未満の月



 虫の声がりんりんと鳴り響いてる。
「秋の夜長と虫の声、だねぇ。カーくん」
「ぐー」
 森の中の開けた草地で、ボク、アルル・ナジャとカーバンクルのカーくんは一緒に夜空を見上げていた。晴れた空には爪型の三日月と、光の粉のような星が瞬いている。
「……ん?」
 その夜空に、何かの影がよぎったような気がした。夜空にも飛ぶ鳥っていうのは結構いる。それにしても大きな鳥だなぁと目をすがめていたら、たちまち耳をつんざく悲鳴と、なんだかもの凄い騒音と一緒に、それが転がり落ちてきた。
「っきゃああああっ!?」
 それは近くの木の枝にぶつかって、その下の茂みの中に突っ込んでる。
「あいったたたぁ……。もうっ、冗談ではありませんわぁ!」
「ウィッチ! 大丈夫なの!?」
 茂みの中に身を起こした金色の髪の魔女にボクは呼びかけた……んだけど、もう一つ、別の影が茂みの中から頭を出したのでギクリと足を止めた。
「冗談ではないのはこっちだ! 仮にも魔女なら、ほうきぐらいしっかり操りやがれ!」
「げ、シェゾ!」
「あら、アルルさん」
 ようやく、ウィッチがボクに視線を向ける。シェゾ――銀色の髪のおにーさん――もボクに気付いて目を剥いた。
「アルルだと!?」
 静かな森に不釣合いに、シェゾの声は大きい。つくづくけたたましいヤツだよね。
「それにしても、なんでキミ達が二人一緒に……」
 考えて、ボクはハッと思い当たった。
「まさか二人で何か悪だくみしてるんじゃないだろうね!」
「出会い頭に言うことがそれか!?」
「そうですわ! 何か他にもっと考えることはありませんの?」
「何かって……」
「二人でデートしてたのか、ですとか」
 ……。
 ウィッチの言葉を聞いて、ちょおっと間が空いてしまった。
「え〜っ、そうだったのぉ!?」
「……ありえん」
 ふぅと息をついて言ったシェゾの頭を、ウィッチのほうきが激しく叩く。なかなか景気のよい音がして、シェゾは頭を抱えてその場に座り込んだ。
「相変わらず腹の立つ男ですわねぇ!」
「腹の立つのはお前だっ。人の頭をぽんぽん叩くなっ!」
「んまぁっ、なんて態度ですの。魔女がほうきに他種族を乗せるなんて滅多にやることではありませんのよ。たっての望みですから聞き入れてさしあげましたのに、あなたときたら感謝の言葉もなく」
「ああ、ものの五分で墜落してくれたがな! 俺がブラストで衝撃を緩和しなけりゃ、今頃仲良く首の骨でも折ってたんじゃねぇのか」
「ええと……。よく分からないんだけど、シェゾがウィッチに頼んでほうきに乗せてもらってたんだ?」
 ちょっと意外。シェゾも空を飛びたかったんだ。そう言ったら、シェゾは少し赤くなって怒鳴り返してきた。
「好きで頼んだわけじゃねぇ!」
「そうですわねぇ。ダンジョンで罠にはまって、転移系の魔法を封じられて脱出できず、瓶の底の蟻さんのように干乾びかけていたところに通りかかった可愛くて優秀な天才魔女に助けてくれと泣いて縋っただなんて、確かに好きでやることではありませんわね」
 好きでやってたらそれこそヘンタイですわ、と言ってウィッチはホホホと笑ってる。
「へ、へぇ〜……」
「泣いてはおらんだろうがっ!!」
「細かいことですわ。状況は変わりませんもの」
「あはは。キミって結構ウッカリしたトコあるもんねぇ」
「ぐっ……」
 ちょっと愉快な気分でボクが言ったら、シェゾはなんだか真っ赤になってわなわな震えてるみたいだった。
「それはそうと、アルルさんはこんな夜更けにこんな森で独りで何をしていますの?」
 ウィッチがボクに水を向けてくる。
「ぐっぐー」
「あ、ああ、あなたもいますわねぇ」
 飛び跳ねたカーくんを煩そうにあしらって、「二人で何をしていましたの」と言い直した。
「ボク? ボクは星図を描いてたんだよ。星占いに使うんだ」
 座り込んだままのシェゾが、黙ってボクを見上げて来る。ウィッチが目を丸くした。
「意外ですわ。あなたも占星術に興味がおありでしたのね」
「占術は魔導とは切っても切り離せないものだもんね。――と言っても、ホントは学校の課題なんだけどさ」
