赤ずきんちゃん



 ふっふっふっふ……。
 んっ……? 私が何者かだと?
 名乗る必要はないが……。そうだな、"闇の貴公子"とでも言っておこうか。
 今、私は急がしいのだ。
 我が妃の様子を観察……もとい、見守っているところだからな。
 何……覗き見? ストーカーだと!? 失礼な。くぅうっ! ここの掃除はもういい、向こうへ行けっ!
 ……いや、ゴホン。今のは我が屋敷で雇っている精霊に言ったのだ。家政をやらせているのだが、どうも主人に対する尊崇の念というものが足りないようでな。困ったものだ。
 ああ、私の妃の話だったな。
 ほら、この水晶を見るがいい。茶色い髪、金無垢の瞳……可愛いだろう。赤いフード付きの外套が似合って、さしずめ「赤ずきんちゃん」といったところか。
 先日、五歳になったばかりだ。
 ……は? 誰が変質者……ロリコンだと!? ぐぬぬっ……ち、違うぞっ。私はだな、あくまであの娘を見守っているだけであって、今は。そーいうシュミがあるというワケでは……いいや、ゲホン。
 と、とにかく! いずれあの娘が立派に成長したあかつきにこそ、我が花嫁として迎えに行こうと考えているのだ。それまでは悪い虫が付かぬよう、こうして見守っていなくてはならん。これは婚約者としての当然の権利であり義務だ。決していかがわしい目的ではないのだぞ。分かったな?
 さて、我が赤ずきんは、これから出かけるところのようだな。
 バスケットに何やら入れて……どうやら届け物にでも行くようだ。



「じゃ、行ってくるね!」
「おばあちゃんによろしくね。寄り道しないで行くんですよ」
「はぁ〜い。行ってきまーす」
 元気いっぱいにそう言うと、赤ずきんちゃんは家を飛び出していきました。
 おばあちゃんの家は、妖精の森を越えた向こうにあります。
 でも、大丈夫。森に住む妖精さんたちは仲のよいお友達ですし、今までだって何度も一人で行ったことがあるのですから、楽勝です。
 足取りも軽く歩いていくと、ガサガサと道端の茂みが揺れて、誰かが通せんぼするみたいに赤ずきんちゃんの前に出てきました。すらりと背の高いそのお兄さんの頭には、銀色の毛並みの耳がぴんと立っていて、同じように銀色のふさふさしたしっぽが生えています。
 そう、狼です。
「――が欲しい!」
 出てくるなり、狼はそう叫びましたが。
「ホット!」
「どわっちゃああちゃちゃちゃあ!!」
 魔法で熱湯をお腹に浴びせかけられて、狼は叫び声を上げてのた打ち回りました。
「イキナリ何をするっ、このガキが!」
「ボクを食べちゃおうとするからじゃないか、この人食い狼っ」
「なっ…!? このオレの一体どこが狼だっ!」
 何故か、狼はすぐにそう言い返しました。
「どこがって、尖った耳が生えてるし、口が大きく裂けてて牙があるし、銀色のふさふさの尻尾も生えてるじゃない」
 そう。二本の足で立って歩いて人の言葉を話してはいますが、それほかの部分では、正真正銘、どこから見ても狼です。世の中には、人狼とか人犬という、人と狼や犬の混じったような種族もいるのですが、その類にも見えません。毛並みが銀色なのが、変わっているといえば変わっているところでしょうか。
 赤ずきんちゃんにそう言われて、狼はパッと前足で自分の顔をぺたぺたと触りました。それから、がっくりとうなだれて、口の中で「くっ……。しかし、――の魔導師が罠にはまって間抜けな呪いをかけられたと知られるよりは……」などと、ぶつぶつ呟いています。
「あのー、もしもーし?」
 赤ずきんちゃんが声をかけると、気を取り直したようで、狼は赤ずきんちゃんに向き直りました。
「ゴホン! ともかく、オレは食人嗜好などという変態趣味は持ち合わせてはおらん。いいから、お前の持っているそのバスケットの中身をよこせ!」
「えっ……? ……うーん、そんなにお腹が減ってるんなら仕方がないけど、ちょっとだけだよ? このらっきょはおばあちゃんに持っていくんだから」
「違うっ! それ以外に入っているものがあるだろうが!」
「それ以外って……ダメだよ、これはおばあちゃんに頼まれたお薬だもん」
「フッ、やはり解呪薬を持っていたな。我ながら鼻が利くぜ」
「狼の鼻はおっきいもんねぇ」
「………。とにかく、それをこちらによこせ!」
「ショック!」
「ぎにゃっ、いでででででぇ!!!」
 静電気の魔法を放たれて、狼は悲鳴を上げました。一番簡単な魔法の一つですから、さほどのダメージではないはずですが、体じゅうの毛並みがバチバチ音を立てて逆立って、わりと痛かったみたいです。涙目で睨んで唸りました。
「うぐっ……このクソガキがぁ!」
「クソガキって、しっつれいだなぁ。その子供の持ち物を無理やり取ろうだなんて、キミこそダメなヤツじゃないか」
「今は非常事態だ。自分で魔法が使えれば、お前のようなガキに絡んだりなぞせんわっ」
「ちょっと、やめてよっ。バスケットを取らないでってば! ――あっ!」
 バスケットはぽーんと飛んで、ガシャン、とガラスの割れる音を立てて地面に転がりました。中から、じわじわと液がにじみ出てきます。
「あ……」
「く、薬が……」
「お母さんに頼まれた、大事なおつかいものだったのに……」
 じわり、と赤ずきんちゃんの目にも涙がにじみました。
「う!? な、泣くなっ。大体、お前が素直に渡していれば、こんなことにはならなかったんだぞ。そうとも、俺のせいばかりではないっ」
「………人の持ち物を台無しにしておいてぇ。言うことはそれだけかぁあっ、この狼っ!」
 叫んで顔を上げるなり、赤ずきんちゃんの両手から火の魔法弾がどひゅどひゅと飛び出しました。
「どひゃひゃひゃひゃあ〜〜!!」
 よける間もなかった狼は、全部まともに受けて、まっ黒焦げでばたんきゅーしました。
「はぁ、はぁ……。うーー。もう二度と、寄り道もしないし届け物もダメにしたりしないって、お母さんと約束したのにぃ。………」
 しゃがんで、赤ずきんちゃんはバスケットの中を覗きこみました。
「あーあ、割れちゃった……らっきょのビン。お薬がなんともなかったのが、"ふこうちゅうのさいわい"だったよ。もうこんなヘンなヤツに会わないように、急いで行こうっと」
 そう言うと、バスケットを抱えて赤ずきんちゃんは走って行きました。



