初夏の青




 緑の匂いがしていた。日差しは地面にくっきりと枝葉の影を落としていたが、影の中は涼しく、むっとするような草いきれもまだない。自在に駆け回る風が、高まり始めた熱気より未だまさっている。

 始まったばかりの、青い夏。

 

「シェゾ、ほら、そっちそっち! そっちの枝に二個ついてるよ」

「あぁ? どこだよ。……ったく」

 ぶつぶつ言いながら、しがみついた幹から手を伸ばす。細かい枝に顔や手を引っかかれながら、ようやく指先に触れたそれは、何とか取ろうと力を込めた途端、ころりと眼下へ転げ落ちていった。

「おっとっと………やったぁ!」

 ポスリと小さな音がして、木の下で待ち構えていた容器が、上手くそれを受け止めたのが判る。見下ろすと、青い実を半ば以上まで溜めたバケツを抱えた少女――アルル・ナジャが、実に溌剌とした表情でこちらを見上げていた。

 ………なんとなく、カンにさわる。

「おい、一体いつまでこんなことをしてなきゃならないんだ?」

 できるかぎりしかめつらしい表情を意識しつつ、シェゾ・ウィグィィは言った。

「まだだよ。だって全部取れてないじゃない」

「って……この木の実を全部取る気なのか!?」

「そうだよ」

「………」

 思えば、今から数ヶ月前。春まだ浅い日に、この梅とかいう木の実を収穫する約束をさせられたのがまずかった。その場の口約束、守る義理はないとも言えるが、このアルルという少女にそれは通用しない。しかも案外執念深いので、約束を破れば、それをネタに死ぬまで何やら言われそうな気もする。

 ……いや、昨日たまたまアルルと顔を合わせなかったら、忘れたふりをするのも可能だったかもしれなかったが。当然のように「明日、梅の実を取るからね」と告げられ、ついでに、その後挑んだ勝負でこれまた敗退してしまったわけで。……これでは知らぬ顔もできない。癪に障って仕方がないが、重なった敗北分のペナルティである以上、逃げ出すのはもっと癪に障った。

 ――しかし、いつまで続くんだこの作業は……。

 こと魔導に関すること以外では根気というものに乏しい闇の魔導師は、うんざりと梅の巨木の枝々を眺めた。

 作業量自体はたいしたことがないのかもしれない。だが、実はこの巨木の枝に付いている。高いところ――足場の悪いところのものを取るのは大変に骨が折れる。浮遊の魔法レビテーションを駆使して枝を渡るにしても、地面の上を歩くようにはいかないし、なにより、トゲさえ持つ細かい枝葉に遮られ、なかなか思うようにいかない。肌は引っ掻き傷だらけ、服もほつれだらけである。特にマントが引っかかりまくるのには難儀して、早々に外して地面に放り投げてしまった。――好きこのんでこんな作業をするわけではない、とわずかばかりの反抗心で普段着のまま作業に挑んだのだが、マントを投げた時点で、つまらない意地だったと認めている。

 ――もっと効率よくいかないものか?

 シェゾは、浮遊をといて地面に降りた。

「シェゾ?」

「まだるっこしい。――見てろ」

 てのひらの中から魔剣を呼び出す。

「闇の剣よ……切り裂けっ!」

 剣一閃で、ごおっと衝撃波が走った。嵐に巻き込まれたように巨木が揺れ、雨あられと青い実が降り注いだ。――ついでに葉や細い枝、それ以外のものなんかも。

「ふっ……。見たか!」

「なにするんだよ、キミはっ」「でっ!?」

 勝ち誇ったシェゾの背中を、後ろからべちりとアルルがどついた。

「仕事が雑なんだから。実にあんまり傷がつき過ぎちゃったら腐り易くなるんだよ」

「………」

 不満一杯に振りかえった目に、両手を腰に当て、昂然とこちらを見上げている少女の姿が映った。――ただし、その頭から服から、降り注いだ葉っぱや小枝、その他のものにすっかり汚染されていたが。

「……アルル。お前、肩に毛虫が付いてるぞ」

「えっ!? きゃっ、やだっ、取ってぇえ!!」

 悲鳴を上げ、アルルはじたばたと暴れた。

「ほら、取れたぞ」

 払い落としてやると、ようやく止まる。

「あ、ありがと……」

「ふっ……」

「な……何笑ってるのよ」

「いや。お前でも、毛虫一匹が怖いのかと思ってな。魔物どもと対等以上に渡り合うお前が。可愛いところがあるではないか」

「い、今のはビックリしただけだよっ。毛虫くらい、へっちゃらなんだから」

「お、まだついてる」

「うそっ。いやぁああ!」

「ウソだ」

「――……シェゾぉおおおおお〜〜〜!!」

「わっ、おい、やめろっ」

 怖い形相になった少女に追いかけられ、シェゾはちょっと逃げた。我ながら何やってるのだろうとは思うが。

 ややあって、アルルが息を切らせて立ち止まり。

「もーっ。……いいや。早く落ちた梅を拾っちゃお」

「追いかけてきたのはお前の方だろうが」

「いーっだ! えっと、バケツ、バケツは……あれ?」

 梅を溜めるためのバケツを見つけて、アルルは目を丸くする。半ば以上まで溜まっていたはずの梅の実が、ない。すっからかんだ。

 キョロキョロと見回した視線の先に、その回答たる情景が映った。

「カ、カーくん!!」

 カーバンクルが、集めてあった梅の実を、その容器のたらいごと舌に巻き取り、ひっくり返してザーッと口の中に空けている。最後にたらいも口に入れて、ぐむぐむと咀嚼。

「あっ……あぁあああああー!!」

「こ、こいつ……! 人が苦労して取った物をっ」

 と、シェゾが拳を握って言いかけた隣で、アルルが叫んだ。

「ダメだよカーくんっ、青い梅食べちゃっ。それはまだ食べられないんだよ!」

「おい……(そこが怒りどころなのかよ?)」

 アルルはカーバンクルの元へ走ると、片足をつかんで逆さ吊りにし、パンパンと背中を叩いた。常ならぬ行動に、シェゾは少なからずぎょっとする。

「ペッして。カーくん、ペーッしなさい!」

「ぐっ、ぐーっ」

 もう消化してしまったのか、いくら叩かれてもカーバンクルは鳴くばかりで何も吐き出さない。

「お、おい。なにもそこまですることないだろ。もう食っちまったものは仕方がないし……」

「仕方ないワケないでしょ!」

 キッとアルルに睨まれ、シェゾは、今度こそ本気でぎょっとした。アルルの大きな目一杯に涙が溢れていたので。

「だって、青い梅を食べたら…………死んじゃうんだからぁっ!!」

 わぁっ、とアルルは両手で顔を覆って泣き崩れた。

「何? これは毒の実なのか!?」

 拾い上げた実を見やって、一瞬、シェゾは焦る。

「加工したり熟したりすれば平気だけど……青い実を食べたら死んじゃうこともあるって、おばあちゃんが……。タメちゃんだってそれで死んだって」

「タメちゃん? 誰だそれは」

「おばあちゃんの幼なじみの妹」

「………」

「だから、青い梅の実はぜったい食べちゃいけませんって言われてたのに……カーくん……っ」

「まぁ……大丈夫だろ。カーバンクルなら」

「そんなこと言って! もしカーくんがどうにかなっちゃったらどうするの!? シェゾはカーくんが心配じゃないの? 本当に冷たいんだねっ」

「あのなぁ。俺に当たったって仕方がないだろうが。……そんなに心配なら、とりあえず解毒魔法ピュリファでもかけとけ」

「そ、そうか……。カーくん、今すぐ助けてあげるからね。カーくん? ……あ、あれ? カーくん、どこ行ったの!?」

 カーバンクルは、いなかった。

 いつもの気まぐれか、それとも、取り乱したアルルに恐れをなしたのだろうか?

