花の下



 花盛りという言葉通りのこんな日には、屋外で気ままに眠りたくなる。
 木や草に花咲き乱れる木陰で、瞼の裏にチラチラと揺れる木漏れ日を感じながらまどろんでいると、不意に、顔面にバサバサッと何かが振りかけられるのを感じた。
「なっ、なんだ!?」
 ぎょっとして半身を起こして目を開くと、振りかけられたのは辺りに散り敷いていた木の花の花びらや、小さな草の花を千切ったものだと確認できた。――叫んだ拍子に口の中に入ってしまったそれをペッペッと吐き出す。
「なんだ、生きてたのね」
 耳元で声がした。
 視線をやれば、頭のすぐ脇に、赤い靴と白いタイツをはいた小さな足がある。視線を上げると、ヒラヒラのレースで飾られたピンクのワンピースにつながり、今しも抱えていた荷物から解放されたばかり、という形に緩く宙に開いた両腕が見えた。レースの襟の広がる細い肩には波をもった海の色の髪が流れ落ち、頭にはワンピースと同系色のリボンが結び付けられている。
 まだあどけない少女だった。身なりがいいので、それなりの階級の家の娘なのだろう。ただし、その桜色の唇から発される言葉の内容は、愛らしい顔立ちにはあまりそぐわないものだったが。
「死んだ人は埋めなくちゃならないのよ。おばあちゃんが亡くなった時だってそうしたもの。それから、お花をたくさん飾るの。だから、お花で埋めるのが一番いいって思ったのよ」
「私はまだ死んでいない! 埋めるんなら、ちゃんと確認してからにしてくれ」
 幼い子供相手ではあるが、いささかぞんざいな、荒い口調になってしまった。子供は決して嫌いではないが、わけの分からない悪戯をされてまで寛容でいられるほどではない。
「そうね……今度からはそうするわ」
 そう言うと、少女はペタリと隣に座り込んだ。そのまま物も言わず、じっと前方の景色を眺めているようである。
「………」
 妙に落ち着かない。寝直すわけにもいかないし、立ち去るのも無下な感じがする。
「あー……。お前は、どうしてまた、ここに来たのだ?」
 間をもてあまして、そう問うた。「一人のようだが、ここはお前のような子供が来るには随分と森の奥だぞ?」と。魔物は、そう出ない場所ではあるが、なにしろ人里からは遠い。
「おばあちゃんが……」
 視線をあまり動かさないまま、少女が答える。
「おばあちゃんがよく連れて来てくれたの、あたしの小さい頃」
 今でも充分小さいだろうに。そう思ったが、口には出さないことにした。ただ、「そうか」と返す。
「大人が一緒でないと来ちゃダメって、屋敷のみんなは言うけれど……でも、おばあちゃん以外は、誰もここまで連れてきてくれないんだもの」
 抱え込んだ両膝に片頬を埋めるようにして、詰まらなさそうに唇を尖らせる。
「だから、一人で来るのよ。一人でもへっちゃらだもの」
 その様子がひどく幼気いたいけに見えたので、もう一度、愚にも付かない問いを重ねた。
「寂しいのか? 大人たちは、みんなお前を放っているのか」
 大きな屋敷で、死んだ祖母以外、この幼い娘を構う者はいないのだろうか。そんな想像をそのまま口にしたのだが。
「あら、そんなことないわよ」
 にわかに、少女の碧緑の瞳が強い光を帯びた。
「お母様だって、最近はずっとお家にいてくださるし、メイドも、師匠も、みんないるんだもの。放っておいてくれなくて鬱陶しいくらいだわっ」
 顎をそらして一息にそう言う。
「そりゃ……お父様には相変わらず滅多に会えないし、お母様だって、本当は忙しいのをムリしてるって知ってるけど……だから、あたしはこうして一人で来るんじゃない。何でも出来るってコトを見せれば、お母様も安心してまたお仕事できるでしょ?」
 自分の小さな理屈を最善のものとして疑わない。子供のそんな痛々しさは、けれども、だからこそひどくまばゆく尊い。
「そうか。――お前は、いい子だな」
 心からそう言って、その頭に手を伸ばした。軽く撫でてやると、「失礼ねっ」と少女は首をすくめて、「子供扱いしないでよ。レディに向かって」と不満げに顔をしかめる。
「これは、失礼した」
 頭に載せていた手を離して、少女の小さな手をとる。あっけに取られたような少女の目を見ながら、その手の甲にそっと口付けた。
「………っ」
 悪戯めいた色で見やってみると、少女の頬がパーッと高潮していくのが見てとれる。けれども、せり上がったものをぐっとこらえるように、少女はその唇を引き結んだ。頬は高潮し、目はやや潤んでいたのだが。あくまで毅然として、鷹揚な態度をとろうとしている。
 この娘は、美しくなるな。
 ふと、直感が閃いた。殆ど確信めいた。
 薔薇のように気高く、あでやかで、しかし容易く散ることのないつよい華になるだろう。
 思わず、口元に笑みがのぼった。純粋に、美しいものを見つけた喜び。だが、少女はそれをどうとったのだろう。懸命に虚勢を張っていた瞳が戸惑ったように揺れて、やがて恥じたように伏せられる。
「――あたし、本当は少しもいい子じゃないの」
 告白するように、そう声を落とした。
「おばあちゃんね、毎年、あたしのお誕生日には贈り物をくれていたの。
 あたしが欲しがるものは、なんでもくれた。それで、五歳のお誕生日が近付いたとき、あたしはおばあちゃんにおねだりしたの。おばあちゃんのオルゴールが欲しいって。
 おばあちゃんはとっても素敵なオルゴールを持っていたわ。木でできているこのくらいのアクセサリー入れで、きれいな模様が彫ってあって。ほら――この花の木で出来ているんだって」
 言って、少女は頭上を覆う薄いピンクの花群れの木を指した。
「ねじを巻いて開くと、可愛い音楽が鳴るのよ。
 あたしは、それが欲しかった。だって、それがおばあちゃんの宝物だって知っていたんだもの。
 おばあちゃんは、あたしにそのオルゴールをあげるよって約束してくれた。そして、お誕生日には本当にオルゴールを持ってきてくれたわ。この音楽を聴いて優しい気持ちになってちょうだいねって。
 ――でも、次の年のお誕生日には、おばあちゃんは来なかった」
 少女は、そこで一度言葉を切った。
「あたしは、少しも楽しくならなかった。オルゴールだけもらったって、嬉しくなんかなかったんだもの。
 おばあちゃんは、おばあちゃんの宝物を欲しがるあたしが嫌いになって、それで来てくれなかったんだって思ったの」
 悲しくて、胸がモヤモヤして。
 ――こんなの聴いても……ちっとも優しい気持ちになんてなれないよぉっ。おばあちゃんなんて、大嫌いっ!
 あたしは、オルゴールを床に投げつけた。

