■地を這う冥府の星の話

 夜空で一番明るい星は、天狼星シリウスです。では、二番目に明るい星の名を知っていますか?

 答えは、カノープス。竜骨座カリーナの一等星です。

 竜骨キールとは船の部品で、船底にある、いわば船の背骨。……しかし、船の背骨の星座って何なんでしょう? 星座図をよくよく見ると、竜骨座の周りには「とも座」「帆座」「羅針盤座」と、船の部品の星座が寄り集まっています。実は、元々この四つの星座を併せて「アルゴー船」という一つの船の星座だったのですが、あまりに大きかったので四つに分割して呼ばれるようになったのだそうです。

 アルゴー船は、ギリシア神話に登場する船の名です。

 

 その昔、イオールコス王国にイアーソンという若者がいました。彼の父はこの国の王でしたが、異父兄弟のぺリアスに王位を奪われていました。ぺリアスは甥のイアーソンを警戒し、彼に「コルキスのアイエーテース王の持っている金の羊の皮を取って来い」という難題を命じたのです。
 イアーソンは、この厳しい冒険のために、かいが五十もある大きな船を建造させました。船大工の名はアルゴスといったので、この船はアルゴー船と呼ばれることになりました。アルゴー船の船首は女神アテナ自らが提供した木材で作られたもので、人の言葉で預言を吐くのでした。

 アルゴー船には、ギリシアの名だたる英雄たちが乗り込みました。琴の名手オルフェウス、北風の神の息子で翼を生やした双子、ゼテスとカライス。ゼウスの息子で、絶世の美女ヘレネーの兄である双子、カストールとポリュデウケース(ポルクス)。その従兄弟で、豪腕のイーダース。その兄弟で”全てを見通す目”を持つリュンケウス。そして、船を作ったアルゴスと、勿論リーダーのイアーソン。旅の途中、英雄ヘラクレスが仲間に加わったこともありました。

 様々な国を通り過ぎ、時に誤解ゆえの悲劇さえ起こし、船は”打ち合わさる岩”を通り抜けて、コルキスにたどり着きました。
 イアーソンが金の羊の皮を譲ってくれ、と頼むと、アイエーテース王は引き換えに難題を命じました。普通の男なら無事ではおれないものでしたが、アイエーテス王の娘・メディアが全て取り計らってくれて、ついには金の羊の皮を盗み出すことに成功しました。メディアは魔法の心得のある、魔女だったのです。
 イアーソンはメディアを伴って、長い帰途の旅に出発しました……。

 

 イアーソンとメディアの物語はこの後も長く続き、恐ろしい悲劇にたどり着くのですが、それはまた別の話になります。

 

 ところで、カノープスはギリシア神話のある英雄の名前なのだそうです。アルゴー船座の中にある星なのですからアルゴー船に関わる英雄かな、と思うところですが……、実は違うのですよね。何故なのでしょう。

 カノープスは、スパルタ王メネラーオスの船の舵手だったといいます。毒蛇に噛まれて早世したとか。ということはスパルタの英雄だったのか? と思えますが、その名はナイルの河口などに付けられているそうですし、「エジプトの冥界の神オシリスの船の舵手」という説もあるそうで、どちらかというとエジプトに縁のある英雄(神?)のように思えます。なんにしても舵手なのは、明るく輝く星カノープスが、船乗りたちの目印だったためなのでしょうか。

 ところで、オシリスの船とは何なのか? よく判らないのですが、要は三途の川の渡し守、といったところでしょうか? エジプトの『死者の書』には、死者の魂は天空を翔ける船に乗る、とあります。これはオシリスの船ではなく、太陽神ラーの船なのですが、太陽神と冥界神は表裏一体のものですし死者を冥界のオシリスの法廷へ運ぶ船であることは間違いないので、多分、この船のことではないでしょうか。水平線の空に浮かぶ巨大な船――その星座。そこで最も明るく輝く星、カノープス。彼がその船の舵手。……うん、ピッタリです。

 

 さて、こんなカノープスですが、アジアの東までやってくると、殆ど目にすることの出来ないレアな星になってしまいます。 日本では、最も高く空に昇ってさえ、冬に関東以南の南の空の地(水)平線すれすれにようやく見える程度で、すぐに沈んでしまいます。しかも地平ぎりぎりのため、偏光してどんよりと赤くかすみ、暗く見えます。カノープスは、日本では二番目に明るい星ではないのです。

 韓国でも、高い山にでも登って、しかもよほど空気が澄んでいなければ、この星を見るのは難しいとか。

 中国でもかなり低い位置に見えるようで、日本と同じく、滅多に見られない星として珍重されていました。なんでも、春分の日の暮れと秋分の日の明け方の南の空に、低く、ほんの僅かな時間しか見られないそうで、そのため、見られたらラッキーな星、幸運を与える星と考えられるようになりました。『晋書天文史』には「現れるとき、世は太平である。人の長寿と隆昌を管掌する」とあり、『史記』には「老人現るれば、治安く、見えざれば兵起る」とあります。

 そう、中国ではカノープスは「老人星」と呼ばれています。他に「寿星」「南極星」などと呼ばれることもあります。「寿星」なのは幸運を与える星だからでしょう。「南極星」なのは南に昇る星、南の果て(極まり)にある星だからでしょうか。南の方角は生や幸運を司るようですし。では、何故「老人星」なのか?

