2.猫のボク


 今日の授業は午前中までで、校内に先生は残っていなかった。加えて言うなら明日から連休で、生徒たちも残らず遊びに行くか実家に帰るかしてしまっている。

 やむなく……ボクは猫の姿のまま、家に帰ることにした。

 家と言っても、厳密にはボク自身の家ではない。魔導学校は世界中から生徒を集めているので、自宅から通える者はどうしても限られてくる。(テレポートで毎日通ってきたツワモノもいたって噂だけどね。)ルルーみたいに学校の近くにわざわざお屋敷を建てちゃうようなお金持ちは別にして、大抵の生徒は下宿先を探さなくちゃならない。普通は学校が寮を用意するところで、魔導学校もその例には漏れなかったんだケド……何故か「寮」という建物を建てるのではなく、近隣の一軒家等をたくさん借りて、そこに各生徒を一人か二人ずつ住まわせるという方法をとっていた。「最低限、自分の生活は自分で出来なくてはならない」というのがマスクド校長先生の思い付き……もとい、方針なわけだ。まぁ、生徒数の少ない古代魔導学校だからこそ出来ることだけどね。

 そんなわけで、ボクにも割り当てられた寮……と言うか、家がある。街の中心からはちょっと離れていて、少しだけ寂しくはあるんだけど、自然が多くて、なによりそんな感じがボクの実家の辺りに似ていて気に入っている。

 助けを求められる相手は見つからなかったけど、ボクだって魔導師の端くれだ。家には専門書もあるし、じっくり考えれば元に戻る方法だって探せるハズ……。

 そんな事を考えながら歩いていたボクの目に、少し先を行く女の子の姿が入った。

 真っ赤なチャイナ風の服を着たその子の背中には、鉤爪のあるコウモリみたいな翼が生えている。若草色の髪は襟足ですっぱりと切り揃えられていて、その頂には細い二本の角が直立していた。でもなにより目立つのはそのお尻に生えている大きなしっぽだ。緑色で、見た感じトカゲのそれみたいにすべすべしている。

 間違いなく、彼女はドラコケンタウロス(半人半竜族)だった。

 魔物の一族というのは、種族名だけで個人の名前を持たないか、隠している場合が多い。だからウィッチは魔女一族(ウィッチ)のウィッチだし、あの半人半竜の女の子はそのまんま、ドラコケンタウロスという。ただ、愛称というか自称の呼び名で、普通はドラコと呼ばれていた。

 そうだ! ドラコに相談してみようっ。

「にゃー! にゃーにゃー」

 ボクは大急ぎでドラコの足元に追いすがると、懸命に語り掛けた。

「ん? あれ、猫だぁ」

 ボクに気が付いて、ドラコが金色の瞳を丸くした。

 ねえドラコ、ボクアルルだよっ。なんでかこんな姿になっちゃったけど、元に戻る方法を一緒に探して欲しいんだ。

 ボクは一生懸命説明したケド……。

 フッ。そんな風に小さく息を吐いて、ドラコは笑った。

「ダメダメ。そんな風に甘えたって、アンタと遊んでるヒマなんてないのっ。そりゃ、このキュートでビューティホーなドラコちゃんと遊びたいって気持ちは分からないでもないけどね」

 相変らずドラコは人の話を聞いていなかった。……この場合仕方ないのかもしれないけど。……って、諦めてちゃしょうがない。

「みゃっ。みゃみゃみゃー!」

 違うんだよ、ボクアルルだよっ。

「もー、駄目だったら。あたしは忙しいの。この美しさを磨くために、色々スケジュール詰まってるんだから……っていけない、ダンス教室に遅れちゃうよっ。早く行かなきゃいいパートナーみんな取られちゃうじゃない。じゃねっ、そのうちサインしてあげるからねっ」

 ドラコは背中の翼を広げると、あっという間に飛んでいってしまった。

 ……あああ。

 がっくり。

 猫になっちゃうと、こんなにコミュニケーションがとりづらいなんて……。

 言葉が通じないのはともかく、全然言いたいことが伝わらないっていうのは結構ツライ。ドラコもドラコだよ。いつもは「アルル、美少女コンテストで勝負よっ」って、勝手にどんどん来るくせに。……でも、仕方ないか。ボクだって、誰か知り合いがこんな風に猫になっていたとしたら、分かるかどうか……あまり自信がない。

