歌う首



 森は深く、清涼な空気が漂っていた。

 枝葉の隙間から差し込んだ日差しが、乾いた土の道に黒々とした葉群れの影を染め付けている。

 人通りはない。僅かにくねりはしているものの、概ね真っ直ぐに伸びている、狭い道。

 その先に、それはごろりと転がっていた。

 

 ――首。

 

 地面に転がった形のまま硬直したらしく、全体に微妙にひしゃげて見える。

 長い髪は薄く白く、脂じみてぺたりと頭に貼りついている。噛み締めた歯を剥き出し、閉じた目は無数の皺の中に埋もれていた。

 胴体は見当たらなかった。魔物にでも食い散らかされたか。近年は魔物達も比較的大人しく、こんな様の死体を見かけるのは珍しい。

「不運だったな、婆さん」

 暇な人間なら弔ってやるところかもしれないが、生憎彼は暇でも慈悲深くもない。

 老婆の物らしいその首に一声かけて、そのまま脇を通り抜けようとした。

 ――が。

「お待ちよ」

 声がした。しわがれた、老婆の声。

 見れば、固く閉じられていた首の双眸がぎょろりと見開かれている。

「――生きてるのか」

「……なんだ、つまらないねぇ。もっと、わぁとかきゃあとか言って腰を抜かしてみせても罰は当たらないのに」

 硬直していたように見えて、首の舌の回りは滑らかだった。

「お前は、何だ?」

 彼は問うた。

 長年旅を続けてきた彼にとっても、こんなモノに出会うのは始めてのことだったので。

「見ての通りだよ。――それより、さぁ、早くしておくれ」

「はぁ?」

「はぁ、じゃないよ。私を抱えて運んでおくれと言ってるんだ。私は一人じゃろくろく動けないんだからね」

「なんで俺がそんなことしなくちゃならないんだ?」

「いい若いモンが年寄りに親切にするのに、理由なんていらないだろ。あー、ほら、ぐずぐずするんじゃない。早くおしよ! ほんっとにグズだねぇ」

「あ、あのなぁ……。チッ……」

 声に耐え兼ねたように、彼は老婆の首を抱えあげた。ずしりと重い。

「言っておくが、俺も用事があるんだからな。大しては面倒みれんぞ」

「何情けないことを言ってるんだい、乗りかかった船、って言葉があるだろ。さぁ行った行った」

 いつにも増してむっつりと眉間の皺を深くしたものの、彼は、老婆の首を抱えて歩き出した。

 

 

 暫く進むと木はまばらになって開け、崖道のような所に出た。

「やれ、疲れたね。そろそろ休んでお昼でも食べないかい」

 老婆の首が言った。

「疲れたのは俺だけだと思うが……」

 彼は口の中でぶつぶつと言ったものの、一息いれたいのは確かだったので、側の岩に腰を下ろして、持っていた食料をそこに広げた。

 すると、崖の上の方から誰かが歌いながら転がってきた。

 

  お酒を一口

  パンを一切れ

  チーズもちょうだい

  わたし

  とってもひもじいの

 

 またも、首だった。

 ただ、若い。――あくまで、老婆に比べると、だが。

「……生首のくせに、食べるのか?」

 興味を引かれて与えると、女の首はぱくぱくと食べて飲み込む。嚥下されたものはどこへ消えているのやら。見ていてもよく分からない。

「私にも食べさせておくれ」

 老婆の首が喚いている。

 結局、一日分の食料を一回の食事でなくしてしまった。

「かなりの予定狂いだぜ……」

「何不景気な顔で考え込んでるんだい。それより、腹ごしらえも済んだし、私達を運んでおくれよ」

 老婆の首が言った。

「……ちょっと待て! 私達だぁ? まさか、そっちの首も運べと言うのか?」

「当たり前じゃないか」「さぁ、運んでくださいな」

 二つの首は口々に言った。

「いや、だがな……。何で俺が」

「ごちゃごちゃうるさいね。いいから、さっさと運ぶんだよ」「早く行きましょう」

 首はわぁわぁと急き立てている。

「………」

 結局、彼は二つの首を抱えた。

 首だけと言えども、かしましい女の口には逆らいがたいものらしい。

 

 

 崖道を登っていくと、行く手は刺の生えた薮に阻まれていた。そのままでは通れそうにはない。

「チッ……」

 魔剣を呼び出して薮を切り払うしかないか。

 だが、彼が両手を開けるために二つの首を地面に置くより早く。

「待って、待って!」

 叫ぶと、首が声を揃えて歌い始めた。

 

  開け 開け 道よ

  旅人のために

  家路を急ぐ者のために

  開け 開け

 

