、天邪鬼は『記紀』に登場する女神・天探女アマのサグメの、山姥は山の神の零落した姿だというのは、よく知られた説だからである。つまり、巫女たる瓜子姫は機を織ることで神の来訪を待ち、そこに実際に神が現れているのだ。

 とはいえ、天邪鬼や山姥は女性であって、巫女が迎える夫神ではない。天邪鬼や山姥は、あくまで姫の結婚を妨害する障害である。

 思うに、神女たる瓜子姫が結婚を控えている(夫神を待っている)、という状況が「一人で機を織っている」というモチーフで表されているのかもしれない。

 もっとも、「女神が機を織る(糸を紡ぐ)」というイメージは世界中に普遍にあるものなので、瓜子姫の機織り上手はそこから導き出されている、「女神らしい」性格とも考えられるだろう。

 

 ところで、日本で棚機女というと天の棚機女――七夕の織女を想起するが、実際 岡山の異伝では、瓜から生まれた姫にどこから来た、と尋ねると、「天竺の七夕様の一夜児、管がないおんばごじぁ」と言ったという。

 七夕の織女と瓜には少なからず関係がある。中国の乞巧奠きっこうでんを発祥とする中国・朝鮮半島(韓半島)・日本の七夕行事では、七夕の際には瓜を供えるものだった。中国では、そうして供えた瓜に蜘蛛が一夜で巣を張ったならば、機織の腕が上達する、と考えたそうである。また、日本の七夕伝承では、天界に去った織女を追うために瓜のつるを登ったり、天の瓜を割ると大水が出て、織姫と彦星が別れ別れになったなどと語られる。

 織女と瓜が関連付けられるのは、単に七夕の時期に瓜が実るからであろうし、瓜が蔓性――糸や織物を思わせる植物だからでもあろうか。また、瓜をはじめとする蔓性植物は、その蔓で天地(異界と現界)を結ぶ。織女が地上に舞い降りて牽牛と結婚し、牽牛が天界に昇って織女に妻問いする、その"渡り"を助ける。中国では、七夕の夜にぶどう棚の下へ行くと牽牛と織女の会話が聞こえると言い、日本では、小豆・大豆・ささげの畑に七夕様が舞い降りて逢瀬をし、子供を産むとする。(蔓を伸ばさない品種もあるが、基本的に豆も蔓性植物である。)

 ところで、中国の『博物志』や『荊楚歳時記』には、川をさかのぼったり海を漂流したりすると天の川(天界)に到達したと語る話があるが、日本の富山県でも、七夕の際、子供たちが「天の川原へ流れ込む、来年またございせ……」等と唱えながら七夕舟を海に押し流す。つまり、水もまた、異界と現界を結ぶ道であり、隔てる境界でもあった。瓜子姫は瓜の中に入って川を流れ下ってきた。オレンジの乙女は、川の向こう海の向こうなどにある不思議な庭園の、泉の傍の木の果実から現れる。そして、瓜は水気をたっぷりと含んだ、砂漠では水筒代わりにもなる果実であるが、オレンジも同様で、王子は喉の渇きのあまりにオレンジを食べようとして、乙女と出逢うのだった。

 異界と、女神と、水と。これらの要素を結んで導き出されるのは、「豊穣」というイメージである。織女は、天の川のほとりに座して地上に涙の雨を降らせる、水と豊穣の女神でもあった。同様に、水の彼方の異界から現れた瓜子姫やオレンジの乙女も、この世に豊穣をもたらす女神なのである。彼女たちが女神であることは、「機織が得意、並外れて美しい」という点で表され、豊穣をもたらすことは「植物に再生する、結婚をして栄える」という形で語られていると言える。

 

 [偽の花嫁]の要素を持つ民話のうち、特にアジアに伝わるものには、細部において【瓜子姫】と共通したモチーフを持つものが少なくない。その共通したモチーフの中には「機織り」もある。

 【瓜子姫】では、姫を殺害して入れ替わった天邪鬼は懸命に機を織るが、その音(機織り歌)は乱暴であり、両親を不審がらせる。「達稼と達侖」では、主人公を殺害して入れ替わった《妬む女》が機を織るが失敗し、それを鳥に転生した主人公が嘲る。その後、主人公は竹の中から新たに生まれて、竹を拾った老婆の養女になるが、機織が得意で、歌いながら並外れた量の布を一人で織り上げ、老婆を富ませる。「翠児と蓮児」、「按司の身代わり花嫁」などにも同様のシーンがある。

 なお、伝承において「女が長い髪をくしけずる」のは「機織」の比喩であるとの説があるが、「翠児と蓮児」、「小町娘とあばた娘」、「蛇郎」には、主人公を殺害して入れ替わった《妬む女》が髪をとかしていると、鳥に転生した主人公がやって来て罵るシーンがある。

殺され女神

 かつて、食物――豊穣は、一人の女神によって独占されていた。その女神は大地である。水も、作物も、それらを加工する火も、彼女の体内から分泌されるものであり、彼女から子供たちへ分け与えられるものだった。だが、この秘密を知ったある者が、それを妬み、あるいは嫌悪して、彼女を殺害した。殺された彼女の死骸は各種の作物に変わり、これによって人々は自らの手で作物を育て、食物を手に入れることを始めた……。

 このような農業由来を語る神話を、インドネシアのヴェマーレ族の神話にちなんで「ハイヌヴェレ型神話」と言う。日本では『古事記』の大気津比売神オオゲツヒメのカミや『日本書紀』の保食神ウケモチのカミのエピソードがこの型の神話として知られているが、【瓜子姫】を、この神話が民話化したものだ、と見る説がある。

 

瓜子姫 ハイヌヴェレ神話
出自 老夫婦が、川から瓜を拾う。 アメタという独身男が、水の中からココ椰子の実を引き揚げる。
うつぼ 瓜を箱に入れ、あるいは綿に包んで、戸棚または神棚、仏壇に置く。 ココ椰子の実を蛇柄の布で包んで台に安置する。
誕生 瓜を割ろうとすると、中から女児が生まれた。 ココ椰子の実を埋め、生えたココ椰子の木に誤って血を滴らせる。血の付いた花から女児が誕生し、それを蛇柄の布で包んで家に連れ帰る。
命名 瓜にちなんで、瓜子姫と名づける。 ココ椰子にちなんで、ココ椰子の枝(ハイヌヴェレ)と名づける。
異常成長 瓜子姫は短期間で一人前の乙女になる。 ハイヌヴェレは三日で一人前の乙女になる。
致富 瓜子姫は機織が得意で、両親を富ませる。 ハイヌヴェレは高価な品物を排泄し、アメタを富ませる。
殺害 結婚の決まった瓜子姫は、それを妬んだ魔物に殺される。 人々に高価な品を配ったハイヌヴェレは、それを妬んだ人々に殺される。
死体切断 姫は魔物に切り刻まれて食べられる。
魔物は罰せられ、切り刻まれる。
アメタはハイヌヴェレの死体を切り刻んで島中に埋める。
(栽培する際には、芋を細かく刻んで地面に挿すものなので、それを比喩している?)
死体化成 これ以来、萱や蕎麦の根は赤くなった。
天邪鬼は畑に埋められ、榎の大木が生えた。
瓜子姫は豊かな胡瓜や梨に変わり、両親を豊かにした。
ハイヌヴェレの死骸は各種の芋に変わり、人々の主食になった。

 

 こうして比較してみると、確かに共通点、類似点は多い。ただ、「ハイヌヴェレ神話」の方には結婚の要素がなく、従って偽の花嫁のモチーフもない。

 もっとも、オレンジの乙女が王子の妻になったように、ハイヌヴェレはアメタの妻になったという見方もできる。また、【瓜子姫】の類話の中には、(恐らく、欠落したのだと思われるが)嫁入りの条が無い話群もある。

 また、【瓜子姫】の方は、肝心の「植物(作物)への再生」の要素が希薄で、死ぬのも瓜子姫だったり魔物だったりし、結末は定まらずに混乱している。

 

 殺されて植物に変わるのが瓜子姫であったり魔物(天邪鬼/山姥)であったり定まらないのは、結局、この二者が入れ替え可能の表と裏、同一の存在であることを暗示している。同じ女神の「聖」の面が瓜子姫、「魔」の面が天邪鬼(山姥)なのである。彼女たちはどちらも豊穣の女神だ。瓜子姫が幸せな結婚をして富み栄えることも、天邪鬼が切り刻まれて大地を血で染めることも、瓜子姫が殺害されて食べられることも、みんな、同じことを語っているわけである。

 

 なお、殺害された山姥(人食いの魔物)の血によって蕎麦や萱、黍がの根元や穂先が赤くなった、などと語るモチーフは、なにも【瓜子姫】に限ったものではない。中国、朝鮮半島(韓半島)、日本に分布する[狼ばあさん(天道さん金の鎖)]系話群でも、しばしば見られるものである。

 思うに【瓜子姫】は、「殺され女神」のモチーフによって、[三つの愛のオレンジ]系原話に[狼ばあさん]系の話が結び付けられた物語なのではないだろうか。

芋と瓜子姫

瓜子姫】と「ハイヌヴェレ神話」を関連付ける根拠の一つとして、瓜子姫の好物が芋(山芋、むかご)である、という点が挙げられることがある。

 この設定は日本各地の瓜子姫譚に散見できて、柳田國男は、「爺さんさいがない、婆さんくだがない」の機織歌と同様に、無心のうちに保存されたいにしえぶり、原話の残滓だろうと語っている。

(岩手県)婆が川で拾った瓜を割ると女児が生まれ、瓜子姫と名づける。野老が好物で機織が得意だ。爺婆の留守に天邪鬼が来て姫を食い殺し、皮を剥いでかぶって姫に化けて機を織っている。偽姫は野老を食べず、いつもの「くだっちゃばんばなや」の機織歌も歌わない。長者に嫁入りする途中、木の上でカラスが「瓜子姫の乗り掛けサ 天邪鬼乗さった」と囃し立てる。長者の家で顔を洗うと皮が剥がれ、天邪鬼の正体を現して逃げ去る。

(岩手県紫波郡)婆が川で瓜を拾い、瓜から生まれた女児を瓜子姫子と名づける。爺婆が山に九年子ほどこを掘りに行った留守に山姥が来て、指の入るだけ手の入るだけと騙して中に入り込む。姫に小豆を煮させて、姫を殺して小豆鍋で煮て食う。顔の皮をかぶって姫に化けて機を織っている。爺婆が帰って、掘ってきた九年子を川に洗いに行かせると、大きいのは全部自分で食べてしまい、小さいのだけ持ち帰って、「滑って転んで流してしまった」と嘘をつく。爺婆は可愛い瓜子姫子のことだからと叱らない。それから、偽姫は「小豆餅を貰った」と言って姫を煮た汁を爺婆に食わせる。偽姫の顔に血が付いていて、訊くと転んだからだと言う。手拭で拭いてやると、生皮が剥げ落ちて山姥の正体が現れる。「瓜子姫子の小豆汁を食った」と囃し立てて山姥は逃げ去り、木尻や木割を持って追う。

