Right Stuff
”以後、よろしく” 手に取るなり、それはそう挨拶してきた。 「うん、よろしくね」 思わず応えると、背後から思いっきり不審そうな声が降ってきた。 「はぁあ? あんた、なに独り言言ってんの?」 白い腕を大きな胸の前で組み、かしげた頭から伸びた髪が肩から背中まで滑り落ちている。細かい波を持ったそれは、晴れた日の海のような青い色だ。 彼女の名前はルルー。つい一ヶ月ほど前に知り合ったばかりで、ぼく――アルル・ナジャっていう、れっきとした女の子だ――と一緒に旅をしているおねーさん。ややきつめの美人で、大きな胸やお尻をきわどい白いドレスに包み、随分と色っぽい。ずっと年上なのかと思っていたけれど、十八歳で、ぼくより二つ上なだけなのだそうだ。 彼女の後ろに控えているのは、牛の頭の大男、ミノタウロス。どういうわけなのだか、彼はルルーの下僕……もとい、従者として、実に忠実に仕えている。この一ヶ月でわかったことには、彼は見かけによらず理知的だし、紳士でもあった。あんまり喋ってくれないんだけどね。 ぼくらがパーティを組むことになったいきさつは、話せば長いことになる。 一ヶ月と少し前、ぼくは変質者に求婚され、続いて殺されかけた。当然、あらんかぎりの抵抗をして逃れたんだけど……。ルルーはその変質者・サタンの自称婚約者で、ぼくを恨んでミノタウロスをけしかけてきた、というわけ。 そのルルーとミノタウロスと、なんでぼくがいっしょに行動するハメになったのかといえば、実はぼくにもよくわからない。ルルーの鶴の一声というやつで、唐突に「古代魔導学校まで一緒に行きましょう」ってことになったのだ。 なんでも、サタンがルルーに向かって「私は偉大な魔導師を妃にする」と言ったらしい。だから魔導師養成の最高学府・古代魔導学校に入って魔導を学ぼうっていう態度はとっても前向きで、けなげではある……あるんだけど。聞けば、ルルーは今まで魔導関連の学校に行っていたわけではないらしい。それどころか、ホットやコールドといった、それこそ三つ四つの幼児でさえ使える初歩の初歩の魔法すら使えないようなのだ。それなのに、”あの”古代魔導学校に入学しようだなんて……。随分と無謀だなぁー、とは思うけど。 まぁ、ぼくもまだそんなにルルーのことは知らないからね。何か隠された資質があるのかもしれない。 なんにしても、ぼくが約束させられたのは彼女を古代魔導学校まで連れていく、そこまでだ。それ以上のことには義理も義務も無いし。……ぼくはぼくで、古代魔導学校に入学できるかどうかの瀬戸際なのである。なにせ、この旅はぼくの入学試験でもあるのだから。 「ちょっと! いつまでボーッとしてるのよ。独り言は言うし、ほんっとにおかしな子ねぇ。カーバンクルも、どうしてこんなぼんやり電波のへちゃむくれに懐いているのかしら。いずれサタン様の妃となるあたくしに懐いてこそ、あるべき正しい姿だというのに」 「ぐー」
自分の名前を呼ばれたからか、ちっちゃな黄色い生き物が、ぼくの肩からルルーの方に顔をのぞかせた。黄色いウサギみたいな長い耳に、黒いビーズみたいなつぶらな瞳。額には赤い綺麗な宝石が埋め込まれている。その名の由来でもあるだろう ……”らしい”ってのは、以前、ミイルという魔物商人に「ルベルクラクを取ってくる」という取り引きを持ちかけられたことがあるからだ。 そうして出かけて行ったライラの古代迷宮の奥底でサタンに襲われ、そのペットだったカーバンクル――カーくんと知り合えたんだから、運命というのはどうなっているのかわからない。今やカーくんはぼくの大切な友達で、別れるなんて考えられない。だから、カーバンクルはサタンとの婚姻の明かしなのだ、とルルーに教えられても、ルルーに渡すこともサタンに返す気にもなれずに、ズルズル、こんな状態になってしまっている。 「あのねぇ。ぼくはボーッとしてるわけでも独り言を言ったわけでもないよ。