真夏こおり



「あ……暑い……」

 言ったからといって何が変わるものでもない。むしろ気分が増すのではないかと思うのだが、こういう場合、言わずにはおれないものらしい。

 というわけで、そんなことを延々呟きながらアルルは歩いていた。

 頭の上からは太陽が容赦無く照り付けている。

 こんなにじりじり焼かれてたんじゃ、ボク、オーブンの中の丸焼きになっちゃうよぉ……。

 以前、魔王であるサタンが実にくだらない理由から太陽を巨大化し、同じように酷暑に呻吟したことがあったが、あの時は真冬。今は季節が巡って正真正銘の夏だ。誰が悪いわけでもないから、ここはただ、うめいているしかない。

「ぐぅう……」

 肩の上のカーバンクルもぐったり……というより、青菜のようにしなびていた。彼の乗っているのはアルルの金属製の肩アーマーの上で、つまりフライパンの上の卵状態なのだから、それも当然、尚更なのだろうが。(だったら他の場所に行けばいいのに……と言われても、ここが彼の定位置なのだ。いわく、彼のこだわりである。)

「暑いよぉ……。こういう日は、プールか海に行って泳ぎたいなぁ……」

「ぐぅ……」

「冷たいものもいいな……良く冷えた清水に氷を浮かべて、それからレモンをちょっと垂らして風味を付けて……」

「ぐぐぅ!」

 いずれにしても、家なりプールなりに辿り着こうと思えば、まだまだこの日差しの下を歩かなければならないが。

 チリンチリン……

「あれ?」

 鈴の音が聞こえて、アルルは立ち止まって振り仰いだ。僅かな風と共に、空から舞い降りてくる者がある。

「おほほほほ! アルルさん、ぐったりとなさってまるで陸に上がったタコのようですわね」

「ウィッチ……」

 ほうきに乗った金髪の魔女が、宙を滑ってアルルの前に止まった。

「ウィッチ……キミ、そんな格好で暑くないの?」

 いつものことながら、ウィッチのいでたちは紺のロングスカートに帽子といったもので、これが魔女の定番コスチュームとはいえ、この炎天下では見ているこちらが暑苦しい。

「あぁ〜ら、わたくしをアルルさんみたいな半人前と一緒にはしないでいただきたいですわね。この程度の天候に左右されるようでは、一人前の魔法使いとは言えませんわ! おほほほ」

「キミだって、まだ見習いでしょ」

「ウ、うるさいですわね」

 頬を紅潮させて怒鳴ったウィッチの額から、一筋、汗が流れ落ちた。やはり暑いのを我慢しているようだ。一族の矜持を保つというのも大変である。

 高位の魔導師にもなれば、自分自身やあるいは服にアイスやホットの魔法をかけて、それなりに体温の調整を図ることが出来るようになるものらしいのだが。とりあえず、二人の見習い少女達にはまだ少し先の事になりそうである。

「それより、ウィッチ、何か用なの?」

 言外に「さっさと切り上げて涼しいところに行きたい」と匂わせながら、アルルは尋ねた。

「あ、そうそう。そうでしたわ。わたくし、出張販売に参りましたの」

「出張販売?」

 ウィッチは小さな薬局――というより、魔導関連の雑貨屋を経営している。とくれば、それらの魔導アイテムを売りに来たのだろうか? 言われてみれば、確かに彼女の乗ったほうきの柄には大きな箱型のバッグがぶら下げられている。

 なんだか、もももとかふふふみたい……。

 真ん丸い体や目玉をした魔物商人達をアルルは思い浮かべた。ウィッチが彼らほど商魂たくましいとは思ってなかったのだが。

「おほほ! おばかさんですわねぇ。こんな日にそんなものわざわざ売り歩くわけありませんでしょ。こう見えてもわたくしはあなたよりよほど商売センスは持ち合わせておりますのよ」

「ハイハイ……で、何を売りに来たの?」

 客にこんな口をきいた時点で商売人失格ではなかろうか……などという至極もっともな感想はともかくとして、アルルは再び尋ねる。

「やっぱり、顧客のニーズに応えないといけませんわよね。それが商売の基本ですわ。今朝からじりじり照り付けているこの太陽を見ていて、わたくし、ピンと思い付きましたの!」

 そう言ってウィッチが開いたバッグの中には――。

 冷気がひんやりとアルルの頬をなでた。

「うわぁ……アイスキャンディーだぁ!」

 箱の中一杯に、色とりどりのアイスキャンディーが詰まっていた。ちょっと小さめだが、棒型のキャンディーだ。どうやらこの箱はクーラーボックスだったらしい。

「どうですの、アルルさん」

「うん、助かったよウィッチ。ボク、今こんなのがすごく欲しかったんだ!」

「ぐぐぅ!」

 アルルはもう箱の中を物色しはじめている。

「これだけの量を作るのは、結構大変でしたのよ」

「ぐー」

「カーくんはどの色がいいの? ……ダメダメ、二つも食べたらお腹壊しちゃうよ! ――へえ、これってウィッチが作ったんだ」

「ええ。でも、他のことはともかく、設備的な面でちょっと困りましたわね。売れるだけの量を作ることのできる製氷容器が足りませんでしたの。でも、ちょっとしたアイデアで解決しましたわ。わたくしの塔にそれは沢山ありましたから」

