春の花




 

 大樹は、けぶるように白い無数の花弁を咲き誇らせていた。苔むした幹は深緑色で、日差しの下では端から黒っぽく見えたが、自らの被ったこの白い花の帽子のせいで尚のこと黒く、無骨に見える。

「ねえ、すごいでしょ! この木、前に見つけてたんだ」

 振りかえり、得意そうに笑う少女――アルル・ナジャの顔を見ながら、何故俺はここに突っ立っているんだろうかと、シェゾ・ウィグィィは考えた。

 そうだ、そもそも、俺がヤツに勝負を仕掛けたのが始まりだったのだ。――いつものごとく。

 

 

「また”それ”なの? ホントにキミって人は……懲りないと言うか、飽きないと言うか。せめて、もっと他の言いかた出来ないのかな」

「うるさい。とにかく、今日こそお前を倒し、その全てを俺に差し出してもらう!」

「ボク、用があるんだケド……」

「問答無用!」

 アルルはふう、と溜息を落とした。

「キミってワガママだよねえ。自分が用のある時は、”今はお前に付き合ってる暇はない”なんて、いくらボクが話しかけても無視して、どこかに行っちゃうくせに」

「当然だ。見逃してやるだけありがたいと思え。その分、お前の命運が長らえているのだからな」

「……まぁいいけど。とにかく、さっき言ったようにボクはこれから行くところがあるんだからね。手早く終わらせるよ!」

「フン、ぬかせ!」

 

 ――……戦いの結果はといえば、今、俺の前でヤツがへらへら笑っているので分かるとおり。……俺の敗北だった。

 何故、俺はいつもいつもいつもいつも、こいつに勝てないのだろうか。おかしい。ヤツは確かに並外れた魔力を持ってはいるが、正直、俺のそれがヤツに劣っているとは思わない。魔力を抜きにした戦闘能力に関してなら尚更だ。なのに、何故……。

 

 

 アルルは、不機嫌そうに眉をしかめているシェゾに向かい、続けて言った。

「ねぇ、シェゾ。キミはこれがなんていう花なのか知ってる?」

「はぁ? ……知るか」

「キミ、花の名前一つも知らないの? いっつも本ばかり読んでるけど、もっと自分の身の回りのことに目を向けてもいいんじゃない」

「あのな! ……花の形からすると、りんごや梨の類縁種か? だが、枝振りが違うな」

 アルルはにんまりと笑った。彼に、自分が教えられることがあるのが嬉しい。

「これはね、梅っていうんだよ」

「……知らんな。聞いたことないぞ」

「うん。この辺じゃ全然見かけないよね。でも、ボクの故郷の方じゃ珍しくないんだ」

「ほう……」

「今年も、梅の花は見られないんだって諦めていたけど……。ここでこの木を見つけて、もう嬉しくって。だから、花が咲いたら絶対見に来ようって決めてたの。それで、今日はもう咲いてるはずだって思って。予想通りだったね」

 晴れやかにアルルが言うと、シェゾの表情がまた不機嫌に曇った。

「お前の”用”ってのはそれか」

「うん、そうだよ」

「ハッ。何事かと思えば……。くだらんな」

「くだらなくなんかないよ」

 アルルは言った。

「花を見たり……季節折々の自然に触れるのって、大切なことだよ」

 

 

 シェゾとの戦いは、決して楽に片付けられるものではない。

 だが、何度も戦いを重ねていれば、戦いかたの癖や能力にも精通してくるものだし、何より、最初の戦いに比べると、シェゾ自身の”気”から”殺気”のようなものが殆ど薄れてしまっていることに、他ならぬアルル自身が気付いていた。”奪う者”と”奪われる者”だったはずの関係が、いつしか”挑む者”と”挑まれる者”に変わってしまっているのがその最たる結果である。シェゾがアルルに勝負を挑み、勝てば魔力を奪える、という、――一方的ではあるものの――、一つの暗黙のルールが発生していた。その手続きを踏まなければ、魔力奪取は行われない。つまり、シェゾは”なりふり構わずにでもアルルの魔力を奪おう”とはしていないのである。

 もっとも、それは”馴れ合い”とはまた少し違う話であるし、シェゾの胸三寸で簡単に変わってしまうものだから油断は出来ないが。……それでも、多分に気迫の差によっても左右され得る”戦い”においてこれは大きい。

 自分の能力がシェゾに大きく劣っているとは思わないが、さりとて凌駕しているとも思えない。なのに、不思議と何回戦っても必ず自分が勝ってしまう理由には、その辺が関係しているのかもしれないと思ったりもしていた。……それにしては、シェゾは毎回、本気で悔しがっているようだけれども。

 

「くそっ! 何故だ! 何故俺はいつもアルルに勝てんのだ!」

 今日も、彼は本気で悔しがって吠えていた。

「そうそう。いつも負けてるんだから、いい加減諦めればいいのに」

 言うと、シェゾはキッとアルルを睨みつけた。

「俺は諦めんぞ! 必ずやお前を打ち負かし、その全てを奪いとってみせるっ」

 ――……このお兄さんは、自分がどういう発言をしているか、一度でも客観的に認識したことがあるんだろうか。

 内心、アルルは溜息をついた。

 付き合いもいい加減長いし、彼の発言に一片たりとも”そんな意図”が含まれていないことは解っている。だが、見かけだけは抜群のこのお兄さんの口から飛び出す実にきわどい(意味に取れる)セリフに、毎回ドキドキさせられてしまう乙女の心臓への配慮も、少しはして欲しいものだと思う。