今のは、この魔導杖に挨拶したんだから。向こうが挨拶してきたから」 ルルーがますます訝しむような、少し哀れんでさえいるような表情になったため、ぼくは慌てて付け加えた。 「魔導の品ってのは、喋るものも結構多いの! 特に、杖なんかはね」 「そうなの? ……ちょっと、貸しなさいよ」 魔導に関することでは、ルルーは結構素直に人の話を聞く。自分にそのテの知識のないことをよく自覚しているらしい。ルルーはぼくの手から魔導杖を毟り取った。 「………………。? ちょっと、何か言いなさいよ。………あんた、無視してるの? このあたくしを無視するとはいい度胸ね!」 「――ぷぷっ……」 「!! アルル! あんた、あたくしをからかったのねぇえ!?」 「ヴモー! ルルー様をバカにするものは、この俺が許さん!」 「わわっ!? ちょっと待って! からかってなんかいないわよ!」 絞め殺さんばかりの勢いで掴みかかってきたルルーと、ミノタウロスの斧の斬撃から危うく身をかわす。本当、彼女たちと一緒にいると命が幾つあっても足りやしない。 「じゃあ何よ! この杖はあたくしと喋りたくないんだって言うの?」 「そうじゃなくて……。杖を握った時、意識というか、言葉が頭の中に流れこんでこなかった?」 「こないわよ、そんなの」 「おかしいなぁ。聞こえるはずなんだけど。聞こえないとしたら……」 「……なによ」 「うーん。杖が死んだのか、あるいは全然魔導の素質が無いから聞き取れないとか……」 「………」 ルルーは、むっつりと黙りこんだ。 「じゃ、死んでるのよ。返すわ、こんな役立たず!」 ルルーが投げ返してきた杖を、ぼくは危うく受け取った。 ”なんと乱暴なのだ!” 触れるなり、杖の意識が流れこんでくる。……死んではないみたいだね。やっぱり。(勿論、ぼくはあえてそれをルルーに指摘はしなかった。) 折角みつけたばかりなのに、この杖に死んでもらってちゃ困るのだ。この地下迷宮、まだまだ奥は深いみたいなんだから。
旅の道すがら、偶然見つけたこの地下迷宮。その何層目かのところに、今、ぼくたちはいる。幾多の試練の結果、アイテムは乏しく、けれど先は見えない。――とくれば、少しでも持久力や攻撃力をアップしてくれる魔導杖は、ある意味命綱だ。普通、こうしたダンジョンには何層かごとに魔物の商人がいついていて、そこで必要なものを補給できるものなのだけど、どうしたわけか、この迷宮では未だ商人に巡り会えてはいなかった。以前持っていた杖はとうに”死んで”しまっていたし、迷宮の中でこうして杖をみつけられたのは大した幸運なのである。 「それにしても……暗いしジメジメしてるし、いい加減うっとうしいわねぇー。どこまで続いてるのかしら」 何度目かのセリフを、ルルーがまた口にした。 「大体、あたくしは古代魔導学校まで先を急がなくてはならない身なのよ。なのに、あんたときたらいちいち寄り道したがるんだから!」 「な、なによ。ルルーだって”すっごい魔法のアイテムがあるかもしれないわ”なーんて張り切ってたじゃない」 「うっ……」 ルルーが言葉を飲みこむ。 「それに、遺跡探索は魔導師の大切な仕事なんだから。ぼくがこうして探索をするのも、魔導師としてのサガってものだよ」 「そうかしら? 単なる個人の酔狂な趣味って気がするけど」 「ううっ……」 ぼくは言葉を飲みこんだ。 ルルーは結構(突っ込みが)するどい。 「んもぅ……。そこまで言うなら、ここから引き返す?」 「え? ……でも、それはそれで情けなくないかしら?」 「まぁね。ここまで潜っておいて制覇できないのも悔しいけど」 ぼくらはしばし顔を見合わせた。 さっきも言ったように、回復アイテムや食料にはそんなに余裕がない。次のフロアで魔物商人にでも出会う幸運がない限りは。ここは、潔く引き返すのが正しいやり方なんだろう、けど……。 「ここまで来て引き返すのもバカバカしいわ」 ルルーが言った。