「失礼しまーす。……校長先生?」
大きくて立派な扉を開けて、ボクは部屋の中を覗き込んだ。
部屋の中も扉に相応しく、豪華な作りだ。それに、ボクが知っている、これまで通ってきたどんな学校の校長室に比べてもずっと広い。……っていうより、建物の構造を考えると、どう考えてもこんな広さを確保できるはずはないんだケド……窓の外には一面の雲海なんかが見えてるし……。
……ま、いいか。
今日、ボクが校長室にやってきたのは、別に校長先生に呼び出されたとか、そういうわけじゃない。ただ、今日たまたま校長先生に用事を頼まれて、それが終わったからその報告に来ただけだ。
「マスクド校長せんせーい、いないんですか?」
広い校長室の中に、あの風変わりな人の姿はなかった。
仮にも、世界に名を轟かせる魔導の最高学府、古代魔導スクールの校長であるというのに、あの人は本当に変わっている。だって、いつもマスクを着けているんだよ。その下の素顔を見た人は誰もいないんだけど、マスクに覆われていない鼻や口はすっきりと整っていて、スタイルもいい。だからマスクを取ればすごぉくかっこいいに違いない……とは女生徒たちのもっぱらの噂。でも、それはともかくとして、校長先生の一番変わっているところは、やっぱりその「お祭り好き」な性格だろう。楽しくてにぎやかなことが大好きで、しかもその場のノリや思い付きで物事を決めちゃうことがよくあるのだ。勿論、見ているだけなら楽しくていいんだけど、それにいつも振り回されるボクたち生徒はたまったもんじゃない。
まぁ、ただ変わってるだけじゃなくて、ボクたち一人一人のことを見てくれているとてもいい先生でもあるから、その点はいいんだけどね。
だけどこの性格って、誰かに似てるよなぁ……。マスクド校長先生の前に来るといつもこの既視感に悩まされるのだけれど、何故か思い出すことが出来ない。
さて、ボクはしばらくそこに立っていたけれど、校長先生が現われる様子はなかった。どうやら、その辺に隠れていてボクをおどかそうとしているとかいうわけではないようだ。
「本当に留守みたい……どうしよう、帰っていいのかな」
ボクはカーくんを見て言った。
「ぐう?」と、カーくんは体全体で首をかしげてみせた。
カーくんっていうのはボクの友達。今も、ボクの肩の上にちょこんと座っている。ちっちゃくて黄色くてウサギみたいな長い耳で、ひたいには赤い宝石が付いている。とっても可愛いんだけど、口がいやしいのが玉に傷かな。
カーくんは「ぐー」としか喋れない。だから他の人とはあまり話せないんだけど、ボクはなんとなくカーくんの言いたいことが分かる。……元は、あのサタンのペットだったから、サタンもカーくんの言うことが分かるのかもしれないケド。
実を言えば、ボクがあんなにまでもサタンにしつこく言い寄られている一因はこのカーくんにもある。ボクがカーくんと友達になって、サタンのところから連れてきてしまったから……。カーくんはもうすっかりボクになついてしまっているので、サタンはボク共々カーくんを手に入れようと考えているようなのだ。
……ま、なんにせよ、ボクにその気はないんだけどね。
「あれ……?」
ふと、ボクは部屋の片隅にもう一つ扉があることに気が付いた。
「こんなところに扉なんてあったっけ……?」
今まで、何度か校長室には入ったことがあったけど、こんな所に扉を見たような記憶はない。
なんとなく近付いてノブに触れると、最初から鍵は外れていたようで、ギイイ……と、勝手に開いてしまった。
どうしよう……?
ボクは少し迷ったけど、中に入ってみることにした。やっぱり、好奇心には勝てなかったから……じゃなくて、マスクド校長先生がこっちにいるかもしれないじゃない? うん。
その部屋は狭かった。と言っても、校長室に比べると、だけど。窓はなく――正確には壁際までごちゃごちゃと詰め込まれた色んな荷物で潰れているのかもしれない――薄暗い。
「うわぁ……」
かすかにかび臭い部屋の中にところせましと置かれたもの……大中小様々な箱、地球儀みたいな置物、人形、何故かパチンコ、泥にまみれた何に使うのか分からない機械などなど……を見て、ボクは感嘆の声を上げた。
何だか懐かしい感じがする。
そう、まるで子供の頃、色んなおもちゃやガラクタを溜め込んでいた、そんな「秘密基地」みたいだ。
「すごいねぇ、カーくん」
「ぐっ」
「あっ、カーくん?」
カーくんはボクの肩からひょいと飛び降りると、すとととと駆けていってしまった。何か面白いものでも見付けたのかもしれない。ボクは急いで追ったけど、どこに入り込んだものか、カーくんはガラクタの中に紛れてしまった。
「カーくん、どこ? ……あっ」
いけないっ。カーくんを捜していたボクは、積み上げられた荷物の一角を間違って崩してしまった。箱やら何やらがばらばらと床に散乱してしまう。あーあ……。片付けなくちゃ。
「……あれ、これは?」
崩れた荷物の中に、ボクは小さく光るものを見付けた。落ちた小箱の中から転がり出たらしい。それは青い石のはまった古風な指輪だった。
「わあ……」
奇麗だなぁ。
その時、ボクがそんなことをしてしまったのは、結局のところ、昨日サタンにあんなことを言われたのが心に残っていたせいだったのかもしれない。
ボクもいつか、こんな指輪を誰かに贈ってもらったりするのかなぁ……。
ボクは指輪を右手の薬指にはめてみた。
自分で言うのもなんだけど、ぴったりとはまった。
……あれ?
青い石がきらりと光を反射したような気がして、ボクは一瞬目をつぶったんだけど……。何かがおかしい。
すーっと床に沈むような、立ちくらんだような感じだった。
……え? 何? ……何も見えないよ。真っ暗だ!
慌てて動こうとすると、何かがその邪魔をした。ボクはもがく。
大きな布か何かがボクの頭の上からすっぽりと被さっているっていうことに気付いたのは、そのちょっと後。だって突然だったんだもんね。
ぷはっ。
やっとのことでボクは布から顔を出すことができた。
はぁはぁ……息が詰まるかと思った。にしても、いきなり布が落ちてくるなんて、一体どうなっているんだろう。……んっ?
おかしい。
何だか景色がおかしかった。見慣れないみたいな……ううん、さっき落としてしまった荷物はそのままだ。……ボクの視点がおかしい? ボクは今座り込んでいる。それにしてもこんなに視点が低いなんてこと、あるだろうか?
か……カーくん……。
ボクはカーくんを呼んだ……のだけど。
「み……みゃあ」
……今、ボクと同時に猫が鳴いた?
…………。
お、おーい。
「みゃ、みゃああ」
あああ。もう予測はついたけれど、ボクは恐る恐る自分の体を見た。白くて艶やかな毛並みが見える。鏡があったわけじゃないけど、分かってしまった。
ボクは猫になっちゃってたのだ。
でも、どうして……なんで猫になっちゃったんだろう。
その時、カタンと音がして、薄暗い室内に光が射し込んだ。ボクが入ってきたのとは別のところに扉があって、そこから誰かが入ってこようとしている。
考えてみれば、ボクには別に逃げ出す必要なんてなかったのだ。そりゃ勝手に部屋に入って、あまつさえ猫になっちゃってるなんてみっともない姿を見られたくはなかったけれど、事情を説明して助けてもらうことだってできたはず。
でも、それにボクが気付いたのは校長室に駆け戻った後。そして振り向くと、扉は跡形もなく消えていた。