 実は、中国ではこの星を擬人化するとき、何故か必ず”老人”として表されるようになっているのです。

 

 中国に、星の化身の不思議な老人の話があります。

 北宋の仁宗の嘉祐八年(B.C.1063年)、一人の道士風の老人が都に現れて占いなど始めました。この老人、頭の長さが体と同じくらいあります。また、見かけの割りに大変元気で、酒豪でもあり、酒屋と見るや入ってがぶ飲みし、けれども少しも酔い崩れずにケロリとしている。噂が皇帝まで届き、皇帝が老人を宮中に呼び寄せて酒を好きなだけ飲ませたところ、七斗ほども飲み、そのまま姿を消してしまいました。
 翌日、天文官が皇帝に奏上しました。寿星の姿が天から消えた、と。それで、皇帝はあの老人こそが寿星の化身だったのだと悟り、大いに感心したということです。

 また、宮中でその老人が「自分こそは人の寿命を益することのできる聖人であり、黄河の濁流をしばしば清めた」と語ったという話もあります。

 

 地平線すれすれで偏光するカノープスは、赤くにごって見える。ですから、その星の化身の老人はお酒好きで、顔を真っ赤にして酔っているのでしょう。

 ところで、インドでのカノープスは、聖仙アガスティヤの化身とされています。太古の昔、水の神の精液が地上の水壷に滴り落ちて生まれとされるアガスティヤは、様々な神通力を持ち、未来の全ての人間の運命を予言して、それを葉に書き残したといわれます。更には不老長寿の力を持っていて、今に至るまで生きている、と。つまり、人の運命(寿命)を知り、不老長寿を司る星なのです。中国の老人星のイメージとそっくりですよね? 私は、寿星――老人星の伝承はインドの方から来た、だから老人なのだと思うのですが、どうでしょうか。

 

 寿星は、道教では南極仙翁(南極老人)と呼ばれて幸福と長寿を与えるとされ、南極老人は、日本では七福神の中の二仙、福禄寿と寿老人として現れています。この二仙はそれぞれ杖を持っていますが、寿老人の杖の頭には人の寿命の書かれた巻物が巻きつけてあるそうです。(福禄寿の杖の方に巻物が巻いてある、と言われることもある。)また、寿老人は玄鹿という鹿を連れていますが、この鹿の肉を食べると寿命が二千歳延びるとか。

 ところで、先に挙げたエジプトの冥界神オシリスは、時にギリシアの神ディオニュソスと同一視されることがあります。ディオニュソスは冥界の神であり、復活の神でもあります。そして、彼はしばしば子牛や鹿を象徴する姿で現れ、「殺されて食べられ、後に復活する」のです。生贄であり角の生え変わるこれらの動物は、復活の象徴だからです。また、ディオニュソス神はツタの巻きついた杖を持っており、勿論、酒に酔う神でもあるのでした。

 こうして考えていくと、実はカノープス=ディオニュソス=寿老人で、この星は本来、冥界(死)からの復活を象徴している、なーんて思えてくるのですが……。

 

 

 カノープスを寿星、南極老人星と呼んで幸福と長寿の象徴とする考えは日本や朝鮮半島(韓半島)にも伝わっていて、それなりに浸透しているようです。けれども、日本には日本土着の呼び方も、実はあります。

 

布良星めらぼし

房総半島の布良港辺りでの呼び名。この星が現れると、必ず暴風雨になるという。また、海で死んだ漁師の魂がこの星に宿り、妖しく輝くのだという。

上総の和尚星

茨城県に伝わる話。昔、上総の和尚が旅の途中に金目当てで惨殺された。死ぬ間際、和尚は「わしの怨念は星となる。雨の前夜には必ず南の空を見よ」と言い残し、以来、雨の降る前夜には南の上総の山際に朦朧とした星が昇るようになったという。

西心星

房総布良辺り。昔、西心という僧が死んでこの星に化したという。

入定星(西春の星)

千葉県の館山辺り。昔、布良から一里ほどの横渚よこすか村で、冬になると海が突然荒れて死ぬ漁師が多かった。西春という若い僧がこれを憂い、入定(己を仏と化すため、桶ごと生き埋めになって経を唱えながら餓死すること)し、「自分が死んだら星になる。この星が現れたら必ず”しけ(嵐)”になるから船を出すな」と言い残した。

 

 面白いのは、これらの房総半島の伝承では、カノープスは決して「幸福・長寿の星」ではなく、死と亡霊に関わる星と考えられている点です。その点では、冥界の船の舵手、というエジプト辺りの考えによく似ています。なんでも、カノープスは水平線から上がってくるとスレスレで留まり、後は上には動かず水平に動いていくそうで、その辺が「波の上を転がる人魂」「幽霊船」というイメージに繋がったものと思われます。ギリシアで船の舵手になぞらえられているのも、だからなのでしょうね。

 また、この星が現れると必ず雨や嵐になると考えられていますが、雨が降ったほうが空気中の塵が沈んでカノープスが見えやすい、とかいう理屈なのでしょうか?

 隠岐でも、「南に低く大きな星が出ると必ず風が吹く」と言うそうですし、奈良では源五郎星とかゲンスケボシといって、「この星が見えると必ず雨になる、天気が荒れる」と言うとか。

 ともあれ、赤くどんよりとにごった星は、不気味で不吉と考えられていたようです。

 

 全天第二の輝星、カノープス。生と死の間を渡るこの星を、人々は時に恐れ、時に崇めてきました。そうして、星に生への想いを託してきたのでしょう。



03/03/26
更新日記03/02/14分より再録

参考文献
『星座ガイドブック(春夏編、秋冬編)』 藤井旭著 誠文堂新光社
『星座への招待』 村山定男・藤井旭著 河出書房新社
『日本の星 星の方言集』 野尻抱影著 中公文庫 1976.
『星と伝説』 野尻抱影著 中公文庫 2003.
『星百科大事典』 R.バーナムJr.著、斉田博訳 地人書館

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