 少女の独白に合わせて、ガシャン、と音を立てて呆気なく粉々になるオルゴールの様子が、現実に感じられたような気がした。

「オルゴールは壊れて、もう直せないってお父様が言った。そして、おばあちゃんとも……二度とお話、できなかった」
 あたしの六歳のお誕生日だった、あの日。おばあちゃんはとても重い病気にかかっていたんだって、後になってお母様から聞いた。
 箱の中でお花に埋もれたおばあちゃんは、静かで、白っぽくて、まるでおばあちゃんの形をしたお人形みたいなの。
 いつもおばあちゃんを取り巻いていた、あの暖かな”気”はどこにもなくって。
 ――おばあちゃんは、いないんだ。
 それがはっきり分かったの。
「あたしが……あたしがおばあちゃんの大切なオルゴールを取って、大嫌いだなんて言って、壊し、ちゃったからっ。だから!」
「それは、違うだろう」
 突然潤んで大きくなった少女の声に驚いて、思わずそう返す。
「お前の祖母は、お前を愛していたからこそオルゴールを贈ったのだ。お前に罪があることではない」
「でも……っ」
「絶対だ。この私が請合うっ!」
「……」
 全くの第三者が、請合うも何もないのだが。自信に溢れた声と態度は、少女の泣き声を止める効果はもたらしてくれた。
「全ての命は、必ずその終わる時に辿り着く。……お前の祖母もその時を迎えたのだ。お前のせいなどでは決してない」
「……」
「しかし、お前は幸運だぞ。偶然とはいえ、この私に会ったのだ。まぁ……失われた命を甦らせるわけにはいかないがな。だが、壊れた物くらいであれば、この私の手に掛かれば……」
「おばあちゃんがね」
 言いかけた言葉に重なるようにして、少女が口を開いていた。
「前にここに一緒に来た時、おばあちゃんが言ってたの。自然の気を読み取りなさい、って。自然と一体になれば、その声を聞くことが出来る。自然の気と一体になるって言うことは、命を感じるってことなんだよって。
 なくなった命は、二度と戻らない。だからそれを感じ取り、大事にできるようになりなさいって……」
 緩く見上げる少女の頬に、木漏れ日が差し落ちて揺れている。
「壊れたオルゴールは、二度と直せない。亡くなったおばあちゃんとは、二度と話せない。でも……でも、だから、大切なものだった……のよね。――宝物だったの」
「……そう、だな」
 少女の言葉に応えつつ、こっそりと、手の中に再生した木の箱を再び消滅させた。いささか、己を恥じる気分になりながら。