(新潟県南蒲原郡葛巻村)老いた夫婦が、おりかわ姫という美しい娘を持っていて、嫁入りが迫っていた。姫の好物の山芋を掘りに両親が出かけた留守に姫が機織していると、アマンギャクがやって来て強いて戸を開けさせ、騙してまな板の上に寝かせて姫を切り殺し、姫に化けた。両親が帰ってきて芋をすって食べさせると、偽姫はあっぷらあっぷらして行儀悪く食べるので、両親は不審に思う。やがて嫁入りの日が来て、迎えの駕籠に姫を乗せて両親は歩いて付いていくと、一羽のカラスが駕籠の上にとまって、「おりかわ姫の乗る輿に アマンギャクが乗ったいや」と何度も啼いた。さてはアマンギャクが化けていたかと駕籠から引きずり出すと、尻尾が出ていたので、皆で殺害した。

(山形県北村山郡西郷村)母と姫が二人で暮らしている。母が野老を掘りに行った留守に天邪鬼が来て、李採りに誘い出す。木に登らせて揺り落として殺し、姫に化けて機を織っている。嫁入りの時に偽姫が花車に乗っていくと、「お姫コの乗り車に天邪鬼ぶち乗って、きりこきりこと泣いていく」と鳥が啼く。木の下を掘ると姫の死骸があった。天邪鬼を斬って投げると萱の生えたところに落ち、以来、萱は赤くなったという。

(福島県 会津若松市)老いた両親が瓜姫という娘を持っている。瓜姫は野老ところが好物だったので、爺と婆はいつもそれを掘って来て食べさせていた。ある日、二人が野老を掘りに出て留守にした間にアマノジャクがやって来て、機織していた姫を騙して強いて家の中に入り込んで食い殺し、姫に化けて機を織っていた。そこへ両親が帰ってきて野老を食べさせたところが、食べ方を知らず、ヒゲも皮も取らずに行儀悪く齧るので、両親は不審に思った。そのうちに、姫の美しさを噂に聞いた殿様が姫を召し上げることになり、偽の姫は駕籠に乗ってお城に向かう。しかし途中で子供たちが「瓜姫の駕籠にアマノジャクが乗っている」と囃し立てたので、気づいた駕籠引きがアマノジャクを引き出して殺害した。この血で染まって、今でも萱の根は赤いのだという。

(埼玉県入間郡金子村)子の無い爺婆が神に子宝を祈願する。爺は瓜畑で転がり、傍の瓜の中から女児を発見する。瓜娘と名づけて育てる。爺婆が芋取りに行った間にアマノジャクが来て、娘を炭俵に入れて棚に吊るし、娘に化ける。爺婆が帰って、三人で小芋を食べていると、カラスが「瓜娘化けた」と啼くので露見する。アマノジャクを殺して娘を救い出した。それ以降、カラスはずっと「瓜娘化けた」と啼くようになったという。

(島根県知夫郡浦郷村)老いた両親と一人の姫がいる。両親がところ芋を掘りに行った留守に機を織っていると、天邪鬼が来る。柿採りに誘い出し、姫を木に縛り付けて、姫に化けて機を織っている。両親が帰ってきて ところ芋を煮てやると、皮もヒゲも取らずに食べる。長者に嫁入りすることになり、駕籠に乗っていくと、「天邪鬼こそ乗って行け、姫君はここに縛られているに」と声がする。天邪鬼は駕籠の中から「深山の鳥は ともなもかもなも鳴く、早やけてん車、そりゃけてん車、そりゃけ早りゃけ深山の鳥だ、早りゃけてん車」と急かす。姫を発見し救い出して、天邪鬼は黍山・蕎麦山を引きずりまわした。その血で今も黍の茎と蕎麦の茎は赤い。

(大分県竹田町)婆が川で拾った瓜を箪笥にしまっておくと、夜中に「ぎぃーっ ちゃんちゃん」と音がする。箪笥を覗くと姫が機を織っている。姫の言葉に従って瓜姫と名づける。爺婆は姫の好きな零余子むかごを採りに出かけ、姫は「爺に一反着するぞ、婆に一反着するぞ」と歌いながら機を織っている。すると あまりじゃこが来て姫を柿採りに誘い出し、木に縛り付けて、自分だけ柿の実を採って食べる。姫が自分にもくれと言うと、食いかけや熟柿を投げつける。瓜姫の着物を着て化け、爺婆が帰ると機で眠っている。揺り起こして「馬がよいか、牛がよいか」と訊ねると、「馬もよい、牛もよい」と答えたので、足を片方ずつ馬と牛に縛りつけ、野に行け川に行けと牛馬の尻を叩いて股裂きにして殺す。その時、柿の木の上から姫が「あまりじゃここそ乗っていくらん」と言ったので、爺婆は姫を発見して救い出した。

 

 このように、瓜子姫は山芋を食べることを好む。その一方で、姫自身が山芋であるかのように語られることもある。たとえば青森県の類話では、あまのしゃくは姫を食い殺し、残った血を酒、指を芋だと言って両親に食べさせる。鹿児島県下甑島の類話では、母が川で拾った瓜を食べて産んだうるひめが、あまのさぐめに柿の木に縛り付けられ、目を芋串で刺し貫かれる。

 また、「殺され女神」で語ったように、瓜子姫と天邪鬼(山姥)は本来同一の女神の表と裏だと考えられるが、山形県の類話では、胡瓜から生まれた胡瓜姫御が桃の木から落とされて死に、姫に化けたあんまのしゃぐは爺婆を囃し立てて、芋の穴の中に隠れる。

 謡曲『山姥』の間狂言では、山姥が何から生まれるかが色々と語られるが、その中に「息をする野老が山姥になる」という説がある。雨が降り続いて山が崩れ、現れ出た野老に塵芥が取り付くと山姥に変じる。山姥の髪は野老のヒゲなのだという。

 

 ハイヌヴェレは、殺害された後に各種の芋に変わった。「ハイヌヴェレ神話」の語られる地域では主食は芋だったのであり、日本で言うなら、死体が稲に変わった、という展開である。瓜子姫は芋と関連付けられるが、これは【瓜子姫】の原話が、芋を主食とする地方の「ハイヌヴェレ型神話」の流れを引いたものだったからではないか、と言われている。

 それは全くの間違いではないだろう。ただ、【瓜子姫】が殺された女神が主食の栽培植物に変わったと語ることを主目的とした物語で、その目的が見失われていなかったのならば、殺された瓜子姫が稲をはじめとする五穀に変わったと、和風アレンジされて語る類話があっていいはずなのに、それは全く無い。【瓜子姫】において、農耕起源神話としての記憶は相当薄くなっていると考えられる。

 

 個人的には、瓜子姫が芋と関連付けられるのは、「果実から生まれる」のとは別の、もう一つの小さ子の物語の記憶が根底に潜んでいるからでもあるのではないか、と思っている。

 育った山芋はかなり大きくなるものだが、南方の芋は一抱えもあるほど大きなものがあるらしい。そういった芋を見て、そこに美しい子供を連想する物語が存在する。

(東アフリカ、バンツー族)三人兄弟がいた。長男のムリーレが母親とタロ芋を掘りに行くと、とても大きな芋が採れた。ムリーレはその芋を「まるで僕の弟のように綺麗だ」と思ったが、母親は「そんなことあるものか」と否定した。ムリーレはその芋を木のうろに隠し、呪文を唱えた。すると、翌日には芋は赤ん坊に変わっていた。ムリーレは毎日こっそり、自分の分の食事を その赤ん坊に持っていった。彼がだんだん痩せていくので家族は怪しみ、弟たちが兄の後をつけて、木のうろの中の赤ん坊に食事を与えているのを知った。母親はムリーレの留守の隙に赤ん坊を打ち殺した。
 ムリーレは嘆き悲しみ、椅子に座ったまま歌って、天に昇って行った。親族はみなムリーレに戻れと呼びかけたが、彼は戻らない、何も食べたくないと言って消えうせた。

 天に昇ったムリーレは、薪取り、草刈り、百姓、家畜番、豆の取り入れ人、黍の刈り取り人、バナナ採取人、水汲みといった人々に出会い、彼らの仕事を手伝うのと引き換えに月の王の元へ行く道を教えてもらった。そうして月の王の国へ行くと、そこには火がなく、人々は食物をみんな生で食べていた。ムリーレは火による調理を教え、月の王は火を牛と山羊で買った。ムリーレは家畜の群れを手に入れ、家族の元へ戻ることにした。

 帰途、ムリーレが疲れ果てた時、群れの中にいた一頭の雄牛が言った。
「私が乗せてやったら、お前は代わりに何をしてくれる? 私が屠殺されたら、私を食べるかい」
「いや、僕はお前を食べないよ」と答え、ムリーレは雄牛の背に乗った。そして歌いながら家に帰った。

 家に帰ると、ムリーレは両親に言った。「この雄牛は年をとるまで養ってください。雄牛が年をとっても、僕はその肉を食べません」。
 やがて雄牛が年をとると、父親は牛を屠殺した。すると母親が言った。「息子が面倒を見たこの雄牛を、あの子が一口も食べないで、他の者で全部食べてしまっていいのかしら」。母親は雄牛の脂肪を蜜の壺の中に隠しておき、肉がなくなってしまってから、それで粉をねってムリーレに食べさせた。ムリーレがそれを食べると、雄牛の肉が言った。「お前はやはり私を食うのか。私はお前を背に乗せてやったのに。では、お前も食われてしまうがいい」。
 ムリーレは、「お母さん、言ったじゃないか、あの雄牛の肉は僕に食べさせないでって」と歌い、一口食べるごとに地面に沈んでいった。そして粉を全て食べてしまうと、ムリーレは大地に飲み込まれ、消えた。(『昔話の本質』 マックス・リューティ著、野村[シ玄]訳 ちくま学芸文庫 1994.)
-->参考【魚の恋人

 この他、ブラジルの「マニオカの始まり」では、死んだ子供(娘)の墓に芋が生じ、母親はその芋に死んだ子供を連想するが、これも、本来は大きな芋から赤ん坊を連想したことが発想の根本にあるのではないかと思う。

 瓜から生まれた瓜子姫は、同時に、巨大な山芋が赤ん坊に変じて誕生した、大地の恵みの申し子でもあったのではないだろうか。なお、徳島県には、爺が山で掘った百合根から百合子姫が生まれる【瓜子姫】の類話がある。

