偽りの大地の上で、彼らは対峙しあっていた。
「……まだまだだ。その程度の攻撃では私に隙を作らせることはできぬ」
「私に、この疎ましい力を使わせたことは褒めてやろう。だが、忘れたか。おまえに剣を教えたのは私だ」
そう告げる彼に向かって剣を構え、肩で荒く息をつきながら、青年は苦しげに唇を噛んだ。赤い前髪が汗で額に貼り付いている。
「……だからこそ俺は、あなたを超えるっ!!」
「退く訳にはいかないな、お互いに。そうだろう?」
叫ぶ青年の傍で、同じく剣を構えて金髪の青年が不敵に笑った。
「トクナガを馬鹿にしてると痛い目を見るからね! イオン様たちのためにも必ずあんたを潰す!!」
巨大なヌイグルミの背に乗った少女が杖を振りかざす。
「
緑の瞳の女は、凛としてつがった矢の狙いを定める。
「私たちがあなたを倒せば、後はルークとティアがローレライを解き放ってくれる。安心して逝きなさい」
眼鏡を外し、その真紅の譜眼を解放して、
「……譜歌か。確かにその旋律はローレライを目覚めさせる。だがメシュティアリカ、お前は譜歌に込められた本当の願いを知らない。私には……効かぬぞ」
「いいえ……兄さん。……私には分かるの。ユリアがこの譜歌に込めた思いが分かるような気がするのよ。たとえ兄さんがローレライの力を使おうとも、その時、制御に隙ができる。 だからこそ私たちは負けない!」
自分と同じ瞳を持つ女の視線を受けて、ふ、と男は笑った。緋色の髪の青年に顔を向ける。
「心強い仲間がいるな」
「そうです。みんなはこんな俺をずっと助けてくれた……。みんなのためにも、俺は負けない! ――いや。俺という存在にかけて、負けはしない!」
「……さすがは我が弟子だ、と言っておこう。だが、それもここまで」
チャキッ、と男の持つ剣の鍔が返った。剣先が動く。
「さらばだ! ルーク!」
その戦いの真の意味を知る者は、世界の中ではほんの一握りに過ぎないだろう。
だが、確かにそれは世界を変える、全ての人の歴史を揺り動かした戦いだった。
世界を縛り付けていた未来の記憶は、無限の可能性へと姿を変える。確かにあり、しかし無い、未発の選択肢の一つへと。
だが――それでもまだ、未来の歌を人は求める。暗闇を歩く足をすくませ、それを導きの光とするために。
それもまた、選択の一つなのだ。
ND2023
失われた光が輝き、沈んだ大地を甦らせるだろう。人々は歓呼し、それに従う。
――だが、その全ては偽りである。
13day,Lorelei,Luna Redecan
ND2023
Dart
宗教自治区ダアトは、今日も厳粛な空気に包まれていた。この惑星オールドラントの殆ど唯一と言っていい宗教であるローレライ教の総本山なのだから当然といえば当然だが。
とはいえ、状況はこの数年で変化を見せつつはある。かつて、ローレライ教は二千年前の
世界は預言の呪縛から解き放たれ、人々は自らの足で歩き始めた。
しかし、二千年の時の重なりは重い。多くの人々は、預言に流されていればいい楽な生き方を続けることを求めた。ローレライ教団は預言の詠みあげを廃止したが、それでもそれを求める者は後を絶たず、影で独自に預言を詠む民間の
ダアトのローレライ教団本部。その、一般に公開されている教会の中を、彼女は足早に歩いていた。緩やかな波を持った黒髪は背まで垂らされ、頭の両脇の高い位置で少しずつ縛ってある。背は、この年頃の女の中では まあ低めではあろうが、それなりに伸びた。きっちりとした
「ねえ、そこにいるの? フローリアン!」
足を止め、両腰に手を当てて呼びかける。その腰の後ろには相変わらず、不気味可愛いヌイグルミが一つ、ぶら下げられていた。
「あっ、アニス!」
彼女の視線の先、ガヤガヤと騒いでいる人ごみの中から、明るい青年の声が返った。白い法衣をまとった背の高い姿が、老若男女取り揃えた人波を掻き分けて出て来る。
「もう仕事は終わったの?」
「そういうわけじゃないけど、少し手が空いたから。久しぶりに一緒にご飯食べようと思ったのに、いないんだもん」
もう、探しちゃったよーと軽く睨んでくる彼女に、青年は困ったように微笑んでみせる。
「ごめん。でも、ボクの話を聞きたいって言ってくれる人たちがいたから……」
