すき。 すごくすき。
晴れた日が好き。 真っ青でぴかぴかな空、和紙を千切って貼り付けたみたいな雲。 体中から何かが溢れだしそうで、わくわくして、どこまでも走りたくなる。 曇りの日も好き。 ゆったりとした灰色。湿って暖かい風に吹かれながら、ぼんやりと歩いていく。 雨の日も好き。 つま先をぬらして、買い物に出かける。 くさむらから、池の中から、みんなが大合唱している。 嬉しいよ、暖かいよ、シャワーだよ たっぷり買いこんで、家にこもってカレーを煮込む。
おいしいものは好き。 よく煮込んだカレー、らっきょ、甘いふくじんづけ。ほかほかのごはん。
ごはんをいっぱい食べるのは好き。 いっぱい食べてくれるひとも好き。
カーくんが好き。 おとうさんも、おかあさんも、おばあちゃんも好き。 ルルーも、ラーラも、先輩も先生も、みんな好き。 みんな大切な人たち。
だいすき。
みんなが笑ってくれると、ボクもうれしい。 ボクが笑うと、みんなもよろこんでくれる。
みんなが、好きだから。 みんなが、ボクを好きでいてくれるから。
……………なのに。
「"好き"って、どういうことなのかなぁ」 ぼんやり呟いたら、ルルーはギョッとしたようにボクを見た。 ルルーのお屋敷。誘われたお茶の時間。 思わず落ちた、ボクの言葉に。 「また、何を言い出すんだか……」 「ボク、好きなものはいっぱいあるよ。 空も、山も、家族も、友達も。みんな好き」 「そうでしょうねぇ……」 「でもさ……」
――どうして、”アイツ”とだけは違うんだろうか?
今日も、ここに来る途中で見かけた彼の姿を、ボクは思い出した。 こういってはなんだけど、ボクは誰とでも友達になれる方だ。今まで、友達になろうと思ってなれなかったことはない。 でも……。 彼は違う。彼だけは。
――シェゾ・ウィグィィ。闇の魔導を司る、銀色の髪のおにいさん。
「友達だと……? ふざけるな! お前は、俺の獲物だ」 冷たいまなざし、敵意を込めた言葉。 「友達でしょう?」 いつだったか。ボクが言ったこの台詞を、彼はあっさりとはねのけた。 最初は怖かった。 何を考えてるのか解らない。得体が知れなくて、強くて。――ボクを”獲物”と呼ぶ。 今は……。 ――今だって、シェゾが何を考えてるのかはわからない。 解りそうな気がしたときも何度かあったけど、そのたびに彼自身から否定された。 けれど。 怖くなんかはない。 ただ、もっとちゃんと知りたいんだ。 キミが何を見て、感じて、考えているのかを。 いつも不機嫌そうな顔をして。眉間にしわを寄せて。 どうしてかなぁ。 笑って欲しい。もっと楽しそうに。 友達になろうよ。その方が、きっと楽しいから。 だって、ボクはキミのこと好きだもの。
――ずっと、そう思っていた。 さっき、セリリちゃんと話しているシェゾを見るまでは。 セリリちゃんから、シェゾと友達になったという話は聞いていた。 でも、シェゾのいつもの口調、態度だったら、もしかしたらセリリちゃんは泣いてしまうかもしれない。 偶然見かけて、そんなことが気になって。 声をかけようか迷っていた時。ボクは見た。 シェゾは笑っていた。小さな笑みだったけれど、穏やかに。 セリリちゃんはボクの大切な友達。シェゾも、ボクにとっては友達。 友達が笑っているのは、ボクのしあわせ。 ………なのに……。 ボクは、まっくらになってしまった。 ぴかぴかに晴れた空も、きれいな花も。今、手の中でいい香りをさせているアプリコット・ティーだって。 なんにも、なんにも分からなくなっちゃったんだ。
どうして? ボクは、本当はシェゾに笑って欲しくなかったのかな。 ”好き”なのに。 ……友達なのに。
「……今、ここにいないから言うんだけどね」 ボクの話を聞き終わってから、ルルーは言った。お菓子を取りにミノタウロスが部屋を出ているのを確認して。 「ミノタウロスも、じいも……好きよ。家族だものね、あたくしにとっては。彼らには本当に感謝してる。――愛してるわ。………それに、あんたのことも、まぁそんなに嫌いじゃないわよ」 でもね、とルルーは言葉を続けた。 「とても”好き”だけど……サタン様を”好きだ”って想う気持ちとは、全然違うわ」 確かに、ルルーの態度って、サタンに対してのものとその他では全然違うけれど……。 「”好き”の度合いが違うってこと?」 「そうとも言えるのかもしれないけど……度合いっていうのとも違うわね。形とか、関わり方とか……。結局人それぞれってことになるのかもしれないけど。……とにかくっ、違うのよ。分かるでしょ? ”好き”にも色々あるんだから」 「でも……”好き”は”好き”でしょう?」 ルルーは小さく息をついた。それから、ちょっと苦笑して。 「自分で考えなさい。でないと……どんなに人に聞いたって、やっぱり解らないわよ? どう頑張っても、あんたの心の中まではあたくしには覗けないからね」 「……うん」 手の中のお茶は、いつのまにか冷たい。