 因縁とは、絡み合う糸のような物だと思うことがある。
 たまさか出会っただけの、名も知らぬ幼い少女。
 ほんの数年の後、大きく姿を変えた彼女とあのような形で出会い、このように係わることになろうとは。流石の私も予想のつかなかったことで。
 だから、今後どのような形でこのもつれた糸が決着を見せるのか、それも、この私には分かりはしない。
 全能であるはずの、この私にさえ。
 ただ、あの時感じた直感は正しいものであったと。それだけは確かな事実だと、そう思う。







 気がつくと、ルルーは大きなうろのある大木の前に座り込んでいた。
「あらっ!? いやだわ、あたくし、こんなところで眠っていたのかしら? 何かをやっていた最中だったような気がするんだけど…気のせいかしらねぇ?
 まぁ……いいわっ! 今はせっかく春休みなんだし、残りの休日を楽しみましょうか。よっこいしょっと……あらっ!?」
 ルルーが掛け声をかけて立ち上がった時、何かが地面に転がり落ちた。
「こ……これはっ!?」
 それを目にして、ルルーは息を呑む。
 とろりとした色合いの、彫刻の施された木製の箱だった。見覚えがある。見忘れるはずのないもの。とても……懐かしい。
「おばあちゃんの思い出のオルゴール……!
 ま……間違いない……あたくしが……六歳の誕生日に壊してしまった、あの……オルゴール……だ……わ……」
 そっと手に取り、蓋を開いてみると、メロディがこぼれだした。
 祖母が、これを聴いてやさしい気持ちになって欲しいと言っていた、あのメロディが。
「おばあ……ちゃん……」
 とうの昔に壊れてしまったはずのオルゴールが、何故ここに、しかも完全な形で存在しているのか。そのことを、もっと疑問に思うべきかもしれない。だが不思議と、ルルーはそんな疑問を追求する気にはなれなかった。いなくなってしまったと思っていた祖母は側にいて、オルゴールと共に、ずっと彼女のことを見守ってくれていた。そして、つい今まで、そんな祖母の声を聞き、まなざしを感じ、あの暖かな気に包まれていた……そんな気がしたのだ。
 そして、それは紛れもない事実であったのだが……今のルルーには、それを知るよしもなかった。
 ただ、オルゴールを胸に抱いて目を閉じる彼女の様子を、少し離れた木の陰から眺めている男は、それを知っている。つい先程まで、彼女の”心”と共に、実際に彼女の祖母の気に触れていたのだから。
「それが、私からのささやかな贈り物だ。ルルー君。……いや、ルルーよ」
 言いながら、男は顔の上半分を覆い隠していた金色の派手なマスクを取り外す。その下からは、炎のように揺らめく赤い双眸が現れた。
「あの頃のお前には、それは必要のないものだった。むしろ、自ら立って歩くには不要なものだと、己に定めていたからな。……だが、痛手を克服し、祖母の思いを受け入れた今のお前ならば……、その程度の思い出の品を持ってもいいだろう」
 そう、呟く。
 うろのある大木の枝先を覆う淡いピンクの花群れが、風にさらわれる。サアッ、と花ビラが風に舞った。  






『ルルーの鉄拳春休み』ネタで、05/4/9の別館の日記に貼ったものです。その日(日付的には4/8)の夕方、人が「花盛りだね」と言ったのを聞いた途端、ポトンと頭の中に落ちてきたので書いたものでした。

05/4/23 すわさき

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