「
「うん。この仕事をやれて、よかったと思ってる」
五年前に、教団は預言の詠みあげを禁じた。それでも後を絶たぬ「生きる指針」を求める人々の声に応えるべく、一年前に新設されたのが「
「あの……。すみません、みなさん。今日は、これで終わりにします」
黒髪を短く切りそろえた緑の瞳の青年――フローリアンは、背後に集まっている人々に頭を下げる。人々はざわめき、多少残念そうな顔をしつつも大人しく引き上げて行った。中の何人かから「イオン様、ありがとうございました。また明日も、ぜひ」と声が掛かる。ただ微笑み返すフローリアンの隣で、アニスは僅かに目元を歪めた。
「……怒った?」
敏感にそれを察したようで、フローリアンが苦笑する。
「別に、怒ってないけど……。まだ、あなたをイオン様と混同する人がいるんだね」
五年も経ってるのに……と、アニスは口の中で呟いた。
「しょうがないよ。だってボクは導師イオンのレプリカなんだし……」
「でも! 違う人だよ」
「うん……そうだね」
素直に彼は頷く。けれど、その微笑にはどこか陰があった。儚げなそれは、アニスの知るかつての「イオン」を思い出させる。最近とみに、彼はこの表情を見せることが多くなった。
(同じオリジナルを持つレプリカだから、やっぱ似てくるってことなのかな……。それとも……?)
この笑顔を見るたびに、アニスはいつも考える。そして苦しくなって、混乱して考えるのをやめる。イオン様はイオン様、フローリアンはフローリアンだよ……。それが結論。それが全て。
二人は歩き始めた。教団員用の食堂へ向かって。まだランチには間に合うだろう。
「ねえ、それより、本当によかったの? 教団に残ることにして。今年成人の儀も終えたんだし、ここを出て行ってもよかったんだよ?」
そうしたらイオン様と混同されることもなかったのに、と言外に滲ませる。フローリアンは応えた。
「言ったでしょ? 謳士の仕事をやれてよかったって。ボクはここでみんなのために仕事がしたい。……預言がなくなって、みんな不安なんだ。それに……そもそも詠われる預言を持たなかったレプリカの人たちも」
「ああ……」
さっきの人ごみの中にはレプリカも含まれていたのか、とアニスは思った。
五年前、「レプリカ」たちは世界に唐突にあふれ出した。フォミクリーによって生み出された彼らは、複製人間であり、外見年齢に関わらず、一律に刷り込まれた最低限の知識と幼児に等しい自我しか持たなかった。一つの国が作れるほどの人数が一挙に生み出されたのだが、その多くは惑星を覆った障気を消すための
それでも数千人のレプリカが残っていると言われ、多くはかつて彼らを生み出した
この惑星には「星の記憶」というものが存在し、星が生まれてから死ぬまでの全ての歴史が刻まれているという。二千年前、ユリア・ジュエは、このうちの人類の歴史を詠み上げ、七つの譜石の山として残した。人々はそこに刻まれた未来の記憶に囚われた。それが滅びと死の預言であっても、その通りの状況を演じようとするほど愚直に。この状況を憎んだ一人の男が、世界を滅ぼし、その全てをレプリカと入れ替える計画を打ち立てた。レプリカの存在はユリアの預言には詠われていない。レプリカは詠われるべき預言を持たない存在だったからである。その男は、世界をレプリカとすげ替えてしまえば、星の記憶を――それを司るローレライを無に出来ると考えていたのだった。
……結局は、その男の野望は阻止されたのだが。――彼自身が生み出した、預言に詠われぬ存在であった、一人のレプリカの少年の手によって。
彼、ルークがローレライを解放するために崩壊するエルドラントの底へ消えてから五年が経つ。……彼のオリジナルであるアッシュのみが帰還してからは三年経った。あの頃子供だったアニスも、来年には成人の儀を迎える。両親は相変わらず貧乏でお人よしだが、食べていくぶんには困っていない。妄信していた預言を失ってどうなることかと思ったが、結局は、それを教団そのものへの信仰にずらしただけのようだ。亡きイオンの目指した、人を解放する教団を作るという彼女の夢は未だ完全には果たされてはいないが、廃止された