「カーくぅううん! あぁ……どーしよぉお。カーくんが……カーくんがいなくなっちゃったよう。一刻も早く解毒しないといけないのにっ」

 頭を抱えてアルルは叫ぶ。その脳裏には、様々な不吉な情景が流れ過ぎている模様である。

「自分で歩いてどこかに行ったんだから、心配することはないんじゃないか?」

「何言ってるんだよ! もし、誰もいないところで毒が回って倒れたりしたら……」

 誰にも知られぬまま、青ざめて地面に転がるカーバンクルの姿がありありと浮かび、アルルの目から更に涙が溢れた。

「探しに行かなくちゃ!」

 涙をぬぐい、彼女はすっくと立ち上がった。

「ボクはあっちを捜すから、キミは向こうをお願い!」

「は? 俺も探すのか?」

「い・い・か・ら!! 捜して!」

「はい……」

 闇の魔導師をひと睨みで調伏すると、魔導師見習いの少女はわき目もふらずに”あっち”へ駆けていった。

 

 

 呆然と見送って、シェゾは考えた。

 ――鉄の鍋やたらいさえ一瞬で消化する、あのカーバンクルだ。梅の毒ごときで死ぬはずもないと思うが。

 せいぜい、腹を壊す程度ではなかろうか?

 まぁ、それだけでも、アルルにとっては一大事なのかもしれないが……。

 ――しかし、アルルのやつ、カーバンクルのことであんなに取り乱すとはな。

 なんとなく、シェゾは肩を落とした。あれではサタンを馬鹿には出来まい。

 アルルとの付き合いは、それなりに長い。ある程度は性格や行動パターンも把握したつもりでいた、のだが。

 ――あいつの新たな面を知ってしまったぜ……。

 人間とは、つくづく、奥が深いものである。

 

 

 

「カーくん……カーくんどこぉ!?」

 アルルは森の中を走りまわっていた。けれど、あの可愛い声も黄色い姿もいっかな見つからない。

「あら、アルル」「どうしたの?」

 はねを生やした小さな少女の姿をした妖精たちが、ふわりふわりと舞い寄って来る。

「ねぇみんな、カーくんを知らない?」

「カーバンクル? あぁ、あのルベルクラクを持つモノね。――見た?」「ううん、私は見てないわ」「私も見てないわよ」

「そう……。ありがとう」

 アルルは沈み込んだ。

 カーバンクルとは、アルルが魔導学校に入学するべくたった独りで故郷を旅立った頃からの付き合いだ。それ以降、どんなときにも一緒に行動してきた。家族であり親友であり、かけがえのないパートナーだ。そんなカーバンクルを失うことにでもなったら……。考えただけでも気が遠くなる。

「元気出して、アルル。私達も捜してあげるから」「森の中でカーバンクルが迷っていたら、私達が案内してあげるからね」

「うん……」

 うな垂れたアルルの回りを飛び回りながら、妖精たちは口々に喋っている。

「この森の中でのことなら、私達に分からないことはないのよ」「そうそう」「建物の中なんかは無理だけどねー」

「建物………。――あっ! サタンの別荘!」

 アルルは声を上げた。この森に、サタンの別荘の一つがあることを思い出したのだ。

「もしかしたら、カーくんはそこにいるのかもしれない」

 そうでないにしても、サタンならきっとカーバンクルの居場所を探してくれるだろう。

「ボク、行ってみるね!」

 妖精たちに手を振ると、アルルは再び駆け出した。

「頑張ってね、アルル」「見つかるといいわね」

「うん!」

 

  

 シェゾは街を歩いていた。

 適度な雑踏の中。あの黄色い怪生物の姿は、どこにも見当たらない。もしやと思い、幾つかの食料品店や旨そうな匂いをあげている屋台も覗いてみたが、どこも被害を受けた様子はなかった。

「ったく……なんで俺がこんなことを……」

 屋台の匂いを嗅いでいると腹が鳴り、今更ながら空腹なのに気付かされた。今日はアルルが”自慢の手料理”とやらをふるまってくれることになっており、多少当てにもして、朝食もたいして食べてこなかったのだ。

 しかし、この調子なら、”手料理”にありつくことは難しそうである。

「はぁ……」

 ――と、不景気な溜息をついた時だった。

「どうした、欠食児童のような顔をして。ビンボーで食えてないのか?」

「――げっ。サタン!」

 ねじくれた二本の角に真紅の瞳。目の前に、この世界を密かに支配する、魔王サタンが立っていた。――昼日中っから。

「なんでお前がここにいる……」

 魔王と言えば、人里離れたダンジョンの奥深く、闇の闇の底にでも潜んでいるのがセオリーなのではなかろうか。

「そんな、蛇かトカゲを見るような目でヒトを見るな。相変らず無礼な奴だ。ま、今日の私は最高に気分がいいから、多少のことは許してやるがな」

 そう言って、大事そうに腕の中のものを抱え直す。

「んっ……!?」

 シェゾははっとした。魔王が腕に抱いている、あの黄色い物体は……。

「ふっふっふ……いいだろうっ。だが、貴様には決して抱かせてやらぬ! もちろん、頬擦りもなでなでもだぁーっ!」

 そう言いながらの魔王の頬擦りに、黄色い物体はピクリとも動かず、なすがままである。毒が回っているのだろうか……?

 ますます眉間に皺を寄せてそれを凝視したシェゾは、あっさりと肩の力を抜いた。

「……なんだ。ただのぬいぐるみではないか」

「そうとも。特注品1/1カーバンクルちゃんぬいぐるみだっ。世界に二つとない逸品だぞ」

「アホらし……」

「なんだとっ!? 貴様、カーバンクルちゃんをバカにする気かぁ! 変態のくせしおって」

「誰が変態だっ! いいトシこいてぬいぐるみに頬擦りしてる奴に言われたくないわ! チッ、どいつもこいつも、カーバンクルのこととなると目の色変えやがって」

 色を変えたサタンに怒鳴り返したところで、ふと、シェゾは思いついた。

 そうだ。こいつなら、カーバンクルの居場所を知っているのではなかろうか?