シェゾは、いつも不機嫌そうだった。 仏頂面で視線をそらすか、逆に睨みつけてくるか。挑戦的な笑みは何度も見た事があるけれど、穏やかな表情は見たことがない。……あんな。 いつもボクにはそんな顔しか見せないくせに。他の人にはたやすくそれを見せている。 ボクは、それに腹を立てているのだろうか。 あるいは。ボクが何度声をかけても決してそうできなかったのに、シェゾと友達になれてしまったセリリちゃんを、ねたんでいるのだろうか? ボクって……嫌なやつだなぁ。 そう思う。 でも――何かが違う気もした。 何が? ………………そうだよ。 だって。もし本当にそうだとしたら――それだけだとしたら。もっと早く。セリリちゃんがシェゾと友達になったと教えてくれたあの時に、まっくらになったってよかったはずだ。
じゃあ……どうして? どうして今、ボクの前はこんなにまっくらなんだろう。
丘をのぼりつめると、風が頬をなでた。 ちょっと小高い、やわらかな草におおわれた場所。普段人もいなくて、考え事をするには最適の。 ――ところが。 なんでだろう。よりによって。 黒いマント、銀の縁取りの魔導装甲。銀色の髪を揺らして、背の高い影がたたずんでいた。 「……お前か」 チッ、と舌打ちして、シェゾは視線をそらせる。いつものように。 「生憎、今日はお前の相手をしている気分じゃないんでな。……見逃してやる」 そう言って、背を向けた。そのまま歩いていく。 ボクのことなんか最初から見なかったみたいに。 背中が、どんどん遠ざかってく。
「………待ってよ!」
誰かが叫んだ。 誰か? ううん、ボクだ。 ボクの口が勝手にしゃべっていた。 立ち止まって、シェゾがこっちを振り返っている気配がある。 でも、はっきりとは分からなかった。だって、次から次に涙があふれてきていて、周りが見えなくなっていたから。ぽろぽろとこぼれて、とまらない。涙も、言葉も。
「行かないで。 ……キミが、ボクを嫌いでも。ボクは………キミのこと、好きだからっ……!」
シェゾは、何も言わない。 まっくらで、何も見えない。 でも、分かる。シェゾはきっとあきれた顔をして、背を向ける。そして遠ざかって、いなくなって……。
ふわりと、やわらかいものが頬に触れた。 驚いて目を上げると、いなくなったと思ったシェゾがそこにいる。ハンカチを差し出して、ボクの顔に押し付けていた。 おずおずと受け取ると、 「それはやる。……返す必要はないからな」 と言って、今度こそ背を向けた。 「………」 ボクはシェゾの背中を見た。 どうしてだろう。いつもいつも冷たいのに、不意に、気まぐれに優しくなる。 こんなの、もう、全然ワケがわかんないよ。 もしかしてこれも意地悪なんだろうか? ボクを混乱させるための。 ………………。 ボクは、ぎゅうっとハンカチを握り締めた。 そして、気がついた。
違う。………………そうじゃないよ。
何故なら、ボクはちゃんと知ってたんだから。 シェゾが優しいってこと。
もっと色々知っている。 優しいけど、優しくするのはすごく下手なこと。怒った顔をしていても本当はそんなに怒ってないこと。約束はめったにしないけど、それは約束をとても大事にしているからだってこと。物知りだけど、喋るのは下手なこと。ものすっごく意地っ張りなこと。 今まで、ボクを何度も助けてくれてたってことも。
ボクはちゃんと知っている。
そう――そうだよ。 固く結んでいた結び目がするりとほどけたように、ボクはそれを思い出した。
―――だから、ボクはシェゾが好きなんだ。
「シェゾ!」 もう一度、ボクはシェゾの背中に呼びかけた。いきおいのままに。 「ボク、キミのこと大好きだよ!」 シェゾはもう振り返らずに歩いて行ってしまったけれど。ボクはちゃんと見た。彼の耳たぶが真っ赤になっていたのを。 たったそれだけのことなんだけど……。胸の中に、ふーっと暖かい空気が入ってくる気がした。胸の奥がぱんぱんに膨れ上がって、ちょっと苦しいような、くすぐったいような。ぎゅーっと我慢していないと笑い出しちゃうような、ヘンな感じ。
すきだなぁ。
急に世界が輝きだした。 木も、山も、風も。みんな光っている。
すきだよ。
家族も、友達も、景色も、おいしいものも。 お日様も雨もお月様も風も雲もみんな。
みんな、みんなだいすきだ。昨日までより、百倍も、千倍も。もっともっと。
それは、 キミがいる世界だからなんだ。
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