「よっ、はっ」 木の枝に紙切れが引っかかっている。その下から掛け声に合わせてぴょこぴょこと上下しつつ、届かない指先。 「むー……」 飛び跳ねる動きを止め、アルル・ナジャは眉根を寄せて唸りをあげた。もっと高くジャンプできないと取れないようだ。それとも、どこからか踏み台を探してくるべきだろうか。
きょろきょろと辺りを見回したが、とりあえず、視界の範囲内には使えそうなものはない。やはり、 「――あっ」 「さっきから見ていれば……何をやっているんだ、お前は」 「シェゾ!」 いつもながらの仏頂面で見下ろす長身の青年の名を、アルルは呼んだ。 「よかったぁ。取れなくて、どーしようかと思ってたんだ」 ありがとう、と笑って手を差し出すと、シェゾは一瞬ひるんだ目をして、取った紙切れに視線を逸らした。 「なんだ、これ。……魔物商人連合 福引き補助券?」 「ちょっと、返してよ」 アルルは手を伸ばして取り返そうとしたが、シェゾが片手で頭を押さえつけてきたので、ジタバタともがくことしかできない。 「返せってば! 小学生のいじめっ子か、キミは」 「フン。相手が小学生並のガキだからな。やけに必死だったから何かと思えば、福引きか?」
シェゾは小馬鹿にしたように 「いいでしょ、別に。……ん? そういえば、"さっきから"って……。キミ、いつから見てたのさ」
「お前がヘラヘラ笑いながらこの商店街にスキップしてきて、吹いた大風でめくれたスカートを押さえようとして、手に持ってた 突然 蹴りを入れられて、シェゾは慌てて飛び退いた。 「何しやがる!」 「ヘンタイ!」 頬を紅潮させ、アルルが睨んでいる。 「なんでだ!」 「だって、見てたんでしょ。ボクの――」 「確かに見てたが……って、やめろ、殴り掛かるな! お前のスカートの中身なんぞ見とらんわ! お前、多少 被害妄想気味だぞ」 「う。………ご、ごめん」 ようやく、アルルはシェゾをどついていた手を止める。 「お前の色気のないパンツを見たからってどうだというんだ。そもそも、俺の側から見えたのは、めくれた上着の下の”へそ”だけ………って、おい、なんで無言で人を蹴りつけるっ」 シェゾの抗議を無視して、なおもアルルがドカドカと彼の背中に土の足型を付け続けていると、高い笑い声が辺りに響き渡った。 「おーーほほほほほ! さっきから見ていれば、何を間の抜けた漫才をしているのかしら!」 「「ルルー」」 突如現れた、長い海の髪をなびかせた美女の名を、アルルとシェゾは呼んだ。彼女の背後には、いつもの例に漏れず、牛頭人身の大男・ミノタウロスが付き従っている。 アルルは尋ねた。 「ちなみに、”さっきから”って………。いつから見ていたの?」 「あんたが『カーくん急いで、遅れちゃうよ!』とカーバンクルを急かして家から飛び出して、そのくせ『あっ、忘れ物!』とすぐさま引き返して、敷居に引っかかって派手にすっ転んでいたあたりからよっ!」 流れる勢いで言ってのけると、ルルーは持っていた羽根扇子でビシッとアルルを指した。 「アルル! あんたがあんなに慌てるなんて、重大な何かがあるに違いないわ。そう、サタン様に関わるような……。キリキリ白状しなさいっ!」 「さ、サタン? 別にサタンと関係は……」 「まぁあっ! やっぱり、サタン様と”関係”してるのねっ! 許せないわぁあ」 「だから、サタンとは なんにも関係ないってば!」 「キーッ、嘘おっしゃい!」 「往来で何を叫んでるんだ、お前らは……」
溜息を吐いてシェゾが呟いた。自分のいつもやっていることはともかくも、他人の 「福引きをはじめるーな」「ただいまから、魔物商人連合主催の福引きを開始いたしまーす。券を持っておられる方はお早目にご参加下さーい」 ベルを手に持ったパキスタの隣で、長い耳のリディアが礼儀正しく声を張り上げている。 「ああっ、始まっちゃったよ! 行かなくちゃ」
