幕間


 それは、ウンタマラ峠を間近にした小さな宿場近くでのことだった。
「――うぐっ……」
 全身を黒衣で包んで腰には大きな剣をき、銀色の髪をした男――「ラグナス」が、不意に何かをこらえるかのように声を詰まらせた。
「ちょっと、どうしたの?」
 彼のやや前方を歩いていた美女――ルルーが、驚いたように振り返った。その豊満な肢体にきわどいドレスをまとい、長い髪は水晶色に輝いている。
「もしかして、さっきの戦闘のキズが痛むのっ? ボクのヒーリング、力が足りなかったのかなぁ……」
 ラグナスと並ぶようにして歩いていた少女――アルルが、そのあどけない顔を心配げに曇らせて見上げた。
「いや、そうじゃない。……どうやら、タイムリミットみたい……だ」
「えっ……。それって、ラグナスが「シェゾ」と分離しちゃう……ってコト?」
「冗談じゃないわよ。「サタン様の塔」は まだまだ遠く、この峠の向こうなのよ。こんなところでアイツに出てこられちゃ、たまったもんじゃないわ」
「すまない……だが、コイツの体の邪悪さには、これ以上耐えられんっ……もう……限界だっ!」
 そう言い終わるや否や、苦しそうに身をかがめていた男の胸の辺りから、パッと青白い光の玉が飛び出した。
「ラグナス!」
 それを見て、アルルが呼びかける。飛び出した光の玉の方に。
 残った銀髪の男の方は、暫くぼんやりとしていたが、やがてハッとしてまばたきし、顔を上げ、キョロキョロと辺りを見回した。
「なっ……!? なんだ、ここは。オレは、巨人の洞くつの出口にいたはず……ま、また知らん場所ではないか。まさか、また「アレ」かっ!? くそっ……オレはどうなっちまったんだ……本当にヘンになっちまったのか?」
 愕然として呟くその背後から、凄まじい速さで重い風が襲った。
「すらぁあああ!」
「なにっ!?」
 それは、雄叫びと共に咄嗟に避けた男の耳を掠めて通り過ぎる。
「チッ……避けるんじゃないわよ、シェゾ! 折角、一発で決めてやろうとしているのにっ。わたくしたちの平和のためにも、サタン様にお会いするまで、あんたは ばたんきゅ〜してなきゃならないのよ!」
 恐るべき風圧を伴う蹴りを繰り出した足を引き戻しながら、ルルーが罵声を浴びせてくる。
「いきなりワケのわからんことを言うな! ……って、なんでまたお前がここにいるんだ。くっ……やはり、オレがおかしくなったのはお前たちの陰謀なのか? オレをどうにかするつもりなのかっ。一体何が目的だぁあ〜っ!」
「うるさいわね。あんたはそんなこと気にしないでいいのよ!」
「気にするわぁあ! チッ、これ以上利用されてたまるかっ」
 シェゾはスラリと腰の大剣を抜いた。その刀身に、まがまがしい闇のオーラがまとわりつく。
「ちょっとちょっと、もうケンカはやめてよ。ほらぁ、シェゾもっ」
「アルルっ? お前もいたのか!?」
 横から腕にしがみつかれて、シェゾはぎょっとしてそちらを見やった。この隙を、歴戦の格闘家たるルルーが見逃すはずはない。
「隙あり! はああああ〜〜っ、たぁーーーーーっっ!
 ドガーン!!!
 凄まじい音がした。道の傍らに建っていた、「この先、ウンタマラ峠」と刻まれた大きな石碑。それを、ルルーが渾身の蹴りで、シェゾめがけて蹴り飛ばしたのだ。アルルに気を取られていたシェゾは逃れる暇もなく、石碑は彼の「顔面」を直撃した。
 頭を砕けた石碑の下に潰され、地面に大の字に倒れた彼は、ピクリとも動かない。
『……おい、まさかこれ、首が折れてやしないよなぁ……』
 フワフワと漂う光の玉が、アルルとルルーの二人にしか聞こえない声で呟き、アルルは流石に青ざめて「うわぁあああー、シェゾおぉっ!」と叫んだ。
 周囲であっけにとられて見ていた人々の手を借りて岩塊を取り除け、シェゾを引きずり出す。息はあった。あったが……目を回したままの彼の額からは、血がだばーっと流れ出る。ついでに鼻血も出ている。鼻が砕けなかったのは幸いだった。
「あ……あら、ちょっとやりすぎたかしらねぇ」
 ルルーがほんの少しばつが悪そうに呟いた。
「でも、このヘンタイにはこのくらいのお灸でちょうどいいのよっ!」
「こりゃタイヘンだ」「あそこの宿に寝かせよう」
「一体何があったんですか」「それが、どうも三角関係らしいですよ。女の子を二人つれていた男が、女の一人に蹴られて」「あら、ストーカーが返り討ちに会って刺されたんじゃないんですか」「鈍器で殴られたって聞きましたが」
「まったく、最近の若い者は……。亭主が少しくらい浮気したからって、見逃すのが愛情ってモンだろう。なあっ」「あらアンタ、どの口がそんなことを言うのかしらね」「ひーっ、カンベンしてくれ、かあちゃん」
 とかなんとか、周囲が蜂の巣をつついたようにざわめく中、シェゾは ばたんきゅ〜したまま一番近い宿屋に運び込まれ、必然的に、アルルたちもその宿で一泊することになったのである。