 やっぱり、常識というのは柔軟な発想やカンを妨げる大きな壁なのだ。

 でも、これじゃ前途多難だなぁ……はぁあ。

「それじゃじい、行ってくるわね」

「はい、気をつけて行ってらっしゃいませ」

 あれっ。

 ぼんやりしながら歩いているうち、いつのまにかルルーのお屋敷の前まで来ていたようだ。ルルーがいつものように背後にミノタウロスを引き連れて、白いひげのじいやさんに見送られながら大きな玄関を出てくるところだった。どこに行くところなんだろう……なんて考えるのは野暮ってもんだよね。ルルーのあのうかれきった顔を見ていればすぐ分かる。

「ふふふ、ルルー特製、スペシャルデラックスダイナミックエクセレントボンバーリミテッド・ラブラブはーとカレー! 近年まれに見る会心の出来だわっ。サタン様……このカレーを一口食べれば、たちまち、あなたもあたくしのト・リ・コ」

 踊るような足取りのルルーに従うミノタウロスの、その持つバスケットの布の下から、カレーのとってもいい匂いが漂っている。

 ……そういえばお腹すいたなぁ。もうお昼過ぎだもんね。

 ルルーはお嬢様なだけあって、料理はあまり上手くない。だけど、カレーの腕前だけは中々のものだ。何故かと言えば、それがサタンの大好物だから。何度も何度も失敗を重ねて(その辺のことはあまり語りたくないケド)、白魚のような指に傷を……つけないでまな板とかおたまを破壊してたけど、とにかく苦労して腕を磨いたのだ。

 ボクが常々感心することは、ルルーは本当に努力家なんだっていうこと。魔力がないのに、魔導学校ですごく頑張って勉強してるし(でも、魔力がない者を入学させて、校長先生ってなに考えてるんだろうとも思うケド)、とにかく自分を磨こうと努力してる。それもこれもみんなサタンのためだっていうのがボクにはいまいち理解しがたいところだけど、こんなにも人を好きになれるっていうのはちょっとうらやましい感じもする。

 あ、そうだ。それより、ルルーなら助けてくれるかもしれない。高飛車できつい物言いをするけど、ルルーは本当はとても面倒見がいいお姉さんだ。ボクのこの姿を見たら……そりゃさぞ馬鹿にしたり笑ったり呆れたりするだろうけど、それでも最後には必ず親身になってくれるはず。

 ついでに、カレーのおすそ分けをしてくれるかも?

 ねえ、待ってよルルー!

「みゃあ、みゃああ」

「サタン様、あなたのルルーが今参りますわ。うーん、ドレスは派手すぎず地味すぎずにさりげなく、ルージュは新色でほのかな色気を演出。サタン様……あなたはお気付きになるかしら? いいえ、きっと気付いてくださるわね。そしてこう言うのよ。『おっ? ルルー、なんだか今日はいつもと違うな』『えっ……そうですか?』『ああ。……少し大人っぽいな』『まあ、そんな……恥ずかしいですわ』『いや。ルルーがこんなにまでも美しく妖艶で美女でナイスバディで格闘マスターだということに今改めて気付いたぞ。更に加えて料理の腕も最高だ!』『それもこれもあたくしの才能……でもそれは全てサタン様への愛の賜物ですわ!』 『うーむ、何たるいじらしさだ。私は今こそ真実の愛に目覚めた。あんなへなちょこりんのお子ちゃまのコトは忘れようっ。ルルー、是非ともこの私の妃になってくれ!』『ああ、サタン様ぁ〜』そして二人は……きゃっ。なーんちゃってなーんちゃって!」