 むう。見事だ、赤ずきんちゃん。一分の隙もない攻撃だった。流石は我が未来の妃だぞ。
 私は惚れ惚れとして立ち去る赤ずきんちゃんの後を見送った。
 うむ、私も彼女の姿を追わねばな……と水晶を操作しようとしたのだが、むむっ!? 画面の端でモゾモゾと狼が動いたではないか。しぶといヤツだ……。ヨロヨロと体を起こし、唸り声を上げた。
「うう……、くっ、あのガキめ、許さんぞ!」
 雄たけんで、フラフラと後を追っていく。
 なんという執念深いヤツだ! しつこさぶりがヘンタイっぽいぞ。もしや、私の赤ずきんちゃんに本気で害をなす気なのでは……。
 いかん、我が妃に危険が迫っているっ。こんなところで呑気に水晶玉を覗いている場合ではぬぁあああいっ!!
 ……ぬっ、突然叫ぶなだと? ビックリした? うるさい、大体、ここの掃除はもういいと言っただろうが。……汚い場所を放っておけない、と言われても……そんなに汚れていないぞ、気にするな。――ぬっ? えぇい、お前は小姑かっ。指先で埃をぬぐって見せ付けるんじゃなぁああいっ!
 ――はっ。こんなことを言っている場合ではなかった。いつの間にか、水晶に映る情景の中に赤ずきんちゃんも狼の姿もない。
 くぅうっ、ちょっと目を離したせいで何かあったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。待っていろ、赤ずきんちゃん。お前の王子様が、今、助けに行くぞっ!
 私は翼を広げると、水晶玉の映し出す情景の中へ、直接に飛び込んだ。



