UMU
―ウム―




 んでいた。

 特別、何かがあったというわけではない。ただ、疲れていた。

 といっても、肉体は疲労していない。なまじのことでは疲れを溜めたりしない体をもっていたし、休もうと思えば時間は無限にあった。休む間もなく動き回り、真の意味で疲れているだろう者たちからすれば、贅沢と言われようとも仕方がないだろう。

 だが、倦んでいるのは事実で。

 何もかもが砂を噛むように味気なく。色を失い。己の内や外に、ねっとりとした液体が溜まっているようにも思える。

 ――じんわりと気色が悪い。

 

「あの、サタン様」

 重厚なドアがノックされ、返事を待って開いた。この屋敷の家政を取りしきる精霊、キキーモラだ。光がこぼれたような金髪を揺らして、微かに首を傾げ、問いかけてきた。

「そろそろ準備を始めませんと、間に合いませんが……」

「――準備?」

「えっ。あの、例年のパーティーです。年末の」

 一瞬、キキーモラは目をしばたたかせ、ややあって恐る恐るといった風に付け足した。

「今年も開かれるんですよね?」

「ああ、もうそんな時期か……」

 時間の感覚が薄い。昨日の続きが今日。今日の続きが明日。何の変化もない。季節の巡りでさえ年ごとの変わらぬサイクル。何の目新しいこととも思えず。すっかり失念していた。

「いや……そうだな。準備に取りかかってくれ。今年は全てお前に任せる」

「えっ、私にですか?」

「うむ」

 無表情に頷いてから、ふと気付いて笑みを作った。

「お前なら、素晴らしいパーティーに出来るだろう。信頼しているぞ」

「……あ、はい! 任せておいて下さい」

 キキーモラの頬が紅潮する。

 そうと決まったら急がなくっちゃ。そんな声と共にパタパタと足音が遠ざかっていき、それがすっかり聞こえなくなってから、溜め息をついた。

 正直、鬱陶しい。

 パーティーなどどうでもよかった。

 果てのない過去から続いてきた”己”の存在。触れ合ってきた存在もの、時には世界そのものさえが失われ、”己にとっての世界”は幾度も切り替わってきた。

 それでも、その都度新たな世界を受け入れ、必要に応じて己を変え、よくやってきたと自分では思う。どんな世界でも生きてきたし、周囲をも生かそうとしてきた。……そのつもりだ。

 パーティーも、その一つ。

 己を楽しませ、周囲をも楽しませたかった。常に賑やかに、鮮やかな色の世界を維持していたかった。パーティーに限らず、様々なイベントを引き起こした。その場の思いつき、恒例、伝統あるもの。滅びた世界から蘇らせた、この世界には存在しないイベントさえ。

 すべて全力でおこなった。

 だが。

 何故だろう。今は無意味に思えるのだ。

 静かな泉に石を投げ込むように、何かをすれば波紋を起こし、キラキラした光を起こすことも出来る。しかし、たとえ己が石を投げ込まなくても――泉の外に立てる者が干渉をしなくとも、風は吹き、時に泉の中から魚が跳ね、やはり波紋は広がり、光はきらめくだろう。

 己のすることに意味がないとは思わない。そこまで虚無に落ちるほど愚かではない。といって、己が何もしないでいても誰も困らないだろうことは識っている。

 

 ――甘えているのだろうか?

 私は、この世界を己無しでは存在し得ない世界にしたいのだろうか? そうではない現実をそねんで、それで倦んでいるのか?

 

 ……違う。と、思う。

 だが、時にこの世界を粉々に砕いてしまいたい衝動に駆られることがある。その度に思いとどまっているのだが。

 

 ままならない世界。己の手の内にあり、と同時に独立してもいる。この手をほんの強く握れば、粉々にしてしまうこともできるだろう。けれど、砕いてしまえば、永遠に失われてしまうものがある……。

 失われたものは、二度とは元には返らない。

 

 ――ああ。そうだ。

 自分は、失いたくないのだ。この世界を。自然、その中に生きる存在ものたち。……今の”私の世界”。

 失いたくないから、己をこの世界に飽きさせたくない。

 飽きれば、壊したくなる。

 

 だから、常に新鮮にしておきたい。水が流れ、動いているように。色鮮やかに。

 ――そのために、騒ぎイベントを起こす。

 

 

 だが、とうとう来てしまったのだろうか。私が、この世界に飽いた日が。

 いずれ、破滅させたくなる予兆として。

 

  

 