「おい、サタン。お前はカーバンクルがどこにいるか知っているか?」

 本物のだぞ、と付け加えながら、シェゾは尋ねた。

「ん? カーバンクルちゃんがどうしたというのだ。アルルと一緒にいるのではないか?」

 残念だがな、と小さく呟くサタンに向かい、続ける。

「いや、それが先刻から行方不明に…………ぐぇ!」

 サタンに襟元を掴まれ引き寄せられたので、声が潰れた。

「何ぃいいいいいいいっ、カーバンクルちゃんが行方不明だとぉ!? 一体何があったと言うのだ! さては貴様の仕業か、シェゾ!!」

 シェゾは万力まんりきのようなサタンの腕を振り払った。

「は、放せっ、げほっ。――なんだそれはっ! 俺はただ、アルルに付き合って梅の実を取ってだな……」

「アルルと付き合ってる、だと……!? 貴様ぁっ! よくも我が妃に不埒な手出しを! さては、カーバンクルちゃんを人質に、無理やりアルルに交際を迫ったな! ゆ、許せん!!」

「何故そうなるーーっ!」

 叫んでも無駄だった。こと、カーバンクルとアルルの名が絡むと、サタンの思考力理解力は八割方ダウンする。と、シェゾは改めて実感した。

 魔王の周囲に爆発的な魔力の波動が渦巻き、背後に漆黒の竜の翼が広がった。並の人間なら、この波動を受けただけでも跳ね飛ばされ、腰を抜かし、動けなくなってしまうに違いない。つり上がった双眸が炎のごとく燃えている。

「今日こそは貴様を殺ぉおおおおぉす! サタンブレェーィドッ!!」

「だぁああああっ!?」

 サタンの掌から打ち出されたやいばのごとき波動が、たった今までシェゾの立っていた石畳を紙のように切り裂いた。サタンブレードはサタンの基本技だが、今日の威力は尋常ではない。本気で殺気がこもっている。

 連続的に打ち出されるそれを奇跡的に避けながら、シェゾはなんとか一つの呪文を組み上げて唱えた。

「……イクリプス!」

「ぬっ!」

 イクリプスは、一定時間、物理魔力あらゆる干渉を防ぐ防御魔法である。光も捻じ曲げてしまうので、有効時間中は姿も傍目から見えなくなる。

「どこに隠れた、シェゾ! ――おのれぃ!」

 サタンが吠える。どうやら、シェゾは魔法を目くらましに利用して、本当にどこかに姿を隠したらしかった。それにしてもそう遠くにはいっていないだろうが。イクリプスの有効時間は短い。しかも、イクリプスのかかった状態でテレポートは使えない。万が一テレポートを使ったとしても、その波動や転移先はすぐに知れる。なにせ、相手はこの魔王サタンなのだから。つまり、普通に”足”を使ったというわけだ。

「逃がさんぞ!」

 瞳に執念を燃やし、サタンは叫んだ。

 ……長い一日になりそうである。

 

 

 

「キャッ!」

 どしんと衝撃があって、アルルは尻餅をついた。全力疾走していたまま、何かにぶつかったのだ。幸い、それは固くもなく尖ってもおらず、丸みを帯びた弾力を持つものだったので、痛いとか怪我をしたとかいうことはなかったが。

「なによ、あっぶないわねぇ〜」

「あっ、ルルー」

 尻餅をついたまま、アルルはたった今自分がぶつかったもの――青みがかったロングウェーブの髪をなびかせた美女――を見上げた。こちらは地面に転がっているのに、彼女は微動すらしていない。腰に手を当て、柳の眉をひそめて見下ろしている。背後には牛頭人身の従僕、ミノタウロス。

「いつまでそんな格好で地べたに座ってるのかしら? マヌケな顔して人のことジロジロ見まわして」

「えっ……。ごめん。――って。誰がマヌケなのさ!」

 慌てて足を閉じて座りなおしつつ視線を逸らし、次にムッとして立ちあがる。

 ――つくづく、くるくると全身の表情が動く子よねぇ……。

 妙なところで感心しつつ、ルルーは鷹揚に言葉を続けた。人差し指をアルルの鼻につきつけて。

「あんたよ、あんた。森の中で全力疾走して、人にぶつかって地べたに転んで、パンツ丸見えにしたままボケーっと人を見上げてた、あ・ん・た!」

「ま、丸見えってほどじゃないでしょー! そりゃ、ぶつかったのは悪かったけど……」

 でも、転んだのはボクの方なのにな……と思うと、なんとなくスッキリしない。

「まぁ、あたくしはあんたほど浮ついていないからね。あんた程度にぶつかられたからって、転んで醜態晒したりはしないわ」

 ホホホ、とルルーは笑って胸を逸らした。

「それって、ルルーの体重がボクより重いから、ビクともしないってこと?」

「なぁんですってぇ!?」

「うわあああ!」

 掴みかかろうとするルルーから、すんででアルルは逃れた。

「そ、そ、それより、ルルーはどうしてここにいるの? また修行?」

「違うわよ! サタン様のところへ行ってきたの。おいしいお茶が手に入ったから、一緒に飲みたいと思って。でも、お留守だったわ」

「えっ。そんなぁ……ボクもサタンに会いに行くところだったのに。留守なんだぁ……」

 がっかりしてアルルは言った。それでは、カーバンクルがサタンの別荘にいる可能性は低い。サタンがいなければご馳走もないだろうし。しかも、サタンにカーバンクル探しを手伝ってもらうことも出来ない。

 ――それじゃ、これからどこを探せばいいんだろう。こうしてる間にも、カーくんは梅の毒で苦しんでるかもしれないのに……。

 不安で、胸が痛くなる。

「ちょっと、アルル」

「え? 何、ルルー……って……」

 アルルの表情がこわばった。ルルーの顔と、その周囲の気配が、尋常でない。――怖い。

「ど……どうした、の?」

「アルル……あんた、いつもいつも言ってたわよねぇ。ボクはサタンと結婚する気はない、ぜーんぜん結婚に興味はないって」

「う、うん。そうだけど」

 一体何を言ってるんだろう? と思いながら、恐る恐るうなずく。

「嘘おっしゃい! たった今聞いたわよ、サタン様に会いに行くところだって。それに、サタン様がお留守と判ったときのそのあからさまにガッカリした態度! あんた、やっぱりサタン様を狙ってたのねぇえ!?」

「えぇええぇ!?」

 アルルは叫んだ。叫ぶしか出来ない。

「気のないそぶりをしてあたくしを出し抜こうだなんて。あんたがそんな汚い真似をするとは思わなかったわ。お子ちゃまだと思わせて油断させておいて! ……わかったわ! こうなったら、ここで決着をつけようじゃないの。力の限り戦って、強い方がサタン様の妃となるのよ!」

「ちょ、ちょっと待ってよー! ボクがサタンに会いに行こうとしてたのはそんな理由じゃなくて、カーくんのためなんだよ」

「んまあぁ! たまたま偶然に僥倖でサタン様との婚約の証のカーバンクルになつかれてるからって、自慢そうに!」

「そうじゃなくってぇ! カーくんが、行方不明なんだよ! それで、サタンならどこにいるか判るんじゃないかと思ったから!」

「カーバンクルが、行方不明ですって……?」

 ルルーが言った。沸騰した頭は、とりあえず鎮まったようだ。

「う、うん。カーくん、青い梅の実を食べちゃってて、心配だから……。ねぇ、ルルーはカーくんがどこにいるか、知らない?」

「……いいえ、知らないわ。ミノ、お前 知ってる?」

「ブモッ。いえ、見ておりませんな」

 ルルーの背後に控えていた牛頭人身の大男は首を横に振った。

「そう……。じゃあ、この辺にはいないのかな。………じゃあ、ボク、他の場所を探してみるから。ルルー、それからミノタウロスもありがとう。ぶつかってごめんね!」

 そう言って、アルルは来た道を駆け戻っていった。

 

 

「カーバンクルが行方不明ですか……。少し気の毒ですな。あのアルルが、あんなに心配そうな顔をして」

 アルルの背中を見送りながら、ミノタウロスが言った。――と。ルルーの声が重なる。

「ミノ! あたくしたちも、カーバンクルを探すわよ」

「はい! さすがはルルーさま。お優しいですな。アルルのために、カーバンクル探しに協力するのですね」

「――はぁ? 何言ってるの?」

「は? し、しかし今……」

「これは、チャンスよ! アルルより先にカーバンクルを手に入れて、手なづけるの。サタン様だって、カーバンクルを行方不明にしちゃうようなアルルより、カーバンクルを見つけてなつかせたあたくしの方が妃に相応しいとお考えになるに違いないわ。そうなれば……オーッホッホッホ! ――さぁ、張り切って行くわよ!」

「は、はぁ……」

 そして、ルルーとミノタウロスも、また別の方へ駆け出して行った。

 

 

 

 シェゾは、ある店の中に隠れ潜んでいた。

 魔王の感知能力は強大なものだろう。それを思えば無駄なあがきだが、ここはうじゃうじゃと人のいる街の中だ。魔力を含む己の気配を可能な限り抑えてしまえば、おいそれとは見つかるまい。木を隠すなら森、というわけである。

 服の沢山かかったハンガーの下にもぐりこみ、店のウィンドウから通りを伺い見る。――サタンの姿は、ない。

「……ん?」

 不意に、シェゾはそれに気づいた。――なんだか、周囲の雰囲気がおかしくないか?