 カーバンクルは、結局オレンジ色のアイスに決めたらしい。

「えーと、ボクはどれにしようかな……」

 箱をかき回して、アルルは一本を選び出した。透き通った水色をしている。見るからに涼しげな感じだ。

「ボク、これにしよっと。ウィッチ、いくら?」

「一本が金100……ちょっとアルルさん、私の話を聞いてるんですの?」

「ご、ごめん。えーと……ウィッチの塔に沢山あるものって、ほうき?」

「違いますわよ! 大体、ほうきでどうやったらアイスキャンディーが作れますの!? そんな方法があるのでしたら、わたくしが教えていただきたいくらいですわっ」

「ははは……そうだよね」

「アイスキャンディーの形をよぉ〜くご覧なさいな」

「……? 細長いケド」

「試験管ですわよ。空の試験管を利用して果汁なんかを凍らせましたの」

「へええ〜! アイデアだねえ」

「ほほほ! ま、元々の頭の差ですわね。じゃ、わたくし溶けてしまわないうちに全部売ってしまわないといけませんから、これで失礼しますわ〜!」

 そう言うと、ウィッチは髪をなびかせてほうきで舞い上がり、飛んで行ってしまった。

「相変らず自信満々だなぁ……。でも、おかげで生き返ったよ」

「ぐぐぅ!」

「じゃ、とにかく汗が引いてるうちに、涼しいところまで頑張って行こうか、カーくん」

「ぐー!」

 アルルはまた歩きはじめた。


◇◆


 森と言えば深閑としているものだと思えるものかもしれないが、現実にはそんなことはない。木々が天然の屋根となって幾分暑さはしのげるが、差し込む日差しの下はやはり暑いし、何より余りのうるささにいっそ無音にすら感じてしまうセミの声が、バイタリティに満ちた夏を演出している。

 店の扉には鍵がかかっていた。小ぢんまりとした一戸建ての店の外壁にはななめに葉群れの影が落ち、風に揺れている。当然、店の扉の前に立ちつくしているシェゾにもその影は落ちていたが、何しろ全身黒尽くめなのであまり目だって見えなかった。まるで、彼だけこの真夏の情景から切り離されてしまっているかのようだ。この真夏日に黒の、しかも長袖にマントなどというイカレた服装をしているからというのも勿論だが、それで汗一つかいていないのだから。

 無論、真相は氷系の魔法で自らの体温の調整を行っているというだけのことである。しかし、それにしたって夏には夏らしい服装をするというのが一般の感覚というものだろう。だがとりあえず、彼にとっては通常の感覚より、"闇の魔導師"としてのイメージ、矜持の方が重要であるらしい。(もっとも、だからといってどこかの魔王のようにアロハシャツを着てうろつきまわるというのも問題ではあろうが)

「……留守か」

 閉ざされた扉のドアノブには、小さなプレートが下げられていた。

『外商中ですわ! お店にご用の方は後日どうぞ。 ウィッチの魔法のお店』

 店主の個性がよく現れた文章だ。一瞥して、そのまま眉間の皺を深くしながら、シェゾはいまいましげに言い捨てた。

「あいつ……今日が約束の日だってのを忘れてるんじゃないのか?」

 かなりうんざりしているようだったが、とりあえず諦めるつもりはないらしい。

「仕方がない。探しに行くか……」

 何やらぶつぶつ言いながら、シェゾは街に向かって歩き始めた。


◇◆


 細かな花模様の入った日傘は、日差しを反射していて、一見して真っ白に見える。それは彼女の青い髪や純白のドレス、何より白い肌によく合っていた。

「あら、アルルじゃない」

 アルルの姿を認めると、ルルーは日傘をくるりと回して立ち止まった。背筋をまっすぐに伸ばした彼女の背後には、例によって半獣人のミノタウロスが付き従っている。ただし、こちらの持っているのは日傘ではなく、どこかで買い物してきたらしい箱や包みの山。

「やあ、ルルー」

「なによ、相変わらずぼーっとして間の抜けた顔してるわね。体力も瞬発力のカケラもない魔導師じゃ、仕方ないのかもしれないケド」

「別に、ボーっとしてるつもりはないけど……。ルルーは買い物に行ってきたの?」

「まぁね。ちょっとした修行の合間の気晴らしよ」

 ルルーは長い髪をかきあげる。

「まったく、この日差しには嫌になっちゃうわ。昼日中には大して修行もやってられないし。日に焼けちゃうもの」

「へえ……ルルーは日に焼けるの嫌なんだ?」

「当たり前でしょ。この炎天下じゃあっという間に真っ黒になっちゃうわ」

 アルルは首を傾げた。

「でも、サタンが太陽を大きくした時には、ルルーも肌を焼いてたじゃない?」

「あ、あれは……サタンさまが小麦色になるんなら、あたくしもならなくちゃって思っただけよ。だけど、今はその必要ないじゃない。大体、日に焼けるにしたって程度ってものがあるのよ。ただボーッと焼けるにまかせてたんじゃ、肌がどんどん荒れちゃうわ」

「へえ……? あ、それで日傘をさしてるんだ。そういえば、毎日こんなに日差しが強いのに、ルルーの肌って白いよね」

「当たり前よ。あたくしはサタン様の愛に応えるためにも完璧な美しさを保たなきゃならないんですからね。ケアも対策も当然バッチリ完璧パーフェクト! あんたみたいにこの炎天下に帽子一つ被らずに平気で真っ黒になってウロウロしてるお子ちゃまとは違うのよっ」

