王様がお望み!




「じゃっじゃ〜〜ん!」

 お披露目、と言わんばかりに両手を広げ、少女は満面の笑みを浮かべて見せた。

 新年になってしばらく、浮き足立っていた雰囲気もだいぶ沈静化してきた頃。道端で視線が合った途端に駆け寄ってきた少女は、全身にきらきらしい雰囲気と、それに負けないしなやかな衣装をまとっていた。

「なぁに、アルル。その格好」

 全く、見慣れない衣装だけれど。

「ふふふっ、綺麗でしょ。キモノっていうんだよ」

 得意そうにくるりと回ってみせた拍子に、その奇妙な衣装の長い袖がひらりと舞った。同時に、肩の線で揃った栗色の髪もふわりと広がる。

「おばあちゃんが送ってくれたんだ。おばあちゃんの故郷で、お正月とか特別な日に着る服なんだって」

 どうやら、数枚の簡素な服をぐるりと体に巻いて、帯や紐で結んで形を整えているものらしい。そのテクニックやデザインにも感心したが、布そのものに金や様々な色で見事な染付けがしてあって、それが目を引いた。

「本当、素敵ね。あくまで”服が”だけど」

「ありがと、ルルー」

 気付いていないのか、気付いていて尚そう言ったのか。まぁいいわ、と流して、ルルーはふと首を傾げた。

「でも、アルル。今頃お正月もないでしょ。もう三が日はとっくに過ぎているのよ? ……そういえば、三が日の間は、あんたの姿を見かけなかったわねぇ」

「うっ……。そ、それは……」

「ま、あんたのことだから寝正月でもしてたんでしょ。おもちとカレーの食べ過ぎでぷよぷよになったんじゃないの」

「そ、そお! いやぁ、ついついゴロゴロしちゃってさぁ」

 本当のところを言えば、着物をうまく着つけられなくて七転八倒。出るに出られなかったのだけど。わざわざ暴露することでもないだろう。

「それで、ルルーはお正月の間 何してたの? 初詣に行った?」

「ふふっ、勿論よ」

 あんたとは違うわ、と言わんばかりに笑みを浮かべ、ルルーは長い髪をかきあげた。

「あたくし、サタン様と二年参りをしたの。サタン様は元旦からハンサムで優しくて紳士で、相変わらず最高に素敵でいらっしゃったわ! あたくしたち、二人で女神様に参ったのよ」

”正確には、どこかに向かおうとしていたサタンを発見して、強引に拉致して神殿に引っ張っていった、だがな……”

 うっとりと両手を組んだ女主人の背後で、牛頭の巨漢ミノタウロスは静かに突っ込みを入れた。――無論、心の中で。

「あたくしとサタン様は一緒におみくじを引いたの。大吉だったわ。特に、恋愛運が好調ですって! サタン様は結果がよくなかったのかしら、おみくじを結ぼうとなさっていたから、あたくしが代わって結んでさしあげたの。それから、参道で一緒に甘酒を飲んで、それから、それから……」

 ルルーは頬を染めてぼおっとなった。

 あまりに幸せ過ぎたせいか、あの時の記憶はあいまいなのだけど……。気がつくと、サタンに抱きすくめられていた。

 ――ああ、サタン様! あなたは、やっぱりあたくしのことを……!

 あの感動は忘れない。この数日、何度も思い返しては幸せに浸っていた。サタンの胸の広さと暖かさ、力強い腕の力。頬に触れた髪と吐息の感触……。

 おみくじは本当だった。今年こそは、サタン様に愛の言葉を囁いていただけるかもしれない。あの深紅の瞳でじっと見つめて、

”ルルー、お前を愛している。結婚しよう”

 なーんて、なーんて! 薬指には金色に輝く指輪。そして鐘の音を聞きながら盛大な結婚式。――いいえ、盛大でなくてもいい。二人きりの結婚式でもいいの。純白の静寂の中、世界にはあたくしたち二人きり。見つめあうサタン様とあたくし……。そして、誓いのキスを…………。

「ルルー? だ、大丈夫!?」

 ぼおっとするのはいつものことだが、それを通り越してきゃ〜〜っvV と嬌声をあげたルルーに、流石のアルルがおののいて声をかける。逃げ出さなかったのはそれだけの長さの付き合いがあるからだ。

 一方、ルルーの背後のミノタウロスは、しみじみとわびさびの風情すら浮かべていた。一年の計たる元旦、あの日の過酷な状況を思い出すにつけ。

 甘酒に酔った(!)ルルーの暴走ぶり、ボロボロになりながらそれを止めた自分とサタンの苦労。

 ところが、ルルーの記憶には、最後にサタンが暴れるルルーを捕まえて押さえこんだ(=抱きしめた)シーンしか残っていないらしかった。恋する乙女心のなせる技か、単に都合のよい解釈しかしたがらない性質なのか。いずれにしても、それを突っ込む勇気を持つ者はこの地上に存在しやしない。自分にしろ、あのサタンでさえ。

