彼らの結末


 リーダは鼻歌を歌っていた。片手にはバスケットを提げ、足取りも軽く道を進む。目的の家に辿り着いてドアをノックしたが、返事がないか遅いのはいつものことなので、待たずにすぐに押し開いた。当然ながら、鍵はかかっていない。
「おはようございまーす!」
 満面の笑顔で言いながら、作業机に就いているこの家の主の後ろを通って、ごちゃごちゃに物の積み重なった食卓だったものの隙間にバスケットを押し込む。
 いつもどおりのその動作をやり終えてから、リーダは全身で向き直って、作業机の前の彼を見た。けれども、彼は机に向かったまま何やら熱中しており、こちらに視線を向けることさえしていない。流石にこれは失礼に過ぎる。リーダは眉根を寄せ、両腕を腰に当てて肩を怒らせてから、もう一度息を吸った。
「おはようございます、博士」
「……」
 まだ反応しない。
「お・は・よ・う! 返事くらいしなさいよ、アーシュヴィンっ!」
 殆ど怒声に近い大声を出すと、白衣を着た背中が「わぁ!」と驚きに震え、ようやく、その緑色の瞳がこちらを見やった。
「や、やあ、リーダ。来てたのかい」
 まるで夢から醒めたような顔をしている。
 リーダは軽く息をついた。彼のこういう反応は珍しいものではないけれど……それにしたって、もう少し周囲の現実に、強いて言えば私に、目を向けてくれてもいいものではないかと思う。
 ”研究”とやらに没頭し、あまりに自らの身の回りに無関心に過ぎる、この若き学者の様子を見かねて、これも近所に住むよしみだからとリーダの母親が何かと世話を焼くようになってから幾年月。日に一回、彼の元に食事を届けに行く役をリーダが買って出てからは半年近くが過ぎたが、彼、アーシュヴィンの態度は相変わらずだった。いや、むしろ悪化しているのかもしれない。部屋の中にリーダが入ってきて声を掛けてさえ、こんなにも反応が鈍いだなんて、あまりないことだったから。
「来てたわよ。さっきから何度も声を掛けたのに。……なに、それ。こんなにお日様が高いのに、魔導燈ランプが点きっぱなし。もしかして、昨日からずっと起きてたの?」
「ん? ああ、いや、まぁね」
 所在なげに髪の毛をいじりながら、アーシュヴィンは魔導燈に灯る魔導光ライトを消した。
「つい熱中しちゃって……気付かなかったんだよ。そうか、リーダが来ているんだから、もう朝なんだね」
「しっかりしてよ。研究に没頭するのもいいけど、自分の生活の面倒くらい見れなくちゃね」
 十は年が離れているだろう男にしかめつらしく説教すると、少女は食卓の上に積み上げられたものを幾らか脇によけて、バスケットの中身を並べ始めた。せめて、栄養の整った食事を規則正しくとらせることで、この万年生活不規則男を辛うじて”まっとうな生活”の端に引っ掛けておかねばなるまい。それが私の使命。ひいては、彼を餌付けして幸せな結末を迎えるための遠大な作戦……いやいや、いじらしい乙女心だわ。ところが、積み重ねられたものの中に昨日届けた食事がそのまま、手を付けられずにあるのを見つけて、リーダは情けない顔になった。
「な、なんでぇ……? もしかして、昨日の夕飯は食べてないの?」
「あれ? どうだったかな……そうか、つい夢中になって、食べるのを忘れていたみたいだ。はは、ははは……」
「………博士ぇ〜〜!」
「あ、いや、ごめん。折角届けてくれたのに。いただくよ、うん。今から。そういえばおなかも減ったし」
 誤魔化すように笑う彼の腹が、本当にぐぅ〜っと音を立てた。本人が食べていないことに漸く気付いてくれたことで、ここぞとばかりに主張を始めたものらしい。たちまち、彼の顔が情けないものになる。ゴーレムが人間になったように、思い出したことで初めて空腹感も現れたようだ。リーダはやれやれ、と肩を落とした。
「じゃあ、準備をするから座ってよ。……えーと、この機械、下に降ろしてもいいの?」
 バスケットの中身を並べる場所に困って、リーダが無造作に何かの機械を動かそうとすると、「ああ!」とアーシュヴィンが甲高い声をあげた。
「あ、ごめん。でもそれは大事な魔導機械だから……」
「……じゃあ、こっちの石を」
 見るからに価値のなさそうだと思えた一抱えの石――というより、何かの欠片に手をかけた途端、アーシュヴィンは再び「うぁ!」と言う。
「なんなのよ、もう。これじゃ片付けられないじゃない」
「でも、それは大事な素材なんだ。ええと、いいよ片付けなくても。食事なんて床の上でもできるから」
「床の上だってガラクタで一杯じゃないの」
 呆れた声をあげて、リーダは目の前の石を見つめた。
「これ、素材って……今は何の研究をしているの?」