「お、お子ちゃまって……。ボク、焼けて困ったことってないケド……」

「だ・か・ら、お子ちゃまだって言うの! そんなで放っておいたら肌がどんどん衰えて、あっという間に肌年齢ババアよ?」

「バ、ババア……」

「ま、そうなったってあたくしの知ったことじゃないけどね。サタン様の妃の資格を自ら破棄したってだけのことだから」

「いや、サタンのことはどーでもいいんだケド……」

「サタン様が、どうでもいいですって!?」

「ひ、ひええ!」

 ルルーに睨まれて、アルルは首をすくめた。万事がサタン中心に回っているルルーとの会話は、時として非常にやりにくい。

「ルルー様、もうそろそろ行きませんと……」

 頃合を見計らったのか、上手い具合にミノタウロスが口を挟んできた。見かけは無骨な大男だが、彼の気配りの細やかさはこの上ない。……苦労してるから。

「そうね……あんまりグズグズしてると、またじいがうるさいかもしれないわね」

 ルルーも気を取りなおしたようだ。

「じゃあね、アルル。あんたもあんまり直射日光の下ウロウロしてないで、せめて帽子くらい被りなさいよ。日射病で倒れたって知らないからね」

「う、うん……。でも、随分涼しくなってきたから平気だよ。じゃあね!」

 そして二人の少女は別れて…………しばらく行ったところで、ルルーは不意に立ち止まった。

「……涼しい?」

 日はまだ真上といっていい位置にある。雲は殆どなく、日差しは容赦無しに強い。

 ルルーは振り返った。アルルの姿はもうない。

「?」

 何かがきらきらと光っているのを見つけて、ルルーは目をすがめた。うっすらと白いそれは、道の上、アルルの立っていた辺りから去って行った向こうまで、一筋の線を引いている。

「うひゃっ!?」

 裸足のミノタウロスがそれを踏んで、思わず声をあげた。

 それは真夏のこの時期にはあるはずもないもの。――ひんやりと冷気を放つ、霜だった。


◇◆


「はらひれはれほれぇ〜」

 金色の羽根をしたハーピーは、ゆらゆらと漂いながら騒音(?)を発している。

「どんな日だろうとお前はウルサイな……」

「はららー、シェゾさん、こんにちわ〜」

「おう。……ちょっと、聞きたいんだが」

「はろほりほ〜、ふりはりふ〜!!」

「だぁあ! 大声出すなっ」

「歌を聴きたいなんて〜、言ってもらえて嬉しいですぅ〜、はらら〜♪」

「誰もお前の歌(?)を聞きたいとは言っとらん! 話を聞かせろと言っとるんだっ」

 両手で耳を押さえながら、シェゾは怒鳴った。

「はららぁ〜?」

「歌うなというのにっ。――お前、ウィッチがどこに行ったか、知らないか?」

「はらぁー、ウィッチさんなら、さっき向こうへ飛んで行きましたわ〜♪」

「そうか、分かった。すまんな」

「いいえぇー。はろほろひ〜、ふりはりふ〜〜♪」

「だから、歌うなっつっとんだぁあっ!!」


◇◆


「あああ……暑いですねぇ……」

 言いながら、チコの耳はだらりと下がっていた。精神的に恒常性を保つことを旨とする巫女でも、暑いものは暑い。肉体的な苦痛を凌駕する域には、生憎まだ彼女は達していない。

「なぁーに言ってるの、このくらい暑くなくちゃ夏とは言えないじゃない!」

 対して、隣を歩いているドラコケンタウロス――通称ドラコは元気も元気、元気全開絶好調だ。

「暑いんなら、海行こうよ、海。そんで激辛のカレー食べてさ」

 ついでに水着美少女コンテストを開いて、勿論優勝はア・タ・シ! などという妄想に浸っているドラコを横目に、チコは「ドラコさんって暑さに強いんですねぇ」と呟いた。

 変温動物なのかしら……? そういえば、ドラゴンさんもあまり暑そうにはしてなかったなぁ。――ドラゴンさんの表情って分かりにくいけど。

「え? 何か言った?」

「う、ううん、何も!」

 チコは慌てて取り繕う。

 祖母の許しを得て、珍しく神殿を離れて遊びに来れたのだ。あまり揉め事は起こしたくない。……にしても、今日という日がよりによってこれほどまでの酷暑でなくてもよさそうなものだが。

「チコ、あんた、スゴイ汗ね」

「はぁ……。だって、ホントに暑いですよ」

「そう言えば、さっきウィッチがアイスキャンデー売って回ってたけど」

「……あいすきゃんでー? 何、それ」

「え!? うそ、あんたアイスキャンデー知らないの?」

「だ、だって、そんなの見たことないし……」

「はぁ……巫女ってアイスも食べないのぉ?」

 ドラコは大仰に息をつく。

「そんなこと言われても……。それって、どんなものなんですか?」

「どんなものって、まぁ、夏の定番、風物詩よね。甘くって、冷たくって」

「へえ……」

 今一つどんなものかは分からなかったが、興味はいたく刺激された。特に、今の状況下では”冷たい”という辺りに。

 冷たいものかぁ……。なんでもいいから、一つ欲しいかも……。

 だって、暑いんだもの。ものすっごく。

 ……などと思っているうち、またもや、むあっとした熱気が横殴りに吹き付けてきて、あまりの暑さにくらくらした。

「あ、アルル? あんた、何やってんのよ!」

 ドラコが叫ぶのが聞こえた。

「アルルさん?」

 馴染みの名前を耳にして、気を取りなおしてそちらをみたチコは、大きな目を更に丸くした。……信じられないものを見たからだ。

 でっかい焚き火。

 この炎天下に、そんなものが燃え盛っている。単にそれだけでも眩暈を起こしかねない光景なのに、そのごく側、熱気をもろに受ける場所にアルルがうずくまっていて、しかも火に手をかざしている。暖を取っているようだ。……暖を取る? この暑いのに! しかし、アルルの姿はそれ以外の何物にも見えない。