「ふーん。でも、そっかぁ。だから今回はサタン、誘いに来なかったんだ。毎年しつこかったのに」

「………なんですって!?」

 とてつもなく聞き捨てならないことを聞いた気がして、キッとルルーが視線を向けたのにも気付かず。アルルはもう他方を見て、あっと声をあげていた。

「カーくん! もう、どこに行ってたの。……あれっ、それなぁに?」

「ぐぐぅ〜〜!」

 カーバンクルは、自分の体より大きなものを引きずっていた。ごちゃごちゃと物の入った、透明な袋。

「なんだろ、これ」

 袋から板状の物を取り出し、アルルは首をかしげた。長さ四十センチほどの、握りのついた板が二枚。

「まな板のセットかな?」

 それにしては、板はカラフルにペイントされている。

「うちわじゃないの?」

 覗き込んで口を挟むルルー。なるほど、握りを持ってひらひらさせると、風を起こすには丁度よい。が。

「それにしちゃ幅が狭いし、厚さがあるよね。手が疲れてきちゃう」

「あんたの鍛え方が甘いのよ」

「もしや、舟のオールでは?」

 思わず、といった感じでミノタウロスが言った。

「オール? どういうオールよ。こんなに握りが短くちゃ、舟なんて漕げないわ」

「も、モーしわけありませんっ」

「あ、でも水をかくってのはアリかも! 例えば、お風呂を掻き回すとか」

「……はぁ?」

 何を言い出すのかコイツは、という顔をしたルルーに、アルルは真面目に説明する。

「沸かしたてのお風呂って、熱いお湯と冷たい水が分離しているでしょ。それを掻き回すんだよ」

「なるほど……」

 と、感心した声をあげたのはミノタウロス。ルルー一人、奇妙な顔をしたままなのは、いつも人に掻き回してもらった湯に入りつけているからだろう。

「じゃあ、これは一体何の役に立つのよ」

 心なしかむくれたルルーが袋から取り出したのは、黒くて丸い何かの種に、これまたカラフルに染め付けた鳥の羽根を数本刺した物。

「うーん……。お風呂に浮かべて楽しむんじゃない?」

 アルルは大真面目だ。

「ぷかぷか浮いたら綺麗だし、きっと楽しいよ」

「……そう、かしらねぇ………」

 このように場の雰囲気が決定されようとした時。誰かが吹き出す声がした。

「!? 誰よっ」

「――シェゾ!」

 アルルが叫ぶ。

 やや離れた木立の陰に紛れるように、銀色の髪に今日は白銀の衣装をまとって、長身の男が木の幹に寄りかかって立っていた。

「フッ……。相変わらずバカだな、お前たちは」

 いかにも可笑しそうに笑っている。

「なによ、あんた。いつからそこにいたの?」

 眉をひそめてルルーがまくしたてた。

「立ち聞きなんて趣味悪いわよ。……あぁ、あんたはヘンタイだから趣味悪くてしょうがないか」

「誰がヘンタイかっ! 俺はただ、コイツの気配を追って来ただけだ!」

 言い放ち、シェゾは視線を向ける―――その先にいるのは、当然、アルル。

「うえっ……」

 絡み付く視線に圧されたように、アルルは一歩下がる。あわせて、シェゾは一歩前に出る。

「今年こそ、我が望み叶えてみせる……。アルル、お前が」

「だからそれがヘンタイだっていうのよっ!」「ぐーっ!!」

 ルルーの叫びと同時に飛び出したカーバンクルが回転しながらシェゾに激突!

「ぐぼっ!!」

 カーバンクルは例の握り付きの板を手に持っていたため、ダメージは甚大だったようである。ばたんきゅ〜とまではいかなかったが、地面にしゃがみこんでしまった。

「シェゾがいけないんだからね。ヘンなことばっかり言うから!」

 肩に駆け戻ってきたカーバンクルに「ありがと、カーくん」と笑いかけて、アルルは憤慨のポーズを取った。

「く、くそ……」

 何か言い返したいらしいが、ダメージがひどくてとっさに言葉が出ないらしい。悔しそうに睨みつけてくる視線の先に、カーバンクルから受け取った握り付きの板をひらひらさせて、「それで?」とアルルは問うた。

「ボクたちのどこがバカだっていうのさ。キミは、これがなんなのか知ってるの?」

「くっ……」

 こんな目に遭わされといて、なんで律儀に答えなければならんのか? という思いが掠めたが、答えない場合「なーんだ、やっぱり知らないんだ」と言われるのは明白であったため、息を整え痛みを溶かし、シェゾは答えた。

「それは、羽根突きの道具だ」

「はねつき?」「なにそれ」

「東方の国の古い習俗で、新年に無病息災を祈願して行なう子供の遊びだな。その板が羽子板、ラケットだ。その追い羽根を突いて遊ぶ。追い羽根を地面に落としたら、落とした奴の負けだ。……負けた奴は、罰として、勝った奴に顔に墨を塗られたりするみたいだな」