 アーシュヴィンは常に何らかの研究をしていて、その成果によって細々と生活している。かなり優れた研究者であることは確かで、母によれば、かつては王都の王立魔導研究院に勤めていたエリート中のエリートだったらしい、と言う。しかし、その現実への注意がおろそか過ぎる性格のため、早い話、同僚兼ライバルに蹴落とされ、この田舎に引っ込んだのだということだった。それでも彼の研究者としての優秀さを忘れない者はいて、援助の手は差し伸べられていた。おかげで彼は研究をし続けることは出来ている。魔導研究院にいたときほどの潤沢な研究資金は望むべくもないのだとしても。
「うん。物に宿る波動を読み取って具象化するっていう研究なんだ」
 立ったままパンをかじりながら、アーシュヴィンは答えた。
「波動……?」
「ほら、例えばアイテムに魔力を吹き込むことができるだろう。そこにその時の魔力の持ち主の意志や周囲の情報が一緒に記録されている。それが波動」
「はぁ……」
 リーダは不得要領な顔をした。確かに、物に魔力を吹き込むことはできる。先ほど消された魔導燈もそうやって作られた魔導具だ。スイッチに僅かな魔力が封じられており、魔力の全くない者であろうと誰であろうと、触れれば周囲に描かれた文様に魔力が伝達されて術式を展開し、辺りの微弱な精霊力を吸って魔導光を点す。今では当たり前に使われる日用品だ。でも、それを読み取るって……?
「よく分からないけど、そんなこと、魔導師にしか出来ないんじゃないの?」
 自ら魔力を持ち、自他に含まれるそれを導き操ることで魔法を行使する。持って生まれた魔力と、それを操る技能。そのどちらかが欠けても足りなくても、本物の”魔導師”は名乗れない。純粋に生まれついての才能のみが物を言う、それだけに数の少ない技能職だ。
「うん、そうだ。魔導師の中には、魔力から情報を読み取ることが出来る者がいる。――全ての魔導師がそう出来るわけじゃないけどね。僕も、魔力の有る無しを感じることくらいは出来るけれど、魔法なんて全然使えないし、勿論、情報は読み取れない。……それを、誰でも読み取れるようにしようっていうのが、今僕のやっている研究なんだ」
 アーシュヴィンは語る。いつになく饒舌なのは、珍しく、リーダが彼の研究そのものに興味を示したからかもしれなかった。リーダは毎日彼の家にやってくるが、研究の内容には殆ど触れることはない。魔力がなく上級の学校へも通っていない彼女には、彼の語る魔導研究の世界は不可解なものにしか過ぎないからだ。この無二の機会を逃すまいとするかのように、アーシュヴィンは言葉を継いだ。
「誰でも波動を読み取れるっていうのは、素晴らしいことなんだよ、リーダ。情報伝達――ああ、手紙代わりに使えるっていうのもあるし、なにより、昔のことが分かる。物に込められた魔力は、意図的にそうされたものもあるけれど、強い魔力や長期間魔力に触れ続けることで、自然に魔力を帯びるってこともよくある。一部のゴーストなんかはそうやって生まれるって説もあるんだよ。つまり、物にこもった魔力が何らかの原因で自然に具象化したってことさ。
 ああ、つまり、古い物にたまたまこもった魔力を読みとることが出来れば、その当時の状況を知る事が出来る。何百年、何千年の昔の様子さえ分かるんだよ!」
 そう言うと、アーシュヴィンは熱のこもった目で食卓の上の石を見やった。
「この石はね、リファの遺跡の欠片なんだ。今は瓦礫の山に過ぎないけれど、かつて、あの遺跡は高い塔だった。でも一千年ほど前に激しい戦いがあって、塔は真っ二つに折れ、粉々に砕け散ったんだそうだ。そのとき戦ったのは魔導師だったと言われている。彼らが強い魔力を発散したためか、今でもあの遺跡は強い魔力を帯びている。だから、僕の実験には都合がいいんだよ」
「ふぅん……。つまり、この石を調べれば、その時戦ったっていう魔導師のことが分かるのね」
 そう聞かされると、少しばかり見る目が変わってくる。この、一見何の変哲もない石の中には、古代世界の情報が詰まっているのだ。
「そう。分かってくれたかい、リーダ。今、僕はこの研究に夢中なんだ。ただ読み取るだけではなく、より分かりやすく具象化したいんだけど、そのための魔導器には複数の魔導文様の組み合わせが必要で……」
「うん、それは分かったから。でも、食事はちゃんととらなくちゃね。魔導器とは違って、人間はご飯を食べないと動けなくなっちゃうんだからっ」
 興味は持てたが、しかし、それだけでしかない。嬉しげに喋り続けようとするアーシュヴィンを遮って、リーダは持ってきたポットからスープをカップに注いだ。ポットには保温の魔法が込められている。あつあつで湯気の立つそれを彼に差し出した。
「あ、ああ……ありがとう」