「あ、ドラコ、チコ……」

 アルルの声は背中と同じくらい丸まっていた。まるで真冬のように。

「アルルさん……どうしたんですか?」

「どうって……温まってるんだよ。キミたちも火にあたっていかない?」

 アルルは言った。

「ジョーダンでしょ。この真夏日に、なんで焚き火になんてあたらないといけないのよ。あんた、それガマン大会?」

「ええ〜? だって、こんなに寒いじゃない」

 言いながら、アルルは本当に寒そうに震えている。

「ドラコさん……アルルさんの様子、なんだかおかしくありません?」

「そんなの、言われなくったって充分おかしいわよ。……アルル、あんたどっかビョーキにでもなってるんじゃないの?」

「え……確かに、寒いからちょっち風邪気味にはなってるかもしんないケド……」

「だからぁ、今日のどこが寒いってのよ。こんなに暑いじゃない。あんた大丈夫? どうにかなってんじゃないの?」

 焚き火の側まで近づいて行ったドラコは、アルルの顔を覗きこんだ。手を伸ばしてアルルの額に触れる。その時、アルルが小さくくしゃみをした。

「くしゃんっ」

「ど、ドラコさんっ!?」

 チコが悲鳴を上げる。一瞬で、アイスドラゴンのブレスを受けたごとく、ドラコはぴきーんと凍り付いてしまったのだった!


◇◆


「あらぁ……そこのカッコイイお兄さん、寄って行かない?」

 道端から、皮のレオタードを着たサキュバスが声をかけてきた。

「寄らん」

「冷たいわねぇ。いいじゃない、ちょっとくらい。サービスするわよぉ」

「いらんわ。俺は淫魔なんぞと遊ぶほど酔狂ではない」

「あはん、見かけに寄らず、カタいのねぇ。……でも、かえってゾクゾクするわぁ。私のモノにしたぁいっ」

「な、なんだそりゃ……」

「まずは、その暑苦しい服を脱がしてみたいわぁ。うふふ……」

 ムチを構えると、含み笑いしながらじりじりとサキュバスが近寄ってくる。その不気味さ(?)に、シェゾは思わず後じさった。

「な、ななな……」

「うふふふふ…………、私の下僕になりなさいっ」

「だぁああああっ!」

 うなりをあげて振り下ろされたムチを、シェゾは危うく避けた。

「避けちゃダメよぉ〜っ」

「いでっ!」

 しかし、引き戻されたムチの穂先に打たれてしまう。

「うふふ、痛い? でも、だんだんイイ感じになってくるわよぉ」

「なってたまるかぁあっ!」

 この後、シェゾがサキュバスのムチから逃げおおせるのに、少々の時間を要した。極大魔法でふっ飛ばせばよさそうなものだが、落ちついて呪文を唱えるどころではなかったのだ。

 ちなみに、今回はどうにか下僕にはならずに済んだようである。淫魔は攻撃力はともかく、強い魅了(精神支配)の力を持っていて、油断していると少なからず痛い目を見るので結構侮れないのだが。

 逃げのびた先で、ぜえぜえと息をついて、シェゾは一人ごちた。

「く、くそっ、何て日なんだ……っ」

 もっとも、ツイていないというのなら、彼にとっては毎日のことではあろうが。


◇◆


 「まぁ、なんだ……」

 口火を切ったのはすけとうだら。

 いつの間にやら、辺りには大勢のこの近辺の住民たちが集まっている。

 彼らはやや遠巻きに、大きな焚き火を取り囲んでいた。焚き火の側に座っているのは、勿論アルル。今や、ただ焚き火にあたるだけではなく、誰かがさし入れたらしい毛布やどてらにくるまっている。見るからに暑苦しい光景だが、当人はそれでも寒くてたまらない……らしい。

「こりゃ、何がどうなってるんだ?」 

「あたくしが知るワケないでしょ。もう、一体全体、なんだってこんなことになっちゃったのよ」

 憤懣やる方ない様子なのはルルーだ。

「アルル、あんた一体何したの?」

「そ、そんなの、ボクにだって分からないよー。涼しくなったかな、って思ってたらどんどん寒くなってきて……」

 寒さに震えながら、アルルが答える。あろうことか、吐き出す息が白い。

「原因に心当たりはないんですか?」

 と、チコ。アルルは首を横に振る。チコは眉を寄せて小首をかしげた。

「なんにしても、何か魔法的な影響でしょうね。……アルルさんの内側から、魔法の力を感じます」

「そりゃ……こんなの、普通じゃありっこないもんね」

 ドラコは小さくくしゃみをしている。凍ったのは髪の毛などの表面だけだったが、結構こたえたらしい。……変温動物だからだろうか?