「フローリアン様!」
ふいに、呼ぶ声がかかった。振り向くと、廊下の向こうから一人の教団員が呼んでいる。一介の唱師なのにも拘らず敬称をつけて呼ばれるのは、彼が導師イオンの面影を継ぐ者だからなのか、それとも本人の人徳なのか。
「ボクに何か?」
「お客様です。フローリアン様にぜひお会いしたいと」
フローリアンは、チラリと傍らのアニスに目をやった。
「ボクは今から昼食を摂りに行くところなのですが……」
「しかし、時間がないとかで、今、すぐにお会いしたいとのことなのです。とても重要な件だからと……フローリアン様のみにお話したいとのことですが」
「いいよ、行っても」
困ったようにチラチラとアニスに目をやるフローリアンの様子に苦笑して、アニスはそう言ってやった。フローリアンは、外見年齢こそアニスよりも一つ年上だが、実際に生きた年数は遥かに短い。アニスは彼の名付け親でもあり、姉のような存在だった。一人の人間として立派に教団で働いている今になっても、二人の間にはそんな関係性が残っている。
「ごめん、アニス。折角だったのに」
「いいから。気になるんでしょ? 食事はまた今度にしよ。次は家でね。久しぶりに、私が腕をふるったげるから」
「うん。……じゃあ」
微笑んで、彼は呼びに来た教団員と去っていく。その後姿をしばらく見送ってはいたが、すぐにアニスは背を向け、自らの空腹を満たすべく食堂へ向かって行った。
まさか、それきりになるとは思ってもみなかったのだ。
ローレライ教団唱師・フローリアン
マルクト帝国首都、グランコクマ。譜術を駆使し、水の上に浮かんだ壮麗な都市だ。その市街を抜け、広い水路や水の壁の間を渡る幾つもの巨大な橋を越えた向こうに、優美な庭園を備えた王城がある。その中の一室――マルクト帝国皇帝ピオニー九世の私室に向かい、金髪の青年は歩いていた。
マルクトの貴族である彼の名は、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。しかし、古くからの友人たちのみはガイと呼ぶ。ガイ・セシルと名を偽って暮らしていた時代があるからだが、本来なら苦いものになるであろうその雌伏の日々も、今の彼にとっては懐かしく貴重な輝きだ。
今、彼は皇帝陛下に任された仕事を果たすために歩いている。皇帝じきじき、彼に特別に任されたものだ。……といって国政に関わるような重大な任務というわけでもないのだが……ある意味では重要か。
二十年前に一度断絶した家を再興し、今では伯爵の地位を取り戻している彼なのだが、それ以前の十四年ほど、身分を偽って隣国のファブレ公爵家の使用人を務めていた。その経験を買われたわけでもあるまいが、自国に戻った彼にまず与えられたのは、皇帝陛下が私室で大事に飼っている家畜――いや、ペットのブウサギたちの世話係、という役職だったのだ。
まあ、これも陛下の気遣いだったのだろう、とガイは思っている。長く断絶していたガルディオス家には後ろ盾がない。領地であるホド島も失われていた。また、ガルディオス家は皇家よりも成立が古く、創世暦時代から存在していたとも言われ、伯爵家でありながらマルクト帝国内での影響力は大きかった。そのために一部にガルディオス家を疎む流れがあったのは確かである。ホド島は最終的にマルクト帝国の手によって消滅させられたが、そこに、以上の思惑があったことも否めないだろう。現在は皇帝も代を変えたが、疎む派閥が消滅したわけではない。現皇帝とガルディオス家の新たな当主が親しいことで、逆に排斥の動きが活性化する恐れもある。
以上のことから、ピオニー陛下はあえて自分に「私室のブウサギの世話係」という奇妙な、そして皇帝に近しい仕事を与え、様々な方面を牽制しつつ保護してくれているのだろう。そう、ガイは理解していた。……まあ、単に面白がられているだけという気もしないでもないのだが。日々、押し付けられる雑用は、ブウサギの世話だけに留まらない。とかく便利に使われ、ある意味おもちゃにされている自分を自覚せざるを得ない。
――だが、この騒がしさが、五年来胸に開いたままの空虚な穴を埋めてくれているのは確かだ。