 アーシュヴィンは片手を伸ばしてそれを受け取る。片手にはパン、片手にはスープで、落ち着かなさそうだ。ほら、テーブルにもつかずに食事をしようとするから、そうなるのよ。やはり食卓を空けるべきだろう。他に動かせるものはないだろうか? もう一度食卓のガラクタの山に目をやったリーダは、例の石の傍らにもっとずっと小さな、薄い緑の石を見つけた。拾い上げて覗いてみると、光が透けて見える。まるで宝石の欠片か何かのようだ。
「うわぁ、綺麗……。これは何? アーシュヴィン」
「あ! それは、やっぱりリファの遺跡のものでね……って、あれ?」
 両手をブンブンと振って、少し慌てた様子でアーシュヴィンが説明をしようとする。そこで、空っぽになっている自分の両手を見つめてポカンとした。先程まで持っていたはずの、パンとスープ入りカップ。それがない。
 その時、チリチリチリ……と微かな音がした。食卓の上、置かれた奇妙な魔導機械から。
 機械はポタポタとスープを滴らせ、チリチリという音は次第に高くなっていく。
「しまった!」
「まあ、大変」
 リーダが何か拭くものを探したとき、アーシュヴィンは「危ない!」と叫んでリーダをつかみ、床に引き倒した。
 
 その瞬間は、とにかく眩しかった。眩し過ぎると目の奥が、ひいては頭が痛くなるのだと咄嗟に認識する。
 そうして、辺りを覆った光が平手で周り中のものを叩いたかのような衝撃もあった。
 けれども、細かいことはよく分からない。リーダは床に引き倒され、アーシュヴィンに抱きしめられていたのだから。
「ア……アーシュヴィン……?」
 閃光が走ったことも、爆発が起きたらしいことも。それよりも何よりも、今のこの状況の方が遥かに衝撃的だ。ドキドキしてリーダは彼の名を呼んだが、アーシュヴィンは顔をあげて半ば身をよじって起こし、何かを見ている。
 リーダは少なからずムッとしたが、彼の愕然とした様子に釣られて、その視線の先を辿った。そして、同じように驚いた。
 そこに――嵐の後のように散らかった室内に、見知らぬ人間が立っていたからだ。
 背の高い、肩幅のある男だった。夜を切り取ったようなゆったりした黒衣に濃紺のマントを羽織るという、いかにも魔導師然とした、けれどもいささか古風で特異ないでたちをしている。端正な顔に流れ落ちた銀糸のような前髪を、額の青いバンダナで軽くまとめてあった。
 一体、いつの間に入り込んだの? もしかしたら、さっきの爆発はこの男の仕業なのかしら。
 胸の中でリーダは危ぶむ。家の中はメチャクチャだ。この男はとんでもない危険人物かもしれない……いいや、全くそうに違いない。なにしろ、男は手に長剣を握り締めていたからだ。刀身は鋼ではない、黒く透き通った黒曜石オブシディアンのような質感だったが、玩具か宝飾品ではないだろう。切れ味は鋭そうで、どことなく血なまぐさげな、禍々しい気配が漂っている。
「さぁ、もう観念してよ!」
 そして、甲高い声が響いた。侵入者は男一人ではなかったことに、漸うリーダは気がついた。散乱したガラクタの中、男に相対するように、若い女が立っている。栗色の髪を肩で切り揃え、白いシャツに青のプリーツスカート、手甲、ブーツ。その上に同系色の魔導装甲を身につけていたが、古えの騎士の甲冑のように上半身を広く覆う形といい、背に垂らされた赤い短套といい、少しばかり仰々しい感は否めない。それでも、ミニスカートやノースリーブシャツからすらりと伸びた白い手足が重々しさを相殺して、それなりの軽々しい娘らしさを主張してはいる。
 彼女の背筋は真っ直ぐに伸びていた。片腕を突き出し、どう見ても目上であろう男を指差すようにして声を張り上げている。傲岸不遜といえば、全くそのとおり。
「フン……。オレの魔導を相殺するとは、流石だな。だが、その程度のことでオレがお前に従ういわれなどないぞ」
 しかし、男の方もそれに輪をかけて不遜だった。僅かに胸をそらし、嘲るように女を見やる。
「いわれもヘッタクレもないっ。ボクの言うことが聞けないって言うなら、聞くまでお尻を叩くまでだよ!」
「――思い上がるなっ!」
 二人は互いに手を構える。彼らの手のひらの中に魔導光に似た輝きが揺らめくのを見て、何か魔法を放つ気なのだ、とリーダは悟った。冗談じゃない。
「やっ、やめなさいよっ! 人の家の中で魔法を撃ち合うだなんて、何考えてんの!?」
 リーダは、声を限りに叫んでいた。二人の視線がこちらを向いて、「え!?」と女の表情が弾ける。「あれ? あなたたち、いつからそんなところに……?」と、泡を食ったような顔でうろたえた。
 その隙を突いたように、男が動いた。手の中の魔法を放つ。――窓に。枠もガラスも粉々に砕け散り、そうして開いた穴に身を躍らせた黒い影は、
「じゃあな。――これはもらっていくぜ」
 と、一瞬立ち止まって手の中の薄緑色の宝珠を見せ付けた後、マントをひるがえして駆け去っていた。
「え!? 今のは……」
 確か、さっきアーシュヴィンに見せてもらったばかりの、アレではなかったか?