 

 

 余談だが、偽の瓜子姫が山芋の食べ方を知らずに下品に食べて怪しまれる、というモチーフは、アイヌの民話の中にも見出すことが出来る。

ひとつぶのサッチポロ
 石狩川の中流の一軒家に、老いた夫婦と娘が住んでいた。両親は老いて働けず、娘がせっせと山菜を採っては養っていた。ある時、母親は「川の上流にお前のいいなずけが住んでいるから、逢いに行きなさい」と言った。「お父さんも年をとっていつ死ぬか分からない。婿を連れてこなければ、お父さんは男の作ったもの(肉や魚)を食べないまま死んでしまうかもしれないよ」。
 仕方なく、娘はたった一人で荷物を背負い、心細い思いで知らない道を知らない若者に逢うために出かけていった。途中で、倒木に腰かけている女に出会った。顎が長く、口は耳まで裂けているかのように大きく、目はつりあがっていた。女は娘を見ると、「まあまあ お姉さま、あなたが来ると聞いたので迎えに来たのですよ」と笑い、木に腰かけさせて「虱を取ってあげましょう」と言った。娘は虱を取ってもらっていい気持ちになり、うとうとと居眠りをした。そして目覚めると、なんと、裸になっているではないか。見れば、着ていた美しい刺繍の服はあの女が着ていて、荷物まで背負ってさっさと歩いている。娘は慌てて、目の前に脱ぎ捨てられてあった、あの女の着ていたボロ服を身にまとい、後を追った。女に近づくと、女は「折角いいなずけに逢いに行くのに、どこのみっともないヤツが付いてくるのか」と言って小石を投げつける。美しい着物を着た女は娘そっくりの顔になり、ボロ服を着た娘はあの女そっくりの顔になっているのだった。

 やがて女はいいなずけの家に入った。娘も黙って一緒に入り、女と並んで座った。いいなずけの父親は綺麗な服を着た女の方にしか挨拶しなかったが、いいなずけの若者は両方に、特に娘の方に丁寧に挨拶した。父親は「嫁が二人一緒に来て、どちらが本物か見分けが付かない」と呟いた。若者はしばらく二人の女を見比べると、美しいお椀を二つ出し、それにサッチポロ(干した筋子)を入れてすすめた。娘は、サッチポロの食べ方を子供の頃に父に習っていたので、一粒ずつ口に入れて噛んだ。だが女は、わしづかみにして口いっぱいに頬張った。噛む内にサッチポロは粘って膨れ上がり、息が詰まって女は手だけではなく足まで使って足や顎をかき、もがくうちに尻から狐の尻尾が見え隠れした。それを見た いいなずけの若者とその兄、父親は、火箸や薪の燃えさしでその女を打った。女はハゲチョロの醜い狐の正体を現し、そのまま殴り殺された。

 その夜、例の女が夢枕に立って、私はキツネの女神だったが、お前を妬んだために こんなことになってしまった。私を丁重に祭ってくれたら お前たちを一生守ろう、と言ったので、一家はキツネを祭った。

 こうして、娘は婿を連れて沢山の干し魚や干し肉を背負って家に帰り、それからは何不自由なく幸せに暮らして、孫たちにこの物語を語り聞かせた。
「だから、サッチポロを食べるときは一粒ずつ食べなさい。また、相手が人か化け物か分からないときは、サッチポロを食べさせると、その食べ方で分かるんだよ」と。(『アイヌの昔話 ひとつぶのサッチポロ』 萱野茂著 平凡社ライブラリー 1993.)

 この話では山芋ではなくサッチポロの食べ方が問題にされるが、山芋とサッチポロはどちらも「ネバネバする食べ物」という点では共通している。

木の上の冥界

 主に西日本の類話で見られるものだが、瓜子姫は天邪鬼に果実採りに誘い出され、木の上に縛り付けられる。

 木に縛り付けられた瓜子姫は、殆どの場合、後に救い出されている。まな板の上で切り刻まれて鍋で煮られた、あるいは果樹から墜落させられ「殺された」瓜子姫たちに対し、こちらは「死んでいない」のだから当然だろう。被害の程度は随分と軽いように思える。

 だが……本当にそうなのだろうか?

 

 北欧に、世界樹ユグドラシルの伝承がある。世界は木の形をしており、その伸びた根や枝は、それぞれ異なる世界に達している。これと同根の信仰によるのだろう民話に、ドイツの「魔法の木」のような、巨木を登って枝の上の異界を冒険する話群がある。日本の七夕伝承で、伸びた夕顔の蔓などを伝って天界へ昇る話も、やはり同根だと言えるだろう。異界とは広義の冥界である。つまり、木は天地を結ぶ天梯てんていであり、その梢には"あの世"がある。

 木の上に縛り付けられて身動きできなくなった瓜子姫の姿は、まさに、「死」の状態を比喩している。死者は無力だ。生者に対しては、ただ、歌(鳥の声)で枝の上から語りかけることしか出来ないのである。

 

 女主人公が《妬む女》によって木の上に置き去りにされるモチーフは、【瓜子姫】に限らず、世界各地の民話で見ることが出来る。例えば、インドネシアの「リンキタンとクソイ」では、幸せな結婚をしたリンキタンが《妬む女》たちにブランコに誘われ、そのまま高い木の上に放り出される。髪が絡んで身動き取れなくなり、ただ、下を通る船に歌いかけることしか出来ない。グルジア共和国の「三人姉妹」では、女主人公は《妬む女》にりんご採りに誘われ、そのまま木の上に置き去りにされる。この話は、《妬む女》が汚れるからと服を交換させ、服を奪って女主人公に成りすます点まで【瓜子姫】と同じである。

 髪の毛によって木に縛り付けられるモチーフは、【瓜子姫】でも見ることが出来る。広島県の類話では、柿から生まれた織姫を、隣のあまりじゃこが柿原へ連れて行き、木に縛り付けて姫に化ける。しかし殿様への嫁入りの途中、木の上の姫が歌ったので露見し、あまりじゃこは髪で木に縛り付けられる。ここでは、髪で木に縛られているのは《妬む女》の方だが、女主人公と《妬む女》は表裏一体の存在なので、さほど問題にはならない。物語後半が[三つの愛のオレンジ]そっくりになっている「達稼と達侖」では、殺された娘は竹に生まれ変わり、夫に対しては黄色の美味しい実を落としてやるのに、自分に成りすましている《妬む女》に対しては、髪の毛を引っ掛けて竹の天辺から吊るしてしまう。

 木の上にくくられた女は、木の枝に憩う死者の魂のようでもあるし、木の枝に掛けられた生贄の皮のようでもあるし、木に実った果実のようでもある。また、オレンジの乙女のように「死んで木に生まれ変わった」ことを暗示しているようでもある。

 オレンジの乙女は、木になった後、人間の姿に再生した。瓜子姫も、木に縛られた後救い出された。「リンキタンとクソイ」や「三人姉妹」でも、木の上に取り残された女主人公は、最後には再生して夫の元へ帰っている。木に縛られた姿は「死」を表しているが、それは「後に再生する死」なのである。

 瓜子姫が縛り付けられる木が、殆どの場合 果樹なのも、注意すべき点だろう。美味しい実をたわわに実らせた木は、それ自体が「豊穣」の象徴である。そして、枯れては萌え出し、実を食べられても種から再生する故に、「輪廻再生する生命」をも象徴する。多くの神話において、これら生命の果樹は女神の持ち物とされる。それは、女性もまた生命を生み育む存在だからである。殺されるが甦る瓜子姫もこの女神の一人であり、故に、彼女の(誕生と)死には再生の象徴たる果実と木が現れるのだと考えられる。

 瓜子姫の縛り付けられる木は、時に松の木だとされるが、常緑樹である松は「永遠不変、不死」の象徴であり、やはり生命の木だと考えられている。

 

 

 【瓜子姫】の中には、《妬む女》が瓜子姫を果樹に登らせ、(その際、汚れるからと言って着物を脱がせることが多い) わざと危険な方に誘導したり、木を揺さぶって墜死させた、と語る話群がある。これは、「木に縛り付けられる=死」という比喩を、より明確化させ、合理化したものなのだろう。日本で発したものでは無いらしく、ベトナムのシンデレラ譚「タムとカム」にも、全く同じモチーフが現れている。

木をめぐる葛藤

 日本の民話でよく知られているものの一つに、【カチカチ山】がある。

 爺が畑に豆を蒔きながら豊作をまじなっていると、狸が来て不作をまじなう。爺は狸を捕らえ、持ち帰って婆に狸汁にするよう言う。しかし狸は、爺の留守中に婆を騙して殺害し、婆汁にした。狸は婆に化け、婆汁を「狸汁だ」と偽って爺に食べさせると、嘲って逃げ去った。

 爺の悲しみを知ったウサギは、狸を騙して背負った荷物に火をつけたり、肛門をふさいだり、しまいに泥船に乗せたので、狸は溺死してしまった。

 この中の、狸が婆汁を爺に食べさせてから嘲って逃げるくだりは、【瓜子姫】のアンハッピーエンド型の中に似たものを見ることが出来る。

瓜子姫子  日本 岩手県下閉伊郡岩泉町

 爺様と婆様がいた。子供が無くて二人っきりだったので、欲しい欲しいと神様に願掛けをした。

 ある朝のこと、瓜畑に行ってみると、真ん中に綺麗な女の子がいる。これは神様のお授けだ、と喜んで連れて帰って、瓜子の姫子と名をつけて大事に育てた。

 そんなある日、爺様と婆様は山へ薪採りに行くことにして、姫子を留守番にして、「誰が来ても戸を開けんな、この辺は狼がひどえしけに」と言い置いて出かけていった。

 姫子が一人でトンカラ・ヒンカラと機を織っていると、山の狼がやって来て「瓜子の姫子、遊んべやァ」と言った。それから色々の問答があって、結局、狼は姫子をまな板の上に寝かせて、包丁で頭や手や足を切って「ああ うめやェ うめやェ」と言って食った。そうして骨は縁側の下に置いて、肉は鍋で煮ていた。

 夕方に爺様と婆様が山から帰ってきて、薪をガラガラと下ろして「瓜子の姫子、今帰ったぞ」と言うと、姫子に化けた狼は、「さァさ腹が減ってきたごったから、早くまんま食っとがれ」と言う。爺様と婆様は、瓜子の姫子を煮た汁を、「ああ うんめァ うんめァ」と言って食べてしまった。すると、狼は

   板場の下を見さ
   骨コ置いたが見ろやェ見ろやェ

と言って、狼の正体を現して山へさっさと逃げていった。爺様と婆様は、また二人っきりになった。


参考文献
『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.