「へー……。あんた、相変らず、どーでもいいことはよく知ってるわよねぇ」

「なんだと? それはどういう意味だっ」

 ギッと顔を向けたシェゾにまるで動じず、ルルーはぬけぬけと言い放った。

「決まってるじゃない、一般常識に欠けてるってコトよ。言われなきゃわかんないの?」

「ぐぬうぅぅっ……!」

 歯噛みして唸るシェゾだったが、一呼吸置いて、何とか嗤った。

「………フン。流石はスレっからしのオジョーサマ、だな」

「……どういう意味よ」

「言った通りだが? ま、のーみそ筋肉のあばずれオジョーサマの世知には、マトモな男なら誰もかなわんということだ」

「……珍しく口がよく滑るわね。ついでだから、そのむやみに空回りしてそうな頭を叩いて、もっとマシにしてあげようかしら?」

 見交わす視線の間に、バチバチと火花が散り始めた、その時。

「ねえねえっ、ボクらで羽根突きをやってみようよ。面白そうだし」「ぐぐーっ!」

 どどっと、二人の間にアルルとカーバンクルが割り込んだ。

 一見無神経なようにも見えるが、無論、二人の会話(?)の腰を折るテクニックである。この二人との付き合いもそれなりに長くなれば、話の流れの切り替えくらいはどうにか出来るようになるものだ。――いささか強引だけれども。

「ぐーぐーぐぐー」

 羽子板を持ってくるくる踊っているカーバンクルは、本当にただ羽根突きがやってみたいだけらしいが。

「ふふっ、カーくん、そんなにやってみたいの? じゃ、シェゾお願い」

「は?」

 突然振られて、シェゾは目を瞬いた。

「なんで俺が?」

「だって、シェゾしか羽根突きを知らないんだもの。まずやってみせてよ」

「俺だって実際にやったことなどないっ」

「なんだ、ただの知ったかぶりなんじゃない。あーやだやだ、口先ばかりの空論男」

 ルルーが大袈裟に溜息をついてみせて、再びピリピリとした空気を呼び寄せる。

「ぐっ」

 カーバンクルがビシュッと羽子板の一つをシェゾに投げ渡した。反射的に受け取ったシェゾに向かい、「ぐぐぐぐっ」と鋭く鳴くと、長い舌で投げ上げて追い羽根を一撃。

「ぬっ」

 フワフワと飛んできたそれを思わず打ち返すと、抜からずカーバンクルもそれを打ち返してくる。

「ぐ」

「カーくん、上手!」

「おい。俺はまだやるとは……」

 シェゾはまだぶつくさ言っていたが、そこは生来の負けず嫌い。追い羽根が帰ってくれば打ち返さずにおれないようだ。そしてカーバンクルは、小さな手足をフルに動かして返ってきた羽を拾い、自分の身長を追い越す羽子板を振りまわして打ち返す。

 しばらくラリーが続いた。

「……飽きずによくやるわねぇ」

 感心半分、呆れ半分といった様子で、ルルーが呟いた。

「しかし、なかなか長く続きますな。闇の魔導師の方もですが、カーバンクルも、あの小さな体でしっかり食いつきます」

 真面目に応えるミノタウロス。

「ネットがないから、身長差は問題にならないものね。むしろ、超低位置から打ち返せて有利なくらいだわ。それにしても足が速いし、ジャンプ力も信じられないくらい。流石は、サタン様のあれほど愛してらっしゃるペットよ。あたくしのものになるはずが、何の手違いだか今はアルルのものになっているけれど、いずれは………あぁ、サタン様……v

「ブモー……」

 結局、いつもの「うっとり」モードに入ってしまったルルーになす術もなく、ミノタウロスはこれまたいつものようにイタそうにうめいた。

 一方、際限ないラリーを続けている二人の方はといえば。

 カーバンクルはどうかは知らないが、シェゾの方は、確実に飽きてきていた。純粋にゲームを楽しむには、いささか長くなり過ぎていることもあるし。

 ――なんで俺が怪生物とこんなことを延々やってなきゃならんのだ?

 時間が経つにつれ、そんな思いが強くなってくる。といって、怪生物相手に負けたくもないので、落とすことも出来ず。

 埒があかない。

「チッ」

 ならば、と普通なら到底打ち返せないような強さと角度で打ち返してみたものの、普通じゃない速さで駆け込んできた(というより、すっ飛んできた)カーバンクルに打ち返される。なんなんだコイツは。

「カーくん、がんばれーっ」

 追い討ちをかけるのはこの黄色い声援。ひたすら、あの怪生物を応援している。

 ……いや、別に応援がほしいってわけではないのだが。

「シェゾ、あんた往生際が悪いわよー。もういい加減観念なさい。ホホホ」

「うるさいっ」

 思わず怒鳴り返した刹那、追い羽根を高く高く打ち上げてしまった。羽根の付いたそれはふわふわと不安定な動きで舞い落ちてくる。が。それより遥かに速く。

「ぐぐーーーっ!!」

 ジャンプ一発! 天高く舞い上がったカーバンクルがコマのように回転し、ガガッと音をたてて打ち返した。

「なっ!?」

 気が付けば、追い羽根は地に落ちていた。反応すら出来ない、稲妻のごとき一瞬。

「すごーいっ。カーくんの勝ちだよ! カーくん、カッコいーいっ vV

「ぐぐーっ」

 歓声を上げるアルルと、目を細め、胸を張ってその声を浴びている怪生物。

 マジかこれは……。

 ただただ呆然とするシェゾだった。

「あれ? カーくん、どうしたの」

 胸を張るのをやめて、たたたと走ったカーバンクルに、アルルが目を丸くする。カーバンクルは例の透明な袋のところまで行くと、頭を突っ込んでごそごそと中を探った。取り出したのは、墨と筆。

