螺旋



 あれは、いつのことだったのだろう。初めて出会ってから一年か、それとも二、三年経っていただろうか。

「まったくぅ……。キミって懲りないよねぇ」

 いかにもうんざりした、という声色で、ヤツが喋っている。

「毎度毎度、同じパターンで飽きないわけ? バカみたいに、お前が欲しい、欲しいって繰り返しちゃってさ」

 俺はといえば、ヤツの足元に転がっていて、疲労と痛みで立ち上がる力さえない。それでもどうにか剣を杖代わりに身を起こして片膝をつき、この忌々しい小娘の顔をにらみつけた。

「当たり前だ! 絶対に……お前を俺のモノにするまでは、諦めんからな」

「うぅううううっ……。だから、その言い回しはやめなさいって!」

 一体何が気に食わないのか、両腕で自分の体を抱きしめて、いかにもいやそうにヤツは身を震わせる。

「何回言えば分かるのかなぁー。キミって、学習能力ないでしょ」

「うるさいっ。次こそは絶対負けん! 首を洗って覚悟しておけ」

「……ホンっトに懲りないよね。何度やってもボクに負けるくせに」

「くっ……」

「いい加減諦めたら? どうせ結果は同じなんだし。いつまでも繰り返したって時間の無駄だよ」

 実際、ヤツはんでいたのだろうし、それも当然ではあった。ヤツと俺の関係は、出会ったときから同じ形の繰り返し。多少距離や色が変化することはあっても、そのうち元通り離れる。星の軌道のように堂々巡りだ。

 だから、その時俺がああ言ったのも――結局は、俺自身も少なからずその状況に飽いていた、ということなのだろう。

「だったら……何故、お前は終わらせない」

「え?」

「俺は、決して諦めん。お前の力を手に入れるまではな。だが、お前がそれをうとみ、完全に断とうと思うのならば……簡単だ。俺の息の根を止めればいい」

 ヤツが目をみはり、息を呑む。その反応にどこかで満足しながら、俺は言葉を継いだ。

「俺を殺せ、アルル。――俺から解放されたいと思うのならな」

「そ、そんな……」

 言って、ヤツは言葉を震わせる。

「できない……そんなこと、ボクにはできないよ!」

 馬鹿なヤツだ。

 勝者の余裕か、博愛主義か。思うところは知ったことではないが、甘っちょろい感傷だ。おかげで俺は――俺たちは、これほどの長い間、不毛の循環を繰り返すことになったのだから。近づくことも離れることも許されず、ただ同じ場所を巡り続けて。

 それこそ、アルルの言う時間の無駄、人生の浪費ってヤツだったのだろう。

 だが…………それも、もう終わりだ。

 体から失われていく熱を感じながら、俺はそう思う。

 あの時と同じように俺は地に転がっていて、アルルは傍に立っている。過去にさかのぼったと錯覚を起こしそうなほど、繰り返しの相似の情景。……だが、ああ、今回は表情が違う、か。

 何故……泣いている?

 これで、お前はやっと解放されるというのに。

 

 

 

「………人を、殺すのが怖いか……?」

 ところどころ赤でいろどられた青白い顔でうっすらとわらい、シェゾはボクにそう言った。

 彼は地面に横たわっている。その周りに流れ出してくる赤い色がどんどん広がって、まるで池みたいになってくる。

 怖いかって……? そんなの、そんなの当たり前じゃないか!

 そう。今、彼を死に至らしめようとしているのは、このボクだ。――ボクの放った魔法。こうして、彼の体を致命的なまでに破壊してしまったのは。

 血は、どんどん流れ出ていっている。急速に体温が、生気が失われていきつつあるのがハッキリと分かる。

 死ぬ。このままでは、遠からず、彼は。

 治癒魔法を使いたかった。けれど、今のボクは彼との戦いで全ての魔力を使い果たしていて。立っているのさえやっとの状態なのだ。ましてや、今の彼のダメージでは、生半可なヒーリング程度では治癒が追いつきそうにはない。ガイアヒーリング並みの魔法でも、助けられるかどうかは怪しいくらいで。

 血は流れ、刻々と残された時計の砂は落ちていく。

 りついたボクの気持ちをどう解釈したのか、シェゾが浅くなり始めた呼吸の合間に、切れ切れに言った。

「気にするな。俺は、闇の魔導師だ……。己の欲望を満たすためだけに、多くのものを奪い取ってきた、……悪党なんだからな。

 俺を殺したところで、何の罪にもなりはしない。お前には……俺を裁く権利がある」

 あれだけ、魔力に、ボクに固執していたのに。それを手に入れられないまま終わろうとするこの時、彼は罵らなかった。呪いの声を上げたり、助けてくれと泣き叫び、あがくこともしようとはしない。