 視線をめぐらすと、店内の客たちが、一様にシェゾを凝視していた。眉をひそめて。まぁ、ハンガーの下に身を隠しているというのは相当おかしな行為ではあろうが……それはともかく、ここの客は女ばかりだ。細いの、太いの、色の白いの、黒いの、色んな女がいる。



 

「……っ、きゃーーーっ!

 金縛りがとけたように、女の一人が喉も裂けよとばかりに叫んだ。

「なぁっ!?」

 思わずのけぞった拍子に、ハンガーにかかっていた服がバサバサと落ちてくる。それを見て、シェゾは愕然とした。白、ベージュ、黒、柄物――色々あるが、これはまさしく……。



「変態よーっ、痴漢よーっ、下着フェチよぉーーーーーっ!!!」

 オリジナルデザインで人気を呼んでいる女性用下着専門店ランジェリーショップに、女たちの金切り声が響き渡った。

「ま、待て! 違う!」

 シェゾは慌てて”誤解”を解こうとしたが、女性用の下着に頭からまみれ、ついでに手にも握っている男の発言に、説得力などひとかけらもあろうはずがない。

「このーーっ、変態!」「覚悟しなさいー!」

 多勢に無勢の集団心理か、女達が一斉に襲いかかってきた。

「うわっ、だから、違う! 話を聞け! いてっ、かじるな、バカ、ハゲる! ――ぐぇっ。引っ張るなぁ!!」

 もみくちゃにされている。試着室から飛び出してきたのか、下着姿の女性まで混じっていたりするので、考え様と趣味によってはちょっと幸運ラッキーなのかもしれないが。

「だぁあーーっ、いいかげんやめんかぁ!!」

 シェゾは女の壁を突破し、店の外に逃げ出した。そのまま全力遁走、しようとしたが。

「ライトスラッシュ!」

「!?」

 光の軌跡を伴い走った斬撃を、すんででシェゾは避けた。取り残されたマントの端が、僅かに裂ける。

 シェゾの目の前に、黄金に輝く鎧をまとった青年が立ちふさがった。黒い瞳に黒い髪。頭には、青い石の輝くサークレットを被っている。

「貴様は、ラグナス!」

 その青年の名をシェゾは叫んだ。シェゾは”闇の魔導師”だが、くそ忌々しいことに、ラグナスは”光の勇者”を名乗る男である。

「騒ぎを聞き付けて駆けつけてみれば……。シェゾ、お前だったのか。

 世を乱し、女性を辱めるやからは、この勇者ラグナス・ビシャシが許さん! 天誅を受けろっ」

 ビシリ、とポーズを決めてラグナスは言った。光り輝く鎧、背になびく真紅のマントとあいまって、実にカッコイイ。決まっている。

「天誅だぁ? ケッ、いつもいつも自分が正義のようなつらしやがって、この偽善者野郎が!」

「なっ、誰が偽善者だ!」

「ほう。やはり反応したな。お前のようなタイプは、どういうわけかこの言葉に弱いんだよな。偽善者偽善者偽善者」

「くぅっ、お前こそ、変態だろうっ。変態変態変態!」

 ――これが、世に災厄をもたらすとされる闇の魔導師と、異世界から女神に導かれて現れた光の勇者の、対峙した際の姿であった。女神も、時空の彼方で涙していることであろう。それとも笑っているのだろうか?

「うるさい偽善者勇者! どいつもこいつも適当なことを言いやがって。大体、俺のどこが変態だというのだっ!!」

「じゃあ、その頭にかぶっているものはなんだ?」

「頭……?」

 シェゾが頭に手をやると、何か柔らかいものが指先に触れた。そろそろと触って行くと、二つの繋がった円錐があって、その両端からバンドのようなものが垂れている。

「げっ!!」

 そう。それは女性の乳房をガードする下着。いわゆる乳バンド。――ブラジャーだった。

 んなもんを被って街中を歩いていた日には、どう取り繕うとも変態襲名は確実必然間違い無しだ。

「まさか、お前がここまで破廉恥で真性で救い様のない変態だったとはな。かつてはパーティーを組んで共に戦ったこともある身だ。信じたくはなかったぜ……。俺は、勇者である俺が闇の魔導師と仲間であれることに驚き、喜びさえ感じていたんだ」

「………(陶酔してるな、こいつ)。そうかよ。なら、仲間のよしみで見逃せ」

「いや。――仲間だからこそ、見逃すわけには行かないだろう! 真に仲間を思うのならば。

 覚悟するんだ、シェゾ。正義のために、俺は涙を飲んでお前を倒す!」

 言いながら、ラグナスは再び剣を振りかぶった。

「結局そうなるんなら、ごちゃごちゃ理屈なんざ言うな。だから偽善だっていうんだぜ!」

 今度は、シェゾは避けなかった。ただ、剣が振り下ろされる寸前、彼の手がすばやく動く。

「何!?」

 突然視界を奪われ、ラグナスは刹那、混乱した。すぐに、目を何かで覆われたのだと気づく。左手でむしり取ったが。

「なぁっ!? ここここ、これは……」

「今度は、お前が行って来い!」

 ブラジャーを持って動転している勇者の背を、半身回したシェゾの足が蹴飛ばした。

「うわぁああっ!?」

 ガラスの割れる音が響く。ラグナスは、そのまま下着専門店のウインドウから店内に突っ込んだ。中で様子をうかがっていた大勢の女たちが、きゃーっと悲鳴を上げてとびのいた。

「フン。これでお前も同類だ。せいぜい、変態の名を欲しいままにするがいい」

 意地悪げにシェゾはそう言った。――のだ、が。

「いたたた……痛いよー」

「ボク、大丈夫?」「痛くない? どこか切った?」

 女たちは誰一人として怒りも叫びもせず、黄金の鎧を着た彼を優しく胸に抱き起こしている。

 ガラスに突っ込んだのがスイッチになったのだろうか。ラグナスにかけられている”呪い”が発動し、彼は十歳の少年の姿になっていた。

「あーっ! ず、ずるいぞてめぇ! そんなんアリか!」

 ――と、地団太踏んで悔しがるシェゾの背後から。

「ふっふっふ……。シェ〜〜ゾ〜〜〜、みぃ〜つぅ〜けぇ〜たぁ〜ぞぉ〜〜〜!!」

 目のすわった魔王が、不気味な笑みを浮かべつつ迫ってきていた。

 これだけ騒いだのだから、当然だろうが。

「シェゾ、殺ぉ〜〜す!!」

「だぁあああーーーっ!! もういい加減にしろーーっ!!!」

 破壊音が続く。もうもうと土ぼこりが舞いあがり、街を歩いていたある者は逃げ、ある者は怖いもの見たさで野次馬し。

 翼で飛びつつ次々に撃ち出されるサタンの様々な魔法を、時には避け、時には障壁魔法シールドでしのぎつつ、シェゾは街の中を必死に駆けぬけて行った。

 