参考 --> 「カチカチ山(A型)」「瓜子姫子

 東北地方の瓜子姫は殺害されるのが一般的だ。うち、日本海側では木から落とされることが多いが、太平洋側では惨殺されることが多い。【カチカチ山】に似たモチーフはそこに現れる。姫が殺されるだけでも無惨なのに、包丁で切り刻まれ、鍋で煮られ、挙句に両親に食べられてしまうだなんて。どうしてそんなことになってしまうのか。このエピソードは、何を語ろうとしているのだろうか。

 

「騙されて身内の肉を食べさせられる(騙して身内の肉を食べさせる)」モチーフは、伝承の世界では意外にポピュラーである。例えば、ギリシア神話の女王メディアの物語。『封神演義』で、周の文王が息子の伯邑考を肉餅にされ食べさせられる話。民話の[継子と鳥]の話群。[狼ばあさん]では、人食い鬼は子供を食い殺し、食べ残しの指や腕をその兄弟に食料と偽って与える。[赤ずきんちゃん]の類話の「お婆ちゃんの話」でも、人喰い狼は祖母を食い殺してから彼女に化け、食べ残しの血肉を孫娘に食べさせる。瓜子姫の死をカラスや鶏が教えたように、ここでは猫が「祖母の血肉を食べるとは!」と鳴く。これらの物語では、これは許されざる悪徳の行為である。

 しかし、構図がひっくり返っている話群もある。「タムとカム」や「小町娘とあばた娘」では、主人公を殺害した《妬む女》が罰として料理され、その肉が共犯者たる継母に与えられる。「小さい男と魔物のマンギ」や「シュパリーチェク」のような【童子と人食い鬼】系の話では、人食い鬼が主人公を捕らえて持ち帰り、妻(人食い鬼が女の場合は娘)に調理するよう言いつける。だが主人公は人食い鬼の留守中に妻を騙して殺害し、逆に調理してしまう。時に、主人公は人食い鬼の妻(子供)に変装し、料理を人食い鬼に食べさせると嘲って逃げ去ったと語られる。【カチカチ山】の狸と全く同じ行為を行いながら、ここではそれは「知恵による勝利」、正義になっているのであった。

 

 このモチーフのある世界各地の民話を見ていくと、主人公と人食い鬼(破壊者)が対峙するシーンには、幾つかの共通したイメージがあるように思えてくる。

  1. 主人公は木の上におり、人食い鬼は木の下にいる。
    1. 主人公は、人食い鬼に木の実(刃物、焼け石)を投げつける。
    2. 人食い鬼は、木の下の泉に沈む。または、木から落下する。
    3. 主人公は、木の上の天に昇る。または、木から落下する。
  2. 主人公が人食い鬼の畑を荒らし、捕らえられる。
  3. 主人公は家(木のうろ、木の枝)に隠れ、人食い鬼は外から呼びかけている。

 

瓜子姫】には、AとCのイメージが現れている。

 このうちAは、「木の下の主人公が、木の上の悪者に木の実を投げつけられて殺された」と、構図が逆転して語られることがある。日本の【猿蟹合戦(蟹の仇討ち)】は この逆転型で、木の上の猿が木の下の蟹に散々汚い柿を投げ、ついに青い柿をぶつけて殺害してしまうが、類似のモチーフは中国地方の「瓜子姫」にも見られる。

 どうも、主人公と人食い鬼は木(果実)または畑(作物)をめぐって対立している感じだ。木や畑は、話によって主人公のものだったり、人食い鬼のものだったりして、どちらが所有者であっても構わないようである。……というより、瓜子姫と天邪鬼がそうであるように、恐らく樹上の者と樹下の者は、観念的には同一、もしくは表裏一体の存在なのだろう。空の彼方の天国も、地の底の地獄も、本質は「冥界」であるのと同じ理屈である。

 中国の伝承では、鳥の姿をした太陽は、世界の果ての巨大な木の枝から飛び立つ。その木の根元(または、木と反対の世界の果て)には泉があって、太陽はその泉で水浴びをする。木の上にとまる(昇ろうとする)太陽も、木の下の泉で溺れる(沈もうとする)太陽も、どちらも同じ太陽であり、この二つの姿は、滅んでは再生する世界のサイクルを表している。

 

参考 --> <童子と人食い鬼のあれこれ〜枝にとまる魂><赤ずきんちゃんのあれこれ〜木の上の悪童と木の下の人食い鬼><三つの愛のオレンジのあれこれ〜太陽の娘

天邪鬼あまのじゃくの系譜

三つの愛のオレンジ]を含む[偽の花嫁]系の話では、《妬む女》は人間の女性として語られるのが普通である。しかし、【瓜子姫】の《妬む女》は、多くの場合「天邪鬼」という妖怪(?)として現れる。天邪鬼とは、一体何者なのだろうか。

 

実体の見えない天邪鬼

瓜子姫】に登場する天邪鬼は、実は漠然としていて実体が定まっていない。その姿は、ある時は「恐ろしげな老婆」だと語られ、またある時は「隣に住む娘」だと語られる。かと思えばお尻に尻尾が垂れていたとも言い、更には、飛んで跳ね釣瓶の横木の上にとまった、と言うこともある。行動も、瓜子姫を木に縛り付けたり墜死させたりと、普通の方法で害するものもあれば、まな板の上で切り刻んで食らい、その皮をかぶって姫に成りすますという、化け物じみたものもある。前者の場合、その行動原理は「女性としての姫への嫉妬」であるが、後者の場合は何故そうするのかも定かでない。多くの物語の「人食い鬼」がそうであるように、ただ食らうためだけに現れるようである。そして、その名前にすらも、実はバラつきが見える。

天邪鬼系 あまのじゃく〈あまんじゃく〉(秋田・岩手・宮城・山形・新潟・福島・埼玉・富山・石川・長野・岐阜・島根・岡山・広島・徳島・香川)、隣の娘に化けたあまのじゃく(新潟)、隣のあまのじゃく(新潟)、裏の家のあまんしゃぐという女の子(長野)、あまのしゃく(青森)、あまのしゃぐ(青森・秋田)、あまのじゃぐ(青森)、あまのじゃこ(広島)、あまのさぐ(青森)、あまのざく(岩手)、やまのさぐ(秋田)、あまんぎゃく(新潟)、あまりじゃこ(広島)、隣のあまりじゃこ(広島・大分)、がまじゃりこ(大分県)、あまのさぐめ〈あまんさぐめ〉(鹿児島)
山姥系 山母(岩手)、山姥(岩手・福井・岐阜)、隣の娘に化けた山姥(岩手)、人喰婆(富山)
獣系 狐(岩手)、狼(岩手・埼玉)、狢(岩手)、ひひ猿(徳島)
悪い男系 あまのしゃくという毛だらけの大男(長野)、ぼんちこさん〈男の子。姫に化けるが尻尾が垂れている〉(滋賀)、村の憎まれ者の無理助(宮崎)
その他の妖怪 鬼(岩手)、主(福岡)

 

 思うに、天邪鬼の性質が定まらないのは、語り手が【瓜子姫】という物語をどう捉えていたかにバラつきがあったためではないだろうか。

瓜子姫】を、[白い花嫁と黒い花嫁]系の、偽の花嫁が本物の花嫁と入れ替わる話だと認識していた語り手は、天邪鬼は隣の家の娘であるとか、悪い女だとか、(偽の花嫁に相応しく)醜い老婆だったなどと語った。しかし、[狼ばあさん]系の、留守番の子供の元に人食いがやってくる話だと認識していた語り手は、人喰婆(山姥)や獣の変化へんげだと語る。物語の原義をすっかり忘却して、ただ悪者が姫に無体をする話だと認識した語り手は、姫を襲ったのは村の憎まれ者の男や毛だらけの大男だったと語ったわけである。

 天邪鬼や山姥が、隣の家の娘に化けてやってきたと語られることがあるのは、[白い花嫁と黒い花嫁]と[狼ばあさん]のモチーフの混交であろう。[白い花嫁と黒い花嫁]では、ごく身近な同年代の女性が主人公を妬んで殺す。[狼ばあさん]では、人喰いは主人公の母や祖母(を食い殺して、それ)に化けてやって来て、戸を開けさせる。この二つが混ざり、人食いが身近な同年代の女性に化けて現れ、姫を食い殺して偽の花嫁になる、と語られたものと考える。

 このように、語り手の認識によって設定は変化していく。天邪鬼の正体が獣の変化だと考えた語り手は、当然のように、偽姫の尻から尻尾が垂れていた、手が黒くて毛深い、爪が長いと語った。とすれば、天邪鬼が姫に乗り移っただの、鳥のように飛んで釣瓶の横木にとまっただのと語った語り手は、天邪鬼を舞い降りる神霊のようなものだと考えていたのだろうか。

 

 江戸時代の啓蒙書『広益俗説弁』によれば、天逆毎アマのサコは人身獣頭だったという。天狗とも言う、とあるので、ここでは文字通り、狐の顔をした女だったのだろうか。

 俗説に云ふ、素盞鳴男尊スサノオのミコト、猛気 胸腹に満ちて吐物となり神となる姫神にして、威 猛なり。人身獣頭 鼻長く牙長し。善神のわかるところ、左にある物をさかつて、右にせんといふ。自ら名づけて天逆毎姫命アマのサコヒメのミコトと云ふ。又 天狗とも云ふ。

 更に、天逆毎は天の悪気を吸い込んで アマ魔雄サクガミという邪神を生んだという。

 

山姥と山彦

 天邪鬼はしばしば山姥と入れ替えて語られるが、これは【瓜子姫】の物語に限ったことではないらしい。柳田國男は『瓜子織姫』(『桃太郎の誕生』 角川文庫 1951.)でこう書いている。

 「秋田方言」には平賀郡に於て、山彦をアマノシャグと謂ふとある。関東でも常陸稻敷郡上野邑樂郡などで、アマンジャクといふのは反響のことであり、伊豆田方郡も山彦をアマンジャクと謂ってゐる。信州では下水内郡で反響をヤマノジャク、「東筑摩郡方言」は口答へすること、又は反対することをアマネジャクといふとある。越中は高岡市の附近までは山彦をアマンジャクと謂ひ、下新川郡ではメメンジャクとも謂ってゐるが、加賀に接した西礪波郡になるともうこれをヤマンバボと呼ぶのである。こだま山彦を山婆といふ土地は、なほこの以外に美濃の加茂郡でヤマンボ、下野の芳賀郡などもヤマンバーといふのがこれを意味する。いづれが先であったかは別として、二つの名称は入交って行はれてゐるのである。山婆とアマノジャクとを同じもののやうに考へたのは、瓜子姫の昔話だけではなかった。