 
「――で、アイツの具合はどうだったのよ?」
 シェゾの寝かされた部屋から戻ったアルルに、待っていたルルーが訊ねた。
「首は折れてなかったし、傷はふさいだから大丈夫だよ。まだ目を覚ましていないけど、一晩寝たら元気になるんじゃないかな」
 アルルが答える。
『じゃあ、明日の朝にはここを出立できるな』
 ホッとしたように、光の玉の姿をしたラグナスが言った。
 彼は、自称「異世界の人間」だ。そこでは勇者と呼ばれ、自分の世界を襲った「次元魔王ヨグス」と戦って勝利したが、その直後に現れた別次元に存在するヨグスに亜空間に引き込まれた。そうしてこの世界に流れ着いたが、そのショックで「体」と「魂」が分離してしまったのだという。自分の体がどこにあるのか分からないため、今はシェゾの肉体に乗り移ることで行動している。というのも、この世界にも新たなヨグスが現れていたからだ。
 ヨグスは恐るべき敵で、放っておけば世界が滅ぼされる。ラグナスはシェゾを装って、アルルたちをヨグス討伐の旅に導いた。
 だが、シェゾに乗り移っていられる時間には限界がある。頻繁に人格の切り替わるシェゾにアルルたちは疑念を抱き、ついに問い詰められて正体が暴露されたのがつい先日。この状態を、アルルたちの知る「サタン様」なら何とかしてくれるだろう、というので、「サタンの塔」めざして旅をしている、というのが現在の状況であった。
「それにしても面倒くさいわねぇーっ。乗り移っていられる時間にリミットがあるっていうのは」
『すまない。だが……あの男の体の邪悪さは、どうにも耐え難いっ。どうしても長時間は同化していられないんだ。これもオレが元の体に戻るまでの辛抱だが、それまではあの体でガマンするしかない』
「そうね……。でも、大丈夫よ。サタン様にお会いできれば、すぐにも万事解決してくださるわ。なんといっても、サタン様は世界一強くて、博識で、この世に並ぶ者のない素晴らしいお方なんですもの。オーッホッホッホッ」
 とりとめもなく続けられる、いつもの会話。そこに、「ねえ……」と、アルルが不安げな声をさし挟んだ。
「やっぱり、シェゾに全部ちゃんと話したほうがいいんじゃないかなぁ」
 一瞬、虚をつかれたようにルルーとラグナスは黙り込んだ。
「ちょっ……。何言ってんのよ、アルルっ。そんなことアイツに言ってごらんなさい、『オレの体を勝手に使うとは、なんてやつらだ。えーい、冗談ではないわ。誰がお前らに協力なんかするかぁーっ!』なーんて言って、ゴネて暴れて逃げちゃうに決まってるじゃないの」
『オレもそう思うな、アルル。今までこの男を見てきたが、とても誰かのために力を貸すようには思えない』
「大体、今まで何度も協力を頼んだのに、メンドウくさいとか疲れることはしたくないとか言ってブーたれて、少しも手を貸そうとはしなかったじゃないのよっ。黙って体を貸させていれば世界の役に立つんだし、ラグナスのことを説明したって、百害あって一利なしだわっ」
「うーん……確かにそうなんだケド……」
「どっちにしたって、サタン様にお会いするまでのことよ。そのためにも一刻も早く峠を越えてしまわなきゃならないんだから、もうグズグズ言わない! さあ、明日に備えて寝るわよっ」
 言うと、ルルーは本当にベッドに潜り込んだ。