うん……確かに。結構潜ったし、あと一層か二層でお終いかもしれない。そうだとすれば強行突破したいところなんだけど……。 「うーん……」 ぼくは考えこんだ。ぼく一人だったら、むしろ迷いなく強行突破しただろうが。 「ちょっと、いつまで考えこんでるの? 考えるくらいなら、さっさと行っちゃった方がいいわよ。ミノ、行くよっ」 「ヴモー!」 「あっ、待ってよ」 ルルーは気が短い。先にたって、もうスタスタと歩いていった。その後にぴったりミノタウロスがくっついていく。ライトの魔法で作った光球はぼくが持っているのに……。(それも、魔物避けに光量は随分落としてある。) 「二人とも、よく、こんな暗いところをそんなにスタスタ歩けるよね」 「ほほほ。鍛え方が違うのよ。あんたこそ、魔法に頼りすぎて虚弱なんじゃないの?」 小走りに追いついたぼくの前で、ルルーが得意そうに笑った。 「ぼくは普通だよ。………ルルーが逞しすぎるんだよね……」 「なんですって!?」 げげ。ルルーは耳もいいらしい。 「誰が嫁ぎ遅れ確定のゴリラも真っ青なマッスル女よっ!」 「……いや、誰もそこまでは……」 音には鋭いけど、聞き分けは鈍いんだろうか。 「大体あんた、ちょーっと魔法が使えるからって、生意気なのよっ! あたくしは何年も前からサタン様をお慕いしていたのに、横からひょいと出てきて大きな顔してっ。一体どんな手でサタン様を誘惑したの、このドロボウ猫!」 「なっ……。何言ってるのよ。それは誤解だって、何度も言ったでしょ。ぼくは、サタンになんかぜーんぜん興味がないんだからっ」 興味を抱くもなにも、一度遭っただけで、しかも殺されかけたんだからね。 「サタン様に、興味がない……?」 信じられない言葉を聞いた、という様子で、ルルーは言葉を詰まらせた。 「そうだよ。ぼくは、サタンの妃になんてなるつもりは全くないんだから」 「妃になる気が全くない……」 ルルーは、ぶるぶると震え出した。 「信じられないわっ! それが、サタン様の元からカーバンクルを連れ出した女の言うセリフなのっ!?」 「え、ええ!?」 「つまりアルル、あんたはサタン様と結婚する気がないのに婚姻の印のカーバンクルを奪った。サタン様を騙し、お心を踏みにじったのよ!」 「そんな……」 ぼくは何か言おうとしたけど、言えなかった。ルルーの剣幕があんまりすごくて口を挟めなかったのでもあるし、ある意味で、全くの間違いでもないからだ。(ぼくはカーくんを奪ったつもりはないし、大体、結婚がどーとかっていう話そのものが一方的なんだけど。) 「サタン様が認めた女だと思うからこそ、魔導の力を身につけて、正々堂々と戦おうと思っていたのに……ゆ、許せないわぁあ!」 ひぃいい。ルルーがメデューサのごとく髪を逆立てて怒鳴った。 「ミノっ! やっておしまい」 「ヴモー!! 一撃っ」 「うわぁああ!」 再び、ミノタウロスが恐ろしいうなり声をあげながら襲いかかってきた。今度は一撃じゃ終わらない。 「ち、ちょっと待ってよぉお!」 「あっ、逃げるんじゃないわよ! ミノ、追うのよ!」 「ヴモッ、お任せ下さい!」 ぼくはたたらを踏んで逃げ出した。その後を、息も荒く、斧を振り上げたミノタウロスが追ってくる。荒い息の音がめちゃくちゃな足音と混じり合って、どろどろと迷宮に響き渡っている。怖い、怖すぎるぅう! 一ヶ月前とまるで同じ状況だけど、その時と違ったことには、ここは屋外ではなく狭くて曲がりくねった迷宮だってことで。幾つかの角を急カーブで曲がり、走って走って走って行くうちに。 「みぎゃっ!」 ばぁん! 音を立てて、ぼくは袋小路の壁に激突した。殆ど視界が効かない上に、角を曲がってすぐ行き止まりになっていたのだ。容赦ないごっつんこで、目の前に星が散る。 「いったぁああい!」 頭を抱えてしゃがみこむと、ぱらぱら、と壁の表面がはがれて零れ落ちてきた。げげ。壁にひびが入っている。