 

 

 セリリは、森の奥の池のほとりに座って、歌っていた。

 その声は、抑え様のない寂しさに溢れているために、たとえ様もなく澄んで美しい。

「ああ……。どうして、私にはお友達がいないのかしら。誰か、いつも一緒にいてくれる人が欲しい。寂しいわ……。誰か、ここに遊びにきて……」

 切なげに呟いていたセリリの体が、ビクリと震えた。気配に敏感な彼女は、いち早くそれに気づいたのだ。

「誰か来るわ!」

 セリリは、真っ青になって池に飛びこんだ。人魚である彼女は、元々水の中こそが棲家である。

「どうしよう……。一体誰が来るのかしら? 何しに来るのかしら? もし、苛められたり痛いことをされたりしたら……」

 誰かに来て欲しいと言っていたのに、えらい怯え様である。もっとも、水に潜ってしまえば完全に姿を隠せるところ、そうはしていないのだから、怯えながらも幾ばくかの期待感――好奇心は持っているらしい。あるいは、なけなしの克己心か。

 やがて、サクサクと落ち葉や枯れ枝を踏みしだく音が近づいてきた。走ってきたようで、はぁはぁと荒い息をついている。

「セリリちゃん!」

「――あっ、アルルさん!」

 ほっと、セリリは肩の力を抜いた。アルルは、セリリがさほどの気負い無しに喋ることの出来る、数少ない者の一人だ。

「こんにちは、アルルさん。遊びに来てくれたんですか?」

「えっ。ううん。今日は、ちょっとセリリちゃんに訊きたいことがあって……」

「そ、そうですか……。あの、訊きたいことって?」

「うん。セリリちゃん、カーくんがどこにいるか知らない?」

「カー……くん? カーバンクルですか? さぁ……。私は、知らないですけど」

「ほんと? ホントに知らない? たとえば、池の中に落ちてるとか」

 セリリの表情が、くしゃりとしおれた。

「アルルさん、私を疑ってるんですか? 私がカーバンクルを隠してるって?」

「え!? ち、違うよ。ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、前にカーくんが滝壷に落ちて、セリリちゃんに助けてもらったことがあったでしょ。だから、今度も水の中にいるかもしれない、って思って……」

 そこまで言って、アルルはうなだれた。

 ようやく、セリリはアルルの様子がいつもと違うことに気がついた。カーバンクルを連れていないのは勿論だが、服や髪のあちこちには小枝や葉っぱが絡みつき、なにより、太陽のような表情が、今日はすっかり曇っている。今にも泣き出しそうに。

「カーバンクルが、いなくなってしまったんですか?」

「うん……。カーくんが一人で遊びに出かけたことは今までも何度かあったんだけど。今日は、カーくん、青い梅を食べたんだ。もしかしたら、死んじゃうかもしれない。もう、だいぶ時間が経っちゃったし……」

 アルルの目にうっすらと涙が浮かぶのを、セリリは見た。

 ――いつも明るくて、強いアルルさんが泣くだなんて!

「あの、アルルさん、泣かないでください。泣いたりしたら……私まで、悲しくなっちゃいます」

 セリリの目にも涙が浮かんだ。こちらは、しょっちゅう泣いてばかりの顔である。まぶたがむくんだりしないのは、元々水の中で過ごす人魚だからか。

「くすん……くすん……うっ、うっ」

 セリリが泣き始めると、フィードバックが起こったように、アルルの”泣き”が大きくなった。

「うっ……ううっ。カーくん……。うわぁーん、わーん」

「アルルさん、そんなに泣かないでくださいー。えーん、ええーん」

 二人そろって、子供のように声を張り上げて泣き始める。

 その時、森の木々の向こうから、ざざざと枝葉を鳴らしながら赤い疾風が駆けこんできた。

「ふぃーっしゅ! セリリちゃんを泣かすのは、どいつだぁーっ!」

 それは、人間大の赤い魚だった。人間そっくりの剥き出しの手足が生えている。大きなやぶにらみの目でじろりとアルルを見ると、アルルの頭などひと呑み出来そうなたらこくちびるを開けて、怒鳴りつけた。

「むむっ!? さては、セリリちゃんを苛めたのはお前だなっ!? このすけとうだら様が来たからには、セリリちゃんには指一本触れさせやしねぇ。俺様のヒレパンチで、海のもくず、もとい、池のもくずと消えるがいいぜ。覚悟しろぃ!」

「うぇーん、……違うんです、すけとうだらさん。ひっく。アルルさんは私を苛めたりしてません〜〜」

「ぎょぎょっ!? 本当かい? でも、セリリちゃんは泣いてるじゃねぇか」

「アルルさんが泣いてるのを見たら……ヒック、私も悲しくなっちゃったんです。えぇーん」

「せ、セリリちゃん……。セリリちゃんってなんて心優しいんだ。他人のためにそこまで泣けるなんて。うおっ、俺は感動したぜ。この感動を込めて、踊るぜダンシーングッ!」

 かくして、森の奥の池のほとりで、魔導師見習の少女とうろこさかなびとが子供のように声をあげて泣き、その傍で手足の生えた赤い魚が踊り狂うという、かつてない異様な光景が発生したが、滅多に人の目に触れない場所でもあるし、世に与える影響はさしたるものではないと思われた。――……が。どんな場所でも訪れる者はあるし、巻き込まれる者もいるのが世の常というもので。

「あんたたち、一体何やってんのよ」

 ややあって空から舞い降りてきたのは、翼を持つ半人半竜の少女、ドラコケンタウロスだった。

「アルルとセリリは空にも響く声で泣いてるし、サカナはわけわかんない踊りをしてるし」

「なんだと!? 俺様の芸術がわからないっていうのかっ」

「うるさいな、サカナっ。燃やして干物にするよっ」

 ドラコは口からちろちろと炎を漏らして凄んでいる。

「やめてよ、ドラコ。ヒック。ボクが泣いちゃったから、悪かったんだ。セリリちゃんはもらい泣きしてくれてただけだよ。すけとうだらはよくわかんないけど

「へぇー。あんたでも泣くことってあるんだね、アルル。一体どうしたってのさ」

 掠れた声でアルルが言うと、ドラコは金色の目で面白そうに覗きこんできた。悪気があるわけではない。無神け――もとい、ちょっと大雑把な性質たちなだけである。それが彼女の美点でもあるが。

 セリリがしゃくりあげながら答えた。

「ヒック、ヒック……カーバンクルがいなくなったんだそうです。ウメの実を食べたから、心配なんですって」

「ふーん? カーバンクルねぇ。」

 ドラコは首をかしげた。驚くでもうろたえるでもない。まぁ、これが現時点での第三者のまっとうな反応というものだろうが。

「そういえば、さっきマッタイラの原の上を通った時、ちらっと黄色いのを見た気がしたけど」

「本当!?」

「うわっ!?」

 いきなりアルルに掴みかかられて、ドラコは声を上げた。

「本当? 本当にカーくんを見たの? ドラコっ」

「あたしが嘘ついたって仕方ないでしょ。でも、チラッとだったし。アレがカーバンクルだったかは……」

「マッタイラの原だね。行ってみる!」

 みなまで聞かず、アルルは駆け出していた。一瞬、ドラコはあっけにとられた顔でそれを見送ったが。

「もー、待ちなさいよ! あんた、マッタイラの原まで走って行く気? 夜になっちゃうわよ。あたしが空を飛んで運んであげるよっ」

「えっ? ドラコ、いいの?」

「まっかせときなって。あんた一人運ぶくらい、軽いものさ」

 言ってウインクし、ドラコはバサリと背中の翼を広げた。

 