「ぐぅっ」

「そうか、勝った方は負けた方の顔に墨を塗るんだったよね」

「何!?」

 のほほんとしたアルルの声で、シェゾは一瞬にして我を取り戻した。冗談ではない! これ以上恥を塗り重ねるには、彼の精神的度量は圧倒的に広さが足りない。

 咄嗟に、呪文を唱えてテレポートを発動させようとしたが。

「うっ!?」

 バチッ、とまるで感電したかのような抵抗があり、現出させた魔導の場が消滅した。

 ――魔導を妨害された?

 咄嗟に、アルル――この場にいる唯一の魔導師――を見遣ったが、何の緊張感もないその顔を見て、可能性を否定する。そんなはずはない。この、素質だけにはとてつもなく恵まれた娘は、しかし未だそれだけの技術は有していないし、またそれを行なう性質ではない。

 では、今のは一体………。

 ――と、考えている暇などなかった。

「ぐーっ!」

「どわぁああ!?」

 墨をたっぷりと含ませた筆を掲げたカーバンクルが襲いかかる。

 かくて、数多の伝承にその名を記録する、この世に災厄をもたらす闇の魔導師は、博物誌にも載ってなさそうな怪生物に散々に蹂躪され、思うままに敗者の印を書きつけられたのであった……。

 

☆★☆

 

「あぁあああっ! そ、それは私のスペシャル羽根突きセット! どこに落としたのかと思っていたら……!」

 だしぬけに声をはり上げて、漆黒の翼を鳴らして天空から舞い下りて来る者があった。

「サタン」

 新緑の長い髪に朱金の瞳。ねじけた一対の角を頭上に持つ魔王の登場に、アルルは一瞬目を見開き、すぐに僅かな警戒の色を浮かべた。この人騒がせな男のやることなすことに、これまで散々引きずり回されてきたのだから。

 しかし、サタンは全く意に介した様子もなく。

「おおっ!? ここにいたのか。我が最愛の妃とカーバンクルちゃんよっ vV

 満面の笑みを浮かべる。そのまま抱き付かんばかりの勢いなのを、アルルは視線で牽制しつつ。

「落としたって……もしかして、この羽根突きの道具はキミのものなの、サタン」

「そうとも! これを持って、早速お前とカーバンクルちゃんのもとへ行き、楽しく遊ぼうと思っていた矢先、ついうっかり落としてしまい……。しかし、既にお前の手に渡っていたとは。これこそ運命! やはり、お前と私は、運命の糸で結ばれているのだ。

 アルル、今年こそお前を我が妃に……!」

 もう聞き飽きた、という顔のアルルが一歩さがると、代わりに、すらりとした影がさっと一歩前に進み出た。

「サタン様!」

「う゛っ。ルルー!?」

 何故か、サタンの顔がぎくりと固まる。

「ああ、サタン様……。元旦に引き続き、今日までもこうして思いがけずお会いできるだなんて。これこそ、運命ですわね。やっぱり、あたくしたちは結ばれる運命なんですわ♥

 サタン様。今年こそは、あたくしをあなた様の花嫁にしてくださいますわよね!」

「いや。その。う、ぅう………」

 まるでヘビに睨まれたガマガエルだ。固まったまま、サタンはだらだらと汗を流し始める。

「おい。今、スペシャルとか言っていたが……。さっき俺の魔導の場を解体した強制力は、お前の仕掛けたものだったのか?」

 横からむつっとした声でシェゾが口を挟み、渡りに船、とばかりにサタンはそちらに注意を逸らした。が。

ぷぶっ

 盛大に吹き出して笑い始めた。真正面から見た端正な闇の魔導師の顔は、今や両目ぐるぐる鼻黒々の墨塗りパンダ顔。おまけに鼻の下にはくるんと丸まったヒゲが伸び、眉間には縦皺が書いてあった。頬には二文字ずつ区切って”ヘンタイ”の文字。

「笑うなっ!」

 流石に赤面して、シェゾは顔を手でぬぐったが、殆ど乾いてしまっていて、こすったくらいでは取れない。むしろ、生乾きのところがびろーんと広がって、奇妙さを倍加させている。

「だーっはっはっはっはぁ!」

「笑うなっつっとるだろうがぁ!」

「ひーっひっひっひっひ!」

「笑うなと言うのに! いいかげんにやめんと、殺すぞ!」

「うぃーひっひっひ!」

「殺すっ!」

「くはははははは!」

 この不毛な漫才はしばらく続けられた……。 

 

☆★☆

 

「ふっふっふ……。そう、この羽根突きセットは、ただの羽根突きの道具ではない。名付けて!”王様ゲームだよ〜ん! 新春スペシャル羽根突きセット”だ」

 ようやく笑いの発作が落ち着いて。(シェゾは顔を洗って。)再度のシェゾの問いかけに、サタンは得意げに答えた。

「王様ゲーム?」

「つまりだ! このセットで羽根突きをすると、勝者は敗者に一つだけ、自分の命令をきかせることができる。まぁ、生死や世界に関わることは別だが、それ以外ならなんでも、絶対的な強制力が働くのだ!」