マルクトに帰還して五年経った今は、ブウサギの世話も週に一度に軽減されている。まめに貴族院にも顔出しをして、そろそろ、貴族としての基盤も固まってきた。近いうちに、与えられた領地に屋敷を移して、真の意味で独立してみようか。そんなことを考え始めているガイである。
ピオニーの私室の前に来ると、まずは警備兵に目で挨拶をする。もはや顔パスだ。警備兵は敬礼して道を空ける。ドアを開くと、テーブルセットの置かれた私的な応接の間になっている。馴染みのメイドが頭を下げた。(あくまで彼女と一定距離を保ちながら)「陛下は?」と尋ねる。ここに姿が見えないということは、奥の寝室兼ブウサギ部屋なのだろうが。あるいは、どこかへフラリと遊びに出てしまったか。(信じられないことだが、彼は時折、供も連れずに街へ出てしまう。)
「奥におられます。……ただ、今はお客様が見えておられますが」
「客? ……ジェイドか」
皇帝に
「じゃあ、入るのはまずいか?」
目をかけてもらっているとはいえ、友人同士の会話に割り込むのは流石に無粋だろう。
「いえ、ガイラルディア様がお見えになったらお通しするようにと言われております」
「ふーん? ……ま、なら、遠慮なく」
ガイは奥の間のドアをノックした。「ガイラルディアです、陛下」と告げる。「入れ」という返事を待って扉を押し開けた。
予想通り、中でピオニーと向かい合っていたのはジェイドだった。相変わらずのマルクト軍の軍服姿で、譜眼の暴走を抑える眼鏡をかけている。これも譜眼の効果なのか、既に四十の大台に乗ったはずだが、白い顔は年齢不詳だ。
「久しぶりですね、ガイ。元気そうで何よりです」
「ああ、あんたもな。……で、何かあったのか」
「相変わらず察しがいいな、ガイラルディア。その通りだ」
いつもの鷹揚な口調でピオニーが告げる。彼は大きなクッションに寄りかかって床に座り込んでおり、一頭のブウサギを大事そうに撫でていた。ジェイドとガイはその前に立っていて、彼を見下ろすような具合になっている。なんだかおかしな感じだが、ピオニーがその立ち位置を希望しているのだから仕方がない。
「実は、レプリカ自治区のレプリカたちに関して不穏な噂があってな」
「レムの村の? 一体、どんな噂ですか」
「レプリカたちが反乱を企てている、というのです」
ジェイドが放った言葉に、口がぽかんと開いた。
「レプリカたちが反乱……だって? まさか!」
五年前、世界をレプリカと摩り替えようとしたヴァン――そして彼に乗せられたモースの手によって大量に生み出されたレプリカたちは、その半数以上が障気と共に消滅したものの、残りはレムの塔のある孤島に作られた集落に暮らしている。今、そこは自治区として認められているのだが、自治など名目上だけ、マルクト・キムラスカ国によって保護され養われているというのが実態だ。彼らは生まれて数年しか経たない子供に過ぎない。言われたとおりに動き身の回りの始末をすることくらいは出来るが、自我に乏しい。そんな彼らが反乱を起こすなど、考えられないではないか。
「だがな、子供だってことは、周りに操作されやすいってことだ」
ピオニーが言った。
「誰かが……彼らを
確かに、以前からそんな傾向はあった。精神的に未熟なレプリカは、他人に利用されやすい。よって、レプリカに無償の重労働を行わせる者、違法行為を代行させようとする者は後を絶たず、最終的に、レプリカたちを自治区に隔離するしかなかったのだ。
「レムの村に見慣れぬ男が現われたという噂がある。その男を中心にしてレプリカたちに今までにない動きが見えると言うのだが……。しかしな、その男は、レプリカなのだそうだ」
「レプリカ? オリジナルではなく?」
「本当にそうなのかは、まだ分かりません。ですが……もう、彼らが生まれて五年が経ったのです。レプリカたちが自我をもち、自ら動き出したとしてもおかしなことではないのかもしれません」
「……そう、か。そうだな……」
世の大半の人間にとって、未だ、レプリカは死んだ目をした不気味な人間モドキに過ぎないのだろう。だが、ガイたちは知っていた。レプリカもまたオリジナルとなんら変わらぬ人間であることを。彼らは成長し、変わることが出来るのだ。
「しかし……だとすれば、俺たちはどうすればいいんだ?」