 ひどく、悲しい気がした。

「違う……よ。殺すこと自体が怖いんじゃない」

 そう言うと、シェゾは少し意外そうな顔をした。

 彼と初めて出会ったのは、もう何年前だっただろうか。あの頃のボクは今より子供で、物知らずで、その分自由で怖いものなしだった。だから、囚われて魔力を吸い取られかけても怖じ気なかったし、しつこくシェゾが追いかけてきても、ばたんきゅーさせるだけでそれ以上のことはしなかった。

 もっとも、それは優しさだとか、神殿の説く道義みたいな立派な理由からじゃない。最初は本当に必死で、ばたんきゅーさせただけで済んだのはたまたまの偶然。それから後は、止めを刺すほど有害じゃないと思ったからで、今思えば、自分の力を過信しただけの傲慢だった。

 だから……。違うんだ。それは違うんだよ、シェゾ。

 ボクは、そんなに優しいわけでもないし、特別綺麗な心の持ち主ってわけでもないんだ。たとえば、自分自身の命や、あるいは譲れない心を犠牲にしてまで、誰かに殉じたりはできない。ボク自身を脅かすものがあれば、それに全力で抵抗するだろう。――たとえ、そのために相手を傷つけ、その命を奪うことになるのだとしても。

 今の、この死と混沌の満ち溢れた世の中では、それは決して行き過ぎた考えではない。そのために攻撃魔導を学ぶのだし、故郷を出るとき、それだけの覚悟はしてきたつもりだ。

 だから。

「ボクが怖いのは、”闇の魔導師っていう悪党”を殺すってコトじゃない。……キミを。ボクの知っている、シェゾ・ウィグィィっていうヒトを、ボクが死なせるってコトなんだよ!」

 そうだ。その一点だけで、今、ボクはこんなにも動揺している。

 彼とは、これまで何年もの間、何度も何十回も、もしかしたら何千回も戦ってきた。けれど、それだけ戦い続けてきても、ボクが彼を殺してしまうだとか、あるいは彼に殺されるなんてことは決して起こらないと――今にして思えば何の根拠もない、ほんのはずみで簡単に崩れてしまうようなことだったのだけれど――ボクは本当にそう思っていたのだ。

「……甘っちょろい、ヤツだな」

 シェゾの声には僅かに苛立ちが混ざった。

「情け深いのは結構なことだが、お前を害する敵にまで情を注いでいるようでは、……この先、生き残れんぞ」

「違う! キミは、敵じゃない」

「……バカなコトをっ。俺は、魔力を奪うために何年もお前を付け狙ってきた。そのことは……何よりお前が知っていて……解放されたがっていただろうが」

「だからって、ボクはこんな終わり方を望んでいたわけじゃないっ!」

 ボクは叫んだ。

「キミは、いつもそうやってボクらは敵同士だって拒絶してた。でも……一緒にいて、困ったときに助け合って、笑ったり、ご飯食べたり、ケンカしたり……。そんな風にしたことのある相手を、敵だなんて思えるはずがないじゃないか!」

 何と言えばいいのか分からない。

 シェゾとボクとの関係性には、どんな名前を付けることが出来るのだろう。友達だとか仲間だと言ったら、シェゾはきっと鼻で笑って、「お前は俺の獲物だ」と言うんだろうけれど。

 そりゃあ、シェゾは頻繁にボクの魔力を奪うと言って戦いを仕掛けてきていて、そんな彼の行動をひどく鬱陶しく感じたし、時には本気で腹を立てたこともあった。でも。同じ場所に立つ仲間として、なんでもない日常を共有する隣人として、一緒に過ごした時間が少なからずあったのも、紛れもない、本当のことなのだ。

「キミは……ボクがキミを殺すことが当たり前みたいに言って、まるで、それを望んでいるみたいだ。

 でも、だったらどうして、あんな風にボクに関わったんだよ。キミがどういう人間なのか知らなければ……ただの”悪党”なら、それだけだったら、こんなに苦しくなんかなかったのに!」

 

 

 

「苦、しい……?」

 俺は呟く。

 ひどく不可思議だと思った。

 俺は多くの者を苦しめてきた悪党で、排除されるべき闇で。それは消しようのない事実だというのに。

 この女は、その俺を殺すのが苦しいのだと泣く。――偽善でも、博愛でもなく?

