春の灯台 |
魔導の勉強は好きだけど、時には辛いなぁ、と思うこともある。今日みたいに、勉強だけで一日がすっかり終わってしまった時なんかは特に、ね。
ボクの名前はアルル・ナジャ。魔導師のタマゴの十六歳の女の子。今は、念願かなって入学できた古代魔導学校で魔導の勉強をしている。いつの日か一流の魔導師になるために。
魔導教育の最高学府と謳われるだけあって、魔導学校のレベルは高い。授業中に出された課題が難しくて時間内に終わらず、宿題になり、しかも手持ちの資料では追いつかないので学校の図書館に居残って調べざるを得なかった。
放課後なんてとっくに超過して、あたりはもうとっぷり日が暮れている。最近はだいぶ日も長くなってきたけど、たとえ今が真夏だって、やっぱり今ぐらいの時刻なら真っ暗だろう。なにしろ、間もなく夜半とも言うべき時間帯なのだから。
――女の子が一人で出歩く時間じゃないよねぇ……。
ちいさなトモダチ、カーくんは、とっくにボクの肩の上で鼻ちょうちんを膨らませているし。
月は出ているけど、こうこうと明るいというわけではない。手に掲げた、ライトの呪文で作り出した光球が、ボクの足元に薄い影を落としている。
たとえヘンタイや魔物が出てきたって、撃退するくらいの自信はある。……でも、ちょっと心細かった。
ダンジョンの中の方がもっと暗くておどろおどろしいのに、何故なんだろう。一人居残った校内とか、誰もいない夜道っていうのは、なんだか不安を呼び寄せるみたいだ。何かに取り残されたみたいな、逆に、何かに追いかけられてるみたいな……。
「あのぅ……」
「え!?」
突然声をかけられて、ボクはすごく驚いた。なんとか、飛びあがりまではしなかったけど。
いつのまにか――そう、本当にいつのまにか。すぐ前に綺麗なおねーさんが立っていて、ボクを手招いているのだ。
おねーさんは白くて裾の長いドレスを着ていて、長い髪も月光色だった。勿論肌は抜けるように白く、見事なまでに全身が白、って感じだ。
ボクは僅かに身構えた。ゴーストじゃないかって思ったからだ。そう思ってしまうと、いかにも、おねーさんの存在感は希薄に思えてくる。……まさか、次の瞬間に「さみしいのぉお〜〜」なんて言いつつ、氷みたいな手で抱きついてくる、なんてコトはないだろうけど……。
「あの……すみません」
おねーさんは言葉を続けた。
「……ボクに何か用ですか?」
「はい。あの……。その灯りを分けていただきたいんですが」
「え?」
おねーさんが見ているのは、ボクの掌の上に浮かんでいるライトの光球。
「これですか?」
「はい」
「あの、でも。分けるといっても……」
世の中には魔法を吹き込まれたマジックアイテムというものがあって、魔力がない人間でも魔法を日常で使うことが出来る。それこそ、ライトの魔法が吹きこまれたランプとかね。でも、そうしたマジックアイテムを作り出すには相応の媒体が必要になる。例えば、魔力を留めやすい素材で作られた道具だとか。
今、ボクが掲げている灯りは、いわばボク自身を媒体としているもの。分けようにも分けられないし、そもそも、ボクの手から離れた途端、光は消えてしまう。
「うっかり灯台の灯を失ってしまって、困っていたんです。……灯りがなければみんな迷ってしまうのに」
「灯台?」
――この辺にそんなものあったっけ?
「はい。――ここにありますよ」
「え?」
おねーさんはちょっと後ろを示す仕草をした。何もなかったはずのその場所の闇をすかしてみて、ボクはあんぐりと口を開けた。
――本当に灯台がある!