 泥棒? 盗まれた!?
 動揺するリーダを尻目に、
「あーっ! 待ちなさいよっ。ことわりの石を置いて行けーー!」
 女は叫んで、やはり窓だった穴をくぐって出て行った。
「な……何なの!?」
 ぐちゃぐちゃになった家の中で、唖然としてリーダは言った。持ってきた食料は、全てガラクタのどこかに混じってしまった。
 一体、何が起こったというのか。そもそも、あの二人は何者なのだろう。魔導師なのは確かなようだが、アーシュヴィンの家に押し入って、彼の緑の石を奪って、一体どうしようと?
 立ち尽くす彼女の傍らで、アーシュヴィンはなにやらガラクタを掻き分けている。中から、例のチリチリ言っている魔導機械を掘り出すと、それを抱えてリーダに顔を向けた。
「リーダ、僕たちも追いかけよう!」
「アーシュヴィン? ……あ、待ってよ!」
 アーシュヴィンは、後は脇目も振らずによたよたと家の外に出ていく。リーダは彼の後に従った。
 あまり活動的ではないアーシュヴィンが、自ら彼らを追うと言ったのだ。やはり、あの緑の石は相当に貴重なものだったということだ。
 だったら、取り戻してあげなくっちゃ。アーシュヴィンのためだもの!
 思いの外に早足な彼に追いつきながら、リーダは自らに気合を入れた。
 
 
 あの奇妙な男女がどこに行ったのか、まるで分かりはしなかったが、見つけ出すのに苦労はしなかった。ウロウロしているうちに、天地を震わす破壊音が聞こえ始めたからだ。あからさまに尋常ではない。音を頼りに進むと、やがて木々の向こう、そびえる崖の手前のやや開けた場所で、二人が魔法の応酬を繰り返している光景に出くわすことが出来た。
「ホーリーアロー!」
 女が唱え、掲げていた右手を指差すように振りおろすと、それに指示されたように光の矢が走る。逃れようのないほどの数。しかし男は動じず、構えていた魔剣を煌かせて振り下ろした。
「シャドウエッジ!」
 生じた無数の黒曜の刃が、ガラスの砕けるような音を立てながら、光の矢をことごとく撃ち落とす。
「闇の剣よ……」
 砕かれて飛び散る光の粉が消えてしまわないうちに、刃を返して、男は再び空を薙いだ。
「切り裂けっ!」
 不可視の刃が空を走る。僅かに左にステップし、皮一枚でそれをかわした女は、両手を掲げて呪文を唱えた。
「ダイアキュート!」
 星のような光が生じ、彼女の周囲を駆け巡り始める。
「ダダ ダイアキュート!」
 もう一度。周囲を巡る星の数が一つ増える。
「はぁ〜〜〜っ」
 対する男の方は、剣を構えて吼えている。不自然に髪やマントが舞った。まるで、彼を中心に風が起こっているかのようだ。
「すごい……! 見てごらん、リーダ。ああやって周囲の精霊力を集めて増幅しているんだ。呪文無しでアレができる魔導師は滅多にいない。東方の拳法マーシャルアーツには似た技術があるって話だけど……」
 アーシュヴィンは興奮した面持ちで喋っている。確かに、すごい。まるでなにかの冗談みたいだ。リーダはそう思った。なにしろ、普通に生活している限りでは、魔導師が魔法を使って戦う場面になどお目にかかれるものではない。ましてや、魔導師同士で戦う場面などには。
「ヘへへへ……ヘヴンレイ!」
「スティンシェイド!」
 女の放った聖光と、男の放った毒陰がぶつかりあった。それは喰らい合おうとするかのように絡み合い、だがピタリと凍りついた一瞬の後、花火のように弾けて消滅した。
「くうっ」
「きゃあっ」
 消滅の残滓のように、衝撃が駆け抜ける。男はたたらを踏んでそれに耐えたが、女の方は煽られて舞いあがり、後方の木の陰に背中から突っ込んだ。
「あ、あいたたたぁ……」
 言いながら、潅木に埋もれた体を引き抜こうとした女の視線が、その木の陰に隠れていたリーダたちのそれと合致する。
「あ、あれっ? あなたたちは、さっきの……」
「――あ!」
 リーダは叫ぶ。彼女の視線の向こう、漆黒の長衣をまとった男が、再び剣を振るって不可視の刃を放っていたからだ。
「シールドっ」