 非論理的だ。だが……。どこかで、俺はこの答えを期待していたのだという気もした。

 そう、だ。

 だから、俺はこの女が欲しかったのだし、……同時に――ずっと、コイツに殺されたかった。

 闇の魔導師。この世に災厄をもたらす闇の申し子。そんな存在は、この世に栄え続けるべきものではない。他者を踏みつけ、侵し、奪い取って君臨する華やかな存在。そんなものは……いつか必ず滅ぼされる。――そうなって然るべき、だ。

 それがどんな形で訪れるのかは分からない。だが、いずれロクでもない終わり方だろうことは確信していた。誰かに殺されるか、野垂れ死ぬか……。

 同じロクでもない終わり方なら、少しでも己が満足できる形にしたかった。より強い相手、より正しく、清い存在。そういう……自身を滅ぼすに相応しい強い光を、俺は求め続けていたのだ。心のどこかで、長い間。

 そして…………アルル・ナジャに出会った。

「そうか……」

 自覚すると、全てに得心がいった。

 だから今、俺はこんなにも凪いだ心地でいるのだ。――己が死ぬ、という場面に臨んで。

 アルルが、滅ぶべき闇の魔導師に同情するような、そんな愚かなことをグダグダ言うのは多少腹立たしくはある。しかし、それはささやかな死出へのはなむけとして、恐らく許されることだろう。闇を司る、情け深く慈悲深い女神には。

 

 

 

「シェゾ……?」

 ふと、気配が変わった気がして、ボクはゾッとした。

「やだ! ……逝っちゃダメっ」

 シェゾが、何かを手放そうとしている。感覚的にそれが分かって、ボクはとっさに屈んで刀印を結ぶ。治癒魔法の形に。

 魔導力はない。――でも、でも! この命を全て魔力に変換して、絞り尽くしてでも。ボクは諦めない。絶対に、死なせないっ!

「ヒーリングっ!!」

 呪文を唱えた。魔法が――発動する。淡い光がシェゾを包んで、裂けた肉をどうにかつなぎ合わせ、生気を吹き込むべく働きかけた。それと引き換えに、ボクの中の核と言うべき何かが削られ、引きちぎられていくような、そんな痛苦しさが生まれて、だんだん大きくなっていく。

「く……うぅっ」

 気持ち悪い。苦しい。でも…………、やめない。やめるもんか! 魔力の供給を強める。まだだよ、まだ全然足りない!

「う……く、ぁあっ」

 歯を食いしばっているのに、苦鳴が抑えようもなく漏れでてしまう。

「……やめろ!」

 不意に、誰かが構えていたボクの手をつかんだ。

「シェゾ!」

 シェゾが目を開けて少し身を起こし、ボクの手をつかんでいた。

 その程度には回復したのだ。――でも、それだけでまたも肉が裂け、血が溢れ出している。このままでは、すぐにまた危険な状態に戻ってしまうだろう。

「動かないで、じっとして! もっとヒーリングをかけるからっ」

「このっ……馬鹿が! 今すぐやめろ。命を削ってまでするようなことか!」

「馬鹿なのはキミだよっ!」

 感情のままに、ボクは怒鳴り返した。

「な……!?」

「キミはここで死んで、それで満足なのかもしれない。でも、ボクはいやだ。いやだ、いやなんだ!

 いつかも、キミは自分を殺せってボクに言ったけれど……キミは死んで、それで、キミを殺したボクはどうなるって思ってるの!?

 ボクはキミを殺したくない。キミを死なせたくない。そんなの、いやだ。ボクはキミに生きていて欲しいんだ!」

 もう何年も前。一度、シェゾに「俺を殺せ」と言われたことがある。例によっての勝負で、ボクがシェゾを負かした時のことで。だから、最初は彼が少しヤケになっているのかと思った。

 でも……今になって、なんとなく思う。あの時シェゾは、本気で殺されようとしていたんじゃないか、って。

 思えば、彼と勝負する時、勿論ボクに彼を殺すつもりはなかったけれど、彼の方もボクを殺そうとはしていなかった。放つ魔法は強力でも、正確に急所を狙ってくることはしない。常に、僅かに逸らしてあって。……戦いを重ねれば重ねるほど、ボクはそれに気付かされた。

 一度だけ、それを揶揄して訊ねてみたことがある。どうして当てないのか、と。彼が言うには、直撃してヘタに死なれてしまっては魔力が取れないからだ、とのことだった。

 それは、恐らく嘘ではないのだろう。けれど……考えてみてほしい。そんな戦い方では、彼は永遠にボクに勝てやしないのだ。

 なのに、彼はボクに戦いを挑み続けた。ボクに勝つためでないのならば、それは、ボクに負けるためということになる。

 彼は……多分、ずっと死にたがっていたのだ。

 そして、ボクはまんまと乗ってしまった。そんな彼の身勝手な手に。

「キミは、卑怯だよ」

 負けるために堂々巡りを続けて、いつか殺されることを望んだ。

 それは、後ろ向きで、暗くて、不健康で、……すっごく、迷惑だ。

「人に重荷を預けて、自分だけ逃げて逝こうだなんて。そんなの、許さない。

 男だろ。

 ――ボクに、甘えるなーーーーっ!!