 

 

「ダークブリザード!」

 暗黒の渦より生まれ出た氷塊が、雨あられと降り注いで地をえぐる。

 街から郊外に飛び出してなお、サタンの追撃は続いていた。いつしか、元の梅の大木の側にまで戻って来てしまっている。――ちなみに、アルルは戻って来ていない。まだカーバンクルは見つかっていないようだ。アルル達が戻っていれば、即時解決だったはずだが。

「てめー、いいかげんにしろ! しつこいぞっ」

 シェゾは叫んだ。

 正直、今日はサタンの相手をする気分ではなかったのだが――しかも、いつにも増して理由がくだらなすぎるし――、ここまでしつこいと、戦わずにやり過ごしたかった気分さえ限度とばかりに逃げていってしまう。ありていにいえば、キレる。

「闇の剣よっ」

 ”おう!”といらえが返って、シェゾの手の中に異空間から魔剣が現出した。魔剣を握った手が熱くなり、それを媒介に己の魔力が増幅されていくのが分かる。

「うっおおぉおおお! ――アレイアードぉ!!」

「ぬおっ!?」

 渾身の闇最大魔導が、サタンの体をはね飛ばした。息もつかさず、そこに何発か追加してぶち込む。炎、氷、爆気、冷気、雷。人間はおろか、通常の魔物、果てはドラゴンでも、死を通り越して塵になってしまいそうな高位攻撃魔法の猛襲。

「ついでだ! アレイアード・スペシャル!」

「ぐぁああっ!」

 最後に、闇の波動をまとわりつかせた剣撃が、サタンを周囲の空間ごと微塵に切り裂いた。

「――はぁ、はぁ…………。気絶ばたんきゅ〜したか?」

 水蒸気と焼けた地面の匂いが辺りに立ち込めている。

 ここまでやっても、魔王相手にはせいぜいタコ殴り程度の威力しかないだろう。それは経験上、分かっている。それでも、うまく入れば気絶くらいはさせられるはずだ。

「………」

 呼吸を整えながらシェゾが見守る中、サタンは、暫しの間 大の字に地面に寝転がっていた。――が。

「シェ〜〜ゾ〜〜〜!」

 むくり、とゾンビのように起き上がった。

「げぇっ。やっぱバケモンだっ」

「誰がバケモンかっ。――ふっ。今のはなかなか効いたが、まだまだだな。というより、以前より魔法の威力が甘くなってるんじゃないか?」

「なんだとっ!?」

 聞き捨てならない、と身を乗り出した瞬間、比較的大き目に、ぐぎゅるるる〜〜、と情けない音が響いた。

「んっ、腹の音!? はっはっは、そうか! シェゾ、闇の魔導師とはいえ貴様も人の子だな。空腹で力が出ないとは」

「うっ、うるせぇ! 朝飯を食わなかったせいでアルルに負けた魔王に言われたくないわ!」

「なぬっ!? 何故それをお前が知っている!」

「アルルに聞いたんだよ」

「アルルが貴様に? ――はっ。まさか、お前たちは既に、腹を割ってイロイロと話し合う”ドキドキv お互いに信頼しあっちゃってるのよウフフ”な間柄なのかっ!? ――カーバンクルちゃんを盾に、いつのまにかそんな関係に!? なんと羨ま――もとい、卑怯な奴め!! ゆ、許せん!」

「なんだそりゃあっ!」

 再び飛び掛かってきたサタンから逃れて、シェゾは叫んだ。

「誰が”ウフフ”な関係かっ。俺はただ、いつか何かの話のついでに聞いただけだ。っていうか、いい加減そのワケのわからん思い込みを止めろ! 俺はカーバンクルをさらったりしとらんし、アルルともなんでもないっ!」

「ぬぅっ。そんな嘘が通ると思っているのか!」

「俺がそんなことで嘘をついてどーする。あいつらの事で馬鹿になるのもたいがいにしろ、タコ魔王! いいか、確かにカーバンクルはいなくなった。だが、俺がさらったわけじゃない。俺はアルルに頼まれてカーバンクルを探していたのだ。サタン、お前がそんなにカーバンクルが大事なら、俺を追いかけてる場合ではないのではないか?」

 眉根を寄せ、サタンは考え込んだ。

「むむむっ……。それが本当なら、確かに、こんなことをしている場合ではないな……」

「やっとわかったか」

 内心ホッとしつつ、シェゾは言った。このまま終日 魔王と戦い続ける事態は、是非とも避けたいところだったのだ。――腹もますます減ってきてることだし。

「わかったら、さっさと行け。アルルもその辺を探し回ってるはずだぜ」

「そ、そうだな……。……んっ? カ、カーバンクルちゃんはどこだ!?」

 すっとんきょうな声を上げたサタンに、シェゾはずっこけた。

「あのな! 今、行方不明だっつったろーが!」

「違う。私の1/1カーバンクルちゃんぬいぐるみだ。どこで落としたのだ?」

 キョロキョロとサタンは辺りを見まわしている。シェゾは軽い目眩を覚えて額に手をやったが、実はそれどころではなかった。――気付けば、足下に奇妙な感触がある。

「――あ」

「あぁあ! き、貴様っ」

 特注品1/1カーバンクルぬいぐるみ。それはシェゾの足の下にあった。慌てて足をどけたが、可愛い黄色い顔に、見事に泥の足型が付いている。

「あああぁあ〜〜、私のカーバンクルちゃんがぁーーっ。……ぅおのれぇ〜〜、シェゾ、許さぁぁ〜〜んっっ!!」

「ま、またこれかぁーーっ」

 エンドレスだ。激しく不毛な方向に。

 こうなったら仕方がない。とにかく攻撃しまくって、どうにか気絶させるしかない。それも、手早く。

 とにかく間合いを取ろうと、シェゾは後ろに跳びすさった。――と。がくりと体勢が崩れて、尻餅をついた。

「――げ」

 朝から木の下に置かれたままになっていた、アルルのバスケットだ。それに蹴つまづいたのである。

「食らえぃ、サタンクローース!!」

「ちょ、ちょっと待て!」

 真正面、至近距離。障壁魔法を唱えるいとま無し。

 ――ヤバい。

 一瞬のうちに、それだけの状況と判断がシェゾの脳裏を駆け巡った。

 十字の形をした光輝が、無防備なシェゾの視界いっぱいを覆い尽くす。

 

 

 

「さぁ、マッタイラの原に着いたわよ」

 頭の上からドラコの声がする。

 アルルは、ドラコに後ろから抱きかかえられ――というより、殆どぶら下げられたような形で空を飛んでいた。アルルは決して大柄な少女ではない。とはいえ、ハイティーンの人間ひとり抱えて、全く危なげなく飛行するドラコは、並でない筋力とスタミナの持ち主であることは間違いない。流石は竜の血筋、というべきか。