 女の反応は見事なものだった。身をよじって男の動作を視界に入れた、その一瞬で障壁呪文を唱える。瞬間、女の周囲が輝き、すぐに消えた。魔障壁が刃を打ち砕いたのだろう。
「勝負中によそ見ばかりとは、大した余裕だな」
 防がれるのは想定済みだったのか、男は落ち着いた、むしろ揶揄を込めた口調で言う。女は素早く立ち上がり、それに仏頂面で応えた。
「キミは、その隙を突いてばっかりだよね」
「当たり前だ! これは真剣勝負なんだからな」
「ボクだって真剣だよ。もう、いい加減にしてよね。早くその理の石を返しなよ!」
「フン、いやだね」
「返せ!」
「いやだ。……あのなぁ。未踏査の遺跡で拾得されたものは、発見者もしくはその雇い主のものになる。そういう決まりだ。知らないわけじゃないだろうが」
「勿論、知ってるよ。でもキミは、その石を何か悪いことに使う気でしょ」
「……そりゃ、オレは”闇の魔導師”だからな」
 男は口元を歪めた。
「だったら、やっぱり放っておくことなんて出来ないじゃないか」
「つくづく、鬱陶しい奴だな……お前いつからそんな正義屋になったんだ。勇者野郎の影響か? ったく、最近、いつもお前に付け回されている気がするぜ」
 そんなにオレのことが気になるのか? と続けた男に、女は言葉を詰まらせ、「そんなワケないでしょ!」と反駁した。
「ボクがキミを付け回してるんじゃなくて、キミがボクの行く先々に来てるんじゃないか」
「そうか? オレはまたてっきり、早くオレの物になりたくて、追いかけてきているのかと思ったが」
「なっ……な……」
 女は絶句し、チラッとリーダたちの方に視線をやってからパーッと沸騰した。
「何言ってんだよ、大体、いつもお前が欲しい欲しいって言ってボクを追い回してるのは、キミの方じゃないか!」
「当たり前だ。お前はオレのものだからな」
「は……」
 平然と男は言ってのけ、何故だか女は肩を落として脱力した。額を押さえ、気力を振り絞るように声を出す。
「どうしてキミは、そうも誤解を招くような怪しい言い回ししか出来ないのよ」
「どこに誤解がある。事実を述べたまでだ」
 ちなみに、脱力したのは傍で聞いていたリーダも同じだ。
「なに、これ……。結局、痴話喧嘩?」
「うーん、夫婦喧嘩は犬も食わない、ってヤツだね」
 呑気なアーシュヴィンの口調に、ますます力が抜ける。畢竟、人は他人の痴話喧嘩にはやりきれない気分になってしまうものだ。深刻であろうと、くだらないことであろうと、そうそう付き合ってなどいられない。そんなことであんな目に遭わされたというのなら、尚いっそう疲労感が増すというもの。
「ちっがぁああうっ。ああっもう、変に誤解されちゃったじゃないか。キミが欲しいのはボクじゃなくて、ボクの魔力でしょ!?」
「そうだが? ずっとそう言ってるだろう」
「言ってなぁーーいっ!」
「さっきからジタバタしておかしいぞ、お前」
 おかしいのはキミだよ、と叫ぶ女には構わずに、男は「まあ確かに、お前に比べれば、こんなアイテムの魔力などはしたなものだが」と顎に手をやって考えている。
「そんなにオレがこの石の魔力を吸うのが気に食わないというのならば、先にお前をモノしてやっても構わんがな」
「うぁあああああぁあっもう! だから、人前でいかがわしい言い回しをするなって言ってるんだぁーー!」
 頭をかきむしって叫ぶなり、女は出し抜けに手の中から炎の塊を放った。
「吹け、嵐よ。ファイヤーストーム!」
 避け得ようもないそれは、渦を巻いて男を飲み込む。
「ええっ!?」
 リーダは声をあげていた。
 通常なら、それだけで燃え尽きてしまうような業火。それ自体にも、そして女がそれを躊躇なく男に向かって放ったことにもぎょっとさせられたが、その渦が裂帛の気合と共に断ち割られたのを目の辺りにして、驚きは更に増した。片手で首元の留め金を外し、燃え上がるマントをかなぐり捨てながら、猛然と男が飛び出してくる。はっとして女が何か唱えかけた刹那。
「イクリプ……」
「遅いっ!」