「誰か、何か言った?」

「え? な、何も言ってませんけど……。空耳じゃないですか?」

 セリリはどぎまぎしている。

「何にしても……このままじゃマズいぜぇ」

「言われなくったって分かってるわよ。……どうやら、どんどん冷たくなってきてるみたいね」

 今や、アルルのくるまっている毛布にまで、うっすらと霜が貼りつき始めていた。ちなみに、カーバンクルは早々にアルルの肩から避難して、少し離れたところで踊っている。冷気と熱気が拮抗して、その辺りが最も適温になっているらしい。

「でも、一体どうしたらいいんでしょうか……」

「おーほほほ! みなさん、お困りのようですわね!」

 その時、空から高笑いが降ってきた。

「魔法といえば、このわたくしの出番ですわ。出張サービスを本日は特別料金で提供いたしますわよ!」

「あ、ウィッチ……」

 ほうきにくくりつけた鈴の音と共に、ウィッチが舞い降りてくる。金色の髪がふわふわと風に舞った。

「あんたに頼んでもねぇ……」

「何ができるってんだ?」

 ジト目のルルーとすけとうだらに、ウィッチは憤慨してみせる。

「失礼ですわね! わたくしは魔法の専門家ですわ。そこらのへっぽこ魔導師とはわけが違いますわよ!」

「じゃ、とりあえずこの状況を何とかしなさいよ」

「わ、分かりましたわよ……見てらっしゃい」

 ウィッチはほうきから降りると、アルルに向き直った。

「それでは、行きますわよ、アルルさん」

 いつにないウィッチの真剣さに、その場の全員が固唾を飲んで見守る。そんな中、ウィッチはついにその言葉を口にした。

「『隣の家に囲いが出来たってね』『へえー』!」

 ………………。

「まだまだですわっ。『この時計ドイツんだ?』『オラんだ』」

 びきーん!

「もういっちょ!」

 更に言いかけたウィッチの頭を、ルルーが速攻ではたいた。

「あんた、何言ってるのよっ。アルルがますます凍っちゃってるじゃないのっ」

「そんなはずはありませんわ」

「俺たちですら一瞬凍っちまったぜっ」

「くそくだらないダジャレなんて言ってないで、早く何とかしなさいよっ」

「くだらなくなんてありませんわよ。いいですこと、見たところ、今、アルルさんは内側から来る魔法の力で凍りついていってるんですわ。だから外側からいくら暖めたって気休めにしかなりませんのよ。これを溶かすには、つまりアルルさん自身の心を、心の底から熱くする必要があるんですわ」

「あんたの言いたいコトはわかったけど、それとさっきのダジャレに何の関係があるのよっ」

「おバカさんですわねぇ……心の底から熱くするには、まず笑いですわ。だからこそのスペシャルハイブリッドなギャグじゃありませんのよ!」

「はい、次行ってみよぉー、次!」

「ちょっとおぉ!?」

「ハイ、レディー。ここは僕に任せてもらえないかな」

 ウィッチがすけとうだらたちによって押しやられた後に、インキュバスが割りこんできた。

「インキュバス……」

「ハートを熱くするといえば、やはり”愛”さ。んん〜ん、わんだふる!」 

 嫌味なまでに整った顔に陶酔しきった表情を浮かべ、インキュバスはアルルに近づいた。

「ハニー……こんなことになって可哀相に。さぞ不安だろうね。その気持、僕には分かるよ。でも、ドントウォーリー。僕がついているからもう心配ないさ。どんな時でも、僕の心はキミのためにある……」

 インキュバスは手の中に一輪のバラを出すと、ひざまづいてアルルに差し出す。

「ハニー、キミにこれを捧げよう。このバラの名前は勿論、”キミへの愛”だ」

 そして、インキュバスはアルルの瞳をじっと見上げた……そのまま。

 ぴきーん!

「おおっ、触れてもないのに凍っちゃったぞう!」

「また冷気が増しているみたいですね」

「今ので、アルルさんの心が心底冷え切っちゃったんですわ」

「はい、退場〜!」

 凍ったインキュバスはアルルの前から引きずられていった。

「すごいや、凍ったバラってホントに粉々に砕けるんだね!」

 などと、パノッティがはしゃいでいたなんてことはさておき。

「ははははは! お困りのようだな」

「だ、誰っ!?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた、ルルー君。いつでもどこでも呼び声一つで即参上、よい子を守る正義の味方、マスク・ド・サタン様とは私のことだ!」

