short-lived

 

 森の中を歩いていくと、色んな音が聞こえた。
 鳥の声、小川のせせらぎ、枝葉が風になびく音、森の外の人里で羊や牛を追う声。――それから、ボクのブーツが枯れ枝や石を踏みしめる足音。
 今、ボクが歩いているのは、枝葉を横に広げた落葉樹の森だ。初夏の頃は、風が吹くたびに葉群れが翻って、銀色にピカピカ光って見えたものだけど、今は全体に茶色っぽい。黄色と赤とモスグリーンの洪水。まだはらはらと舞い落ちるほどじゃないけれど、じきに全部そうなってしまうんだろうな。
「ぐー」
 揺れる肩の上で、ボクの小っちゃな黄色い友達、カーバンクルが可愛く鳴いた。
「うん、もうすぐだよ、カーくん。着いたら、いっぱい実を拾おうね」
「ぐぐっぐー! ぐぅぐ、ぐぐぐ!」
「えーっ、ダメだよ。まずは実を埋めておいて、皮が腐ってから洗って日に干さなきゃ。食べられるのはまだ当分先」
「ぐぅう〜……」
「そんなにガッカリしないの。栗やキノコだって色々採ったでしょ」
「ぐー?」
「キノコご飯にキノコのグラタン、栗のグラッセにモンブラン、それから鶏肉と栗の煮物にパイ。いっぱい作ってあげるからね」
「ぐっぐー!」
 そんな話をしながら、目的の場所にたどり着いた。太くてまっすぐな幹を覆った、黄色い葉群れの三角錐。すらりと伸びた銀杏の木が何本も立ち並んでいるところ。まだ少し時期が早いから、そんなにあの独特の匂いはしないけど、期待通り、もう幾らかは実が落ちているみたいだね。
「さあカーくん、拾おっか」
「ぐー!」
 黄色くて耳のピンと伸びた友達がターッと駆けて行くのを見ながら、ボクは大きな籠を両手で抱えなおした。見回すと、風の仕業なのか、一面に散り敷いた黄色い落ち葉やら何やらの中、こんもりと盛り上がって山みたいになっている箇所がある。
「よーし、まずはあの辺にしようっと」
 ボクは無造作に近づいて、……ぐにっ、と足先に変な感触を覚えた。
「……え?」
 視線を下にやる。山のようになった落ち葉の中、その端からはみ出ているものをボクは踏んでいた、んだけど……。柔らかくて、でも芯があって、肌色で指が五本あって………って、これっ。
「――うっわっあぁあああああ!! 人の手っ!?」
 ザザザザッ、と落ち葉を跳ね飛ばしてボクは飛び退った。一瞬、まさか死体? という嫌な予想が頭をよぎる。混沌に支配されたこの世界、それは決して珍しいことではないけれど、でも、そんなものに対面するのは流石にご免こうむりたいっ。
 けれど、そんな心配をする必要はなかった。手の指がぴくぴくっと動いて、山になっていた落ち葉の中から、ザーッと人影が起き上がる。そいつはボクに向かってゆらりと両手をさし伸ばし、いつもは綺麗な銀色の髪に落ち葉をいっぱい絡ませたまま、
「アルル……。お前が……お前が……欲〜し〜〜い〜〜〜〜ぃぃ!」
 と、地の底から響くような呻き声を搾り出した。
「いっやぁああああ〜!! ヘンタイ!!!」
 わりかし本気でゾッとして、ボクは両手で大きな籠を振り回した。勿論、一発食らわせてやるつもりだったんだけど、思いがけず「スカッ」と手ごたえが抜けて、「あ、あれっ?」と目を瞬く。見れば、落ち葉魔人――もとい、シェゾは、また落ち葉の中にうずもれていた。空気が抜けた風船みたいに。
「……シェゾっ? キミ、どうかしたの」
 思わず、そう声をかけて覗き込んだけれど、僅かな呻き声だけで返事がない。見れば、トレードマークの青いバンダナを額に巻いた顔の色は、ハッとするくらい血の気が引いている。うわぁ……これは、相当に具合が悪いよ。慌てて視線を巡らせたけれど、落ち葉に紛れていて、怪我をしているかどうかは分からない。
「え、ええと、とりあえずヒーリングを!」
 言って刀印を結ぼうとしたボクの手首を、シェゾの手がガシリと掴んだ。
「………ヒーリングは、いらん……」
 低い声でそう呻く。
「ちょっ……。そんなこと言って、見るからにフラフラしてるじゃないか。変なところで意地を張ったりしないで、大人しくして!」
「だからっ。……ヒーリングは、もう、いらんのだ。……それよりも、お前っ……の持っている魔導酒が、欲しいぃっ。早くよこ、せぇええ……