まだ何か言い続けているルルーを 「ちょっとアルル、まだ あたくしの話は終わってないわよ。福引きが何ですって!?」 「だって、アレが当たるのは一人にだけなんだよ。先に誰かに出されちゃったら、もうダメになっちゃう。それで急いで来たんだから」 「当たる……?」 ルルーは、しばし福引きの台にかけられた垂れ幕の文字を読んだ。やがて、低く笑い始める。 「……ふ、ふふふ。読めたわ、アルル!」 「はえ?」 ルルーにまたもや扇子で指されて、アルルは脱力した声を上げた。 「あんたの目的は、一等の”遺跡秘湯ツアー ペアご招待券”ね!」 「はぁ?」 「誤魔化しても無駄よ。解ってるわ。それでサタン様と二人で旅行するつもりなんでしょうっ!」 ルルーは叫んだ。 「ひなびた遺跡、感じのいい静かな旅館――見交わす目と目。そして二人っきりの温泉であーんなことやこーんなことを……あぁっ」 「ちょっとちょっと、何言ってるのさ!」 「お子ちゃまのクセして、あざとい手段でサタン様を毒牙にかけようだなんて、百万年早いのよ! あたくしがそれを知ったからには、そうはさせないわっ」 ルルーは、福引きの台に突進した。 「”遺跡秘湯ツアー ペアご招待券”をあたくしにお寄越しなさい!」 傲慢な物言いに、パキスタとリディアはたじたじと身を縮めた。 「お客様、これは福引きですので……」「困るーな」 「お金に糸目は付けないわ。いいから、渡しなさい!」 お金、という言葉に魔物商人達は暫し違いの顔を見合わせたが。 「福引きで当たった人にしか渡せないーな。福引きをするには券がいるーな」 「券は、魔物商人連合に加盟している商店で期間中に買い物をしますと、金500で福引き券一枚、金100で福引き補助券一枚をさし上げております。補助券五枚で福引きに一回挑戦できますよ」 そう言って、ちなみに現在も期間中ですから、と付け加えた。 「なるほどね。わかったわ、あんた達が今持っている商品を、全部ちょうだい。商品は、あとで屋敷まで届けてね。――ミノ!」 「はっ」 ミノタウロスがさっと進み出てきて、懐からずっしりとした重みの金袋を出した。 「ありがたーな」「ありがとうございましたぁ」 魔物商人達はさっと金袋を奥へしまい込み、代わりに福引き券の山がドサッと台の上に出された。 「ほほほ。これで、あたくしが当てれば文句無しってワケね」 「えええっ。ボクが一番乗りで引きたかったのに……」というアルルの声を心地よく聞きながら、ルルーは福引き機のハンドルを握りしめた。 「これを回せばいいのね。行くわよっ。えい!」 ガラン、とドラムが回転し、下に置かれたトレイにコロンと小さな玉が転がり出た。 ――白。 「ハズレー。残念賞ーな」 パキスタが言って、ぽん、とポケットティッシュ一つがルルーの手に渡された。 「ちょっ……ちょっとぉ! なによそれ。このあたくしが引いたのよ。残念賞なんて許されると思って!? 無意味に両手をひらひら動かしちゃって、漬物にするわよ、この大根!」 「ぐぐぐ……でも、ハズレはハズレなーの」 「ルルー様、それ以上締めたら大根の首が折れます」 ミノタウロスに止められて、ルルーはパキスタから腕を外した。 「しかたがないわね……わかったわよ。どちらにしても、ペア招待券はあたくしのものと決まっているのだから、多少の手間は我慢するわ」 言って、ルルーは再び福引き機のハンドルに手を置いた。 「じゃ、行くわよ。……ていっ」 カラン。 「残念賞〜」 「まだまだっ。……はぁっ」 「残念賞〜」 「くっ。もう一度っ。……たぁああ!」 「残念賞〜」 これが延々続き、台の上の福引き券は見る間に減っていく。 どれほどの時間が経ったであろうか。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 福引き機のハンドルを握りしめたまま、髪を振り乱し、肩で息をつくルルー。台の上に積み重なっていた福引き券は殆ど見当たらず、代わりにポケットティッシュが山となっている。 「お客さん、最後の一回なーの」 「くっ……このあたくしがここまで真剣に挑んで、ただの一度も当たりを出せないだなんて……あんたたち、本当にこの中に当たりは入ってるんでしょうねぇえぇえ!?」 「勿論ですよ、お客さんっ」「ちゃんと入ってるーな」 恐ろしい目で睨み付けられて、魔物商人達は震えながら答えた。 「とにかく、泣いても笑ってもこれが最後の一回……あたくしにはもう後がないのよ。全身全霊を込めて、何がなんでも一等を出してみせるわ。サタン様のためにも! ………はぁああああぁ〜〜〜〜」 呼吸を整え、ルルーは気合いを溜めた。気の力が物理的な力となり、ルルーの長い髪を揺らめかせる。――暫しの間。そして、ルルーは閉じていた目をカッと開けた。 