 高らかな声と共に、漆黒の翼を広げ、仮面をつけた魔族の男が空中に現れた。エメラルドのような髪をなびかせた頭の頂には、大きな二本の角がねじくれて直立している。

「ま、また……! 変態コスプレ仮面が、何の用よっ」

「がくっ。わ、私は悲しいぞ、ルルー君。変態はヤツだけで充分だっ。そんなことより、用といえばこれしかないだろう。アルル君、私と勝負だ!」

「え、ええ?」

 突然名指しされて、アルルはうろたえる。

「体を動かせば、自ずと心も熱くなる。この私と、ぷよぷよ地獄で勝負だっ!」

 びしいっ、とポーズを決め、マスク・ド・サタンは言い放った。

 とはいえ。

「ばっよえ〜ん!」

「うぉおおお!」

 降ってきた大量のおじゃまぷよで、マスク・ド・サタンはあえなくばたんきゅ〜。

「アイデアはよかったと思うんですけどね……」

「弱い……」

「っていうか、なんか自滅してませんでした?」

「自分のスピードに付いていけてないって言うかー」

「速さだけはすごかったぞう」

「早いだけの男なんてね……」

「うおおおっ、そんなバカな〜!」

 ふっ、とため息と共に吐き出されたルルーの言葉にトドメをさされたように、マスク・ド・サタンは泣きながらどこかへ去って行った。

「何だったんでしょう、今の……」

「なんか、どこかの誰かを彷彿とさせる方でしたわね。……誰だったかしら?」

 ウィッチは首をかしげたが、どうにも思い出せなかった。

「とにかく……このままじゃ埒があかないわね」

「さ、寒いぃいいい……」

 アルルの周りに貼りついた霜は、氷になり始めている。

「とにかく、体を動かすんだ。俺様と一緒にレッツダンシング!」

「踊れ踊れぇ〜!」

「ひえええ……」

 パノッティの笛で、すけとうだらと一緒にヘンな振り付けで踊らされるアルル……とはいえ、これも気休めかもしれない。踊っている足元には霜が張ってしまっているし。

「とりあえず、考え方を元に戻してみるべきかもしれませんね」

 チコが言った。

「どういうこと?」

「ウィッチさんの言う解決法がダメなら、別の方向から……こうなった原因を探れば、別の解決法も見えてくるかもしれないじゃないですか」

「なるほど……一理あるな」

 ミノタウロスが頷く。

「そうねぇ」

 ルルーはアルルに向き直った。

「アルル、あんたに何か心当たりはないの?」

「そ、そんなの、別にない、よぉー」

「でも、何か原因はあるはずなんですよ。……何かの魔法薬を飲んだとか」

「魔法薬といえば……」

 その場の全員の視線を受けて、ウィッチがうろたえた。

「ちょ、ちょっと! わたくしのせいじゃありませんわよ。わたくしは何もしてませんわ」

「どうだか……考えてみればスゴク怪しいわよね。いつもの行いからしても」

「濡れ衣ですわ。アルルさん、あなたのせいでわたくしがあらぬ疑いをかけられてるんですのよ! なんとか言ってやってくださいな」

「べ、別に、ウィッチからは薬なんてもらってない、ケド。ここしばらくは、ウィッチの店にも、行ってないしっ」

「じゃあ、もっと別のものが原因ですかね」

「そうね……じゃ、何か変なものでも食べたんじゃないの? また何でもかんでも見境なく口に入れたんでしょう」

「おかしな、物なんて、食べてないってば」

 まったく、これだからお子ちゃまは……と首を振るルルーに、アルルは踊りながら必死に口を尖らせた。(彼女の意に反して、その動作はひどく子供っぽく見える。)

「今日食べたのは、昨日の残りのカレーと、らっきょと、麦茶くらい、だもんっ」

「あんた……貧しい食生活ねぇ……」

「ほっといて、よぉ〜」

「うむ、やはりカレーにはらっきょだぜ、ダッダンシン!」

「踊れ踊れ〜」

「ああ、楽しそう……。でも、あの輪の中に入っていけない。ダメ、私、まだまだ弱虫だわ……」

 この状況の端で、セリリが密かに呟いていたりするのは当然誰も知る由もなかったりしたが。それはともかく。

「ぐぐー!」

「あ、カーくん。そうか、そうだね」

 不意にカーバンクルが口を挟んで(?)、アルルは踊りながらなんとか頷いた。

「それから、アイスキャンデーも、食べたんだっけ」

「あいすきゃんでーって……ウィッチさんが売って回ってたってやつですか?」

「う、うん……、そういえば、その後から涼しくなって、きて……」

「決まりね。原因はそのアイスキャンデーだわっ!」

 今度こそ、びしぃっとルルーに指差されて、ウィッチは反駁した。

「ちょ、ちょっとおぉ! なんでそうなるんですのっ」

「状況的に見てそれしかないでしょっ。あんた、また変な混ぜものでもしたんじゃない?」

「そんなコト、してませんわよ。あれはホントにただのアイスです。第一、他にも私のアイスを買った方はこの中に大勢いらっしゃいますけど、みなさん何ともないじゃありませんの」

「そういえば、カーくんは、全然何ともなってない、よねっ。一緒に食べた、のに」

「あんた、いい加減その踊りながら喋るのやめなさいよっ。なんかイライラするわ!」

「ボクだって、もう止めたいよぉ〜」

 半ば目を回しながら、アルルがそう答えたとき。

「ウィッチ、てめぇ、見つけたぞっ!」

 唐突に、また新たな、しかし聞き慣れた声が割り込んできた。


◇◆


 人だかりをみつけたのは、サキュバスから逃れてしばらく経った頃。

「なんだ……?」

 孤独を好む闇の魔導師としては、本来人だかりは避けたいところだが、現在は人探しの最中である。とすれば、情報源は多い方が都合はいい。その判断が正しかったことは、すぐ知れた。シェゾの鋭い目は、人ごみの中に求める魔女当人の姿を認めたからだ。

「ウィッチ、てめぇ、見つけたぞっ!」

 怒声をあげ、シェゾは人ごみの中に割りこんだ。

「し、シェゾっ!?」

 ウィッチはひどく驚いていたが、とりあえずそれは問題ではない。

「こんなところをうろうろしてやがって、一体何のつもりだっ」

「え、えっ?」

「……まさか、約束を忘れていたというのではないだろうな」

「あ、あのぉ……」

 不意に、横からよく聞き知った声が聞こえるのに気がついた。一方的にまくしたてていたシェゾは、ようやく他に注意をそらす。……そらしている場合ではなかったのかもしれないが、とりあえず、次に目に入ったものがあまりに奇異だったので、思わずそれに釘付けになってしまった。

「あ、アルル・ナジャ……? お前はまた、一体何をしてるんだ」

 なんだか知らないが、アルルがどてらを着て、すけとうだらと一緒に奇妙な振り付けで踊っていた。ルルーやミノタウロスを始めとする大勢の近辺の住民たちが、そんな彼女の回りを囲っている。……はなはだ奇妙でブキミだが、ダンスの発表会か何かだろうか。