 既に女の眼前に迫っていた男は、先程よりは幾分透き通って見える刃で、咄嗟に体の前で交差された彼女の右の二の腕を手甲ごと切り裂いた。
「きゃああっ」
 一拍遅れて噴き出した血が、女がのけぞった動きに合わせて尾を引いた。そこを、男は容赦なく蹴り飛ばす。女は倒れて尻を打ったが、刃が振り下ろされる前に転がって避け、流れ落ちる血潮も構わずに両手で魔法を放った。
「ジュゲムっ」
「アレイアード!」
 対して、男もまた剣を持つのとは逆の手を掲げて唱える。何のことなのか、「古代魔導!」と、アーシュヴィンが叫ぶのが聞こえた。巨大な光球と暗黒が、術者のごく間近でぶつかり合った。
 リーダは声も上げられずに息を呑んだ。これほどに大きな魔法……しかも、それをこんな至近距離で放たれたのは初めてだ。ぶつかり合った魔法は、やはり拮抗したのかどちらかが負けて一方に当たるようなことにはならなかったが。一塊になった魔力は、先程のように消滅はしなかった。熟れた果実同士を激しくぶつけ合ったように、中から幾筋もの光と闇の筋が噴き出したのだ。それらは放射状に飛び散って、白い光は触れたものを手当たり次第に砕き飛ばし、暗黒は蝕むようにぽっかりと消滅させた。危険すぎる状況だが、下手に逃げることも出来やしない。なによなによなんなのよ、この状況は。無茶苦茶すぎる! リーダは両手で耳を覆ってうずくまる。幸いなことに魔法の迷走はほんの数瞬で済んだようで、すぐに物の砕ける騒音は消えうせた、が。
「リーダ!」
 不意にアーシュヴィンの声が耳朶を打った。見上げた視界に、暗黒にえぐられたのだろう、幹の半分以上を失った木が、ぐらりと傾いで倒れてくるのが映る。
「きゃああああっ!」
 押し潰される、と思った。アーシュヴィンが庇うように抱え込もうとしてくれている。でも、駄目よ。アーシュヴィンまで下敷きになっちゃう!
「危ないっ!」
 ぎゅっと目をつぶった刹那、ドン、と衝撃があって、リーダはころころと地面を転がった。何がなんだか、ワケが分からない。……どうなったの、私。どこも潰れてない? アーシュヴィン、アーシュヴィンは?
 見回すと、すぐ側に彼はいた。一緒に転がったようだ。見たところどこも怪我をしていない。ついでに、自分も。
 よかった……と安心したかったが、そういう状況ではなかった。すぐ側に例の木が倒れていて、その下敷きになった人間がいたからだ。青い魔導装甲の背中に広がる、赤い短套。そうだ、さっきの声。彼女が私とアーシュヴィンを突き飛ばしてくれたんだ。
「う……」
 倒れた木に左足を挟まれたまま、魔導師の女は呻き声を上げた。意識はあるが、動けないようだ。
「大変!」
 リーダが駆け寄ろうとするより先に、倒れた女の眼前に剣が突きつけられた。
「他人を庇って行動不能か……。お前らしいが」
 倒れた女の前に立ち、蒼い目で見下ろしながら、黒衣の男が告げた。
「勝負あったな。オレの勝ちだ」
「くっ……」
 目を上げ、女が悔しげに息を飲み込む。痛みのせいか青ざめて、額にはうっすらと汗が浮いていた。
「ちょっ……ちょっとちょっと! 何やってんの!?」
 流石に黙っていられずに、リーダは身を起こして声を張り上げた。
「そんなことしてる場合じゃないわ、助けなきゃ! あなたたち、恋人同士なんでしょ?」
「生憎、オレとこいつはそういう関係じゃないな」
 にべもなく男は言った。
「獲るか獲られるか。獲物と狩人の関係だ。今まで散々、くだらない鬼ごっこをさせられてきたが……漸く、今日で終わりになる」
「な……何をワケのわかんないこと言ってるのよ!」
 どいてよ! とリーダは男を押しのけようとしたが、「邪魔をするな!」と凄まれて身がすくんだ。何をされたわけでもない、睨まれただけなのに。
 倒れたのはかなり大きな木で、女の足は潰れているのかもしれなかった。出来るだけ早く出してやるべきだろう。なのに彼女の前には黒衣の男が立ち、助けるでなく、ただ剣を突きつけてじっと見下ろしている。一体、何の邪魔をするなと言うのか。
 もしかして……あの剣で、あの人を突き刺すつもりだとか?