「彼らは武器を持たないはずです。
「うむ。まずはそちらを抑えないとマズいか。レプリカ自治区側にもこちらから使者を送って、様子を見させた方がいいな」
と、ピオニーが言いかけていた時だった。扉の向こうでなにやら早口に言い合う声が聞こえ、勢いよく扉が開く。
「陛下っ!」
声と共に、一人の少女――実際にはそろそろ女性と呼ぶべき年齢だが、小柄であるため少女の印象が強い――が駆け込んできた。勢いあまって床に散らばっていたガラクタにつまずき、ピオニーの懐に飛び込む格好になる。プギー、とブウサギが鳴いて部屋の隅に逃げた。
「待って、アニス。ノックもしないで入っては失礼よ」
半ば慌て、半ばたしなめながら、続いて灰褐色の長い髪を垂らした女性が入ってくる。二人の女は共に
「おー、ティア。久しぶりだな。するとこっちは……アニスか! ほう、立派になったなー。うんうん、この感触、大したもんだ。約束どおり俺と付き合うか? ん?」
「そんなことよりっ! フローリアンを探して!」
自分の置かれたセクハラすれすれの状態など意にも介さずに、アニスは叫んだ。ピオニーは目を瞬かせる。
「ちょっと待て。何がどうした?」
「落ち着きなさい、アニス。――ピオニー陛下、お久しぶりです。突然押しかけて申し訳ありません」
「いや、そういうことはいい。フローリアン……というのは、確か導師のレプリカだったな。彼がどうかしたのか?」
「いなくなっちゃったのよ! もう一週間も帰って来ないの!」
「なんだって?」
それまで唖然としていたガイが言った。ジェイドが目を光らせる。
「一体どういうことですか?」
「私もアニスから聞いた話なのですが……一週間前、フローリアンを誰かが訪ねて来たそうなんです。使いをした者の話によれば、確かに二人で懺悔室に入ったそうなんですが」
教団本部には、悩みを抱えた信者が教団員にそれを訴えるための個室がある。そこで打ち明けられた悩みは他に漏らされない、というのが決まりだ。
「でも、それから消えちゃったの!」
アニスが異変に気付いたのは、その日、夜も更けてからだった。彼の姿が見えない。まずは両親と共に教団本部内を探し、次に部下を使ってダアト内を探させた。が、見つからない。そこで翌朝、現在は
以前は、神託の盾騎士団は軍扱いされず、他国へ自由に出入りできるものだったのだが。
「確かに……。かつてヴァンに率いられた神託の盾兵たちが世界各地で引き起こした騒動と殺戮は、未だ記憶に新しい。いくら目的が人探しであり、神託の盾の規模が往時の半分ほどに弱体化していようとも、下手をすれば国際問題になりますね」
「ですから、ここに参ったんです。できれば陛下に捜索の協力をお願いできないかと」
キムラスカにも後で向かうつもりですが……とティアが言う。アニスがピオニーにしがみついたまま、「フローリアンを探して!」と泣きかけの顔で訴えた。
「よーしよしアニス、落ち着けよ。……ジェイド」
「はい」
頷き、ジェイドはピオニーの個室の扉を守る兵に近付く。なにやら指示を出すと、兵はすぐに敬礼して駆け出して行った。
「マルクト国内はくまなく探させる。……安心しろ」
「あ、ありがとうございます!」
アニスは顔を輝かせ、それからようやく自分の取っている行動に気がついたらしい。赤面して離れた。
「それにしても……その、フローリアンに会いに来たっていうのはどんなやつだったんだ? まさか、そいつが彼を連れ去ったってわけじゃないよな」
ガイが言う。
「分かんないよ。でも、呼びに来た教団員の話だと、フローリアンの知り合いだったらしいって……」
「知り合い……? 一体誰なんです」
「だから、分かりませんってば。そいつ、頭からすっぽりフードを被ってて顔は見てないっていうから。でも、フローリアンはそいつの顔を見て、すごく驚いてたって。『あなたは……まさか、戻ってきたんですか!』って言って」
「戻って、来た……?」
「どういう意味なんだ」
ジェイドとガイは首をひねる。ピオニーが言った。
「ま、それは俺たちがここで推測したところで分からんが……別段、無理やり連れ去られたような跡はなかったんだろう? なら、自分で付いていったのかもしれんな。相手が知り合いだったというなら」