 

 ――きっと、天地がひっくり返ってもそんな日は来ないんだろうケドね……。

 

 でも、いつもいつもボクばかりが困らされてるのって不公平だ。

 そんな思いが不意によぎり、アルルにこんなセリフを言わせた。

「ねぇシェゾ。キミ、ボクに勝負を仕掛けて来たってことは、今日は暇なんでしょ。だったら、ボクと付き合ってよ」

「ななっ。……お、お前と付き合うだと!?」

「そうだよ。……なに動揺してんの。ボクの用に付き合ってって言ってるんだよ」

「よ、用……。そうか。って、なんで俺がお前に付き合わねばならん?」

「だって、キミ、ボクに負けたじゃない」

「は?」

 シェゾは、ぽかんと虚をつかれた顔をする。いつも不機嫌そうなばかりの彼にこんな表情をさせるのは、いつもながらちょっと楽しい。よーし、畳み掛けるぞ。

「いつも思ってたんだよねー。キミがボクに勝ったら、ボクの魔力を奪う。でも、ボクがキミに勝っても何もないじゃない。これって不公平だよ」

「それは……そうかも……いや、違うだろ。そもそも……」

「とにかく、キミはボクに負けたんだから。これから付き合ってもらうからね! はい、立って立って」

 ――後は、もう有無を言わさない。

 こうしてしまえば、案外と簡単に彼を操作できてしまうのだ。ほら、ぶちぶちと文句を言いながらも、立ちあがってボクの後についてくる。

 うっかり油断すれば、差し伸べた腕を噛み千切られてしまうかもしれない”闇の魔導師”という銀色の獣。でも、こういう時には結構可愛いかも、なーんて思ってしまう。…………ボクっておかしいかな。

 

 こうして、二人はこの場所にやってきたのだ。アルルが以前に見つけておいた、梅の古木の立つ原に。

 

 

 花は確かに美しかったし、こんな場所があるのも知らなかった。それに興を感じる部分はあったが、誰かと――アルル・ナジャと連れ立って花を見ているという状況そのものに落ちつかない。そんなわけでシェゾは半分上の空だったのだが、気配が動いたのに気付いて見やれば、アルルは草の上に敷物を広げ、(そういえばずっと持っていた)大きなバスケットの中身を広げ始めている。調理法も素材もとりどりの食べ物たち。

「……なにやってるんだ、お前は」

「なにって、お弁当だよ。花見とくればお弁当じゃない。ほら、シェゾも座って。これでも結構料理の腕には自信あるんだよ」

 広げられた料理の量はあからさまに多かった。二人分としてもそうだが、元々、シェゾはイレギュラーであるのに。

「カーくんがいっぱい食べるから、余分に作ってきたんだ。キミが加わったって大丈夫だよ」

「ぐーっ」

 自分の名前に反応したかのように、アルルの肩アーマーを滑る栗色の髪の向こうから、黄色い小さな生き物が顔を出した。

 ――……そうだった。コイツもいたのだ。

 いや別に、二人きりじゃないからどうだと言うわけではないが。

「ねー。いつまで立ってるのさ」

「………」

 観念して、シェゾはどかりと腰を降ろした。毒を食らわば皿まで、という心境である。

「はい、お茶。あっ、魔導酒の方がいい?」

「そんなもんまで持って来てるのか……」

「へへへっ。やっぱコレでしょ!」

 アルルの表情はあくまで明るい。

 

 ――コイツは、本当に……。俺が敵だということを認識しているのだろうか。

 

 シェゾは思った。いつものように。……自分が、逆らえずにここに座っているという事実は棚に上げたままだが。

「あのね。おばあちゃんに聞いたんだけど――、ボクの故郷の方じゃ、昔は、ちょうど今頃が”新年”だったんだって」

 花枝を見上げながら、アルルが喋っている。

「暖かくなって、花が沢山咲き始める頃。それが一年の始まりだったんだってさ。梅は、一年の始まりの――新しい春を告げる花なんだよ。そう考えると、なおさら素敵だよね」

「………」

 魔導酒を舐めつつ、シェゾはぼんやりそれを聞いていた。

 現在、この大陸の暦は、王都で使われているものに統一されている。だが、昔は――それこそ、ほんの数十年から百年ほど前までは、各地で様々な暦が使われていたのは事実である。

