地下三階。
これまでとは少し雰囲気が違う。空気が少し冷たさを増したような気がする。
すぐ目の前に扉が一つ。でも、これは行き止まり。左手の扉の方に進む。扉をくぐって、左手の奥にはボックスが一つ。
……あれ? また空だ。
うーん…。一体誰が持ってっちゃったんだろう…。
戻って右手の奥の扉をくぐると、ちょっと広い通路になっていた。右の方はずっと奥まで通路が続いていて、扉がいくつか見える。左には扉が一つで行き止まりだ。
こういう場合、やっぱり近い方から調べるべきだよね。後で戻ってくるのも面倒だし…。
ボクは左の扉を開けた。
中は中規模の部屋になっていた。ただ、これまでの部屋とは明らかに違うところがある。
この部屋にはでーんと大きな本棚があったのだ。壁際に二列の書架が並んでいて、分厚い本がぎっしりと詰め込まれている。
そして、その一冊を手に取って、読みふけっている様子の人物の姿があった。
「ん? お前は…」
銀色の髪。青と金の装飾の施された白銀のローブ。アイスブルーの瞳がボクを捕らえて微かに見開かれる。
「あ、あんたは!」
そこにいたのは、以前ボクの魔力を奪おうとしたヘンタイおにーさん、シェゾだったのだ。
「なんであんたがここにいるのよ!」
思わずボクは叫ぶ。
「人をあんた呼ばわりするなと言ったろうが、学習能力のない奴めっ。お前こそ、なんでこんなところにいる」
「あんた…キミこそ、ボクの事お前呼ばわりしてるじゃない」
「当たり前だ。俺はお前の名前など知らんからな」
「あれ? そうだっけ…」
でも、名乗り合うような状況じゃなかったもんね、あの時は。
「ボクはアルル。アルル・ナジャだよ」
「で、なんでお前がここに来ている」
ムッとしながらボクは応えた。
「天気がいいからだよ」
「はぁ?」
シェゾは、なんとも間の抜けた声を上げた。胡乱な目つきでボクを見ている。
だってだって、天気がいいとどこかに出かけたくなって、出かけるとしたらやっぱり冒険で、冒険といったらダンジョン、じゃないかぁー!
「そういうキミは、なんでここにいるのよ。そりゃ、キミは暗くてじめじめした場所が好きなんだろうけどっ」
シェゾとは、そういう場所でしか会った事がない。
「あのな…」
額に青筋を浮かべて、シェゾが何かを言おうとした時だった。
「いらっしゃあ〜いv」
場違いな、甘ったるぅ〜い声が響いた。
いつのまにか現れていたのは、バニーガールの衣装をまとった色っぽいおねーさんだ。
「うふふっ。こちら、ステキなヒ・ト・ね☆」
ウインクしながら、投げキッスなんか飛ばしてくる。
…ふぅ〜ん、そっかあ。
「じゃ、ボク、おジャマみたいだから」
そそくさと立ち去ろうとしたら、心持ち慌てたシェゾの声が聞こえた。
「おい…お前、何かカンチガイしてないか?」
「だって。ボクがここにいるわけにいかないでしょ。人の恋路をジャマする趣味もないしっ」
「バカかお前は。アレはウォーターエレメント…」
ウォーターエレメント。魔物化した水の精霊で、気に入った相手に攻撃を仕掛けてくるという…。
なんてことを思い出している一瞬の間に、バニーガールのおねーさんは左手に持ったワイングラスを閃かせていた。
「お飲みになってぇ〜!」
「うわぁあああっ」
激しい水流が、ボクらを壁に叩き付けた。
いくらひんやり湿気を帯びてるとはいえ、石造りの部屋の中で水責めにあうなんて…。
思いっきり気管に水を吸い込んでしまい、ボクは激しくせき込む。
「くっ…」
魔剣を召喚し、シェゾが構えた。
「フレイムストーム!」
炎の渦がウォーターエレメントを巻き込む!
「ああ〜んっ」
その悲鳴まで色っぽく。
「つまんなぁ〜い☆」
ウォーターエレメントは霧散(退散?)した。
静寂が戻った。
「あ、ありがとう…」
思わずそう言うと、
「はぁ? …別にお前を助けたわけじゃないぞ」
力いっぱいそう言われた。いや…そうなんだろーケドさ。
「それより、キミねぇ。さっきからずーっと人のコト「お前」呼ばわりしたまんまじゃない。折角人が名乗ったのに、失礼でしょ」
「ふん……」
シェゾは小さく笑った。含みのある…少し嫌な感じの笑みだ。
「俺がお前の名前を知ったところで、一体何の意味がある? お前の名前が何であろうと、俺の獲物である事には違いがないのだからな」
出したままの魔剣がシェゾの動きにつれて煌いた。
げげげっ。こいつ、まだ諦めてないのか!?