 シェゾは目を開けた。薄闇の中に見える、まるで見知らぬ部屋。そこに置かれたベッドに自分は寝かされている。
「……また、知らない場所か……」
 一人ごちた時、「あっ、目が覚めたの?」と間近で声がした。ベッドサイドに誰かが座っていたのだ。
「アルルか……」
「うん」
 大きな目をした少女が、カクン、と子供っぽい仕草で頷いた。
「なあ、ここはどこだ……?」
「え、それは……」
 アルルの答えを待たず、シェゾは言葉を継いでいる。
「近頃は、気がつくたびに見知らぬ場所にいる。何日も記憶が飛ぶなんてザラだ。いつの間にか怪我をしていたり、持ってるものが勝手に増えたり減ったりしたり、知らないヤツには親しげに話しかけられて、知ってるヤツには身に覚えのないことで責められる。オレはっ……オレは、本当にどうにかしちまったのか? 夢遊病か、多重人格か何かか? それとも、気がおかしくなっちまったのか」
「シェ……シェゾ」
 アルルは息を呑んだ。
「そ……そんなことないよっ。キミはおかしくなってなんかない」
「本当にそうか? 大体……なんでお前がここにいるんだ、アルル」
「ボ、ボク?」
「オレに魔力を差し出すことを拒んでいるお前が、こんな風にオレの側にいることなど、ありえん。……これも、オレの見ている幻か、妄想なのではないのか?」
「そんなコトないよぉーっ! だから、あのっ、そのっ……これは、そう、夢なんだよ!」
「夢?」
「そう、夢。キミは今、夢を見てるんだ。意識が飛ぶのも、ボクがここにいるのも、夢だから。だから、キミは少しもおかしくなんかないんだよっ」
「夢……。そうか、そうだったのか……。そう言われるとそんな気がしてきたぞ。体が妙に重いのも、なんだか現実感がないのも、夢だからなんだな……」
 ぼんやりとシェゾは呟く。
「傷はふさいだけど、ちょっと熱が出てるから……無理しないで、もう休んだ方がいいよ」
 アルルは言って、手のひらでシェゾの額に触れた。血で汚れたバンダナは外されており、ひやりとした手の感触が心地よく伝わってくる。
「ああ…………ありがとう」
 素直な呟きを聞いて、アルルは目を丸くした。
「本当のシェゾ……だよね」
「本当もなにも……、シェゾ・ウィグィィは、オレ一人だ……」
「……うん。そうだね……」
 アルルは頷く。そして、寝息を立て始めたシェゾの顔を見つめながら、小さく呟いた。
「……ごめんね」



「さあっ、グズグズしないで行くわよっ。峠を越えて、「サタン様の塔」へ!」
 翌朝。いつにも増して元気いっぱいのルルーと、アルル、そして銀色の髪の「ラグナス」は、意気揚々と宿を後にした。
「なんとなく元気がないね、アルル。大丈夫かい?」
 道を行きながら、ラグナスが優しい笑顔で訊ねた。綺麗に洗われたバンダナは彼の額に巻かれており、昨日の流血の痕跡は無かったかのように拭い去られている。
「うん、平気。ちょっと寝不足なだけだよ。……ラグナスは、体の調子は、どう?」
「ああ、問題ないよ。それに、ちょっとやそっとのことで弱音を吐いてなんかいられないさ。ヨグスの侵攻は進んでいるんだ。この世界の人々のためにも、一刻も早くヨグを見つけ出し、ヨグスを倒さないと!」
 気力に満ちた、力強い表情でラグナスは誓う。
「……そうだね。こんなこと、早く終わらせようっ」
 アルルは足を速める。そして三人はウンタマラ峠へ入っていった。




 05/6/10の別館の日記に書いたものの再録です。
 この頃、SS版の『魔導物語』を再プレイしていたのですが、やっているうちに なんだか悲しくなってしまいました。
 ラグナスもルルーも、そしてアルルでさえ、シェゾの戦闘能力"だけ"をあてにして、彼の人権を無視、いわばアイテム扱いしていたからです。
 しかも、物語世界の中ではそれが「正しい」ことになっている。

 そんなわけで、「こんな幕間話でも あったらよかったのになぁ」という、いかにも同人的な目的で書いたのでした。

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