 すると、本当に薮が左右に開き、道を開けた。

 思わず、彼は小さく口笛を鳴らした。

「さぁ、行きましょう」「早くおし!」

「へいへい」

 開いた道を首を抱えて歩いていく。

「そういえば、こんな昔話があったな……。とすれば、この先にいるのは眠れる美女か?」

 そんな軽口を叩いてみたが、首が答えを返してくるわけではない。

 道は再び森に戻り、木々の間を縫いはじめる。

 遠くから、甲高い声で誰かが叫んでいるのが聞こえた。

 

  助けて 重いよ

  裂ける 折れちゃう

  揺らして

  木の実を落として

 

 遠目にも判るほどの大きな丸く枝を広げた木があって、その枝にみっしりと、りんごのような黄金の果実が実っている。鈴なりの果実は枝にかなりの負担を強いているらしく、枝々は今にも折れそうにしなだれていた。

 今度こそ、彼は二つの首を地面に置いた。掌の中から魔剣を呼び出す。

「はぁああああああっ……………闇の剣よ、切り裂けぇっ!!」

 振り切られた剣先が生み出した風が、一瞬で全ての果実を枝から切り離した。

 山のような果実は地面に落ちると、途端に白い鳩のような鳥に変わって、そのまま一斉に舞い上がった。

 羽音が、雨のそれのように降り注ぎ、抜け落ちたわずかな羽毛が舞い飛ぶ。

 黄金の果実は、ひとつもそこに残らなかった。

 ――いや。一つだけ、飛び去らずに転がっている。

「……おい」

 首だった。ずいぶん若い。――なにしろ、幼女と言っていいほどだ。

「体もなければ美女でもないな。って……まさか、こいつも一緒に運べって言うのか?」

「当たり前でしょう」「そんな小さな子を残していくなんて言わないだろうね?」

 老婆と女の首が言う。

「……やっぱりな。だが、はっきりいって一度に三つも首は運べんぞ」

 いくらなんでも、と言うと、二つの首がギャーギャー言い始め、ついでに幼女の首がわぁわぁと泣き喚いた。

「だぁああっ、うるさい、騒ぐなっ!」

 両耳を塞いで、彼は自分も怒鳴った。

「チッ……仕方ない!」

 彼は、羽織っていた黒いマントを外してバサリと地面に広げた。その中に、三つの首を放り込む。そのまま緩く包んで背中に斜めにひっかけた。

「ひどい!」「なんて乱暴なの」「うわぁあああん!」

 ごつごつとぶつかり合い、首達は口々に喚いていたが、しょうがない。

「こうでもしなけりゃ、三つ一緒に運べないだろうが! それとも、ここに放り出されたいのか?」

 空間圧縮の魔法のかかっている道具袋に入れればかさは抑えられるが、それはちょっと嫌な気がした。いかな彼でも、流石に、食料と生首(しかも生きている)を一緒に運びたくはない。

 

 

 暫く行くと、道は小さな洞窟をくぐった。そこを抜けると、隠れ家のようにこぢんまりとした美しい場所に出た。

 僅かに開けていて、四方を木立に囲まれ、中央には泉がこんこんと澄んだ水を湧き出させている。

「ここ、か……?」

 担いだ包みの中で、もぞもぞと首達が騒いだ。

「ここよ、ここよ」「早く降ろして!」

「お前たちもここに来たかったのか?」

 解いたマントの中から転がり出した首達は口々に「そうよ」と言った。

「やっと着いたわ」

「さぁ、それじゃ私達を洗って」

「奇麗に拭いて」

「金の櫛で髪をくしけずって」

「……な!?」

「「「早く!!」」」

「くっ……」

 俺はお前らの召し使いじゃねぇ、と言いたい気持ちはかなりあったが、ここまで付き合ったのである。その程度のことはしてやってもまだ我慢は出来るか、と思い直した。

 彼は首達を泉に漬けると、ごしごしと洗った。それから、引き上げて拭こうとしたが、手拭いも何もない。それで、マントでワシワシと拭いた。

「ちょいと、このマントはちゃんと洗ってるんだろうねぇ!?」

「痛い、痛いよ。もっと優しく!」

「うるせぇ!」

 そして三つの首を洗って拭き上げたが、そこで首達が言った。

「さぁ、私達の髪をとかして」「金の櫛でくしけずって」

「って言われてもな……。俺は金の櫛なんて持ってないぜ」

「櫛は、あそこにある」

 首達は泉を視線で指して言った。

 見れば、泉の中央に平らの岩が沈んでいて、その上に水に浅く浸かって、キラキラと金色に光るものがある。

「タオルはなくとも、櫛は自前のがあるってわけか」

 やれやれ、と肩をすくめ、彼は泉の中に踏み込んだ。深さはさしてない。せいぜい膝くらいまでだ。

 そうして、平らな岩の上の櫛を拾い上げると、ざぁっと泉の上に波紋が走った。

 中央の岩から丸く波が四方に走り、岸にぶつかって跳ね上がると、波涛の一つ一つが銀に輝く獣に変わった。牙を剥き出した魚や、魚のひれを持つ水馬に。そのまま、波の勢いのままに、中央の彼に向けて押し寄せようとする。