 種を明かして、ボクはちょっとばつの悪い思いで笑った。今期から占術学をとったんだよね。今のボクにはまだ付け焼き刃ほどの知識もないけれど。
「それはよろしいことですわねぇ。人の子の知識は魔女族の知る真理には遠く及ばないとは言え、あなたも星の力の一部に触れて、多少なりとも思慮深くなるとよいと思いますわ」
「確かに、魔女族の星占の技術は突出しているがな」
 相変わらずの調子で鼻を高くしたウィッチに、ぽつりと言ったのはシェゾだ。
「……だが、くだらん」
「なんですの!?」
 たちまち、ウィッチが眉を吊り上げた。
「くだらんものはくだらん。……意味がないだろう」
「星は全てを知っていますわ。そう、人の命や定めでさえも。その一端を探る魔女の叡智を馬鹿にするおつもりですの?」
「確かに、人には定められた運命ってものがある。だが、それを知る事に価値はないと言ってるだけだ」
 シェゾはそう言った。しばらく口をつぐんで、「……運命には逆らえない。人は、その重みを支えて生きていくだけの強さを持たんのだからな」とぽつりと呟く。
「ふーん……」
「……なんだ」
 シェゾがジロリとボクを睨んだ。
「ちょっと意外だなって思って。シェゾって、運命論者なんだ」
 そう言ったら、シェゾは口元を歪めて笑った。なんていうのか、皮肉な笑みってやつ?
「お前は、そんなことは考えたこともないんだろうな」
「え、そんなこともないよ? ボク、結構占いって好きだし。だってやっぱり気になるじゃない。自分の運命……」
「そんなもの、くだら……」
「……の、カレシとか!」
「ん、って。――はぁ?」
 何か言いかけてたシェゾが、思いっきり気の抜けた声を出した。いつも思うけど、こういう時のシェゾの顔って結構面白いよね。
「アルルさんも人並みに乙女だったんですわねぇー」
「そりゃそーだよ。まあ、今は魔導の勉強優先ではあるけどさ」
「くだらん! 心底くだらんっ!」
「さっきからうるさいなぁ。また何怒ってるんだよ、シェゾ」
「そうですわよ。女の子の一般的な関心事ですわ」
 そう言って、「そもそも占いの依頼に来る方の八割方が恋愛運を知りたがっていますわね」とウィッチが明かしてる。
「くっ……。なんという低レベルな……」
「そんなコトないよ。人生の重要事じゃない」
「ええ。生涯のパートナーのことですもの。疎かに出来ませんわ」
「そうそう。どんな人なのかなぁーとか、気になるし」
「そうした相手とは小指と小指が赤い糸で繋がってるとも言いますわね」
「――で、その相手を予め知りたいって言うのか?」
 二人で盛り上がったボクらを心底馬鹿にした顔で言って、シェゾはフン、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、その運命の糸とやらの先が、例えばコスプレ魔王や厚化粧淫魔やヘアケア剣士に繋がっていたら、どうする」
 そんなことを言ってくる。「運命には逆らえん。――知らないままの方がマシだ」なーんて。
「うーん……。まぁ確かに、今はサタンやインキュバスと結婚する気はないケド。でも、嫌な相手だったら、運命なんて気にしないし」
「……はぁ!?」
「占いなんてそんなものでしょ。いい結果は参考にするけど、嫌な結果なんてどうでもいいもん」
「いい加減にしやがれ!」
 何故なのか、シェゾはまた怒ったみたいだった。真っ赤な顔で怒鳴って、茂みの中から立ち上がる。
「シェゾ。どこへ行きますの?」
「帰るんだよ。これ以上お前らの与太話に付き合っていられるか!」
 茂みを踏み分けて森の奥へ消えて行こうとするシェゾの背中を見たら、なんだかボクもムカムカッとしてきた。
「もう、一体なに怒ってるんだよ!」
 シェゾと話していると、大抵こんな感じになる。シェゾはボクの言うことにいつも苛立つし、跳ね付けるし。なんだか見下してるみたいだ。
 運命がどうこうって。どうしてそんなことにこだわるのかなんて、ボクには全然分からないけど。でも、もしも運命がシェゾの言うみたいに絶対的なものだって言うんなら。