「でも陛下、彼がアニスにも黙って出て行くなんて……」
「ま、そうだな。俺はフローリアンのことをよく知らんから、断言は出来ん。が……少々気になることがある」
「何がですか!?」
「落ち着け、アニス。……彼がいなくなったのは一週間前という話だったろう。レプリカ自治区の異変がハッキリしてきたのも、その頃からなんだ」
「え?」と、ガイが眉をひそめる。アニスは話が見えずに「どういうことですか」と瞳を不安に曇らせた。ティアが言う。
「レプリカ自治区に不穏な動きがあるということはこちらも察知しています。……まさか、その騒動を起こしているのがフローリアンだと?」
「分からん。まぁ、動き自体はそれ以前からあったし、フローリアンに会いにきたっていう男の方がむしろ怪しいだろう。な、ジェイド」
「そうですね。フローリアンの性格からして無為に人を扇動するようには思えません。……しかし、純粋であるということは、時に愚かさをもはらんでしまう」
なんとなく沈黙が落ちた。厭な沈黙だ。
かつて、純粋で愚かな子供が一つの都市を崩落させたことを、彼らはよく知っていた。
「……陛下。先程の、レプリカ自治区への使いの件。俺に任せてはもらえませんか」
口を開いたのはガイだった。
「なんだか、厭な予感がする」
「ふん。そうか、ならばお前に任せよう、ガイラルディア」
「私も行く!」
アニスが叫んだ。
「だって、そこにフローリアンがいるかもしれないんでしょう?」
ティアも続いて言う。
「私も同行させてください、陛下。フローリアンは私にとっても大切な友人です。彼を放っておくことは出来ません」
「よしよし、構わんぞ。美人の頼みは聞いてやる。……で、ジェイド。お前も行くんだな?」
「ええ。……レプリカの件は私に無関係のことではありません。行きましょう」
ジェイドは頷いた。ピオニーは立ち上がり、全員を見回す。
「ウチのアルビオールを貸してやる。頼んだぞ、お前たち!」
はい、と全員が頷く。数年ぶりに肩を並べて、彼らは歩き始めた。
かつて、キムラスカ王国領シェリダンに二機のみ存在していた飛晃艇アルビオールは、いまや量産化に成功し、世界各地に販売されている。といっても一機の値段は陸上装甲艦を凌ぐほどであり、個人ではまず手が出ない。そのうえ大型化は未だ為し得ていないので、少人数の輸送の役にしか立ちはしない。
にもかかわらずピオニーがこれを購入したのは、ジェイドたちから飛晃艇の便利さをたっぷりと聞かされ、今後の国際活動に必須のものだと判断したから……というのは確かだが、無類の音機関好きである、目下皇帝陛下お気に入りのおもちゃ……もとい、寵臣たるガルディオス伯爵のためでもあるかもしれない……とは、ジェイドが密かに思っているところである。
実際、彼は自らアルビオールを操縦してしまうほどの熱の入りぶりだ。……単に便利屋としての己の機能を強化しただけなのかもしれないが。おかげで、皇帝が公務で出かける際には、大抵操縦士の役を仰せつかってしまっている。
「このメンバーで旅をするのって、久しぶりだね」
アルビオールの座席について、懐かしそうにアニスが言った。
「そういえばそうね」
「ええ。……三年ぶり、でしょうか? タタル渓谷へ行ったのが最後でしょう」
「……そうだったな」
ティア、ジェイド、そして操縦席のガイが応える。
「ねえ、ついでだから先にバチカルへ行かない? アルビオールならひとっ飛びでしょ。アッシュとナタリアにも協力してもらおうよ」
「……いや。あいつら もうじき婚礼で、色々気ぜわしいだろ。邪魔するような無粋な真似をするのはどうかね」
「あ、そっか……。そうだよね」
納得して口をつぐんだアニスの向こうから、ジェイドは黙って操縦用の音機関を立ち上げていくガイを見つめていた。
(まだ、わだかまりが解けないのですかね……)
三年前のアッシュの成人の儀以来、ガイが一度もバチカルへ出向いていないことは知っていた。腕を組んで軽く息をつくと、隣のティアとふと視線が合う。
「時が癒してくるのを待つしか……ないんでしょうね」
同じことを考えていたらしい。そうですね、と苦笑した。