 赤ずきんちゃんは、コンコン、と木のドアを叩きました。すぐに「誰だい?」と声が返ってきます。
「ボクだよ、おばあちゃん。お薬と、らっきょを持ってきたよ」
「取っ手に付いてる紐を引いて、お入り。鍵はかかっていないよ」
 キイ、と音を立ててドアを開けて、赤ずきんちゃんは家の中に入りました。おばあちゃんがにこにこしながら出迎えてくれます。
「こんにちは、おばあちゃん」
「まぁまぁ、よく来たねぇ。森の中は風が冷たかっただろう。さ、この暖炉の側においで。温かいスープもあるよ」
「うん」
 赤ずきんちゃんが暖炉の側に座っていたおばあちゃんに近付くと、おばあちゃんは両手を伸ばしてぎゅーーーっと赤ずきんちゃんを抱きしめて、何度も何度も頬ずりをしました。
「く、苦しいよぉ、おばあちゃん」
「あ、ああ、ごめんよ。お前があんっっっまり可愛いものだから」
「もー、なに言ってるのさぁ。……それより、あのねぇ」
「どうしたんだい? 浮かない顔をして」
「ボク、寄り道もしなかったし、注意してたんだよ。でも、途中でヘンな狼に会って、らっきょのビンが割れちゃったの。ごめんなさい」
「おや、まぁ。それは災難だったね。でも、気にすることはないよ。それで、どこも怪我はしていないんだね?」
「うん。やっつけてやったよ」
 赤ずきんちゃんは胸を張りました。
「そうかい、そうかい。大したものだよ。流石は我が……オホン!」
「あれ? どうしたの、おばあちゃん」
「オホン、ゴホン……。なんでもないよ。誰かが噂でもしているのかねぇ」
 おばあちゃんはコホコホとカラ咳をしています。赤ずきんちゃんは心配そうな顔で見ていましたが、
「あっそうだ、ボクのもって来たお薬を飲んでよ!」
 そう言って、バスケットをまさぐって薬ビンを取り出しました。
「え?」
「だって、おばあちゃん、"呪い"にかかっているんでしょ? 人に頼まれて古い魔導具を調べてて呪われたって、お母さんが言ってたよ。ほんの少し具合が悪くなるくらいのものだけど、ちゃんと解呪薬を飲んで解いた方がいいって。だからボクが持ってきたんだもん」
「そ、そうだったねぇ……。で、でもね」
「飲まないの? そっか、このお薬、苦いもんねぇ。ボク、お母さんのお手伝いをしたときにちょびっと舐めたんだけど、すっごく苦くて涙が出ちゃったよ。でも、苦いからって飲まないでいちゃダメだよ。お母さんは、ボクが苦いお薬を飲むときには、甘いシロップに混ぜてくれたりするんだけど……」
 キョロキョロと、赤ずきんちゃんは辺りを見回して、暖炉で湯気を立てている大鍋に目を留めました。
「そうだ、このスープに混ぜてあげるね」
 そう言うが早いか、パッとビンの蓋を取って、中身を注ぎ込んでしまいました。ぼわん! と緑色の煙が上がって、薬くさい匂いが部屋中に漂いました。
「これで、そんなに苦くないよ」
 赤ずきんちゃんは棚からお皿を取ってきて、おたまでスープをすくってよそいました。そうして「おばあちゃん、どうぞ」と差し出しましたが、おばあちゃんはなんだか困った顔をしています。
「どうしたの?」
「そ、それがねぇ……。おばあちゃん、もう元気だから、お薬は飲まなくていいんだよ」
「え? でも……」
「さっき、おばあちゃんの古い知り合いが来てね、呪いを解いてくれたんだよ。だから、すっかり元気なんだよ。せっかく持ってきてくれたのに、すまなかったね」
「なーんだぁ……。……でも、おばあちゃんが元気になったんならよかった。その、おばあちゃんの知り合いの人って、すっごい魔導師なんだね」
「そ、そうだとも! 魔導の力は勿論、強くて賢くて心は海よりも広く、おまけに絶世の美男子なんだよ。お前のお婿さんにビッタリだなぁー、って、私は思っているんだよ」
「ええー? でも、おばあちゃんの古い知り合いなんでしょ。じゃ、すっごいお年寄りなんじゃない。ボク、おじいさんのお嫁さんなんてイヤだなぁー」
「いや、でもねぇ……。そう見えても、まだまだ若いんだよ」
 おばあちゃんがなにやら言いつのろうとした、その時でした。ドアがバタン! と音を立てて開いて、入ってきたのは……。
「あぁっ!? 狼!!」
 二本足で立っている銀の毛並みの狼を見て、赤ずきんちゃんは叫びました。
「しつっこく追いかけてきたなぁ! えーい、コールドっ」
「どわっ!?」
 狼は、赤ずきんちゃんの魔法で上から降ってきた氷の塊を、危うくよけました。床の上に、ゴーンと大きな氷が砕けて飛び散ります。
「いきなり何をするっ」
「何をする、じゃないっ。いたいけな幼女を追っかけてきた変質者のクセに!」
「誰が変質者だぁーっ!! ……ん? お前はさっきのクソガキ!」
 今更そう言うと、狼はこちらへ飛びかかってくるように見えました。
「ここで会ったが百年目……さっきは油断したが、今度こそ目にもの見せてくれる!」
「うわぁっ」
 思わず、赤ずきんちゃんは身構えましたが、その頭の上を何かがヒュンッと飛んで行き、鈍い音を立てて狼の足に当たりました。あっ、スープ鍋のおたまです。狼は「ぎゃんっ」と悲鳴を上げて、片足を押さえてぴょんぴょんと飛び跳ねましたが、そのまま砕けた氷を踏んづけて、床を滑って暖炉にかかった大鍋に当たって、中のスープに水柱をあげて飛び込みました。
「ぅあちゃちゃちゃちゃ!」
と、バシャバシャやっています。
「ふっ……。可愛い赤ずきんちゃんを毒牙にかけようなどと、不届きなコトを目論むからだ。思い知ったか! はーっはっはっはっは!」
 赤ずきんちゃんの後ろで、おばあちゃんが高らかに笑いました。その時です。
「おやまぁ……。なんだか騒がしいわねぇ」
「え……?」
 赤ずきんちゃんは目を白黒させました。だって、前の方、戸口にもおばあちゃんがいたからです。ゆっくり中に入って来て、転がるおたまを拾っています。振り向くと、後ろにもおばあちゃん。
「え? あれぇ?」
 おろおろ、キョロキョロしていると。
「うわっちぃ〜〜!!」
 ゴンガンゴロゴン、と大きな音がして、ぼわっと灰神楽が上がりました。狼が鍋ごと床に転がり落ちたのです。
「あちちちちぃっ、くっ、何をする! 私の頭に、スープがかかったではないか!」
 そう言って狼を怒鳴りつけた後ろのおばあちゃんには――頭からにょっきり、二本の金色の角が生えています。
「はぁ、はぁ……。に、煮え死ぬところだった……」
 そして、その怒鳴り声も耳に入っていない様子で、ひっくり返った大鍋の下から這い出てきたのは――狼ではなく、人間のお兄さんでした。素っ裸の。
「………………うっ。うわぁああああああああああああっ。じゅげむぅ〜〜〜〜っ!!!」
 健全な幼児の許容量を越えました。
 赤ずきんちゃんが幼稚園で習いたての呪文を唱えると、どかーん! と爆発が起こって、ヘンな人たちは突風に巻かれた枯葉のように、どこかに吹き飛ばされてしまいました。
「まぁ、もう"ジュゲム"が唱えられるようになったんだねぇ。流石は私の孫だよ」
 と、後ろから、戸口の方のおばあちゃんが言うのが聞こえました。涙目の赤ずきんちゃんは大きく肩で息をして、そっちに駆け寄ろうとして、はっと立ち止まってじっとりと睨みます。
「心配しなくても、おばあちゃんは本物ですよ」
 と、そのおばあちゃんは言いました。
「さっき、おばあちゃんの古い知り合いが来てね、呪いを解いてくれたんだよ。それで散歩にでも行ってくればいいと言うから留守番を頼んで出かけたんだけど……。やっぱり年かしらね、途中で腰が痛くなってしまって……。そうしたら、銀色の狼さんがここまでおんぶしてきてくれたんだよ」
 そう言いながら赤ずきんちゃんの側に歩み寄ってきて、
「あの人も、どうやら相変わらずのようだね。壁の修理代は出させることにして……まぁ、いいものも見れたから、私もちょっと若返った気分かねぇ」
と、呟きました。
「え?」
「何でもありませんよ。さ、片付けるのを手伝ってちょうだい、赤ずきんちゃん」
「う、うん!」
 赤ずきんちゃんは元気に返事をして、とりかかりました。