 勝者が王様で、敗者が臣下というわけだな。そんなことを得々と述べていたサタンの前で、不意に、アルルがにこりと笑った。

「へぇー……。サタン。そんな羽根突きセットを持って来て、ボクやカーくんと楽しく羽根突きして遊ぶつもりだったんだ」

「ぎくり!」

 律儀に口で擬音を叫び、瞬時に青ざめるサタン。

「もし勝ったとして、ボクらに一体どんな命令をするつもりだったのかなー」

「ぐーー」

「あああっ、カーバンクルちゃん! そんな、そんな目で見ないでおくれっ。私は、私はただ、そう、みんなで楽しく遊ぶためにだなっ」

「みんなで?」

「そ、そうともっ!」

 サタンが両手を掲げると、そこからどどどっと無数の羽子板と追い羽根が飛び出した。

「新春羽根突き大会だ! 数々の試合をこなし、最終的な優勝者は敗者の王様になって、中の一人に、なんでも一つだけ命令することが出来るゲームだ。どうだ、面白そうだろう!」

 一気に言って、そのまま、サタンはしばし目の前の少女の様子をうかがった。

「………ま、面白そうかな。大勢でやるんだよね?」

「そ、そうだとも! トーナメント式だ」

 ホッとしたようにそう言い、片手を閃かせると、もうそこには「王様ゲームだよ〜ん! 新春羽根突き大会」と書かれた垂れ幕が下がっていた。もう一方の手を閃かせると、イベントの詳細の書かれたチラシが雪のように辺り中に舞い散った。イベント好きの連中が、すぐにでも集まってくるだろう。

「アルルもぜひ参加するがいい」

「優勝者が王様になるのか……。ふふっ。よーし、がんばっちゃお!」

 着物の長い袖を閃かせながら、今度は屈託なく、アルルは笑った。

「優勝したら、誰か一人になんでも命じられる……」

 ぼうっと呟いたのは、ルルー。

「サタン様! サタン様も参加なさいますわよね?」

「は? あ、ああ。勿論、元々そのつもり……じゃない、折角のスペシャルイベントだからな。そうするつもりだが」

「あたくし………、あたくし、やりますわ!」

 ルルーの周りで、目に見えない何かが燃えあがった。メラメラと。

「ブモー! オレも参加するモ〜〜っ」

 こちらも熱血系の牛男が、気炎を上げている。

「ぐー」

「えっ、カーくんはもう参加しないの? ……さっきので満足したって? そっかぁ」

 足元のカーバンクルに向かって、アルルはちょっと残念そうな声を出した。顔を上げる。

「ねぇシェゾ、シェゾはまた参加するでしょ?」

「………またかよ」

 シェゾは渋い顔をした。が。

 ――優勝者が敗者の一人を選んで命令する……ということは、例え俺が優勝できないとしても、俺がまた命令される可能性は限りなく低い……ということだしな。

 そして、もしも俺が優勝できたなら………誰に何を命じるかは決まっている。

 うむ。リスクは少なく利は大きい。参加する価値はあるか……。

 ふ。ふふふふ………。

 知らずに嗤うと、アルルが心底嫌そうに眉をひそめた。

「………ヤだなぁ、その笑い方。ヘンタイくさーい」

「なっ。俺のどこがヘンタイ臭いか!」

「表情。笑い方。立ち居振舞い!」

「…………」

 こうして、成り行きで開かれることになった羽根突き大会。今度こそシェゾは勝てるのか。サタンは、ルルーは己が欲望を叶えることが出来るのか!?

 

☆★☆

 

 一時間ほどが経つと、数十人のメンバーが集まっていた。みんな相当ヒマなのか、それとも欲が強いのだろうか。ちなみに、主に魔物である。魔王の誘いだから当然とも言える事だが。

 トーナメントの組み合わせは厳正なるくじ引きで決められ、また、幾つかのルールを追加して試合が行なわれた。すなわち、著しい体格差や飛行等の特殊能力を持つ者がいるため、予め一定の広さのコートが定められたのだ。プレイヤーは互いの陣地を持ち、相手の陣地に追い羽根を落とす事が出来たら勝利。代わりに、陣地以外の場所に落としても、得点にもペナルティにもならない。ただひたすら、相手の陣地に羽根を落とすまで打ち合うのである。

 この、単純だがそれ故に厳しいゲームに、多くの者が燃えた。

「行きますわよ〜〜!」

 ほうきで自在に陣地を飛び回るウィッチ。(小回りが利き過ぎて目を回した)

「ぎょっぎょっぎょ〜〜!!」

 不気味なリズムに乗って、踊るように羽根を返すすけとうだら。(踊りに陶酔し過ぎ)

「負けないゾウ〜!」

 ぞう大魔王は大地を揺らして対戦者をよろめかせたが、追い羽根を鼻で吸い寄せてしまい、自らの陣地に落として敗北した。同様に、目の前に飛んできた追い羽根を口から吹いた炎で燃やしてしまったドラコも失格。羽根のことなんか最初から眼中に無しで歌い続けたハーピーは強制退場。何故だか泣き出してしまったセリリを宥めるのにみんなで大わらわ。