 ギリシア神話では、反響はエコーという精霊の乙女ニンフが変じたものだというが、日本においては、木霊こだま(木の精霊)や山彦(山の男)といった山に棲む魔物が、いちいち物真似して声を返しているのだと考えられた。天邪鬼は、そうした山の怪の一つであると認識されていたわけである。

 現在一般的に、「天邪鬼」とは何にでも反対する捻くれ者のことを言うが、つまり、「山彦」→「何でも物真似して言い返してくる」→「いちいち口答えをする」→「反抗的な捻くれ者」という連想なのだろう。

 なお、熊本県八代郡では心のねじけた女をアマノジャク、鹿児島県ではアマンシャグメといい、長崎県対馬ではやかましい女房のことをアマンシャガンという。茨城県、静岡県、島根県隠岐島、和歌山県西牟婁郡東牟婁郡では、アマノジャクやアマノジャコは女性を罵る言葉である。富山県下新川郡、島根県美濃郡、広島県高田郷、兵庫県佐用郡では だだっ子やお転婆のことをアマンジャコといい、神戸市、大分市、別府市ではアマリジャコという。これらは、「山彦」→「いちいち声が返ってうるさい」→「反抗的、騒がしい女」という連想なのだろう。(あるいは逆で、「騒がしく口答えする女」から連想して、山彦を天邪鬼と呼んだのかもしれないが。)特に女性のことをこう呼ぶのは、これらの地域では天邪鬼は女怪である、という認識があったためと思われる。

 

 出雲では、山彦は山の神に仕える化け物の声だとされていた。

 山の神は、『記紀』では男神とされるが、民間信仰では女神とされることが多い。山で物を失くしたら、男性器を露出すれば必ず見つかる。それは山の神が喜ぶからだという。このように、山の神は性力旺盛な女神で、また、多産でもあった。これは、彼女が獣や山菜など無尽の富を胎内に内蔵し、産み出し続ける「豊穣の女神」であることを示している。彼女は山に在れば山の神であり、里に降りれば田の神と呼ばれて、人々に恵みを与えた。しかし一方で、山は恐ろしいところでもあった。山に迷い、獣に食われて命を落とした者は数知れない。山の神は命を与えてくれるのでもあり、命を奪うのでもある。

 山姥は、山の神の「命を奪う」面を具現化したものと考えられる。「命を与える」面としての山の神は(出産可能な)豊かな乳房の妙齢の女だが、山姥は(出産の出来ない)老婆である。彼女は風のように走り、獣のように人や食料を貪り食う。

 天邪鬼は、そんな山姥と入り混じって語られていたわけだが、しかし、天邪鬼と同一視される山彦は山の神の従者ともされた。山姥が山の神の零落した姿とも言われるように、天邪鬼は山姥から更に一段落ちた、矮小な魔物のように感じられる。

 福岡の伝承では、天邪鬼は国中の山野に人の嫌いないげの種を蒔き歩いたという。福岡の辺りにはその残りを全て蒔いたので、特にいげが多い、と。同様に、高知県の伝承では、お大師様が山に木の種を蒔くと、天邪鬼がそれを掘り返してバラの種を蒔く。しかしお大師様の蒔くスピードには敵わないため、バラは山の所々にだけ生えているのだという。このように、天邪鬼は豊かな緑を増やそうとする神に対抗して何の富も生み出さない茨を増やすが、山姥も、正月に山の神が白兎に乗って作物の種を蒔いて回ると、その後ろから茨の種を蒔いて悪戯すると言われていた。同じ「緑を増やす神」であるが、山姥や天邪鬼は「悪」で、しかも少し力が足りないと認識されていたわけである。

※お大師様……一般には弘法大師のことだが、ここでは大子おおいごのことだと思われる。旧暦11月23日の夜に訪れる祖霊で、大勢の子供を伴っており、その子供のために畑の作物を盗むとなどと言う。冥界と現界を行き来する者らしく、片足が無い(一本足)ともされる。大勢の子供は多産を表し、すなわち、豊穣神であることを示している。

 

 トゲトゲした植物を増やす悪い豊穣の女神のモチーフは、海外の伝承にも現れている。中国白族の「イラクサとヨモギ」では、留守番の娘を食い殺そうとした山姥が退治され、一叢のイラクサに変わる。山姥に襲われた娘の方は、人々の役に立つヨモギに変わったという。

 この話では、娘は山姥から逃れて木に登り、しかし山姥がトゲのあるイラクサに変わって木の下に繁茂したために、木から下りられなくなって、結局 自分もヨモギに変わってしまう。【瓜子姫】の中には、天邪鬼が瓜子姫を果樹に登らせた後で幹にバラを巻いて、木から降りられなくしたと語るものがある。(長野県)

 

天探女アマのサグメ

 天邪鬼は、鹿児島などでは「あまのさぐめ」や「あまんしゃぐめ」と呼ばれている。このことから、天邪鬼は『記紀』に書かれている女神・天探女アマのサグメに由来するのではないか、という説が一般的である。

>>国譲り〜放たれた鳥

『記紀』のアマノサグメは、アメワカヒコを唆して天に反逆させ、結果としてアメワカヒコは誅殺される。このエピソードは、木の上に鳥が舞い降りて「正しいこと」を告げるが、アマノサグメがそれを聞かせまいと遮り、その声に反対する点で、【瓜子姫】と似ている。(瓜子姫と同じように、殺害されたアメワカヒコが後に再生したらしいことも、葬式に彼にそっくりのタカヒコネノカミが現れたというエピソードで暗示されている。)

 アマノサグメとは、何者なのだろうか。『日本書紀』の一書には、彼女は国神クニつカミだと書かれてあるが、『万葉集』には

ひさかたの 天の探女が石舟いわふねの てし高津はあせにけるかも

とあり、『摂津国風土記逸文』にも、

摂津国風土記に云う、難波高津は、天稚彦アメワカヒコつきて下れる神、天の探女、磐舟に乗てここに至る。天磐舟アマのイワフネはつる故を以て、高津と号すと

とある。つまり、アマノサグメはアメワカヒコに付き従って天から降りてきた女神なのである。そもそも、名前に「アマ」と付いているのだし。しかし、彼女はアメワカヒコを唆して、天の使者として舞い降りた雉の鳴女を射殺させた。

 この神話から、アマノサグメ=天邪鬼は反抗的な性格だと認識されたのか、それとも、そもそも反抗的な性格の女を「サグメ(逆女?)」と呼ぶものだったのかは はっきりしない。ともあれ、『記紀』においても【瓜子姫】においても、彼女は「神の子が(後に再生するために)殺される」状況を作る悪役、狂言回しとして登場しているのは確かである。

 

反抗する者

 天から舞い降りたアマノサグメは、同じく天から舞い降りた雉の鳴女に反抗し、それを殺させた。同じように、豊穣神たる天邪鬼は、同じく豊穣神たる山の神が実りの種を蒔くのに反抗し、野山に茨の種を蒔く。これと同根であろう伝承が、長崎県壱岐にある。

 昔は、米でも麦でも大豆でも黍でも、何でも穀物は根元からびっしり実が付いていた。だがアマンシャグメはこれでは人間に良過ぎると言って、実を手でしごき落とした。最初に稲、次に麦、その次に大豆をしごこうとしたが、さやの先が針のようでよくしごけず、それで大豆だけは今でも根元から実が付いている。最後に黍をしごいたが、葉で指を切って血が出た。それで今でも黍の茎は赤い。また、作物ばかりでは良過ぎると、天から雑草の種をバラまき、昔はほうきで掃くだけで草取りが出来たのを、鎌の先で一本一本抜かねばならなくした。「一生八月夜月夜、小菜の汁に米の飯」といって、季節がいつも八月(新暦九月)で過ごし易く、夜は月夜ばかりだったのを、四季や闇夜を作り、いつも米の飯と野菜の汁が食べられたのを、たやすく米を喰えなくした。船はトコバナ(船尾の端)を叩くだけで独りでに進んでいたのを、櫂で漕がなければならなくした。このようにアマンシャグメは人間に悪いことばかりしたので、とうとう神様に虫けらに変えられてしまったということだ。
※類話では、天邪鬼は怒り狂った人々に木に縛り付けられて焼き殺され、その灰から蚊、虱、蠅など人に嫌われるあらゆる虫が生まれたという。なお、静岡県の伝承ではこう言う。釈迦が(雑)草の種は蒔かぬがよいと言うのを、アマノジャクは人間が怠けて困るからと言って、毎日人に分からぬように蒔いておいた、と。新潟県の【瓜子姫】の類話には、爺に追われた天邪鬼が天に逃げて行き、そこから一日三石ずつ草の種を蒔くので、地上には雑草が絶えない、と語るものもある。

 最初に誰も苦労しない世界を作り上げていたのは、神だったのだろう。天邪鬼はそれに反抗し、全て人間が苦労するように作り変えてしまった。(これらの罰として、天邪鬼は仁王や四天王などの仏像の足元に踏みつけられている、と言われることもある。)

 この天邪鬼を、単なる捻くれ者の悪神と見て終わることも出来るが、違う見方もできる。この伝承では、天邪鬼は現在のこの世の理を作り出した文化神だ。『旧約聖書』で、イブを誘惑し(果樹に誘い出し、その実を食べさせて)楽園追放を行わせた蛇と同じ働きをしているのである。

 聖書の蛇は、時に魔王サタン(堕天使ルシファー)と同一視されることがある。ルシファーには双子の兄弟の大天使ミカエルがいたが、ミカエルは神にとてもよく似ていたとされる。つまり、蛇と神は相似、同じ存在の光と闇であった。天邪鬼が自分と似た山の神に反抗したように、蛇は、自分とよく似た神に反抗したのである。

(北米イロコイ族)原初、良い心エニゴリオ悪い心エニゴハヘトゲアという兄弟がいた。兄の「良い心」は世界中を歩き回って、ゆるやかな河、豊穣な野原、豊かな果実を造ったが、弟の「悪い心」はその後に付いて回って、意地悪く、急な流れ、荒地、茨を造った。しまいに「良い心」は激怒して、弟を潰して地中に押し込めた。弟は死なずに地下の暗黒の世界に去り、死者の魂を受け入れ、そこから全ての邪悪を造り出している。(『世界神話事典』 角川書店 1994.)