「ありがと、ドラコ。それにしても、空を飛べるっていいね」

「ふふん、まぁね。なんなら宙返りでもしてあげよっか?」

「そ、それは遠慮するよ」

 今がこんな事態でなかったら、あるいは一度くらいはやってもらったかもしれないが。

「カーくん、どこかなぁ……」

 空の上から見るマッタイラの原は、一面、背の高い濃い緑の草に覆われている。風に草がそよぐ様が、まるで海の波のようだ。

 カーバンクルの姿は見えない。

「ドラコ、どの辺でカーくんを見たの?」

「え? まぁ、この辺だけど。でもチラリとだったし、今もここにいるかわかんないしね」

「そんなぁ。……でも、まだいるかもしれないし」

 草の海をさまようアルルの視線が、ギクリとして止まった。

「あっ!」

「えっ、何? どうしたのよアルル」

「あそこ! 今、草の間に黄色いものが動いた!」

 じたばたして、アルルはそちらを指差した。危ないってば、とそれを少し抱え直して、ドラコもそちらを見る。

「本当だ。――うん、あたしが先刻見たのもアレだよ。間違いない」

 黄色いものは、草の間をチラチラと動いている。空の上からだとさしたる速さには見えないが、実は物凄い速度で草の間を疾走している。

「あっあっ、行っちゃう。待ってカーくん!」

「よぉーし。じっとしてなよ、アルル!」

 言うなり、ドラコが翼を鳴らした。アルルを抱えたまま、弾丸のように黄色いものを追いかけていく。

「がぁーーーぉおおおお!」

「わぁああああ!!」

 あまりの速さに、アルルは思わず声を上げた。それでも、止めて欲しいとは思わない。びょうびょうと風を切って、見る間に疾走する黄色いものに近付いていく。

「カーくん、待って! カーくんってば」

 聞こえていないのだろうか。黄色いものは止まらない。覚悟を決め、アルルは叫んだ。

「ドラコ、手を放してっ」「えっ。……よぉしっ、行くよ!」

 ドラコが手を放す。高速で飛翔していた勢いのままにアルルの体は前方に投げ出されて、そのままタックルのように黄色いものにしがみついた。

「カーくんっ」

 それに抱き付いたまま、ざざざぁーーっ、と草の上を滑る。暫く滑って、ようやく止まった。

「つぅ……いったぁあ」

 あちこち草で切ったらしく、チリチリと小さく尖った痛みがある。それでも手は放さず、アルルは顔を上げてもう一度呼びかけた。

「カーく………うっえぇえ!?」

 それは、カーバンクルではなかった。そもそも、カーバンクルにしては大きい。大きすぎる。

「もももー、ひどいのー」

 アルルがしっかりとしがみついているもの。それは、魔物商人のもももだった。

「あっちゃああ、間違いだったか。ま、確かに、こんな草の深いところで、空からカーバンクルみたいな小さなものが見えっこないよねぇ」

 ドラコがちょっと気恥ずかしそうに笑っている。アルルは、がくりと地に両手を突いてうなだれた。

 ――なんだか、色んな意味でショックだ……。

「いったい、なんで もももにこんなことするのー?」

「あぁ、ごっめ〜ん。それがね、カーバンクルがいなくなっちゃったんだってさ。で、この子が泣くから、あたしがここに連れて来てやったってワケ。ほら、あんたってカーバンクルと同じで黄色いじゃん」

 アッケラカンとドラコが説明した。

「そんなわけなんだけど。あんた、カーバンクルを見てない?」

「もももー、もももはずっとここにいたけど、知らないのー」

「ふぅん。――だってさ、アルル。ここにはいないみたいね」

「うぅう〜、カーくん〜〜」

 心配と決まり悪さで泣けてくる。

「もももー」

 トコトコと、もももがアルルの前まで回り込んできた。いつも背負っている緑色のリュックを地面に降ろし、紐をゆるめる。リュックの口を大きく開けて、アルルを手招いた。

「え?」

「お客さん、いつも色々商品を買ってくれてるから、特別サービスなのー」

 アルルは、緑のリュックの中を覗いた。

「えぇええ!?」

 リュックの中には、当然、沢山の商品が詰まっていると思っていたのに。アルルはびっくりして声を上げた。リュックの中には何もなかった。でも、何かがあった。まっくらで、奥底に何かがあるようなないような。夜空のような夜の海のような。そんな底無しの広大な空間が開いている。

「――あっ、カーくん!?」

 闇の中の、ごちゃごちゃと何かが漂っているような間に、黄色いものが見える。ウサギのような耳、ちっちゃいしっぽ。間違いない、今度こそカーバンクルだ。ピコピコと手足を動かして踊っている。

「カーくぅうん!!」

 あまりに奥底過ぎて、手どころか声も届かない。アルルは、なりふり構わずぐっとリュックの奥に身を乗り出した。ずるり、と頭が下になって、落ちていく感覚がある。それでもお構いなしに更に手を伸ばした。

「あーーっ、アルル! ……ええっ!? アルルがリュックの中に消えちゃったよ!!」

 ドラコの叫ぶ声が、上の方から小さく聞こえた。

 

 

 

「サタンクローース!!」

「ちょ、ちょっと待て! ――くっ」

 何か勝算があったわけではない。

 ただ、何一つ抵抗が出来ないまま終わるのが嫌だっただけだ。つまり、悪あがきというやつである。

 シェゾは、咄嗟に手元にあったものをサタンめがけて投げつけた。――アルルのバスケットを。

 そんなものを投げたところで、盾にすらなりはしないのだが。

 ――しかし。

「何ぃいっ!?」

 シュバァアア、と壁状に光がほとばしった。――バスケットから。しかも、それはサタンの放った十字の光輝を完全に遮断している。

 自ら放った光に耐えきれなかったようにバラバラと壊れたバスケットの中から、影を薄くひいて、小さなものが飛び出した。

「ぐーっ!」

「げっ!?」

「うおぉぅ、カーバンクルちゃんvV

 灯台下暗し、とはこのことか。どうやら、カーバンクルはずっとこのバスケットの中に潜んでいたらしい。

「っていうか。お前、バスケットの中に入ってた(はずの)弁当はどうした!」

「ぐ」

 シェゾの問いに、げぷっ、とカーバンクルは息を吐いた。全部食べ尽くしてしまったらしい。

「おぉ〜〜、カーバンクルちゃ〜〜ん! 無事だったんだね、会いたかったよ〜〜!!」

 涙すら浮かべ、サタンはカーバンクルに抱き付いた。ぬいぐるみにそうしていたように、ぐりぐりと頬擦りする。

「ぐぐぐっ」

 気持ち悪そうに、カーバンクルは目を細めて身震いした。

 ――いや、もしかしたら本当に気分が悪いのだろうか? 今にも吐きそうに、ぐっ、ぐぐっ、と体を震わせはじめている。

「カーバンクルちゃん?」

 怪訝そうにサタンが覗き込む。シェゾははっとした。

「まさか……ホントに青梅の毒にやられたのか?」

「ぐーっ、ぐーーっ!!」

 次の瞬間。

 大きく開いたカーバンクルの口から、げろ〜〜んっと”アルル”が吐き出された。

「きゃあああ!」「んぎゃっ!!」

「んなっ……!?」

 あまりのことに、シェゾは開いた口が塞がらない。

「いったたたぁ〜。……あっ、カーくん!」

「ぐーっ」

「よかった、無事だったんだねーーっ! 体、どこも悪くない? 大丈夫?」

「ぐっぐー」

 ひし、とカーバンクルを胸にかき抱くアルル。カーバンクルの口の中というワケのわからないところから出て来たくせに、その体のどこも濡れておらず、唾液は付いていない。

「なんなんだ、一体……」

 感動の再会を見ながら、シェゾは内心で固く誓っていた。

 ――アルルはともかく、この黄色い怪生物とは、今後二度と関わるまい……。

 今更ではあるのだけれど。

 