「――ダイヤモンドダスト!」

 一瞥しただけで彼の手が閃き、魔力によって冷気が放たれた。

 波から生まれた獣たちは一瞬で凍り付き、澄んだ音をたてて砕け落ちた。元の水に戻ってしまう。泉は、再び静まり返った。

「櫛ひとつに物騒な泥棒除けだな」

 ざぶざぶと水を蹴立てて岸に戻ると、彼はひとつずつ首をひっ掴んで、乱暴に髪をとかした。

「ほら、済んだぞ」

 そろそろ、だいぶ忍耐力も摩耗してきたらしい。あぐらをかいたまま、苛立ちを隠さない口調でそう言うと、並べられた三つの首はこそこそと顔を寄せ合って話し始めた。

「どう思う?」

「まぁ、合格じゃないかい?」

「なかなかいい男ですしねぇ。目付きは悪いけど」

「でも、乱暴だわ!」

「それもそうだねぇ……マントで運ぶのは、年寄りにはきつかったね」

「それに、マントで顔を拭くのもあんまりですね」

「力まかせに髪をとかれて、抜けるかと思ったわ。レディに対する態度じゃないわよ」

 うんうん、と首は頷きあっている。

「勝手なことぬかすな! 大体、俺は生首を女扱いしてへらへらするようなヘンタイじゃねぇ!」

 ばん、と彼が地面を叩いて怒鳴ると、首達はきゃあきゃあ言いながら転がって泉の中に飛び込んだ。途端に、それぞれが金の魚に変わり、すうっと泳いでいく。そして三匹で輪を描いてくるりと回ると、輪の中からごぼごぼと泡が沸き上がり、光がほとばしった。

 ほとばしった光は人型になり、高く立ち昇る。それは長い髪を垂らしローブを纏った、女の姿をしていた。

「――お前は? お前がここの本物のヌシか」

 立ち上がり、その巨大な姿を見上げて彼は言った。

 ――そうです。ヌシという呼称にはやや不足がありますが……。

 不思議に響く声で、女は言った。

 美しい姿だが、その両眼に虹彩はない。故に、彫像めいた硬質感と微かな不気味さがある。

 ――私は、この泉を守るいにしえのモノ。あなたは、ここがどんな場所か知っていて訪れたのですね。

「当然だ」

 彼は言った。

「この泉の存在は、古い伝承に謳われていた。探し当てるのに苦労したが……」

 ――私達いにしえのモノは、既に世界に忘れられかけ、忘却の淵にある。それでも信じて訪ねてくる者は、よほど純粋か、並外れて欲が深いのか……。あなたは、私を探し当てて、何を望むのです?

「決まっている。――俺に、魔力をよこせ!」

 彼は言った。このうえなく直裁ストレートだ。

「ここは、全能の魔力を与える泉なのだろう?」

 ――その通りです。

 女は暫し目を閉じた。

 ――いいでしょう。でも、その代わり、あなたはそれに見合うだけの代償を払わなければなりませんよ。

「なに?」

 ――何一つ失わずに手に入れられるものなど、ありません。

「……そりゃ、真理だな」

 ――得たいものと等価だとあなた自身が思うものとひきかえに、あなたの望むものを与えましょう。

「魔力と……”力”と、等価のもの……?」

 彼は考え込んだ。それは、かなり長い間になった。

 ――そろそろ、決まりましたか?

 女が問うた。

「……参考までに訊くが、他のやつは何を差し出したんだ?」

 今までにもここに来た奴はいるんだろう、と彼は女を見上げる。

 ――そうですね、色々です。手足や目や耳や……自分の肉体の一部や能力を差し出した人もいましたし、愛していた人や可愛がっていた獣の命を差し出した人もいます。持っていた財産の全てをこの泉に沈めた人もいましたよ。

「……そりゃ、豪儀だな」

 ――あなたは、何にしますか?