 思い至って、ぞっとした。
 まさか、そんな。
 けれども、尋常ではない緊張感が、そこには漂っている。黒曜の剣は濡れたように光っていて、毒々しく、切れ味はひどくよさそうだ。ほんの無造作に腕を突き出すだけで、人の体など簡単に切り裂いてしまいそうに思える。……実際、つい先程、彼女の腕をいとも容易く傷つけたばかりではないか。
「ア……アーシュヴィン」
 リーダは傍らのアーシュヴィンの腕をつかみ、助けを求めるように名を呼んだ。彼にだとて何が出来るはずもないのだが、今から起こるかもしれない恐ろしい事態を前にして、誰かとすがり合いたいと思った。
「リーダ……大丈夫。大丈夫だよ」
 つかんでくるリーダの手を握り、宥めるようにアーシュヴィンが繰り返す。さして気丈夫でもないはずの彼がさほど恐れてはいないらしいことを、リーダは意外に感じた。
 その間も、男は剣を突きつけたまま、女を見下ろし続けている。表情は動かない。彫刻のように冷徹な顔だ。
「…………」
 決して長かったわけではない。かといって、短かったのでもなかったが。
 男は、剣を引いた。ふ、と軽く息をつく。張り詰めていた空気が解けるのが、リーダにも分かった。
「なんで……?」
 身動きの出来ない女が、じっと見上げて問うていた。煩そうに目をそらし、男は応える。
「これは、いわば事故だ。……随分と長く続けた勝負だからな。こんなことで終わらせることもあるまい。今回は見逃してやる」
「………」
 女の返事はなかった。痛みのせいか、気が緩んだためか、彼女は意識を手放していたのだ。
「い、言わないことじゃないわ。だから早く助けなきゃって言ったのに……」
 多少ビクつきながらも、リーダは背後から男を責めた。よもや、キレてこちらに襲い掛かってくることはあるまいが……。
「どっちにしろ、ニ、三人じゃこの木は動かせないだろうが」
 男は手品のように手の中に魔剣をしまうと、さして慌てた様子も見せず、しかし手早く懐から何かを取り出した。――透き通った緑の宝珠。
「あっ……それ!」
「ったく……こんなことに使うことになろうとはな」
 不機嫌そうにそう言うと、朗々と男は唱える。
「理の石よ――我が望みを果たせ!」
 文言が終わると同時に、宝珠から光が溢れた。零れ落ちた光は女と、女を潰している木に降り注ぎ、光で覆わせる。チリチリチリチリ……とどこかで聞いたような音が聞こえた。間もなく、光になった木は弾ける石鹸の泡のように消えていき、潰れていたはずの左足を含む女の全身があらわになった。裂けていたはずの衣服や装甲でさえ完全で、怪我一つない。
 最後の光が消えると、男の持っていた宝珠がカシャン、と真っ二つに割れた。興味が失せたようにそれを地面に投げ捨て、男はしゃがんで、うつ伏せになっている女を仰向けに寝かせ直した。チリチリチリチリ……と音が響く。
 ……あれ? 私、目をどうかしたのかしら。リーダは目をこすった。なんとなく、彼らのいる辺りが暗くなったような……いや、彼ら自身の色が薄くなっているのか? なにこれ。
 男は、横たわっている女を揺さぶっている。
「おい……起きろ。……おい、アルル?」
 チリチリチリチリチリチリチリチリチリチリチリチリチリチリチリ……………。
 音はどんどん大きく、間断無くなっていく。そして、バチッと静電気のような音が弾けると、同時に彼らは消えた。
「――え?」
 一瞬前まで、確かに彼らがいた場所。そこには、誰もいない。砕けて捨てられたはずの緑の宝珠も消えている。
「え? え?」
「ああ……これで限界か」
 家から抱えてきた機械を撫でながら、残念そうにアーシュヴィンが言った。
「えええ!?」


「つまり……あの二人は機械が生み出した幻だったってことなの? アーシュヴィン」
 戻った家の中で、リーダは白衣の青年に尋ねた。
「そうだよ。ただし、過去に実在した幻だ。波動を具象化したいとは思っていたけれど、あんなにはっきりとした形で現れるとは思ってもみなかった。機械が暴走した怪我の功名というヤツだね」
 青年は笑う。けれども、リーダはまだ納得が出来ない。
「幻って……でも、触れたわよ。私たちを突き飛ばして助けてくれたんだもん。魔法も使ってたし」
 魔法で破壊されたものは、復元されはしなかった。木は倒れ岩は砕け、今も、家の窓はなくなっているままだ。このように、確かに”いた”という証があり、意志が通じて会話が出来さえしたのに、あれが過去の幻だというのか?
