ぜえ、ぜえ……。
どうやら、ルルーは追って来なかったみたい。助かったぁあ。こういう時ばかりは小さくてすばしこい猫になったことに感謝したい気持ちだ。
「あなたが欲しいっ、もとい、あなたの服が欲しいですわ!」
唐突な叫び声に、ボクはびくりと耳をそばだてた。
「お前な……イキナリそれはやめろっつってるだろーが」
「おーほほほ、お馬鹿なあなたにも分かり易いように、親切に用件を言ってさしあげているだけですわ。第一、あなたにだけはそう言われたくありませんわよ」
「はぁ〜? 何でだよ」
「分からないのならホントのお馬鹿ですわね。それとも、ヘンタイと言った方がよろしいかしら?」
「なんだとっ」
いちいち確認しなくても分かる。シェゾとウィッチだ。
この二人も……相変わらずだねぇ。なんだか日常茶飯事になりつつある光景だけど、少し前はボク自身が似たような光景の主人公だったりした。
要するに、以前はばったり顔を合わせるたびに、シェゾがボクに「お前が欲しいっ」って襲い掛かってきていたっていうコト。(変な意味じゃなく、魔導力を狙って勝負を挑んできてたんだけど。)でも、最近はその頻度も落ちてきている。流石に、毎度あれだけこてんぱんにのされてたんじゃ、懲りてきたのかなぁ。
シェゾも、あのヘンな物言いさえなければカッコイイお兄さんなんだけどね。あれで魔導師としての腕は一流だし。……んんっ? 待てよっ。
ボクは文字通り目の前が閃いたような気がした。
そうだ、シェゾもウィッチも魔法の専門家じゃないか。この二人に元に戻る方法を相談すればいいんだ!
そうだよ、どうしてそれに気が付かなかったんだろう。餅は餅屋、解呪は魔導師。ドラコやルルーに相談できたって、しょせん無駄なことだったんだよね。
「みゃーん」
飽きずに言い争いを続けている二人の足元に近付いて、ボクは鳴いた。
これまでのこともあるし、ちょっと慎重にいこう。
「あら、猫がいますわ」
先にボクに気付いたのはウィッチの方だった。
「可愛い。真っ白い毛並みをしてますわね」
ウィッチはボクを抱き上げて、頭をなでた。うわぁ……
シェゾは指でボクの鼻先をいじくった。むっ、無礼なヤツ。おかげでボクはくしゃみをしてしまった。
「この猫、ノラ猫なのかしら……」
「さぁな。割と奇麗な毛並みしてるからどこかの飼い猫かもしれんが……なんだ、みじめったらしい目で見てるな。こりゃ、どうも捨てられたってツラだぜ」
「みゃあっ」
むっかぁ。余計なお世話だよっ。
「あら、そうみたい。返事してますわ」
……やっぱり、話は通じない。
「じゃあ、わたくしの塔に連れて行こうかしら」
ボクを抱いたままウィッチが言った。
「使い魔にするのか?」
「うーん、そうですわね……」
魔女の一族には、ある種の小動物を己の魔力と共振させ、魔力発現の媒介として使役するという慣習(?)がある。ボクたち魔導師が装備する、例えばてのりぞうや刺蜂等の魔導生物と似た感じだけれど、決定的に違うのは、魔導生物はあくまでアイテムと同じ扱いなのに対し(寿命も短い)、使い魔はその主と同じ命を持ち、パートナーとして並び立つという点だろう。
ちなみに、修行中のウィッチはまだ自分の使い魔を持っていなかったはずだ。
「みゃーん」
まさに猫を被って、ボクは可愛く鳴いた。
勿論、ボクはウィッチの使い魔になる気はない。だけど……ここでどうにか彼女に気に入られて連れて行ってもらえれば、ボクがアルル・ナジャだっていうことを知らせる機会も増えるじゃないか。
と。ウィッチが、ひょいとボクを差し上げた。ちょうど小さい子にする「たかいたかい」みたいな感じだ。そして覗き込むと、言った。
「あら、この猫、メスですわ」
「ふーん、だが別に問題ないだろ」
「でも、メスならそれなりの心配をしなくちゃいけませんし……」
二人の会話が、遠くのお芝居の台詞のように聞こえる。
ボクは……ボクは…………。
猫になって以来、鋭い牙と出し入れ自由の爪がこんなに役に立ったことはない。
ウィッチの手の甲に穴、ついでにシェゾの顔に赤い格子柄を刻み付けて、ボクは毬のように転がると、遁走した。
二人の罵倒も耳に入らない。
ふえええええぇぇん。
ボクは……こんなハズカシメを受けたの、生まれて始めてだよーっ。
そりゃボクは今猫なんだし、なんだけど、うわぁんっ。
もー絶対あの二人に協力なんて頼めないっ。というより、正体明かしたくないっ。
もう今日は外に出ないっ。ベッドに潜り込んで寝るっ。
固い決意と共に、ボクはやっとのこと、自分の家に辿り着いたのだった。
……のだけど。
………………。
なんてこった!