「……まいったな」

 彼は肩を竦めた。

「さっきから考えてたんだがな。俺は、何も持っていない」

 女は黙って彼を見つめている。

「俺が持っているものは、俺自身と、力。――この二つだけだ。魔力を得るのに力を失っては無意味だし、俺自身がなくなれば、まさに本末転倒ってやつだろう」

 ――では、交換条件は成り立ちませんね。諦めますか?

「……いや」

 ――でも、何も差し出せるものがないのでしょう?

「確かにな。だが、正攻法が無理なら、………奪えばいい!」

 差し伸ばした掌の中から魔剣を呼び出し、刹那の動作で彼は目の前の女をなぎ払った。硬い、けれど半端な手応えがあり、ぱしゃあああん、と水音をたてて光の女は飛散した。剣を介して魔力を吸い取るいとまもない。辺り一面が光る水に覆われた。

「なんだ!?」

 周囲に気配があるような、ないような。彼は周囲に視線を走らせる。

 誰かが声を合わせて歌っているのが聞こえてきた。

 

  トララ トラララ

  燃えよランタン

  太陽も星も月も

  トララ ラララララ

 

 気が付けば、周囲の輝く水は炎になっていた。白銀に輝く炎は触れても熱くはない。――それどころか、彼自身の手も白銀の炎に包まれている。

「俺も、燃えてるのか……?」

 最も光から遠い存在であるべき自分が、こうして明るく燃えているなんて……。

 まったく、奇妙なことだ。

 そう、彼は思う。

「ああ、ああ、乱暴だね。欲張りすぎるとロクなことにはならないよ。全部台無しじゃないか」

 老婆の声がした。

「でも、せっかく私達をここまで運んでもらったのだから、その代償に、なにかちょっとした贈り物くらいしてあげようかね」

「そうですね、それがいいでしょう」

 全く別の方から女の声がした。

「……では、私は天の運をあげよう。この先、あんたにはいよいよロクでもない運命が待ってる。それをどうにか切り抜けていけるだけの運を」

「おい……」

「じゃ、私は地の運をあげましょう。あなたはこの先、様々な人に出会う。良い縁にも、悪縁にも恵まれるように」

「待て。俺は独りでやって行く。縁などいらんわっ」

 思わず、彼は叫んだ。すると、また別の方から幼い少女の声がした。

「それじゃあ、私は迷いの縁をあげるね。あなたは、この先良きにしろ悪きにしろ、誰かに出会う。そしてヘンタイ呼ばわりされるでしょう」

「なんっじゃそりゃあぁ!」

 女達の声は四方から響き、けらけらと笑っている。そして、バチッ、と電気のようなものが弾けた。

 

 

 彼は我に返った。

 寝ていたつもりも気を飛ばしていたつもりもない。だから我に返った、というのもおかしなことなのだが、そうとしか表現しようがなかった。いうならば、白昼夢から醒めたという案配だ。思わず自分の手を見たが、先程まであれほど明るく覆って揺らめいていた白銀の炎は見えなかった。

 そこは、相変らず泉のほとりだった。

 だが、水はない。いつのまにか泉は涸れていた。

 そして、三つの首も、光る女もいなかった。

 涸れた泉の中央には、相変らず、平べったい岩が静かに鎮座している。

 彼は、暫くそれを見ていたが、おもむろにそこまで歩いていった。水がないので、いよいよ何に脅かされるということもない。そして、岩の周囲の土を掘り始めた。

 長い長い時間をかけて、彼は岩を掘った。そして、魔剣を岩の下の隙間に差し込んで、てこのようにして岩を押し上げた。

「くっ……」

 かなり持ち上がったところで、片足で押しやった。岩はごろんと、地響きを立てて向こうに転がる。

 彼は、岩のあった場所を覗き込んだ。

 光を反射して、金色に輝くものがある。

 それは、例の櫛だった。複雑に何かの文様が彫り込んである。精緻な細工ものだが、真っ二つに折れていた。まるで、刃物ででも断ち切ったように。これでは、売り物にもならないだろう。

 彼は、黙ってその櫛に手をかざした。目を閉じて、暫しそうしている。

「……もぬけの空、か」

 呟いた。息を吐いて手を下ろす。

 ここに宿っていた何かは、拠り所を失ってどこかに去ってしまったものらしい。

「チッ……。また無駄骨かよ」

 うんざりしたように彼はその場に座り込んだ。

 見上げた視線の先、木々の梢の間を、鳥が鳴きかわしながら飛んでいく。

 暫く、彼はそれを見ていた。

 それから、彼は立ち上がると放り投げてあったマントをはたいて肩にかけなおした。そして、小さな洞窟を抜けて森の道を通り、またどこかに向かって歩いていった。




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蛇足



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