(新潟県)昔、羅石明神が越後と佐渡の間に橋を架けようと思って、ある夜、多くの眷属に石を運ばせ、作業を始めた。夜明けまでには出来るはずであったが、眷族の中にアマンジャク(山彦)という者がいて、これが夜の明ける前に鶏の鳴き声の物真似をした。明神も他の眷属も騙されて、たちまち姿を消してしまい、橋は出来上がらなかった。
 今、越後国柏崎東北の石地町の羅石堂の辺りに、石が海に突き出て埠頭のように見えるのは、その残りである。人々はこれを岩の掛橋と呼んでいる。

 また、紀州の南志野では、行基菩薩が一夜にして池を掘りあげようとしたところ、アマノジャクが物真似で碾き臼を回す音を立てたので、夜が明けたと思った菩薩は池を掘りかけたまま立ち退いてしまった。この掘りかけの池を松尾池といい、以来、「志野の粉はたき」といって、碾き臼で粉をひくと村人に祟りがあると伝えられる。

 このように見ていくと、天邪鬼とは何かそういう、「正作用」に対する「反作用」、必ず存在していなければならない、光に対抗する闇、そのイメージの一端だと思えてくる。民話においても、正直爺さんには意地悪爺さんが対抗し、善い娘には悪い娘が対抗する。世界中の神話において、神が何かを作ろうとする時、側にいる悪魔がその仕事を台無しにしようとする。天邪鬼とは、つまり「そういうもの」の代名詞なのではないだろうか。

 

「反抗する神」が穀物の茎をしごいて実りを少なくする、というモチーフは、沖縄地方の神話でも見ることが出来る。

 昔、天の神と海の神が地上の支配権をめぐって争った。眠っている間に枯れ木に花を咲かせた方が支配権を得るという花咲かせ競争をしたが、天の神は海の神の枯れ木に咲いた花を こっそり自分のものと入れ替え、支配権を騙し取った。このため地上は盗人の絶えない世界になり、とうとう天の神自身も呆れ果てて天に帰っていったが、その時、地上の穀物の根元をしごいて実りを少なくした。ただ、大豆だけは神の手を傷つけたのでしごききれず、今でも根元まで実がついている。

 

世界を創る巨神

 壱岐の伝承においては、天邪鬼は世界の理を創った神として登場するが、熊本の伝承には、創造神らしき天邪鬼(?)が現れている。

 巨人のアマンシャグマが横になって眠っていた。やがて起き上がろうとすると、その頃まだ低かった天が頭につかえた。そこでアマンシャグマは棒で天を押し上げた。

 この世が始まった時、天は低かった。もしくは、天地がくっついていた。そのために地上の生き物は苦しみに喘いでいたが、一人の神が天を押し上げ、天地は開闢した……。そう語る創世神話は、世界中に数多い。熊本のこの伝承は、その断片である。沖縄の伝承にもこの系統のものがある。

 大昔、大地は近く接し、人々は蛙のように這って暮らしていた。アマンチュウはそれを哀れみ、ある日、固い岩場を足場とし、両手をもって天を押し上げた。それで天地は離れた。岩場にはアマンチュウの足跡が残った。

 天地開闢を行う神は、剛力の巨人である。伝承の中には、そうした巨人としての天邪鬼も登場する。

(岡山県)昔、山中に天邪鬼が住んでいて悪さばかりしていた。ある夜のこと、天の星を見た天邪鬼はこれを落としてもっと人々を驚かせようと考え、二上山に登って落とそうとしたが、手が届かない。そこで山の上に岩を積み上げ始めたが、積み終わる前に朝になってしまい、天邪鬼は岩ごと転落した。今でも山の途中に多くの岩が転がっているのは この時のもので、天邪鬼の重ね岩、天邪鬼の星取り岩などと呼ばれる。

(神奈川県)昔、箱根山にはアマンジャクという大力無双の者が住んでいた。ある時、アマンジャクは富士山が自分の住む箱根山より高いのに怒って、富士山を取り崩そうと考えた。夜になると富士山を少しずつ崩し、崩した土を天秤で担いで相模灘に捨てた。この土で伊豆大島が出来た。しかし次の晩は、相模灘へ着く前に夜が明けたので、箱根山の辺りに土を捨てた。それが二子山である。

 

虫になる反抗者

 壱岐の伝承において天邪鬼は虫に変えられるが、実際に、虫の事をアマノジャクに類した名で呼ぶ地方は少なくない。

 蝶などのさなぎや幼虫を、茨城県稻敷郡山田郡、栃木県、静岡県志太郡ではアマノジャクといい、長崎県壱岐ではアマンシャグメ、東京都八王子、神奈川県津久井郡、山形県中部ではアマノシャクという。蟻地獄のことを、岡山県御津郡、香川県塩飽諸島ではアマノジャク、岡山県邑久郡ではアマンジャコという。また、香川県では尺取虫をアマンジャコと呼び、新潟県佐渡、神奈川県中部では刺虫いらむしをアマノジャクと、岡山県岡山市ではハンミョウの幼虫などの地虫をアマノジャコと呼ぶ。神に腰弁当を付けられて地に封じられたのだという。千葉県東葛飾郡では蛆、島根県那賀郡ではアメンボ、島根県益田市では水すましをアマノジャクという。

 また、長崎県壱岐では蛙のこともアマンシャグメと呼び、沖縄では、雨が降る前に蛙のような声で鳴く虫のことをアマガク、アマガカーという。

 このうち、水たまりに涌く虫――アメンボや水すましのことをアマノジャクと呼ぶのは、富山県で雨上がりの水溜りに涌くボウフラや虫を「雨雑魚アマザコ」と呼ぶので、そちらの系統の言葉なのかもしれない。同じように、蛙のことをアマンシャグメやアマガク、アマンギャクと呼ぶのは、蛙のことを「ぎゃく」というので、つまり「雨のぎゃく(アマガエル)」が原義であるようだ。朝鮮半島(韓半島)や日本に伝わる民話に「雨蛙不孝」というものがある。親が死ぬ時、子供が何でも反抗する性格なので、わざと墓を川原に作れと言い残す。ところが子供は、親の遺言くらいは素直に聞こうと考える。それで雨が降って川が増水すると、子供は墓が流されないかと心配し、雨が降る前に鳴く雨蛙になったという。この子供を「天邪鬼」として語ることがあるが、性格がアマノジャクだからでもあろうし、天邪鬼と雨蛙アマンギャクの言葉の相似からの関連付けでもあろう。

 

 焼け死んだ鬼の灰が害虫に変わる、というモチーフは日本の「鬼の子小綱」でも見られ、神に殺された者の灰や肉が害虫になる、というエピソードは韓国・済州島の神話にもある。

 天神・天主王が地上の女神・真珠老婆を訪れた。女神の家には饗応できる米が無く、彼女は長寿スミョン長者から米を借り、炊いて天主王に供した。しかし、米は白い石で水増しされていた。怒った天主王は、寿命長者とその家族を焼き殺した。(別説では、天主王の息子の小星王が長者を畑で切り殺した。)するとその骨と肉の粉から、蚊、蝿、南京虫、虱が発生したという。

 他にも、悪い女が罰されて虫に変わった、という類似のモチーフがある。例えば、日本の【死者の歌】系の話では、継子を鍋で煮込んで殺害した継母は、それを知って怒った夫に切り刻まれ叩き潰されてバラバラになり、その肉骨片の一つ一つが蚤や虱になったなどという。韓国の済州島の巫歌「門前神ポンプリ」では、ある女を溺死させてその立場を奪った邪悪な女が、邪魔になった継子たちを殺そうとして露顕し、便所で首を吊って死んだ。その死体の頭は豚の飼料鉢に、髪は馬尾草に、耳はサザエに、爪は巻貝に、口はソルチ魚に、陰部はアワビに、肛門はいそぎんちゃくに、肝はナマコに、腸は蛇に、両足は便所の踏み石に変わり、そして肉は蚊と蚤になったとされる。

 [偽の花嫁]系の「按司加那志」「按司の身代わり花嫁」「翠児と蓮児」では、主人公を殺害して入れ替わっていた《妬む女》は、罪が暴かれると自ら恥じて虫や蛙になる。日本のシンデレラ譚である「米福粟福」では、結婚に失敗した妹は姉を羨みながら田螺に変わってしまう。

 瓜子姫やオレンジの乙女は一度死んで再び乙女の姿に転生するが、これは正の転生である。対して、虫になってしまう(豊穣をもたらさない)《妬む女》の転生は、負の転生と言わざるを得ない。

 

 中国西南部の族の伝承に、以下のようなものがある。

 太古、地上にはまだ穀物がなかった。天上界の阿蕃アファン神はこれを哀れみ、天王神に内緒で五穀の種をもたらした。この頃の稲の実は松笠ほどもあり、人々は豊かになった。
 だが、天王神は大変に怒り、天上界の腕自慢の力士に命じて地上を荒らさせ、人々の暮らしを元に戻そうとした。朶阿惹恣ドオアルズという男が山頂で天の力士と戦い、これを打ち負かした。
 天王神は目から火を、口から煙を吐いて怒った。香炉の灰をつかんで地上に撒き散らすと、それは様々な害虫に変わって田畑を荒らした。そこで、人々は松明で害虫を退治した。これが火把祭ホオバージエの由来である。

 また、こんな類話もある。

 火地公子という名の天上神が、則庫学夫ズクシエフという神を地上に遣わして、重い租税を徴収させようとした。人々はこれを拒み、則庫学夫を撲殺して穴に埋めた。その死骸は地虫に食べられた。火地公子は雀の紙爵ジシュエを地上に遣わして則庫学夫の行方を知り、彼を返すように要求した。そこで人々は松明を掲げ、豚・牛・鶏を屠って賠償とした。
 あるいは、異伝に言う。6月24日の夜、観音菩薩がやって来て道に迷った。人々は松明を掲げてこれを案内したが、菩薩の後からイナゴなどの様々な害虫が付いてきて、穴の中の則庫学夫の死骸を食べると、穴から這い出して田畑を食い荒らした。そこで人々は、案内に使った松明を使って害虫を退治した。これが火把祭ホオバージエの由来である。

 これらの話では、人間が苦労する世界を作っていたのは神の方である。それに対抗した阿蕃神は人間に五穀をもたらす。ギリシア神話のプロメテウス神が、地上の人間のために天の火を盗んで天神ゼウスに罰される話は有名だが、それと同じタイプの文化英雄神譚である。

 彝族の伝承と壱岐の伝承では、「人間が苦労しない世界を望む神」と「人間は苦労すべきと考える神」の立場(上位性)が逆転している。しかし、最後に神の怒りによって、あるいは人々が神を殺害したために地上に害虫が発生したという結末は、どちらも共通している。

 

天邪鬼と呼ばれる鳥

 雨蛙は、気圧が下がると木の枝など高い場所に登り、そこでけたたましく鳴いて雨が降ることを報せる。茨城県竜ケ崎市、千葉県野田市などに「撞舞つくまい」という伝統芸能があるが、これは高さ14メートルほどの帆柱に見立てた柱に命綱を付けない男が登って色々な曲芸じみた技を見せ、水乞い・五穀豊穣・厄払いを願うもので、この男は「雨蛙の面」を着ける。撞舞の「ツク」とは柱の意味だというが、一説には、鳥のテラツツキ(キツツキ)のことだという。なるほど、キツツキは木の幹に垂直にとまってスルスル駆け登る、特異な動きをするものだから、それを柱を登る舞いに見立てたということはあるかもしれない。