「ブモー! ルルー様ぁ! ルルー様の為に、オレがんばるモー!」

「恥ずかしいからいちいちそんなこと叫ぶなっていうのよ!」

 力の入り過ぎたミノタウロスは、乱入したルルーの拳で大地に沈み、あえなく棄権した。

 こうして幾多もの熱い勝負が行われ、実況の声が飛び、合間に魔物商人の物売りの声も響いて、トーナメントは着々と消化されていった。

 準々決勝を経て、ついに準決勝。二組、四名が残っていた。奇しくも、というかなんというか。アルル、ルルー、シェゾ、サタンである。

 

☆★☆

 

 準決勝の一試合目。ルルー VS シェゾ・ウィグィィ。

「あんたとここで戦うことになるとは思わなかったわね……カーバンクルにあっさり負けてたくせに」

 陣地に立って睨み合うなり、早速ルルーの口撃が始まった。

「フン、これが俺の実力だ。お前の方もよく残ったと誉めてやりたいところだが、お前は体力だけが取り柄の筋肉女だからな。残れなかったらバカすぎるか」

 軽くいなして、シェゾは皮肉を返したが。

「誰が体力バカの筋肉ダルマですってぇ!? あんたなんか今すぐ負かしてやるわよ!」

「行くわよっ」の掛け声と共に、ルルーから追い羽根が放たれた。

「誰もそこまで言っとらんっ!」

 突っ込みつつ、シェゾは軽くそれを受け――たつもりだったが。

「くっ!?」

 思いも寄らぬ衝撃があった。それでも羽子板を取り落とさなかったのは見事だが。

 ――羽子板には、穴が開いている。

 穴の周囲はうっすらと焦げ、薄い煙が立ち昇っていた。追い羽根と言えば、羽子板を突き抜け、しゅうしゅうと熱気を上げながら陣地外の地面にめり込んでいる。

 生身に当たれば打ち身どころではすまないだろう。ゾーッとする威力ではあった。

「殺す気かっ!!」

「あら、なによ。あたくしは、あたくしの持てる力を発揮して羽根を打っただけよ? それとも危険がないように手加減して打たなきゃならないの? おかしいじゃない。それって正々堂々っていえないわ。そうでしょ。違う? 何か文句あるの!?」

「ううぅっ……」

 一息に言われて、反論を封じ込まれたように見える。

 今度は、シェゾから追い羽根を打っての再開になった。

 ごく軽いうち込みで、楽勝とばかりにルルーが打ち返そうとする。

 ――と。突然風が吹いて、羽根が思いも寄らぬ方向に流れた。

「えっ!?」

 返し損ねる。羽根は地に落ちたが、ギリギリ陣地外だった。安堵の息をついて、ルルーはキッとシェゾを睨んだ。鬼も怯みそうなその視線。

「ちょっと! あんた、まさか今……」

 けろりとしてシェゾは言った。

「魔法は俺の”持てる力”だからな。それを発揮しただけだ。それとも、手加減して戦わなきゃならないか?」

「なぁんですってぇえええ!?」

 ルルーは髪を逆立てた。彼女にとって魔法は憧れてやまない力でもあるから、怒りはより過激になる。

「インケン、イヤミ、ネクラ男っ!」

 ルルーは新たに追い羽根を打った。羽根は唸りを上げる。

「暴力、脊髄反射、ファシズム女っ!」

 シェゾは打ち返した。風の魔法でルルーの殺人球の威力を削いでいてこそ出来る芸当である。

「ヘンタイ、女の敵、ストーカー!」

 打ち返すルルー。

「ストーカーはお前だろうが、自己中心女!」

「キーッ、何てこと言うのよっ! 大体あんた、レディに失礼なのよっ」

「誰がレディだ。自分の都合のいい時だけ女ぶるなっ!」

 激しいラリー……なんだか、悪口の応酬なんだか。

「ぐぼはあっ!!」

 突然、外れたところで馬を踏み殺したような声がした。ごきゅっ! という恐ろしい破壊の音も。

「サ、サタン様っ!?」

「サタン!」

 もう一つの準決勝のサタンとアルルは、隣のコートで試合をしている最中だったのだが。

 サタンの顔には、まな板……もとい、羽子板が突き刺さっていた。熱戦のあまりルルーの手からすっぽ抜けた羽子板が、見事に命中したのである。

「ばたんきゅーっ……だ!」

 顔に四角い跡を残し、サタンはぐるぐる目を回して倒れた。脳震盪を起こしたらしい。……サタンでなかったら、もっと怖いことになっていた気もするが。

「サタン様ぁあああ!」

 泣きそうな顔で駆け寄るルルー。試合放棄である。その間に、ちゃっかりシェゾの打った羽根が、ぽてっとルルーの陣地に落ちていたりもしたし。

「シェゾさんの勝ちでーす!」

 審判役のチコが声を張り上げた。

「サタン様が試合続行不可能なのでー、アルルおねえちゃんの不戦勝だよ!」

 サタンとアルルの方の審判、パノッティも、次いでそう言った。

「決勝戦は、シェゾさんと」「アルルおねえちゃん!」

「ぐー…」

 審判達が高らかに告げる声を聞きながら、カーバンクルは何十本目かの串に刺したイカ焼きをほおばった。今日は、止める人がいなかったので食べ放題である。天国だ。

 

☆★☆

 ごおごおと風が吹いていた。

 ……と、書きたいところだが、実際は無風。穏やかな陽気だ。

 ”王様ゲームだよ〜ん! 新春羽根突き大会”もいよいよ決勝戦。相対して望むのは、見習い魔導師アルル・ナジャと、闇の魔導師シェゾ・ウィグィィ!

