■セント・エルモの火の話

「夜半にあられの過ぎた後、急に山が鳴り出して無数の羽虫が花の咲く大木のまわりを飛びかう羽音のように聞え、近くの岩からもシュッシュッというような音が起った。それでコーモリ傘を背負って立ち上がると、背骨が火で焼かれるか針で刺されるような痛みを感じて、頭の毛は猪の怒り毛のように逆立ち、機関車が蒸気を噴き出す時のようにシューと音を立てた。殊に背負っている傘の先端が最もひどいように思った。」(木暮理太郎『山の憶い出』)


「アンテナをささえている柱の四角な柱頭の各先端から、光の穂先が20ないし30センチの長さで、青い光が上に向かってのびている。
 あっ、煙突のさきも、頭の髪も、手のさきも、みんな青い光を放っている。頭髪は逆立ち、その先端についている水滴、霧滴が、ひとつひとつサファイアのように輝いている。
 そして、馬の背に目をやると、黒い岩の尖頂も、白い霧氷の先端も、青い光を放っていて、角という角のすべてに、百目ローソクを立てたように輝いている。「おう、岩がそら」と叫んで闇に手をさしのべた吉原は、「それ、君の手が」といわれて、あわてて手を引っこめて苦笑。濃霧のなかで回転する風速計も風向計も青く光って見える。このセントエルモの火は、約30分間で終わった。これは、たしかに まれに見る壮観なものであった。十月の最後の日に、自然は山の観測者にすばらしい贈り物をしてくれた。」(富士測候所記録『かんてら日誌』S12,10/31)



 大海原を航海する船や高山の上で、雷雲を伴う嵐や吹雪の後、マストやら人間やら地に立つ様々なものに連続的なハケ状の放電が起こり、薄い火炎に包まれたように見えることがあります。光は高く尖ったものの先にロウソクの炎のように強く立ち上ることが多く、色は青いことも赤いこともあり、シューと音を立てることもあります。

 これは地面に近い宙空の上下の電圧差が非常に高くなった際に起こる電気現象で、一般に『セントエルモの火』と呼ばれています。何故、その名で呼ばれるのか? それはイタリアの聖エルモ教会でよく見られた現象だから……とも言われていますが、また違った説もあるようです。

 

 聖エルモの火に関する最も有名な伝説は、ギリシア神話の双子の英雄、カストールとポルックスに関するものです。この双子はスパルタ王テュンダリオスの妃レダに大神ゼウスが通って産まれたとされ、兄カストールは馬術と戦術の、弟ポルックスは一人で一軍に匹敵するほどの拳闘の名手でした。二人は常に共に様々な冒険を行いましたが、最後には私怨で殺され、天に昇ってふたご座の二つ並んだ星になったとされています。この目立つ二つの星が船上に舞い降りた姿が聖エルモの火であると、ギリシア・ローマ時代の船乗りたちは考えていたようです。というのも、ふたご座の二つ星は航海の守護神とされていたからです。キリスト教がローマを席巻するまでは船首に彼らの像を飾る習慣もあったようですし、彼らと聖エルモの火を結びつける、こんな神話も存在しています。

 ギリシア中から集まった英雄たちがアルゴー船に乗り込み、金羊毛を求める旅に出発した。その途中で嵐に遭遇した時のことである。竪琴の名手オルフェウスが琴をかき鳴らしてサモトラケ島の女神に祈ると、たちまち嵐が凪いだ。そしてカストールとポルックスの双子の頭の上に一つずつ、二つの星が輝き出でた。

 このように、二つの電気光が船のマストや人の頭の上などに現れると、船乗りたちは双子の守護神が舞い降りたと喜び、これで必ず嵐は静まると言って安心しました。ホメーロスの『神々の賛歌』にはこうあります。

「明るい目の音楽の女神たちムーサイよ、テュンダリオス王の子らを歌え。ゼウスの愛し子らを、美しききびすのレダの子らを、馬の達人カストールと清浄無垢なるポルックスを称え歌え。レダは黒雲に隠れたクロノスの子(ゼウス)と寝、タイゲストの峯の下でこの子らを産んだ――嵐吹き荒れる無慈悲な海上を急ぎ走る船と船乗りたちの救い主である あの子らを。
 その時、船乗りたちは舳先に集って、助かれば白い羊を生贄に捧げようと誓いながら、ゼウスの子らによる救いを願う。けれども、大風と大波は船を水底へ押し沈めようとする。
 そこに にわかに彼ら二人は金色の翼で虚空を切って現れ、たちまち嵐を和らげ、白く荒れる海を鎮めさせる。彼らは吉兆である。厄除けである。だからこそ、船乗りたちは彼らを見ると喜び勇み、不安や苦しみから解放される。
 よく来た、テュンダリオスの子らよ。駿馬の乗り手よ。今、私は御身らを想い、賛歌を捧げよう。」

 この現象は概ね、嵐のピークが過ぎた頃に現れるので、その経験からの信仰でもあるでしょう。

 

 ところで、電気光は必ず二つ現れると決まったものではなく、時には一つしか現れなかったり、三つも現れたりします。その場合、双子の神とは辻褄が合いません。そういう時、ギリシア・ローマ時代の人々は何と説明をつけていたのでしょうか?