「ボクだって、好きで踊ってる、んじゃないよぉ。やだやだっ、止めてぇえ」

「チッ。これからが本番なのに、残念だぜっ。ふぃにーっしゅ!」

 パノッティの伴奏がやんで、とりあえずダンスは終了した。

「ほえぇ〜」

 アルルはちょっと目を回している。

 ……相変わらず、よく分からんヤツだ、アルル……。

「シェゾ?」

 ウィッチの声で、シェゾは我に返った。そうだった。今はこいつに用があるのだ。

「ウィッチ、貴様、よくもこの俺をこうも引き回してくれたな!」

「な、なんのことですの?」

「本気で忘れてるのか?」

「……何かありましたかしら……」

 シェゾは怒りで少しくらくらした。

「シェゾ……ウィッチと、何か約束してたの?」

「そうだっ。こいつの方から日時を指定してきやがったくせに、行ってみたら店は閉めてやがる。おかげで余計な苦労をしたぜ」

 ちなみに、苦労したのはシェゾ個人の問題であって、直接的にはウィッチのせいではないが。

「ふーん……そうなんだ……」

「わ、忘れていたわけではありませんわよ。ちゃんと準備は出来ていたんですけど、今朝の強い日差しを見ていたら、このわたくしの天才的な商業センスが閃いて、いてもたってもいられなくなったんですもの」

「あのなぁ……」

「ちょっと! 痴話ゲンカなら、とりあえず後にしてちょうだい。今はあたくしたちがウィッチに話があるのよ」

 ルルーが強引に口を挟んだが、シェゾも負けてはいない。

「何が痴話ゲンカだ。みょーなカンチガイをしてるんじゃねぇ! 俺はな、単に頼んでおいた魔導薬を受け取りにきただけだっ。てめぇで指定しておいて、なんでそんなにケロッと忘れてられるんだ。まがりなりにも商売人なんだろうが」

「い、いいじゃないですの。薬はちゃんと調合済みですもの。そんなに怒鳴らないでくださいませんこと?」

「だったらとっとと渡せ」

「ここにはありませんわよ。塔の実験室の試験管に…………」

 言いかけて、ウィッチはスイッチが切れたように停止した。

「…………おい?」

「ああああああっ!!」

「ぅわ!?」

 今度は、傍目にも分かるくらい動揺している。

「そ、そうでしたわ。今朝調合が完了して、それでちょっと一休みしているうちにアイスキャンデーを作ることを閃いて……」

「そういえば……ウィッチ、アイスキャンデーを作るのに、試験管を使ったって言ってたよね……」

 また寒くなってきたらしい。腕を抱え込んで震えながら、アルルが言った。

「アルル?」

 その様子を見て、シェゾは怪訝な顔をする。

 こいつ、今日はホントにおかしいぜ。どうしたっていうんだ?

「それって…………」

「おほほほほ! わたくし急用を思いつきましたわ。シェゾ、ご注文の薬には予期せぬアクシデント発生ですわ。また後日調合いたしますので。それでは、ごきげんよう〜!」

「何よそれ!」

「ちょっと待て、ふざけんな!」

 ほうきで去って行こうとしたウィッチは、しかしあっさり捕まえられた。

「いててだよ〜」

「つまり……シェゾに渡すはずだった薬を、うっかり他の果汁と一緒に凍らせて、アイスキャンデーにしちゃったのね」

「そしてそれをたまたまアルルさんが買ったと」

 ドラコとチコが話している。

「それで、アルルはどんどん凍っていっちまってるってワケか……」

 再び焚き火の側にうずくまった(しかし足元は凍り付いている)アルルを横目に、シェゾは腕を組んでいる。

「な〜んか、怪しいわね……」

「な、何だ?」

 ルルーに睨まれて、シェゾは身構えた。

「よりによってあんたが作らせた薬をアルルが買うなんて……もしかして、最初から仕組んでたんじゃないの?」

「なっ……んなわけあるか!」

「そうですわよ。わたくし、こんな変態と組んでなんかいませんわ」

「ちょっ……誰が変態だ! 第一今は関係なかろうが!」

「これは単にお茶目なミスと偶然が重なった結果です。第一、あのアイスを選んだのはアルルさん自身ですわよ」

 シェゾの声を無視してウィッチは続けたが。

「二人で結託しちゃって、ますます怪しいわね」

「あのなぁ…………大体、アルルを凍らせて、俺に何の得があるっていうんだ!? 第一、俺が頼んだのは内服薬じゃない。実験用の特殊な試薬だ」

 シェゾは言った。これには、ウィッチも同意する。

「まぁ……普通、口に入れるような薬じゃありませんわね」

 悪びれた様子もないのは性格だろうか。

「しかし、原因がわかったのなら、解毒の方法も判ったのだろう」

 とりなすように言ったのはミノタウロスだ。これもまた性格だろう。が、ウィッチはそれをあっさり一蹴した。

「そんなの、今すぐは無理ですわ」

 これには、その場の全員が呆気に取られた。

「駄目って……どういうことよ」

「駄目とは言ってませんわよ。だから、言いましたでしょ。普通飲む薬じゃありませんもの。こんな効果が出るなんて予想外でしたわ。これ自体は興味深い事象ですけど……解毒の方法となると、一朝一夕には見つけられませんわよ。もっと綿密な実験とデータの積み重ねがないと。……それなりに時間がかかりますわね」

「じゃあ……アルルはこのまま……」

 当のアルルはといえば、寒さのあまりガタガタと震えている。

 思わず、といった感じで漏らされたルルーの台詞に、その場の雰囲気が絶望的に重くなった。

 しばしの沈黙の後。それは破ったのは、黒尽くめの青年魔導師。

「分かった……」

「シェゾ?」

 固まった雰囲気を破り、不意にそう言ってマントを翻した闇の魔導師に、自然にその場の注目が集まる。彼はそのまま、震えているアルルの方へ向かった。

「シ、シェゾ……」

 アルルは寒さのあまり、歯の根が合わない。貼りついた霜は氷になり、それも先程より厚くなっていするように見える。

 そんな彼女を、シェゾは一瞬見据えた。そして、その後に。

 彼は一言、しかしよく通る声でこう言った。

「アルル…………お前が欲しい!