ぼくってもしかして石頭……? 「ほほほ、追い詰めたわよ、アルル! さぁ、観念して天誅を受けなさい!」 「ヴモーッ!」 「ひいぃ!」 ぶん、と風を伴ってミノタウロスの斧がぼくの頭すれすれを掠め過ぎた。ガシン、と音がする。どうやら、斧が壁にぶつかったらしい。 「ヴモッ!?」 「なにモタモタしているの、ミノ。さっさとやっちゃいなさい!」 「そ、それが……。斧が壁に食いこんでしまいました」 「なにやってるのよ。ほんとにお前はどん臭いんだから。かしなさい!」 ルルーはミノタウロスの手から斧の柄を奪いとって、引っ張りながら片足で壁を蹴りつけた。途端に、壁の亀裂が広がり、ガラガラと崩れ落ちてしまう。 「か、怪力……」 思わず呟くと、ルルーは憤慨した。 「違うわよっ。この壁がもろいのよ。ちょっと蹴っただけなんだから」 「ルルー様。もしかして、アイテムの隠された壁なのではありませんか?」 ミノタウロスが言った。そうだ、その可能性はある。迷宮の中には時折ひどく崩れやすい壁があって、中にアイテムが塗り込められていたりすることがままあるのだ。……誰が、どーいう目的でやったのかは判らないけどね。古代人は壁の中にアイテムを溜める習慣があったのかも……? 「そうね。じゃ、ちょっと壊してみましょ」 言うと、深く息を吸い、また吐いて、ルルーは気合を溜め始めた。 ……とりあえず、ぼくに天誅を下すのは後回しにしたらしい。ミノタウロスが目を配っているので、逃げられないけど……。 「はぁ〜〜〜〜〜っ。………破岩掌!」 ルルーの掌底が押し当てられた瞬間、轟音を上げて壁が崩れ落ちた。……いや、爆散したと言った方が正しいだろう。もうもうと、土ぼこりが舞いあがる。 「ごほっ、ごほっ」 「けほけほっ。………アイテムはどこにあるのよ」 アイテムは見当たらなかった。もしアイテムが埋まってたんだとしても、壁と一緒に粉々になるか、この瓦礫の中に埋まっちゃったんじゃないかと思うけど。 でも、実はアイテムどころの話ではなかったのだ。 崩れ落ちた壁の向こうはぽっかりと空間が開いていて、どうやら隠し部屋らしかった。そして、その部屋は空ではなかったのである。 かなり高いその部屋の天井に、けれど頭をこすりつけるようにしてこちらを見下ろしている、するどい瞳。ギザギザの牙が突き出した口をあけて、吠えた。 ――ギャオォオオオン!! ビリビリと迷宮が、ぼくらのお腹の底までもが震えている。 「ドラゴンだ!」 魔物の中でも、強さ、生命力共にトップクラスの。何度か戦ったこともあるけれど、とんでもなく厄介な相手だ。 舌打ちし、ルルーがすばやく後ろ(ぼくの方)に飛び退った。 この一ヶ月、魔物が出ても戦うのはぼくとミノタウロスばかりで、ルルーは殆ど立ち回りを見せたことがない。だが、彼女がただミノタウロスに守られているだけのお嬢様ではないことは、その僅かに見せた姿でわかっていた。 そう――優雅で色っぽい容姿に似合わず。ルルーは、格闘家なのである。それも、巨漢で筋骨隆々のミノタウロスより強いくらいの。 「ミノ!」 「はっ」 短く返し、ミノタウロスが斧を振り上げ、斬撃を放った。 「一撃っ!」 ――ギャオオン! その間、ルルーは再び気合を溜めはじめる。 ドラゴンに半端な攻撃なんて効かない。気合を溜めて、一撃で勝負する気だ。 「ダイアキュート!」 ぼくも増幅魔法を唱え始めた。ダイアキュートを最大までかけ重ねて、ぼくの使える最強呪文、ジュゲムをぶっ放す。賭けの要素が強い戦法ではあるけど、これが一番確実でもある。増幅している間にファイヤーブレスでも吐かれないことを祈るしかない。 「ダダ ダイアキュート!」 放たれた魔力が手の中の魔導杖に集束し、更に増幅され、ぼくの中に返って来る。 その間にも、ミノタウロスは果敢にドラゴンに立ち向かっていた。ルルーが気合を溜める時間を稼ぐためだろう。以外に小回りをきかせて、細かく斧で切りつけている。