「ああ。自律意志を持って行動していたし、ただの具象化ではなく、そう、いわばゴーストに近い感じだったよね。けれどもっと強い……。この石に染み付いていた想いが、とてつもなく強かったってことなんだろう」
 アーシュヴィンはポケットの中から何かの欠片をつまみ出し、作業机のリーダから見える位置に置いた。透き通った緑色の、宝珠の欠片。
「あれ!? それって……盗まれて、壊れて、あの二人と一緒に消えちゃったはずなのに」
「彼が持っていたのも、具象化した過去の幻。これはずっと僕が持ってたんだ」
「そ、そうなのぉ!?」
 リーダは情けない声を上げた。アーシュヴィンのためにも取り戻さなきゃって、一生懸命思ったのに……。なんだぁ、私って、空回り?
 そういえば、最初からアーシュヴィンは怖がったり戸惑ったりはしていなかった。興味を持って観察している風ではあったけれど。そうか、いちいち驚いたり、怒ったり、騒いでいたのは私だけだったんだ……。
 なんだかちょっと、惨めだ。リーダは思った。アーシュヴィンは、私の様子をさぞや滑稽だと思って見ていたんでしょうね……。
 気分が落ち込んでいく彼女とは対照的に、アーシュヴィンは実に嬉しげで、目を輝かせて言葉を継いでいた。
「でも、リーダがこの石をそんなに気に入ってくれてただなんて、嬉しいよ。……ほら、手を出して。これはリーダのために手に入れたものなんだから」
「……え?」
 言われるままに伸ばした手の中に宝珠の欠片を載せられて、リーダは目を瞬かせた。
「割れちゃってるけど、結構綺麗だろう? これをリーダにあげたら喜ぶんじゃないかなって思ったんだよ」
 ボサボサの頭を軽くかいて、アーシュヴィンは照れくさそうな、それでいて最高に嬉しそうな笑みを浮かべている。
 こんな、壊れた魔導器の欠片なんかをもらって、女の子が喜ぶと思ってるんだ。
 そう思いながら、リーダの顔にも同じような笑みが広がっていく。
 馬鹿ね。本当に馬鹿なんだから。
 でも、嬉しい。最高に嬉しいよ。
 胸がきゅーっと引き絞られる。鼻の奥がつんとして、視界が滲んだ。
「ありがとう。大切にするね!」
「うん」
 満足げにアーシュヴィンが頷いている。リーダも満面の笑みを浮かべた。
「うふふ……。そういえばあの二人は、この石を”理の石”って呼んでたね。今、これが割れてるってことは……やっぱり、過去でもあんな風にしてこれを使ったのかな?」
「どうだろう。あの具象化した二人は恐らく人格も能力も過去の人物そのままが再生されていたはずだけど……同じ人間がいても、状況次第で同じ結果になるとは限らないからね」
「そうよね。違うことに使ったのかも」
「全然別の人間が使ったのかもしれない」
「うん……ねぇ、アーシュヴィン」
「なんだい?」
「あの二人、あれからどうなったのかしら」
 リーダは疑問を口にした。
 全く、奇妙な二人だった。傍で聞いていて痴話喧嘩としか思えないようなことをやっているかと思えば、本気で相手の命を危険にさらし、互いに傷つけ合ってもいる。かと思えばギリギリで手を引いたり、全くもってワケが分からない。
 一生、あのままで奇妙な喧嘩を続けていたのだろうか。それとも、喧嘩をやめて仲良くなれたのか。あるいは……傷つけ合い、本当に殺し合って終わった?
 それ以前に、ただ別れたのかもしれない。二度と顔を合わさずに、別々の場所で一生を終えたのかもしれない。
 想像はいくらでも出来たが、どれもあり得そうだったし、全てありえない気もした。想像のつかない出来事というものは幾らでもあるものだから、もっと意外なことが起きた可能性もあるだろう。
「そうだね。あの男の方は”闇の魔導師”だと言ってたし、実際、古代魔導も使ってた。女の方は”アルル”って呼ばれてたかな。あれほどの力を持つ魔導師なんだし、魔導史を調べれば、多分、彼らの生涯についてもある程度は分かるんじゃないかな」
 調べてみようか? とアーシュヴィンは尋ねる。「うん……」と頷きかけ、けれどもリーダは「やっぱり、やめとく」と首を横に振った。
「えっ、いいの?」
「そりゃ、知りたいし気になりもするんだけど……いいわ。知らないままでいい」
「どうしてだい?」
 過去の波動を具象化しようとしている青年は、不思議そうに首を傾げる。
「それは……」
 リーダは僅かに声を漂わせたが。
「彼らの結末は、彼らだけが知っている。
 ――それで、いいのよ」
 少しばかり大仰にそう言うと、笑って人差し指を唇に押し当てた。




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