猫のボクは、玄関の扉を開けることが出来なかったのだ。
ボクはいつも玄関に鍵をかけていない。この辺の治安はそんなに悪くない……そりゃ、街外れや森を歩いていれば魔物が襲ってくるけど、魔物は留守宅に入り込んで物を盗んだりするようなことはしない。人間だって、とりあえずシェゾなんかが道端で襲ってきたりするけど、やっぱり盗みには来ない。まぁ、盗むようなものなんて何もないんだけどね。
そんな鍵のかかっていない扉なんだし、どうにか開けられそうなものだけど……引っかいてみたり、ぶつかってみたり、なんとか取っ手に触ろうとしてみたり……色々試してみても、ボクにはそれが出来なかった。
がーん……。
猫になって色々ひどい目に遭ったけれど、自分の家にすら入れないだなんて、あんまりだぁあ!
…………。
よーし、こうなったら破れかぶれだっ。じゃげむで扉を壊してやるっ。
かなり剣呑な考えに及んで、ボクは扉に向かう。
――じゅげむっ!
しーん。
あああーっ、駄目だ、猫は呪文を唱えられない!
魔法が使えないっ。
実際には、呪文が唱えられなくったって魔法は使えるはずなんだケド……理論上はね。呪文っていうのは術者のイメージ構成の補助となるもので、だから高位の魔導師になれば特に呪文を唱えなくても魔法を発動させることが出来る。とはいえ、大抵の魔導師はあくまで呪文を唱えるものだ。簡略化してでもね。やっぱり、人は何かの触媒がなければ強いイメージを保つのが難しいのだ。
要するに、未熟なボクには、この状況で魔法を使うことは叶わないってコト。
ががーん!
………………………………。
はっ。
随分長かったのか、ほんの少しの間か。呆然としていたボクは、やっと気を取り直した。
そうだ、いくらあまりな状況にショックを受けたからといって、ここでぼーっと座り込んでいても仕方がない。
永遠にこのままと決まったわけでもないんだから……そう、学校の先生たちに会えれば、きっと何とかしてもらえるはず。(もらえなきゃ困るよ!)
……でも、逆に言えば、休日が明けて学校が始まるまで最低二日。ボクは自分で自分の身の振り方を何とかしなくてはいけなくなったのだ。
日はそろそろ傾き始めたようで、玄関の敷石に落ちるボクの影は、ほんの少し斜めになっている。
……とりあえず、お腹すいたなぁ。
気が抜けたとたん、お腹が人には聞かれたくない大きな音で鳴った。
猫のボクはお金を持っていない。でも、買い置きの食料はこの扉の向こうにある。
うーん……これはかなり差し迫った問題だ。二日物を食べなくったって死にはしないだろうけど、ヘロヘロになっちゃう。それ以前に、ボクがそんなの嫌だ。
ボクの頭の中に、いつどこで聴いたんだか分からない、ある歌のワンフレーズが鳴り響いた。
――お魚くわえたドラ猫、追いかけて♪
……泥棒……猫なら許されるかな。
ボクは自分がぷよまんなんかをくわえて逃げてて、もももが追っかけてきている図を想像してみた。
……なんだかなぁ。
やっぱ駄目だよね。
んんっ……でも元に戻ってから事情を話して謝って、お金を払えば……駄目かなぁ。
背に腹は変えられない。ボクは街に向かう道をとぼとぼと歩き始めた。