 長崎県対馬では、鳥、特にカケスやキタタキのことをアマノジャク、アマノジャクマと言う。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には、アマノサフという木の幹に穴を空けて巣を作る鳥について、以下のように書いてある。

治鳥ジチョウ天魔雄アマノサフ
 『本草綱目』に、越地の深山にこれ有り。大きさは鳩のごとくして青色、樹を穿ちて巣を作る。大きさ五、六升の器のごとくして、口径数寸、かざるに白土をもってす。赤白 あい交わり、その状は的のごとくである。木を伐る者この樹を見れば即ちこれを避ける。これを犯せば能く虎を役して人を害し、人の小屋を焼く。
 昼にこれを見れば鳥の形なり。夜にその鳴くを聞けば鳥の声なり。或いは人の形となる。たけ三尺、谷中に入って蟹を取り、人間の火に就いて炙り食べる。山人、これを越祀の祖と謂う。

 なお、天魔雄神アマのサクガミとは天狗(正確には、天狗・天逆毎姫命アマのサコヒメのミコトの子)だともいう。

 福島県でも鳥のことをアマノジャクと呼ぶが、鳥取県では山彦のことを「呼子鳥」と呼んでいたそうで、つまり山中で口真似をするのは鳥だと想像され、鳥=天邪鬼(反響を返す魔物)=山の魔物=天狗となったのではないかと想像する。

 また、神話の天探女は天から舞い降りた神であり、どこかに鳥のイメージがある。彼女が唆した天神・アメワカヒコが殺害されると、その葬式は様々な鳥たちが取り仕切っていた。

 

額の生殖器

 長崎県の【瓜子姫】の類話に、瓜姫になりすましたヌシの正体が露見したのは、額に生殖器がついていたからだ、とするものがある。

《妬む女》の額に生殖器がつけられ、それによって結婚に失敗してしまう……というモチーフは、海外の[善い娘・悪い娘]系の民話にも現れている。イランの「月の顔」では、祖霊(山姥)に気に入られた「善い娘」は額に星をつけてもらうのに、嫌われた「悪い娘(妬む女)」はロバの睾丸を付けられてしまう。イタリアの「三人の妖精」(ペンタメローネ)ではロバの尻尾が生えるが、これも生殖器の比喩だろう。

 

 天邪鬼と額の生殖器の関連は、高知県の伝承にも見出せる。お大師様が天邪鬼に「額に尻をつけたらよい」と言うと、天邪鬼は「私は腹につける」と言ったという。どういう意味なのか、これだけでは今一つわからない話だが、山口県の伝承ではもっと詳しい。

 昔、神々が人間を作ったばかりの頃、性器をどこに付けたらよいものか、なかなか定まらなかった。というのも、神々の中の嫌われ者の天邪鬼が、顔の真ん中に付けるのがいいと強情に言い張っていたからである。そこで神々は天邪鬼のいない隙に相談し、わざと「お前の言うとおりにしよう」と賛成した。たちまち天邪鬼は反抗し、「そんな下品なことなど出来るものか、容易く他人から見えない股ぐらに付けろ」と言った。それで、人間の性器は股に付いている。(山口県柳井市日積)

 朝鮮半島(韓半島)の伝承によると、かつて、人間の生殖器は額に付いていたのだという。互いにそれを見ることが出来たので非常に道徳が乱れ、人々は人目の無いところではどこでも欲しいままに淫行をし、親友の妻とさえ交わった。そこで、瞳子神が相談して、少し下げて口の位置に生殖器を移した。ところが「臭くてしょうがない」と鼻が不平を言い出したので、今度はへその位置に移した。すると下肢が不平を言った。そんな貴いものを身体の上方にばかり付けておくのは身体の下部を虐待する行為だ、というのである。そこで、公平に身体の中央に付けようということになり、今の位置に落ち着いたのだ、と。

 口の周りにひげが生え、ヘソに穴があるのは、かつてそこに生殖器があった名残だという。そして女の陰部が縦に長くなっているのは上体と下体が互いにこれを引っ張り合っているからだ。瞳子神たちは女陰が動かないように釘形のものを打ち込み、男根も動かないように引き抜いておいたのだという。

瞳子神……夜の間に昇天して世間の出来事を天神に告げる二人の神で、このために人間は夢を見る。かつては人間の両肩の上にいたが、今では両目の中にいるという。

 この伝承を参照すると分かるのは、額の生殖器は「性の乱れ」を表している、ということである。つまり、「悪い娘(天邪鬼)」が額に生殖器を付けているのは、「性にだらしないあばずれ女(結婚に相応しく無い女性)」の比喩であると考えられる。

 

その他の天邪鬼伝承

●あまのじゃくは何にでも反抗する性質だった。そこで、弘法大師は小さな壺を置いて、「いかにお前が知恵者でも、この中には入れまい。入れるものなら入ってみよ」と言った。あまのじゃくがムキになり、本当にこの壺の中に入ったところで弘法大師は蓋を閉め、あまのじゃくを封印してしまったそうだ。(徳島県海部軍宍喰町西町)
※日本では、天狗や山姥などの魔物の退治法としてお馴染みのモチーフである。魔物に「いくらお前でも小さな豆粒には変身できまい」と言うと、魔物は本当に化ける。たちまちそれを食べてしまった、というもの。フランスの「長靴をはいた猫」でも、猫は人食い鬼をネズミに変身させて食べてしまう。

●天邪鬼はどういうわけか疫病神の疱瘡が大嫌いで、それが海の彼方からやってくると、泥団子を山ほど作って投げつけ、追い払った。よって、いつの頃からか人々は天邪鬼を山神として祀り、疱瘡(天然痘)が流行するとほうそう団子を作り、団子の真ん中にちょんと赤い印を付けてお供えする。

●赤ん坊は、一日は天邪鬼が子守して泣かせず、一日は地藏様が子守をして泣かせる。泣かせた方が子供はよく育つ。
●アマンジャクは産神であり、出産に立ち会う。生子は一日目はアマンジャクが子守をし、泣かせまいとする。(秋田県)
※これは、天邪鬼の豊穣神としての面を語ったものであろう。天邪鬼は山姥と同一視されるが、山姥の本体の山の神は人間の出産と運命を司る産神とされる。なお、地蔵はその名のとおり、胎内に富を蔵した豊穣の地母神で、特に子供を守護するとされる女神である。

●水浴びしていた天女の衣を隠して嫁にした爺が、衣を見つけて天に帰った天女の後を追って天に昇る。天の畑で瓜もぎの手伝いをした時、食べてはいけないと言われていた瓜を食べると、中から大水が出て夫婦は別れ別れになった。せめて月に一度逢おうと言ったのを、横から天邪鬼が一年に一度だと言ったので、夫婦は年に一度、七月七日にしか逢えなくなったという。(長野県上伊那郡)
参考--> 「天稚彦の草子

●アマネサクまたはアマノシャクは、炉の灰の中に潜んでいる。子供が灰で遊んだり火をいじったりすると、灰から出て、寝ている子の首、胴、手足を切って、炉の中に引き込んで食う。(岩手県)
※青森県でも、アマノジャクは炉の灰の中にいる妖怪だという。

●雨の日に髪を洗うとき、水を少し雨だれのところにこぼしておかないと、アマノジャクに髪を舐められる。(神奈川県)
※群馬県勢多郡、新潟県中越では雨だれのことをアマノジャクと呼ぶ。

昔、天には太陽が七つもあり、暑くてたまらなかった。そこでアマンジャクが松の切り株に腰掛け、六つまでを射落としたという。これ以降、松の切り株からは芽が出ない。(岡山県)
※いわゆる射日神話である。この天邪鬼は創世英雄の性格を持っている。なお、天邪鬼が松の切り株に腰掛けた、というのは意味深かもしれない。松の木は生命樹だからだ。だが、それが切り株になっており、しかもその後 芽が出なくなったと語られる。中国の神話では、十の太陽が生命樹たる桑の木の枝に鳥か果実のように休むが、太陽を殺すということは、その止まり木たる生命樹をも傷つけるということなのだろうか。

おとなう神霊

 留守番をしている瓜子姫のもとに、天邪鬼は訪ねてくる。最初、瓜子姫は両親の言いつけを守って頑なに戸を閉ざしているが、あれこれ言いくるめられ、とうとう扉を開けてしまう。

 この扉越しの問答によく似たシーンは、「狼と七匹の子ヤギ」系話群や「狼ばあさん」系話群にもある。子供たちが留守番していると、狼(人食い鬼)が母や祖母に化けてやって来て、中に入れろと言う。子供たちが怪しんで「手を見せろ、足を見せろ」と言う場合と、合言葉の歌声がいつもと違うと拒否する場合があるが、いずれにせよ、狼はそれらの問題をクリアして戸を開けさせ、中の子供を食べてしまう。

 それらに比べると、瓜子姫の抵抗は弱い。天邪鬼は「指だけ入れてくれ」「頭だけ入れてくれ」と少しずつ戸を開けさせ、頭を入れる許可を得るなり、強引に押し入ってしまう。瓜子姫はまるで逆らえない。

 この「少しずつ中に入れさせる」というモチーフは、フランス民話「狼と豚とアヒルとガチョウ(『フランス民話集』 新倉朗子編訳 岩波文庫 1993.)にもある。これは有名なイギリス民話「狼と三匹の子豚」の類話でもある。

 豚おじさんとアヒルおばさんとガチョウおばさんがそれぞれ、謝肉祭に自分を食べようとした飼い主のもとから逃げ出し、ガチョウは藁や木の葉で、アヒルは木の枝で、豚は石と板と釘で小屋を作って独立する。森の狼がやって来てアヒルの家の戸を叩き、開けるのを拒むと屋根の上で暴れて小屋を潰す。アヒルはガチョウの家に逃げるが同じことになり、豚の家に逃げる。狼は豚の家を潰せず、なんとか中に入ろうと懇願を始める。

