■お月見の話

 

名月や 池を巡りて 夜もすがら

 中秋の名月を称える、芭蕉の句です。

 

 さきおととい、十月一日は中秋の名月でした。みなさんはお月見をしましたか?

 ウチの方は天気があまりよくなかったのですが、幸い雲も晴れ、見る事が出来ました。

 金色のお盆のようにくっきりして、ぴかぴかに光っていました。庭に咲く木犀の香りがただよって、星のような花が月に白々と冴え、とてもきれいで気持ちがよかったです。

 尤も、中秋の名月は必ずしも満月とは限らないそうで、実際、今年('01年)も月が完全に満ちたのは翌十月二日。昨夜の月は本当に明るくて、電灯を消した室内に明るく光が差し込み、影を落としていました。

 

 そもそも、中秋とは古い季節の区切り方から来ています。

 旧暦では――今の暦は太陽の運行に合わせたものなのですが、昔は月齢に合わせたものが使われていました――三ヶ月ごとに季節を区切り、更にそのひと月ごとを「初・仲・晩」で区切って季節を細分していました。

 

春      夏       秋        冬  
一月(初春) || 四月(初夏) || 七月(初秋) ||  十月(初冬)
二月(仲春) || 五月(仲夏) || 八月(仲秋) || 十一月(仲冬)
三月(晩春) || 六月(晩夏) || 九月(晩秋) || 十二月(晩冬)

 

 この方式で見てみると、中秋(仲秋)は八月ですね。

 そう、昔から八月十五日の月を「中秋の名月」と呼んで鑑賞する風習があったのです。

 ……でも、あれ? 今回の「中秋の名月」って、十月だよ? 全然違うじゃないか。大体、昔っから、九月十五日が「十五夜お月さん」でお月見をするんだって聞いてた気がするぞ?

 そう感じた方もおられるでしょうが、これは、今と昔の暦のズレのせい。(新暦は、旧暦から一ヶ月から一ヶ月半くらい遅く月がズレます。)

 昔は八月十五日――すなわち、「秋」の真ん中の八月(仲秋)の、更に真ん中の十五日(中秋)の月、という意味があったのですが、現在の暦で見ると、年毎に九月だったり十月だったり。理論上、最も遅くズレ込むと十月八日になるそうです。更に言えば、最初に書いたとおり、必ずしも満月ではないんだそう。

 ただ、秋分のすぐ後のこの時期、月は日没と共に昇り、一晩中空を巡っています。芭蕉のように、じっくりと月見をするには丁度いいでしょう。

 

 この中秋のお月見の起源は中国にあるそうで、望月という風習があったのを、平安時代に遣唐使が日本に伝えたのが始まりとされています。(ただし、それ以前にも農閑期の豊穣祈願祭としての月見があったという説もあり。)当初は貴族達だけのお祭り――いまで言うならブルジョア層だけの海外イベントの模倣だったのが、江戸時代になると一般に浸透したんですね。

 ただ、この季節は空が澄んで月がきれいに見えるとはいえ、いわゆる九月の長雨や台風で天気が崩れることも多いようで、なかなかお月見ができないことも多かったよう。

 江戸時代の書物には「中秋の名月、十年に九年は見えず」という記述もあるそうです。

 しかし月を見ようという人々の情熱は深く、いわば十五夜・イブ――前夜の十四夜に見るのが「宵待月よいまちづき」、ダメなら十六夜に見るのが「十六夜いざよい」、それでもダメで十七夜は立って待つのが「立待月たちまちづき」、もっとダメなら十八夜に座って待つ「居待月いまちづき」、十九夜はもう寝て待つ「寝待月ねまちづき」、そして五日目、二十夜になると、月も夜更けまで出なくなってしまうので「更待月ふけまちづき」と呼んでお月見を敢行しました。なかなかの執念です。

 

 お月見には、お供え物がつき物です。

 現在の私達のイメージではススキや団子を供えますが、日本各地の供物を調べると、サトイモを供えることも多いようで、どうも元はサトイモの収穫祭的な性格があったものが、その代用として月見団子を供えることになったようです。実際、中秋の名月は別名「芋名月」と呼ばれます。本家中国でも、月見の日にはサトイモを食べる慣習が各地に残っているそうです。