「――はぁあ!?」

 アルルを含め――これには、その場の全員が唖然と口を開けた。

「シェゾ、キミ、何言って……」

「そうよ、こんな時に何またおかしなコト言ってるのよ、この変態っ」

 ルルーの罵声もなんのその。シェゾはフッと笑って言ってのけた。

「こんな時だから、だろうが。お前が凍り付いてしまったら、もう魔力が取れないからな。よって、今のうちにお前の魔力を根こそぎいただいてやる!」

 これには、みんな今度こそ呆れ果てて言葉も出ない。

 対して、シェゾは邪悪とも見える笑みを浮かべ、手の中から闇の剣を取り出した。それをアルルの鼻先につきつける。

「いくぞ!」 

 そして、この状況に面と向かっているアルル当人はといえば。

 肩がわなわなと震えているのは、この場合、寒さのためばかりとは言えまい。

「そう……。そうなんだ。ボクがこんなになってる時に、キミってばそんなコトを言うんだね……」

「なにをごちゃごちゃ言ってやがる。覚悟するがいい。たっぷりと心ゆくまで吸い取ってやるからな」

 ………………ぶち。

「あれ? 今、何か切れましたか?」

 チコの問いに、ドラコが答える。

「ああ……あれはね。紐の切れた音でしょ。アルルの堪忍袋の」

じゅじゅじゅじゅじゅじゅ×∞……じゅげむっ!!

 後に語られた話によれば、その際の魔法の炸裂した様子は、まるで火山が噴火したごとくであったという……。

ぁぁ〜〜っ!

 さらば闇の魔導師よ。しかし滅びてはいないだろう。一匹見かければ三十匹と言うコトだし。


◇◆


 魔法を放って、アルルは荒い息をついていた。急激に大量の魔力を失ったため、軽い眩暈がする。

「ああ、アルル! あんた……」

「……え?」

「ぐぐー!」

 カーバンクルが、アルルの肩に駆け登った。アルルの服に貼りついていた霜が、速やかに解け消えていっている。

「治った…………、あ、あっつぅううういっ!」

 アルルは慌ててどてらを脱ぎ捨てた。厳寒から、一気に酷暑である。夕方なので大分過ごし易くなっているはずなのだが、何しろ間近に巨大な焚き火を焚いていたので。

「治ったんですね!」

「だが、どうしてだ? 解毒剤は当分出来ないんだったんだろ。効き目が切れたのか?」

 すけとうだらやチコが首をかしげる。

「そうか、さっきのシェゾに対する怒りで、アルルさんは心の底から熱くなったんですわ!」

 得心した様子で、ウィッチが言った。ルルーが両手を打つ。

「なるほどね。変態も、たまには役に立ったってコトね」

「あ、あのー……。それじゃ、まさか、シェゾさんはそれを見越して、わざとあんなことを……?」

 おそるおそる、セリリが言った。のだが。

「……それはないんじゃない?」

「そうですわね。ああ言った時の目は、本気でしたわ」

「そうそう。私もそう思う」

 これはあっさり却下された。

「なんにしても、めでたいぞう! わしも、安心したぞう」

「そうだな。なぁ、このままここで祭りでも開かないか? 俺様の踊りをもっと披露するぜっ」

「夏祭りかぁ……それ、結構いいかも!」

「それじゃ、わたくし屋台を開いてアイスキャンデーでも売ろうかしら」

「それはやめなさいっての!」

 この提案はその場の全員の一致団結で速攻で阻止されたことは言うまでもない。


◇◆


 アルルが暖を取った焚き火は、少し小さくされて、しかしそのまま、祭り会場の中央に燃え盛った。火は赤々と、すっかり暗くなった夜空を焦がす。話を聞きつけた魔物商人たちも集まって、祭りは賑やかに、大層盛り上がった。

「ああ……サタン様は来てらっしゃらないのかしら。折角の夜祭、ご一緒できたらどんなにか幸せなのに……」

「ルルーってば相変わらずだねぇ。でも、ミノタウロスが一緒だからいいじゃない」

「何言ってんのよ、こんなウシと一緒にいたって、カケラも微塵も全く全然嬉しいわけないでしょ! くだらないこと言わないでちょうだい。それとも、あんたまさか、独り身の寂しさに耐えかねて、あたくしを差し置いてサタン様と一緒にお祭り見物しようなんて考えてるんじゃないでしょうね!?」

「ち、違うってば、もぉ……。大体、ボクはカーくんと一緒だもん。寂しくなんかないよーっだ。ね、カーくん」

「ぐぐー!」

 天空には真夏の星座がきらめいている。明日も、きっといい天気だろう。


◇◆


 余談

 祭りの間中終始にこやかだったアルルだが、実は結構執念深く怒りを燃やしていたことが、後日判明した。

 この件にまつわる闇の魔導師のその後の運命については、また別の話である。


End


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