「フッ……。お前と、こんな形で勝負することになるとはな」

 言って、シェゾは不敵な笑みを浮かべた。これまで、幾度も魔法での勝負はしてきたが。

「今度も、ボクは負けないからね」

 アルルも不敵な笑みを返す。

 ルルーとはまた違った部分で、好戦的な二人なのである。

 かくして、最終試合は始まった。

 

 最も加熱するべきこの試合は、しかし最もスタンダートに経過していった。

 互いに魔法を使わず、まっとうに羽根を突いている。

「結構やるじゃないの、あの子」

 試合を見ながら、ルルーが呟く。

「うむ。流石は我が未来の妃だ!」

 その膝からようやく半身を起こして、サタンが言った。まだ痛そうに濡れタオルで顔を押さえてはいるけれども。

 何の変化球も変則技もなく、延々とラリーが続く。二人とも、よく動いている。

「だが……このまま試合が長引けば、アルルの方が不利になるな」

「え? それはどういう……」

 首を傾げたのは、その状況がルルーにとっては不利にならないからだろう。

 だが、世の殆どの人間は、彼女並みの体力を持っているわけはない。そして、男と女とくれば、当然、女の方が体力に乏しく、限界が早いものなのだった。

 現に、アルルの呼吸は乱れ始めている。

「フッ。動きが鈍くなってきたぜ、アルル!」

 シェゾの方はまだこんな口をきく余裕があるが。

「あっ!」

 まもなく、アルルは追い羽根を取りこぼして肝を冷やした。幸いにも陣地外だ。アルル側から打ち直すことになり、僅かに手を休める機会を得た。

 はぁ、はぁと肩で荒く息を付く。汗が額から流れ落ちる。暑い。

「もうっ……。こんなの着てるから、体が重いんだよ!」

 アルルは呟いた。そして。

「なっ。アルル!?」

 誰もが叫んだ。アルルが、その場で着物を脱ぎ始めたからである。

「ナニやってんだ、お前はっ。そんなところで!」

 おたおたと手を振ってシェゾが喚いた。のちのち長く語り草になったことには、闇の魔導師シェゾ・ウィグィィのあれほどまでに動揺した声を聞いたのは、後にも先にもあれっきり……だったとかなんとか。

 そんな対戦者のうろたえぶりにはまるで頓着せず、アルルはとうとうすっかり着物を脱いで、勢いよく陣地の外に投げ捨ててしまった。今や彼女は――――彼女は、紺のミニスカートにシャツ、それに白のタンクトップを重ねて着ている。

 そう。なんのことはない、魔導装甲さえないものの、普段着そのまんまの姿だった。

「いくよっ!」

 晴れ晴れとした顔を取り戻して、アルルは追い羽根を打った。さして鋭いものではない。新たなラリーの始まり……かと思われたが。

 ぽてりと、羽根は地に落ちた。――シェゾの陣地内に。

 シェゾは地に両手をついてうな垂れ、這いつくばっていた。激戦の果てに力尽きてしまったのか?

「試合終了! 優勝は、アルルおねえちゃん!」

 パノッティが叫んだ。

「やった! ボクの勝ちだっ」

 わーっと起こる歓声、飛び跳ねて喜ぶアルル。

 そんな中、這いつくばったままのシェゾの背中には、思いっきり大きく太字で黒々と、「がっかり」という文字が浮かんでいるように見えた。

「キモノの下に、服を着るなよな……」

 もっともである。

 

☆★☆

 

 優勝者、もとい王様になったアルルは、表彰台ならぬ玉座に腰を下ろした。

「さて、王様。一体誰に、何を望むかな」

 玉座の横に立ったサタンが尋ねた。

「うーーーーーん」

 小首をかしげてアルルは考え込む。玉座の前に立つ参加者――臣下達を見回すと、それぞれに緊張が走った。誰が何を言われるのか想像が付かないのだから。

「アルルっ。あんたなんかが命じるっていうのも腹が立つけど……サタン様に、あたくしと結婚するようにって命じなさい!」

 ルルーが叫んだ。

「あっ、ズルい! だったらアタシだって、えーっと、えーっと」

「誰にでもいいから、わたくしに最高級ほうきを贈るように命じなさい、ですわ〜!」

「セリリちゃんに、セリリちゃんに………ふぃーっしゅ!」

「私の歌をーー、ずぅーっとずぅーっと聴くように〜〜命じて〜ください〜〜」

「あの、あの、私とお友達になるように………」

 どっと、思い思いの声が溢れた。それぞれ常に言っていることそのままで、罪がないと言うか業が深いと言うか。

 そんな喧々ガクガクの隅っこで、ただ一人だけ、どんよりとして背を向けている者がいるのにアルルは気付いた。

「シェゾ。キミ、まだ元気が出ないの? そんなにがっかりしなくてもいいのに」

 シェゾはのろのろと前を向く。

「……あのな。俺は別に、負けたからって……」

「そんなに、ボクの裸が見たかったんだ。闇の魔導師も”オトコのコ”だよねぇー」

「んなっ……!」

 シェゾは言葉を失う。

「女がケロッとしてそんなこと言うな! ――じゃない、違う! 俺はお前の一般常識の欠如を問題にしてるんだ。大体、キモノの下には服どころか、線を気にして下着すら着けんのが普通だろうがっ」