すぐそこに、二階建てくらいの高さの、白い壁の灯台があったのだ。
どうして今まで気付かなかったんだろう……。この道、何度も通っていたのに。
灯台には、けれど、確かに灯りが点いていなかった。
「灯台って、海の側にあるものなのかと思ってたのに……」
「この灯台は、船を導くためのものではありませんから」
おねーさんが言った。
「この灯台は、星を導くためのものなのです」
「……星?」
「はい。地上の生き物は星を見て方角を定め、行く道を定めています。けれど、空の星もまた、地上の灯台を目印にして空を動いているのですよ。
特に、春は星も浮かれていて、ついつい道をそれがちです。ですから、この灯台は春の間、灯りをともして、星々を正しく導く手助けをしているのです」
ボクは夜空を見上げた。
黒いビロードに銀の砂を撒いたような星。ちかちかと揺らめいて、見慣れた星座を形作っている。――と。
「あっ! 星座の星が一つ、流れたよ」
「大変! 浮かれて滑り落ちてしまったんです。早く灯台の灯を点けないと、元の場所に戻れなくなってしまいます」
――うわぁ。こりゃ、ホントに大変だ。
「お願いします、あなたのその灯りを分けてください」
「分けてあげたいのはやまやまだけど……。一体どうすればいいの?」
「大丈夫。簡単です。
……手を伸ばして、その光を分けたい、と強く思ってくだされば」
「………こうかな?」
ボクは、ライトの光球を浮かべた手を伸ばして、”灯台に光を分けたい”と一生懸命念じた。
すると。光球から小さな光球が別れ出て、すーっと舞いあがった。灯台の中に消える。
途端に、ぱっと灯台に灯りが点った。
まさに生き返ったみたいに、明るく。でも明るすぎるほどでもなく。
「わぁ……! 点いた」
おねーさんは嬉しそうに笑い、ボクに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます! これで、無事に星々を導く役を果たすことができます。
……さぁ、帰り道を照らしてあげましょう」
すると、灯台からさっと一直線に光が伸びた。ボクの家の方に向かって。
ヘタな魔法よりよほど明るい。光の道だ。
「ありがとう。じゃあね、おねーさん」
「いいえ。またお会いしましょう、小さな魔導師さん……」
「……で、その灯台ってのはどこにあるのよ」
やや低い声でルルーが言った。
翌日、ボクは学校でその話をしたけれど、クラスの誰も信じてくれなかった。まぁ、そうかもしれない。ボクだってこの辺に灯台があるなんて全然知らなかったし。
それで、帰り道、ルルーを連れて問題の場所まで来てみたのだけれど。
「おっかしいなぁ……。この辺のはずなんだけど」
辺りは、ぱらぱらと木の生えた野原。白い建物なんて、どこにも見当たらない。
「本当にここなの? やっぱり、あんた、魔物にバカされたのよ」
どーせ寝ながら歩いてたんでしょ、なんてルルーは言う。いくらボクでも、寝ながら歩けはしないよ。
でも……。あの大きさの建物なら、比較的見晴らしのいいこの辺りで見つからないはずはないと思うし……なのに、全然見当たらないなんて。
「無駄足だったわね。もう帰りましょ。暗くなってきたわ」
「暗く……。そうだよ! 暗くなればいいんだ」
「な、なによ」
ボクが突然声を大きくしたので、ルルーはちょっとたじろいでいる。
「灯台は、暗い中の目印なんだよ。暗くなれば、きっと灯台の明かりが見えるよ」
「なーるほどね。……あんたが夢を見ていたわけじゃなく、現実にその灯台があるならね」
「……」
ルルーの言葉はいつもながら容赦がない……。
ボクたちは辺りがすっかり暗くなるまで、そこで待った。
薄墨色の闇が、世界をすっかり塗りつぶしていく。
「……もう、気が済んだでしょ。本当に帰るわよ」
ルルーが言った。
灯台の、あの眩しく伸びる光は、まるでみつからない。
「うん……」
これ以上、意地を張るわけにもいかない。ボクは立ちあがり――ふと、後ろを向いた。視界の端に白いものが引っかかった気がしたのだ。
「――あった!」
「え?」
灯台はやっぱりここにあった。思えば、日があった頃からずっとそこにあったのだ。
顔をほころばせたボクの隣で、覗き込んだルルーが眉をひそめた。
「なによ……これ、木じゃない」
「うん」
座っていたボク達の、すぐ後ろに立っていた木。すんなりと伸びた白い幹から燭台のように枝が天に向かって伸び、その一つ一つの枝先に、両手を合わせて緩く開いたような、大きな白い花が咲いている。
――
「そうか……。キミだったんだね」
ボクは呟いた。
そういえば、この花が咲いたのはいつだったんだろう? よく通っていた道なのに、全然気付いていなかったよ。
夜の闇の中で、木蓮の花は白い炎のように輝いている。
まさに、灯台みたいにね。
ルルーはちょっと何か言いたそうな顔をしていたけど、結局こう言った。
「花の灯台、ね。……確かに目立つわね」
春の夜空は、甘い霞でとろりとまどろんでいる。星は地上の灯台に導かれて、ゆっくりと天を巡っていた。