 

 

 

 実際に手を出されたわけではない。だが、ぶん殴られた気がした。

 腹が立つ。その感情のまま、目の前のクソ生意気な女を睨みつける。

 彼女の目は、泣き腫らされていた。その腫れぼったい顔で、真剣に俺を睨みつけている。

 くっ……。ムカついて仕方がない。

 この女は、いつもこうだった。

 俺が諦めたもの、逃げたもの。

 そういったことごとくを、投げ出さず、正しい形で抱えている。

 それは決して易々と成されたわけではなく、傷も絶えなかったはずなのに、それでも笑って、ヤツは颯爽と道を歩いているのだ。

 そんな姿を見ているのは苛立たしく、時にはひどくかき混ぜてやりたくなる。

 だが………チッ。ああ、そうだよ。

 結局、俺は憧れてやみやしない。俺がこうありたかった、でもなれなかった、弱い自分が見失った、子供の頃の夢そのままのコイツの生き方に。そう出来ている、アルル・ナジャという魂の強さに。

 だから、結局逆らう気にはなれないのだ。いつも最後には、こいつの望むまま、言うままに振舞ってやろうなどと思ってしまう。

 その金無垢の瞳が喜びに輝き、生気に溢れる様を見たいと思ってしまうから。

 

 

 

「アルル……」

 感情のままに言葉を吐き出して、シェゾを睨みつけていると、彼が不機嫌そうな表情でボクを呼んだ。

「なに。言っておくけど、ボクはやめないからね。絶対、最後まで……」

「チッ……俺の話を聞け。いいか……俺の魔力を吸収するんだ」

「なっ。また何を言うんだよ、キミは!」

 ボクは叫んだ。

 魔力は命に直結する。今、シェゾはひどく弱っていて、恐らく魔力もそうは残っていないはず。それを他者に移動させれば、恐らくは死を招いてしまう。

 単純に、ボクが消費した命を補填しようと思ったのか、まさか形見分けのつもりなのか。

 なんにしても。

 なんにも、何一つボクの言ったことが伝わっていないんだ。

 情けなくて、また涙がボロボロこぼれた。涙腺がひどく弱っていて、もうどうしようもない。

 涙で歪んだ景色の向こうから、シェゾの少し困ったような声が聞こえた。

「だから、違う。……落ち着け。……俺の魔力を吸って、お前が、ガイアヒーリングを使うんだ」

「え……?」

 ポカンとして、シェゾを見返す。

 血が足りないのだろう、その瞳はどこか朦朧とはしていたけれど、さっきまでのような、投げやりな、厭世的な気配はない。

 海のように澄んだ青い瞳が、ボクをまっすぐに見ていた。

「シェゾ」

 呼びかけると、彼は笑った。いつもの皮肉めいた笑いじゃなくて、素直な笑み。―― 一瞬、目を奪われる。

「うん。……やってみるよ」

 頷いて言うと、シェゾも頷いて、血で汚れたその手を伸ばしてきた。

 ボクには、他人の魔力を吸い取るだなんて芸当は出来ない。だから、シェゾの方から受け渡してもらうしかない。

 ――実際のところ。

 これは、賭けなのだ。それも分の悪い。

 たとえガイアヒーリングが使えたところで、シェゾを救えるかどうかは分からない。傷は大きいし、あまりに血を流しすぎている。それに、彼が弱っていて、魔力を失わせることが危険なのは間違いのないことで。だから、魔力をボクが吸収した時点で、彼が死んでしまう可能性も否定は出来ない。

 それでも。

 ボクらは互いの手のひらを合わせた。

「ボクは、諦めないよ」

「ああ。――俺も、諦めない」

 触れたところが次第に熱を帯びる。魔力が流れとなって溢れ出し、ボクらを一つに繋ぎ合わせた。








05/5/17の別館の日記より再録。
イメージ的には、「グリーン・グリーン」と繋がっている話。

05/7/17 すわさき

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