「たぁあぁああ〜〜〜〜っ!!」 ルルーの手が物凄い勢いでハンドルを回し、ドラムを回転させる。どのくらい凄い勢いかというと、あまりの速さで彼女の手が残像でしか見えないくらいだ。 「あ、煙が……」 福引き機のハンドルの付け根から立ち昇り始めたそれに気付いて、アルルが小さく声を上げた。その、瞬間。 バキン、と音をたててハンドルがもげた。ハンドルだけではない。ドラム自体も吹っ飛んで――分解した。ザーッ、と中に入っていた大量の玉が飛び散る。コン、と中の一つがルルーの頭に当たり、彼女の手の中に落ちた。――銀色。 「あっ、出たわ! ほら、一等よっ。ほーほほほ、やはり、あたくしに不可能はなかったわっ。さぁ、さっさと”遺跡秘湯ツアー ペアご招待券”を寄越しなさいっ」 「これは無効なーの。賞品を渡すわけにはいかないーの」 転がった玉をかき集めながら、パキスタが言った。 「何ですってぇ!? ちゃんと一等の玉を出してるじゃないのよっ」 「ぐぐぐ……でも、他の玉も全部出てるーな。それより、壊れた福引き機の弁償をしてほしいーの……ぐぐ」 「お待ちのお客様、予備の福引き機を持ってきましたので、こちらにどうぞ」 ルルーにヘッドロックをかけられているパキスタの隣で、リディアが新しい福引き機を台に出して、アルルに声をかけた。 「あっ、ボク? いいの?」 「はい。他のお客様方は当分近付いてこれないようですし……」 確かに、通行人はみんな遠巻きにしている。福引き券を手に持っている者もいるようだが、近付いてこない。……まぁ、当然だろうが。慣れているアルルやシェゾは別にして。 「じゃあ、シェゾに券を取られてる分、一回出来る回数が少ないけど……」
アルルはポケットから出した券を台の上に置いた。リディアがそれを 「はい、一回ですね。――どうぞ」 「うん。……よーし」 ハンドルを握り締め、アルルは少し慎重に福引き機のドラムを回した。 カラン、と玉が転がり落ちる。 ――銀色。 「――おめでとうございまーす! 一等賞〜!!」 ガランガラン、とリディアがベルを振り鳴らした。 「遺跡秘湯ツアー、ペアご招待券でーす!」 一瞬、ルルーはあっけに取られたようにアルルの方を見ていたが。 「ちょっと! なんでアルルは一回で当たるのよっ。おかしいんじゃないの?」 「ぐぐぐ……そー言われても、困るーな」 再び、パキスタの首を締め上げ始めた。このままでは本当に首が折れるかもしれない。 「ル、ルルー。そんなに欲しいんなら、この券あげるよ」 アルルが言った。 「……なんですって?」 「お前、それを当てたかったんじゃないのか?」 傍観していたシェゾが口を挟む。 「んー。だって、券なんかなくても遺跡の温泉にはいつも二人で行ってるし」 「「え!?」」 「ねっ、カーくん」「ぐー!」 黄色い小動物の応える声を聞いて、目に見えてルルーが、こころなしかシェゾが肩から力を抜いた。 「それに、ボクが当てたかったのは、これじゃないから。――上」 アルルの視線を追って、シェゾは垂れ幕の文字を読む。 「特賞?」 一等 遺跡秘湯ツアーペアご招待券 ……の上に、もう一行。 特賞 黄金のらっきょ 「……らっきょ? お前、それが欲しいのか?」 「そうだよ! だって、黄金のらっきょだなんて、どんなに美味しいかって思うじゃない! 絶対 食べてみたいでしょ」 「「………」」 「だから一生懸命 補助券をためて、急いで家を出て来たんだよ。けど、ハズレちゃったし。券は一回分 取られちゃってて、誰かさんが返してくれないし」 はぁー、とアルルは息をつく。シェゾが訊いた。 「お前、そんなにらっきょが好きなのか?」 「うん。なんといっても美味しいし、カレーの付け合わせとしても最高でしょ!」 両手を組み、アルルはキラキラと琥珀の瞳を輝かせた。 「もしも、らっきょが無限に湧き出るらっきょの泉があるとしたら、絶対探し出すよ。素晴らしい光景だと思わない?」 「それはなんというか……恐ろしい光景だな」 うっとりと語るアルルの後ろで呟き、シェゾは持っていた券をポンと台の上に投げ出した。 「俺のじゃない。そいつのだ」 券を 「シェゾ。返してくれるんだね」 「フン」 シェゾは不機嫌そうに鼻を鳴らす。 「はい、確かに。――どうぞ」 再び福引き機がアルルに向けて示され、アルルはハンドルを握りしめた。 