「豚くん、豚くん、おいらは寒くてたまらんよ、中へ入れて火にあたらせておくれ」

「駄目だよ、僕たちを食べるから」

「そんなら尻尾の先だけ温めさせておくれ」

 豚が戸を少しだけ細めに開けると、狼は尻尾の先を家の中に入れた。そこで豚は壁と戸の間に狼の尻尾を力いっぱい挟み込んだ。でも狼は叫び声一つあげなかった。

「尻尾はあったかくなったから、今度は後ろ足を入れさせておくれ」

 狼の体の後ろ半分を中に入れてやった豚は、脇腹を戸でぎゅうぎゅう締めつけ、アヒルとガチョウがくちばしで尻をつついた。でも狼は一言も叫ばなかった。

「後ろの方はあったかくなったから、今度は前足を入れさせておくれ」

 狼の前半分を入れてやった豚は、首をぎゅうぎゅう締めつけたので、狼は息を吸うことも口をきくこともできなかった。

「さて前もあったまったから、今度はそっくり全部入れておくれ」

 豚が戸をいっぱいに開くと、狼が飛び込んで、「さあて、三人とも御馳走になるとするか」と言った。

 【瓜子姫】系の類話では、人食い鬼に家に侵入された娘は、場合によっては箱の中に隠れるが、結局発見されて食い殺されてしまう。しかし上記のフランス民話では、豚が逆に「猟犬が来たぞ」と狼を騙して箱に隠れさせ、[牛方山姥]のように騙しながら、箱に熱湯を注ぎ込んで殺す。→続き

 パンジャブの「チャンクとマンク」でも、少しだけ戸が開くと魔物が一気に中に押し入ってくる。

 

 魔物(人食い鬼/盗賊)がやって来て、中に入ろうと外から手や頭を差し入れてくるというモチーフは、世界各地の伝承で見ることが出来る。クロアチアの民話「盗賊の嫁もらい」では、粉屋の末娘が一人で留守番していると、盗賊がやって来て中に入ろうとする。娘は盗賊が頭を入れたところで剣を振り下ろし、頭の皮を削ぎ落とした。スペインの類話では、戸の下から差し入れられた手の指を斬り落としている。

 侵入しようとした悪者が手や頭を入れたところで斬り落とし退治してしまうモチーフは、例えば『グリム童話』の「腕利きの狩人」(KHM111)にも見える。眠っている王女を連れ去ろうと、三人の巨人が城に侵入しようとする。しかし主人公は内部で待ち受け、巨人が頭を突き出したところで斬り落とす。(逆に、人食い鬼の棲む洞穴の外で待ち構えて誘い出し、鬼が頭を出したところを斬り落とした、と語るモチーフもある。

 退治とまではいかないが、差し込まれた魔物の手を斬り落とす話は、日本にもある。【河童の薬】と呼ばれる話群だ。基本的には、

 男が自分自身もしくは連れていた牛馬を、河童の手で水に引き込まれそうになり、その腕を斬り落として逃れる。後日に河童が訪ねてきて、腕を返すのと引き換えに万能薬を渡し、男はその薬で金持ちになる。

という話だが、種子島に伝わる類話(「骨つぎの妙薬」/『日本の民話 種子島篇』 下野敏見編 未来社 1974.)では、女が夜にトイレに入っていると下から河童が手を伸ばして触るので斬り落としたところ、翌朝、河童が片腕のない立派な男に化けて訪ねてくることになっていて、「盗賊の嫁もらい」系の話によく似ている。違うのは、訪ねてきたモノが与えるのが《災い》か《幸福》かということだ。

 

 アイヌの神話によれば、飢饉の時に女神が夜毎に人々に食料を配って回ったが、それは家の上座からご飯を盛った椀を差し入れるという方法で、人間たちには腕しか見えなかったという。ある若者が邪心を起こし、この腕を掴んだところ、女神は消え去って二度と現れなくなった。ここでも、家の外からそっと腕が差し込まれる。

 これに似た話は日本本土にも広く伝わっており、【椀貸し淵】伝説と呼ばれる。基本的には「池など特定の場所に行って願うと、姿を見せずに食器や調度品を貸してくれる不思議なモノ(河童/大蛇/竜宮の乙姫/狐)がいたが、あるとき不心得者が借りたものを返さなかったところ、二度と何も貸してくれなくなった」というものだが、例えば宮崎県延岡市稲葉崎に伝わる類話では、山姥が洞穴から美しい手だけを出して無言で椀を貸してくれていたが、不心得者がその手を掴んで顔を見ようとすると消え去り、二度と何も貸してくれなくなったとする。以来、微かに琴の音だけが響くようになった。山梨県巨摩郡清春村の伝承では、清泰寺の白雲和尚が正体を見極めてやろうとわざと椀を返さずにいたところ、五日目の夜に背の高い美女が訪ねてきて早く帰してくれと言う。和尚が差し出された女の白い腕を刀で斬り落とすと、女は大蛇となって逃げ去り、蛇の尾(?)が残ったという。これに水を注ぐと必ず雨になる。

 

 川や森や穴底から現れ、夜中や家人の留守中に訪ねてきて、外から呼びかけては入り込もうとし、腕や頭を差し入れてくる、顔の見えない何者か。天邪鬼、巨人、山姥、狐狼、盗賊……様々に形象されるが、結局はそれは《幸と災いのどちらをも与え得るモノ》……即ち、冥界から訪れた神霊ではないだろうか。

 冥界の神は《死》そのものでもある。それは大きな口をぽかりと開けて、この世とあの世を隔てる千引きの岩を押し開こうと呼びかけの声を発し、豊穣を…若い命を呑み込む機会をうかがっている。

金のきゅうり  インドネシア バリ島

 昔、ひとりの寡婦が《金のきゅうり[クティムン・マス]》という十歳の娘を持っていた。母子は村の西の森、ダウ・イェの近くに住んでいた。この辺りにはあまり人が住んでいなかった。

 ある日、母親は市場に買い物に出かけたが、娘に「お土産にパンケーキを買ってくるからね。ママが帰るまで、戸に鍵をかけて、誰が来ても開けないようにするのよ」と言い置いた。

 娘が留守番していると、突然、巨人がやって来て低く恐ろしい声で言った。

「クティムン・マスや、ママが帰って来たわよ。戸を開けてちょうだい」

 しかし娘は母親の声ではないと気付いたので開けなかった。巨人はしばらく待っていたが、諦めて帰って行った。

 やがて本物の母親が帰ると、娘はこのことを報告した。巨人は娘をさらおうとしているのだと気付いた母親は、自分がいないときは決して家の外に出ないようにと注意した。

 その後、また母親が市場に出かけた間に、巨人がやって来た。巨人は道中で捕まえた若者を脅して、母親の声をまねてクティムン・マスに呼びかけるよう命じた。その声が母親にとても似ていたので、クティムン・マスは戸を開けてしまい、たちまち巨人に連れさらわれた。泣いても叫んでも無駄だった。

 さて、帰ってきた母親は、がらんとした家を見て娘が巨人に連れさらわれたのだと知ると、通りかかった猫とネズミに娘を取り戻して来てくれないかと持ちかけた。魚と米と引き換えに二匹は喜んで承知し、巨人の家に出かけて行った。

 クティムン・マスは大きな木の箱の中に閉じ込められ、それを目の見えない番人と耳の聞こえない番人が見張っていた。巨人は台所で料理の支度をしていた。

 ネズミは箱をかじって穴を開け始めた。一方で、猫は箱の上に座って騒いでみせた。箱がかじられるカリカリという音を聞いて、目の見えない番人は「何の音だろう」と怪しんだ。すると耳の聞こえない番人は「箱の上に猫がいる」と言った。目の見えない番人は「追い払え」と言ったが、耳の聞こえない番人は聞こえなかったので何もしなかった。

 ネズミは大きな穴を開け、クティムン・マスは二匹に伴われて逃げ出した。急いで家に逃げ帰ると、心配していた母親が大喜びで迎えてくれた。猫とネズミは約束通りにお礼を受け取った。


参考文献
金のきゅうり 〜巨人にさらわれた娘〜」/『インドネシア昔話の部屋』(Web) 塩原朝子/笠井洋子/佐々木美佳/伊藤暁子製作 東京外国語大学 AA研 塩原研究室サイト内 2001-

※目の見えない番人と耳の聞こえない番人は、ギリシア神話のペルセウスのメデューサ退治譚に登場する、一つの目と耳と歯を三人で使い回している山姥グライアイと同根の存在だろう。冥界の関守である。クティムン・マスが閉じ込められた箱は冥界そのものの暗示だが、棺桶と考えてもいいかもしれない。

変り種の瓜子姫

 最後に、変わったタイプの【瓜子姫】の類話を幾つか紹介する。

●婆が川で拾った瓜を持ち帰ると、中から男の子が生まれ、瓜姫小次郎と名付ける。爺婆の留守にアマノジャクが来て寺参りに誘い出し、木に縛り付けて「瓜姫小次郎を木のうらに、あまのじゃくは寺参り」と歌う。小次郎は自力で縄を解いて木から降り、逆にアマノジャクを木に縛り付けて、同じように歌う。アマノジャクが縄を解いて降りようとしているところに爺婆が来て縛りつけ、小次郎と三人で寺に参る。(岐阜県吉城郡上寶村)

●婆が川で瓜を拾って割ると、姫が生まれる。瓜姫とは呼ばない。姫は鬼を退治して長者になる。断片。(島根県)

●婆が川で瓜を二つ拾い、一つは食べて残りは持ち帰り、爺にやろうと戸棚に入れておくと、女の子が生まれる。うるんめと名付ける。うるんめがいなくなったので探しにいく。途中で出会った包丁研ぎ殿、鉈研ぎ殿に訊ねて、鮨を食べさせて教えてもらう。うるんめは「爺に一反、んぼうに一反、そいが残りは俺が着っと」と歌いながら機を織っていた。(鹿児島県下甑島)

●婆が川で拾った瓜から瓜姫が生まれる。瓜姫のもとには常に大勢の若者が集ったので、畑を荒らせなくなったアマノジャクは姫を憎み、爺婆の留守中、女に化けて姫を連れ出して木に縛りつけ、姫に化けて機を織っていた。やがて爺婆が帰ってくると、鳥が「瓜姫の乗駕籠にあまのじゃくが乗ったとさ」と啼いたので、正体が分かった。爺婆は若者と共に姫を探しに行き、姫はアマノジャクを捕らえた若者と夫婦になった。(長野県)

●あまんじゃくは、実は姫を手に入れたがっている殿様の手先であった。女中を仲間にして姫の部屋に入り、さらって殿様に差し出した。姫はあまんじゃくを気に入って側に置くようになり、爺婆を呼び寄せて、殿様の嫁として幸せに暮らした。(広島県)

●婆が川で栗を拾い、家で爺と割ると姫が生まれ、栗姫と名づける。爺が病気になり、うぐいすの卵を飲まないと治らないと言う。姫は山へ探しに行き、休んでいると、うぐいすが来て下ばかり見ている。そこに卵があり、拾って帰って爺を治す。(長崎県)

 

>>参考 [その他の瓜子姫]

主な参考文献

いまは昔むかしは今1 瓜と竜蛇』 網野善彦/大西廣/佐竹昭広編 福音館書店 1989.
『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
『日本方言大辞典』 小学館
『朝鮮神話伝承の研究』 依田千百子著 瑠璃書房

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