 言ってる途中で力が尽きたのか、シェゾはまたへにゃへにゃと落ち葉の山に沈没した。あぁあ……だから言わないことじゃないのに。それにしても……。
「……魔導酒?」
 ボクは首をかしげた。こんなに具合が悪そうな時に、なんでそんなものを。
 確かに、魔力が尽きるとかなり気分が悪くなる。それはボクも何度も経験があることだけど、こんな風に動けなくなるほどのものじゃないし。それに、ヒーリングは「もう」いらないなんて、おかしなことも言ってたし………んんっ!?
「シェゾ、キミ、もしかしてヒーリングのかけすぎ!?」
「……」
 シェゾは返事の代わりに少し視線をそらした。これは、決まりが悪いときの彼の「肯定」の仕草。
 ヒーリングは、世間で最も知られている治癒魔法だ。主に外傷を塞ぎ、外科的な治療を行うための魔法で、上位魔法にはガイアヒーリングというのもある。他には、内科的な病気なんかも癒すことが出来るキュアーの魔法もあるけれど、根本的にはどれも変わらない。施術者の魔力を分け与え、被術者の生命力を高めて、自己治癒力を格段に促進する。そうして、見る間に傷を塞ぎ血を増やす、というわけ。
 実際、便利な魔法だし、常に命の危険にさらされる探索志向の魔導師には欠かせないものだ。けれど、真に万能の魔法なんてものは存在しない。魔法にも、出来ないことは厳然としてある。そのことを、ボクらは魔導幼稚園や魔導学校でまず教え込まれる。
 ヒーリングは、被術者の自己治癒を促進する。そのエネルギーは無から湧き出すものじゃなくって、施術者から分け与えられた魔力か、被術者自身の体力が増幅されて使われる。……つまり、ダメージがあまりに大きい場合、消費されるエネルギーも莫大になるから……被術者の体力が消耗して結局助からなかったり、あるいは施術者が引きずられて命を落とす危険があるのだ。そこまでいかなくても、何度も何度も短時間にヒーリングをかけ続けていると、被術者の体力が極度に消耗して、逆に危険な状態に陥ることがある。自分で自分にヒーリングをかける場合は尚更だ。力を与えるのも消費するのも、全て自分だけなんだから。
「ヒーリングのかけすぎはかえって身体に悪いって、そんなの、幼稚園で習うことじゃないか。それに、もしかしなくてもキミ、自分で自分にヒーリングをかけたんだよね。それで、体力も魔力も両方消耗してひっくり返ってるなんて――あっきれた」
「ほっとけ……」
 不機嫌そうに唸って、彼はぐったりと落ち葉に頬を埋めた。
「いいから、……魔導酒をよこせ」
「全くぅ……」
 溜息をつきながら、ボクは道具袋から瓶を取り出す。出かける際に魔導力回復アイテムを携帯するのは、魔導師の習い性ってヤツ。
 シェゾは瓶を受け取ると、一気に中身をあおった。回復薬の早飲み、早食いも魔導師の習い性だ。やっぱり身体にはよくないんだけどね。見る間に飲み干して、ぷはーっ、と息を吐く。気分は多少よくなったみたいで、どうにか身体を起こし、ポンと空き瓶を投げ返してよこした。
「世話をかけたな。この借りはそのうち返す。じゃあな」
 早口に言って立ち上がり、歩いて行こうとする。
「――えっ、待ってよ、シェゾ」
 言って、ボクが彼を引きとめようとしたのには、大した意味があったわけじゃない。魔力が回復したところで体力が消耗しているのに変わりはないのだし、そんなに急いで立ち去ることもないじゃないか、と思っただけのこと。だから、とっさに掴んだ彼のシャツが、ビーッと勢いよく裂けたのは、それこそ予想外の出来事というヤツで。
「あ、あれれっ!?」
「お前っ……、何しやがる!」
 と、振り返って怒鳴った彼の体が、グラリと揺れた。ゴン、と景気いい音を立てて、傍らの銀杏の幹に抱きつく。
「……シェゾ? なにやってんの?」
「うるさい……」
 打ち付けた鼻を押さえながら木から離れようとして、またグラついて木にすがりついたまま座り込んだ。
「な、なんだ……? 地面が波打ってやがる。じ、地震かっ!?」
「はぁ? 何言ってるのよ、揺れてなんかないじゃない」
 そう言って、シェゾの顔を覗き込んでみると――さっきとは対照的に、見事に赤くなっていた。あれれ? これって。
「シェゾ、キミ、酔っ払ってない?」
「なっ……!? 何を言う。魔導師の俺が酒に酔うなろ、あるはずがなかろーがっ!」
「いや、既にろれつが回ってないし」