 供える団子もしくはイモの数は十二もしくは十三で、これはその年の月の数を表しているとか。だから普通の年は十二で、閏年は十三になるようです。今となっては数に関する決まりは廃れていて、「適当」としているところも多いようですが。それを三方(木で作ったお供え用の四角い台)に盛り上げます。

 月見団子の形は各地でそれぞれ違っていて、イラストでよく見る、例の白くて丸いものから、紡錘形(サトイモの形)に作ったものにあんこをぐるりと巻きつけるもの、円盤形に作ったものの真中をヘソのようにへこませるもの等があります。おはぎやかしわもちを供えるところもあるようです。どちらにしても、元がサトイモだったのだとするなら、丸くて白い、サトイモを模した形だということなのでしょうね。

 なお、ススキに関しては「供えたススキを家の軒に吊るしておくと、一年間病気をしない」という言い伝えが全国的にあるのだとか。

 

 お月見に付随した独特の行事というものも、日本各地にあります。

 供えられた月見団子を子供達が盗み食いをする。それは公認のことで、おいしい団子の家は人気があったそうです。「団子突かせてぇ〜」と言いながら、木の棒やお箸などで縁側に置かれた団子を突ついて分けてもらいます。現在はその風習はほぼ廃れ、残っているところでも、ただお菓子をもらうことになっているのが殆どだとか。

 沖縄の宮古島では、十五夜に子供達が自作した衣装で獅子舞をして各戸を回り、お駄賃をもらっていたそうです。けれど、もっと昔はそんなことはしていなくて、子供達が木の棒で各戸の雨戸を叩いて厄払いする儀式だったとか。

 どちらにしても、子供達が家々を回りながら、棒状のもので何かを叩いたり突ついたりする儀式だった……? 子供達は月(神)の化身として扱われたのでしょうから、神というのは狼藉を働くもの、と認識されていたんでしょうか?

 その他、南九州では十五夜に子供達が綱引きをしたり、相撲をするということです。

 

 先に、中国でも月見にサトイモを食べると書きましたが、どうも一般には月餅を食べているようです。

 月の餅といえば、日本では月にはウサギがいてお餅を搗いていると言われていますよね。(あ、ここでも餅(団子)を突いている…?)この伝説も本家は中国にあり、中国では玉兎が不老不死の仙薬を搗いていると言われています。

 日本の『竹取物語』においても、月からやってきて月へ帰っていった仙女(女神)かぐや姫は、養父母に不老不死の薬を残して去っていきます。月には不老不死もしくは甦りの力がある、という思想は、大昔から世界中に広まっていました。それは、毎月満ちては欠け、また満ちていく(生まれ育っては死に、また甦る)月の姿から連想されたものです。日本の月の神と言えば月読ツクヨミですが、彼は若返りの力を持つ「変若水ヲチミズ」を持っているとされていました。

 

 万葉集にこんな歌があります。

天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読の 持てる変若水 い取り来て 君に奉りて 変若得しむもの

天の橋がもっと長いなら、高山がもっと高いなら、月の神の持っている若返りの水を取ってきて、あなたにさしあげて若返らせてあげるのに

 

 少なくともこの時代には既に、月の神が若返りの水を持っていて、それが得られないために人は死なねばならないという思想が一般的にあったことが判ります。

 

 少し話がそれますが、「月」と「ウサギ」と「不死」を絡めた話は、実はアフリカにまで存在しています。ホッテントット族の神話では、ウサギは月に命じられて人間達に「不死」を伝えに来た使者でした。その言葉はこうです。

「私が死んでも甦るように、お前達も死んだらまた甦るがよい」

 しかし、ウサギはついうっかり言い間違えてしまいました。

「私が死んでも甦らぬように、お前達も死んでも甦ってはならぬ」

 こうして、人間は死すべき定めを与えられました。月は、罰としてウサギの唇を裂き、ウサギは今でも走って逃げています。そして月にはこの時ウサギによりつけられた傷が、影となって残っているのだそうです。