「あんたほんっとにどーでもいいことはよく知ってるわよねぇー」

 ルルーが心底呆れたように声を漏らす。

「お前らに知識がなさ過ぎるだけだ!」

「へーえ。シェゾってば、ボクが下着も着けてないと思ってたんだ」

「うっ!?」

 思いっきり、シェゾはたじろいだ。すぐに「常識の話をしただけだっ」と言い返したが、態度が派手に裏切っている。

「シェゾってホントにヘンタイだよね。ねーカーくん」

「ぐー」

「ちなみに、エッチはヘンタイの頭文字なんだよ」

「ぐぐー」

「だぁーっ、違うっつっとろーが!! いいか、俺はな、お前の裸なんざ、全然、全く、これっぽっちも、ミジンコ一匹分さえ見たくなどないっ!」

 アルルがギッと目をすわらせた。

「わかった。じゃあ、今後絶対、未来永劫、金輪際何があろうと、ボクの裸を見ないでよ」

「誰が見るかっ! このナイナイづくしのガキんちょ女っ」

「あぁあああっ、そういう言い方するかなっ。それセクハラだよっ」

 衆目の前で声を限りに、一体何を叫んでいるのであろうか、この二人は。

「私は見たいが……」

 結構”アル”し……と、ボソッと口の中で呟いたのはサタン。彼には、ミノタウロスの迷宮でアルルの入浴を覗き見た前科がある。

「よーし、んじゃ、シェゾに命令っ」

「なっ。ちょっと待て。俺か? また俺なのかっ!?」

「自業自得だよっ。ふふふふふ、何を命じてやろーかなぁー……」

 笑みを含ませながら、アルルはじっとシェゾを見つめた。

「………もう二度と、”お前が欲しい”なんつってボクにつきまとったりしないように………ってのも、アリなのかな」

 虚を衝かれたように、シェゾが身を硬くするのがわかった。

「おお。そうだな、そうすればもう二度とこのヘンタイに煩わされることはなくなる。私も安心だぞ、我が妃よ」

「いや、別にキミでも同じなんだけど」

 ジロリと冷たい一瞥をくれると、「えええっ」と、サタンはうろたえた。

 アルルはじっと考え込んだ。

 考えてみれば、もう随分長いことこのヘンタイと魔王に悩まされてきたわけで。この期に、せめてそのどちらかとでも縁を切ってみたところで、罰は当たらないように思える。

 もう永遠に付きまとってこられないように……。

 ……………。

 ……。

 ややあって、アルルは口を開いた。

「………よし、決めた。やっぱりシェゾ!」

 愕然とした表情のシェゾに向かい、続けて。

「カレー」

「……は?」

 宇宙語を聞いたように、シェゾはぽかんと口を開けた。

「散々運動したから、お腹すいちゃった。カレーをおごること!」

「………それで、いいのか?」

「うん」

 アルルは微笑った。極上の笑顔で。

「勿論。――ここにいる、他のみんなの分もね!」

 聞くなり。

 わーっと、みんながカレースタンドめがけて走った。

「あっ。おい、ちょっと待て!」

 慌ててシェゾは叫んだが、止まる者など一人もあろうはずがない。パキスタのカレースタンドに殺到すると、すぐにも先を競って食べ始める。シェゾは懐から財布を出してさっと中を確認した。一瞬、石のように固まって。すぐに、決意を込めた顔で自分もカレースタンドに走った。

「おまえら、むやみにガツガツするなっ。二杯以上食っても一杯分だけしか払わんからな。おい、聞いてるのか!?」

 当然、聞いてません。

「さ、ボクらも行こっ。ほら、サタンも」

「ぐー!」

「……あ、ああ」

 展開に唖然としていたサタンだったが、アルルとカーバンクルの声で我に返り、ふっと笑みを浮かべた。

 ――まったく。今年も賑やかになりそうだ。

 相変わらずの、子供じみたバカ騒ぎを続けて。

 それは憂えるべきことなのか。それとも、喜ぶべきことなのだろうか?

 

「さぁー、思いっきり食べるぞーっ!」「ぐぐぐーぅ!」

 腕まくりの仕草をしながら、アルルとカーバンクルが戦線に参加する。

「だぁーーーーっ、そんなに食うなぁーーーーっ!!」

 今年もついてなさそうな闇の魔導師の必死の悲鳴が、のどかな原にこだました。




☆★☆おわる。☆★☆

あとがきへ


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