ボクは思わず後ずさる。
「キミ…まさか、ボクを追いかけてここまで…?」
ホントのヘンタイだぁ…。
だけど、シェゾは何故かムッとした顔になった。
「あのな。俺はお前みたいなヒマなガキじゃねぇんだよ。ここに来たのは仕事のついでだ、ついで!
ここが古代の魔導の研究施設の跡だと、お前も知っているんじゃないのか?」
そ、そうなの…? だからこんなに本があるのかな。
「だが、これも何かの縁か…。お前の方から飛び込んできたのだ。まずはお前を奪うというのもいいかもしれんな…」
なにやら妖しいコトを言いながら、シェゾは真っ青な瞳でボクを射抜いた。不意に周囲の冷気が増した気がする。いや、シェゾのまとう気配が変化したのだ。冷たい――言うならば、異質なものに。
「やっ…、やだよっ、そんなの!」
やっぱりヘンタイだ、こんな奴!
シェゾも、恐らくはこのダンジョンの魔力の影響を受けて、普段よりは魔力が抑えられているのだろう。けれど、だからって有利というわけではない。こっちは基本魔法程度しか使えないんだから。
緊張して、距離をとろうとした時。
ぱぴー――――ひゃららりらぁ〜〜〜
「か、カーくん!?」
いつのまに道具袋から取り出したんだろう。カーくんが、あの奇妙な縦笛を吹き鳴らしていた。
ひゃらり〜〜〜
・・・・・。
でも、やっぱり何も起こらない。
「一体何のつもりだ?」
シェゾが近付いてくる。
ところが。
何かは起こったのだ。
「なにっ!?」
それは唐突に飛び出した。
シェゾの懐から――恐らく、道具袋の中から飛び出したのだろう。小さな魚篭のような形の籠。床に落ちたそれは、しばらくくるくると振動すると――かぱりとその蓋が開いた。
中から、するすると赤い蛇が這い出してくる。
「げげっ!?」
でも、蛇が絡み付いたのはシェゾの方だった。あろうことか、そのまま空を飛び始める。
「なっ…。このっ、下ろせ!」
でも、蛇はシェゾの言う事なんてまるで聞いたりしない。そして。
ごおん! おん おん…
シェゾが天井に頭をぶつけた音が、反響しながらダンジョンに響き渡ったのだった…。
あーあ…。
完全にばたんきゅーしちゃったシェゾを前にして、ボクはちょっと呆気に取られていた。
なんなんだろう…。
下に落ちると、蛇はまた籠の中に入ってしまっていた。覗いてみると、籠の中いっぱいにとぐろを巻いて寝ている。
魔導生物…なのかな。
なんにしても、使う場所を考えれば結構役に立ちそうだ。つまり、あの奇妙な縦笛はこうして使うものだったんだね。
もらって行こーっと。
ばたんきゅーしたままのシェゾには悪いケド…目を覚まされて、また襲ってこられても困るし。
ボクはさっさとその部屋から退散したのだった。
部屋を出て、通路を真っ直ぐ進む。左手には意味ありげな小部屋が一つ。でも何もない。突き当たりのスペースには、また幾つかの書棚が並んでいた。
でも、殆どの本がボロボロになっている。
…あれ? この本は読めそーだな。どれどれ…。
『時を追え! 丸く丸く丸く!
落ちろ落ちろ! 奈落の底に!』
………。なんのこっちゃ?
別の読めそうな本にはこうあった。
『黒い翼を開いて地を望み
鱗をくねらせ天を睨む』
……意味が解りそうな、解らないような…。
右にあった扉をくぐる。
そこはすごく広い部屋だった。
部屋の中央に、魔法陣が見える。そして壁際にはぐるりと書棚が並んでいた。すごい量の本だ。
うーん…。ここが魔導の研究所だったというのは嘘じゃないみたいだね。
魔法陣に乗るのは後回しにして、ボクは読めそうな本を探してみた。
『同色の物体は融合し合う
が 重ねて融合すると
その空間は不安定になっていく』
どうやら、色が魔力と空間に与える影響に関する論文らしいケド…難しくてボクには解らない。
また、別の本にはこうあった。
『円を描いて時は刻まれる
それを辿って人は螺旋を描く』
丸…円…螺旋…そして色と時空。
さっきから、内容にどこか共通のイメージはあるような気がするんだけど…。
魔法陣に乗って、ボクは地下四階に向かった。