 これによく似た話は世界中にありますが、日本でも沖縄地方などに存在しています。月に住む童子アカナーは、人間に巣出水しじみずを、蛇に死水を運ぶように命じられました。早速、天秤桶を担いで出かけます。しかし、途中でちょっと休んだスキに、蛇に巣出水を浴びられてしまい、しかたなく、死水を人間に浴びせて帰りました。月は怒り、罰として永遠に立っているように命じました。月に見える影は、今でも桶を担いだまま立っているアカナーの姿なのだそうです。そしてこの時より人は死ぬ定めになり、蛇は脱皮してはよみがえるようになったのだそうです。

 人間が昔は脱皮して若返っていて、しかしある事件の為にそれができなくなり、死なねばならなくなったという神話も、世界各地にあります。この言い伝えは古くは日本にもあったのだろうと言われています。関東北部から東北地方にかけては、六月一日を「ムケノツイタチ」や「ムケゼック」と呼んでいて、蛇や虫が桑の木の下で皮を剥く日だと言い伝えられていたそうです。人間の皮も剥けるのですが、それを見ると死んでしまうと言ったり、あるいはきれいに剥くために、麺類など特別な食べ物を食べるそうです。(この特別な食べ物の中には「芋汁」が入っています。)

 

 さて、中国では、月には他にカエルの姿をした不死の女神――ジョウガ(コウガ)が住んでいて、カエルの姿が月の影となって見えると言われることがありますが、もう一つ、月の影は五百丈に及ぶ巨大な桂の木と、それを切り倒そうとしている男だという伝説もあります。

 月に桂の大木が生えている、というのは中国ではかなり普及した考えらしく、様々な民話にその設定が出てきます。

 ところで、ここで言う「桂」とは日本で言うところの桂ではありません。勿論、月桂樹でもありません。中国で言うところの桂とは、「木犀」――いわゆるキンモクセイを指します。

 桂も木犀も、日本にはその昔に中国から移入されたものなのですが、まだ木犀が日本に入っていなかった頃、抹香の原料として使われ、葉にも芳香のあった(今日本で言うところの)桂を見て、うっかり「この木が桂というものだろう」と勘違いしてしまったようなのです。

 中国の桂林には沢山の木犀の木があって、花の季節にはそれは素晴らしい香りが漂うのだそうですよ。

 

中国の昔話

 昔、呉剛という貧しい薪取りがいました。
 ある中秋の日。大雨で薪を取りに行けずにしょぼんとしていると、突然庭に芽が出て、見る間に巨大な木となり、小さな沢山の花が咲きました。それは木犀の木でした。香りのいい この花を摘んで売り、呉剛は次第に裕福になりました。この花は一年中咲いている上、いくら枝を切りとってもまたいくらでも生えてきて、無くなることがないのでした。
 その後、真冬のことです。
 皇太后が病気になり、息子である皇帝に「木犀の花があれば元気になれる」と言いました。この季節に木犀の花があるのは呉剛の庭だけです。早速、彼は木犀の花を献上しました。
 皇后は元気になり、皇帝は呉剛に褒美を与え、役人に取り立てたのでした。

 それから何年か経ちました。
 その年の中秋の日。死を迎えた皇太后は、私のお墓に呉剛の木犀を一緒に埋めてほしい、と言いました。皇帝に「褒美として金三千両と宰相の位を与えよう」と言われた呉剛は、ついに庭の木犀の木を切り倒し始めました。
 その時でした。

「呉剛はなんて欲張りなんだろう。可哀想に思って木犀を授けたのに、それを売ってしまうとは。木犀は月宮に運び、全ての者が見られるようにしよう」

 それは、月に住む天女の声でした。
 天女たちが降りてくるのを見て、呉剛は木犀に登って隠れました。そして、そのまま木と一緒に月宮にまで運ばれてしまいました。
 それでも、呉剛は諦めませんでした。
 天女たちが姿を消すと、彼は再び、木犀に斧を入れました。しかし、切れば切っただけ、傷ついた幹は元に戻ってしまうのです。
 こうして、今でも呉剛は、月の中で木犀の大木を切り倒そうとしつづけており、その影が月に浮かんでいるのです。