「これらの星は海でも陸でも現れる。私は兵士として夜警をしていた時に、これが堡塁ほうるいに立てたジャベリンに星のように輝いたのを見たことがある。また彼らは、航海中の船の帆げたや その他の部分にとどまって、飛び回る鳥の羽ばたきに似た音を立てる。
 彼らが一つ現れたときは不吉で、船を沈めることさえあるし、低い船腹にぶつかるときは発火する。しかし、二つ現れたときは吉兆で、航海も幸先よく、ヘレナと呼ばれる かの恐るべき災いの流星をも退散させる。
 彼らはまた夜間に人の頭の上に現れることもあって、何か重大なことを予言する。
 しかし、こういう事象については確かな理由は判らない。全て大自然の神秘に属することである。」(プリニウス『博物誌』)


 ここには、一つで現れる聖エルモの火は不吉である、と書かれています。神話上、カストールとポルックスにはヘレナという美しい妹がいましたが、彼女はその美しさゆえに常に災いの種となっていました。ついにはトロヤ戦争の原因にさえなってしまうのです。そんなことから、一つで現れる電気光のことを「ヘレナ」と呼び、これが現れると船が沈むとし、凶兆として恐れたのです。

 

 とはいうものの、時代が下がって人々の信仰がキリストや聖人たちに移ってしまうと、双子神は忘れ去られ、電気光の数に対するこだわりはなくなってしまいました。一つでも、二つでも、三つでも、これが現われると嵐がやむ、航海が守られると勇気付けられ、喜んでいたようです。ピガフェッタの『マゼラン世界周航記』には四箇所も聖エルモの火に関する記述がありますが、そのうちの二つ。

「この荒天の間、セント・アンセルムの姿が幾度となく現われた。ある晩、嵐で真っ暗だったときに、この聖者は主檣しゅしょうの頂に一つの火の玉として現じて、二時間半近くもそこを去らなかった。我らは非常に勇気づけられ、涙を流して喜び、ひたすら嵐の過ぎるのを待っていた。そして聖火が消えたときには、非常な光を放って眼を射、十五分ほども盲人のようになって、ただ慈悲を叫んでいた。……この光が消えると共に海は次第に凪いで、色々な海鳥が飛びかうのを見た。」


「その前に全ての帆を下ろして祈祷した。すると、三人の聖者がマストの上に現れて、暗闇の中で散った。セント・エルモは二時間以上も首檣の上に、セント・クララは後檣の上に留まっておられた。我らは誓いを守って、感謝のため、それぞれ一人ずつの奴隷を生贄として献じた。」

 ……キリスト教の聖者に人間を生贄として捧げるのって、どうなんでしょうね……臆面もなく記録されているけれど。


 これらの記録には、聖エルモ(アンセルム)のみならず、聖クララなどの他の聖者の名前が電気光に付けられています。他にも、聖ニコラス(サンタクロースのモデル)や聖アンなどと呼ばれたり、単に聖体コルポサント聖電気セント・エレクトリシティと呼ばれることもあったようです。

 

 それにしても、現在一般的な呼び名となっている「聖エルモ」とは、一体どんな聖者だったんでしょうね。

 聖エルモとは聖アンセルムス(エラスムス)のことだ、と現在一般に解釈されています。彼は紀元300年頃のシリア人で、イタリアの司教だったとされています。その頃キリスト教は迫害されており、アンセルムスも皇帝に捕らえられて幾つものひどい拷問を受けました。しかし彼は死なず、ついには脱走して更に布教活動を行いました。けれども再び捕らえられ、焼けた鉄椅子に座らせられたり、挙句に腹を開かれて腸を巻き上げ機で巻き上げ引き千切られて、とうとう殉教したのでした。――これは彼が死んだとされる時代から三世紀も後に書かれた記録ですから、あくまで「物語」に過ぎないわけですが。

 こんな彼がどうして船を守る電気光の名として呼ばれ、航海の守護聖者とされているのか? 一説には、彼が激しい雷鳴をも恐れず教えを説いたから電光と関連付けられたとか、彼の内臓を巻き上げた巻き上げ機の形が船の巻き上げ機に似ているからとか言いますが、なんだか こじつけっぽいですよね。最初に紹介した、「聖エルモの教会でこの現象がよく見られたから」という説明の方が ずっとしっくりする気がします。

 

 聖エルモの火は、一方では奸智と伝令と魔術の神ヘルメスと関連付けられていました。フランスでは「聖エルム(ヘルメス)の火」、スペインでは「聖ヘルメスの火」あるいは「聖テルメスの火」と呼ばれて、(日本で言うなら狐火・鬼火系の)魔女の火の一種と考えられていたようです。



03/09/03

参考文献
『星と伝説』 野尻抱影著 中公文庫 2003.
『日本の星 星の方言集』 野尻抱影著 中公文庫 1976.

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