 なんて突っ込みを入れている間にも、シェゾは目が回るのか、片手を地面について、しきりにこめかみの辺りを押さえている。今度は、別の意味で気分が悪くなってきたみたいだ。
「ほんっとーに、今、キミの体調メチャクチャなんだねぇ……魔導酒一瓶なんかで酔うなんて」
 ボクは言った。
 そう。考えてみれば、彼だって馬鹿じゃないんだから、意味なく自分にヒーリングをかけ続けるなんてコトはしないはずだ。ヒーリングをかけ続けたのは、必要があったから。そして、いくら沢山ヒーリングをかけたからといって、彼ほどの魔力の持ち主が、それだけでこんなに消耗するはずもない。魔力を大量に必要とする、攻撃魔法でも連発しない限りは。
 それに、よくよく見れば彼の衣服はボロボロで。なるほど、引っ張っただけで破れるはずだった。黒いから分かりにくかったけど、触ったとき、ごわごわしていたし。――まるで、大量の血にまみれて、そのまま乾いてしまったみたいに。
「もう……しょーがないなぁ!」
「はぁ……っ!?」
 シェゾが間の抜けた声を上げて、多少バタついたけれど、それに構わずに引き寄せて頭を抱え込んだ。ちようど膝枕みたいな形に。
「おいコラ、何をする! 放しやがれっ。っていうか、痛ぇえ! 魔導装甲がゴリゴリ痛ぇんだよ!」
「はいはい。いーから、ここで暫く休んでいきなよ。魔法やアイテムに頼らなくったって、ゆっくり眠って美味しいものを食べれば、体力も魔力も自然に回復するんだからね」
「あ、あのなぁ……、だからって、なんでお前にこんなコトされなきゃならんのだ」
「だって、こうして捕まえていないと、キミって大人しくしていないでしょ。今はまともに歩けもしないくせに。このままじゃ、あちこちの木にぶつかりまくってタンコブだらけになるか、落ち葉に埋もれて窒息するかだよ。そんなことになられたら、ボクが落ち着いて森を歩けないじゃないか」
「うぐ……」
「安心して。キミが休んでいる間は、ボクが守ってあげるから」
 観念したのか、シェゾは暴れるのはやめたけれど、代わりに、探るような目でボクを見上げてこう訊いた。
「……お前、分かってるのか? 俺はお前を狙ってる、闇の魔導師なんだぞ」
「分かってるよ。だから、これはブシのナサケってヤツ」
 出来るだけ澄まして答えると、かすかに、シェゾの顔に苦笑が浮かぶ。
「………お前に守られることになろうとは。俺もヤキが回ったもんだな」
 相変わらずの憎まれ口だ。そして、そのまますうっと寝入ってしまった。
 眠るのがすごく早い。やっぱり、かなり無理していたんだね。……無駄にええカッコしいなんだから。
「ぐー」
 カーくんがとててて、と走ってきて、舌に巻き取っていた銀杏の実を籠の中に放り込んだ。
「ぐぐ?」
「うん、静かに拾おうね。今、シェゾ眠ってるから」
 ボクは人差し指を唇に当てて、そっとカーくんに話しかける。
「ぐう!」
 分かっているのかいないのか。カーくんは一声鳴くと、また黄色い落ち葉の中に飛び込んでいった。舞い上がった黄色い葉が、一枚、二枚、ヒラヒラと踊りながら落ちてくる。
 ボクは空を見上げた。まっすぐに伸びた銀杏の木の間から見える青空。木々の間に落ちた影は、もう、少し傾いている。
 日が暮れる頃には、シェゾも酔いが醒めて、歩けるくらいには元気になるだろう。そうしたら、何か美味しいものを作って食べさせてあげよう。……きっと、素直についてはこないだろうケド。
 次はどんな風に言い負かして食卓に座らせてやろうかな。膝の上の温い重みを確かめながら、そんなことをボクは考えた。

 

終わり

小説の感想を下さる方々に猛烈にお礼がしたくなったので、05/10/28の表の更新日記からリンクしたものです。
シェアルで萌えでサラッと書ける短い話を…と思ったんですが、
アルルがシェゾの寝てるところに行ってちょっとよさげな感じ、というパターンは、今まで似たよーなのを何度も書いてて
今更感が猛烈に高いことに気付き、しかしちゃんと起承転結のある話だとサラッとは書けないし…
と迷った末、ほんの少しだけひねってこうなったのでした。
 05/11/05 すわさき

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