*別説によれば、呉剛は元々見習い仙人で、師の怒りを買って贖罪のために月の桂を切り続けている。
 中国では、月の桂の葉がたまに地上に落ちてくることがあり、その葉を持っていると願い事が何でも叶うと言われているそうだ。

 

 木犀には、オレンジ色の花の咲くキンモクセイ、薄黄色の花の咲くウスギモクセイ、そしてこれが本来の木犀であるギンモクセイの三種があります。月の美しいこの季節が、丁度木犀の花の季節でもあるというのは、多分偶然ではないのでしょう。木犀の香りを嗅ぎながらお月見をするうち、中国の人達も、月には木犀の大木が生えている、と考えるようになったのではないでしょうか。

 金色の月にはキンモクセイが、薄い色の月にはウスギモクセイが、そして銀色に輝く月にはギンモクセイが、その星群れのような花を咲かせているのかもしれません。

 

 月に挂の木が生えている、もしくは桂男なる者が住んでいる、という伝説は、かなり古くから日本にも伝わっていました。

 

目には見て 手にはとらえぬ月の中の かつらのごとき妹をいかにせむ (万葉集)

目には見えるのに、手で確かに捕らえることはできない。月の桂のようなキミを、どうしたらいいだろう

 

 浅間菩薩の由来を語る『浅間御本地御由来記』には、五万長者の姫君が読経していると月の桂男が白蛇に変じて胸中に入り、懐妊したとあります。………呉剛……。

 江戸時代の妖怪本には、妖怪としての桂男の記述があります。得体の知れない、もやもやした大入道のような姿をしています。

 なんでも、月には桂男というものが住んでいて、月のきれいな夜、きれいだからと言ってあんまり月に見入っていると、桂男に手招きで誘われて、寿命が縮まってしまうのだそうです。…呉剛ぉオオおおお!

 これまで、月には不死を与える力がある、と書いてきましたが、また同時に、月には死を与える力があることにも、皆さんお気づきになられていると思います。実際、桂男が現れるのは月の死の態――満月以外の欠けた月を見ているとき、だそうで。いつのまにか、呉剛は月の死の面を表す存在になってしまったようです。

 

 月の中に立っている木犀の大樹は、いわゆる世界樹の一形態だと思われます。永遠に生き続けて再生し、侵すことのできない「世界」そのものです。しかし、北欧の世界樹ユグドラシルに、常にその根や葉をかじりつづけている動物がいるように、世界を蝕む存在として、木を切りつづけている男、呉剛が存在しているのでしょう。いつか彼が木を倒すことに成功したとき、何か一つの世界が終焉を迎えるのでしょうか。あるいは、彼が木を切り倒すから月が欠けて消え、しかし倒された木が復活するので、再び月が満ち始めるのかもしれません。

 

 ところで、十月一日のテレビのニュースで中秋の名月の話題が出ていたとき、テロップには「十三夜」と書いてありました。

 ……え、十三夜? 十五夜じゃないの?

 実は、本当に「十三夜」のお月見というのも存在しているのだそうです。

 こちらは旧暦の九月十三日で「後の月」と呼ばれ、八月十五夜の「芋名月」に対して「栗名月」もしくは「豆名月」と呼ばれます。勿論、この時期にこれら栗や豆の収穫が行われるためで、実際に月見団子の他にこれらを供えるそうです。十五夜は中国から伝わった慣習ですが、こちらは日本独自のものなのです。

 なんでも、片見月もしくは片月見といって、十五夜のお月見をしたなら必ず十三夜のお月見もしなければならないだとか、同じ場所で見なければならないなどと言われていたそうで。十五夜と十三夜は対として考えられており、片方だけなのはよくないと考えられていたようです。

 十三夜の月は縁起がよいとされていて、拝むと物事がうまく行くだとか、豊作になるなどと言われています。

 

 今年('01年)の十三夜は十月二十九日。

 みなさんもお月見をして、月に願いをかけてみてはいかがでしょうか。

 ただし、満月ではないので桂男に誘われないように気をつけて。



 

01/10/04

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