――が。 「ぐあっ!」 身を捻ったドラゴンの尾の一撃を受け、ミノタウロスは壁に叩きつけられた。そのまま、壁とドラゴンの尾に挟まれた恰好になって、表情を苦悶に歪ませる。 「ミノ!」 気合を溜めるのを中断し、ルルーが飛び出した。 「鉄拳連撃!」 正拳の連打。キメに大きく体を捻って回し蹴りを叩きこむ。流石のドラゴンも身を動かし、ミノタウロスはどうにか挟まれた態勢から逃れた。 「ダダダダ ダイアキュート!」 でも、ルルーも戦いにくそうだ。ドラゴンのような巨大な魔物が相手の場合、攻撃が当たりやすくはあるけれど、投げ技だとか関節技なんかはまるでかけられない。体の大きさが違いすぎるし、なにより、格闘技っていうのは人間対人間のために編み出された戦闘法なのだよね、基本的に。 「くっ……。なんて頑丈なの。アルル! あんた、一応魔導師でしょ! モタモタしてないで、ぱーっと一発ぶちかましなさい!」 「わかってるよ! ダダダダダダ ダイアキュート!」 その点、魔法は融通がききやすい。……よしっ、増幅は最大! 握り締めた手の中の杖を熱く感じる。後はそれを方向付けし、対象にぶつけるだけ! 「ジュジュジュジュジュジュジュジュ ジュゲムっ!」 ぼくは呪文を唱えた。 ――ぽふっ。 ありゃ? 変な手応え。 何も起こらない。 …………。 あぁあああっ! 魔導発現に失敗したんだっ! ジュゲムは、威力はすごいけど成功率が低い。つまり、失敗しやすい。だけど、よりによってこんな時に……! しかも、失敗したのにその分の魔力が減ってるのは感じられた。あぁあ。これじゃ、再度ダイアキュートをかけなおしていくこともできない。魔力を回復させる魔導酒かももも酒は……あぅ。切れてたんだぁ。 おたおたしているぼくの様子を見て、ルルーは事態を悟ったらしい。 「仕方ないわね……。ここは一時撤退よっ!」 ミノタウロスの肩を支えて立ちあがらせると、ぼくに向かっても叫んだ。 「あんたも、さっさと逃げなさい! 行くわよっ」 「う、うん!」 勿論、ぼくに異存はない。急いで、ルルーたちの後を追おうとした。 ――が。 ぐいっ、と何かが杖を持つぼくの手を引っ張った。引き戻された体は固まって、自動的に体が半回転してドラゴンの方を向く。 え、えぇええ!? ”敵に背を向けるとは、卑怯なり” 手に握った杖から言葉が流れこんでくる。最後まで戦え、と。 ひええええ! そんなぁあ! 「ちょっと! こんな時に何言ってるのよっ」 ”戦いは常に正々堂々とあるべし” 「だぁああっ。なんて融通のきかない杖なの!?」 真正面のドラゴンは、固まっているぼくを見て不思議そうにちょっと首を傾げたけれど、やがてすぅううっ、と息を吸いこんだ。 あ、あぁああ……。 この動作の意味するところを、ぼくは知っている。――ファイヤーブレスだ。 逃げ……体が固まってて逃げられない。シールド……魔力が足りない。 わあああぁんっ! 一瞬後、目の前が真っ赤に光って、ぼくの意識は途切れた。 まっくらの、闇の中に………。
――……ばたんきゅ〜。
「……ルル。アルル。……ねぇ、目を覚ましなさいよ」 どこかで、誰かがぼくを呼んでいる……。 ぼくはぼんやりとまぶたを開いた。 ……生きてる? 視線を動かすと、側にうずくまって覗き込んでいるおねーさんの顔が見えた。……ルルーだ。 目が合った途端、弾かれたように身をそらすと、彼女は気まずそうにあさっての方を向いた。 ……あれ。もしかして、今、涙目じゃなかった? 「ルルー……」 「………」 「アルル、起きられるか?」 黙っているルルーの代わりか、ミノタウロスがぼくに訊いた。 「うん……。大丈夫。どこもケガしてないみたい」 身を起こし、ぼくはあちこちを動かしてみる。どこの骨も折れていないし、怪我もしていないようだ。 「まったく、いつまでぐーすか寝てるのよ。大丈夫ならさっさと起きなさいよね!」 怒ったようにルルーが言っている。