「………ま。サタン様!」

 はっとした。間近で覗きこんでいる、青い海の髪とみどりの瞳。

「あ、ああ。すまん、ルルー。聞いていなかった」

 飾りつけられたパーティー会場。

 日々は飛び去り、あっという間にその日になっていた。例年のごとく大勢が集まり、奏でられる音楽、それぞれが談笑する声で辺りには静かな波のようなざわめきノイズが満ちている。

「もう。サタン様ったら、さっきから全然聞いてくださらないんですもの」

 少女はすねたような素振りでわずかな間視線をそらせ、再びまっすぐに見上げてくる。

 この少女は、いつもこうだ。

 どこまでも一途な視線。嬉しそうな、崇めるような、それでいてもの欲しそうな……。

「……で、……なんですよ。………ですわ。………ですから………で………」

 無言の私に構わず、少女はペラペラと喋りつづけている。

 どうしてこうなのだろう。いつもいつも。――何故こうもつきまとうのか?

「…………ために、あたくしが作ったんです。サタン様、召しあがってください!」

 目の前に、一皿の料理が突き出された。白飯に茶色い液体がかかって湯気を上げている。カレーライスだ。この少女の”自称”得意料理。

 ………またか。

 手作りの食物、衣類。この少女は頻繁に持ってくる。貢ぎ続ければ、いずれ欲しいものが手に入ると信じているように。

 いつもなら、受け取らないということはないが……。

「悪いが、ルルー。今日はそんな気分ではないのだ」

 鬱陶しかった。

 放っておいて欲しい。今は、その期待に満ちた視線ですらがうとましくてたまらない。

「……ですが。一口だけでもいいですから」

 好意をもってくれているのは解る。今まで、だから無下むげにはしたくなかった。――しかし。

「いらないと言っているだろう!」

 声を荒げた。

 少女がはっとした顔をする。

「……申し訳ありませんでしたわ」

 みるみる崩れる表情をどうにかこらえ、それだけ言うと、少女は背を向けて小走りに向こうに行った。少女の名を呼びながら、彼女の下僕の牛男ミノタウロスが後を追っていく。

 僅かに胸が痛んだ。

 だが……彼女も悪い。

 つきまとい、望むばかりで。私が何を思い、望んでいるかなど。考えたこともないのではないか?

 そうだ。私が欲しいと言うのなら、そのくらいおもんばかって当然ではないか……。

 

(それもまた、自分本意な意見だ。彼女に何を与える気もないくせに。)

 

 「あーあ、泣かせちゃって。ひどいなぁ、サタン」

 横から声がした。大地の髪に黄金にも茶にも見える琥珀の瞳。長い間 己が求め、しかし拒まれ続けている少女だ。

 これまでなら、出会えば必ず、ひとことふたこと彼女を望むセリフを吐くところ。しかし、今はこの少女ですら色あせている。

 いつも、私を拒むくせに。

 なにを、こんな時だけしたり顔で非難する?

 この少女は、私を想っていない。私が何を思い、悩み苦しんでいるかを理解してはいない。

  

(当たり前だ、何一つ伝えてはいないのだから。なのに解れと要求するのか? 己こそ、望むばかりではないか。)

 

 勝手だ。

 ――私も、世界も。

 

「不機嫌な顔しちゃって。ま、いいから、これ食べてみてよ」

 少女はテーブルに置かれたままになっていたカレーの皿を取り上げた。 

「ルルーの力作なんだからね。ほら」

 私の手に皿とスプーンを握らせる。触れた手の確かな質感。ルルーとはまた違った光が彼女の目には溢れていて、押されるように、私はひとさじを口にした。

「……!?」

 美味い。とは言いがたかった。特別不味くもないが。鼻に抜けるつんとした香りがあって、一風変わった味だ。ついでに言うと、やたらと辛い。

「独特の香りがするでしょ? ルルーがキミのために作った、特別製のカレーなんだぞ」

 少女が笑った。私は少女を見返す。

「キミは、ルルーがカレーを持ってくるなんていつものこと、と思ったかもしれないけど。

 最近ずーっと、キミって元気がなかったからさ。あんまり物も食べてないっていうし。キキーモラたちも心配してたけど、ルルーは本当にすっごく心配して。サタンを元気にするにはどうしたらいいかってあれこれ調べて、特別な香辛料を手に入れて、それで作ったんだよ。自分でカレー粉を調合して、野菜や肉もあちこち走り回って一番いいのを手に入れてさ」

 カレー皿に私は目を落とした。湯気を立てている、辛くて強い香りの食物。

 

