■夜に口笛を吹くと来るもの、の話

 子供の頃、「夜に口笛を吹いちゃいけないよ。吹いたら、○○が来るからね」と脅された経験を持つ人は、かなり多いのではないかと思います。

 夜に口笛を吹くと、何が来るのでしょうか? それは、家庭や地域で千差万別です。

 いずれにしても、よくないことが起こるのです。

 どうしてこんなことが起こるのか、に関しては、それぞれに解釈がなされていて、例えば「夜に口笛を吹いたらうるさい。近所迷惑を戒めるため」「泥棒が来るのは、昔、泥棒たちが口笛で合図しあっていたから」「蛇が来るのは、インドの見世物の蛇使いが笛で蛇を操ることから」「人さらいが来るのは、昔の農村で夜に口笛を吹いて子供を売るための人買いを呼んでいたから」などという説があったりします。……けれども、本当にそうでしょうか? 蛇だの泥棒だのは瑣末なバリエーションに過ぎず、この俗信が言わんとするところは、「夜に口笛を吹くと悪いことが起こる」ということなのではないでしょうか。だとすれば、「うるさいから」「泥棒と笛」「人買いと笛」「蛇と笛」という括りでなされた上述の解釈には、この俗信の根本を説明する力は無いのではないでしょうか。

 

 岩手県遠野地方の伝承を集めた『遠野物語』に、こんな話があります。

 菊池弥之助と云ふ老人は若き頃 駄賃を業とせり。笛の名人にて、夜通しに馬を追ひて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜に、あまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠を行くとて、又笛を取出して吹きすさみつつ、大谷地と云ふ所の上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、其下は葦など生じ湿りたる沢なり。此時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼はる者あり。一同悉く色を失ひ遁げ走りたりと云へり。

 夜に笛を吹きながら峠を越えていると、得体の知れない何者かに声をかけられた、という恐怖体験談です。他に笛吹峠という峠の話もあり、ここを通ると山男や山女といった得体の知れない存在に必ず出会うので、恐れて通る者がいなくなり、遠回りの境木峠を使うようになったと語られています。峠はさか、つまりこの世とあの世の境界であって、観念上、神霊的存在と出会い易い場所とされますが、更にそこを「夜に」「笛を吹いて」通ると、まさしく怪異が起こった、というわけです。普段から頻繁に得体の知れないものに出会う笛吹峠の方に至っては、地名に「笛吹」と入ってしまっています。すなわち、「笛を吹くこと」=「神霊的存在を呼ぶこと」という根底観念があったと思われます。神霊的存在のうち、特に魔を帯びたものは夜に活動するものですから、夜に笛を吹けば恐ろしいことが起こる、と恐れられたことでしょう。

 『義経記』などで語られる有名な牛若丸と弁慶の出会いのシーンでは、牛若丸は「夜に」「笛を吹きながら」「橋を渡って」きます。橋は、峠と同じくこの世とあの世をつなぐ境界。そこで笛を吹いたとき現われた弁慶は いわば「魔物」ですが、笛を吹く牛若丸もまた、少女のような姿でその弁慶を打ち倒す一種の超人、「神的存在」です。牛若丸の例の他にも、中世の説話には「夜、神霊的存在が笛を吹きながら現われる」「夜、笛を吹いていると神霊的な存在に遭遇する」というエピソードがよく見られます。「夜の笛」のイメージは、「神霊的存在との遭遇」、そして「神霊的存在との同化」に直結しているのです。

 そうしてみると、『遠野物語』で馬方が笛を吹きながら峠を渡ったのは「魔除け〜自分が神霊的存在になって魔を従わせ退けるため」であったわけですが、しかし同時に「召霊〜笛の音で神霊的存在を呼び寄せる」ことでもあったため、怪異が起こったのだといえます。

 神霊的存在を呼び寄せ同化する人間は、神霊と人とを結びつける者、御巫シャーマンです。よって、「夜に笛を吹く」行為はシャーマンの召霊術に等しいのではないかと考えられます。夜に笛を吹くと幽霊やら魔物やらをいたずらに呼び覚ます、というわけですね。

 

 口笛は、日本では古くは「ウソ」や「オソ」と呼ばれていました。今でも、口笛を吹くことを「うそぶく」ということがあります。何故口笛が「ウソ」なのかといえば、うそという鳥の鳴き声に似ているからだ、という説があります。口笛は「鳥の声に似たもの」なのですね。