……うーん。 「ごめん」 素直に言うと、ルルーはなんだか慌てたようだった。 「わ、分かればいいのよっ。手間かけさせるんだから。あたくしが逃げなさいと言った時にはちゃんと逃げなさい。無謀と勇気は違うのよ!」 「ぼくだって逃げたかったよ。あれは、杖が勝手に……」 魔導杖を、ぼくはまだ握ったままだった。ぼくはぶん、とその手を振り上げて――そして、気付いた。 ぼくの周りを、うっすらと魔法の障壁が取り囲んでいる。かなり高位のシールドだ。 あれ? ぼくの残りの魔力じゃシールドは張れなかったはずなのに。……そういえば、ドラゴンのファイヤーブレスを真正面から食らった気がしたけど、ヤケドひとつ負っていない。 「ねぇ。ルルーたちがファイヤーブレスから守ってくれたの?」 ぼくが訊くと、はぁ? とルルーは首をかしげた。 「あたくし達は、気絶したあんたをあそこからここまで引っ張ってきただけよ。あんた、体重何キロあるの? 胸の代わりにお腹や太ももに肉がついているんでしょ。大変だったんだからね」 「ううっ……そ、それはともかくとして……」 「お前は、炎に包まれる瞬間、自分で魔法の障壁を張ったのだ。俺にはそう見えたぞ」 ミノタウロスが言った。 ……ってことは。もしかして……。 ぼくは、手に握った杖を見つめた。 「君が、シールドを張ってくれたの?」 ”………” 杖は小さく溜息をつき、言った。 ”疲れた………” 「え!?」 ぱきん、と音がした。ぼくの手の中で、杖はまっ二つに折れてしまったのだ。 シールドの自動発動で、力を使い果たしてしまったらしい。折れた杖からは、もう何の声も聞こえてこなかった。 「死んじゃった……」 「あら、もう壊れたの? 不良品だったんじゃない、それ」 「うう……」 そうかもしんない。 身を呈してぼくを守ってくれたのではあるけど。原因を作ったのもこの杖だもんなー。 意思を持つ魔導具っていうのは、時に便利で、時にひどく厄介だ。こんな風に、思いもよらぬことをやってくれるから。 にしても。折角見つけたと思ったのに、あっという間に杖なしに戻っちゃったよ……トホホ……。 なんてことを思ってぼくがうなだれていると、何を思ったのか、ルルーがぽんぽんとぼくの背を叩いた。 「……ま、元気出しなさいよ。その杖は、自分の使命を全うしたんだし」 いや、別に杖を悼んでいたわけでもないんだけど。 ――でも。そうか。 「ルルーって、実は結構、優しいんだね」 「な!?」 言うと、ルルーは一瞬、茹でタコのように沸騰し、ざざっと身を引いてぼくから離れた。 「な、な、何言ってるのよ! き、キモチ悪いわねぇ〜〜っ、この子は!」 ……そんなに照れないでもいいのに。 「そう。ルルー様は、こう見えて実は優しく、照れ屋でもいらっしゃるのだ!」 「なにデタラメ言ってるのよっ、あんたはっ!!」 「ブフォッ!」 ルルーの裏拳がミノタウロスのあごに炸裂した。ぶちぶち何か言いつづけているルルーの顔は、更に赤くなっている。 ふーん……。 「な、何笑ってるのよあんたは……」 ふふふふ………。 「いい加減、笑うのやめなさいよ。ぶつわよ?」 う、目が本気だ。笑うのやめよう。 「そ、それより、一度この迷宮から出なくちゃね」 ぼくは言った。 「杖もなくなっちゃったし、アイテムもないし」 「そうね。悔しいけど、あのドラゴンを倒さなきゃ先へは進めないし」 「うん。外に出て、装備を整えて」 「そして、今度こそ雪辱戦よっ!」 おーっ、とぼくらは声を合わせる。珍しく気が合ってるなぁ。こんなに意見が合うのは初めてかもしれない。 ……もしかして、ぼくらの共通項って、”血の気が多い”ってとこ? 「結局、迷宮に潜らずにはいられないんですな」 ぼくらの様子を見ながら、やれやれ、って感じでミノタウロスが呟いた。
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