 ――今の私のためだけに作られた一皿。

 

「……少しは元気になった?」

 少女が目を笑ませて言う。

 ――現金なものだ。

 たった一皿のカレーが嬉しかっただけで。

 きっと、今の私の目も少女と同じ。笑んでいるだろう。

 世界が、色を取り戻す。ねっとりとしていた空気がさらさらとほどけて散っていく。

「ルルーに礼を言わねばならんな」

「そうしてあげてよ。ルルーは本当に頑張ったんだから。……ボクだって、少しは手伝うの頑張ったけど」

 小さな声で付け加えると、照れたように、あるいは誤魔化すように、金の瞳の少女は向こうに走っていった。きっと、海の髪の少女を呼んで来るつもりなのだろう。

 

 心は制御が難しく、それでいて単純だ。

 己の存在の有無も、世界の存在の有無も。

 空転するだけの思考は意味をなさない。

 一人ではどうにも出来なかった不毛の循環は、触れた手のようなほんの僅かな温もりで、たちまち溶けて消えてしまう。

 

 

 そうだ。

 思惑も理由も関係なく。

 私は、この世界の存在ものたちをいつくしみたい。そのためにここにいる。

 私と同じ世界に住む、彼ら総てが笑んでいられるように。

 

 

 

「ふっ……。ようし、私からみんなに、今年最後のプレゼントをしよう!」

 翼を広げて舞い上がり、そう言うと、会場にいた全員がどっと歓声を上げて私を見た。反応に満足して、私は叫ぶ。

「サタン大魔力! はぁ〜〜っ!!」

 突き上げたこぶしに白銀の魔力の輝きが集まり、天井を突き抜けて暗い夜空へ駆けのぼった。

 しばし、何事もなく。会場に集った者たちは、天井を見上げたまま”しん”としている。

「――あっ、見て!」

 誰かが叫んだ。

「雪だ!」「きれーい!」

 夜空から舞い落ちる、白銀のかけら。窓に集って貼りついて、多くの者がはしゃいでいる。

「サタン、キミが雪を降らせたの?」

 少女たちが戻ってきた。

「素晴らしいですわ、サタン様!」

「キミも結構、粋なことやるじゃない」

 喜んでいる彼女たちの表情は、私をますます嬉しくさせる。

「むっ。そうだ、今、すばらしいことがひらめいたぞ!」

「え?」 

 私は、もう一度魔力を夜空に向けて放った。途端に。

「ああーっ、雪がぷよに!」「ぷよに変わった!」

 窓に貼り付いていた者たちがどよめく。舞い落ちる雪は、一瞬にして全て色とりどりのぷよぷよに変わっていた。それでも、ふわふわと雪のように舞い落ちてくる。

「さ、サタン〜〜?」

「どうしたアルル、眉間にしわが寄ってるぞ。もっと喜ぶがいい。これから皆で、ぷよぷよ地獄大会としゃれ込むのだからな!」

「ええーーーーっ?」

「優勝者には、なんでも一つ、この私が願いを聞いてやるぞ!」

 高らかに、私はそう宣言する。

「あたくし、やりますわ!」

 間近で声が上がった。

「おお、ルルー。やるか」

「勿論です!」

「ふぃーっしゅ、オレもやるぜェ!」「あたしだってやるよっ!」

 続々と声が上がる。

「もう、サタンってば。やっと元気になったかと思ったら、すーぐこうなんだからなぁ」

 金の瞳の少女が溜め息をついた。といっても、苦笑に近い。彼女の性格からしても、参加しないということはないだろう。

「いつもこうで、飽きないの?」

 不敵な笑みで見上げてくる。私も負けずに笑い、言った。

「無論、飽きはしないさ!」






サタンさま

あとがきのようなもの

 作者の心情が表れていると、感想を下さった方にズバリ言い当てられた恥ずかチィー文章です。

 アルルは「少しは手伝うの頑張った」と言ってますが、実はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、かなり頑張っています。中心にいたのはルルーですが。ルルーを応援するなら自分のしたことなんて黙っていればいいものを、言わずにおれないあたりが、私の書くアルルの小狡さというか子供っぽさというか? キミはサタンと どーなりたいんだよ…。

 私の頭の中では、これは「君はサンタクロース」と同じ日の話です。勿論、読む人によって「あれはクリスマスの話、これは年末の話」と分けて考えてもらってもいいのですが。ともあれ、私の頭の中ではそうなので、この話ではシェゾとウィッチは出てきません。

03/0101 すわさき


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