 

「――あれっ、シェゾ。いつからそこにいたの?」

 ややあって、漸う、アルルは側に突っ立っているシェゾに気が付いた。

「ずっといたぜ。お前がワケのわからんところから飛び出してきたときからな。――サタンも」

「サタン? えっ、サタンがどこにいるの?」

 アルルは辺りを見回したが、サタンの姿などない。シェゾは、少しばかり神妙な顔でアルルの方を指差した。

「――お前の尻の下」

「えっ? キャッ!!」

 アルルの尻に顔を敷かれて、サタンは伸びていた。顔面から押し潰された衝撃か、それ以外の理由で気絶したのかは不明だが。(ちなみに、サタンの顔面には足型も付いていた。)

「ご、ごめん、サタン! ………起きないよ。どうしよう、シェゾ」

「ほっとけばいいさ。気が付かれても面倒だ。こいつも、お前の尻に潰されて気絶できたんだから、本望だろ」

「な、何言ってるんだよ、キミは!」

 ちょっと赤面して、アルルはシェゾを睨み付けた。シェゾはどこ吹く風だ。

「にしても、前から謎めいた力を持ってるヤツだとは思っていたが、今回は本気でワケがわからんぞ。どうしてカーバンクルの口の中から出てくるんだ、お前は」

「へ、カーくんの口の中? ボクは、ももものリュックの中に……あ、そうか」

 アルルは言葉を切った。

「なんだよ」

「うーん……もしかしたら、カーくんのお腹やももものリュックの秘密を、ちょっとだけ知ったのかもしれない」

「……知りたくもない秘密だな」

 シェゾは肩を竦めた。正直な気持ちだ。

「そいつのおかげで、俺はとんだ一日だったぜ。苦労して取った梅は食べられるし、空腹で駆けずりまわされたし」

「あ、でも少しは残ってるよ」

 置いたままになっていたバケツの一つを持ち上げて、アルルが言った。半分ほど梅の実が入っている。

「これくらいあれば、梅酒くらいは作れるよ」

「ぐーっ」

 嬉しそうにカーバンクルが鳴いた。このうえ梅酒とやらを口にするつもりなのだろうか。少しも悪びれた様子がない。

「……そうかよ」

 ――世のため人のため、俺のため。もう少しくらい真面目にこいつの躾を考えた方がいいんじゃないだろうか。サタンも、アルルも。

 言っても無駄そうだから、言わないが。言う気力もないし。

「とにかく、これで梅の実取りは終わりだな。約束は果たしたぜ。俺は帰る」

「うん、帰ろう」

 にこやかにアルルが言った。――なんとなくムカつく。

「ああ。じゃあな!」

「あっ、待ってよシェゾ。そっちじゃないよ」

「あぁ?」

 何を言ってるんだこいつは、と、シェゾは自分を呼び止めたアルルを振りかえった。

「ボクの家はこっちだよ。一緒に来るでしょ」

「なんで俺がお前の家に行くんだよ」

 こちらも”何言ってるのさ”、とばかりの表情を全身で現して、アルルが言った。

「だって、梅の実取りを手伝うお礼に、ボクの手料理をご馳走するって約束だったでしょ。――お弁当はなくなっちゃったみたいだし。今から作り直すから、食べていってよ」

「……今更。俺は別に……」

 言いかけたシェゾの腹が、ぐきゅるぅう〜〜、と鳴った。う、とシェゾは言葉を詰まらせる。

「ほら、お腹減ってるんじゃない。早く帰ろっ。その代わり、梅の実の入ったバケツはシェゾが持ってね」

「ぐーっ」

「――……へい、へい」

 そろそろ夕闇に沈みつつある景色に、梅の木が影絵のように浮かんでいる。

 影絵の下を、二人と一匹は並んで、家に帰っていった。

 

 

 

 

 

「ルルーさまぁ、そろそろ屋敷に帰りませんか?」

 夜の闇にすっかり覆われた中。太い、けれど情けない調子の声がルルーに呼びかけた。

「馬鹿な事言うんじゃないわよ、ミノ。まだカーバンクルを見つけていないじゃない。あたくしはなんとしてもカーバンクルをつかまえて、サタン様にその姿をお見せするんですからね」

「はぁ……」

 この会話が、一体何回繰り返された事だろうか。

 ミノタウロスは密かに溜息をついた。

 決して諦めようとしないルルーの根気自体は、称賛に値するものだと思っている、が……。

「出てらっしゃい、カーバンクルちゃん。あたくしの屋敷に来たら、最高級の食材を使ったおいしいものが食べ放題よ」

 呼びかけながら、辺りの草むらや薮の中を探る。――と。闇の中に黄色いものが見えた。夜陰に黒く見える、大きな木の根本あたりだ。

「あっ、カーバンクル!」

「ブモッ」

 ミノタウロスの持っていた捕虫網が一閃した。難なく、カーバンクルは網の中に入った。

「ブモー、やりましたルルー様」

「でかしたわ、ミノっ」

 ほくほく顔でルルーは網からカーバンクルを取り出した。

「さぁカーバンクルちゃん、あたくしと一緒にいらっしゃい。あたくしの方がアルルより美人だしナイスバディだし、サタン様の妃に相応しいでしょ。

 ――って。何よ、これ! 人形じゃない!」

 たちまち、ルルーの柳眉が吊りあがった。

「しかも、足型がついてるわ。こんなんじゃどうしようもないわよっ」

 思わず、人形を投げ捨てる。

「もーっ。やっと見つけたと思ったのに。ミノ、あんたがしっかり確認しないから駄目なのよっ」

「ブモー」

「あぁもう。また探し直しだわ。――きゃっ!?」「ぷぎっ」

 言いながら先に立って歩き始めたルルーが、不意に悲鳴を上げた。

「ルルー様!?」

「な、なによー、これ。何かへんなものを踏んじゃったわ。ぐにゃぐにゃしてる……暗くて見えないけど、ブタの死体かしら?」

 ――今、鳴いたような気がしたけど、まさか生きてるとか。

 よほど気持ち悪かったのだろう。踏んだ足を地面にこすりつけながら、しきりに身震いしている。

「ルルー様、やはり屋敷に帰りましょう。こう暗くてはどうしようもありませんよ」

「ダメよ、まだ諦めないわっ。

 ああ、あたくしの愛するサタン様……。あなたのカーバンクルを、あたくしが救います。待っていてくださいね!」

 いつものごとく、ルルーは両手を組んでうっとりと唱えている。ミノタウロスが沈痛に鳴いた。

「ブモ〜〜!!」

 

 

 かくて、夜は更けていく……。

 

 

 

終わってしまう








かなりたらたらと書いていたくせに、内容はこんなもん。
っていうか、シェアル寄りだし。シェアル嫌いな人すみません。
ノーマルなコメディを書いてたつもりだったのですが。
辛うじてその域に引っかかってることを願います。

サタン様とルルーが可哀想な感じになってしまって後悔。
特に、ルルーが取り様によっては嫌な子になってしまった。
……まぁ、だからといって”素敵なお姉さん”にし過ぎるのもどうかと思うけどね。


裏掲示板で期待のメッセージをくださった方々がいらっしゃるのですが、
思いっきり期待外れで申し訳ない、ってことで。

おまけ。
……ますますマズくなった気も。
シェアルが嫌いな人は更に読まぬが吉。



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