「昔ね、太陽と月は恋人同士だったのよ」
子供のころ、寝る前にはいつもお母さんがお話をしてくれた。
「太陽と月は天を照らすとても大事な役を負っていたの。けれど、互いに恋するようになってからは、二人はそんなことはすっかり忘れて、いつも一緒に遊んで暮らしたの。それでとうとう神様が怒って、二人の仕事を完全に二つに分けてしまったのよ。
……それで、それからは太陽と月はそれぞれ別々の空を照らさなければならなくなったの。
だって、太陽と月が一緒にいたら、世界には夜も昼も、光も闇もなくなってしまうものね」
はじめてこの話を聞いたとき、ボクは泣いてしまった。
だって……なんだか、とても悲しかったから。
あかつき
乾いた土の匂いが充満していた。
あたりまえだ。これは土煙のにおい。たちこめたそれは、ようやく薄れていこうとしている。
ここはある遺跡の奥。天気がとてもよかったから、ボク――アルル・ナジャは、いつものようにそこに探索しに入って……そして。
「シェゾ!」
はっとして、ボクは叫んだ。薄れた土煙の向こう、崩れ落ちた瓦礫の下に彼の姿が見える。
シェゾ・ウィグィィ――銀色の髪の、闇の魔導師。
曰く、ヘンタイ。少なくともボクの知る限り、彼はそういう通り名で通っている。……本当に変態かどうかはともかく、「変な人」であることは間違いがない。
……だって、解らないんだもん。何を考えているのかが。
遺跡の奥で彼に会った。これもまた、いつものように。そして彼が「お前がほしい!」なんて言って、ケンカになって、魔法で勝負することになって……。
そこは遺跡の最深部の部屋の、扉の前だった。ボク達の全力の争いがそれを呼び寄せたのかもしれない。
突然、部屋の扉を破ってガーディアンが現れた。
とっさのことで、ボクは対応できなくて――気がついたら。
「シェゾ、大丈夫!?」
必死で呼びかけると、瓦礫の下の彼は目を開いた。意識はあるようだ。蒼穹を思わせる瞳が、まっすぐにボクを射抜く。
「うるさい……オレに構うな!」
びくりと、瓦礫を動かそうとしていたボクの手が止まる。
「だって……キミ、動けないんでしょう? せめて、この瓦礫をどけなくちゃ」
「お前に心配されるいわれはない。……さっさと行け!」
にべもない言葉に、ひどく傷つけられた気がした。
確かに、つい今までボク達は戦っていた。力試しだとか、甘っちょろいものじゃない。死力を尽くしていた。そうしなければボク自身、彼に殺される。
たとえ命は奪われなくても、ボクという存在を。
闇の魔導師であるシェゾは、ボクから魔力――ボクの存在意義のほとんどであるもの――を奪い取るために、こうして挑んでくるのだから。
でも……。
「こんな状態で、キミを放って行けるわけないじゃないか! キミだってボクを助けてくれたのにっ」
あの一瞬。ボクが瓦礫に押しつぶされそうになった刹那。シェゾは前に出て、確かにボクを突き飛ばした。……なのに。
「俺はお前など助けた覚えはない」
わからない……。冷たいのか、暖かいのかさえ。
「大体――お前に何ができる。お前の力じゃ、この瓦礫を動かすことはできないだろうが」
泣きそうなボクの気持ちに気付いたのかもしれない。シェゾの口調がちょっと言い訳めいた感じになった。
「だから行け。ここにいても時間の無駄だ。……まだ奥にヤツもいる。
大体、お前が俺を助ける義理も必要もないはずだ」
シェゾはボクを狙っている。そういう意味では、確かにボク達は敵同士だ。
シェゾがボクを狙うのは、彼が闇の魔導師だから。
闇の魔導師――それは魔導の裏世界に存在する、人間の心の闇を象徴する存在。光の当たる世界とは相容れない……忌むべきモノ。
だから……解らないの? 暖かいかもしれないと思うのは錯覚で、やっぱり氷のように冷たいんだろうか。水と火が一緒には存在できないように、永遠に解り合えることはないんだろうか。
ボクは……。
「ボク……行くよ」
ボクは立ち上がった。
「そうすることだな……」
呟くシェゾに、笑いかける。
「行って、外に出て、誰か助けを呼んでくるから!」
最初は少しぎこちない笑み。けれど、驚いたような顔のシェゾを見るうちにはっきりした。一度決まってしまえば、もう気持ちは乱れない。
「キミが何と言ったって、ボクはキミを助けるよ。
だって、ボクはキミのこと……好きだから!」
「なっ……!?」
「ヘンタイでも変な人でも、やっぱり大切な友達だもん。……絶対に、こんな風には別れたくないからっ」
「あ、あのなぁ……」
「何?」
シェゾは何故か脱力している。
「……お前の言い回しは心臓に悪いぞ。……おい、アルル!?」
ボクは開いた穴から奥の部屋に入ろうとしていた。ここにはまだガーディアンが潜んでいる。けれど、遺跡の最深部には、たいてい外界へ転移できる仕掛けがあるものなのだ。来た道を戻るより、そっちのほうが断然早い。
「待ってて。すぐに片付けて、助けを呼んでくるよ!」
「馬鹿野郎、何考えてる、このトンチキが! あえてリスクの大きい方法を選ぶなっ」
「トンチキ……。死語だよ、それ。シェゾってトシいくつ?」
「う、うるさいっ。……って、そーゆー問題じゃなくだなっ」
「そーんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「なっ……、誰がお前の心配をしてるんだ!?」
「シェゾ。
ね、カーくん。シェゾって心配性だよねー」
「ぐーっ」
「あのなっ」
冴え冴えと冷たい光を放つ月も、触れればきっと暖かいから。
暗い気持ちを照らしたささやかな光は、今はあかつきのように広く明るかった。
「ひどいよ……かみさまってひどい。大好きな人といっしょにいられないなんて、かなしいよ……」
「あらあら……泣かないでアルル。
大丈夫よ。 太陽と月は別々の空にいなければならなくなったけれど、二度と逢えなくなったわけではないの。
一日に二回、ほんの短い間だけれど、逢うことができるのよ」
「……ほんと?」
「ええ。朝と夕方、それぞれが沈むときに、逢うことができるのよ。
――だから、ほら。
朝焼けや夕焼けは、あんなにも綺麗でしょう?」