 ところで、世界中に「聴耳」という民話のモチーフが存在します。何かのきっかけで小鳥の会話を聞き取れるようになった男が、普通の人間では知ることの出来ない様々な秘密を知り得て、それにより出世する話です。この、「小鳥の会話を聞き取る男の話」を、私は「神霊の声を聞くシャーマンの話」であると理解しています。というのも、「死者の魂」と「鳥」は、世界中の伝承でしばしば同一視されているからです。殺された者の魂が小鳥に変わり、その鳴き声で殺人の真相を告発する民話も、世界中で見ることが出来ます。そうしてみると、小鳥のさえずりは霊の声です。そのさえずりに似た口笛は、「霊の声に似た音」であると言えるでしょう。また、殺された者の骨で作った笛、または殺された者から生えた植物で出来た笛が、その音色で殺人の真相を告発する民話も、同じように世界中に存在しています。口笛に限らず、笛の音は「死者の声に似た音」であるようです。だから霊を呼び覚ますのですね。ニュージーランドでも、人々は幽霊を「口笛を吹く人」と呼んで恐れるそうです。

 笛は、古くから祭祀において使われてきました。笛の音は神霊を呼び、語り、慰めます。同じように使われていた楽器には、琴があります。日本では神宮皇后が琴の音で神と同化した伝説が有名です。実は、殺された者から生えた植物が、笛ではなく琴に変わり、風で鳴り響いて殺人の告発をしたという民話も、世界のあちらこちらで見ることが出来るのです。余談ですが、鳴き声が口笛に似ているという鷽は、別名を琴引鳥とも言いました。

>>民話想 [死者の歌]

 

 口笛は神霊――悪魔を呼ぶ。何か、超常的な力を喚起する。そう考えられていたからでしょうか、夜に限らず、口笛を吹くこと自体が忌まれていたり、特に女性が口笛を吹くのを嫌うことが、西欧では行われていたようです。「A whistling girl and crowing hen come to no good end. 〜口笛を吹く少女と時を作る雌鶏はロクな死に方を迎えない」という諺さえあります。(日本でも、女性が口笛を吹くのは はしたないとされる。)これは、おそらく女性の方が男性より高い"魔力"を持っていて、口笛を吹いたときの霊的効果が強い、と恐れられていたからではないでしょうか。実際、西欧では口笛を吹く女性には魔女の嫌疑がかけられていたようです。なにしろ、女性が口笛を吹くと破壊的な嵐になると考えられていたのですから。帆船時代、風が無くて凪いでいるとき、男の水夫たちは風を起こそうとあえて口笛を吹いたりしたそうですが、女だと嵐でも、男が吹くとちょうど良い程度の風が吹くのでしょうか。(現代でも船員たちの間では口笛を吹くと嵐になると信じられており、余程の無風状態でもない限り、決して港や海上で口笛を吹かないそうです。)

 この話で面白いのが、日本にも口笛を吹くと風が吹くという俗信があるところです。北海道の爾志郡熊石町では「夜に口笛を吹くと風が吹き沖が荒れる」と言うそうですし、沖縄では風が欲しいとき山に向かって口笛を吹くと涼しい風が吹いたそうで、これを風の精霊のように感じて「マツガニガマ」と呼んでいたそうです。また、本州には箕で籾を選別するとき、風を吹かせるために女性が口笛を吹きながら作業を行う地域もあったようで、女性が口笛を吹けばより風が強まるという観念があったことを思わせます。

 どうして口笛を吹くと風が吹くのか? 「吹く」と小さな風が起こるからか、風がぴゅうぴゅう口笛のような音を立てることからの連想なのでしょうか。

 

 欧米では口笛を吹くと悪魔が来る、とも言うそうです。いずれにせよ口笛は不吉であると考えられていたようで、それは神霊的存在――悪魔を呼んでしまう行為だったからなのでしょう。

 

余談1。アラスカでは「口笛を吹くとオーロラが出る、近づく、踊る」と言われているようです。現地でオーロラがどう捉えられているのかが分からないので、不吉なのかどうか不明です。

余談2。日本では、「家の中で口笛を吹くと」お金もしくは神様が飛んで出て行く、と言われることもあるようです。不吉である、という観念から生まれた新たな言い回し?

余談3。日本の炭鉱では口笛を吹くことが忌まれていた模様。口笛を吹くと落盤が起こる、山の神が怒る、など。



03/09/08

参考文献
『神話・伝承事典』 バーバラ・ウォーカー著、山下圭一郎ほか訳 大修館書店 1988.
『魔法昔話の起源』 ウラジミール・プロップ著、斎藤君子訳 せりか書房

<--BACK TOP NEXT-->

inserted by FC2 system