「俺の故郷の方じゃ、そうじゃなかったな」

 シェゾは言った。

「太陽の力の弱い地方だったからな……。最も夜の長い冬至を過ぎて、日が長くなり始める頃……それが一年の始まりだった」

 太陽と光への思慕はなにより大きかったのだ。――一年の大半を夜の闇と薄暮に支配された世界であるゆえに。

 凍てついた空気や、風の音や――誰かの顔が一瞬、よぎった。もはや思い出す意味もないというのに。

「………」

「……なんだよ」

 アルルは珍しく黙りこんでいる。妙に気になって問うと、少女は笑って首をすくめた。

「ううん、別に。……ちょっと嬉しいなって思ったから」

「はぁ?」

 ――女の思考回路は理解できん……。

「ね。シェゾの故郷ってさ。花はどんなのが咲いてたの?」

「夏には色々咲いてたが……って、そんなコトどうでもいいだろうが。お前に関係ない」

 うざったくなって、シェゾはアルルの問いをはねのけた。いいじゃないか、ケチ。とアルルは少し口を尖らせたものの、さして気にした様子もなく。

「ボクの故郷にも色々咲くよ。この辺の花も綺麗だけど……。梅にはね、白だけじゃなくてピンクの花なんかもあるんだ。その木が混じりあって花を咲かせてて、この季節の梅の林は、そりゃあもう夢みたいに綺麗なんだよ」

 そう言うアルルの目は、本当にその景色を夢見ているかのようだった。実際、この花の木が林になるほどあるとしたら、それは素晴らしい景色だろう。

「花のいい香りがすっごく濃密に漂って……。いつか、見せてあげたいよ」

「そうだな……。いつか見たいものだな」

 何気なくシェゾは返した。

 

 

 一瞬の間。

「ち! ち、違うぞ! 俺はただ花が見たいと言っただけであって、お前と一緒に見たいと言ったわけでは断じてない!」

「ボクだって! 別に、キミをボクの田舎に連れていきたいって言ったわけじゃないからね!」

 打てば響く、の例えのごとく。シェゾの叫びに間髪いれずにアルルも叫び、そして二人して黙りこんだ。

「フン。……充分付き合っただろう。俺はもう行くぜ!」

 間に耐えかねたのか。マントをひるがえしてシェゾが立ちあがる。アルルは急いで言った。

「あ、シェゾ。――次は六月だからね」

「――あん?」

「六月頃、梅の実がなるんだ。これだけ大きな木だときっと採りがいがあるよ〜。手伝ってよね」

 梅酒に梅ジュース、梅ジャムに梅干。色々作れるんだよ〜。もう、木を見つけた時からそれが楽しみで楽しみで。と言うと、呆気にとられた顔でシェゾが眺めてきた。

「言う相手を間違っているんじゃないか? なんで俺がお前の手伝いをせねばならん」

「だって」

 アルルは言葉に力を込めた。

「キミはこれまで何度もボクに負けてきたじゃないか。その分の貸しが溜まってるんだからね。そのくらいはやってもらわなくちゃ」

 そう言うと、シェゾはぐっと詰まる。

 ――よし、ここで一気に押しだ。

「女の子が頼んでるのに、逃げる気? 大体、こんな大きな木になってる実をボク一人で採れるわけないじゃないか。男手がないとね。いくらキミでも、そのくらいの甲斐性はあるでしょ。闇の魔導師でも”男の子”なんだからね」

「ぐうぅっ……!」

 シェゾは、何か言いたそうなのをぐっと飲みこんだ。暫しの後、怒っていた肩ががくりと落ちる。

 ――……勝った。

「まぁまぁ。梅の実を採ったら、美味しいもの作ってご馳走するから」

「ぐー、ぐー!」

 美味しいもの、という言葉に耳聡く反応してカーバンクルが騒いだ。

「はいはい。カーくんの分もたっぷり作るからね」

「ぐー!」

「くっ……。(もしかして、俺はカーバンクルと同列かよ。)食い物で釣れる気か。つくづく、お前は花より食い気だな」

 せめてもの反撃だろうか。嫌味たらしくシェゾが言ったが。

「それなら、キミだって花より魔導じゃないか。……約束したからね」

 アルルは小指を差し出した。

 小指と小指を絡めて、物事を誓う。小さな子供のする、約束の仕草だ。

 

 

 敵対する者同士、薄氷を踏むような束の間の平穏。そんな中での、些細な約束。

 ――六月までの間には、きっと何度も”勝負”をするだろう。もし、そこでボクが負けてしまったら……。

 ――俺が、コイツに勝ってしまえば。 

 こんな約束なんて、まるで意味を持たないのは分かっている。

 ……でも。

 ……だから。

 

 

 シェゾは、自分の小指をアルルのそれに絡めた。

 小さな子供の頃以来の仕草は、少し気恥ずかしい。

「――指切った! シェゾ、約束破ったら針千本だよ」

「フン。……お前こそ、美味いものと言ったからには、マトモなものを作れよ」

「まっかせといてよ、腕によりをかけるからね。ボクの料理の腕前は、今日のお弁当で分かったでしょ」

「…………まぁ、まずくはなかったがな」

「なにボソボソ言ってるのさ。こ〜んなにいっぱい食べたくせに。それともキミ、お腹がすいてたの? もしかしてビンボー?」

「違うっ! ……お前なぁ!」

 

 

 

 白い雪のような花枝の下で、二人の声は尚も続いている。

 なんにしても。実りを得るまでには、まだまだ、かなりの時間が必要だろう。

  

 春は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 おわり



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