 ……流石だな、赤ずきんちゃん。あの幼さであれだけのジュゲムを放つとは。やはり我が妃にふさわ……いてててて! こら、そんなに乱暴にするんじゃない、薬はもっと優しく塗らないか! ……なに? 傷くらい自分の魔法で治せないのかだって? 勿論、治せるとも。闇の貴公子たるもの、そのくらいお手のものだ。だがな、せっかく赤ずきんちゃんが私につけた傷なのだ。簡単に治しては勿体無い……うっ!? いっでででぇっ!! 変態? だからって傷口を叩くなぁっ!!
 くっ……。なんたる乱暴な部下だ!
 と、とにかく。我が花嫁になるその日まで。赤ずきんちゃんよ、私はお前を見守り続ける。私のもとに嫁ぎ、お前が闇の女王となるその時を、今から指折り数えて楽しみにしているぞ。心待ちにしているがいい。ふっ……はっはっはっはっはぁ!




おわった

 

03年に「毒つぼ」に少し載せて、後放置していたものです。(汗)
あんまりかと思って仕上げました。
童話二重パロディものは、たいてい既存のキャラを役柄に当てはめる、
いわばお芝居をさせているような形式にするものですが、ひねくれてこんな感じに。
当初は赤ずきんちゃんが狼に同情して一緒におばあちゃんの家に行く…
という展開を考えていたのですが、
キャラクターがどうしてもその行動を取ってくれませんでした。(^_^;)
私の中では、赤ずきんちゃんはそんな生温い娘ではないらしいです。

 


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