「じゃあ、シェゾ! もし、キミの運命の糸の先が、ボク……」
 言いかけて、ボクはぐっと口をつぐんだ。
 ウィッチの視線を感じる。シェゾも立ち止まって、なんだか驚いたみたいにボクを見た。
 あ、あれ? 何を言おうとしたんだっけ。えーと……そうだ。
「そ、そう、キミの運命の糸が、例えばルルーと繋がってたりしたなら、どうするのさ。運命には逆らえないんでしょ!」
 そう言い直したら、「なんであの筋肉女なんだよ!」ってシェゾが喚く。「シェゾがルルーさんと結婚したら、なかなか大変そうですわねぇ。夫婦喧嘩で首を折られないように、せいぜい気をつけることですわ」って、ウィッチがホホホと笑った。
「く……。そもそも、俺の……闇の魔導師の指に運命の糸なんてものは絡んでおらんわっ!」
「あら、そんなことは分かりませんわよ。運命とは誰にも等しいものですわ」
 そうではありませんこと? ってウィッチが言ったら、シェゾはグッと声を飲み込んでる。ホントに、シェゾって……。
「占い……っていうか、運命なんて、道しるべの一つなんじゃないかな」
 息をついて、ボクは彼を見上げた。
 シェゾはホントに、運命っていうものを『絶対』のものだって考えてるみたいだけど。でも、ボクは……。
「本当に嫌だったら従う必要なんてないもの。全力で回避すればいいし、嬉しかったら……全力でそれを目指せばいい。きっと、ただそれだけのことなんだよ」
 そんなこと、ボクは『絶対』思わないんだ。
 シェゾの青い目が、ボクを見下ろしている。
「……全く、お前は……」
 やや間があって、その唇から声が落ちたけれど。
「馬鹿だな」
「――な!?」
「馬鹿だが……」
 シェゾは少し言葉を切った。
「いっそ、それが羨ましいぜ」
「……え?」
 小さく息を吐いて、シェゾはもう一度背を向ける。濃い色のマントがフワリと広がった。
「そうだな。万が一にでも俺の指に運命の糸なんてものが繋がっているとして。運命が自分でどうにかできるようなものならば。…………俺は、全力で……」
 呟きは、空気がうねる音でかき消された。転移魔法テレポートの起こした黒いつむじ風に。
「シェゾ……」
 彼の姿はもう消えている。
「やれやれ、ですわね……」
 後ろからウィッチの声が聞こえた。振り向くと、ほうきを片手に茂みから出てきている。
「本当に面倒くさい男だったらありませんわ。――お互い、難儀なことですわねぇ」
「――へ? 何?」
 目配せをしてくる意味が分からなくて問い返したら、ウィッチは肩をすくめて「ま、いいですわ」と笑った。
「わたくしも帰ります。アルルさんもそろそろ戻った方が宜しいですわよ。夜の森は危険ですから」
「あ、うん……」
 ほうきにまたがって、ひらりとウィッチは舞い上がる。
「よろしければ、今度アルルさんも占ってさしあげますわ。恋愛運をね。――勿論、見料は頂きますけれど。それではごきげんよう」
 ウィッチがいなくなってしまうと、辺りにはまた、涼やかな虫の声が甦った。……ううん、ずっと鳴いていたんだろうケド。あの二人がいる間は耳に入らなかったってことなんだろうね。
「全力で、かぁ……」
 今のボクが全力で目指してるって言ったら、一流の魔導師になるっていう夢なんだけど……。
「――のんびりしていられない、ってコトなのかな……」
「ぐー?」
「え? カーくん、『何が?』って……。……何だろ?」
 ボクは首を傾げる。言った時は何か形が見えた気がしたんだけど、それはすぐに霧散してしまった。
 まだ分からない。ううん、分からないままでいたい気がする。
 ボクは細い月を見上げる。運命を司る星々に囲まれた、まだ満ちるには遠い未満の月を。
「ぐぐー!」
「うん、そうだね。ボクたちももう帰ろう」
 カーくんが肩の魔導装甲の上に乗ってくる。魔導光ライトを片手に、ボクらは街への道を辿り始めた。






終わり



06/10/24 すわさき
別館の日記から再録。なんだか色々と微妙な話。


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