「よしっ。今度こそ!」 勢いよくドラムを回すと、間を置かず、音を立てて玉がトレイの上に転がり落ちる。 ――緑。 「四等賞〜〜! 各種魔法草の詰め合わせでーす」 リディアがベルを振り鳴らす。アルルはがっくりと肩を落とした。 「とほー……。ハズレちゃったよぉ……最後のチャンスだったのに」 「残念賞よりよっぽどマシじゃない。贅沢言うんじゃないわよ」 ポケットティッシュを両手につかんで、ルルーが憤慨している。まぁ、もっともだ。それでも、アルルのうな垂れた首は上がらない。 「あのー、お客さん」 リディアが言った。 「あと一回、福引きできますよ」 「え!?」 アルルは顔を上げる。 「そんなはずないよ。だって、ボクは二回分しか補助券を持ってなかったもの」 「でも、先程、二回目にいただいた券は、ちゃんと二回分ありましたよ」 「おっかしいなぁ。確かに………あ!」 弾かれたように、アルルはシェゾを見返した。シェゾはアルルと視線を合わせることなく、腕を組んで澄ましている。 「俺は、福引きなんぞには興味がないからな。……捨てる手間が省けると思っただけだ」 「シェゾ……」 感動の面持ちで、アルルはじっとシェゾを見上げた。
「黄金のらっきょが当たったら、キミにも端っこくらい 「いらん!」
アルルは、 「これがホントに、最後のチャンス……」 ぐいっとドラムを回す。 一回、二回……。 三回目に玉が転がり落ちる。落ちた玉は、日の光を弾いてキラキラと輝いた。 ――金色。 リディアがベルを激しく振り鳴らした。 「おめでとうございます! 特賞、黄金のらっきょ、大当たりでーす!」 「えっ……当たったの?」 アルルは目をぱちくりとさせている。数瞬、そうしていて。 「やったぁあ!!」 と、叫んでジャンプした。 「本当に当てやがった……」 「納得いかないわっ」 ぶつぶつ言っているルルー達の前で、「こちらが賞品です」と、小さな木の箱がアルルに手渡された。 「これが、黄金のらっきょ……」 アルルは、箱の蓋を開けた。中には、大きな金色のらっきょが一粒、キラキラと輝いている。 「わぁ、きれい。……あれ? でも、これって……」 指先でらっきょに触れる。冷たくて、そして固かった。爪で弾くと、コンコンと硬質な音さえする。 「………」 ややあって、おそるおそるアルルは問うた。 「黄金のらっきょって……まさか。本物の金で出来てるんじゃ……」 「はい、純金製のらっきょのオブジェです」 リディアが応えた。 「じゃ、つまり……食べられないの?」 「はい、食べられません」 「そ、そんなぁーーーーーーっ!」 がくり、とアルルはその場にへたり込んだ。 「楽しみにしてたのに……黄金の味のらっきょを食べるのを……全然食べられないなんて」 「お、おい……」 この世の終わりのように落ち込むアルルという滅多に見られないものを目の当たりにして、思わずオロオロしているシェゾの隣で、ルルーが呆れた口調で言った。 「バッカねぇー。そんなにらっきょが食べたいんなら、その黄金のらっきょを換金して、それで最高級でも伝説でも何でも、食べられるらっきょを買えばいいじゃない」 「………そっかぁ!」 アルルが跳ね起きた。現金である。 「じゃあ、さっそく黄金のらっきょを……って、えぇえ!?」 目を離したのはわずかな時間。しかし、既に箱の中にらっきょはない。 「はっ……カーくん!」 アルル達の視線の先で、カーバンクルは もむもむと口を動かしていた。すぐにごくん、と嚥下する。 「カーくん! 黄金のらっきょ、食べちゃったの!?」 「ぐぐぐ!」 カーバンクルはご不興らしい。短く鳴いて手足をばたつかせた。 「『何の味もしない、美味しくない』って……あぅー……」 再び、アルルはその場にへたり込んだ。 「黄金は無味だって言うわよねぇ。水や食べ物の味に影響を与えないから、茶器やスプーン、金歯なんかにも使われるのよ。ま、庶民は知らないことでしょうけど」 「って、金持ちだろうと、普通 金を食べたりはしないだろうが」 頭の上から、ルルーとシェゾの声が降ってくる。 「うわーーーん、カーくんのバカぁーー!」 半泣きのアルルの声が辺りに響き渡った。
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