 妄想モードに突入しちゃってるルルーは、足下に駆け寄って鳴いている小さな仔猫のことになんて全く気がつかない。

「みゃあ、みゃあああん」

 必死の呼びかけに気付いたのは、ルルーの後ろに付いているミノタウロスの方だった。

「ルルー様、何やら猫がいますが」

「そして二人は結婚式……やっぱり盛大に、招待客は一億人くらいかしら。アルルも、まぁ学友として一応呼んであげてもいいわ。その頃はサタン様もちんちくりん娘になんて見向きもしないだろうし!」

 ……ダメだこりゃ。

「おい、ラブラブモードのルルー様には何を言っても無駄だぞ。生憎だが、他を当たってくれ」

 ミノタウロスがしゃがんでボクにそう言った。

 うーん……諦めるしかないかなぁ。

「ちょっと! ミノ、何やってるのっ。早くしないとカレーが冷めてしまうわ」

「はっ、はいっ」

 急に我に返ったらしいルルーの一喝で、ミノタウロスは弾かれたように立ち上がった。でも、慌てて立ち上がってちょっとよろけた足元にボクがいたのだから堪らない。

「みゃうっ」

「うわっ」

 今のボクが巨漢のミノタウロスに踏まれようならぺしゃんこだ。ボクは必死に逃げたけど、それがかえってミノタウロスのバランスを失わせてしまった。

「うおおっ」

 大きくえびぞったミノタウロスは、それでも倒れるのは何とか防いだけれど、代わりに、両手に持っていたバスケットを地面に放り投げてしまったのである。

 がしゃん。嫌な音が響いて、横になったバスケットの中から鍋の蓋がころころと転がり出た。地面にふんわり落ちた布の下から、じわじわと茶色いカレーが流れ出てくる。……野菜が可愛く星やハート型に切り抜かれているのが見えたりして。

 あ……あああ。

 おそるおそる……。ボクとミノタウロスは同じ呼吸でカレーからルルーへと視線を巡らせた。

「…………ミ・ノ・タ・ウロス〜〜〜っっ!」

 あああっ。

 背後に殺気を背負い、ルルーの髪の毛はメデューサのごとく逆立っていた。

「何てことしてくれるのよこのウシはっ。アンタ、覚悟は出来てるんでしょうねぇっ!」

「うわわわわっ、ルルー様、すいませんっ、ごめんなさい、お許しをっ」

「アンタのその頭は何のために付いてるのよっ。のーみそ足りないとは思ってたけど、荷物を運ぶことぐらいが出来ないのっ」

 ハアアアア……、と呼吸を整え始めたルルーを前に、ミノタウロスは必死で訴えた。

「いや、ですから、それはっ。そう、この猫がっ。この猫が私の足元をちょろちょろしたりなんかするもんですからついっ」

 えええっ? なんでそこでボクに振るのっ。

 ギロリ、とルルーに睨まれて、ボクの全身の毛も逆立った。

「そう……そうなの」

 あの……ルルー?

「猫の分際でこのあたくしとサタン様の愛を邪魔しようだなんて、いい度胸じゃないの。ぜっっ……たいに許さないわぁぁっ!」

 ひええええ、ルルーがキレたぁあ――っ!

 ルルーは、ああ見えて結構冷静な部分もある。武道家らしく、状況を分析し、見渡すことを基本としているのだ。だけど……一度キレてしまったルルーは……ただ、ひたすら暴走するだけなのである。それこそ、赤い色を見たウシみたいに。

 これまで、ボクは何度かルルーがキレてしまった場面に遭遇したけれど、そりゃもう恐ろしいったらなかった。

 要するに、今のルルーはボクがただの仔猫だろうと何だろうと、容赦なんてしてくれないだろうってこと。ミノタウロスだって、下手に口出しすれば自分が標的になるんだから、止めてくれって期待する方が間違っている。

 ――こうなったら、ボクに出来ることはただ一つ。

「みゃーっ」

「あっ、待ちなさいっ」

 三十六計逃げるにしかず。ボクはとっととその場を逃げ出したのだった。

 ちなみに、標的を失ったルルーはその矛先を再びミノタウロスに戻したらしいけど、その辺はボクの関知するところではない……ゴメンね、ミノタウロスっ。

 


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